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追悼 Ⅱ

 『極光の騎士(ノーザンライト)』対『金閃ゴールディ・ラスター』。追悼試合の組み合わせ(カード)を決定した俺とユーゼフは、弛緩した空気で雨の音を聞いていた。


 今後、闘技場を一位にするための道筋。俺の中で様々なアイデアが浮かんでは消えていく。中には剣闘士や従業員、闘技場界の反発を招きかねないものも含まれていたが、遠慮していては目標に届かない。やって後悔したほうがマシだ。

 どこから手をつけるべきか。頭の中で、優先順位をぼんやりと描いていく。


 そんな時だった。扉のノッカーが音を立てる。


「こんな時間に客か?」


 俺は首を傾げた。もう夜と言っていい時間帯であり、突然の訪問には適さないタイミングだ。


「また皇帝だったりしてね」


「まさか」


 ユーゼフの軽口に応じながら立ち上がると、エントランスへ向かう。少し警戒しながら扉を開くと、そこには若い女性の姿があった。


 年齢は俺と同じくらいだろうか。藍色の髪を結い上げているが、雨に打たれてかなり濡れているようだった。厚手のフード付きマントを羽織っているが、雨を防ぎきれなかったのだろう。


 かなりの美人だが、憂いを浮かべた顔立ちにはなんだか引っ掛かりがあった。昔、どこかで見たような気がする。俺が記憶を検索していると、彼女はぽつりと口を開いた。


「ミレウス……?」


「っ! ヴィーか!?」


 俺は驚きの声を上げる。ヴィンフリーデとは約五年ぶりであり、お互いに成長期前の姿しか知らないのだ。分からなくても仕方ないだろう。


「ヴィーだって?」


 声を聞きつけたのだろう、いつの間にかユーゼフが背後に立っていた。


「ということは……あなたはユーゼフ?」


「そうだよ。久しぶりだね」


 ユーゼフは笑顔を浮かべる。俺と同じく五年ぶりの再会だ。そして、俺は気になっていたことを口にした。


「エレナ母さんは? 喧騒病がひどくて来られなかったのか?」


 ヴィンフリーデの後ろに目を凝らすが、通りにそれらしき人影はない。


「ううん、そのうち着くと思うわ。今のところ喧騒病も耐えられる程度みたい。街に入ったらじっとしていられなくて、私だけ走ってきたのよ」


 その言葉にほっとすると同時に、再会できた喜びが胸に広がる。だが、再会の原因を考えると、懐かしさにはしゃぐ状況ではない。


 そんな俺の考えを肯定するように、ヴィンフリーデの表情が真剣なものに切り替わった。


「それで……父さんは?」


「寝室だ」


「……そう」


 五年前まで住んでいただけあって、案内は不要だった。先頭を歩くヴィンフリーデに続いて、俺とユーゼフも二階の寝室へ上がる。

 彼女は廊下の血痕や破損した家具を見てはっとした表情を浮かべたが、何も言わず寝室の扉を開いた。


「父さん……っ!」


 扉を開くなり、ヴィンフリーデは親父を安置したベッドへ駆け寄った。保存プリザーベーションの魔法のおかげで傷んではいないが、親父の肌の色は真っ白になっていた。


「……」


親父を見下ろしたヴィンフリーデは呆然としていた。表情らしい表情を浮かべないまま、じっとその場に立ち尽くす。


 やがて、彼女はおそるおそる親父の顔に触れる。だが、その顔に温もりはない。ヴィンフリーデは力が抜けたようにストンと膝をついた。


「父さん、どうして……っ!」


親父にしがみつくようにして声を震わせる。俺たちは、その様子を黙って見守るしかなかった。


「父さんは伝説の『闘神インカーネーション』でしょ? 誰よりも強いって言ってたじゃない……!」


 ヴィンフリーデの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。彼女の悲痛な叫びが俺の胸に突き刺さった。


「――ごめん」


 自分でも気付かないうちに声がもれる。俺がもっと早く気付いていれば。闘技場に墜落した時に合流していれば。再び後悔の念が俺を苛む。


 すると、ヴィンフリーデはキッと俺たちを睨んだ。涙を流しながら、激しい口調で俺たちを問い詰める。


「父さんは、二人とも凄く強くなったって言ってた! 自分を超える日が楽しみだって! ……なのに、どうして二人がいてこんなことになるのよ!」


「……すまない」


 今度はユーゼフが口を開く。口には出さないものの、ユーゼフも俺と同じ後悔をしているのだろう。その顔には自責の念がありありと浮かんでいた。


「どうして……どうして……!」


 顔を歪ませて、ヴィンフリーデは何度も同じ言葉を繰り返す。激情はなかなか収まらなかった。


 だが、それを受け止めるのは親父を守れなかった俺たちの仕事だ。平手打ちでも拳でも、なんでも受け止めよう。近付いてくるヴィンフリーデを見ながら、俺はそう決意していた。


 やがて、涙に濡れたヴィンフリーデは俺たちの前に立つ。そして――。


「ヴィー?」


 予想外の行動に俺たちは目を白黒させた。ヴィンフリーデは俺たちに抱き着いたのだ。左腕で俺、右腕でユーゼフを抱え込むように抱きしめる。


 彼女は俺たちの中間に顔を埋めると、嗚咽交じりの声で呟く。


「でも……二人が生きていて……よかった……っ」


 抱きしめる腕にキュッと力がこもる。主を失った部屋では、彼女のすすり泣く声だけが響いていた。




 ◆◆◆




 ヴィンフリーデが落ち着いたのは、俺たちに飛びついてから半刻くらい経ってからのことだった。ようやく平静を取り戻した彼女は、決まり悪そうにリビングの椅子に座る。


「ごめんなさい。ちょっと……ううん、とても取り乱した気がするわ」


 渡したタオルで髪を拭きながら、ヴィンフリーデは恥ずかしそうに謝る。ずいぶん大人びた彼女だが、こういった時に浮かべる表情は昔のままだった。


「俺も似たようなものだったし、謝る必要はないさ」


「そう? ミレウスが取り乱すところなんて、あまり想像できないわね」


 ヴィンフリーデが目を瞬かせると、ユーゼフが小さく笑い声をあげた。


「信じられないだろうけど、本当なんだよ。帝国騎士に殺気を向ける程度には取り乱していたね」


「帝国騎士に?」


 状況がよく飲み込めないのだろう、ヴィンフリーデは首を傾げていた。


「後で話すけど、色々あったんだ。……ところで」


 ユーゼフはいったん言葉を切ると、少しだけ姿勢を正した。


「あらためて挨拶をしておこうかな。……ヴィー、本当に久しぶりだね。すっかり美人になって」


「ふふ、ありがとう。ユーゼフは相変わらず爽やかね。……女遊びがひどいって、父さんが嘆いていたけれど」


 ヴィンフリーデは冗談めかして笑う。その仕草は昔の彼女を思わせたが、纏っている雰囲気はだいぶ華やかなものに変わっていた。やはり、成長期の五年は大きいのだろう。


 そんなことを考えている間にも、ユーゼフとヴィンフリーデの会話は続く。


「剣闘士ランキング八位なんですって? おめでとう、ユーゼフ」


「ありがとう、これも親父やみんなのおかげだよ。親父に顔向けできるように、もっとランキングを上げないとね」


「――まあ、ユーゼフの剣闘士ランキングは六位に上がるけどな」


 俺は二人の会話に口を挟んだ。三位の『重震アクエイク』と六位の『剣弩デュアル・レンジ』は戦死しているのだから、順当に繰り上がるだろう。だが、ユーゼフは渋い表情を見せた。


「実力以外の理由で順位が上がっても、さっぱり喜べないよ。まして、理由が理由だからね」


「そうだな……」


 ユーゼフの気持ちはよく分かった。二十八闘技場の支配人としては歓迎するべきことだが、剣士のはしくれとしては素直に喜ぶことはできない。


 そうして、近況報告や昔話に花を咲かせていた時だった。カチャリ、と玄関の扉が開かれる。その音を聞きつけた俺は、慌てて椅子から立ち上がった。

 この家の鍵を持っている人物は、今となっては俺ともう一人しかいない。


 俺の予想通り、扉を開けて入ってきたのは懐かしい人物だった。年齢的なものだろう、ヴィンフリーデとは違って見かけはほとんど変わらないように思えた。


「エレナ母さん……」


 声をかけると、彼女は穏やかな笑顔を見せた。


「ミレウス、大変だったわね。……事件のこと、知らせてくれてありがとう」


 その笑顔は昔のままだったが、やはり憔悴しているのだろう。どこか翳が落ちていた。そのことに気付いた瞬間、俺は口を開いていた。


「ごめん……親父を守れなかった」


 何度繰り返しても慣れない後悔が頭を駆け巡る。と、項垂れていた俺の視界に何かが映った。

 それはエレナ母さんの指だった。突きつけられた指が、コツンと俺の額を叩く。


「あの人は最高の剣闘士『闘神インカーネーション』よ? だから守る必要はないし、あなたが項垂れることもないの」


「けど……」


 なおも言い募ろうとする俺に、彼女は首を横に振ってみせた。


「ミレウス。あなたは自分が生き残ったことを誇ってちょうだい。あなたが後悔することなんて、私たちは望んでいないわ」


 そして、穏やかな口調で言葉を続けた。


「子供は、親より長生きするのが何よりの親孝行よ」


 そして、二人でリビングへ入る。すると、ヴィンフリーデとユーゼフが声を上げた。


「母さん!」


「エレナさん……」


 エレナ母さんは二人に手を上げて挨拶すると、俺のほうを向いた。


「ところで、あの人はどこかしら?」


「二階の寝室に安置してる」


「そう……。ああ、私だけで充分だから、付いてこなくても大丈夫よ。三人はゆっくりしていて」


 先導しようとした俺の気配を察知したのか、彼女は俺を無理やり椅子に座らせた。


「夫婦での積もる話もあるから、しばらく戻らなくても気にしないで」


 弱々しく笑うと、エレナ母さんは静かに階段を上っていく。その姿を見送った俺たちは、同時に顔を見合わせた


「……大丈夫かな」


 最初に口を開いたのはユーゼフだった。


「私みたいに取り乱すことはないと思うわ。……時間はかかるでしょうけれど」


 その言葉にほっとする。ずっと一緒に暮らしているヴィンフリーデがそう言うのなら、信じていいだろう。


「ちなみに、喧騒病のほうはどうなんだ?」


 ヴィンフリーデたちがこの街を離れる原因となった病名を口にすると、彼女は苦笑を浮かべて鞄を開けた。そして、中から葉っぱやらお札やら、意味があるのかガラクタなのかよく分からないものを机の上に並べる。


「これって、もしかして……」


「ええ、喧騒病に効くと言われているものよ。父さんが家に来るたびに、いくつも置いていったから……」


 その言葉には心当たりがあった。二人と一緒に暮らしたかった親父は、喧騒病に効くという品々を片っ端からエレナ母さんに渡していたのだ。

親父は毎年二回は訪問していたはずだが、そのたびに渡していたのか。


「このどれかが効いたのか、それとも少し治ったのか分からないけど、前よりは楽に見えるわね」


「それならよかった」


 言いながら、机上の怪しげな品々をつんつんとつつく。中には解呪の札にしか見えないものもあったりして、親父の無差別ぶりが窺えた。


 そうして、どれほど経っただろうか。三人で取り留めのない話をしていると、エレナ母さんが階段に姿を見せた。


「ミレウス、ユーゼフ、ありがとう。あなたたちが保存プリザーベーションの魔法を手配してくれたおかげで、ちゃんとお別れをすることができたわ」


 そして、リビングの椅子に座る。四人が揃ったリビングは昔を思い起こさせたが、同時に親父がいないことを強く感じさせた。


「――エレナ母さん、話があるんだ」


 そう切り出したのは、近況報告がひとしきり終わり、今後の話に差し掛かったタイミングだった。


「どうしたの?」


 俺が神妙な顔つきをしているせいか、彼女は不思議そうな表情を浮かべていた。


「二十八闘技場についての話だ。これからは、俺が支配人になって運営していきたい。だから、闘技場の権利を売ってほしいんだ。……できれば出世払いで」


 俺は真面目な顔で言い切った。最後の一言は情けないが、まともに闘技場の権利を買い上げると凄まじい金額になる。その費用を工面しようとすると、肝心の闘技場へ回す資金がゼロになってしまうのだ。


「権利を、売る……?」


 エレナ母さんは目を瞬かせていた。唐突な話だから無理もない。そう思って答えを待っていた俺は、思いがけず激しい言葉を浴びた。


「今さら何を言っているの!」


「……え?」


 急に怒られた理由が分からず、俺は間の抜けた声を上げた。そんな俺の様子を見たエレナ母さんは、少し悲しそうだった。


「……子が親の家業を継ぐ時に、いちいち権利を買ったりする? しないでしょう?」


「あ……」


 そこまで言われて、ようやく怒られた理由に気付く。親父という接点がなくなった今でも、エレナ母さんは俺のことを家族だと思ってくれていたのだ。


 こみ上げる何かを堪えて、俺は言葉を絞り出した。


「……ありがとう。闘技場の運営は、俺が引き継ぐよ」


 嬉しさや申し訳なさ、気まずさといった種々の感情がない交ぜになり、複雑な感情を形作る。


 そんな感情の渦中にあって……それでも、俺の顔は笑っていた。




 ◆◆◆




闘神インカーネーション』イグナート・クロイクの追悼試合と題した興行は、観戦者で溢れかえっていた。


 命と引き換えに帝都を救った親父の人気だけでも凄まじいのに、さらに最終試合の出場選手の一人は同じく帝都を救った英雄『極光の騎士(ノーザンライト)』だ。


 翌日以降に目撃証言がなく、実在しないのではないかとすら言われていた『極光の騎士(ノーザンライト)』が姿を現すとあって、復興中にもかかわらず、闘技場のチケットは一瞬で完売していた。


 さらに、外壁が木端微塵に吹き飛んだ一角については、侵入は禁止しているものの、覗き見を黙認する方針であるため、そちらにも人が押し寄せていた。もちろん、チケットを買ってくれたお客が損をしたと思わないよう、色々調整はしているが。


「ダグラスさん、凄かったわね。相手はランキング十九位でしょう?」


「いつにも増して気迫がこもっていたからな。これで、次回のダグラスさんのランキングは上がること間違いなしだ」


「またミレウスが悪い顔をしてるわね」


 支配人室の窓から試合を観ていた俺とヴィンフリーデは、そんな軽口を叩いていた。次は最終試合であり、少し時間を空けてから開始となる。『極光の騎士(ノーザンライト)』として出場する俺も、そろそろ準備をしなければならなかった。


「それじゃ、後は頼む。俺は『極光の騎士(ノーザンライト)』のご機嫌伺いをしてくるが、多分試合に間に合わないと思うから」


「ええ、任せて。支配人秘書として頑張るわ」


 ヴィンフリーデは胸を張った。……そう。ヴィンフリーデは帝都に残り、闘技場の運営を手伝うことになっていた。彼女なりに思う所があったようだが、予想外のことに俺もユーゼフも驚いたものだ。


 一人残される形のエレナ母さんも異議を唱えることはなかったため、事件のせいで人手不足の二十八闘技場は、喜んで彼女を迎えることになったのだ。


 ちなみに、最初は俺が就いていた『支配人補佐』の役職に就いてもらうつもりでいたのだが、本人の強い希望で『支配人秘書』になった。「補佐より秘書のほうが響きがかわいいもの」という理由らしいが、やることは一緒だ。


「……ユーゼフ、勝てるかしら」


 窓の外を見ながら、ヴィンフリーデは呟いた。


「『極光の騎士(ノーザンライト)』って、噂通りの強さなの? 剣の一振りで数十人を倒すなんて、さすがに信じられないけれど……」


「さすがに噂通りってことはないさ。だが、強い……はずだ」


 歯切れが悪くなる。自分のこととなると、どうにも評価しにくいな。そんな俺の内心を知らず、ヴィンフリーデは懸念を口に出す。


「けど、『極光の騎士(ノーザンライト)』は帝都の英雄なのよね……。ユーゼフが勝ったら、逆にユーゼフの人気が下がるんじゃないかしら」


「さすがにそんなことはないさ」


「それならいいけれど……」


「それじゃ、俺は行ってくるよ。『極光の騎士(ノーザンライト)』が試合の間(リング)に上がるまで、油断はできないからな」


「これだけお客さんが詰めかけているのに、やっぱり欠場です、なんて言えないものね。……いってらっしゃい、ミレウス」


 ヴィンフリーデに見送られて、俺は支配人室を後にする。魔導鎧マジックメイルはあらかじめ闘技場に運んでおいたため、後は装着するだけだ。


「……無様な戦いはできないからな」


 自分の力だけなら、こうやって試合に出ることはできない。すべては魔導鎧マジックメイルのおかげだ。そんな思いが何度も頭をかすめるが、試合においてそれは雑念でしかない。ただ、目の前の試合に集中すればいい。


 自分にそう言い聞かせると、俺は闘技場の地下へ降りていった。




 ◆◆◆




『さあ! ついにやって参りましたぁぁぁっ! 追悼試合の最後を飾るのは、『闘神インカーネーション』の追悼に相応しい剣闘士たち!』


 実況の声が響き、地が割れるような歓声が上がる。魔導鎧マジックメイルを身に着けた俺は、歓声の中をゆっくり進み、試合の間(リング)の中央で足を止めた。


『今や知らない者はいない帝都の英雄! 単騎で大軍を殲滅した無双の益荒男! ――『極光の騎士(ノーザンライト)』ぉぉぉぉっ!』


 その声を受けて、俺は右腕を振り上げた。幼い頃から夢見ていた舞台。今、俺は夢の真っ只中にいた。

 数えきれない観客の視線が、すべて俺に注がれる。その事実に緊張するものの、それをはるかに凌ぐ高揚感が胸に湧き起こっていた。


『対するは、『闘神インカーネーション』がその技を託した唯一の弟子にして、剣闘士ランキング第六位! 第二十八闘技場が誇る最強の剣闘士、『金閃ゴールディ・ラスター』ぁぁぁっ!』


 向かい側の通路から、ユーゼフが悠然と歩いてくる。その様子は実に堂々としていて、上位ランカーに相応しい風格を備えていた。


 やがて、試合の間(リング)の中央へ辿り着いたユーゼフは、俺と向かい合った。


「この日を待っていたよ。……君とこうして試合の間(リング)で戦える日をね」


 彼は心から嬉しそうな顔で口を開いた。特製の拡声魔道具により、この場の会話は観客にも伝わるようになっている。

 だが、ユーゼフの言葉の意味を真に理解できるのは、俺ただ一人だ。


「……そうか」


 努めて低い声で、それだけを答える。正体をバラすわけにはいかないという理由もあるし、すでにこの声で多くの住民や神官と会話をしていたという事情もある。

 俺の声を聞いたユーゼフは笑いを堪えるように肩を震わせていたが、やがてぴたりと動きが止まる。


「『親父』に捧げる戦いだ。出し惜しみはしないよ」


「当然だ。……俺もこの戦いを『闘神インカーネーション』に捧げよう」


 そして、俺とユーゼフは同時に剣を構えた。親父に最高の試合を届ける。言葉は違っても、思う先は同じだ。


 やがて、俺たちの間に緊張感が張り詰めた。ユーゼフの一挙一動に注意を払いながら、俺は親父に語りかける。


 ――親父。思っていた形とは違うかもしれないけど、ほら、俺とユーゼフで試合をするんだ。観客だってこんなに詰めかけてる。




 だからさ、最後まで見届けてくれよ。



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