離別 Ⅱ
俺とユーゼフが闘技場を引き払ったのは、茜色の空が夜空に変わってからのことだった。親父の身体を背負い、俺たちはクロイク邸への帰途へ着いていた。
「なるほど……まさか、ミレウスがそんなに活躍していたなんてね」
「ユーゼフのほうこそ、封鎖された城門を突破したんだろ? なかなかできることじゃないさ。それに、親父の最期に立ち会えたのはユーゼフのおかげだ」
「僕は、倒れた親父を狙っていた奴らを全滅させただけさ」
お互いを讃えながらも、俺たちの表情は暗い。親父の死は俺たちに大きな影を落としていた。
「なんだ……?」
と、俺は首を傾げた。大勢の人の気配が感じられたからだ。
「帝国騎士団じゃないかな。住民にしては気配が落ち着いている」
答えたユーゼフの言葉が正しいと判明したのは、それからすぐのことだった。武装した騎士たちが小隊を組んで走り回っている。情報収集のために駆け回る部隊や、倒壊した家屋に声をかけて救助活動を行う部隊等、様々な人員が機能的に動いていた。
その様子は素人目に見えても統率が取れており、帝国騎士団のレベルが低くないことを示していた。だが――。
「今頃……か」
だからこそ、納得できないこともある。敵部隊が撤退するまでの間、大半の騎士団は出動していない。一部の騎士団は交戦していたらしいが、それだけだ。
「ミレウス、殺気がもれているよ」
「殺気は言い過ぎだろう。闘志と言ってくれ」
「なんでも構わないけど、すれ違う騎士たちが怯えて警戒しているよ?」
「自業自得だと思うけどな」
そんな会話をしていると、ずっと遠巻きにしていた帝国騎士団の小隊が意を決したようにこちらへ向かってきた。
「……失礼、『金閃』殿とお見受けします」
騎士はユーゼフに声をかけてきた。剣闘士の上位ランカーであるユーゼフは顔が売れているし、俺よりは声をかけやすいのだろう。
「その通りだよ。どうかしたかい?」
「やはり、そうでしたか。……ところで、そちらの方々は?」
騎士は続けて問いかけてくる。その視線は明らかに俺に向けられていた。
「僕の闘技場の支配人だよ」
「おお、そうでしたか。ご無事で何よりです」
俺の素性が分かって、彼らはほっとした様子だった。そんなに剣呑な雰囲気を発していたのだろうか。
「あの、そちらの方は……?」
次いで、その目がユーゼフの背に向けられる。交替で親父の身体を背負っている俺たちだが、今はユーゼフが担当していた。
「……僕たちの師だよ」
ユーゼフは言葉少なに答える。すると、騎士の一人が驚いた声を上げた。
「『金閃』の師というと……あの『闘神』では!?」
「……そうだね」
相変わらずユーゼフの口数は少ない。常のユーゼフを知っている者であれば、その時点で何かがおかしいことに気付くだろう。だが、彼らはそうではなかった。
「やっぱり! 父から聞いたことがあるんですよ! 信じられないほど強い剣闘士だったって!」
興奮気味に騎士は口を開いた。顔を見ようとしたのか、ユーゼフの背に回り込むように動く。だが、その動きは途中で止まった。生気のない親父の顔が見えたのだろう。
「きゅ、救護部隊を――」
「必要ないよ。……もう、その段階は過ぎたからね」
もう用事はない、とばかりにユーゼフは身体の向きを変えた。その背中に、もう一つだけ、と騎士が声をかける。
「第二十八闘技場付近で、激しい戦闘があったと聞いています。もしかして、戦っていたのは……」
その言葉にユーゼフは立ち止まった。そして、静かに呟く。
「僕が着いた時には、戦いは終わっていたよ。敵の大将らしき人物は死んでいたし、わずかに生き残った敵を始末しただけだ」
「敵の大将をご覧になったのですか!?」
答えを聞いて、騎士たちがどよめいた。さらに食い下がろうとする騎士だったが、ユーゼフの鋭い眼光におし黙る。
「悪いけど、帰らせてもらえるかな。早く師を家へ連れて帰りたいんだ」
「し、しかし――」
「君たちが上の命令に従っていたことは分かる。だから、僕は君たちを恨むつもりはない。……けど、どうして師が一人で大軍と戦わなければならなかったのか、納得はしてないんだ」
怯んだ騎士たちに言い残すと、今度こそ歩き出す。それ以上、俺たちを引き留める声はなかった。
◆◆◆
「しまったな。色々あったから、すっかり忘れてた……」
家へ帰った俺たちを迎えたのは、魔導鎧を取りに戻った時に戦った兵士たちの死体と血痕、そして破壊跡だった。
「ミレウス、心当たりがあるのかい?」
「魔導鎧を取りに戻った時に、見つかって戦闘になったんだ」
その後に起きた様々な物事の印象が強すぎて、この辺りの説明はしていなかったな。
「まずは死体を放り出して、掃除からだね」
「そうだな……」
親父を寝室に横たえると、俺たちは手分けして家の中を掃除していく。べっとりとついた血糊は完全に落ちることはなく、絨毯や壁紙ごと交換するしかないだろう。
それでも、俺たちの苦労の甲斐あって、そこそこのレベルまで現状復帰することができた。
「……」
「……」
それからどれくらい経っただろうか。リビングの椅子に座った俺とユーゼフは、ずっと無言で呆けていた。お互いに激動の一日を潜り抜けてきたのだ。気が抜けるのは仕方ないだろう。
「……ん?」
ほとんど机に突っ伏していた俺たちは、同時に身を起こした。物々しい雰囲気とともに、鎧を着込んだ人間のカチャカチャという金属音が聞こえてくる。
「……多いな」
「特に戦意はなさそうだけどね」
値踏みしながら、手近にあった剣を引き寄せる。様子を窺っていると、やがて玄関の扉がノックされた。
「……僕も行くよ」
俺が立ち上がると、次いでユーゼフも立ち上がった。あり得ないとは思うが、万が一戦闘になるのであれば、ユーゼフがいたほうがいい。そんな判断から、俺は黙って頷く。
「誰だ?」
そして、ドアの内側から声をかける。普段なら誰何せずに開けることも多いが、今は非常事態だ。素直に扉を開ける気にはなれなかった。
そして、相手の返事に耳を澄ます。
「イグナート・クロイク殿の居宅で間違いないか?」
「ええ、その通りです。……ご用件はなんでしょうか」
尋ねると、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「ルエイン帝国皇帝、イスファン・ロム・ルエイン陛下がお見えである! 早急に扉を開かれたい!」
その言葉に、俺はユーゼフと顔を見合わせた。
◆◆◆
「突然の訪問で済まなかったな。……この家も大変だったようだ」
自己紹介の後。戦いの爪痕が残る家の中を見回して、皇帝は穏やかに口を開いた。
「いえ……」
俺は言葉少なに答える。初めて目にする皇帝の姿だ。もっと恐縮するべきなのだろうが、帝国騎士団の動きを不審に思っている身からすると、そこまでへりくだる気になれなかった。
家の中を見回していた皇帝は、やがて俺たちに視線を戻す。さすが皇帝と言うべきか、上位の剣闘士と比べても遜色ない迫力がある。建国前は戦士だったそうだから、それも当然なのかもしれないが。
また、当然ながら、護衛の騎士たちもかなりの技量を持っているようだった。
「部下から報告を受けてな。君たちに二点ほど確認をしておきたい。……まず、敵の大将格を見たというのは真かな」
皇帝は単刀直入に切り出した。その内容を受けて、ユーゼフが口を開く。
「ええ、事実です」
「大将格だと確信した理由はあるかね?」
「師からそう聞きました。実際に命令を下しており、信望も篤いようだったと。……それに、師に本気を出させたのです。雑兵ということはあり得ません」
「ふむ……」
皇帝はしばらく考え込む様子を見せた。そして、後ろの護衛を振り返る。
「少し下がっていよ。……そうだな、この部屋の隅でよい」
「はっ」
その言葉に従って、騎士たちが部屋の壁際まで下がる。それを確認すると、皇帝は懐から取り出した紙に何かを書きつけた。
「それは……こういった人物ではなかったかね?」
書きつけた紙を俺たちに見せる。その単語に、俺ははっと目を見開いた。
――エルフ
皇帝が持つ紙には、たしかにそう書かれていた。
「ええ、その通りです。全身鎧を着用していたようですが、ほぼ半壊していましたからね。兜もあってないようなものでした」
「それで、その男は死んだのだな?」
「間違いありません。私が師の容態を確認している間に、遺体は回収されたようですが」
二人のやり取りを聞きながら、俺は判明した事実を噛み砕く。
敵の首魁はエルフだった。そして、門を開くという最も重要な任務を指揮していたのもエルフだ。あの魔術師だけならはぐれエルフという線も考えられたが、指揮官がエルフとなれば――。
「となると、証拠はないか……。残っている敵兵の死体に同じ種族がいたという報告は聞いておらぬしな」
「証拠があれば報復を?」
「証拠があれば、他国と連携して彼らの里に迫ることもできようが……単独で軍事行動を起こしても徒に兵を失うだけだろう。かの地は遠く、地の利は向こうにある。そもそも、道程の途中にある国々が、帝国軍の国内通過を認めまい」
ユーゼフの問いかけに、皇帝は真摯に答える。本来であれば、剣闘士ごときが政治・外交問題に口を出すなと言われてもおかしくないところだが、皇帝の誠意ということだろうか。
そうしていくつかの確認をした後、皇帝は威厳を伴った瞳で俺たちを見回す。
「この件については、口外しないでもらいたい。こちらの極秘裏に調査を進めるつもりだが、どこから奴らに気付かれないとも限らん」
「……ということは、報復の機会はあると考えてよろしいでしょうか?」
「大将格は囮で黒幕は別にいる、ということもあり得る。調査結果による、としか言えぬが……」
皇帝はユーゼフをじっと見た後、言葉を追加する。
「もし奴らと戦端を開く時には、君にも声をかけるとしよう。……なに、『金閃』であれば文句も出まい」
「……感謝します」
それは、皇帝として最大限の配慮なのだろう。本来、一介の剣闘士にそこまで心を砕く必要はない。それが分かっているユーゼフは、静かに頭を下げた。
「ところで、もう一つの用件だが……」
皇帝は話題を変えた。敵首魁の確認はたしかに重要事項だが、それ以外になんの用事があるのだろうか。俺とユーゼフはちらりと視線をかわす。
「イグナートが命を落としたと聞いた」
その言葉に俺たちの表情が強張る。それだけで察したのだろう、皇帝はそれ以上問いかけてこなかった。
「あやつには、機密レベルの仕事を依頼したことがあってな。それが縁で、たまに話をしていたのだよ。……もちろん非公式だが、楽しい男だった」
その言葉に驚くが、あの親父のことだ。あり得ない話ではないか。
「大地神殿をはじめとして、あやつに救われたという声は非常に多い。また、敵の首魁を含む大軍を一人で壊滅させたのもイグナートだ」
そして、ふっと沈痛な面持ちを浮かべる。
「……実に惜しい男を失った」
その言葉は建前ではなく、衷心から出た言葉に思えた。本当に親父を悼んでいるのだろう。
だが。
「そんな顔ができるなら、どうして――」
言葉が詰まる。それだけ人の死を悼むことができるなら、どうしてもっと早く騎士団を動かさなかったのか。いったい何をしていたのか。言いたいことはいくらでもあった。
「……言い訳にしか聞こえぬだろうが、騎士団は増援に備えておった。あれらの戦力は陽動であり、あくまで増援で送りこまれるモノが本隊だとな」
「増援……」
その説明には心当たりがあった。あの門から出てこようとしていた、災害としか言いようのない圧倒的な気配だ。騎士団が束になっても勝てないかもしれない。そう思わせるだけの存在感があった。
「とは言え、帝都の守りが薄くなったことは事実。混乱している部隊長も多く、ろくに救援を出さぬ間に防衛用の結界を起動して、身動きが取れなくなってしもうた。儂の指示が不明確だったのだろう」
自らの非を認めた皇帝に、俺たちは顔を見合わせた。それは皇族らしからぬ振る舞いだ。
「陛下――」
そう思ったのは護衛の騎士たちも同じようで、思わず、といった調子で声を上げていた。その彼らに、皇帝は苦笑を浮かべる。
「そうだったな。……生まれついての皇族ではないせいで、どうにも本音が出る」
その言葉もまた、嘘には聞こえなかった。再びユーゼフと顔を見合わせていると、皇帝は二つ目の目的を口にした。
「もし可能であれば、イグナートの冥福を祈りたいのだが……構わんかね?」
「……はい」
頷くと、親父の身体を安置している寝室へ案内する。まだ心の靄が晴れたわけではないが、皇帝の気持ちを否定する気にはなれなかった。
皇帝は護衛の騎士たちを入口で待機させて、一人で親父の遺体と対面する。沈痛な面持ちのまま、皇帝は何かを堪えるように奥歯を噛み締めていた。
「……邪魔をしたな」
やがて、皇帝は寝室を後にする。目的は果たしたのだろう。先導するまでもなく、皇帝は玄関へ歩いていった。そして、扉の前で振り返る。
「イグナートには返しようのない借りを作ってしまったが……せめて、弟子である君たちに返せるものはあるかね? このような事態ではあるが、なるべく善処させよう」
「……お気持ちは大変嬉しいのですが、今は帝都全体の復興を考える時。私たちだけが特別扱いをされるわけには参りません」
そう答えると、皇帝は驚いた様子だった。
「ほう? 無理強いするつもりはないが、本当にいいのかね?」
「私たちは闘技場の人間です。帝都全体が復興しなければ興行収入も見込めませんし、それに……」
そして、厚情を断った最大の理由を口にする。
「親父の死を金銭に変えるようで、気乗りがしません」
二十八闘技場を帝国一にしてみせると約束しておいてなんだが、ここは譲れなかった。復興による資材の高騰に不安はあるものの、闘技場の修繕費用は今の蓄えでもなんとか足りるはずだ。
「……あ」
そう考えたところで、俺は一つだけ望みがあることに気付いた。
「恐れ入りますが、一つよろしいでしょうか」
「なんだね?」
突然言を翻した俺を、皇帝は興味深そうに見つめる。
「保存の使える魔術師を手配して頂けないでしょうか」
「ふむ? それは構わんが……」
皇帝の視線に促され、理由を説明する。
「師の家族が、離れた町で暮らしています。ですが、急いでも一か月近くかかる距離ですので……」
俺は二人の顔を思い浮かべる。今から報せを送っても、彼女たちが着く前に親父の身体が腐敗してしまう。親父が腐敗する、という自分の想像にぞっとするが、これは避けては通れない問題だった。
「なるほどな。それまで遺体を保存しておこうというわけか。保存を使える魔術師はそう多くないし、しばらくは多忙を極めるだろうが……分かった。優先的に手配しよう」
「ご厚情に感謝します」
俺は素直に頭を下げた。見れば、隣のユーゼフも神妙な顔で頭を下げている。
「この程度、罪滅ぼしにもならぬよ。……それではな、イグナートの弟子たちよ」
そして、皇帝と護衛の騎士たちは家を去る。バタンと閉じられた扉を、俺たちはずっと眺めていた。