門 Ⅱ
「――やってくれたな」
まだ距離は離れているはずだが、そんな声が聞こえてくる。相対している指揮官のものだろう。全身鎧でよく分からないが、声からすると意外と若いように聞こえた。
「雑兵ならともかく、私の部下を壊滅させるとは……許さないぞ」
「……ここで激昂するくらいなら、なぜ部下を守らなかった」
俺は素直に問いかけた。あの雷霆一閃に耐えられる魔法障壁を展開できる技量があるのだ。自分一人ではなく、周りの人間も守ればよかったはずだ。
「っ! それができれば……っ」
動揺したのだろうか、一瞬、男は後方を気にする様子を見せた。彼の後ろにあるものは、魔力が渦巻く門だ。どうやら、あまり腹芸が得意な人間ではないらしい。魔法の才能と人格は別物、というやつか。
「なるほど、部下の命より門が大切か。立派な目的意識だ」
それは俺の本心でもあるが、彼には痛烈な皮肉として捉えられたようだった。兜越しでも、彼の感情の動きがよく分かる。
「好き勝手に言いやがって……!」
「この街で好き勝手をしているお前たちに言われる筋合いはない」
俺はぴしゃりと言い放つと、右手の剣を閃かせた。視界の外から飛来した火炎球を打ち返したのだ。それも、目の前の男のほうに。
「……ふん」
だが、男はあっさり火炎球をかき消した。やはり、魔法の技量はかなりのものらしい。
「門を維持しているのはお前だな。……消えてもらう」
「あの程度の魔法しか使えないくせに、よくそんな大口を叩ける」
俺の言葉を鼻で笑うと、鎧の魔術師は得物を構えた。クリフの情報通り、彼は魔術師に他ならないようだった。剣かと思った長物は、よく見れば杖に近い造りをしており、そこからも魔力が迸っていた。
と、その間にも彼の後ろに控えている魔術師たちが次々と魔法を放ってくる。かわし、弾き、相殺して、俺はそれらの攻撃を捌き続けた。
「……キリがないな」
氷槍を弾き、火炎球をかき消した俺は、思わずぼやいた。そのうち魔力が尽きるだろうと考えていたのだが、予想外に攻撃が続いている。優秀な魔術師を揃えているのか、それとも別の方法があるのか。
いずれにせよ、わざわざ的になってやる必要はない。押し寄せる鎌鼬をかいくぐると、俺は彼らとの距離を詰めた。標的は、もちろん鎧を着込んだ魔術師だ。
「多層防護」
刹那、魔術師の周囲を幾重もの光壁が取り囲んだ。風魔法で威力増幅した真空波を飛ばしてみたところ、最も外側にある光壁は砕けたものの、その光の粒子は再構成され、最も内側にある光壁として展開された。
二十枚以上の障壁が展開されているため、一つ一つの障壁は脆いのかと思えば、そうでもないらしい。こちらとしては、威力増幅をかけた真空波で最低でも三、四枚の障壁を破壊するつもりだったのだ。
それが一枚だけということは、思った以上に堅固な魔法であるようだった。
「無限に再構成される魔法障壁か」
だが、やりようはある。俺は重々しく頷くと、走りながら剣を振りかぶった。そして、魔法を起動する。
「風魔法威力増幅」
そして、俺は風魔法で強化した真空波を立て続けに放った。狙いは目の前の魔術師……ではない。彼らの後ろにそびえる門のほうだ。高さが十メテル近くあるおかげで、射角を上に向けても問題なく直撃させることができた。
「なにっ!?」
魔術師が驚きの声を上げた。自分を狙ってくると思い込んでいたのだろう。
彼の動向を警戒しつつ、俺は門の反応を窺った。技としてはただの真空波でしかないが、石壁程度はあっさり粉砕してしまう破壊力を秘めている。大抵のものにダメージを与えることができるはずだった。
だが、門が消え去る様子はなく、ただゆらゆらと不気味に揺らめているだけだった。
『空間の揺らぎがひどくなりましたね』
『そうなのか? 問題は、それがいい傾向かどうかということだな』
『あの魔術師は、先程の雷霆一閃から門を守りました。ということは、少なくとも彼らにとって望ましいことではないのでしょう』
『たしかにな……』
そんなやり取りを傍受したわけではないだろうが、魔術師は怒りのこもった大声を上げた。
「門に手を出すな! 不安定になるだろうが!」
その言葉を聞いて、俺は思わず笑みを浮かべた。魔法の技量は人並外れているようだが、この男は対人戦に向いていない。
「……大歓迎だ」
そして、今度は魔法剣を発動する。
「射程拡張。次元斬起動」
次の瞬間、右手に不思議な重みがかかった。俺が選択したのは、空間ごと対象を断ち切る魔法剣だ。門が空間魔法の性質を持つのであれば、同じく空間に働きかける次元斬が有効かもしれないという判断だった。
俺が剣を振ると、長大な効果範囲を誇る魔法剣が空間を断ち割りながら門へ向かう。
「――させるか!」
だが、その軌道上に鎧の魔術師が割り込んでくる。彼が纏った多層式の魔法障壁で次元斬を防ぐつもりなのだろう。たしかに、あの防御力であれば不可能ではない。だが――。
「なにっ!?」
魔術師から悲鳴のような声が上がる。彼を避けるように、次元斬が突然軌道を変えたのだ。空間を断ち切る剣閃は、彼を迂回して門に襲い掛かる。
「……魔法剣は剣技でもある。お前は一流の魔術師かも知れんが、戦士としてはまだまだだな」
その直後。次元斬の青白い軌跡が門に突き刺さった。
「――っ!」
俺の予想は当たっていた。さっきは蠢くだけだった揺らぎから、紫闇色のスパークが生じたのだ。スパークは門の至る所で発生しており、さらには大地がねじれるような不思議な異音まで聞こえていた。
「それ以上やると、この空間ごと異空間へ引きずりこまれるぞ!」
焦った様子で魔術師が叫ぶ。その言葉を受けて、俺はぴたりと動きを止めた。そして彼に問いかける。
「お前は門を攻撃するなと言うが、放っておけばお前は門を閉じてくれるのか?」
「そんな馬鹿なことがあるか! 俺は必ず門を拡張してみせる!」
どうやら、この門の規模では満足していないらしい。だが、すでに部隊を呼び込むという目的には充分適っているはずだ。さらなる巨大化を狙っているということは……もっと巨大な何かを転移させるつもりだろうか。嫌な予感がするな。
そんな思いを表に出さないように、俺は淡々と口を開く。
「では、俺にとって門を破壊しないメリットはないな」
そう答えると、魔術師はハッと鼻で笑う。
「お前も異空間に引きずりこまれるぞ?」
「今更だな。ここで門を閉じなければ、どのみち俺たちは全滅する。それならば、お前たちを巻き込んだほうが合理的だろう」
「なんだと……!?」
意外な返答だったのか、魔術師は口籠もった。
「俺は門が暴走しようが構わない。どうせ失う命なのだからな」
無言の彼を前にして、今度は俺が笑う。
「お前たちの総数は多くない。ここで門を閉じ増援を絶てば、帝国騎士団に抗えるほどの勢力にはなるまい」
「……」
男は沈黙していた。だが、しばらくしてキッと俺を睨みつける。
「この門は作戦を確実に遂行するためのオプションに過ぎない。この場で破壊されたとしても、あの方がいる限り私たちが負けることは……ないっ!」
直後、鎧の魔術師から巨大な炎が放たれた。飛び退いて避けると、俺を追って炎はその軌道を変える。よく見れば、襲い来る炎は魔術師の手と繋がっていた。巨大な炎の鞭のようなものなのだろう。
避けても弾いても、炎鞭は俺の後を追ってくる。このままではキリがない。
「氷魔法付与」
俺は剣に氷を纏わりつかせた。瞬く間に巨大な氷剣と化した武器を構えると、直径三メテル近い炎の鞭に叩きつける。
炎と氷の激突は水蒸気を生み、辺りを白く曇らせる。視界の悪さを好機として、俺は魔術師との距離を詰めた。そして、再び次元斬を放つ。
「っ!」
今度も、魔術師は身を挺して門を庇うつもりのようだった。そして、それならそれで構わない。
次元斬が男が纏う多層の光壁と衝突する。真空波の時と同様に一番外側の光壁が破壊され、再び内側に再展開される。
「これは……」
その光景を見て俺は呻いた。予想に反して、光壁は一枚しか砕けなかったのだ。真空波とは破壊力が桁違いの次元斬ですら、一枚しか破壊できない。その事実に俺は眉根を寄せた。
「ふん、思い知ったか。お前がどれだけ強力な魔法をぶつけようと、破壊できる障壁は一枚だけだ。そして、すぐに障壁は再展開される」
彼は自信満々に言い放つ。ひょっとすると、彼が編み出したオリジナル魔法なのかもしれない。
「面白い芸当だな」
そう答えながらも、俺はクリフと作戦会議を行っていた。
『厄介な魔法ですね。このままでは決着が着きません。……門を先に破壊しますか?』
『そうしたいところだが、あいつが言う通り異空間に一帯が飲み込まれるのは避けたい。……まあ、あいつが本当のことを言っているなら、だが』
何度か門に手を出したものの、俺は本気で門を破壊するつもりはなかった。最初はそのつもりだったが、あの紫闇色のスパークと異音は明らかに異質だ。門を狙うフリをして、魔術師の行動を制限するほうが現実的だろう。
『可能性はありますね。門の魔法が暴走して、大惨事を招いた例を幾つか聞いたことがあります』
『そうか……』
と、その時だった。門に発生していたスパークが一際激しく輝き、異音が轟いた。そして、門の揺らぎから槍の穂先のようなものがひょっこり現れる。
「門が不安定だ! 今は来るな!」
その様子を見た魔術師は、門に向かって大声を上げた。その途端、槍の穂先は唐突に引っ込む。
『今のは……』
『おそらく、敵の援軍でしょうね。こうやって堂々と侵入していたのでしょう』
『こうやって見ると本当に反則技だな。国防の考え方が根底から崩れるんじゃないか?』
あまりに危険な魔法だった。魔術師が追い返したからよかったものの、あの調子でひょこひょこ敵が増えては面倒だ。
『けど、これで増援はしばらくないと思っていいな』
『そうですね。不安定な門をわざわざくぐる者はいないでしょう。失敗すればどうなるか分かりませんからね』
そんな話をしていた時だった。嫌な予感が背筋を走った。
「なんだ……?」
『主人、門から巨大な魔力反応を感じます』
『門の魔力とは別物ということか?』
『ええ、これは――』
クリフが答えるより早く、その答えは姿を現した。
「爪……前脚、か?」
いっそう激しさを増すスパークとともに門から現れたのは、何者かの前脚だった。鋭い鉤爪に、すべての攻撃を跳ね返しそうな堅固な鱗。何より特筆するべきはその巨大さだった。
「竜……?」
門から出ているのは前脚だけだが、その巨大さから考えると、全長は二、三十メテルはありそうだった。たとえ竜だとしても、こんなに巨大な種がいるのだろうか。その圧倒的な存在感に、誰もが沈黙する。
巨大な脚は周りを確かめるかのように何度も地を踏み鳴らす。それだけで地面が揺れた。やがて、それは門を広げるように脚を横に叩きつけた。
「おい、やめろ! 台無しにする気か!」
魔術師が焦ったように叫ぶ。門の揺らめきが激しくなったのだ。
「この調子で門を潰してくれると嬉しいんだがな……」
つい呟く。門の暴走に巻き込まれるのはご免だが、あの脚を持つ怪物が現れることだけは避けたい。それが俺の結論だった。
魔術師の制止が効いたのか、やがてそれは姿を消した。門へ引っ込んだのだ。俺はほっとすると同時に、気合を入れ直した。
鎧の魔術師が言っていた『拡張』とは、あの怪物が出入りできる規模まで門を広げるという意味で間違いないだろう。
怪物の全貌は見えなかったが、どう考えても帝都が滅ぶようにしか思えなかった。
門が拡張されてあの怪物が現れる前に、俺は眼前の魔術師を倒さなければならない。改めて俺は魔術師の攻略方法を考える。
だが、相手は厄介な防御魔法を使っている。クリフがいう『魔力を周囲から集める機能』があるのなら、魔力切れを狙うのも厳しいだろう。
どう倒すか。そう考えていたとき、俺はふと気付いた。
『しかし……次元斬で障壁一枚なら、どうして真空波程度で障壁が砕けたんだ?』
次元斬は、魔導鎧が扱える魔法剣の中でも最高クラスの破壊力を誇っているはずだ。それで障壁一枚となると、真空波で砕けたことが割に合わない気がする。
『たしかに妙ですね……』
考え込んでいた様子のクリフは、やがて仮説を作り上げる。
『空間魔法や結界術を複雑に織り込んで、無数の異世界を作り上げているのかもしれません』
『……もう少し分かりやすく頼む』
『なんと言いますか……あの障壁は、それぞれが独立した空間なのです。ですので、一枚目と二枚目の障壁の間に空間的な繋がりはありません』
その言葉を聞いて、しばらく俺は考えこんだ。
『つまり……どれだけ強力な攻撃でも、次の障壁には届かない?』
『そうなりますね』
なるほど、面倒な魔法があったものだ。だが、それを破らなければこちらが死ぬ。魔法の弱点を見つけるべく、俺は魔法を起動した。
「氷雨起動」
魔術師目がけて無数の氷の矢が降り注ぐ。どれだけ強力な攻撃でも障壁一枚しか砕けないのであれば、無数の攻撃を仕掛ければいい。そう考えた結果だ。
障壁が一枚砕けた瞬間に、次の氷矢が二枚目の障壁を破壊し、その直後に次の氷矢が三枚目の障壁を――。
そう期待した俺だったが、現実は無情だった。そもそも、氷雨は一枚目の障壁を突破できなかったのだ。どうやら魔法障壁自体もかなりの強度があるらしい。
お返しとばかりに飛んできた光線を弾きながら、俺は考え込んだ。
『強化した真空波で壊せるわけだから、無敵ってことはないだろうが……』
だが、魔法障壁の再生速度はかなりのものだ。いちいち真空波を飛ばしている間に、新しい障壁が準備されているだろう。となれば……。
「強度を確認してみるか」
足下から生えてきた石槍を避けると、その勢いで魔術師との距離を詰める。だが、彼は悠然と俺を待ち構えていた。それだけ防御魔法に自信があるのだろう。
接近した俺は、手前の魔法障壁を全力で斬りつけた。ガキン、という手応えとともに剣が受け止められる。さすがにこれくらいで破壊できるものではないらしい。
「英雄の盃起動」
俺が発動させたのは、剣の破壊力を増し、かつ身体能力をさらに引き上げる特殊な魔法だった。筋力強化に上乗せできる数少ない強化魔法だが、加減を誤ると自分の身体についていけなくなる。そんな魔法だ。
次元斬ほど絶大な破壊力を持つわけではないが、その分一撃で効果がなくなることもない。
白い輝きに包まれた剣を構えて、再び障壁に斬りかかる。すると、今度は魔法障壁が砕け散った。魔術師は多少驚いたようだが、すぐに鼻で笑う。
「ふん、呆れた馬鹿力だな。……だが、一枚砕けたところですぐに再生する。お前がやっていることは無駄だ」
「……そうか」
なおも余裕を見せる魔術師をよそに、俺は剣を振るう。どの程度の強さなら、障壁を破壊することができるか。全力の一撃では意味がない。後に続かない攻撃は、今回の役には立たない。
込める力を変えながら、俺は幾度も剣を振るい続けた。
「無駄だと言ったぞ? ……まあ、そこで魔法の的になりたいのなら、それでもいいか」
そんな俺を馬鹿にするように魔術師は笑う。そして、俺の周囲で爆発が巻き起こった。もうもうと土煙が立ち込め、俺たちの視界を覆う。だが、それは俺にとってチャンスでしかなかった。
二重に強化された身体能力で魔法攻撃を回避していた俺は、土煙の中に再び突入する。そして、魔術師を覆っている魔法障壁を再び斬りつけた。
「土煙に紛れて攻撃しても、結果は変わらない。諦めるんだな」
俺の攻撃で一枚目の障壁が砕けたが、魔術師は意に介していない様子だった。やがて、砕け散った障壁は光の粒子となって障壁の最奥に集まり、再び魔法障壁として構成される。
……だが。その様子を確認していた俺は、静かに宣言した。
「俺の勝ちだ」
「ふん、追い詰められて現実が見えなくなったか?」
俺の言葉を取り合わず、魔術師は笑い声を上げる。だが、その笑い声はすぐに止むことになった。
俺が剣を振るうたび、澄んだ音を立てて障壁が砕けていく。そして、砕かれた障壁は再び障壁として再生される。
「お前、まさか――」
魔術師から余裕の色がなくなったのは、俺が二十枚ほど障壁を破壊した時だった。ようやく俺の意図に気付いたらしい。その時点で、彼を守る障壁の数は六枚にまで減っていた。残りの十四枚は光の粒子となって再構成待ちだ。
これまでにかかった時間は六、七秒といったところか。今のところ、一秒で三枚の障壁を破壊することができていた。
「そんなことが……」
魔術師が呆然とする間にも、俺は剣を振るい続けた。障壁を破壊することができる下限ぎりぎりの力を見極めて、残りの力はスピードに割り振る。そうして俺は障壁を破壊し続けていた。
魔法障壁の破砕音が連続し、不思議な音色を奏でる。数秒後には、魔術師を守る障壁がすべて光の粒子に変わった。
「っ!」
男は何かの魔法を展開したようで、周囲に別種の魔法障壁が現れる。だが、破壊力を増した剣は鎧ごと魔術師を斬り裂いた。
「がっ……!?」
全身鎧の繋ぎ目であり、かつ急所である首を狙ったのだが、さすがにそう上手くはいかなかった。魔術師が俺の攻撃をかわそうとした結果、首ではなく胸から鮮血が噴き出す。
「意外と脆い鎧だな」
鎧ごと斬り裂けるのなら、わざわざ首を狙わなくてもよかったな。そんな感想を抱く。
『筋力強化に英雄の盃を重ね掛けしたのですから、意外でもなんでもありません。あの高度で緻密な魔法を力技で押し切った主人には驚きの一言です』
と、クリフが褒めてるのか貶しているのか分からない念話を飛ばしてくる。
『ちなみに、あれはあくまで魔法補助装置ですからね。鎧としての機能は二次的なものに過ぎません。一緒にされては心外です』
『別に一緒にしてないだろ……』
そんな念話を交わしながら、俺は魔術師の様子を窺った。まだ生きているようだが、致命傷を与えた手応えはあった。どちらかと言えば、周囲の兵士たちの動向に注意したほうがいいだろう。
「お前……その力は――がはっ!」
うずくまっていた魔術師は、言葉の途中で大量の血を吐き出す。そして、血の池の中心で憎々しげに俺を睨みつけた。
「くそ……ここまで……か……」
その顔にはもはや生気がなく、気力だけで動いていることは明らかだった。
「大役をしくじるとは……申し訳……ありません……」
彼は虚ろな目でとある方角を見つめる。その方角に指揮官がいるのだろうか。そんなことを考えていると、突如として彼の瞳がギラリと輝く。嫌な予感を覚えた俺は、とっさに後ろへ跳び退いた。
「これは!?」
だが、少しだけ遅かった。魔術師の背後にある門が一気に広がったのだ。不定形の門は俺と魔術師だけでは飽き足らず、周囲にいた兵士たちをも巻き込んでいく。
「な、なんだ!?」
「まさか、門が暴走したのか!?」
薄暗い空間に囚われた兵士たちが恐慌に駆られる。彼らは説明を求めるように魔術師を見つめるが、彼はそれに答えることなく、俺だけを睨みつけていた。
「お前はあの方の障害になる。……ここで一緒に消えてもらう」
『主人。敵は門を意図的に暴走させて、主人を亜空間に閉じ込めるつもりです』
そこへ聞こえてきたのは、クリフの縁起でもない分析結果だった。さすがに危機的状況なのだろう。珍しいことに、その声には焦りが感じられた。
「――後は……お願い……します」
最期の言葉とともに、魔術師が崩れ落ちる。それを契機にして、周りの兵士が一斉に悲鳴を上げた。
「おい、どうするんだよ! 門の術者が死んだってことは……」
「まさか、俺たちは出られないのか……!?」
「暴走中の門に外から干渉できないのか!?」
「それができる唯一の魔術師があの人だったんだよ……!」
門の内部は大混乱に陥っていた。そんな中で、俺はクリフと念話相談を続けていた。
『クリフ、脱出方法にあてはあるか?』
『可能性があるとすれば、次元斬でしょうね。この鎧で扱える空間魔法の中でも、最上位に位置しますから』
『ふーん……それで、どこを狙えばいいんだ?』
『さて……この空間そのものが門ですからね。その辺りで素振りをするような感覚でよろしいのでは?』
『けっこう適当に答えるな……』
『データがない以上、適当に答えるしかありませんからね』
『まあ、それはそうか……』
そんな会話を経て、俺は次元斬を起動することにした。それも、一つおまけ付きだ。
「次元斬」
次の瞬間、俺の手元に力と輝きが集まる。青白い輝きが目立つかと思ったが、兵士たちは自分のことで精一杯のようだった。それをいいことに、俺はこっそり脱出計画を進めた。
そして。俺は渾身の力を込めて、目の前の空間に次元斬を叩き込んだ。
「開いた!?」
その瞬間、俺の目の前に空間の亀裂としか言いようのないものが現れた。その隙間からは、半壊した六十二街区の景色が見える。おそらく、ここから脱出すればいいのだろう。
だが、問題が一つあった。
「これじゃ小さすぎるな……」
今の次元斬でできた隙間は、せいぜい拳大でしかない。潜り抜けることは不可能だった。
そんなことを考えている間に、亀裂はどんどん小さくなっていく。気が付けば、元の世界との接点は再びなくなっていた。
『……次元斬の連続起動はできるか?』
すっかり修復された空間を眺めながら、俺はクリフに問いかける。
『できないことはありませんが……もともと次元斬は消費が激しい魔法剣です。これまでの戦いでかなり魔力を消耗していることに加えて、連続起動は通常より遥かに多くの魔力を消費します。
下手をすれば、途中で魔力が枯渇しかねません』
返事はあまり芳しいものではなかった。だが、他に方法はないのだ。
『構わない。こうして悩んでいるうちにも、少しずつ魔力は減っているからな。後で後悔したくない』
クリフに宣言すると、静かに剣を構える。
後は、魔力が尽きるのが先か、潜り抜けられるだけの亀裂が開くのが先か。俺にできることは、次元斬の威力を最大限に引き出しつつ、最小限の間隔で次々と次元斬を繰り出すことだ。
「……やるか」
俺は、青白く輝く剣を振りかぶった。