門 Ⅰ
【支配人補佐 ミレウス・ノア】
「今のは危なかったな」
帝都の上空を飛びながら、俺は小さく息を吐いた。進路上に第二十八闘技場が見えたため、飛行高度を下げた俺を待っていたのは、目が眩むような魔法の弾幕だった。
一度は墜落し、敵の大部隊と戦いになったものの、敵の広範囲を巻き込んだ雷魔法が炸裂したことを契機として、俺は再び空へ舞い上がったのだ。
中々倒れない俺に焦れたのかもしれないが、一人の敵に対してあれだけ広範囲の魔法を撃ち込むとは、恐ろしい目的意識だった。
「気になるな……」
うちの闘技場を拠点にでもしているのか、あの場にいた敵兵の数は尋常ではなかった。俺が目的を果たした暁には、再び舞い戻って奴らと戦う必要があるかもしれない。
と、眼下で動くものに気付いた俺は高度を下げる。今、この街で動いているものは、そのほとんどが敵だ。
「……クリフ、降りるぞ」
「了解しました、主人」
飛行魔法を解除した俺は、重力に従って街の石床に降り立つ。その先には、十数名ほどの敵部隊がいた。
「敵だ! 迎え撃つぞ!」
「取り囲め――うぉっ!?」
先程の大部隊であればともかく、十数名からなる部隊であれば脅威にはならない。全員を斬り伏せるまでに、そう時間はかからなかった。
進路上にいる敵部隊を見つけては、突貫して蹴散らす。そんな行動を繰り返しながら、俺は帝都の上空を飛び続ける。
目まぐるしい速さで変わる景色を眺めていた俺は、やがて六十二街区の上空に辿り着いた。
「凄まじい魔力だな……」
『それに、時空の歪みが生じています』
クリフが言う時空の歪みのせいだろうか。六十二街区は景色がぼやけているように見えた。そんな区域へ侵入した俺は、先ほどの経験を省みて慎重に高度を下げていく。
「ひどい破壊のされようだな。……モンスターがここから召喚されているなら、それも無理はないが」
街の様子は、これまで見てきたどの区域よりも酷いものだった。原型を保っている家屋は少なく、まったく人気はない。住民がどこかに避難できていればいいのだが……。
そんなことを考えながら、俺は前方を睨みつけた。膨大な魔力を振り撒いているため、目的地となる門の場所ははっきりと分かる。
「――あそこだな」
そして、遠見の魔法で辛うじて分かる距離に、指揮官らしき人物が立っていた。おそらく門の術者だろう。魔術師然としているのかと思ったが、意外にも鎧を着込んでいるように見える。その様子を見て、俺はしばらく悩んだ。
「このまま突っ込めるか?」
『先程と同じく、撃墜されると思われます。ざっと千人近い兵士がいるようですからね』
「だよなぁ……」
兜の下で苦笑を浮かべる。流星翔は高速で空を飛べる素晴らしい魔法だが、その軌道はほぼ真っ直ぐだ。速度さえ把握できれば、遠距離攻撃を直撃させることは難しくない。
「流星翔って、もっとこまめに方向転換できないのか?」
直線的な動きだとしても、上下左右へ小刻みに動くことができれば、そう簡単に撃ち落とされることはないはずだ。地上であれば見極められる弾速の魔法がほとんどなのだから、後は機動性の問題だった。
『理論上は可能ですが……あくまで移動魔法ですからね。急激な方向転換は主人の身体に大きな負荷をかけます。下手をすれば意識を失うかもしれません』
「でも、可能ではあるんだよな? ……ちょっと試してみるか」
『――え?』
右、左、上、下。小さな出力の流星翔を多用して、様々な方向転換を試してみる。最初は体勢が維持できず大変だったが、次第に動きに慣れていく。方向転換もそうだが、体勢の維持・立て直しに、最小出力の流星翔や風魔法が有用だと分かったからだ。
「なるほど。やっぱり真横に動くのは厳しいな。けど、その辺りさえ注意しておけば、空中でも立ち回れる気がする」
『本来、流星翔は空中戦に使うものではないのですが……』
クリフから呆れたような念話が返ってくるが、褒め言葉だと思っておこう。
「さて……。ベストは真っ直ぐ突っ込んで、迎撃魔法をかわしながら親玉に接近、一撃で仕留めて離脱……ってところか」
『厳しいと思われます。空中での回避行動が可能になったとは言え、あの数ですからね。避ける隙間がなければ、いくら主人でも無理でしょう』
俺の提案をクリフはあっさり退けた。
「じゃあ、いっそ防御魔法をかけて突っ込むか?」
『装備者も選りすぐりの魔術師でしょうからね。防御魔法を重ねがけしたこの鎧でも、奴の魔法が直撃すれば消し飛びます。
主人に一つ警告しておきますが、相手は魔法特化型です。純粋な魔法勝負で押し切れると思わないでください』
それは、クリフにしては珍しい消極的な発言だった。
「そうなのか? でも鎧を着てるぞ」
『魔導鎧にも色々あるのです。あれは私たちと同じ格を与えられていますが、成り立ちは完全に別物で――』
……ん? 俺は首を傾げた。今、クリフは変なことを言った気がする。ひょっとして――。
「クリフはあの鎧を知ってるのか?」
『あの鎧をというか、あのタイプの鎧を知っているだけです。あれらは特殊な部類ですからね。鎧の形をした魔法装置とでも思ってください』
思わず口を挟むが、クリフはなんでもないように答えた。なんだか引っ掛かりを覚えるが、今はそれどころではない。それに、クリフはもっと重大なことを口にした。
『あの鎧――あのタイプの鎧には、周囲の魔術師の魔力を受け取る機能があります。おそらくは、門に注いでいる魔力もそうやって工面しているのでしょう』
「そうなのか? 指揮官の魔術師が並外れた魔力を持ってるんだと思ってた」
『門を一時的に開くならあり得ますが、彼らの襲撃が始まってからもう五、六刻は経っていますからね。これだけ長期にわたって門を展開するなど、個人の身では不可能です』
「そうか。……あれ?」
そこまで聞いた俺は声を上げた。そして、思いついたことを口にする。
「それじゃ、あそこにいる魔術師たちを減らせば……」
『……たしかに。門を維持できなくなる可能性は高いでしょうね』
返ってきた念話を聞いて、思わず顔が緩んだ。
「あの指揮官に命懸けの勝負を挑むよりは、勝率が高そうだな」
『私もそちらを推奨します。……ですが、主人。敵の数は圧倒的です。先程のように囲まれると、また身動きが取れなくなるかもしれません』
「ああ、その辺りも一応考えてる。……最悪、自分を巻き込んで広範囲魔法を使えばよさそうだしな」
俺は気軽に請け合った。闘技場で起きた現象を再現するわけだが、分の悪い賭けではないだろう。
『この街区の部隊は魔術師の割合が高そうですから、効果的かどうかは悩むところですが……』
「それでも怯ませることはできるさ。……後は、どれだけ減らすことができるか、だな」
そうして二人の作戦会議が終わる。俺は六十二街区を見渡して、本陣から突出していて人数が多い部隊を探していく。
「……行くぞ」
襲撃する経路を頭に描くと、俺は奴ら目がけて飛び込んだ。
◆◆◆
「うぉっ!? て、敵襲だ!」
「なんだと!? どこにも軍勢などいないぞ!?」
「違う! 敵はひと――」
斬撃の風が吹き抜け、通りを埋めていた兵士たちが倒れていく。時には炎や氷、雷魔法を放ちながら、俺は止まることなく飛び続けていた。
流星翔の推進力を利用して、目の前の部隊を右手の剣でまとめて斬り捨てる。この速度があれば、斬ろうと力を込める必要はない。剣を保持して軌道に置く。それだけで充分だった。
正面から放たれた火柱を右へ飛んでかわし、突き出された槍を両断する。飛来する光弾をかいくぐると、進行方向に展開された魔法障壁目がけて、剣を構えて突っ込む。速度に後押しされた魔剣の刺突は、それだけで魔法障壁をあっさり粉砕していた。
「うわっ! また来たぞ!」
「こ、今度こそ撃ち落とせ!」
囲まれないよう、動きを止めないことを重視した俺は、一撃離脱に近い戦法を取っている。だが、それでは一度で倒せる敵の数は知れている。そこで、場合によってはもう一度半壊した部隊に突撃していくこともあった。
『主人、重力魔法を検知しました』
「構わない、突っ込むぞ!」
まずは地上に落とすつもりなのだろう。俺の周囲で強烈な重力が発生し、地上三、四メテルほどの高さを飛んでいた俺は地面に接触する。
「おおおおおっ!」
だが、止まるつもりはない。地面と接触した幾つかの箇所が土埃や火花を発生させるが、そのままの勢いで敵部隊に飛び込む。
「こいつ!? そのまま突っ込んで――」
空中であろうが地上であろうが、流星翔の速度で付き進む物体に激突すればただではすまない。半ば衝突するような形で敵部隊を半壊させ、重力魔法の効果範囲を抜けた俺は、再び数メテルほど浮き上がった。
『無茶をしますね……まさか地面に接触したまま進むとは』
「この辺りは石畳じゃないし、この鎧なら傷まないと思ったんだ」
クリフの言葉に答える。六十二街区は外周部であり、所得が低い住民が多いからか、石畳は主要な大通りにしか敷設されていなかった。
『……まあ、石畳であったとしても、多少防御魔法を展開すれば傷などつきませんが』
そんなクリフの声を聞き流しつつ、俺は次の部隊へと飛びこんだ。上下左右に動いて魔法をかわしつつ、接近して流星翔の勢いで吹き飛ばす。もはや、剣は激突する面積を増やすためのものになっていた。
「なら、剣がもう一本あったほうが便利か。……氷剣生成」
そのことに気付いた俺は、氷魔法で生成した剣を左手に構えた。氷剣であれば、炎や光魔法で生成した剣よりも質量がある。突進には適しているだろう。
そして、両手に剣を構えた俺はできるだけ多くの敵を巻き込むように突撃を繰り返す。何度か制御を誤って家屋に激突したこともあったが、幸いにも大したダメージは受けなかった。
途中からは、合唱魔法で俺を迎撃しようとする動きが見られたが、無茶苦茶な速度で突っ込む俺に対して、複数人の波長を合わせる合唱魔法は相性が悪かったのだろう。そのほとんどは発動前に俺に吹き飛ばされていた。
「……さすがに疲れたな」
そうして、どれほど飛び続けただろうか。気が付けば、敵魔術師の骸が六十二街区のいたるところで見られるようになっていた。敵の数は当初の四分の一にまで減っており、数百人は倒したはずだ。だが、門が閉じる気配はなかった。
『門が閉じませんね……』
「実は、指揮官の魔力だけで充分だったとか?」
『そんな化物じみた相手なら、主人に撤退をお勧めします』
そんな会話をしながら、俺は少し上空に舞い上がった。敵の配置を確認するためだ。即座に各種の魔法が飛んでくるが、これだけ距離があれば当たることはない。
「残りは門の傍へ集めたのか」
これまでは俺に向かってきていた敵部隊が、逆に門のほうへ引き上げていく。このままでは犠牲を増やすだけだと考えたのだろうか。
相手の人数が減ったこともあって、もはや指揮官と接触せずに敵を減らすことは厳しそうだった。
「しかし……指揮官は動かないな。様子見の一つくらいはしてきそうなものだが」
『門にかかりっきりなのかもしれません。維持だけならともかく、拡張するにはかなりの高度な魔法技術が必要ですからね』
「とは言っても、これ以上門を拡張する必要があるか?」
そう言っている間にも、六人からなる部隊が時空の歪みから姿を現す。新たに補充された戦力だ。歪みは直径で十メテル近くの大きさがあり、彼らやモンスターが通るだけであればこれ以上は必要ないように思えた。
「それとも、さらに巨大な何かを呼び寄せるつもりなのか……?」
なんにせよ、時間が経てば経つほど戦況は相手に有利になる。俺は覚悟を固めた。
「クリフ、魔力残量は?」
『長時間にわたる決戦仕様の発動と広域知覚等の大魔法を使用した影響で、だいぶ減っています。……ですが、まだ戦闘の継続は可能かと』
「雷霆一閃は?」
『可能です』
返事を確認するなり、俺は狙っていた地点に降り立った。そこは何かの広場だったのだろう。数十メテル先には敵部隊が詰めており、一番奥には門らしき歪みが見える。
門を守っているのであろう彼らは、突然降下してきた俺に警戒心を滲ませていた。
「撃てぇぇぇぇっ!」
号令と同時に、種々の魔法が炸裂する。また、同時にこちらへ数十人の兵士が押し寄せてきていた。彼らは剣を始めとした武器を手にしており、接近戦に持ち込むつもりのようだった。
飛来する魔法攻撃をかわし、時には左手の氷剣で弾きながら、右手に持った剣に魔力を溜める。剣が青白く輝き、雷撃に特有のバジィッという異音が弾ける。
そして、敵集団があと十メテルまで迫ったところで、左手の氷魔法を解除する。
「氷剣消去。――雷霆一閃、起動」
そして、剣を振り切る。剣の軌跡をなぞるように広がった雷撃は、轟音とともに敵を飲み込み、破壊の限りを尽くす。無数の雷が辺りを跳ね回り、おびただしい光と熱を放射していた。
「……一息ついたか」
目が眩むような閃光が収まったことを確認した俺は、ぼそりと呟いた。目の前には焦土と化した光景が広がっており、立っている敵はほとんどいなかった。
だが。
『主人、指揮官は健在です。警戒を』
「そうみたいだな」
雷霆一閃の破壊跡は、ある一点を境にぴたりとなくなっていた。その一点とは、指揮官らしき魔術師が立っている場所だ。魔法障壁か何かで攻撃を防いだのだろう。
当然ながら、その後ろにある門も無傷のようだった。
さすがに、簡単に倒れてくれる相手ではないらしい。まだ軽く放電している剣を構えると、俺は気を引き締めた。