闘神 Ⅲ
イグナートと鎧の男の戦いは、今までとは様変わりしていた。闘気に覆われたイグナートは力も速度も増しており、鎧の男は次第に押されていく。
「焦炎の竜巻!」
だが、男には魔法がある。剣術で分があるイグナートが押しこもうとすると、七、八メテルの直径を持つ炎の竜巻が彼を包み込む。
それをとっさに回避したイグナートに、今度は足下から氷の蔦が迫っていた。彼の動きを予測していたとしか思えない、絶妙な位置だった。
「うぜえっ!」
だが、今のイグナートには闘気がある。足で氷の蔦を踏み潰し、そのまま鎧の男へ迫る。まさか魔法を踏み潰されるとは思っていなかったようで、男の反応が一拍遅れた。
「がっ!?」
赤い輝きが迸り、堅固な鎧の胸部を斬り裂く。そこには、確かに中の身体を斬った手応えがあった。さっきはイグナートの剣撃を弾いた鎧だが、さすがに本気の攻撃には耐えられないようだった。
鎧の男は小さく後ろへ跳んだが、それを黙って見送るイグナートではない。同じように跳んで距離を詰めると、追撃を入れようと剣を振るう。
と、イグナートの目の前に光の壁が現れた。
「魔法障壁か!」
イグナートが剣を一閃させると、澄んだ音を上げて障壁は破壊される。だが、そのわずかな時間で鎧の男は体勢を立て直したようだった。逆に突き出された剣を弾き、返す刀で胴を薙ぐ。
「ちっ!」
男は無理やり身体を投げ出して剣撃をかわす。だが、彼が地面に接するよりも早く、イグナートの蹴りがめり込んだ。
「――っ!?」
充分に闘気を乗せた、重い蹴撃だ。破壊することはできなかっただろうが、鎧を大きくへしゃげさせたことは間違いないだろう。それだけの手応えはあった。
蹴り飛ばされた鎧の男は、試合の間を十メテル以上転がっていく。それを追いかけようとしたイグナートだったが、彼目がけて光線が放たれた。
それは直径三メテルほどの光線だった。破壊力で言えば、鎧の男の魔法と同等だろう。闘気を纏った剣で光線を弾くと、イグナートは術者へ視線を向けた。それは、今まで戦っていた鎧の男ではない。
術者は、離れた所で二人の戦いを見ていた敵兵たちだった。光線が放たれたと思われる箇所には、数人の魔術師が集まっており、一様に緊張した表情を浮かべていた。
「あの様子だと、一人で撃った魔法じゃなさそうだな。数人がかりでやる儀式魔法みたいなやつか?」
それならば、あの破壊力にも納得はいく。いくらイグナートとは言え、あの威力の魔法が直撃すれば、かなりのダメージを受けるだろう。いっそのこと、彼らを先に全滅させるべきだろうか。
余裕があるうちに鎧の男を倒しておきたいところだが、脅威になるというのであれば、優先順位を変える必要があるかもしれない。
「皆、手を出すな! 死ぬぞ!」
そんなイグナートの思考を読んだかのように、鎧の男は大声を上げた。だが、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「ここで貴方を失うわけにはいかないのです!」
「処罰なら、後でいかようにも受けます!」
そんな声があちこちから起こる。どうやら、彼らも覚悟を決めて割り込んできたようだった。
「皆――」
「おうおう、愛されてるねぇ。これじゃ俺が悪役みてえだな」
感極まった様子の男に、イグナートは冷やかしの声を入れる。
「……そして、悪は駆逐されるものだ」
「駆逐されたほうに悪のレッテルを貼るだけじゃねえか?」
「貴様らがそれを言うか……! だがいい。貴様の攻略法は分かった」
一瞬見せた激昂を抑え込むと、男は落ち着いた声で語る。
「流光盾」
その直後、男の左手に魔力光が集まり、不定形の光の盾を形成した。その様子を見たイグナートは、剣を手に距離を詰めた。これ以上、余計なことをされては面倒だ。
だが、距離を詰めようとしたイグナートを、今度は巨大な鎌鼬が襲った。そして、魔法攻撃を捌いている間に、再び男が魔法を発動させる。
「重装防護」
鎧の形に合わせて魔法障壁が展開される。まるで鎧の表面に張り付いたように見える障壁は、うっすらと鈍く輝いていた。
「――お前のその力は、長くは使えないはずだ」
準備が整ったのか、男は静かに宣言する。『その力』が闘気を指していることは明らかだった。
「そのように異常な戦闘力を、常に発揮できるはずがない。短時間のみ使用できる威力増幅のようなものだろう」
「へっ、俺も舐められたもんだぜ」
イグナートは肩をすくめた。それができていたからこそ、自分は『闘神』と呼ばれていたのだ。
だが、今のイグナートには時間がない。全身に広がりつつある鈍痛は、熱を伴うようになっていた。その進行速度は思っていたよりも早い。
「だから、宣言させてもらう。私は持久戦に持ち込む」
「へえ、意外と考えることがせこいねぇ。外野は巻き込む、まともには戦わないと来たか」
「……何とでも言え。私に求められているのは過程ではない」
淡々と答えた後で、男は静かに付け加える。
「抵抗するだけ無駄だ。この街を襲う戦力は私たちだけではない」
「その勿体ぶった喋りも持久戦のうちか?」
イグナートは眉を顰めた。これがただのブラフであれば、早々に戦闘を再開するべきだろう。だが、男の言葉に嘘の気配はなかった。それがイグナートを踏み止まらせる。
「もうじき転移門が完全に開く。そうなれば、古竜が突入し、この街を灰燼に帰すだろう」
古竜の名にイグナートの眉がピクリと動く。それをどう捉えたのか、鎧の男は真剣な声色で言葉を続けた。
「鍵の在処を白状し、素直にこの街から逃げるというのであれば、私たちは貴様を追わぬ。それは私の名において約束しよう」
「……は?」
予想外の勧告に、イグナートは目を瞬かせた。だが、鎧の男は淡々と言葉を続ける。
「兵力をいたずらに消耗することは好まん。貴様であれば、たとえ古竜が相手でも、逃げに徹すれば生き延びることはできるだろう」
「……それ、軍事機密情報じゃねえか。俺が転移門を壊しに行くとは思わねえのか?」
「そうはさせぬ。それに、転移門を開けるような術者が弱いと思うか?」
「転移門を開くことにかかりきりで、ろくに戦えない可能性もあるな」
イグナートは鼻を鳴らすと、不敵に笑った。
「そもそも、そういった勧告は自分が優勢な時にするもんだぜ?」
そして剣を構える。呪いが急速に進行している以上、そろそろ打ち切るべきだろう。
「今がそうでないと?」
「俺が優勢にしか思えねえな」
その言葉にしばらく沈黙したかと思うと、男は小さく息を吐いた。
「つまり、ここで命を落としたいというわけだな? ……いいだろう」
言葉とともに男は腰を落とす。防御に重点を置いた構えであることは明らかだった。イグナートには劣るものの、剣の技量は剣闘士十傑と比べても遜色ない。そんな男が防御に専念するとなれば、たしかに早期決着は難しい。そして――。
「っと」
イグナートはその場を飛び退いた。頭上に巨大な氷塊が落ちてきたのだ。さらに、飛び退いた先に巨大な雷球が放たれる。
それを闘気で弾き返し、別の方角にいた敵部隊に放り込む。まさか自分たちのほうに飛んでくるとは思わなかったのだろう、雷球の向かった先から怒号と悲鳴が上がった。
「……上等だ。俺の最終試合ってんなら、これくらいのハンデはないとな」
そうして、気合を入れ直す。じくじくと痛む脇腹を意識から追い出すと、イグナートは立て続けに真空波を放った。狙いは鎧の男ではなく、ちょこちょこと魔法を撃ち込んでくる外野だ。
「貴様っ!」
防御主体の構えを見せていた鎧の男が気色ばんだ。逆上して攻撃してくるかと期待したのだが、わなわなと身体を震わせながらもその場を動く気配はなかった。
「いいのか? のんびりやってるとお仲間が先に全滅する――おっと」
言いかけて、再び自分を照準にした魔法をかわす。そしてお返しとばかりに真空波を撃ち込むと、敵兵たちに動きがあった。戦士職と思われる兵士たちが前に出たのだ。彼らは揃って防御姿勢をとり、後ろの魔術師たちを守ろうとする。
「……なるほどな」
イグナートの真空波で数人が吹き飛び、数人がその場に倒れる。だが、それでも後ろの魔術師は健在だった。そして――。
正面から放たれた巨大な雷撃を、闘気を込めた剣で弾き飛ばす。それは鎧の男から放たれたものだ。
「そして、動かなくても魔法で攻撃はできる、か。……そんじゃ、こうすりゃいい」
イグナートは一気に距離を詰めると、鎧の男に斬りかかった。高速戦闘になれば、誤射を恐れてそうそう魔法を使えないだろう。防御主体となり手強くなった男を相手に、イグナートは息をつかせぬ連撃を浴びせる。
そして、彼の剣撃のいくつかは、確実に鎧の男を捉えていた。だが……。
「致命傷にゃ程遠いか」
防御力を増した鎧は、今までのようにイグナートの攻撃を受けることはなかった。もちろん小さな傷は積み重なっているのだが、さっきのような重い一撃は入らなかった。時間をかければ確実に倒せるだろうが、それでは意味がない。
「――っ!」
焦るイグナートに背後から魔法の気配が迫る。その軌道から、鎧の男ごとイグナートを攻撃したことは明らかだった。
迂闊に避ければ鎧の男に隙を突かれる。イグナートは背面に闘気を集中して、魔法攻撃に備えた。
直後、膨大な光量がイグナートたちを包み、大爆発を起こした。今までとは比較にならない破壊力であり、イグナートの背中に焼けるような痛みが走った。闘気の防御を突き抜けたらしい。
「やはり、魔法防御では私のほうが優れているようだな」
光の盾を掲げていた鎧の男が口を開く。男はまったくダメージを受けていないように見えた。彼なら巻き込まれても致命傷は受けないだろうと、そう判断した上での魔法攻撃なのだろう。
「へっ、俺の陰にいた奴が偉そうに言うんじゃねえ」
背中は痛むが、致命傷というわけではない。戦いに大きな支障はないはずだ。だが……。
イグナートは身体の内側に意識を向けた。鈍痛と熱が身体中を蝕んでおり、気を抜くと意識が持っていかれそうになる。呪いが彼の身体を覆うまでに、そう時間はかからないと思われた。
――こりゃ、もう保たねえな。
イグナートは内心で苦笑した。これ以上進行すると、身体が思うように動かなくなる可能性が高い。それまでに片を付ける必要があった。
「……やるか」
不思議と穏やかな気分で、イグナートは剣を構えた。その変化に気付いたのか、鎧の男に緊張が生まれる。
「何をする気だ」
問いかけには答えず、イグナートはありったけの闘気を顕現させた。質量を得るに至った闘気は気流を生み、粉砕された石片がカラカラと転がっていく。
「撃て!」
危機感を覚えたのだろう。観客席のほうから上がった号令に合わせて、複数の魔法がイグナートを狙う。
「懲りねえなぁ」
だが、イグナートはその場を動かず、剣を振りかぶった。
「まずい! 逃げろ!」
その様子で察した鎧の男が声を上げるが、もう遅い。魔法は放たれており、彼らは密集している。闘気を増したイグナートが、彼らの下へ魔法を打ち返したのは直後のことだった。
大規模魔法はことごとく跳ね返され、追加された闘気とともに敵集団を飲み込む。密集していたことが仇となり、数百人は犠牲になったように見えた。
「奴は最期の力を振り絞っているに過ぎん! 耐えれば我々の勝利だ!」
動揺する兵士を鼓舞するように、鎧の男が叫ぶ。そこへ、イグナートが殺到した。
「ぐおっ!?」
破壊力を増した連撃に押され、男は姿勢を崩す。その隙を突いて胸部を斬り裂くと、再び中の肉体を斬った感触が伝わってきた。斬り裂かれた箇所から血液が零れ、鎧を赤く染めていく。
「……生きてたか」
だが、イグナートは不満そうに呟いた。身体を分断するつもりで放った一撃だが、やはり向こうの防御魔法はかなりのものだった。
さらに、男の周囲を幾重にも光壁が取り巻いていく。生き残った魔術師たちは、鎧の男の生存を優先したようだった。
古竜の吐息にでも耐えられそうな多重の魔法障壁が展開され、その様子はさながら光の要塞だ。早期決着は難しいと、誰もが考える場面だろう。
……だが。
「へっ、単純な力比べか。いいねぇ」
その状況を前にして、イグナートは不敵に笑った。闘気はさらに輝きを増し、目が眩むような赤光と化す。
その輝きを剣に集中させると、イグナートは満足そうに宣言した。
「――あばよ。最終試合の相手としちゃ、悪くなかったぜ」
そして、無数に展開された魔法障壁を意に介さず、自然な動きで剣を振り上げる。
「天地崩壊」
刹那、破壊の奔流と化した闘気がイグナートから放たれた。幾重もの魔法障壁を苦もなく突破した赤光は、狂おしいほどの輝きを伴って鎧の男に殺到する。
男の魔法か、それとも鎧の魔法効果なのか、これまで見たことのない巨大な防御結界が展開された。だが、それを見てもイグナートは自分の勝利を確信していた。
赤く輝く闘気と、青白く輝く防御結界。両者のせめぎ合いはしばらく続いたが、やがてその輝きは一色に染まっていく。赤い奔流に飲み込まれる直前、男の声が聞こえた気がした。
「な――」
そして、闘気は大爆発を起こした。大半は最後の結界に食い止められたようだが、わずかに残った余波が後方の観客席を敵ごと吹き飛ばす。
その光景を見たイグナートは、複雑な気分で苦笑を浮かべた。
「こりゃ……ミレウスにどやされるな……修繕費用が跳ね上がっちまった」
呟くと同時に、イグナートの身体がどっと重くなる。戦いの興奮が冷めたのだろう。古竜の呪いは、すでに全身を蝕んでいた。
もはや廃墟と言っても過言ではない闘技場の中を、イグナートはふらふらと試合の間の中央へ歩き出す。その足取りはもつれており、高熱に浮かされた重病人のようだった。
もはや平衡感覚も怪しく、意識にも靄がかっている。通常の人間であれば、すでに倒れ伏しているところだろう。それでも、彼は半壊した試合の間の中心へ向かう。
心残りはあるが、やってきたことに悔いはない。剣闘士だったこと。冒険者になったこと。古竜と戦ったこと。闘技場の支配人になったこと。そして、この場で戦ったこと。何一つ悔いはなかった。
鎧の男が言っていた古竜の存在は気になるが、それは力を溜めている帝国軍に任せればいい。
「いや……そうじゃねえな……お前ら、頑張れよ……」
混濁した思考の中で、イグナートは小さく首を振った。師である自分が古竜を倒したのだ。ならば、弟子たちにできない道理はない。帝国にわざわざ貴重な機会を譲る必要はないだろう。
「……いい眺めだ」
やがて、中央に辿り着いた彼は周囲を見渡した。自分を囲むのは、半壊した闘技場と物言わぬ観客たち。
そこには、イグナートが『闘神』として人気を誇っていた頃の華やかさはない。わずかに生き残った敵兵が、恐ろしげに彼を見つめるだけだ。
それでも、彼は懐かしむようにぽつりと呟いた。
「勝者、『闘神』イグナート・クロイク……てか?」
言葉とともに、イグナートの手から剣が滑り落ちる。
長年共に戦ってきた相棒は、返事をするかのようにカラン、と音を立てた。