闘神 Ⅱ
「――人間よ。数多の同胞を殺めた罪は重いぞ」
優雅さを伴う声で、全身鎧の男は静かに宣言した。その言葉を受けて、イグナートの眉根に皺が寄る。
「てめえらが言ってんじゃねえよ。この街の被害に比べりゃ、そこらでくたばってる兵士の数なんざ微々たるもんだ」
「数の問題ではない!」
皮肉を交えたイグナートの言葉に憤ったのか、鎧の男は声を荒げた。
「じゃあ何だってんだよ。質の問題か? お前らの命は俺たちの命より重いのか? あァ?」
「……少なくとも、この街に住む人間にかける情けなど不要だ」
わずかに口籠もった後、男は淡々と口を開く。そして、流れるような動作で剣を抜いた。
「貴様に訊きたいことがある」
「人にものを尋ねる時の態度じゃねえな、それは」
「瀕死になってから聞き出されたいなら、それでも構わない」
「脅しってのは、実力差があって初めて成り立つんだぜ?」
皮肉を返し続けるイグナートに焦れたのか、彼は剣の切っ先を向けて、冷たい声で問いかけてくる。
「――鍵はどこだ」
「……さあな。闘技場の支配人になると、山のように鍵を持つんでな」
軽い口調で応じながら、イグナートは思考を巡らせた。鎧の男が求める鍵が闘技場絡みの鍵のはずはない。ならば、何を指しているのか。おそらくは……。
「この闘技場が鍵を守護していると、確かな筋から確認済みだ」
「その情報屋とは縁を切ることをお勧めするぜ」
「……そうもいかん。万が一罠だったとしても、乗り切ればいい話だ」
「その姿勢は嫌いじゃねえが……まあいいか。じゃあ、乗り切ってみろよ」
イグナートは会話を打ち切った。事情は分からないが、退くつもりがないことだけはよく分かったからだ。
「……」
男は無言で剣を構えた。彼の言葉を代弁するように、その身体から気迫が立ち昇る。
「皆の者、手出しは不要だ! 迂闊に手を出せば命を落とすのは皆のほうだ!」
「部下思いなこって」
揶揄しながら、イグナートも剣を構える。せっかく遭遇した強者だ。周囲に邪魔されることなく戦える環境は大歓迎だった。
「そんじゃま、行くぜ――!」
言葉の終わりと同時に、イグナートは距離を詰めた。そして、力の乗った一撃を振り下ろす。
ガキン、という硬質な音とともに、イグナートの剣が受け止められた。伝わってくる力強さに、イグナートは軽く驚く。彼の膂力に拮抗できる人間は少ないからだ。
イグナートが続けざまに放った蹴撃を、男は足で防ぐ。その慣れた様子からすると、行儀のいい剣術だけで生きてきたわけではないらしい。
「上等だぜ!」
立て続けに得物を打ちつけ合い、時には肉体を武器とした攻防が繰り広げられる。二人の位置が高速で入れ替わることもあって、外野が妨害をしかけてくることはなかった。
「……はん、いい腕じゃねえか」
イグナートは感心したように声をかけた。目の前の男とまともに張り合えるのは、自分を除けば剣闘士ランキング一位の『大破壊』くらいだろう。
「……」
対する答えはない。無駄口を叩く気がないのか、それとも余裕がないからか。その両方だろうとイグナートは予想していた。
膂力やスピード、そして剣術の腕前。両者ともに規格外のスペックを誇っているが、それでもイグナートのほうに軍配が上がる。それが彼の判断だった。
やがて、イグナートの連撃が男にわずかな隙を作り出す。その一瞬を逃さず、彼は剣を叩き込んだ。
「ぐっ!?」
イグナートの剣をまともに受けて、鎧の男は真横に吹き飛んだ。思ったよりも遠くへ飛んだのは、距離を取って体勢を立て直すため、併せて飛んだのだろう。
だが、それを黙って見送るイグナートではない。追撃をかけようと、彼は吹き飛んだ男の後を追いかけた。と――。
「ちっ!」
イグナートは追撃を止めると光速で剣を振るった。その剣閃に弾かれたのは、十数本にわたる雷の槍だ。弾かれた雷槍は近くに着弾して破壊を巻き起こす。
「……魔法戦士か」
イグナートはぼそりと呟いた。外野からの攻撃かとも思ったが、タイミング、雷の出現地点から見て間違いないだろう。
どう戦うか。相手が魔法戦士だと知ったイグナートは警戒レベルを引き上げた。自分の膂力に張り合えていたのは、強化魔法によるものだろう。稀だが、闘技場にも魔法戦士はおり、イグナートも何度も戦ったことがある。
そして、そういった場合はいかにして相手に魔法を使わせないか、ということが重要になってくる。大掛かりな魔法ほど集中が必要であり、息をつかせぬ連撃を浴びせれば大した魔法は使えない。それがイグナートの結論だった。
だが。イグナートに吹き飛ばされてから、彼が追撃に移ったわずかな間。ダメージを受けながらも、鎧の男はその一瞬で雷槍を十数本生み出したのだ。それは驚異的な技量であり、剣を交えている最中にも、魔法を使用してくる可能性を示唆していた。
「――貴様を侮っていた」
体制を立て直した男は、真剣な声色で告げる。
「計画のため、魔力は温存するつもりでいたが……それでは貴様を倒せぬ」
そして、鎧の腹部に手を当てた。そこはイグナートが剣を叩きつけた部位であり、少しへしゃげているように見えた。
「まさか、この鎧に傷をつけるとはな。久しぶりに痛みを覚えた」
「かってえ鎧だな、おい。こっちは鎧ごとぶった斬るつもりだったってのによ」
軽口を叩きながらも、イグナートは内心で渋面を浮かべた。傷が内臓に達していてもおかしくない一撃が、鎧の表面で受け止められている。鎧ごと切り裂く予定だったイグナートとしては予想外の出来事だ。
卓越した剣と魔法の腕前、そして異常なレベルの防御力。それは、今までに相対した誰よりも厄介な相手だった。
お返しとばかりに鎧の男が踏み込む。振るわれた剣を受け止めると、イグナートはとっさに飛び退いた。直前までいた空間を、地面から生えた巨大な氷槍が貫く。
足を止めず、氷槍を迂回して反撃しようとしたイグナートだったが、氷槍を貫いて襲い来る赤光に気付き、すんでのところで身を沈めてかわす。炎を纏った剣身が、伸長してイグナートを襲ったのだ。
その剣を弾いたイグナートが反撃しようと踏み出すと、その足下がぬかるんだ泥に変わる。バランスを崩すまいと踏ん張った時には、相手はすでに体勢を整えていた。
さらに、ぬかるんだ泥はいつの間にか凍らされており、イグナートの動きを阻害する。その間隙を突いて繰り出された剣撃を弾くと、今度は石礫がイグナートの視界と行動を遮った。
「キリがねえな……!」
そこから先は防戦一方だった。相手の剣と魔法の連携は神業の域に達しており、イグナートがカウンターや反撃しようとするタイミングを、確実に魔法で潰してくるのだ。剣技と魔法、両方に通じていなければ不可能な妙技だった。
「ちっ」
そんな中、無理やり隙を作りだして放った一撃も鎧に食い止められ、致命傷には遠く及ばない。
「うぉっ!?」
やがて、繰り出された剣撃を受け止めたイグナートは声を上げた。打ち合わせた剣から魔力が迸り、イグナートを吹き飛ばしたのだ。試合の間の上をごろごろと転がった彼は、素早く身を起こした。
「やってくれるぜ……」
口の中が切れたのだろう。口内に溜まった血を吐き出すと、イグナートは全身鎧を睨みつけた。
少なく見積もっても達人級であろう魔法の腕前と、イグナートの渾身の一撃に耐えられる強固な全身鎧。その強度は古竜に匹敵するかもしれない。こうなっては、イグナートですら勝ち目は薄い。
――古竜か。
イグナートの脳裏に、ふと昔の記憶が蘇る。古竜の竜鱗を断ち、致命傷を与えたのはイグナートだ。あの時と同じように全力で挑めば、倒せないはずはない。
だが。
思わず脇腹に手を当てる。全力の代償は大きい。それくらいなら、逃げに徹するべきではないか。剣闘士だった頃の、そして冒険者だった頃の自分とは違う。
今の自分には守るべきものが数多くある。自分がいなければ、彼らはどうなるのか。それを考えると、ここで途中退場するわけにはいかなかった。
「……とは言え、迂闊に逃げを打つわけにもいかねえな」
イグナートは苦笑を浮かべた。劣勢に立たされている上に、周囲を千人以上からなる部隊が取り囲んでいるのだ。彼らに足止めされているうちに、背後から襲われてしまえば終わりだ。
思わぬ窮地を前にして、イグナートの眉間に皺が寄る。様々な方法を考えてみるが、どうにもいい案が浮かばない。
その時だった。
イグナートの視界の隅に、光が映った。
「なんだ……?」
敵の魔法かと思ったが、気付いた敵部隊が同じように騒いでいることからすると、そうではないのだろう。
見れば、相手の全身鎧も同じく光を見上げていた。そして、その光は急激に高度を下げる。
「あれは……帝国の騎士か?」
そう思った時だった。
「迎撃しろ!」
そんな声が聞こえたかと思うと、種々の魔法が空を染め上げる。過剰なまでの集中攻撃は、イグナートたちの戦いに手を出せなかった鬱憤だろうか。
さすがに耐えきれなかったのだろう。光に包まれた騎士は闘技場の外壁に激突して地上に落ちた。衝突の影響で外壁の一部が倒壊し、墜落した騎士と、それを取り囲む兵士たちの様子が目に入った。
ありゃ無理だろうな。それがイグナートの判断だった。イグナートのせいでもあるが、この場には多くの敵兵がいる。この場面を切り抜けられる人間など、ほんの一握りだ。
「……ん?」
そう思っていたイグナートは、自分の予想が間違っていたことを知った。いつまで経っても戦いが終わらないのだ。兵士に遮られてよく見えないが、断続的に魔法の光が煌めき、悲鳴や破壊音が聞こえてくる。それはつまり、圧倒的多数を相手にして、今も騎士が奮闘しているということだ。
ここまで戦える騎士が帝国にいただろうか。往年の皇帝であればあり得ただろうが、彼はすでに七十歳近いし、そもそも一人でこんな所へ来るはずがない。
興味を持ったイグナートは、壁の外の戦いに目を凝らした。だが、やはり兵士が邪魔でよく見えない。いっそ真空波で薙ぎ払ってしまうか。そんな短慮が脳裏に浮かんだとき、鎧の男が予想外の声を上げた。
「その戦いを見せよ! 私の視線を遮るな!」
その言葉に応じて、視線を遮っていた兵士たちが左右に散っていく。鎧の男の近くにいたイグナートも、必然的に視線が確保された。
「あれが!? だが、そんな馬鹿な――」
そんな声が聞こえてくるのも、イグナートが近くにいるためだ。何やら驚いている様子の男だが、イグナートに対して隙を見せているわけではない。もしこちらが動けば、即座に対処してくるだろう。
その態度には不満な面もあるが、おかげで外の戦いを見ることができるのだ。ここは大人しくしておこう。そう自分を納得させると、イグナートは騎士の戦いに注視した。
――やはり強い。ほとんどの敵は一撃で倒されているし、なんとか剣を打ち合わせた者も、続く二合目で大半が致命傷を受けていた。
「パワーもスピードも申し分ねえ。……おいおい、魔法も使えんのか」
敵部隊が小型の竜巻に巻き上げられる様子を見て、イグナートは呆れたように呟いた。最初は敵魔術師の誤射かと思ったが、そうではないらしい。今も、騎士が生み出した光の矢が背後を取ろうとした兵士たちに降り注いでいた。
「……それにしても上手いこと戦うな。位置取りもいいし、動きが合理的だ」
地面を爆砕させて範囲攻撃を行い、勢いと土煙を利用して近くの敵をまとめて撫で斬る。同時に襲い掛かってきた戦士たちを同士討ちさせ、そこへ背後から飛来した火炎球《ファイアーボールを弾いて叩き込む。それは見事な戦いぶりだった。だが――。
「なんだ、何か引っ掛かるな……」
イグナートは首を傾げた。戦いぶりに文句はない。だが、騎士の戦いを見るうちに、不思議な感覚がイグナートを捉えていく。
位置取り、目配り、リズム。戦い方というよりは、戦いの呼吸とでもいうべきものに既視感を覚えているのだと気付いたのは、騎士が十数人を屠った時だった。
それに気付いたイグナートは自分の記憶を探った。あの騎士の中身と、自分は絶対に戦ったことがあるはずだ。そうでなければ、戦いの呼吸などというものを覚えているわけがない。そう考えたイグナートの脳裏を、一人の人物が横切った。
……そう、あいつの呼吸ならよく知っている。それこそ、十年以上前から――。
「ミレウス……?」
それは、無意識に口をついて出た言葉だった。だが、その名を口に出した途端、推測は確信へ変わる。子として、弟子として、長年見てきた呼吸だ。たかが全身鎧を纏ったくらいで分からないはずがない。
「――なんでえ、上手くやってるじゃねえか」
口元に笑みが浮かぶ。どうやって魔法を使っているのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。
息子が才能を発揮している。これまでの研鑽は、長きにわたった苦悩は無駄ではなかったのだと、そう証明してみせたのだ。親として、師として喜ばないはずがなかった。
そして。だからこそ、鎧の男の言葉を聞き洩らすことはできなかった。
「やはり、間違いないというのか……信じられぬが、あの騎士は確実に始末して、確保する必要があるな」
男が誰と会話しているのかは分からない。だが、言葉の中身だけで充分だった。
「全部隊に通達! あの騎士を――ぬっ!」
鎧の男は途中で言葉を切った。その直後、剣を打ち合わせる音が響く。やはり不意打ちは通じないか。そう思いながらも、イグナートに落胆はなかった。その胸に湧き上がるのは高揚だ。
「悪ぃな。思ったより嬉しくてよ」
「何を言っている……?」
男は訝しんだ声音で問いかける。
「ま、いいじゃねえか。それより、一つ確認しておきたいんだが……」
イグナートは上機嫌で応じると、意味ありげに笑った。
「計画を実行するって言ってたな? ――聖樹は見つかったのか?」
「なんだと!?」
鎧の男は驚愕していた。イグナートからすれば、男の意識をミレウスから逸らすための方策だったが、思った以上の効果を持っていたようだった。
「……なぜそれを知っている」
「お前さん、あんまり腹芸に向いてないタイプだろ。普通、『なんのことだ』とかすっとぼける場面だろうに」
問いに答えず、イグナートは軽口を叩いた。それは時間稼ぎでもあるし、激高してイグナートしか目に入らなくなれば好都合だ。
「どこで知ったと聞いている」
「さて、忘れちまったな。お前らの仲間が喋ってたような……」
イグナートはおどけたように答える。その存在を知ったのは冒険者時代のことだが、正直に話す義理はない。
「尋問して聞き出したというのか……外道め」
「あのろくでもねえ樹のことを考えりゃ、外道はそっちだろ」
演技ではなく、本心からイグナートは顔を歪めた。元々は気を引くためのブラフに近かったが、本当にアレを動かす気でいるらしい。それなら、ただの領土復権のほうがよっぽどマシだ。
「……お?」
そうして問答をしていた時だった。壁の外で眩い光が弾けた。ちらりと目をやれば、壁の外の兵士たちが大勢倒れ伏している。光か雷系統の範囲魔法を放ったのだろうか。
「なにっ!?」
同じく横目で見たのだろう。鎧の男は焦りを滲ませた。周囲に敵がいなくなった今は、騎士にとって絶好のチャンスだ。
イグナートがそう思った瞬間、その身体が別種の光に包まれた。
「ぬっ!? 逃がすな!」
男が声を張り上げる。だが、すでに騎士は飛び立っており、彼を追撃する魔法も届かないようだった。
「くっ……!」
歯噛みする男を見て、イグナートはニヤリと笑う。ミレウスの離脱は叶った。当初の予定通り、後はどうやって敵を振り切るか、だ。
……だが。剣を構えながら、イグナートは思考を巡らせた。
この男を放っておけば、必ずミレウスを追いかけるだろう。ミレウスはかなりの戦闘力を持っている様子だったが、この男と軍勢が同時に襲い掛かれば、さすがに耐えられないはずだ。
そして、もう一つ。この男が言っていた『計画』が成就間近だとすれば、事は帝都だけではすまない。妻や娘を含め、この大陸全土から人類が消滅しかねなかった。
「潰す……べきだな」
計画の中核を担っていると思われる眼前の男を失えば、計画は頓挫するだろう。さらに、街中に入り込んでいる敵勢力も撤退するはずだ。後ろ盾が得られなければ、彼らがこの帝都を占拠し続けることは難しい。
イグナートは思わず脇腹に手を当てた。鎧の男に敗けるつもりはない。だが、生き残ることができるとも思えなかった。
気掛かりはいくらでもある。遠く離れた妻や娘。今だにランキング上位には食い込めない闘技場。そして、発展途上の弟子たち。
同じ時間を共有し、ともに未来を切り開きたい。それが夫であり、父であり、支配人であり、そして師である自分の願いだ。そのためには、ここで生を終えるわけにはいかなかった。
「……はっ」
長い苦悩の後、イグナートは小さく笑った。
――それがどうした。家族も、弟子も、闘技場も。皆が立派に成長している。イグナートの庇護下になくても充分やっていけるだろう。一番の気掛かりだった息子も、いつの間にか困難を乗り越えている。
そして何より、ここで奴らの計画が実行されるようなことがあれば、彼らの未来が絶たれることは間違いない。
イグナートはゆっくりと息を吐いた。そして……静かに覚悟を決める。
――半壊した第二十八闘技場で行われるのは、伝説とさえ呼ばれた『闘神』の最終試合。観客は、居並ぶ数千の敵兵たち。
「……上等じゃねえか」
直後。荒れ狂うような真紅の輝きが彼の身体を覆った。ぎらつく赤光に照らされて、鎧の男は探るようにイグナートを注視する。
「『闘神法』。……自分で名付けたわけじゃねえが、そう呼ばれてる」
それは『闘気』と呼ばれる類のものであり、武芸を極めた者のみが辿り着ける境地だと言われていた。そしてイグナートの恐ろしいところは、その『闘気』をさらに磨き高めたところだ。
身体の調子を確かめるように剣を軽く振ると、イグナートは精悍な笑みを見せた。
「さ、始めようぜ。『闘神』の戦いを見せてやるよ」