闘神 Ⅰ
【????】
「このタイミングで殲滅戦とはね……時期尚早じゃないかな」
阿鼻叫喚の惨劇の中で、彼は怪訝そうに目を細めた。人々が虐殺され、逃げ惑っている現場と、彼が潜んでいる建物とは壁一枚を隔てるのみ。通常なら焦燥や恐怖にかられているはずの空間で、彼はあくまで冷静だった。
「この程度の戦力で帝都を完全制圧できるとは思えないし、制圧したとしても防衛戦力としては不充分。長くはもたないはずだ。それとも計画発動に賭けているのか……?」
自分の思考を整理するように、彼は口を開き続ける。だが、その音が外に漏れる気配はまったくなかった。
「だとすれば、鍵の在処が判明したということになるが……」
彼は窓から視線をやった。眼下には千名以上からなる大部隊が展開している。この辺りには何もないはずだが、それなら彼らが集結する理由はない。
「もしくは、偽情報に踊らされたか、だな。あの人ならそれくらいはやるだろう。……踊らされた英雄殿にはお気の毒だが」
帝都全体の俯瞰図を眺めて、彼は首を傾げる。
「中核の帝国騎士団はまだ動かないか。これが古竜に備えているためだとすると……やはり、帝国とマーキス神殿は繋がっていたわけだ。まあ、そうでもなければこんなに巨大な魔法陣を帝都全体に敷くわけがない」
「……どうしたものかな。どちらに転ぶにせよ、あまり益のない話だ。いっそ彼らには痛い目を見て静かにしてもら――」
と、彼の言葉が途切れる。不思議なものが視界に入ったからだ。それは帝都の空を高速で飛翔し、瞬く間に近づいてくる。
「光……いや、人か?」
その正体が、全身鎧に身を包んだ騎士であることに気付き、彼は驚きに目を見張った。さらに驚いたことに、上空を飛んでいた騎士はその高度を一気に下げる。その様子は、まるで偵察をするかのようだった。
そして、その光に気付いたのは彼だけではない。
「迎撃しろ!」
そんな指示が飛び、多数の魔法が全身鎧目がけて放たれる。たった一騎には過剰と思えるほどの魔法が射出され、帝都の空を埋め尽くした。
「……終わったか」
彼は少し残念そうに呟いた。魔法の一斉射撃を受けて騎士が地上に墜落したからだ。騎士は近くにある闘技場の壁をかすめて地表に激突し、盛大に砂埃をまき上げた。
空中ならともかく、地上でこの人数に囲まれて勝ち目はない。圧倒的な物量に押し潰されるだけだ。
墜落した騎士の最期のあがきを覗いてみようと、彼は遠見の魔法を使用した。飛行魔法を扱えるだけの技量があるのだ。簡単に倒れることはないだろう。
その程度には騎士を評価していた彼だったが、予想外の光景に声をもらす。
「ほう……?」
剣が閃き、魔法が弾ける。すでに倒された人数は数十人に及ぶだろうか。押し寄せる兵士を巧みに捌き、騎士は獅子奮迅の勢いで相手を屠り続けていた。
密集していることが仇となり、兵士たちが間接攻撃を行えないことも原因の一つだろう。対して、騎士はどこを攻撃しても多数の兵士に当たるのだ。そのアドバンテージは確実にあった。
「……だが、個の武力には限界がある」
とは言え、四方八方を敵に囲まれている不利はそれ以上のものだ。あれだけの使い手であれば、強力な広範囲魔法を使うこともできるだろう。だが、全方位から絶えず攻撃を仕掛けられている現状では、そんな大掛かりな魔法は不可能だ。
「しかし、逸材であることは事実だな。勝てないにせよ、奴らに一刺しできる可能性はあるか。……む?」
彼は訝しげに眉を顰めた。魔法で強化された視界には、変色光に包まれた騎士が映っている。その騎士……いや、鎧に何か引っ掛かりを感じたのだ。その感覚を無理やり表現するなら……『懐かしさ』だろうか。
「なんだ……?」
首を傾げながらも、彼は騎士の戦いぶりを見守る。騎士は驚異的な戦闘力を見せつけており、まだまだ倒れる様子はない。
だが、どれだけ優秀な戦士であろうと、いつかは大軍の前に膝をつく。個という戦力が戦いの趨勢を決めるためには、それに見合った相手と戦う必要があった。
「離脱する程度の隙は作ることができるが……」
彼はしばらく悩むと、傍に置いてあった部品を手に取った。それは腕の形をした金属であり……もっと言えば、鎧の腕部分と酷似していた。
「部分着装」
『了解しました。右腕部のみ接続します』
伝わる念話に頷くと、彼は鎧の腕部を右腕に嵌めた。そして、傍に立て掛けてあった筒状の武具を手に取る。
「狙撃仕様起動――魔力隠蔽、攻撃範囲拡大」
そして、窓から筒を突き出す。本来であれば誰かが気付いてもよさそうな状況だが、不思議と彼に目を向ける者はいなかった。
『よろしいのですか? 主人はすでに相当数の住民の退避を援護しています』
「それに何か問題が?」
念話に淡々と答える。彼が逃げ惑う住民の退避を援護していたのは事実だ。今は兵士の動向を掴むためにこの場所に潜んでいるが、それまでは高さのある建物から狙撃を行い、兵士やモンスターを屠っていたのだ。
『……いえ、私は主人の身を案じているだけです』
その声色にはごまかすような響きがあった。彼はそれに気付かないフリをして答える。
「心配には及ばない。見つかるようなヘマはしないし、私には私の立ち位置がある」
やがて標的を定めると、彼の身体から魔力が立ち昇った。
「殲滅する雷光」
自身の魔法を増幅させ、騎士目がけて撃ち込む。筒先から放たれた雷撃は一気に広がり、波のように彼らを包み込んだ。眩い輝きに包まれ、術者である彼も光量に目を細める。
「……今の攻撃に気付いたか。いい勘をしている」
そして、感心したように呟く。魔法を放った瞬間、あの騎士だけはこちらに気付いて防御行動をとったのだ。彼の周囲に展開されている魔法障壁が何よりの証拠だろう。
そもそもが威力を調節して放った範囲魔法であり、あの騎士が大きなダメージを受けるとは思っていない。もしあの程度で力尽きるようであれば、その程度の人物だということだ。そんなつもりで放った魔法だった。
結果として騎士は生き残っており、周りの兵士たちは倒れ伏している。魔法の効果範囲は三十メテルほどだが、立っている者は騎士一人だけだった。その結果に頷くと、彼は騎士の動きに注目する。
「さて、どうする? ここで討ち死にするまで戦うか、それとも首魁を叩くか……」
その声に答えるように、騎士は飛行魔法を起動した。七色の変色光を引きずって、彼は追いすがる魔法の弾幕を引き離していく。
構えていた武具を壁に立て掛けると、彼は複雑な表情でその軌跡を追った。
「――健闘を祈るよ、名も知らぬ騎士殿」
◆◆◆
【『闘神』 イグナート・クロイク】
「おいおい、こりゃひでえ有様だな……」
自分の分身とも言える闘技場の様子を目にして、イグナートは苦い表情を浮かべていた。
やたらと群れていた敵部隊を全滅させ、落ち着いて全景を見られるようになったのはつい先刻のことだ。
モンスターが暴れたのか、それとも流れ弾が当たったのか、闘技場の壁は至る所に破壊の跡が見られたし、貴賓席に至っては丸ごと試合の間近くに落下している。
物言わぬ死体となった観客たちがあちこちに散乱しており、血臭が付近に充満していた。
「っ!? ……いや、違うか」
息子とよく似た背格好の骸を目にするたび、はっと顔が強張る。いくらダグラスが傍にいるはずだとは言え、この大混乱の最中だ。はぐれる可能性は高かった。
「さて、どうしたもんかな」
イグナートは冷静に呟いた。闘技場の様子にはショックを受けたが、覚悟していたことでもある。そして、目的の一つである闘技場の確認ができた以上、残る目的は一つだ。
「……念のために見とくか」
血臭でむせかえる闘技場の中を、彼は迷いない足取りで進む。目指すは闘技場の地下部分。様々なギミックが仕掛けられた場所だ。
こういった事態を想定した造りではないが、非常に複雑な機構を備えているため、関係者以外には見つかりにくい。ミレウスが隠れている可能性はあった。
地下へ向かう階段を降りたイグナートは、不快げに表情を歪めた。
「ここにも踏み込んでやがる」
イグナートの予想は正しかった。闘技場の従業員の一部はここに逃げ込んでいたのだ。だが、床に転がる彼らはすでに息絶えていた。
「……」
ともに闘技場を支えてきた従業員の骸を目にして、イグナートは静かに目を閉じた。そうして彼らの冥福を祈っていた彼の耳が、かすかな物音を捉えた。
「誰だ……?」
イグナートは即座に反応すると、物音がしたほうへ足を向ける。まだ生き残っている従業員がいるのであれば保護する必要があるし、敵であれば殺す。彼の足取りに迷いはなかった。
「――やはり、地下施設というのが怪しいな」
気配を殺して近付いたイグナートの耳に、そんな会話が聞こえてきた。試合の間への昇降装置の陰に身を潜めると、イグナートは顔を覗かせた。
人数は十二人。身のこなしや装備品の質からすると、何度か遭遇した『精鋭部隊』と同格と考えられた。
「ですが、この程度の深さでは済みますまい」
「隠し階段があるかもしれん。……ちっ、一人くらいは生かしておくべきだったか」
吐き捨てるような声色。その声を耳にしたイグナートの身体から殺気が立ち昇った。
「なんだ!?」
「生き残りか!?」
噴き出る殺気に気付いたのだろう。驚きながらも、彼らは素早い動きで陣形を展開した。その動きは精鋭の名に恥じないものだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
「――この闘技場の支配人だ。……嬉しいぜ、八つ当たりできる先が見つかってよぉ」
そうしてニヤリと笑う。いったいどのような笑顔だったのか、相対する彼らは怯んだ表情を浮かべた。
「まさか、逃げるなんて言わねえよなぁ?」
剣を担いだまま、ゆっくり彼らに近付く。すると、リーダーらしき魔術師が叫んだ。
「捕らえろ! この闘技場の主であれば、隠し階段を知っているはずだ!」
その言葉がきっかけとなり、十二人は一斉に動き出した。だが、イグナートの剣が閃くたびに彼らは数を減らす。あっという間に仲間が全滅し、最後に残ったリーダー格の男は声を震わせた。
「その戦闘力……なんだお前は!?」
「だから言ってんだろ? ここの支配人だってよ」
イグナートの剣が男の胸を貫く。剣を引き抜くと血液が噴き出し、男は崩れ落ちた。
「ん……?」
血の海に横たわる男を見下ろしたイグナートは、怪訝な表情で剣を構える。彼が何かをしようとしているように思えたのだ。
魔術師の中には、命と引き換えに強力な魔法を使用する者がいる。どちらかと言えば呪術の類だが、その効果は絶大だ。それを警戒し、イグナートはとどめをさそうと剣を振りかぶった。
『――各部隊へ緊急連絡。ポイントDに要注意人物を確認。危険度S。また、地下施設の存在を確認。調査を引き継がれたし』
「なんだ?」
頭に響いた声に、イグナートは首を傾げた。最後の力を振り絞って自爆でもするのかと思ったが、魔術師はそれきり動かない。今度こそ絶命しているようだった。
「ま、別にいいか」
敵部隊の全滅を確認すると、イグナートは地下設備の確認を再開した。思いつく場所はすべて覗いてみたが、どこにも生存者はいないようだった。
「……つまり、どっかへ逃げたってことだな」
時間をかけて生存者の確認を終えたイグナートはほっと一息ついた。闘技場に立てこもるよりは、それこそ神殿あたりに逃げ込んだほうが確実だ。
この闘技場から最も近い神殿はディスタ神殿だ。ミレウスはそこにいる可能性が高いだろうと、イグナートは次の目的地を決定した。
そして、地上階へ向かう階段を上ったイグナートは、物々しい雰囲気に足を止めた。
「なんだ?」
十人や二十人ではない。大勢の人間が集まっている。その気配は膨れ上がる一方であり、今も人数が増えていることを示していた。
訝しみながらも、イグナートは試合の間脇の階段から姿を現す。すると、鋭い号令が幾つも飛び交った。
「現れたぞ! 総員戦闘態勢!」
「導師が危険度Sと判断した敵だ! 油断するな!」
「命と引き換えで伝えられた情報を無駄にするなよ!」
最低でも数百人はいるだろうか。どこから湧いて出たのか、彼らは二十八闘技場に集結しているようだった。
「……さっきのアレか」
イグナートは悟る。あの念話は、魔術師が仲間に向けて発信したものだったのだ。自爆より通信を優先した目的意識は立派だが、イグナートにとっては迷惑この上ない話だった。
「撃てぇぇぇぇっ!」
そして、ついに彼らの攻撃が開始される。試合の間にいる者、観客席にいる者。遠距離攻撃の手段を持つ者たちが、一斉にイグナートを狙った。
その攻撃を凌ぎながら、イグナートは近くにいる敵部隊に向かって走る。敵部隊に斬り込めば、誤射を恐れて攻撃の数は減るだろう。
「気安く試合の間に上がるんじゃねえ!」
瞬く間に距離を詰めたイグナートは、手近な部隊に斬りかかった。狙い通り、矢や魔法の雨は止み、散発的な間接攻撃が精一杯の様子だった。
「邪魔だ!」
雲霞のように押し寄せる敵部隊を、イグナートはことごとく壊滅させていく。いつしか、試合の間周辺にいた部隊は全滅寸前の様相を呈していた。
「……さて、どうするか」
敵を掃討しながら、イグナートは周囲の状況を分析する。出入口は固められている。壁は一部が倒壊しており、そこから外に繋がっていた。
「外に出るなら、どっちかだな」
イグナートにはここで戦い続けるつもりはなかった。剣闘士時代の自分であれば、その可能性もあっただろう。だが、今は違う。
無限に補充される敵を倒し続けることは不可能だ。闘争本能に身を委ねることは心地よいが、この場面では相応の代償を伴う。
「問題は、闘技場の外にどれくらいの戦力がいるかってことだな」
壊れた壁の隙間に目を凝らすが、さすがにそこまでは分からない。少なくとも、まっとうに出入口から突破を試みるよりは、壁の隙間のほうが意表を突けるだろう。
そう判断したイグナートは、目標を観客席へ移した。ディスタ神殿がある方角に一番近い壁の隙間を目指して駆け出す。
――その時だった。
正面の敵兵の群れをかき分けて、一人の人物が姿を現した。その様子を見たイグナートは足を止める。
「……戦い甲斐のありそうな奴だな」
全身に鎧を身に着けているため、詳細は分からない。兵士たちの様子から察するに、指揮官もしくはそれに匹敵する敬意を受けている存在だと思われた。
そして、久々に感じる強者の気配。目の前の人物に比べれば、「精鋭」と評していた部隊など露払いでしかない。それくらいに圧倒的な実力差があった。
散乱している死体に臆することなく、全身鎧は悠然とこちらへ歩んでくる。そして、イグナートの五メテルほど前で立ち止まった。