反撃 Ⅱ
「騎士様、本当にありがとうございました……!」
天神を奉るマーキス神殿の前で、俺は護衛してきた隣家の二人と別れの言葉を交わしていた。なお、一番距離が近いのはディスタ神殿だが、あそこは人で一杯だったし、ダグラスさんたちもいる。魔導鎧を身に着けた状態で顔を合わせるのは避けたかった。
「ねえねえ、ミレウス兄ちゃんは大丈夫なの?」
「……心配ない。無事避難している」
不安そうな少年に対して、できるだけ低い声で答える。……そう、俺はこの魔導鎧の中身がミレウスだということを明かしていない。とっさに別人の演技をしてしまったのだ。
この緊急時に何を、という気もするが、俺の魔導鎧に対する思いは自分で思っている以上に屈折しているようだった。
籠手が痛くならないよう、そっと少年の頭に手を置く。そして、空いている手で神殿の門を指し示した。
「急げ。いつ敵が来るとも分からん」
その言葉を肯定するように、近くで破壊音が聞こえる。その音をきっかけとして、二人は門へ走り出した。そして門をくぐる直前に、少年がくるりと振り返る。
「鎧のおじさん、ありがとう! 悪い奴をやっつけてね!」
その言葉に頷くと、さらに腕を上げて答える。だが、兜の中の俺は苦笑を浮かべていた。
「おじさん……」
まさか十八歳でおじさんと呼ばれるとはなぁ。声の偽装が上手くいっている証拠なのだろうが、素直に喜べない気分だった。
『主人が変な声を出しているからです』
クリフの念話に忍び笑いのような気配が混じる。どう言い返そうかと考える俺だったが、その思考は近付く気配によって中断された。
「騎士殿、救援任務ご苦労様です」
神殿を守っていたマーキス神官に話しかけられ、俺は彼のほうを向いた。マーキス神殿は警備兵の質が高いようだが、もちろん彼らに任せっぱなしなわけではない。優れた後衛を多数擁している神殿だからこそ、それらの戦力を有効に活用できるのだ。
そして、彼は防衛にあたっているマーキス神官のリーダー格であるようだった。
「ところで、よろしければ情報交換と参りませんか? どうにも全体の様子を探ることが困難でして、別の区画からいらっしゃった騎士殿のお話を伺いたいのですが」
「……どこも似たようなものだ」
「そうですか……」
俺の返答に肩を落とす。いつまでこの状況が続くのか、気が気ではないのだろう。
「ですが、騎士殿がいらっしゃると言うことは、帝国騎士団は動き出したのですよね? どの程度の規模でどう動いているのか、お伺いしても?」
「……俺は帝国騎士団の所属ではない。この鎧は私物だ」
「そう、ですか……」
彼はさらに落ち込んだ様子だった。そして、そんな彼に追い打ちをかけるように、複数の気配が近付いてくる。
「こちらから大部隊が来るぞ」
『――正面に多数の反応あり。およそ百二十』
俺の警告と同時に、クリフが分析結果を報告してくる。気配が多すぎてよく分からなかったが、百を超えているという事実は驚きだった。
「なんですって!?」
「正確な人数は分からんが、百人以上いるだろう」
「百人……!?」
神官は血相を変えて正門へ走った。神殿の中で休息している警備兵を招集して、瞬く間に編成を終えていく。マーキス神官はこういうことを苦手にしているイメージがあったのだが、そういう人間ばかりでもないようだ。
「百二十人、か」
剣を抜きながら呟く。これまで、十人を超えて編成された部隊は見ていない。たまたま合流したのであればいいが、意図的に合流・連携して動く方針に切り替えたなら、非常にまずいことになるだろう。
「さて、どうするか……」
この魔導鎧は多種多様な魔法が使用できるようで、数は少ないものの、広範囲殲滅型の魔法も存在している。百人を超える大部隊ともなれば、使用は必須だろう。
『クリフ、この状況下で最適な魔法は?』
『そうですね、『雷霆一閃』でしょうか。ただ、周囲の家屋にも被害が及びますが』
『たしかにな……』
クリフとそんな会議をしていると、鋭い声が響いた。
「来たぞ!」
警備兵の警告に目を向ければ、大通りの奥から大部隊が姿を現していた。もちろん、それは予測していたことだ。だが、大きな問題が一つあった。
「あれは……」
戸惑った声が周囲から上がる。それはそうだろう。大部隊の手前には、彼らから必死で逃げる二十人ほどの住民がいたのだ。
『主人、どうしますか? 雷霆一閃に限らず、広範囲魔法の大半は術者から直線、もしくは放射状に放たれるものです。このままでは手前の人間を巻き込みます』
「む……」
緊急事態だ。家屋に多少の被害が出ることはやむなしと考えていた俺だが、さすがに逃げ惑う住民を数十人も巻き込むのは気が引けた。だが、このままでは乱戦になる。そうなれば数が多い方が有利だ。
神官を多数擁しているとはいえ、前衛の数には限りがあるわけで、神殿の防衛網を突破されるおそれは充分あった。
『……クリフ、突っ込むぞ』
敵が神殿に近付く前にできるだけ数を減らす。そう決心すると、俺は剣を片手に駆け出した。
「万雷の刃起動」
魔法剣を起動した途端、右手に持つ剣が眩く発光した。雷光が剣身に纏わりつき、バチバチと音を立てる。
「第一から第三の部隊はあの騎士を急いで迎撃しろ! それ以外の者は後ろの神官どもに備えろ!」
その号令に応えて、彼らの一部が俺に向かって得物を構えた。一部とは言え、元の人数が人数だ。遠距離攻撃手段を持つ敵だけでもそれなりの数がいるだろう。弾幕を張られると厄介だった。
『――出の速さを重視して威力が低下した魔法など、鎧に当てておけばよいのです。あんなものが通じるはずはありません』
そこへ、クリフから自信をみなぎらせた念話が飛んでくる。その言葉に少し遅れて、俺目がけて魔法や矢が放たれた。一刻も早く距離を詰めたい俺は、クリフを信じてまっすぐ突き進む。
『その調子です。損傷はゼロです』
彼の言葉通りだった。まず矢が弾かれ、炎が、鎌鼬が、光弾が、魔導鎧に弾かれて四散していく。クリフが言う通り、この程度の威力では魔導鎧の防御を貫くことはできないようだった。
『一応申し上げておきますが、あれらの魔法が弱いのではなく、この鎧の防御能力が高いのですからね』
「はいはい、分かってるさ」
クリフの鎧アピールを受け流し、俺は敵陣へ斬りこんだ。近くにいた戦士と剣を打ち合わせると、彼がガラン、と剣を取り落として倒れる。
「がっ……!?」
魔法剣の威力はかなりのものだった。直接斬りつけなくても、武器種によっては得物を打ち合わせるだけで相手が感電するようだった。
次の相手を一撃で斬り倒すと、隣から槍を突き込んできた戦士にカウンターを浴びせる。三人同時に襲い掛かってきた兵士たちに三連撃を入れ、振り返りざまに背後へ回り込んでいた剣士を斬り捨てた。
「こいつっ!?」
「壁を作れ! 囲んで潰せ!」
怒号が響き渡る。相手の陣形をかき回すように移動しながら、俺は雷の斬撃を振り撒いていった。
「氷雨起動」
さらに、逃げてきた住民がいないポイントには魔法を叩き込む。鋭い氷の矢が後衛目がけて無数に降り注ぐと、敵陣の奥から悲鳴が上がった。
「貴様ぁっ!」
斬りかかってきた戦士を返り討ちにし、巨大な盾を構えた戦士を盾ごと感電させる。そうして近寄る敵をすべて屠りながら、遠い敵には魔法を浴びせていく。
「昏睡の霧」
十メテルほどの白い霧が敵部隊の一部を包み込む。霧が晴れると、そこには倒れた兵士たちの姿があった。
「……順調だな」
近くの敵は剣で斬り伏せ、離れた敵は魔法で一掃する図式が出来上がりつつあった。本物の魔法剣士であれば精神の集中が必要なのだろうが、俺の場合は起動を指示するだけだ。そう負担はなかった。
「こいつ、魔法の腕もかなりのものだぞ……!」
「くそ、どうしろってんだよ!」
剣を打ち合わせ、槍を籠手で弾き、地面の爆発を跳び退いて回避する。跳び退いた勢いのまま正面の敵を斬り裂くと、背後の集団に光弾を叩き込む。
いつしか、敵部隊は大きく数を減らしていた。奴らが神殿や住民のほうへ行かず、俺に戦力を集中したことが幸いしたのだろう。もはや、残る敵は三十名ほどだった。
それでも気を抜かず、俺は敵部隊に突撃してその数を減らしていく。と、俺の足下が輝いた。訝しむ間もなく地面から光の柱が立ち昇る。
「くっ……!?」
光柱に吹き飛ばされ、俺は数メテルほど転がった。転がる勢いを利用して立ち上がると、追い打ちを警戒する。
『――この鎧の魔法防御を抜くとは……かなりの術者ですね』
クリフの感想を後押しするように、再び強烈な魔法が放たれる。もはや竜巻と呼べるほどの巨大な鎌鼬が発生し、俺に襲いかかった。
「――風魔法による威力増幅起動」
対して、俺は魔導鎧の機能で援護を受け、連続で真空波を撃ち出した。筋力強化に加えて、風属性魔法による真空波の威力増幅だ。その威力はかなりのもので、巨大な鎌鼬を相殺し、逆に彼らに襲いかかる。
「うおっ!?」
真空波に吹き飛ばされた敵兵が悲鳴を上げる。鎌鼬との衝突で軌道が逸れたこともあり、被害を受けたのは二、三人だけだったようだが、彼らには動揺が広がっているようだった。
「導師の魔法が……負けた……!?」
どうやら、導師とやらは彼らの中で実力者らしい。たしかに、生身の俺ならあっさり倒されてしまっていただろう。それくらいの実力は間違いなくあった。
彼らの動揺をうち消すように、巨大な氷塊が俺の頭上に降ってくる。そのまま俺を圧し潰すつもりなのだろう。
俺は剣を構えると、上空に真空波を撃ち出した。家ほどもある氷塊は、空中で粉砕されて無害な氷片と化す。再び敵部隊が動揺しているうちに、俺は術者との距離を詰めようとした。
「させるか!」
俺の意図に気付いた兵士たちが、進路上に身体を割り込ませてくる。そして、彼らの壁に隠された魔術師が再び魔法を放った。
「――っ!」
魔法発動の予兆に気付き、俺はその場を飛び退く。その直後、俺がいた場所を起点として巨大な炎の竜巻が発生した。
「味方ごと、か……」
炎の渦に呑まれ、壁となっていた敵兵が崩れ落ちる。複雑な気分でそれを見ながら、俺は魔法を起動した。
「火耐性付与」
すでに炎の竜巻は勢いを失っている。俺は火耐性の魔法をかけると、自分からその中へ突っ込んだ。勢いを失った炎の中を、ほんの一瞬突っ切るだけだ。耐性魔法のおかげもあって、俺が熱さを感じることはなかった。
「――ぬっ!?」
まさか炎の中を抜けてくるとは思わなかったのだろう。魔術師は驚愕と焦りの入り混じった表情を浮かべていた。彼はなんらかの防御行動を取ろうとしたようだが、もう遅い。
剣を一閃させると、彼は血を噴き上げて倒れる。それを見て残りの兵士たちが攻め寄せてくるが、倒れた魔術師に比べれば大した脅威ではなかった。
「……これで全員か」
やがて最後の一人が倒れる。周囲に敵がいないことを確認して、俺はマーキス神殿に目をやった。敵部隊をすべて足止めできたわけではないが、取り逃がした者もマーキス神殿の戦力によって撃退されたようだった。
倒れている敵兵が絶命していることを確かめながら、マーキス神殿の正門へ戻る。すると、わっという歓声が聞こえきた。
「騎士殿、お怪我はありませんか?」
「お見事です! 鮮やかなお手並みですな!」
神官や警備兵が口々に声をかけてくる。職業柄か、神官は俺の身体を心配し、警備兵は奮闘ぶりを讃える傾向が強いようだった。
「……そちらも無事のようだな」
今さら話し方を変えるわけにもいかず、低い声でそれだけを答える。ぶっきらぼうな物言いに聞こえるかと心配していたが、非常時ゆえか、彼らが気分を害した様子はなかった。
「騎士殿のおかげで、こちらへ来た兵士は少数でしたからね」
「あの大部隊を一人で殲滅するとは、凄まじい戦闘力ですな!」
彼らに囲まれて賛辞を受けていると、その輪を割って数人の男女が現れた。装備を身に着けていないことから、防衛要員ではないようだが……。
「騎士様、本当にありがとうございました!」
「奴らに見つかった時は、もう駄目かと……!」
どうやら、彼らは大部隊に追われていた住民のようだった。全員が助かったわけではないだろうが、それでも救えた命があったことは嬉しい話だった。
「……気にするな。それより、追われて消耗しているだろう。神殿で休ませてもらうといい」
律儀に礼を言いに来てくれたようだが、敵兵の骸が散乱しているような場所にいるのは辛いだろう。俺がそう返すと、神官たちが彼らを神殿内へ連れていこうとする
すると、彼らのうちの一人が俺のほうを振り返った。
「あ! あの、もしよければお名前を……」
「……大した名ではない。ただの剣士だ」
返答に窮した俺は、そう答えるのが精一杯だった。この魔導鎧を身に着けたことは後悔していないが、鎧の力を自分の一部として喧伝するわけにはいかない。それは俺の罪悪感であり、意地でもあった。
「――騎士殿、改めてありがとうございました」
神殿の内部へ去る彼らを見送っていると、マーキス神官から声をかけられた。見れば、戦闘前に話をしていたリーダー格の神官だ。
「こちらも助かった。俺一人では、彼らを保護しながら戦うことはできん」
「彼らの保護を考えなければ、お一人で充分戦えたでしょう」
「それでは、何のためにこの鎧を身に着け――」
言いかけて口をつぐむ。戦いが一段落したことで気が緩んだのだろうか。だが、神官が訝しむ様子はなかった。
「それだけの強さです。きっと大きな誓いを立てたのでしょうね」
どうやら、鎧のことを騎士道かなにかの比喩だと捉えたらしい。それなら、そのまま誤解しておいてもらおう。
「ところで――」
と、神官の声のトーンが落ちた。その顔には真面目な表情が浮かんでいる。
「騎士殿は、この先どうするご予定ですか?」
「先も言った通り、情報が不足している。可能であれば大本を叩きたいところだが……」
敵がある程度組織立っている以上、指揮官が存在するはずだ。指揮官を失えば、撤退する可能性もある。そう答えると、神官は驚いた声を上げた。
「まさか、お一人で行かれるつもりですか!?」
「待っていては、被害が拡大するだけだ」
「それはそうですが……敵の全貌は今だ分かりません。指揮官を探すことも困難では……」
「せめて、帝都を高所から見下ろしたいところだな。……マーキス神殿の尖塔から様子を掴むことは可能か?」
ふと思いついて、俺は神殿を見上げた。だが、神官は残念そうに首を横に振った。
「帝都の全貌を掴むには厳しいですね……。帝都には高い建物も多数ありますから、その陰はさっぱり分かりませんし」
「……そうか」
それでも、見ないよりはマシだろう。魔導鎧の機能に遠見の魔法もあったはずだしな。そう判断した俺は、尖塔に上る許可をもらおうとして……。
『――可能ですよ、主人』
突如として響いた念話に目を瞬かせた。
「え?」
思わず上げた声に、マーキス神官が不思議そうな顔を浮かべる。だが、今はそれどころではなかった。
『作戦区域を高所から見下ろした俯瞰図が必要なのでしょう?』
『そうだが……ひょっとして、この鎧は飛べるのか?』
『それも可能ですが、それでは主人が撃ち落とされてしまう危険性があります。それに、空中にいては指揮を取ることもできませんからね』
『いや、別に指揮をとるつもりはないが……』
そんな俺の声を無視して、クリフは誇らしげに説明する。
『この機能を有する魔導鎧は、私が知る限り五着しかありません。もし主人が望むのであれば――』
『ぜひ頼む』
クリフの念話に被せるように答える。このままだと話が長そうだからな。
『畏まりました。長らく休眠状態にあったおかげで、魔力充填も充分ですしね。……それでは、まず決戦仕様を起動します。構いませんね?』
『決戦仕様……?』
そんなクリフの言葉に、俺は首を傾げた。