異変 Ⅱ
周囲の様子を窺いながら、ダグラスさんとディスタ神殿を目指す。気配の察知には自信がある俺だが、この場にいるのは敵だけではない。むしろ、逃げ惑う人々や瀕死の重傷を負って倒れ呻いている住民のほうが多いため、上手く敵を避けることは困難を極めていた。
「ジィィッ!」
地を這って襲ってきたムカデのようなモンスターをダグラスさんが斬り捨てる。部隊で行動している奴らと違い、モンスターは本能のままに人を襲っていた。敵部隊に襲い掛かっている個体もいたくらいだから、手っ取り早い増員と混乱を目的として放ったのだろう。
ただし、おかげで部隊単位で動いている敵よりは対応が楽だ。個体の強さには大きなバラつきがあるようだが、今のところダグラスさんが苦戦することはなかった。一緒に戦うつもりで剣を抜いている俺だが、その剣を振るう機会はなく、すべて出会い頭にダグラスさんが撃破していた。
「ダグラスさん、次の角――」
「ああ、そのようだな」
ディスタ神殿まであと少しというところで、俺たちは頷き合った。複数の剣呑な気配と、悲痛に泣き叫ぶ声。建物の陰からそっと様子を窺うと、小さな子供に剣が振り下ろされるところだった。
「あああああっ!」
血を噴き上げて倒れる子供目がけて、母親らしき女性が走り寄る。だが、それは新しい犠牲者を生む結果となった。彼女は子に重なるように倒れ、やがて血の河の一部となる。
「くそおおおおっ!」
さらに一拍遅れて、今度は壮年の男性が部隊に襲い掛かった。だが、手にしているのはどこかで拾ったのであろう鉄製の棒だけ。後衛の放った矢が男性を貫き、彼は近付くことすらできずに倒れる。
それでも懸命に近付こうとしているのは、敵に一矢報いたいのか、それとも倒れた母子の下へ辿り着きたいのか。血を流し、這ってでも進もうとする彼に、さらに矢が突き立つ。やがて、じりじりと前進していた彼の動きがついに止まった。
「っ……!」
怒りで頭が真っ白になる中、辛うじて残っていた僅かな理性が俺を押し留める。相手が一人や二人ならともかく、十人以上からなる部隊だ。俺たちだけで戦うのは厳しいし、仲間を呼ばれてしまえばお終いだ。見れば、ダグラスさんも凄まじい形相でその光景を睨みつけている。
その時、敵部隊が動いた。俺たちに背を向けてとある方向へ去っていく。それを見た俺は、ダグラスさんと顔を見合わせた。
「あの方角は……」
「ディスタ神殿へ行くつもりかもしれませんね」
そして、こっそり奴らの後を尾行する。向こうは俺たちに気付いていないようで、特に振り返ることもなく、まっすぐ進んでいく。そして――。
「やはり、か」
ディスタ神殿の前で散開した敵部隊を見て、ダグラスさんは苦々しげに呟いた。神殿の前には多数の骸が散乱しており、その中には襲撃してきた側の死体と思われるものもあった。
「戦神ディスタよ! 我らの戦いをご照覧あれ!」
一際体格のいいディスタ神官が、自分目がけて突き出された槍を手甲で払いのける。そして、懐に潜り込んだ彼は強烈な打撃を相手の顎へ打ち込んだ。
「っ!」
舌を噛んだのか、口から血を吐いて敵前衛が倒れる。首尾よく一人を倒した神官だが、お返しとばかりに彼目がけて火炎球が飛んだ。
「ぬっ!」
神官は転がるようにその場を離脱する。目標に逃げられた火炎球は、石畳に激突して爆発音を上げた。
神官であれば魔法障壁を展開することもできそうだが、それをしないのは魔力を温存するためだろうか。
「そのような非力な魔法では、某は倒せぬのである! 男なら拳で打ち合うのである!」
朗々とした声が響く。その声を聞いた俺は、思わず声を漏らす。
「……戦い方を見た時から、そんな気はしてたんですよね」
「彼はディスタ神官だからな。何もおかしいことはあるまい」
『戦闘司祭』ベイオル-ド。うちの名物剣闘士の一人だ。救護神官から剣闘士に転身した彼の言い回しは、その巨体以上に記憶に残る。
うちの闘技場でも上位に入る彼であれば、戦闘力は申し分ない。防衛戦力として神殿の外に出ていることにも納得がいった。
「ぬっ!」
巨体の割に機敏な動きで、彼は放たれた矢や魔法をかわしてみせる。だが、他の神官はそうもいかないようで、盾を持っている者は盾を、人によっては魔法障壁を展開して攻撃を凌いでいた。
息を潜めて彼らの攻防を見つめていると、ぽんと肩に手が置かれた。
「ミレウス、登るぞ」
「え?」
訊き返す俺をよそに、ダグラスさんは潜んでいた建物の中へ入った。三階建ての建物の最上階から屋根に上り、眼下の敵部隊を見下ろす。屋根からそっと神殿の攻防を見ていたダグラスさんは小声で口を開いた。
「ディスタ神殿に避難するのであれば、どのみち奴らは排除せねばならんからな。――攻性解放」
ダグラスさんの言葉とともに、再び魔法盾が輝きを放つ。昼日中のため目立たないが、夜であればその輝きで敵に発見されかねない光だ。
「神殿に被害が及ぶと後で困るだろうからな。先刻のように建物を崩すわけにはいかんが、この場は制圧させてもらうとしよう」
言うなり、ダグラスさんは屋根から身を躍らせた。
「制圧する城壁!」
敵部隊の真上に飛び出したダグラスさんは、重力に引かれて下へ落ちる。それに気付いた後衛の一人が矢を放つが、そんなものが今のダグラスさんに通用するはずはなかった。
「なっ――!?」
本来のサイズをはるかに超えて伸長した光の盾は、巨大な光壁となって敵部隊を圧殺する。ダグラスさんが着地した後、まだ動ける敵兵はごくわずかだった。
そのわずかに残った兵士を、ダグラスさんやディスタ神官が討ち取る。それを見ていたのだろう、周囲から歓声が上がった。同時に、どこにいたのかと思うほどの人が神殿前に現れる。ディスタ神殿に避難しようとしたが、戦闘中で近づけなかった人々だろう。
ふとダグラスさんを見ると、屋根の上にいる俺に手招きをしているようだった。頷くと、俺はダグラスさんの近くに飛び降りた。
「おお! 支配人補佐殿もおいででしたか! 無事で何よりですな!」
声をかけてきたのは、近くにいたベイオルードさんのほうが先だった。
「ベイオルードさんも無事でよかったです。大活躍でしたね」
「ぬはは、あの程度の雑兵では修練にもなりませぬな!」
ベイオルードさんは豪快に笑う。そして、俺はダグラスさんへ向き直った。
「お見事でした。さすがダグラスさんですね」
「ベイオルードたちのおかげで不意を打てたからな」
ダグラスさんは謙遜するが、周りのディスタ神官は言葉通りには受け取らなかった。
「何を仰る! さすがは『金城鉄壁』、鮮やかな手並みでしたぞ!」
「そうですとも! 帝都五十傑は伊達ではありませんな!」
彼らの言葉に熱がこもる。戦神ディスタに仕える神官たちは、優れた戦士にとても友好的だ。ダグラスさんもディスタ神官とは相性がいいようで、笑顔で何事かを話している。
と、その神官たちと話していたダグラスさんの視線がこちらを向いた。
「ところで――」
「ええ、もちろんですとも。ミレウス殿はお引き受けしましょう」
そんな会話が聞こえた俺は彼らへ近付く。すると、ダグラスさんが俺を見て口を開いた。
「ミレウス、ディスタ神殿に避難させてもらえるそうだ」
「ありがとうございます」
その言葉を聞いて、俺はダグラスさんの隣にいる神官に頭を下げた。彼は笑顔で首を振る。
「なんの、こちらからお礼を言いたいくらいですぞ。守りの固さに定評のあるダグラス殿が共に戦ってくださるとあれば、神官や避難してきた人々も心強いことでしょう」
「聞いての通りだ。私は彼らと防衛戦線を張る。ミレウスは神殿の中へ避難させてもらうといい」
「それは――」
俺は思わず剣の柄に手を伸ばした。ダグラスさんほどではないが、俺だって戦える。少なくとも避難してきた一般人よりは腕が立つはずだ。
「先程のモンスターのようにはいかぬ。統率の取れた集団は非常に厄介だ」
そんな俺の心を読んだかのように、ダグラスさんは首を横に振った。
「そうですとも。加勢しようとしてくださるお気持ちだけで充分です」
「……」
そう言われて強弁するわけにもいかず、俺は無言で頷いた。集団戦において、足手まといは仲間の命をも危険にさらす。そういうことだろう。
「分かりました。……ご武運を」
そう告げると、俺はディスタ神殿の内部へ歩を進めた。外から見ている分には気付かなかったが、すでにかなりの避難民が集まっている。解放されているエリアはどこも人で溢れており、そのうち座るスペースすらなくなりそうに思えた。
「なあ、いつまで避難してりゃいいんだ……?」
「そりゃ……あいつらが排除されるまでだろう」
「けどよ、逃げてくる途中で騎士団の姿なんて見たか?」
「いや……ここは帝国のお膝元なんだし、そろそろ動いてもいいと思うが……」
そんな会話が聞こえてくる。そう言えば、ユーゼフはどうしているだろうか。皇城に招かれていたのだから、騎士団が慌ただしく走り回る様子を目にしているかもしれない。
そんなことを考えていると、今度は甲高い声が聞こえてくる。
「なんなのよ! 突然変な奴らに襲われて、みんな死んじゃって……もう嫌!」
「うるさいね、あんただけが辛い目に遭ってるんじゃないよ!」
「じゃあどうしろって言うのよ!」
「おい、落ち着け! ここで騒いでも体力を浪費するだけだ!」
あわや騒ぎになりそうなところを、近くの人がなんとか鎮める。だが、避難民たちは誰もがピリピリしており、ちょっとしたことで感情が暴発する危険を孕んでいた。
それから一刻以上は経っただろうか。頻繁に聞こえる爆発音や地響きが、ディスタ神殿が今も襲撃されていることを物語っていた。
当てもなく神殿を彷徨っていた俺は、いつの間にか二階に上っていた。窓と言えなくもない隙間から外を窺い見ると、相変わらず悲鳴と怒号が飛び交っている。そして、帝国の救援が来る気配はなかった。
「遅すぎるだろ……」
思わず呟く。軍事行動が一刻や二刻で完了するはずがないと分かってはいるものの、口に出さずにはいられなかった。それに、距離があるとは言え皇城は同じ帝都内にある。迅速に対応していれば、今頃はもっと大規模に戦端が開かれていてもおかしくない。
城の外の住民は見殺しにしても構わないと、そう考えているのだろうか。このまま援軍が来なければ、いくらディスタ神殿でもいつかは押し切られるだろう。そんな思考が脳裏をよぎる。
そんな時だった。俺の目の前に、三、四歳に見える子供がフラフラと俺の前に現れた。その目には涙が溜まっており、今にも零れ落ちそうだった。
「ねえ、おかあさんはどこ……? おかあさんにあいたい」
「ええと……お母さんはこの神殿の中にいるのかな?」
小さい子供の扱いに慣れていない俺は、言葉を選びながら問いかける。すると、子どもは無言で首を横に振った。一人でこの神殿まで避難できたとは思えないから、誰かに連れて来られたのだろうか。
「ああ、こんなところにいたのね」
そんなことを考えていると、女性の声が聞こえてくる。振り返ると、ディスタ神官の法衣を着た女性が子供に手を伸ばしていた。
「一人だと危ないから、他のみんなと一緒にいましょう?」
「いやだ! おかあさんといっしょにいる!」
「お母さんは別のところに避難しているから、今は会えないの」
手を払われても、彼女は忍耐強く子供に話しかける。おそらく、この子のように小さな子供を集めて、まとめて保護しているのだろう。
「落ち着いたら、一緒にお母さんを探しましょうね」
「いやだ! いま! いまあいたいの!」
ついに子供の瞳から涙が溢れる。その様子を見て、女神官は困ったように頬に手を当てた。やがて、複雑な表情を浮かべながらも彼女は実力行使に出る。子供を抱え上げたのだ。
ほっそりしているように見えるが、さすがは戦神の神官と言うべきか、子供を持ち上げた程度ではびくともしないようだった。
「いーやーだー!」
子供はじたばたと暴れるが、そのままどこかへと連れていかれる。その姿に憐憫の情が湧くが、同時にほっとしたことも事実だ。
幼子の鳴き声は、極限状態の避難民たちを刺激してしまう。八つ当たりで手を上げる大人もいるだろう。そういう意味では、小さな子供を集めていることに理解はできた。
小さくなっていく子供の姿を見送りながら、ふと道中の光景を思い出す。
血を噴き上げて倒れる子供。子に覆い被さるようにして息絶えた母親。近付くことすらできずに絶命した父親。彼らの最期が、何度も俺の頭に再生される。
親父なら、あの悲劇を防ぐことができたのだろうか。一瞬で間合いを詰め、敵兵を斬り捨てがてら子供を救い出す。そして、その後ろに控えていた敵部隊を全滅させる。それができていれば、あの家族は救えたかもしれない。
そんな思いが頭をよぎり、怒りと無力感が全身を苛む。どうして俺はこんなに弱いのか。英雄級とは言わない。せめて上級剣闘士と同じくらいの強さがあれば……。
――一般人でも練達の騎士と同等かそれ以上、才覚ある騎士であれば英雄級の戦闘力をお約束します。
ふと魔導鎧の声が脳裏に甦る。もちろん、その存在を忘れていたわけではない。だが、あの魔導鎧は家に置いている。迂闊に取りに行くのは危険だった。
それに、あの魔導鎧を着用すると、剣闘士になれなかった自分を嫌でも強く意識してしまう。それが原因で、最近はあまり着用していないのも事実だった。
……だが。
目を閉じると、周囲の怒号や悲鳴が途切れることなく聞こえてくる。その一つ一つが、一方的な殺戮の現場なのだろう。
俺は閉じていた目を見開くと、外の光景を睨みつけた。立ち昇る煙を、大通りに積み重なる遺体を、目に焼き付ける。
今、求められているのは剣闘士ではない。高い戦闘力を持った存在であればそれでいい。
「……」
静かに覚悟を決めると、ディスタ神殿を後にするべく階段を上る。出入りが可能な場所はどこも厳重な警戒態勢が敷かれているため、一階に出て行く隙間はない。
だが、逆なら。俺は神殿の最上階にたどり着くと、大きな窓を探した。そこから高さを調節して順に飛び降りていけば、誰にも気付かれずに神殿から出て行くことができるだろう。
やがて、手ごろな窓を見つけ出した俺は、身を乗り出して外の様子を確認する。一時的なものだろうが、今はディスタ神殿を襲っている輩はいないようだ。今が好機と、俺は窓枠に足をかけた。
「待ちなさい! あなた、何をしているの!?」
その瞬間、俺に背中に声がかけられた。見れば、ディスタ神官の法服を着た女性が慌てて駆け寄ってくるところだった。
「……あ、さっきの」
どこかで見た顔だと思ったら、先ほどはぐれていた子供を連れていった女性神官だ。呆気に取られているうちに、彼女は俺の腕を掴む。
「まだ悲観しちゃ駄目よ。きっと助けが来るから、それまで皆で耐えましょう。……大丈夫、ディスタ神官は強いから」
どうやら、飛び降り自殺を図ったのだと勘違いされているようだった。彼女の腕からは、決して離すまいという強い意思が感じられた。
「いえ、そうではなくてですね……」
どう説明したものかと頭を悩ませる。だが、非常事態ということもあって、あまり上手い言い訳が出てこない。悩んだ挙句、俺は真実を告げることにした。
「戦力に心当たりがあります」
そう伝えると、彼女はきょとんとした表情を浮かべた。
「……つまり、応援を呼びに行こうとしていたの?」
「そんなところです」
俺は澄ました顔で頷く。魔導鎧という応援を呼びに行こうとしていたのだから、嘘は言っていない。だが、神官は首を横に振った。
「無茶よ! どこに助けを求めに行くにしても、無事で済むわけがないわ! ……その気持ちだけで充分だから、考え直して」
彼女が言うことは正しい。この神殿から魔導鎧を置いている家までの距離はそう遠くない。だが、帝都中を敵部隊やモンスターが徘徊している現状では、自殺行為としか言えなかった。
「……それでも、です」
静かに頷く。可能性はゼロではない。俺の察知能力や身体能力を駆使すれば、そこまで分の悪い賭けではないはずだ。そして何より、このまま神殿の奥で守られていると、俺の中の何かが失われてしまう気がした。
俺をこの神殿まで連れてきてくれたダグラスさんには申し訳ないが、ここだけは譲れない。それはおそらく、俺の剣士としての矜持だ。
「……分かりました」
突然、俺の腕を掴む力が緩む。驚きとともに女神官を見れば、彼女は薄く微笑みを浮かべていた。
「あなたが自暴自棄になったわけではないことも、その決意が固いことも分かりました。戦士の心を尊重しないディスタ神官はいません」
だから一つだけ、と彼女は胸元で手を組んだ。
「――祝福。あなたの行く手に幸あらんことを」
それは神聖魔法だったのだろうか。特に何かが変わった気はしないし、純粋に彼女の祈りだったのかもしれない。
だが、なんにせよ、俺がやることは一つだ。
「ありがとうございます。……それでは」
彼女に対して丁寧に頭を下げると、窓から外へ出る。豪華な造りの神殿は足掛かりも多く、降りていく分には不自由することもなかった。
やがて外へ降り立つと、周囲を確認する。今のところ近くに気配はない。少なくとも、ここまでは順調に行ったようだ。
「……行くか」
一人呟くと、俺はディスタ神殿を後にした。