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旧友

 嘆きの森で魔導鎧マジックメイルを手に入れてから一年が過ぎた。俺の貧乏性のせいで、実際に魔導鎧マジックメイルを起動した回数は片手で足りる。

 しかも、それはほとんどがユーゼフとの手合わせであり、それ以外は辻斬り的に魔物討伐をしたくらいだ。


 そのため、俺が高スペックの魔導鎧マジックメイルを所持していることを知っているのは、相変わらずユーゼフだけだった。


 そのユーゼフは、今では剣闘士ランキング十三位だ。非常に高い勝率を誇っていたユーゼフだが、さすがにランキング十位前後ともなると一味違うようで、今までのように破竹の快進撃というわけにはいかなくなっていた。


 とは言え、俺の見立てでは、ユーゼフはランキング十位以内に入るだけの実力はすでに備えている。第二十八闘技場という小さな闘技場が擁する剣闘士に看板剣闘士を倒されたくないのか、ユーゼフとの組み合わせ(カード)を避ける闘技場が複数あることも事実であり、それがランキングの停滞に拍車をかけていた。


 そして第二十八闘技場だが、現在の闘技場ランキングは二十位だ。ユーゼフのおかげで一時は十八位にまで上がっていたが、躍進著しい他の闘技場に追い抜かれたのだ。


 規模を考えれば、うちが二十位につけていることは快挙と言えるだろうが、同時に限界が見えつつあることも事実だった。たとえユーゼフがランキング十位以内に入ったとしても、そこまでの躍進は望めないだろう。

 それは広さや収容人数、試合回数などを重視するランキングの集計方法の問題であり、俺たちが手を出せない領域だった。


 そんな中で、どうやってこの闘技場を押し上げるか。それはここ数年悩み続けている課題だった。


「――ミレウス。三十日後の試合なんだが、貴賓席を一つ空けといてくれ。空いてるよな?」


 そんなことを考えていた俺は、親父の声で我に返った。


「ああ、大丈夫だ。貴族でも来るのか? それとも商人?」


 予約状況を確認して頷く。貴賓席は、その名の通り身分の高い人間が使うものだ。だが、思い切って贅沢をしたい一般市民や、密談をしたい商人などが利用することも多く、その用途は様々だった。


「いや、そうじゃねえ。……仲間ダチが来るらしくてよ」


「へえ、珍しいな」


親父はこの街の出身であり、一時冒険者として帝都を離れていたものの、基本的な交友関係はこの街で完結している。街の外の知り合いは数えるほどのはずだった。


「ああ。……冒険者時代の仲間だからな」


 そう答える親父は、少しだけ言い辛そうだった。その理由に心当たりがある俺は、だからこそ間髪を入れず口を開く。


「親父、意外と好かれてたんだな。わざわざ訪ねてくるなんて」


「何度も死線をくぐり抜けた仲だ。近くを通った時に顔を出すくらいはするだろ」


「ふーん……それで、人数は一人?」


「いや、三人だ。弓使い、魔術師、神官だな」


 その言葉には、俺にしか分からない意味が込められていた。親父の元・冒険者仲間は、戦士二人、魔法戦士、弓使い、魔術師、それに神官の六人パーティーだったという。

 魔法戦士はパーティー解散前の戦いで命を落としたが、残りの五人は生き残った。そして、その戦士の一人が親父であり、もう一人が俺の実の父親であるセイン・ノアであるはずだ。


 つまり、今回この街を訪れる仲間ダチに父親は含まれていない。わざわざ職業クラスを口にしたのは、そのことを遠回しに伝えようとしたのだろう。親父にしては珍しい気遣いだ。


「了解」


 俺は淡々と答える。父が含まれていなくて残念だという思いはない。今さら実の父と会っても仕方がないし、場合によっては面倒な話になることさえあり得る。


 そんなことより、他に考えなければならないことはいくらでもあった。例えばこんなことだ。


「そうそう、第十九闘技場がユーゼフを引き抜こうとしてるみたいだ。うちの倍の報酬を出すんだってさ」


「なに? ……そうか、ついに来たか」


 それは、今朝ユーゼフから聞いたばかりの最新情報だ。怒り出す可能性も考えていた俺だったが、親父の反応は好意的なものだった。


「親父、嬉しそうだな」


「有望な剣闘士に移籍話はつきものだからな。むしろ、今までその手の話がなかったことが不思議だぜ」


「『闘神インカーネーション』の弟子を掻っ攫おうなんて度胸のある支配人はそういないだろ」


 俺は苦笑を浮かべる。親父は自覚が足りないようだが、『闘神インカーネーション』の名声は今だ健在だ。今でもランキング一位の『大破壊ザ・デストロイ』と互角以上に戦えるのではないかと言われており、親父の剣闘士復帰を望む声も多い。


 そういう意味では、ユーゼフに移籍を打診した闘技場こそ肝が据わっていると言うべきかもしれない。


「十九闘技場……リシェール商会の傀儡になったところか」


「まあ、勢いはあるからね。実際、第二十八闘技場うちを抜いていったわけだし」


「それに金もな。さすがはランキング九位だ」


親父は肩をすくめた。経営が傾いていた第十九闘技場を実質的に買収したリシェール商会は、商会ならではの視点で独自の闘技場運営を行っている。

 試合展開や勝敗がどうにも出来過ぎていることや、見目麗しい剣闘士を多く擁していることなどから、八百長を疑われることも多く、古くからのファンほど十九闘技場に否定的な向きがあった。


 ただ、それでも若年層や女性層を中心に人気を博しており、その結果は闘技場ランキング九位という事実に表れていた。


「それにしても、うちの報酬の二倍しか出さねえとはケチ臭い野郎だ。ユーゼフの実力からすりゃ、五倍は出してもらいたいところだな」


「それはつまり、第二十八闘技場うちが実力に見合った報酬を出してないことになるんけど……」


「無え袖は振れねえからな……」


 苦い声が支配人室に響く。俺と親父は同時に肩をすくめると、大きな溜息をつくのだった。




 ◆◆◆




【『闘神インカーネーション』イグナート・クロイク】




「よう、久しぶりだな!」


 闘技場の貴賓席に入ったイグナートは、陽気な声で仲間に声をかけた。元々朗らかな性格のイグナートだが、その相手がかつて共に苦難を乗り超えた仲間となれば、嫌でも声は明るくなる。


「ええ。二十年ぶりでしょうか」


「相変わらず賑やかな奴だな。少しは落ち着いたかと思っていたが……」


「落ち着いたイグナートなんて、イグナートじゃないわ」


 丁寧な口調を崩さない神官フェルナンド。皮肉屋の魔術師ソリューズ。そして、人をからかうことが大好きな弓使いのローゼ。

 出会った当時は十代から二十代だった彼らも、今では四十歳を超えている。外見も相応のものに変わっているものの、それでも見間違えるはずはなかった。


「そういうお前らだって昔のままじゃねえか」


 イグナートは笑いながら席に着くと、持参したボトルをドンと置いた。そして、グラスを片手に近況報告を交わす。


 フェルナンドが新しい神殿を任されたこと。ソリューズが災厄を撒き散らす魔導師と勘違いされて討伐隊が組まれたこと。ローゼが弓術の指南役として公国に招かれていたこと。二十年という月日は、交換する情報の密度を嫌でも高めていた。


「それにしても、フェルナンドは神殿長なんだろ? 悠長に出歩いていていいのか?」


「これも仕事のうちです。この街の大地ティエリア神殿に用事があったのですよ。それで、どうせなら行きがけの国に住んでいる仲間(皆さん)のお顔を拝見しようと思いまして。

 ……ローゼが一緒に来ると言い出したのは予想外でしたが」


「いいじゃない。丁度暇だったんだもの」


「旦那と子供はよかったのか?」


 イグナートの記憶が正しければ、彼女には娘が二人いたはずだ。


「いいのよ。子供はもう独立しているし、夫は放任主義だから」


「まあ、ローゼと上手くやっていけるくらいだから、そういうことに理解はあるのだろう」


「どういう意味よ」


 ソリューズの言葉に、ローゼは頬を膨らませる。


「そんで、ソリューズはどうしたんだ? お前が研究塔から出て来るなんて珍しいな」


「……ローゼに無理やり連れ出されただけだ」


「何言ってるのよ。軽く誘ったらあっさり付いてきたくせに。研究が煮詰まっていたんでしょう? そういう時は気分転換が必要よ」


「む……」


 そんなやり取りを見て、イグナートは再度笑い声を上げた。二十年前から変わらないやり取りだ。見れば、フェルナンドも穏やかに笑っている。


 と、そのフェルナンドと目が合うと、彼は少しトーンを落とした声で話しかけてきた。


「ところで、この街に住むイグナートに訊きたいのですが……」


「ん? なんだ?」


「実は、最近神託が下されることが多いんです。この街を訪れたのも、突き詰めればそれが理由でして」


「そんなにしょっちゅう神託があるのか? お前も大変だな」


 フェルナンドは大地神ティエリアの神官であり、優秀な神聖魔法の使い手でもある。そして、そういった人間には神託が下されることも多い。


 一緒に冒険者パーティーを組んでいた時も、彼の神託が困難を乗り越えるきっかけになることはあった。……もちろん、面倒ごとに巻き込まれることもあったのだが。


「私が、というよりも、神託を受ける素質がある神官の多くが似たような神託を受けているのですよ。特に地神と天神の神官に多いようですが」


「ということは、その神託がらみでここに来たのか?」


「そうなりますね。……ただ、先ほども言ったとおり、場所も時間も曖昧なのです。神託を受けた時期によって、内容も異なっているようですし」


「なんだそりゃ。神託ってそこまであやふやなもんだっけか」


 イグナートは首を傾げる。冒険者時代の神託も決して分かりやすくはなかったが、内容が変わったりはしなかったはずだ。


「神託が告げようとしている事象は未来のもので、その未来自体がまだ不確定なのではないか、というのが私の説です。ただ、気になることもありまして……」


「気になること?」


「多くの神託に共通しているのは、多人数の人間同士が戦っているイメージです」


「つまり、どっかで戦争が起きるってことか?」


 イグナートが尋ねると、フェルナンドは困ったように首を横に振った。


「そこなのですが、神々が人間同士の戦争に介入することはありません。人間の愚行に手を貸すつもりはないのでしょう。だからこそ不思議なのです。イグナート、私が貴方に訊きたかったことですが……」


 フェルナンドの表情に憂いが浮かぶ。嫌な予感を覚えて、イグナートは無意識のうちに身構えた。


「この街に、戦争の気配はありませんか?」


「っ?」


 その言葉にイグナートは目を見開いた。それは、つまり――。


「戦争の舞台はこの街だってのか!?」


 思わず出た大声に、他の仲間がイグナートへ視線を向ける。その視線で彼は我に返った。


「……悪い。さすがに驚いてな」


「いえ……こんな縁起の悪い話をしてすみません。この街が有力だというだけで、この街に当てはまらない光景も多くあるようですからね」


 その言葉にほっと息を吐く。帝都はイグナートの育った街であり、分身とも言える闘技場だってある。戦禍に見舞われるなどとは考えたくなかった。


「別に、戦争の準備をしてるようには見えねえな。物の値段はいつも通りだし、兵士の募集を大々的にかけてるわけでもねえ。見慣れねえ奴らが増えたってこともない」


 イグナートは最近の街の様子を思い出す。願望を排除して考えても、帝都に戦争の気配はなかった。そして、戦いの気配に敏感だという自負はある。


「そうですか。それを聞いてほっとしました」


 フェルナンドは穏やかに微笑む。だが、それは聖職者としての微笑みであるように思えた。心配性な彼は不安を拭いきることができないのだろう。


「――それにしても、イグナートが本当に闘技場を作るとはな」


 話が一段落したと見たのか、ソリューズが声をかけてくる。試合はまだ始まっていないが、彼は試合の間(リング)に視線を向けていた。


「本当にね。冒険者時代から言っていたけど、まさか本気だったなんて」


「おいおい、俺は有言実行の男だぞ。せっかく稼いだ金だ、豪快に使わなきゃ勿体ねえ。それに、研究塔を建てたソリューズだって大概だろ」


「俺は研究さえしていればいいからな。お前のように運営で苦労しようとは思わん」


「実を言えば、イグナートに運営ができるのかと心配していましたけどね。でも、もう十年以上闘技場(ここ)を運営しているのでしょう? 立派な支配人ですねぇ」


「へへ、まあな!」


 旧友に褒められたことでイグナートの頬が緩む。そんなイグナートにソリューズが何かを言おうとしたようだが、それより早く貴賓席の扉がノックされた。


「――失礼します。支配人、少しよろしいでしょうか」


 それはミレウスの声だった。何かあったのか、と首を傾げながら扉を開く。


「どうした?」


「アルド男爵が突然来て、貴賓席を希望してる」


 フェルナンドたちに気を遣ったのだろう。ミレウスは小声で報告すると、メモを渡してくる。ローゼはかなり耳がいいため内容も筒抜けだろうが、特に気にすることもない。


「ん? 別にいいじゃねえか。ここの隣は空いてるだろ?」


「ああ、そのつもりで準備をさせてる。……ただ、支配人は不在だと説明した手前、親父と男爵が鉢合わせると面倒だから、気を付けておいてくれ」


「おお、そういうことか。了解だ」


 今日のイグナートは、用事があって休みということになっている。だからこそミレウスも代わりに応対したのだろうが、貴族からすれば関係ない。その当人(イグナート)と闘技場内で鉢合わせれば、支配人がいながら挨拶もしなかったと機嫌を損ねる可能性はあった。


「――ご歓談中に失礼しました」


 話を終えると、ミレウスは仲間たちに一礼して去っていく。扉を閉めて席へ戻ると、ローゼが興味深そうに詰め寄ってきた。


「ねえねえ、あの子親父って言ってなかった? イグナートの子供って娘じゃなかったの?」


「娘もいるが、ミレウスも俺の息子だ」


 やっぱり聞こえていたか、と思いながら言葉を返す。すると、ローゼは考え込むように口元に手を当てた後、わざとらしい笑みを見せた。


「ふうん、そうなんだ。奥さん一筋だと思ってたのに、意外だわー」


「おい、どうしてそうなる」


「イグナートに娘ができたことは知ってたけど、息子が生まれたなんて聞いた記憶がないもの。最近はともかく、十五年前くらい前までは色々情報収集してたんだから。……ということは、結論は一つよ」


「んなわけあるか。あいつはセインの息子だ」


「……え? どうしてセインの名前が出てくるの?」


 ここにいないパーティー仲間の名前に、ローゼが驚きを露わにする。それは他の二人も同じだったようで、問いかけるような視線がイグナートに集まった。


「十五年くらい前のことだが、突然あいつが訪ねてきてよ。三歳の息子ミレウスを俺に預けていった。なんだか切羽詰まってる様子だったな」


「それは尋常な事態じゃありませんね。彼ほど優秀な戦士なら、大抵の事態には対処できるでしょうに」


「組織のような多人数を敵に回しているのであれば、子供がネックになることはあり得るぞ」


 フェルナンドの言葉にソリューズが指摘を入れる。


「それで、セインはなんて言ってたの?」


「あいつの事情か? 後で説明するって言ったきりだな」


「それ以降、連絡はなかったんですか?」


「ねえな。正直、生きてるかどうかも分からん」


「セインは子供と二人で来たのか? 子供がいるということは、妻ないしそれに近い存在がいそうなものだが」


「いや、ミレウスを連れてきたのはあいつ一人だ」


 パーティー解散後のセインと出会ったと聞いて、仲間たちが矢継ぎ早に問いかける。それだけセインのことが気になるのだろう。彼らのパーティーにリーダーというものは存在しなかったが、様々なことに首を突っ込むセインが彼らを引っ張っていた感はある。

 だが、ローゼが情報収集を試みても、彼の情報だけはさっぱり集まらなかったという。


「なるほど……イグナートも意外と苦労していたようだな。突然幼子を預けられるとは」


 質問攻めが一段落した頃合いで、ソリューズがボソリと呟く。その言葉にイグナートは肩をすくめた。


「意外と、は余計だ。……けどよ、ミレウスのことを苦にしたことはないぜ。むしろ助けられてるくらいだ」


「ほう? そんなことを言うとは、イグナートも殊勝になったものだな」


「この闘技場が黒字なのはあいつのおかげだからな。信じられるか? まだ十歳にもならないミレウスが運営に口出しするようになってから、赤字が出なくなったんだぜ」


 イグナートは、闘技場の運営に関するミレウスの功績をひとしきり説明する。自分でも驚くほどに長々と話してしまったが、仲間たちから苦情がでることはなかった。


「ふうん……安心したわ」


 やがて口を開いたローゼは、滅多に見せない柔らかい笑みを浮かべた。


「おう。ミレウスがいれば、闘技場を赤字で潰すようなことにはならねえぞ」


「そっちじゃないわよ」


 イグナートの返事に対して、ローゼは笑みを浮かべたまま首を横に振った。


「ミレウス君の話をしている時のイグナート、完全に親馬鹿の顔をしていたわ。本当に家族だと思ってるのね」


「あ?」


 思いがけない言葉を受けて、イグナートは素っ頓狂な声を上げた。そしてニヤリと笑う。


「そりゃそうだろ。血は繋がってねえが、あいつは俺の息子だからな」


 その言葉にはなんの気負いもない。イグナートにとって、ヴィンフリーデを娘と呼ぶことと、ミレウスを息子と呼ぶことに差異はなかった。

 妻のエレナだってそうだ。接点であるイグナートがなんらかの事情でいなくなったとしても、今まで通りにミレウスに接することだろう。それは確信だった。


 そうしてどれほど話をしただろうか。一際大きな歓声が貴賓席を貫いた。


「おや、何事でしょうか」


「まだ試合は始まってないぞ」


 首を傾げる二人の声に、イグナートは笑みを浮かべる。


「おう、聞いて驚け! 俺の弟子で、剣闘士ランキング十三位のユーゼフの登場だ!」


 試合の間(リング)で手を上げて歓声に応えるユーゼフを見ながら、イグナートは胸を張って紹介した。


「あ、酒場で聞いた名前ね。ランキング十位以内は確実だって言われてるんでしょ? あの子のファンだって人が大勢いたわ」


「おう! あいつの実力なら当然だな」


 ローゼの言葉に笑みを深めて、イグナートは瓶の中身を煽った。弟子が賞賛されて嬉しくないはずはない。


「それにしても、女の声援が多いな。これまでの試合もそうだったか?」


「いや、ユーゼフの試合だけだな」



「あんなに顔が良くて、剣闘士ランキング十三位だものね。女の子に人気が出るのは当然じゃない? 態度も爽やかだし」


「女性関係で問題を抱えなければいいのですが……いえ、余計なお世話でしたね」


「まあ、あいつはモテるからな。しょっちゅう相手の女が変わってるようだが……それは俺が口を出すようなことじゃねえ」


 フェルナンドの指摘を認めて苦笑を浮かべる。とは言え、これまで痴情のもつれで事件が起きたことはなく、ユーゼフはそちらの技能にも長けているようだった。


「その言葉、あなたの愛娘が相手だったとしても同じことを言えるかしら?」


 ローゼはからかうように口を開いた。娘が二人いる彼女らしい言葉だ。


「へっ、そんなことはあり得ねえ」


 イグナートは即答した後で、少し考えこんだ。万が一にもそんなことがあれば、自分はどうするだろうか。


「まずはぶん殴るだろうが……後はユーゼフの心根次第だな。一発で済むか済まないかだ」


「お前が本気で殴れば、大抵の人間は一発で死ぬぞ」


「あの全力モードは凶悪ですからねぇ……」


 ソリューズの言葉にフェルナンドが同意する。言いたいことは分かるが、イグナートは不敵に笑った。


「ユーゼフを舐めんなよ。そんじょそこらの人間と一緒にするなって」


「お前は弟子を誇りたいのか虐めたいのかどっちだ」


 ソリューズの声に笑い声が上がる。そんな中、ユーゼフは相手の剣闘士を相手に有利に試合を進めていた。


「イグナートが自慢するだけのことはあるわね。いい腕をしてるじゃない」


「そうですね。戦い方にも華がありますし、人気が出るのも分かります」


「まあな!」


 仲間たちの賞賛に、イグナートは上機嫌で答える。そして、試合をしばらく観戦していると、ふとローゼが口を開いた。


「そう言えば、イグナートは剣闘士に復帰しないの?」


「あ?」


「この街で情報を集めてたら、たまに『闘神インカーネーション』の話をする人がいるのよね。彼が復帰したらランキング表が塗り替わるだろう、って。イグナートのことでしょ?」


「そうだが……」


 イグナートはポリポリと頭をかいた後で、脇腹に手をやる。かつてのパーティーメンバーは、それだけで察したようだった。


「まだ……治ってないのね」


「そもそも、生き残ったことが奇跡だからな。変質していたとは言え、古竜エンシェントドラゴンが死に際にかけた呪いだ。イグナートの非常識な頑丈さがなければ死んでいた」


「……まあ、それも呪いの大半を引き寄せたエルメスのおかげだけどな」


「イグナートやセインとは違った意味で、彼女は無茶をする人でしたからねぇ……」


 故人となった仲間に話が及び、その思い出話に花を咲かせる。そんな中、フェルナンドは一人真剣な表情で立ち上がると、イグナートの前に立った。


「どうした?」


 問いかけると、フェルナンドは真面目な顔で口を開いた。


「もう一度……構いませんか?」


「そりゃ構わねえが……気にすんなよ? お前が悪いなんて思ってないからな」


「神官の端くれとしては、そうも行きませんよ。解呪は私たちの役目ですから」


 答えると、フェルナンドは精神を集中する。それはかつて幾度となく見た光景だ。


「神官の端くれって……神聖魔法で言えば、全ティエリア神官の中でもトップクラスの使い手だろうに」


「フェルナンドはもう少し調子に乗ってもいいのにねぇ」


 ソリューズとローゼが軽口を叩く。イグナートも会話に混ざろうとしたところで、フェルナンドの魔法が完成した。


神の恩寵ディバイン・フェイバー


 眩い、それでいて柔らかい光が貴賓席に広がった。やがて、その輝きはイグナートの脇腹へ吸い込まれていく。


「初めて見る魔法ね。解呪魔法かしら」


「解呪専用ではないな。とは言え、ほとんど使える者がいない高度な神聖魔法だ」


「へえ……神官でもないのによく知ってたわね」


「俺を誰だと思っている。一時期、研究のために神聖魔法を調べたことがある」


 そんな会話を耳にしながら、イグナートは脇腹に意識をやる。心地よい光輝に包まれていることは分かるが、あの日刻み込まれた違和感が消えることはなかった。


「駄目でしたか……」


 イグナートの様子で察したのだろう。フェルナンドは肩を落とした。イグナートは無念そうな仲間の肩をポンと叩いた。


「だから、気にすんなって! 生きてるだけで儲けもんだし、戦うことだってできる。今のままでも、剣闘士ランキング二位までは倒せるだろうしな」


 イグナートは不敵に笑う。だが、それを傲慢と受け取る者はいなかった。


「ほう? 一位は無理か。お前にしては殊勝な言葉だな」


「ああ。一位は俺と同じような技を使うからな。本気アレなら勝てるだろうが、失うものが大きい」


 答えると、イグナートは意識的に雰囲気を変えた。


「ま、そんなわけでな! 全力で戦わないのは相手に失礼ってもんだし、剣闘士には戻らないことにしてる」


 その言葉に嘘はない。試合の間(リング)に未練がないわけではないが、イグナートなりのけじめだった。だから、自分が試合の間(リング)に立たないことに迷いはない。だが……。


 イグナートは、先刻までミレウスが立っていた扉を見つめた。


「だから、俺のことは別にいい。……だが、ミレウスがな」


「? ミレウス君がどうかしたの?」


 突然ミレウスの名前が出て来たことで、ローゼが首を傾げた。見れば他の二人も不思議そうな顔をしている。


「実はよ……あいつも剣闘士を目指してたんだ。勘も良くて、小せえ頃はあのユーゼフと互角に戦ってた」


 試合の間(リング)で戦うユーゼフを見ながら、イグナートは昔のことを思い出す。


「だが、成長するにつれて、ミレウスとユーゼフには決定的な差が生まれていった。それが筋力の問題だ」


「筋力、ですか?」


「ミレウスは、どうにも筋肉がつきにくい体質のようでな。一般人に比べりゃ逞しい部類に入るが、剣闘士の頂点で戦うには明らかに筋力不足だ」


「なるほどな……それで支配人の補佐をしているのか」


 ソリューズは納得したように呟いた。その言葉にイグナートは苦い表情を浮かべる。


「あいつは無理をしてる。剣闘士になれなかった自分自身に失望していて、せめて闘技場の運営で役立たないと、自分に価値はないと思ってる。そんな筈ねえのによ」


「……それ、ちゃんとミレウス君に言ってあげたの?」


「何度も言ったぜ。俺だけじゃなくて、エレナやヴィンフリーデからもな。けど、変なところで強情でよ」


 ローゼの問いかけに答えると、イグナートはゆっくり息を吐き出した。


「それでも、ミレウスはずっと鍛錬を続けてる。ほぼ絶たれた目標のために、今も自分を鍛え続けてるんだ。それがどれだけ凄くて辛えことか……」


 イグナートの表情が歪む。机に目を落とすと、先刻ミレウスに渡されたメモが視界に入った。そこに記された几帳面な文字は、間違いなく息子のものだ。


 その文字を眺めていたイグナートは、やがて真剣な顔で仲間たちに向き直った。


「だからよ、お前らに頼みがあるんだ。あいつが筋力を得られる方法があるなら、俺はなんだってしてやりたい。

 もし、お前らに心当りがあれば……いや、今はなくても、何かそういった噂でも耳に入ったら教えてほしい。……この通りだ」


 そして頭を下げる。すると、三人の驚いた声が聞こえてきた。


「ちょっと、イグナート!?」


「……お前らしくない真摯な態度だな」


「少し驚きましたが……それだけ大切に思っているのでしょう」


 仲間の予想通りの反応に、イグナートは頭を上げてニヤリと笑う。


「こうしときゃ嫌でも忘れねえだろ? よろしく頼むぜ!」


 突如としていつもの雰囲気に戻ったイグナートに、仲間たちの表情が緩んだ。


「……早くも普段のイグナートに戻ったか」


「珍しいものが見られたけれど、調子が狂っちゃうものね」


「間違いない」


「へっ、珍しいモンを見たお代はきっちり貰うからな。……つーわけで、ソリューズは後でミレウスに魔法の素養があるか見るように」


 ローゼとソリューズが軽口を叩けば、イグナートもそれに合わせる。それは昔と変わらないやり取りだった。


「あら怖い。さすがは支配人様、貸し借りに厳しいわね」


「おう、ビシバシ取り立てに行くからな。後でミレウスを紹介するから、首洗って待ってろよ」


「何を取り立てるのか、よく分からなくなってきましたね……」


 フェルナンドの言葉に四人で笑い声を上げる。それは心地よい笑いであり、イグナートの何かを満たしていく。


 やがて、剣闘試合が終わり、日が傾く。それでも、彼らの話は尽きることがなかった。


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イグナートさん、聖人すぎません???
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