極光の騎士 Ⅲ
「『極光の騎士』、今回も見事な強さでした!」
「まさか、あの『剣嵐』と遠距離戦で張り合うとは……!」
試合を終え、ディスタ闘技場を出ようとすると、『極光の騎士』が出て来るのを待っていたと思しき観客たちが俺を取り囲んでいた。
警備担当によって通路は確保されているため、それで前に進めなくなるようなことはないが、彼らをあっさり無視するのも気が引ける。
結果として、俺は意図してゆっくりと歩みを進めることにした。ただし、支配人としての俺を知る人間が近くにいる可能性もある。声はあまり出さないほうがいいだろう。
ゆっくり頷く、小さく手を動かす等の動作を軸にして、俺は周りの観客たちに応えた。『極光の騎士』のイメージもあるため、一人一人に細かく手を振り返すようなことはしない。
俺はゆったりとした動作で、だが着実に出口へ向かう。来た時と同様に姿隠しの魔法を使って離脱してもいいのだが、それでは『極光の騎士』の存在にリアリティがなくなってしまう恐れがあった。
ただでさえ露出のない全身鎧なのだ。これで行きも帰りも姿を見せず、ただ試合の間にだけ登場するとなれば、血の通った存在ではなく、概念や動く鎧のように思われかねないと、そう心配していたのだ。
「次の試合も必ず観に行きます!」
「次はぜひ『大破壊』と対戦を!」
そんな声に応えながらディスタ闘技場を後にする。と言っても、そのまま歩いて戻るわけではない。第二十八闘技場の支配人として手配した馬車がすぐ近くに待機しているのだ。
御者に合図を送ると、彼は俺の近くまで馬車を動かした。そして、その馬車に乗り込もうと足を踏み出した瞬間、俺の背中にかけられた声があった。
「ま、待たれよ『極光の騎士』殿!」
俺は無言で振り向く。特に見覚えのない顔だが、その服装からすると貴族の従者だろう。となれば、話の流れを想像することは難しくない。
「私はとある大貴族の使いです。実は、我が主が『極光の騎士』殿とお話ししたいと仰っているのです」
「……悪いが遠慮する」
剣客として雇用したい。剣闘士である『極光の騎士』のパトロンになりたい。荒事を引き受けてもらいたい。
大抵の場合、貴族の目的はこのどれかだ。たまに本当に話をしたいだけ、という人物もいるが、そういった貴族はまず支配人を通じて接触してくることが多い。
そして、理由がどれにせよ、俺にその申し出を受けるつもりはなかった。正体がバレる可能性もあるし、『極光の騎士』に変なしがらみを持たせたくはない。
「――おいアンタ、相手は『極光の騎士』だぜ? 図々しいんじゃないか?」
そこへ闘技場の常連らしき男性が割って入る。俺がいつもこの手の要請を断っていることを知っているのだろう。
「だ、だが、我が主の命だぞ!?」
「アンタにとっちゃそうだろうが、『極光の騎士』の主ってわけじゃない」
「剣闘士風情が主の意向に逆らうなんて――」
「剣闘士風情だぁ? てめえ!」
一気に場の空気が悪くなる。なんと言っても、この場にいる人間のほとんどは闘技場の観客か関係者だ。剣闘士を馬鹿にされて不快にならないわけがない。
「剣闘士には犯罪者や奴隷もいる。立場を弁えるべきだろう!」
だが、従者も引く様子はない。なおも言い募ろうとする従者に向き直ると、俺はぽん、と肩を叩いた。強化魔法が発動している俺はともかく、彼にはズシリとした鎧の重みが伝わったことだろう。
「……俺は剣でしか語れぬ」
「ひっ……」
言外の含みを理解したのか、従者は小さく悲鳴を上げた。もちろんこの場で剣を抜くつもりはないが、剣闘士ランキング一位が言うと立派な脅しになる。
「言葉で語らうのは苦手でな」
特に貴族は、言葉が武器のようなものだからな。口数が少なくなってしまう『極光の騎士』では相性が悪すぎる。だが、従者はそうは受け取らなかったようだ。
「……それでは、失礼する」
青ざめた従者を尻目に、俺はさっと馬車に乗り込んだ。
◆◆◆
ディスタ闘技場から第二十八闘技場までの距離は、そう離れているわけではない。少なくとも、市井の人間であれば馬車を使おうとは思わないだろう。
まして、それが帝都ランキング一位の剣闘士ともなれば、その程度の距離を歩けないはずはない。
だが、帝都ランキング一位の剣闘士を歩いて帰らせるという判断は、たとえ本人が許しても周りが許さない。剣闘士ランキング一位の称号は、良くも悪くも重みがある。
しかも、今回はディスタ闘技場での試合帰りということもあり、ディスタの支配人の面子のためにも馬車は必要だった。
「お疲れさまでした、『極光の騎士』。……色々大変ですね」
そんな事情で手配した馬車の御者は、馬車が動き出すとすぐこちらを振り返った。色々大変、というのは先刻の貴族の従者とのやり取りだろうか。
「……どうと言うことはない」
俺は言葉少なに答える。不愛想に思える態度だが、御者は気にしていないようだった。それどころか、興味津々といった様子だ。
「やっぱり、召し抱えたいとか、そっち方面の話でしょうかね?」
「可能性はある」
「それにしても、あの従者の態度は鼻につきましたね。それだけに、ビビってた時の奴の顔はスカッとしましたぜ」
あまり話題を発展させないようにしているつもりだが、御者は次から次へと話しかけてくる。滅多に姿を見せない有名人を乗せているとなれば、やはり口数が増えるのだろうか。
一応、『極光の騎士』に不必要に話しかけないように、と手配時に念押ししていたのだが、あまり効果はなかったようだった。
「ったく、貴族の従者のくせに分かっちゃいねえ。二年前、この街を本当に守ったのが誰か分かってりゃ、あんな態度はとれないだろうに……」
「彼らは彼らで戦っていたのだろう」
「城を守るためにね! 街のほうにろくな戦力が派遣されてこなかったのは事実ですぜ」
御者の男は憤慨したように肩をすくめた。
「俺たちは知ってる。旦那は剣闘士の頂点に立つ凄いお人だが、そんなことがなくても俺たちにとっては英雄さ」
「……俺だけの力ではない」
できるだけ感情を乗せないようにして、俺はそれだけを答えた。
「もちろん分かってるとも。二年前に命を張ってくれた奴らのおかげで、俺たちはこうして生きてるんだ。その感謝の気持ちを忘れたことはねえ」
けどね、と御者は笑う。
「だからこそ、生き残った旦那には感謝の気持ちが集まるのさ」
馬車の振動に揺られながら、俺は御者の言葉を無言で聞いていた。それからしばらく経ち、御者が馬車を止める。
「着きましたよ、旦那」
「……ああ」
そこは街外れの森の中だった。もちろん、こんな所に用はない。だが、『極光の騎士』の状態でノコノコと第二十八闘技場へ帰還していては、正体がバレるのも時間の問題だ。
そのため、俺は人気のない森を下車する場所として指定しているのだった。
もっとも、当初は『極光の騎士』の正体を探ろうとする尾行がつくこともあったが、最近は平和なものだ。
一度そういった手合いを捕まえて脅しをかけたことが効果を発揮したようで、今も尾行者の気配は感じられなかった。
「旦那……本当にここでいいんですかい?」
御者は不安そうに口を開く。それもそのはず、この場所は街の近くにあるにもかかわらず、ほとんどの人間が立ち入ろうとしない森だからだ。そして、その理由は森の名称に示されている。
――嘆きの森。そう呼ばれているこの森では、その名の通り人の声らしきものが無数に聞こえるのだ。しかも、耳を塞いでも明瞭に聞こえてくるから始末が悪い。
さらに、それらは明らかに負の感情に彩られており、気が弱い人間が迷い込むと、恐怖のあまり寝込んでしまうくらいだった。
だが、それさえ気にならなければ、普通の森とそう変わらない。植生が妙だったり、珍しい魔物がいたりもするが、危険度自体はそう高くない。
そんなこともあって、俺は『極光の騎士』の送迎にこの森を愛用していた。
「――世話になったな。気を付けて戻ってくれ」
「ああ。心配するまでもねえだろうが、旦那も気を付けてな」
御者は頷くと、馬を操って去っていく。その後ろ姿を見送ると、俺は姿隠しの魔法を使って、今しがた出てきた帝都へ歩き始めた。
◆◆◆
「着いたか。……さて」
第二十八闘技場へ帰ってきた俺は、静かに裏門を飛び越えた。関係者専用の出入口であるため、辺りに人の気配はない。
そのことを確認すると、魔導鎧が置いてあった地下室へと向かった。
やがて隠し扉を開き、魔導鎧を外そうとすると、クリフの声が頭に響く。
『――主人、待機モードに移行しますか?』
「ああ、それで構わない」
『了解しました。待機モードに移行します』
その言葉と同時に魔導鎧の機能が停止し、俺に対する強化魔法の効果も消え去る。突然、鎧が重くなったように感じられて、俺の姿勢が少し崩れた。
俺は身体のバランスを取り戻すと、ゆっくり兜を取り外す。すると、脳裏に淡々としたクリフの声が響いた。
それは毎回聞くお馴染みの言葉であり――そして、無情な宣告でもあった。
『――警告。魔導鎧の起動可能回数は、残り八回です』
◆◆◆
「あと八回、か……」
鎧を元通りに隠し、支配人室に戻ってきた俺は、物思いに耽っていた。
俺が『極光の騎士』であることを隠している理由。その最も大きなものが、別れ際にクリフが宣告した『残り回数』だ。
『極光の騎士』は、戦闘力の大半をあの魔導鎧に依存している。筋力強化はもちろんのこと、用途は限定的ながら各種魔法も使用できるうえに、本職の魔術師のように意識を集中する必要もない。起動時に強く念じるだけですむ。
俺は使っていないが、動体視力や行動予測についても支援・強化が可能であり、たとえ一般人であっても、あの鎧を着用するだけでかなりの戦闘力を得ることができるだろう。
闘技場において、魔法の武具の使用は禁じられていない。ユーゼフの魔剣やダグラス副支配人の魔法盾は有名だし、剣闘士の上位ランカーは何かしら魔法の武具を持っているものだ。
だが、この魔導鎧の能力は明らかに破格と言っていいレベルだし、何よりこの『残り回数』が枷となる。
もし俺が『ミレウス』として、この魔導鎧を使用して剣闘試合に出場していた場合、この残り回数がゼロになった瞬間に、俺は剣闘士ランキングの上位から姿を消すだろう。
強化魔法の助けがなければ、俺はこの重い魔導鎧を着用して戦うことすらできないのだから。
圧倒的な強さを誇っていた戦士が、一瞬で凡百の戦士の中に埋もれてしまう。そうなれば観客は掌を返すだろうし、ランキング一位の実力はなんらかのインチキだったと、そう判断されるのは時間の問題だ。
クリフに残り回数を増やす方法を何度も尋ねているのだが、どれだけ聞いても彼の反応はなかった。
そんなことを考えていると、支配人室の扉が開かれる。
「ミレウス、やっぱり沈んでいるね」
「……ユーゼフか」
うちの看板剣闘士にして、唯一『極光の騎士』の事情を知っているユーゼフは、気遣わしげな表情を浮かべた。
「きっと、暗い顔をしているだろうと思ってね。……これで、残り回数は八回だったっけ?」
「……ああ」
「三か月に一回だから、あと二十四か月……二年か」
ユーゼフが計算しているのは、いつまで『極光の騎士』が活動を続けられるか、ということだ。
剣闘士ランキング抹消のギリギリを突いて、三か月に一度しか試合をしない今のペースなら、あと二年。それが『極光の騎士』として存在できるリミットだ。
「それまでにもう一度対戦して、『極光の騎士』を倒したいものだね。……ああ、一応言っておくけど、最後の試合でわざと勝ちを譲るのはなしだよ」
「当たり前だ。『親父』にどつき倒されるからな」
「あはは、間違いないね。そして勝ちを譲られた僕も同じ目に遭いそうだ」
「お前の場合、ヴィーの件があるからな。もっと痛い目を見るかもしれない」
「違いないね。覚悟の上だけど、『親父』は容赦しないだろう」
そんなやり取りを交わして、俺たちは同時に笑い声を上げた。事態は解決していないものの、少しだけ心が軽くなる。
『極光の騎士』がいなくなった後をどうするか。『極光の騎士』を剣闘士として登場させた時から、ずっと考えてきた課題だ。
うちの闘技場が規模の割に有名なのは、『極光の騎士』とユーゼフの知名度によるところが大きい。
そのため『極光の騎士』が剣闘士ランキングから姿を消せば、第二十八闘技場も闘技場ランキングから姿を消す可能性が高い。
数カ月前から魔術師を剣闘試合に組み込んだのも、鎧起動の残り回数が一桁目前となり、なんとか手を打とうとした結果だった。
「あと二年で、この闘技場がどこまで躍進できるか、だね」
やがて、ユーゼフはぽつりと呟く。
「ああ。……だが、思い切った手を打たない限り、二年では足りない」
「魔術師を組み込んだ試合は、かなり思い切った手だと思うよ?」
「たしかに、見込んでいた効果はあった。常連の一部に愛想をつかされた面はあるが、それ以上に集客面で数字は上がっている」
だが、と俺は首を振った。
「まだ足りない。このままでも二つか三つは昇格できるかもしれないが、そこまでだ。とても上位に食い込めるほどじゃない」
「今の闘技場ランクが十四位だから、よくて十一位か。……まあ、『親父』が文句を言うとは思えないけど」
「文句は言わないかもしれないが、弟子としてあまりに不甲斐ないだろう。……それに、約束したからな」
「……うん、そうだね」
しばらくの沈黙の後、俺たちは静かに頷き合った。