魔導鎧 Ⅱ
「魔導鎧……?」
鎧に宿る人工精霊だというクリフの言葉に、俺は唖然としていた。もしその言葉が本当なら、この全身鎧は魔導鎧だということになる。
たしかに魔導鎧であれば、凄まじい年月を経ているにもかかわらず、まったく錆びていないことにも納得がいった。
魔法の武具は強力だが、その分非常に高価でもある。剣闘士でも上位の一握りしか持っていないだろう。身近なところでは、ダグラスさんの魔法盾くらいなものだ。
つまり、この魔導鎧を売れば、第二十八闘技場の資本に非常に大きな余裕ができるということだ。
『……ミレウス様、ひょっとしてこの鎧を売ろうとお考えではありませんか?』
「っ!?」
そんなことを考えていると、クリフが鋭い質問を投げてくる。心の声でも読んだのだろうか。
『すでにお気付きでしょうが、私は念話でミレウス様と意思疎通を行っています。指向性がなくとも、強い思念であれば私に伝わります』
「えーと……いや、そういうわけでは……」
俺は口籠もった。クリフからすれば、自分を売り飛ばす計画を立てられているようなものだ。気分を害して当然だろう。
『まさか、私を売り払おうと考える方が存在するとは……』
「経済的な事情があって、まずそこを考えてしまうんだ。……悪い」
クリフは気分を害したというより、驚愕している様子だった。どうやらこの鎧に大きな自信を持っているらしい。やがて、彼は気を取り直したように念話を飛ばしてくる。
『なるほど、そういった事情が存在することは理解できます。……ですが、本当によろしいのですか? この鎧を装備すると、ミレウス様の戦闘能力が飛躍的に引き上げられます。
ミレウス様の技量にもよりますが、そこらのモンスターなど歯牙にもかけない強さが得られるでしょう』
「戦闘能力……」
自分の能力に限界を感じている身には、その言葉はとても魅力的だった。俺はユーゼフをちらりと見る。彼は相変わらず、不思議そうにこちらを見ていた。
『一般人でも練達の騎士と同等かそれ以上、才覚ある騎士であれば英雄級の戦闘力をお約束します』
ここが押しどころと見たのか、クリフの声が力強く伝わってきた。だが……。
「それは難しいはずだ。この鎧は重い。鍛えているつもりだが、この全身鎧を扱えるほどの筋力が身につくことはないだろう」
自嘲気味に呟く。どれだけこの鎧が防御力に優れていたとしても、重みでろくに動けないのであれば意味はない。
兜の隙間から見れば、俺の独り言を見守っていたユーゼフが複雑な顔をしている。俺の言葉が聞こえたからだろう。この数年、ユーゼフから筋力の話を振ってきたことはない。
そんな暗い想念を打ち消したのは、クリフのあっけらかんとした言葉だった。
『当然です。この鎧は重いですからね。ですから、この鎧は強化魔法の使用を前提としています』
「強化魔法? ……俺は魔法なんて使えないぞ」
『大丈夫です。術式も魔力もこの鎧に蓄えられていますからね。特に問題はありません』
その言葉に目を丸くする。それはつまり、俺でも魔法を使えるということだろうか。強化魔法で筋力を補うという案はすでに出ていたため、何度か魔術師に教えを受けたが、魔法を使うことは結局できなかったのだ。
「問題ないって……そういうものなのか?」
『魔導鎧ですからね。当然です』
「そう、なのか……」
自分に強化魔法を使用して戦う。それは、現状の俺にとって最も理想的な戦闘スタイルだ。一度は諦めていた夢を掴めるかもしれない。そんな思いが急速に大きくなっていく。
『ただし、一つ言っておかなければならないことがあります』
「ん? なんだ?」
軽い調子で答える。その時には、どんな条件でも受け入れようという気になっていたからだ。だが、続くクリフの言葉はそんな気持ちを萎ませるものだった。
『ミレウス様との主人契約は正式なものではありません。ですので、起動回数に制限があります』
「なんだって……」
俺は言葉を失った。回数制限があるということは、闘技場で使い続けることはできない。
「それで、何回くらいなんだ?」
それでも千回、二千回といった単位であれば大丈夫だろう。そんな淡い希望とともに問いかける。
『五十回です』
「五十回……」
呆然とクリフの言葉を繰り返す。一度は近付いた夢が再び遠ざかっていく。もう慣れた感覚だが、平気なわけではない。
「……」
しばらく放心していた俺は、なんとなく目の前の巨樹を見上げた。何を望むべきか。俺はどうしたいのか。物言わぬ樹に何度も問いかける。
その問いかけを何度も繰り返しているうちに、少しずつ心が決まっていく。
「……分かった。契約しよう」
それは、自分の心に素直になった結果だった。魔法の武具を売り払ったことによる利益は大きいが、今も闘技場の経営はそれなりに黒字だ。それよりも、今より強くなれるかもしれないという力への渇望のほうが大きかった。
『了解しました。ミレウス様、まず鎧をすべて身に着けていただけますか?』
「ああ、分かった」
俺は頷くと、散らばっている鎧を身に着けていく。それを見たユーゼフが、興味津々といった様子で近寄ってきた。
「ミレウス、この鎧をすべて着込むつもりかい?」
「ああ、契約のために必要らしい」
「契約?」
「この魔導鎧の主人になるための契約だってさ」
怪しげな雰囲気を感じ取ったのか、ユーゼフの瞳に警戒の色が浮かぶ。だが、しばらく俺の顔をじっと見ると、ふっと緊張を緩めた。
「鎧に支配されているわけじゃなさそうだね」
「なんせ、売り払って闘技場の経営の足しにするのと、どっちがいいか悩んでいたくらいだからな」
「あはは、それを言えるあたりは間違いなくミレウスだね」
ユーゼフは笑うと、魔導鎧の装備を手伝ってくれる。すべてのパーツを身に着けると、身体にかなりの重みがかかっていた。
「こうやって見ると立派なものだね。デザインもいいし、立派な騎士に見えるよ」
「その代わり、重くてまともに立ち回れそうにないけどな」
そんな話をしていると、頭にクリフの声が響いた。
『すべて身に着けていただいたようですね。それでは契約を締結します』
クリフの言葉と同時に、魔導鎧がうっすらと輝く。青い光が宙を漂い、文字のようなものを形成する様子を、俺は呆気にとられて眺めていた。
『――契約が完了しました』
やがて、クリフは落ち着いた声で宣言した。その言葉を受けて俺は体を動かす。だが、鎧を着込んだ身体は相変わらず重く、強化魔法は発動していないようだった。
『本来、魔法の発動は主人の意思により行われますが、今回は私が行います』
俺の思考を読んだかのように、クリフが念話を伝えてくる。その瞬間、ふっと身体が軽くなったことを感じた。
「これが強化魔法か……」
感嘆の声がもれる。さっきまで大きな負荷となっていた鎧が、まるで革鎧のような軽さだ。しばらく身体を動かしたり、軽く跳んだりしてみたが、全身鎧を着込んでいるとはまったく思えない。
魔導鎧とセットらしき剣を手に取ると、これもまた簡単に持ち上がる。身体能力が格段に向上したことによる違和感は存在するが、慣れることは可能だろう。
「……つまり、その魔導鎧には強化魔法を使用する機能があるということかい?」
俺の様子をじっと見ていたユーゼフが口を開く。
「よく分かったな」
そう答えたものの、辛そうに全身鎧を着込んでいた人間が、突然身軽に飛んだり跳ねたりした挙句に、『これが強化魔法か』と呟いたのだ。気付いて当然か。
「ということは――」
言うなり、ユーゼフは腰に提げていた剣を抜いた。この森の魔物を無数に斬り捨てた銀色の剣身が、木漏れ日を受けて鈍く輝く。
「……そうだな」
ユーゼフを知らない人間であれば、警戒心を呼び起こされるところだろう。魔導鎧の価値を知って奪い取りたくなった。そう考えて当然だ。
だが、ユーゼフと長い付き合いである俺は、その可能性を一笑に付して思考から追い出す。
「やるか」
そして、剣を構える。フルフェイスの兜にもかかわらず、視界があまり制限されていないのは、なんらかの魔法効果によるものだろうか。その視界にはユーゼフの楽しそうな顔が映っている。
刹那の逡巡の後、俺は強化された脚力でユーゼフとの距離を詰めた。普段の俺はユーゼフの出方を窺い、なんとかカウンターを狙うことが多い。そのせいか、ユーゼフの表情にかすかに驚きの色が浮かんだ。
剣の間合いに入るなり、大上段から斬り下ろす。強化された筋力を確かめるつもりなのか、ユーゼフは正面から剣を激突させた。
キィン、という澄んだ音が森に響く。驚いたことに、押し負けたのはユーゼフだった。もちろん、それで剣を落としたり体勢を崩したりするユーゼフではないが、今の一合は明らかに俺が勝っていた。
「へぇ……凄いね」
ユーゼフは素直に感心していた。そして、俺相手としては数年振りとなる、好戦的な笑みを浮かべた。
だらりと下げられていた彼の剣が跳ね上がり、斜め上への軌道を描く。俺がその剣を弾くと、今度は横薙ぎの一撃を繰り出した。
その一撃に剣を合わせると、俺はお返しとばかりに剣を振るった。それをバックステップで回避したユーゼフに追い打ちをかけて、さらに突きを繰り出す。
身体を捻って俺の突きをかわすと、ユーゼフは一歩踏み込んだ。突き技を放って伸びきった俺の胴を狙うつもりなのだろう。それを予測した俺は、急遽剣を引き戻す。ユーゼフの剣撃を剣の根元で受け止めると、剣から片手を離し、密着していたユーゼフに掌打を放つ。
「っ!」
ドン、という衝撃とともにユーゼフがバランスを崩す。普段の俺なら、掌打を放ってもバランスを崩すのは俺のほうだ。だが、強化魔法は確実に効果を発揮していた。
バランスを崩したユーゼフに追い打ちをかけて、様々な角度から剣を振るう。これまでは、イメージできても実行できなかった剣筋の数々だ。自分のイメージと今の自分を重ね合わせるように、何度も剣を振り続ける。いつしか、強化魔法の違和感はなくなっていた。
そして――。
「……敗けたよ」
胸元に剣を突き付けられたユーゼフは、手を上げてそう宣言した。その顔は悔しそうだったが、同時に嬉しそうでもあった。
「敗けた割に嬉しそうだな」
「当たり前さ。ミレウスが再び好敵手になったんだからね。それを喜ばないわけないだろう?」
そして、笑みを深める。
「強化魔法への慣れかな? 時間が経つにつれて手強くなっていったからね。……けど、敗けっぱなしのつもりはないよ。次は僕が勝つ」
ユーゼフは爽やかに言い切った。だが、そんな彼を前にするうち、罪悪感が胸にこみ上げてくる。
「だが……これは俺の力じゃないからな。この魔導鎧が優れているだけの話だ。もしユーゼフがこの鎧を使えば、もっと――」
『主人、それは不可能です。主人と契約済であることもありますが、そちらの方には資格がありません』
「資格?」
突然の念話に驚きながらも言葉を返す。
『ええ。そちらの方は……なんと言いますか、素質がありません』
「それは魔法の素質ということか? それなら、俺だって魔法を使えないぞ」
『そういう意味ではありませんが……生来の性質です、としか』
クリフの言葉は少し歯切れが悪かった。とは言え、クリフは古代魔法文明時代の存在だ。俺たちに分かるように説明することは難しいのかもしれない。
『とまあ、それはそうとして……主人、見事な戦いでした』
「え? ……ああ、ありがとう」
突然の賛辞に俺は目を瞬かせた。
『正直に申し上げますと、これほどの技量をお持ちとは思っていませんでした。……突然、お連れの方と戦い始めた時には驚きましたが』
その言葉には苦笑するしかなかった。俺とユーゼフの間では当たり前のことだが、やはり外部から見るとおかしな行動に見えるらしい。
『ですが、どうして魔法を使用しなかったのですか?』
「え? ちゃんと使ってたじゃないか。クリフが強化魔法を使ってくれたんだろう?」
『いえ、あれは魔導鎧を使用する大前提のようなものですので……』
その言葉にきょとんとした俺だったが、やがて一つの可能性に思い至る。
「つまり……さっきの強化魔法以外にも魔法を使えるということか?」
その問いかけにクリフが溜息をついた……気がした。
『強化魔法しか使えないような中級の魔導鎧だと思われていたとは……』
そして、今度はショックを受けているようだった。意外と忙しいやつだな。かと思うと、突然クリフは何かをし始める。
『――光球』
「おお!?」
『――氷槍』
「うわ!?」
『――灼熱の剣』
「ええっ!?」
光の玉が浮かび、氷の槍が地面に突き刺さり、手にしていた剣が炎に包まれる。突然のことに動揺したものの、それらの仕掛け人がクリフであることは間違いない。
「……」
炎を纏った剣を氷の槍に近付けると、熱気で氷が溶けはじめる。結構な質量の氷槍だったが、炎の威力は凄まじく、みるみるうちに槍としての形を失っていった。
「ミレウス、まさかそれも……?」
「どうやら、この鎧の機能らしいな……」
ユーゼフの問いかけにこくりと頷く。あの強化魔法だけでも千金の価値があるのに、他の魔法まで使用できるとは……。クリフが言っていた『一般人でも練達の騎士に』というのはこういう意味だったのか。たしかに、これは凄まじい価値を誇る魔導鎧と言える。
「なんだか、一人で竜を倒せそうだね。その機能も使いこなすとなれば、あの『大破壊』だって倒せるんじゃないかな?」
「『大破壊』は魔法への耐性も凄まじいみたいだからな。『双剣』の魔法も牽制や目くらましが精一杯のようだし」
「まあ、あくまで彼は魔法剣士だからね。けど、この魔導鎧はそれ以上に思えるよ。ところで……」
ユーゼフは顔を寄せると、興味深そうに兜の中を覗き込もうとしていた。
「ずっと気になっていたんだけど、さっきから誰と話していたんだい?」
「ああ、クリフのことか。この鎧の人工精霊らしい」
「人工精霊? 聞いたことがないけど……まあ、僕らの専門じゃないしね」
ユーゼフも俺と同じことを考えたのだろう。その存在について深く考えるつもりはないようだった。
「それじゃ、その精霊と話していたんだね。最初はミレウスが何かに取り憑かれたのかと心配したよ」
「ある意味では間違っていないな」
『取り憑くとは心外ですね……』
クリフのぼやきが聞こえた気もしたが、そこは無視しておこう。それよりも、続くユーゼフの言葉が問題だった。
「なんにせよ、今のミレウスならすぐ剣闘士デビューできるよ。親父、驚くだろうね」
「……それはできない」
胸中に広がる苦い思いを飲み干して、俺はこの鎧に回数制限があることを説明した。すると、ユーゼフは珍しく渋面を浮かべる。
「まさか、そんな制限があるとはね……」
「それに、この魔導鎧はそこらの魔法の武具とは比べ物にならないほど高性能のようだからな……」
剣闘士が魔法の武具を持つことは禁止されていない。それも剣闘士の実力のうち、と見なされるからだ。だが、あまりにも魔剣や魔法盾の特殊能力に頼った戦いをしていると、やはりいい顔はされないし、不思議とそういった剣闘士は姿を消していく。
「そうか……残念だね……。この話、親父には?」
「あまり言いたくないな。親父は魔道具に頼るのは好きじゃないし」
自分自身を茶化すように、俺は大仰に首を横に振った。
「頼ることにはいい顔をしないだろうけど、利用することには何も言わないと思うよ?」
「この魔導鎧のスペックの高さを考えると、どうしても頼る形になってしまうと思う」
「うーん……高性能すぎるのも考えものだね」
「まったくだ」
俺は溜息とともに兜を外した。爽やかな深緑の空気を吸い込むと、大きく伸びをする。
『主人、テスト起動を終了しますか?』
すると、すかさずクリフが念話を飛ばしてきた。その事実に俺は首を傾げる。
「あれ? 兜を脱いでも会話ができるのか?」
『契約を交わしましたからね。近くにいれば、鎧を身に着けていなくても意思疎通は可能です』
本当に破格の性能だな。俺がテスト起動を終える旨を伝えると、クリフは了承の意を返してくる。そして、胴体部分のパーツを外したとき、ふいに念話が伝わってきた。
『主人、一つ確認なのですが……胸のあたりに特殊な魔力を感じます。何かお心当たりはありますか?』
「胸のあたり?」
突然の質問に首を傾げる。そして手で胸元を押さえたとき、ようやくその存在に気付いた。
「ひょっとして、これか?」
自分の首にかかっていたペンダントの鎖を引き上げる。やがて革鎧の下から出てきたのは、あのイヤリングだ。
『……』
それからしばらくの間、クリフは沈黙していた。だが、何かざわついた雰囲気だけが伝わってくる。
『……ありがとうございました。ちなみに、これはどこで?』
「さあ……貰い物だからな」
『それは、血族の方から贈られたものですか?』
「いや、育ての親からだ」
『そうですか……』
クリフの念話から残念そうな雰囲気が伝わってくる。何を期待していたのだろうか。
「これがどうかしたのか?」
『……いえ、不思議な魔力を感知しましたので、気になっただけです』
なんだか気になるが、クリフはそれっきり話しかけてこなかった。それならそれでいいか、と俺は魔導鎧を脱ぎ終える。
使いどころはまだ思い浮かばないが、途轍もない性能の魔導鎧を手に入れたことに違いはない。剣闘試合に使えないことは本当に残念だが、それでも心が浮き立っているのは事実だった。
本来の目的である薬草も採取したし、今日は充実した一日だったと言える。後は、この魔導鎧を家のどこに隠しておくかだが、ヴィンフリーデたちがいなくなったため、空間には余裕がある。こっそり置いておくことは可能だろう。
と、そんなことを考えていた俺は、ふと我に返った。しまったな、こんなことならテスト起動の延長を頼めばよかった。目の前の魔導鎧を見ながら、俺は密かに反省した。
「ミレウス、どうしたんだい?」
そんな俺に気付いたのだろう。首を傾げるユーゼフの声に、俺は苦笑を返した。
「……これ、どうやって持って帰ろうか」