古竜 Ⅲ
【『極光の騎士』ミレウス・ノア】
古竜が首を大きくもたげる。それは吐息の予備動作であり、絶望的な破壊を意味していた。
「ぬぉぉぉぉっ!」
だが、『大破壊』は臆することなく古竜の懐に潜り込むと、驚異的な跳躍力でその頭部へ迫った。そして、一際赤く輝いた破砕柱を下から振り上げる。
鈍い破壊音とともに、生み出された衝撃が俺の身体を揺らす。信じられないことに、その一撃は古竜を強力に打ち据え、そしてのけ反らせていた。必然的に吐息を吐き出そうとしていた顎も空を向く。
わずかに遅れて、凶悪な熱量を孕んだ吐息は空へ向かって射出された。天をも焦がすかのような破壊の閃光は、結界に激突してすさまじい光量を生み出す。
『……主人、あれは本当に人種族ですか? 人に擬態した魔獣にしか思えませんが』
呆れた口調でクリフの念話が飛んでくる。たった一撃で、『大破壊』が古竜という伝説の存在をのけ反らせたことが信じられないのだろう。
『俺も信じられないが、人のはずだ』
『まあ、人間種は個体差が大きいですからね……』
そんな会話をしながらも、俺は古竜に向かって走っていた。吐息は強力な攻撃手段だが、隙も大きい。暴発するため途中で終わらせることもできないし、その間は吐息に意識が集中してしまう。親父からそう聞いたことがあった。
「……先を越されたな」
そして、同じく『大破壊』も好機と見たのだろう、彼はのけ反った古竜の首を駆け上がる。その思い切った動きを見て、俺は『大破壊』の狙いを理解した。
「逆鱗狙いか」
竜種の多くには、顎と喉の境目あたりに逆鱗が存在し、そこが急所だとされる。『大破壊』が狙っているのはそこだろう。だが――。
「いくらなんでも無防備すぎないか……?」
たとえ吐息に意識がいっているとしても、自分の急所に近付く存在を放っておくものだろうか。嫌な予感を覚えた俺は魔法を起動させる。
「落下速度減衰起動」
ちょうど、『大破壊』は古竜の逆鱗へ向けて破砕柱を振るったところだった。赤い闘気に包まれた凶器が喉元へ吸い込まれる。
「ぬっ!?」
『大破壊』から驚いた声が聞こえてくる。それもそのはず、逆鱗を狙ったにもかかわらず、古竜に大きな変化はなかったのだ。もちろんダメージは受けているようだが、期待していたような劇的な効果はなかった。
そして、それを待ち構えていたかのように、自らの喉目がけて古竜の前脚が振るわれる。
「――っ!」
魔法の支援を受けて跳び上がった俺は、古竜の攻撃よりも先に『大破壊』を捕まえると、即座にその場から離脱した。直後、俺たちがいた空間を、巨大な質量を持った前脚が抉っていく。
『おおおおっっ!? 『極光の騎士』が『大破壊』の窮地を救ったぁぁぁぁっ!
吐息に臆さず攻撃を仕掛けた『大破壊』も、古竜の動きを見越して『大破壊』をフォローした『極光の騎士』も、さすがとしか言いようがないっ! これこそが英雄の共闘だぁぁぁっ!』
「……救われるとはな」
「お前が死ぬと、標的が俺一人になって面倒だ」
言いながら地面に着地する。そして、俺たちは同時にその場を飛び退いた。古竜の太い尾が振るわれたのだ。
眼下を強靭な尾が通過する様を確認すると、俺は剣に新たな魔法剣を宿した。竜鱗の防御力を貫けるだけの攻撃力を得る代償として効果時間を短くしているため、何度も魔法をかけ直す必要があったのだ。
今度は雷を宿した剣を握りしめて、俺は前脚を斬りつける。初めは浅い傷しかつかなかったものだが、何度も同じ場所を攻撃し続けたため、今ではそれなりに深い傷になっていた。
「けど、このままじゃ日が暮れるな……」
巨大な敵を相手にする場合は、足下から切り崩し、急所に手が届くようになったところでとどめを刺すのが俺の戦い方だ。
だが、全長二十メテルという尋常ではないサイズと、古竜の理不尽なまでの防御力が合わさった結果、その戦い方ではいつまで経ってもゴールは見えそうにない。
そして、長期戦になれば体力も魔力も古竜とは比較にならない俺たちが叶うはずはなかった。
『主人、このままでは――』
『こっちの体力が先に尽きる、だろ?』
クリフに言葉を返しながら、古竜の顎と前脚による連撃をかわす。お返しとばかりに剣を突き立てると、突き刺さった箇所を中心として、竜鱗がドロドロと溶けていく。
「グォォォォッ!」
振るわれた尾を回避しながら、俺はその様子を観察していた。そして小さく溜息をつく。
『腐食の枝でもこの程度か……』
『性質の悪さでは随一の魔法剣なのですがねぇ』
俺の言葉にクリフが同調する。腐食の枝は、突き刺した場所を中心として対象を腐食させ、ついには溶かしてしまう魔法剣だ。
人を相手に使うには凶悪すぎるため、使用を自粛していたものであり、その特殊な破壊力には期待していたのだが、やはり全長二十メテルの巨体からすると僅少な部分にしか効果がないようだった。
「せめて、直接頭部を狙えればいいんだが……」
強力な魔法剣を立て続けに使用しているが、特に大きな効力を発揮したものはない。もちろん傷は与えているのだが、古竜の生命力を削っているかと言えば、非常に疑問だった。
「む……。また飛んだか」
『大破壊』の声が聞こえる。その言葉通り、古竜は翼をはためかせて上空へ舞い上がっていた。
連続で強力な攻撃を当てていると、頻繁に空へ逃げるのだ。上部にも結界が展開されているため、すぐに光の壁に弾かれてしまうが、それでも地上よりはマシという判断だろう。
こうなってしまっては、有効な遠距離攻撃を持たない俺たちはお手上げだ。ただ、古竜の巨体からすると結界の有効範囲はとても狭いようで、すぐ結界に激突することに嫌気がさすのか、地上に降りてくる頻度は高かった。
今も、高度を上げようとした古竜の翼が再び結界に弾かれ、接触光が迸る。バランスを崩した古竜は高度を落としたが、それでも上空二十メテルほどの距離で高さを維持していた。
『クリフ、あの結界をもっと狭めることはできないか?』
『高さを限界まで下げるということですね? ……可能ですが、一度結界を解除する必要があります』
『厳しいな……』
すでに何度も上空へ舞い上がろうとしている古竜だ。もし結界を再展開している間に飛び上がってしまえば、もはや遮るものはない。
そうなれば街へ被害が及ぶだろうし、興行だとごまかした第二十八闘技場としてもまずいことになる。
『それにしても……不思議ですね』
『何がだ?』
上空の古竜を見上げながら、クリフの声に答える。
『個体差はありますが、古竜にはそれなりに知性があるはずです。吐息で結界を破って逃げ出そうとは思わないのでしょうか』
『俺たちが術者だと思っているのかもしれない。まあ、無駄に吐息を吐いてくれるなら、それはそれで歓迎だけどな』
竜の吐息は強力だが、連続では放てないという特徴がある。それは竜種に共通するものであり、古竜も例外ではないようだった。
実際、先程吐息を空撃ちさせてからというもの、吐息を放とうとする気配はない。
『クリフ、結界はあとどれくらい維持できそうだ?』
『ほぼ最大出力で展開していますから、そう長くは無理でしょうね。……ですが、魔導鎧の魔力が尽きるより早いということはないはずです』
『嬉しいような悲しいような……』
念話を飛ばしながら、急降下してきた古竜の爪を避ける。
「ガァァァァッ!」
まるで古竜のものかと思わせる咆哮とともに、『大破壊』が相手の後脚に破砕柱を振るう。古竜の意識が俺に向いていたこともあり、その一撃は完全に決まったようだった。再び、ぐらりと巨体が揺らぐ。
「次元斬」
そうして生まれた隙をついて、俺もまた攻撃を加える。それは、空間ごと対象を分断する特殊な魔法剣だった。
「おおおおぉっ!」
腕にかかる独特の負荷に耐えて、剣を振り抜く。青白く輝く軌跡は古竜の前脚を深く斬り裂き、今までとは比較にならないおびただしい血液が噴き出す。
「効いた……!」
その手応えに、俺は思わず声を上げた。次元斬を使わなくても大抵のものは斬ることができるため、あまり使用していなかった魔法だが、ここに来てその真価を発揮した形だ。
『竜鱗は魔法耐性も尋常ではありませんからね。今までの攻撃で鱗を失った部位だからこそ、ここまで効いたのでしょう』
目を向ければ、深い傷を負わせた部位は腐食の枝をはじめとした攻撃で竜鱗を失っていた箇所だった。
特に狙っていたわけではないが、同じ場所を攻撃する癖が役に立った形だ。
『うおおおおっ! 『極光の騎士』の魔法剣が竜の前脚を深々と斬り裂いたぁぁぁっ! 』
目立った動きがなかった分を取り戻すように、実況者が声を張り上げる。その声を聞き流しながら、俺はクリフと作戦を練っていた。
『つまり、腐食の枝で鱗を削って、次元斬を叩き込めばいいわけだな』
『そうですね。ただ、腐食の枝は剣への負担が大きいですから、過度の連続使用はお勧めできません』
『確実に鱗を消滅させられるという意味では、あれが一番有望なんだがなぁ……』
『剣まで溶けてなくなりますよ』
『それは困るが……そうならないギリギリの範囲で使っていく』
希望が見えてきたことで、俺たちの念話にも明るい雰囲気が漂う。俺は腐食の枝と次元斬の組み合わせを用いることで、着実に古竜にダメージを蓄積させていった。
その時だった。再び古竜が空を舞う。だが、その様子は今までと違っていた。
「なんだ……? まさか、あそこから吐息を吐くつもりか?」
そう考えたのは、古竜の喉元に再び膨大な魔力が集まり始めたからだ。
結界に弾かれてバランスを崩しながらも、古竜は空にとどまり続ける。
「……やっぱり間違いないな」
古竜を見上げて呟く。さっきと同じ手をくわないようにだろう、今度は空を飛びながら魔力を蓄えているようだった。そして、その標的が俺たちであることは間違いない。
「『大破壊』!」
それを見て取った瞬間、俺は大声で『大破壊』を呼んだ。訊き返すこともなく、彼は俺の隣に並んだ。
「吐息だな」
「共同で防壁を展開するほうが確実だ。……多重障壁起動。出力最大」
答えるなり魔法を起動させる。俺たち二人の周囲に、光輝く結界が幾重も展開される。だが、それだけで吐息を防げるとは思っていない。
「流光盾起動。拡張展開」
併せて、俺の身長よりも巨大な盾が左手に出現する。青白く輝く盾は魔力によって生成されたものであり、不定形ながらも確固たる存在感を放っていた。
この魔法の画期的な部分は、盾の重さをほとんど感じないことだ。もともと実体を持たない魔力だからか、ほとんど重みがない。
非力な俺にはありがたいのだが、盾の重さは相手の攻撃を受け止めるうえで重要な役割を果たすため、感覚が狂うことも事実だ。さらに常時魔力を消費するということもあり、多用はしていない。
だが、遠距離攻撃から身を守るという意味では、非常に有用な機能だ。
「うおおおおぉぉっ!」
さらに、隣の『大破壊』の雄叫びとともに、闘気が赤光となって多重障壁の内側に展開された。これで、多重障壁と『大破壊』の闘気、そして流光盾の三種の防壁が起動したことになる。
これで防げなければ、俺たちは吐息に焼き尽くされることだろう。
「……来るぞ」
『大破壊』の言葉とともに、古竜が大きく首をもたげる。奴が吐息を放つ瞬間、俺は盾を突き出した。
「――!」
直後、目が眩むような光とともに膨大な熱量が俺を襲った。破壊の奔流は圧倒的で、最大出力で展開した多重障壁が一つ、また一つと破られていく。
そして、ついに吐息は多重障壁による最後の結界を突破した。
「ガアアアアッッ!」
『大破壊』の咆哮に応えるように、俺たちを守る闘気が輝きを増す。吐息と闘気がせめぎ合い、一時的な膠着状態が生まれる。
だが、相手は伝説とも言われる古竜のブレスだ。じりじりと『大破壊』の闘気が押され、厚みを失っていく。
多重障壁で弱まったとはいえ、それを闘気一つで防いでいるだけでも奇跡に等しいのだ。それ以上を求めるほうがおかしいだろう。
俺は闘気と並べるようにして、構えていた流光盾を突き出した。
「くっ……!」
流光盾が吐息と接触し、身体に凄まじい圧力がかかる。気を抜けば吹き飛ばされそうになるところを、必死の思いで踏みとどまる。
それからどれほど耐え続けただろうか。構えた流光盾が不規則に明滅を繰り返す。これ以上は耐えられないかもしれない。
それは隣の『大破壊』も同じことで、展開している闘気はだいぶ薄くなっているように思えた。
――このままでは押し負ける。
そう思った時だった。腕にかかっていた圧力がふっと消え去る。古竜の吐息攻撃が終わったのだ。
『うおおおおぉぉぉっ! 竜の吐息を耐え抜いたぁぁぁっ! この二人にかかれば、世界最強の破壊力すらそよ風のようなものなのかぁぁぁっ!?』
「……生きていたな」
「そのようだ」
まるで地面が沸騰しているかのような熱気に顔をしかめつつ、言葉を交わす。俺たちの視線の先には、いつの間にか着地している古竜の姿があった。
「……もう一度アレをくらうと終わりだな。『極光の騎士』、お前はどうだ。奥の手はあるか」
「いや、次は無理だ」
正直なところを答える。シンシアのおかげで魔力は残っているため、もう一度くらいは耐えられるかもしれないが、そうなれば攻撃に回す余力はない。そうなると打つ手がなくなってしまう以上、手詰まりなことに変わりはない。
「次の吐息までに、全力で片を付けるしかないな」
「だが、奴はあの調子だぞ」
俺たちが動き出すと考えたのか、古竜は再び飛び上がっていた。先程、吐息を撃つために無理やり滞空したことで学んだのか、結界に触れず、上手く浮かぶことができているようだった。
古竜からすれば非常に狭い檻の中なのだろうが、俺たちの武器が届く距離ではない。
「次の吐息まであそこに浮かぶ気だとすれば、俺たちでは手も足も出んな」
破砕柱を手で弄びながら、『大破壊』は不満げな顔を見せる。それには俺も同感だった。
このままでは、吐息に焼き尽くされるのを待つばかりだった。……そう、このままでは。
「……一年もたない、か」
俺はこっそり溜息をついた。
「何か言ったか?」
「いや、なんでもない」
鋭敏な聴覚を持つ『大破壊』に驚きながらも、俺は首を横に振った。『極光の騎士』としての寿命を縮めたくはなかったが、このままでは今日が命日だ。選択の余地はなかった。
その事実を胸で何度も反芻すると、俺は静かに宣言した。
「――決戦仕様、起動」