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古竜 Ⅱ

【『天神の巫女』 シンシア・リオール】




 (ドラゴン)の襲撃で、混乱に陥っていたのは客席だけではない。シンシアが控えている救護室も騒然としていた。


 だが、(ドラゴン)戦も興行の一つだという『極光の騎士(ノーザンライト)』の宣言のおかげで、ようやく救護室のメンバーも落ち着きを取り戻した。シンシアはその宣言が真実ではないことを確信しているものの、それを誰かに告げるつもりはなかった。


「でも、あの状態で戦えるんでしょうか……」


 思わず呟く。終わったばかりの『極光の騎士(ノーザンライト)』と『大破壊ザ・デストロイ』の試合は激闘としか表現できない接戦であり、勝者である『極光の騎士(ノーザンライト)』にも余力はないように思えた。


 せめて治癒魔法を届けたいところだが、試合の間(リング)を覆う無情な結界は、彼女と『極光の騎士(ノーザンライト)』を隔てたままだった。


「うわっ、また(ドラゴン)が来た!」


「け、結界があるから大丈夫よ」


 覗き窓から外の様子を窺っている同僚が悲鳴を上げる。結界の強固さが古代魔法文明に根差していることを知っているシンシアはともかく、他の人間からすれば不安で仕方ないのだろう。


「結界の術者が誰かは知らぬが、あっぱれであるな!」


 能天気な声を出したのは、神官でありながら、この闘技場に所属している剣闘士でもある『戦闘司祭ベリコース』ベイオル-ドだ。

 なんでも、観戦のチケットが手に入らなかったため、せめて救護室の窓から『極光の騎士(ノーザンライト)』たちの試合を観戦したいと、無償での協力を申し出たらしい。


 この救護室ではやや異質な存在だが、場の不安をかき消してくれるという意味では、とてもありがたい存在でもあった。


 そんなやり取りを耳にしながらも、シンシアの意識は常に『極光の騎士(ノーザンライト)』へ向けられていた。他の全員が注目している(ドラゴン)の姿さえ、ちらりと見ている程度だ。


「あれって……私へのメッセージ、でしょうか?」


 そんなシンシアだから見落とさなかったのだろう。彼女は、『極光の騎士(ノーザンライト)』が意味ありげにこちらを向いたことに気付く。

極光の騎士(ノーザンライト)』は手で自らと、そして『大破壊ザ・デストロイ』を交互に指し示していた。


 普通に考えれば、二人を回復してほしいという意味だろう。重傷を負っている二人が、そのまま(ドラゴン)との連戦に臨むことは自殺行為だ。

極光の騎士(ノーザンライト)』ならなんとかできるのかもしれないが、シンシアとしては万全の状態で戦ってほしい。なんと言っても、相手は神託が下されるほどの存在なのだから。


 だが、結界はどうするのか。結界を超えて魔法を作用させることはできない。シンシアの魔力感覚は、今も目の前に巨大な結界が展開されていることを知覚していた。だが――。


「『極光の騎士(ノーザンライト)』さんを、信じます」


 誰にともなく宣言すると、シンシアは精神集中に入った。そして、扱える魔法の中で最も高位のものを選択する。効力を重視したこともあるが、強力な魔法であれば結界を貫通できると聞いていたため、万が一結界に阻まれた時のことを考えたのだ。


 高位の魔法だけあって詠唱に少し時間がかかるが、これがシンシアにできる最高の援護だった。


「シンシアちゃん、どうしたの――詠唱?」


「それに、この規模は……!」


 (ドラゴン)に気を取られていた救護室の同僚たちが、驚いたようにシンシアに声をかける。だが、高位の魔法に集中しているシンシアには、答える余裕はなかった。


 そして、彼女は魔法を発動させる。


「――神々の慈愛(アフェクション)


 一拍遅れて、『極光の騎士(ノーザンライト)』と『大破壊ザ・デストロイ』を神聖な光が包み込んだ。体内の魔力を根こそぎ持っていかれたような疲労がシンシアを襲う。


 それは、最近になって使えるようになった、最高位に近い治癒魔法だ。最高位の神聖魔法が使える者でも、神々の慈愛(アフェクション)が使えない神官は珍しくない。そんな癖のある魔法だった。


 その光景を見た同僚たちは目を丸くする。


神々の慈愛(アフェクション)!? シンシアちゃん、使えたんだ……」


「さすが『天神の巫女』だな、初めて見た」


 シンシアの魔法に驚く者もいれば、


「ああ、そういうことか。さすがに回復なしの連戦はきついもんな」


「支配人も、俺たちにくらい教えてくれりゃいいのにな。シンシアちゃんにしか話してなかったんだろ?」


「本当よね、あんなに焦って損したわ」


 ミレウスの手法を軽く咎める者もいた。本当は突発的な事故だったのだと、そう反論したいシンシアだったが、それでは『極光の騎士(ノーザンライト)』が興行に見せかけた意味がなくなる。


 そのため、彼女は黙って試合の間(リング)に立つ二人を見つめていた。『極光の騎士(ノーザンライト)』のほうは分かりにくいが、素肌が露出している『大破壊ザ・デストロイ』を見ると、傷はすべて治っているように見える。


 そして、不思議なことに『極光の騎士(ノーザンライト)』の鎧もまた直っているように見えた。神々の慈愛(アフェクション)にそんな効果があっただろうか。彼の身体には、ちゃんと魔法は届いただろうか。


 不安を覚えたシンシアは、きゅっと手を握りしめる。すでに結界は再展開されているし、なによりシンシアの魔力は枯渇寸前だ。もうやり直しはできない。


「あ――」


 その時だった。試合の間(リング)上の『極光の騎士(ノーザンライト)』は、こちらへ向き直ると剣を掲げた。その儀式的な動きは戦いの準備には見えない。


「ん? 『極光の騎士(ノーザンライト)』は何をしてるんだ?」


「馬鹿ね、回復してくれたシンシアちゃんへのお礼に決まってるでしょ」


 同僚の声を耳にしたシンシアは、ほっとして胸を押さえた。もしそうなら、『極光の騎士(ノーザンライト)』にも神々の慈愛(アフェクション)は届いたということだ。


 その事実に安堵した瞬間、シンシアの身体を疲労感が襲い、視界が暗転する。


「シンシアちゃん、大丈夫!?」


 慌てる同僚の声に反応することもできない。頬の感触からすると、シンシアは救護室の床に倒れ込んでいるようだった。


極光の騎士(ノーザンライト)』さん、どうか無事でいてください――。


 薄れゆく意識の中で、彼女はそれだけを願っていた。




 ◆◆◆




【『金閃ゴールディ・ラスター』 ユーゼフ・ロマイヤー】




「ユーゼフ、どこへ行くの!?」


「実況室へ行くよ」


 ヴィンフリーデの問いかけに答えると、ユーゼフは彼女の手を引いた。主不在の支配人室の窓からは、『極光の騎士(ノーザンライト)』たちに襲い掛かろうとする(ドラゴン)の姿が見えている。


「ダグラスさん、後はお願いします」


「それは構わんが……」


 (ドラゴン)の襲来という緊急事態を受けて、支配人室にやってきたダグラスに後事を一方的に託すと、ユーゼフは支配人室の扉を開いた。


「この非常事態にミレウスがいないなんてね。どれだけ地下深くに潜っているのかしら」


「結界の様子がおかしいとなれば仕方ないさ。それに、まだ(ドラゴン)による被害が出ていないのは、ミレウスが結界を操作しているおかげだと思うよ。むしろ、ミレウスが遺跡にいたのは幸いだった」


「まさか、こんな展開になるなんて……」


 二人は怪しまれない程度に足早に歩く。顔を知られている看板剣闘士と支配人秘書が血相を変えて走っていては、興行に見せかけた『極光の騎士(ノーザンライト)』の機転が台無しだ。


「でも、『極光の騎士(ノーザンライト)』が協力してくれるなんて驚いたわ」


「うん? ……ああ、興行だと宣言したことかい?」


「ええ。彼からすれば、突然襲い掛かってきた(ドラゴン)を返り討ちにするほうが名声を得られるでしょう? それを興行扱いにするなんて……」


「……そうだね」


 ユーゼフはそれだけを答える。ミレウスが『極光の騎士(ノーザンライト)』であることを知っているユーゼフからすれば、『極光の騎士(ノーザンライト)』の行動は不思議でもなんでもない。


 だが、そのことを知らないヴィンフリーデからすれば、なんの得があるのかと疑ってしまうようだった。


「まあ、『極光の騎士(ノーザンライト)』も自分のホームである闘技場には愛着があるんじゃないかな」


 答えると、ヴィンフリーデは何かを思い出すように視線を宙に向けた。


「たしかに、最近の『極光の騎士(ノーザンライト)』の話を聞くと、意外と人間味がありそうな気はするけれど……」


「今回の『極光の騎士(ノーザンライト)』の行動に関しては、裏はないと思っていいんじゃないかな」


 幼馴染の姿を思い浮かべながら、ユーゼフは苦笑を浮かべる。『大破壊ザ・デストロイ』と二人で竜退治に挑むとは思わなかったが、闘技場の運営や三十七街区の今後を考えた末の結論だろう。


 可能なら自分も参戦したいところだが、そうそう結界を切り替えられるわけではないだろうし、不自然でもある。剣闘士のツートップが揃って始まった興行に水を差すことは躊躇われた。


「……それでも、もしもの時には参加させてもらうよ」


 ぽつりと呟く。巨人騒動の時と同程度の強度であれば、ユーゼフが結界を破壊することは可能だ。いざという時には自分が突入するつもりでいた。


 そして、近道をしようと客席フロアに出た時だった。


「ユーゼフ、あれ!」


 ヴィンフリーデの緊迫した声が耳に届く。試合の間(リング)を目にしたユーゼフは、咄嗟に彼女を抱き寄せる。


 直後、立っていられないほどの衝撃が客席を揺らし、興奮で立ち上がっていた観客たちが盛大に転倒した。


「うぉぉっ!? なんだ!?」


(ドラゴン)試合の間(リング)に突っ込みやがった……!」


「結界が破れたのか!?」


 観客たちの言葉通り、(ドラゴン)は『極光の騎士(ノーザンライト)』たちを目がけて急降下し、そしてリングの石床を粉々に粉砕していた。

 もともと、二人の試合で修復不能な域まで破損していた石床だが、もはや破損どころではない。消滅だ。もうもうと立ち込める土煙が収まると、そこには巨大なクレーターができていた。


「……ユーゼフ、ありがとう」


 支えられたヴィンフリーデが微笑む。それに対して、ユーゼフは演技がかった礼を返した。


「どういたしまして。レディの危機とあれば、いくらでもお力になりますよ」


 それは、周りにいる観客に対する演技だ。ユーゼフは有名人だが、同時に女性に特に優しいことでも有名であり、今の場面でヴィンフリーデとの仲を邪推する者は少ないはずだった。


「よかった、二人とも無事ね」


「あれくらいで負傷するようなら、僕と交替してもらうよ」


 ほっとした様子のヴィンフリーデに軽口を返す。ユーゼフも(ドラゴン)と戦ったことがあるが、あれほど巨大な(ドラゴン)は珍しい。下手をすると、古竜エンシェントドラゴンかもしれないと推測していた。


 もしそうであれば、国を滅ぼしかねない戦力だ。たった二人で立ち向かうようなものではない。だが、試合の間(リング)に立っている二人は、英雄級と言っても過言ではない戦闘力を誇っている。絶対に無理だとも思えなかった。


「ユーゼフ、ここから廊下に出たほうが早いわ」


「分かった」


 そんなやり取りをしている間にも、(ドラゴン)は大木のように太い前脚を振るい、それを避けた二人がカウンターで武器を叩きつける。だが、(ドラゴン)がそれを意に介した様子はなかった。


「効いてないの……?」


「今のは小手調べだと思うよ。『極光の騎士(ノーザンライト)』は魔法剣を使っていないし、『大破壊ザ・デストロイ』も闘気を纏っていないだろう?」


 そう解説しながら、ユーゼフは廊下に続く階段を降りる。実況室はすぐそこのはずだった。


「サイラス!」


 実況室の扉を開けるなり、ユーゼフは実況者の名を呼んだ。


「ユーゼフ!?」


 第二十八闘技場の実況を務めるサイラスは、『金閃ゴールディ・ラスター』の姿に目を丸くして驚いていた。だが、すぐに我を取り戻したようで、ヴィンフリーデに視線を向ける。


「ヴィンフリーデ、何がどうなってるんだ? こんな特別試合ボーナスゲームは聞いてないぜ?」


 彼は拗ねたように口を開いた。事前の連絡もなく、突然知らない試合が始まったのだから、その反応は当然だろう。


「ごめんなさい、突然のことで伝達が上手くいっていなかったのね。正真正銘、れっきとした第二十八闘技場うち特別試合ボーナスゲームよ」


「つまり、サイラスの出番だってことさ」


 二人の言葉を聞いて、サイラスの瞳に理解の色が浮かぶ。まだ納得はしていないようだが、彼ははっとした様子で目を見開いた。


「なんてこった! それじゃ、俺は伝説に残る戦いの実況をしそびれてるってことじゃねえか!」


 すぐさま彼は拡声器に飛びつく。色々と言いたいことはあるだろうが、それよりも実況者としての血が騒いだようだった。


『さぁぁてぇぇっっ! 今、ここにいる皆様だけに贈る特別試合ボーナスゲーム! 先ほど激闘を繰り広げた『極光の騎士(ノーザンライト)』と『大破壊ザ・デストロイ』が手を組んで戦うことになるなど、いったい誰が予想していたでしょうかぁぁぁっ!』


 即座に言葉を紡ぎ出す様は、さすが実況者としか言いようがなかった。その様子に、ユーゼフはヴィンフリーデと顔を見合わせて笑う。


『対するは、生物の頂点に立つ最強の幻獣! 皆様はこんなに巨大な(ドラゴン)を見たことがあるでしょうか!? 伝説の古竜エンシェントドラゴンと見紛うばかりの最強の存在に対して、我らが英雄たちはどのように戦うのかぁぁぁっ!』


 この様子なら大丈夫だろう。実況してもいいと分かれば、彼の言葉は留まるところを知らない。

 剣闘士、猛獣、実況の三者が揃った以上、これは普段の『猛獣狩り』の興行となんら変わりない。これで、特別試合ボーナスゲームがイレギュラーな天災だと気付く人間は少ないはずだった。


「行こうか」


「ええ」


 二人はそっと実況室を後にした。




 ◆◆◆




【『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』レティシャ・ルノリア】




「ミレウスがいない?」


「結界にトラブルがあったと聞いた。私もヴィンフリーデからそう伝えられただけで、詳しくは知らん」


「結界に? ……そう、ありがとう『金城鉄壁フォートレス』」


 ダグラスに礼を言うと、レティシャは足早に支配人室を後にした。闘技場の廊下を歩きながら、レティシャは腑に落ちない事実に首を傾げる。


 古竜エンシェントドラゴンの襲撃という非常事態なのに、ミレウスが姿を現さない。結界のトラブルだというが、レティシャが見る限り、特におかしなところはないはずだった。


「……接続リンク


 レティシャは今朝がた張った結界と意識を同調させる。地下の古代遺跡に人避けの結界を張ったのはレティシャだが、今日は新闘技場の初稼働日ということもあり、地下遺跡に繋がる階段にも監視用の結界を展開していたのだ。


 だが、やはり結界に変化はない。誰も地下遺跡にはいないはずだった。


 ――それなら、どうして?


 疑問がレティシャの頭を駆け巡る。何かもが初めてとなる今日という日は、最高責任者はその所在を明らかにしておかなければならない。それはミレウスならよく分かっているはずだ。


 まして、古竜エンシェントドラゴン襲撃などという非常事態が起きたにもかかわらず、彼が姿を見せない理由が分からなかった。


 そんなことを考えながら、彼女は廊下を抜けて客席フロアへ出る。すると、観客席からワッと歓声が上がったところだった。試合の間(リング)を見ると、古竜エンシェントドラゴンの身体が半分ほど氷に包まれている。だが――。


「うわっ、駄目だ!」


「あっさり氷を砕きやがった……!」


 近くの観客から声が上がる。古竜エンシェントドラゴンが大きく身体を動かしたかと思うと、身体を覆う氷が砕け散ったのだ。


「……本命はそっちね」


 落胆の声が上がる中、レティシャは冷静に戦いを見ていた。古竜エンシェントドラゴンが氷に気を取られている間に、『大破壊ザ・デストロイ』が赤く輝く破砕柱ピラーを前脚にめり込ませたのだ。


 いったいどれほどの衝撃だったのか、全長二十メテルの巨体がぐらりと揺れる。レティシャは信じられない思いでその光景を見ていた。噂には聞いていたが――。


「どれだけの力がありゃ、あんな芸当ができるんだろうな」


「あら、モンドール皇子」


 自分の思考と重なった声に振り返ると、そこにいたのは帝国の第四皇子だった。今日の試合に彼の出番はないが、自力で観戦チケットを手に入れたのだろう。


「突然悪いな。美人を見かけたから、つい声をかけちまった」


 悪びれず笑顔を浮かべるモンドールに、レティシャは肩をすくめた。


「皇子の身分でそれをやると、色々面倒なことになるわよ?」


「ちゃんと相手は厳選してるから安心してくれ」


 モンドールは豪快に笑った後、興味深そうに口を開く。


「それで、どうしてここにいるんだ? 『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』は今日の出場選手なんだから、関係者席で観戦できるだろう」


「人を探しているのよ」


「誰だ? 俺も探してやろうか?」


「結構よ。せっかく手に入れたチケットでしょう?」


 レティシャは咄嗟に断る。ミレウスを探していることは事実だが、彼の不在を公にすることはためらわれた。


「それより、貴方もあの戦いに参戦したいんじゃない?」


 そして話を逸らす。すると、モンドールは複雑な表情を浮かべた。


「そりゃ戦いたいけどよ……相手がアレじゃな」


「あら、意外ね。(ドラゴン)は苦手?」


 からかうように尋ねると、皇子は小さな声で答える。


「ただの(ドラゴン)ならいいが……ありゃ古竜エンシェントドラゴンだろ」


「……っ」


 レティシャは驚きを抑えることができなかった。彼女自身は、魔術師や冒険者としての知識に加えて、師である『結界の魔女』から警告を受けていた。だが、なぜ彼が知っているのか。


「その様子だと、『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』も知ってるんだな。なら話が早え。……うちの建国にまつわる話は知ってるな?」


「建国……ああ、そういうこと。貴方も大変ね」


 レティシャはあっさり納得する。この国の起源は、現皇帝が古竜エンシェントドラゴンと思われる強大な竜を倒したところにある。そんな帝国の皇子だからこそ、古竜エンシェントドラゴンについて詳しいのかもしれない。


 後継争いに参加しないよう気を遣っているモンドールとしては、古竜殺しの称号は何よりも避けるべきものなのだろう。


「……正直言って、この特別試合ボーナスゲームとやらは意味が分からねえ。古竜エンシェントドラゴンってのは、人が飼い慣らせるようなモンじゃないからな」


 レティシャもその言葉に同感だった。そもそも、ミレウスは興行の収支に気を遣っている。たとえこの闘技場が満席になったとしても、古竜エンシェントドラゴンの生け捕り費用を支払うことなどできない。そんな試合を組むとは思えなかった。


 そして何より、古竜エンシェントドラゴンを生け捕りにすること自体が不可能だ。生け捕りは、ただ討伐するより難易度が高い。討伐でさえ国家レベル・英雄級の戦力が必要であることを考えると、現実味はゼロだ。


「後は、『極光の騎士(ノーザンライト)』の伝手である可能性ね」


 言いながらも、レティシャはその可能性を心裡で否定する。巨人騒動時に知った『極光の騎士(ノーザンライト)』の人となりは、意外なほど常識的だった。その彼が、一歩間違えれば大惨事になる試合をミレウスに提案するだろうか。それに、ミレウスが承諾するとも思えない。


 となれば、やはりその実態は古竜エンシェントドラゴンの襲撃なのだろう。『極光の騎士(ノーザンライト)』が興行に見せかけているものの、それは人々の恐慌や混乱を防ぐため。そう考えたほうが納得できた。


「どうしたものかしらね……」


 師からは「古竜エンシェントドラゴン襲来時は人々の避難を援護してほしい」と要請されていたが、彼女もこんな展開になるとは思ってもいなかっただろう。この場で真実を明かして観客たちを避難させるべきかもしれないが、彼らが話を聞いてくれるとも思えない。

 それに、もし『極光の騎士(ノーザンライト)』たちが古竜エンシェントドラゴンを倒せるのであれば、それが一番平和な解決方法であることは間違いない。


 悩みながら、レティシャは小さな小瓶を取り出す。それは、ミレウスから渡された魔力回復の水薬ポーションだ。事態がどう転ぶかは分からないが、試合で消費した魔力を回復しておいて悪いことはないだろう。貰い物ではあるが、毒性がないことは確認済みだ。


「……?」


 と、水薬ポーションを取り出したレティシャは、どこからともなく視線を感じた。不思議に思っていると、モンドールがそっと耳打ちする。


「『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』、ハーフエルフに知り合いはいるか?」


「突然どうしたの? ……そうね、親しいハーフエルフはいないわ。半竜人ならいるけれど」


「『蒼竜妃アクアマリン』だろ? そうじゃなくてエルフのほうだ」


「心当りがないわね。……どうして?」


 問い返すと、モンドールは小さく答えを返す。


「あそこにいるハーフエルフがよ、水薬ポーションを取り出したあんたを見て驚いてたんだ」


「どこ?」


「斜め右後ろの方向にいる奴だ。ハーフエルフはあいつ一人だから、すぐ分かる」


 言いながら、モンドールはレティシャの後ろへ回り込む。彼につられて身体を動かした、という体で後ろを振り返ると、レティシャはちらりと話題の人物を確認した。


「あの顔、どこかで……?」


 レティシャは自分の記憶を検索した。この国でハーフエルフは珍しいためか、意外と早く心当りにたどり着く。


「最近、闘技場に出入りし始めた商会の人で……ヴェイナード、だったかしら」


 まだ闘技場が完成する前の話だが、ミレウスの所で鉢合わせた時に紹介されたのだ。そう言えば、この水薬ポーションは出入りの業者がくれたものだと言っていた。彼がくれたものだったのかもしれない。

 ミレウスに報告しておいたほうがよさそうだと判断すると、レティシャはその事実を記憶の引き出しに閉まいこんだ。


『ああっとぉぉぉっ! (ドラゴン)が大きく首をもたげたぁぁぁっ! これは、まさか吐息ブレスが来るのか!? 試合の間(リング)という限られた空間で、二人の英雄はどう対処するのかぁぁぁっ!?』


 実況の賑やかな声が響く。見れば、古竜エンシェントドラゴンの喉元に魔力が集中していることが分かる。古竜エンシェントドラゴンにしては規模が小さい気もするが、それでも人が立ち向かうには絶望的なレベルだ。


「『極光の騎士(ノーザンライト)』……期待しているわよ」


 そう呟くと、彼女は試合の間(リング)をじっと見つめていた。



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