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古竜 Ⅰ

 

 時折翼を動かし、悠然と空を飛ぶ巨大な体躯。その大きさは不明だが、少なくとも二十メテルはあるだろう。半ば伝説上の存在である最強の魔獣。


『あれは……ド、(ドラゴン)!?』


 実況者の声によって、その存在に気付いていなかった観客たちも空を見上げる。最初は小さかったその姿が大きくなるにつれて、客席から悲鳴が上がる。


「ちょっと、あの(ドラゴン)こっちに近付いてきてない!?」


「本当だ! まっすぐこっちへ来てるぞ!」


 客席の声に耳を傾けながらも、視線は空の一点に固定する。急激な勢いで近付いてくるその姿は、(ドラゴン)のもので間違いなかった。


「どうして(ドラゴン)が……?」


主人マスター、気を付けてください。あれはただの(ドラゴン)ではなく、古竜エンシェントドラゴンのようです』


 空を見上げて呟くと、クリフが念話で嫌な追加情報を教えてくれる。


『知りたくなかった……』


 昔、親父から聞いた話だが、古竜エンシェントドラゴンは通常の竜とは比べ物にならないほど強大な存在だという。一説では、この国の皇帝が討伐した竜も古竜エンシェントドラゴンだと言われているが、その時は皇帝を始めとした英雄級のメンバーが総出で戦ったはずだ。

 それでも多くの者が命を落としたとされる強敵が、なぜここにいるのか。


 こちらに近付くにつれ、巨大な体躯が露わになる。やはり全長は二十メテルを超えるだろう。何が理由で近付いてくるのか分からないが、平和な目的である可能性はあるだろうか。


 ――たくさんの人が、興奮して盛り上がっている場所。そして、その人たちを襲う、強大で圧倒的な何か。


 と、俺の脳裏にシンシアの神託が甦り、俺の首筋をぞわりとした感覚が襲う。その瞬間、俺はクリフに念話を飛ばした。


『クリフ! 結界の有効範囲を闘技場全体に拡大! 強度も最高レベルへ引き上げろ!』


主人マスター? ……了解しました』


 驚きながらも、クリフは俺の要請に従ってくれたようだった。結界が闘技場の全域にわたって展開され、空を見上げている観客たちをも包み込む。


「なんだ……?」


 訝しんでいるのは魔術師や魔法の素養がある人間だろう。不可視ながらも、闘技場全体を覆った結界の存在を察知した人々だ。


 そして、俺の判断が正しかったことはすぐに証明された。もはや顔が判別できるほどに接近していた(ドラゴン)は、その凶悪な顎をカッと開いたのだ。


吐息ブレスが来るぞ!」


 観客席から悲鳴が上がる。竜の吐息(ドラゴンブレス)と言えば、破壊力の代名詞だ。それが放たれようとしているのだから、平静でいられるはずがない。だが――。


 広域に展開した結界が光り輝き、吐息ブレスを受け止める。それは肝が冷える光景だったが、闘技場に対する被害はないようだった。


 そのことに安堵しつつも、俺は眉を顰める。あの古竜エンシェントドラゴンは、明らかに攻撃的な意思を持っていたからだ。


 古竜エンシェントドラゴンは何度か吐息ブレスを放ったが、そのすべてが結界に阻まれたことで標的を変えたようだった。今度は、闘技場の近くの建物へ向けて急降下する。


『クリフ!』


『分かっています。有効範囲をさらに広げました』


 すでに俺の意図を察していたクリフのおかげで、(ドラゴン)の急降下攻撃は不発に終わる。それにしても、魔導鎧マジックメイルを身に着けている時でよかったな。クリフがいないと、こんなに簡単に結界の出力を切り替えられないからな。


 そう思う間にも、(ドラゴン)は何度目かの吐息ブレスを放つ。気のせいか、向こうも苛立っているような気がした。


「……どうしてここなんだよ」


 空を舞う(ドラゴン)を見上げて、俺はギリッと奥歯を噛み締めた。(ドラゴン)の出現によって、苦心して準備してきた新闘技場の門出にケチが付くことは避けられない。

 せっかく『極光の騎士(ノーザンライト)』と『大破壊ザ・デストロイ』の試合で盛り上がっていたのに、その記憶も(ドラゴン)の襲撃で上書きされてしまった。


 それに、ここは三十七街区だ。ようやく巨人騒動から立ち直ろうとしているところに、更なる悲劇が起きてしまえば、復興はさらに遅れてしまう。

 現時点でも(ドラゴン)の襲撃は事実であり、災いに憑りつかれた地として、人々が三十七街区を避けるようになる恐れもあった。


 どうすればいい。憎しみのこもった視線で(ドラゴン)を睨みつけながら、俺は必死で最善策を考えた。このまま立ち去ってくれるのが一番だが、どう考えてもその展開にはならないだろう。

 もし帝国軍が討伐するにしても、この地が戦場になれば闘技場も無事ではすまない。そして、すでに新闘技場の建設で多額の負債を抱えている身としては、修繕費用の工面もほぼ不可能だ。


「どうする……」


 うわごとのように何度も繰り返す。結界が何度も吐息ブレスを防いだおかげで、観客が恐慌状態になることは避けられている。だが、街全体を最大出力で守り続けていれば、いずれは限界が来る。

 巨人騒動時にペイルウッドが無理なフル稼働を強いたこともあり、大規模結界を長時間維持するほどの魔力はもう残っていないのだ。


 空から視線を外すと、観客たちをちらりと見る。彼らは闘技場から出ない限り安全だが、それは結界の信頼性を知っている俺だから分かる話だ。逃げ出そうとするのは当然の心理だろう。


「……ん?」


 そうして、古竜エンシェントドラゴンに釘付けになっている観客たちの反応を窺っている時だった。彼らの雰囲気を見ているうち、ふっと一つの案が生まれる。


「そうか……これなら被害を小さくすることができる……か?」


 熱に浮かされたように、俺は無茶な思い付きを具体的な展開に置き換えていく。やがて算段ができると、襲い来る古竜エンシェントドラゴンすら無視して、俺は『大破壊ザ・デストロイ』へと近付いた。


「……どうした」


 ちょうど『大破壊ザ・デストロイ』は立ち上がろうとしたところだった。担架で運ばれてもおかしくないダメージを受けていたはずだが、さすがは最強の肉体を持つ男というところか。


 のっそりと立ち上がった彼の前で、俺は古竜エンシェントドラゴンに顔を向ける。


「――『大破壊ザ・デストロイ』。竜退治に興味はあるか」


「お前との戦いほどではない。だが……ちょうど猛獣狩りがしたくなったところだ」


大破壊ザ・デストロイ』は不敵に笑うと、落ちていた破砕柱ピラーを拾う。動くもやっとのはずだが、その動作に不自然なところはなかった。


「追加の興行で悪いが、報酬は弾ませよう」


「そんなものはいらん。お前が魔物とどう戦うのか、見せてもらおう」


「……欲のない男だな」


「無償でアレと戦おうとする人間が、よく言う」


大破壊ザ・デストロイ』はニヤリと笑った。つられて、俺も同じ笑みを返す。

 すると、彼の笑みはさらに深まった。


「お前の顔を見たことはないが、今この瞬間、俺と同じ顔をしていることは分かる」


 俺の思考を読んだかのように、『大破壊ザ・デストロイ』が断言する。それに言葉を返そうとした時、客席の一部がどよめいた。


「もう嫌だ! なんだよあの(ドラゴン)は!」


「軍は何をしてるの! 緊急事態よ!?」


「このままじゃ、俺たちもあの(ドラゴン)に喰われちまう……!」


 それは恐れていた事態だった。一人の声が引き金となって恐怖を伝播させる。一度恐慌状態に陥れば、鎮静化することは困難だ。

 これ以上騒ぎが拡大する前にと、俺は剣を上空へ向けた。


剣矢ブレードアロー


 剣先から魔力の矢が放たれ、襲い来る古竜エンシェントドラゴンを襲う。矢は結界に阻まれたが、その際に眩い光を放ち、人々の耳目を集めた。


「ノ、『極光の騎士(ノーザンライト)』……?」


「今のって、『極光の騎士(ノーザンライト)』が撃ったわよね?」


 ざわめきとともに観客の視線が集まる。それを確認すると、俺は剣を古竜エンシェントドラゴンに向けた。それだけの動作だが、意味するところは伝わったらしい。


「そうだ……ここには『極光の騎士(ノーザンライト)』がいるじゃないか」


「でも、あんな巨大な(ドラゴン)よ……!?」


「『極光の騎士(ノーザンライト)』なら、なんとかしてくれるさ」


 次第に肯定的な声が上がりはじめる。さらに、破砕柱ピラーを持った『大破壊ザ・デストロイ』が隣に立ったことで、その空気は決定的なものになった。


「うおおお、『大破壊ザ・デストロイ』もやる気だぞ!」


「まだ戦えるのか?」


「何言ってるんだ、あの『大破壊ザ・デストロイ』だぞ?」


 雰囲気が一転した客席を確認して、俺はほっと息を吐く。これで恐慌状態は回避できた。だが、それだけでは足りない。支配人()には悪いが少し悪名を被ってもらおう。


『クリフ、拡声魔法は使えたよな?』


『もちろんです。部下を鼓舞することは重要ですからね』


『なんだよ部下って……』


 そんな念話を交わしている間に拡声の魔法が展開される。そして、俺は努めて平静な声で宣言した。


「……()()()()()()()()()特別試合ボーナスゲームだ。楽しんでくれ」


 拡声魔法の出力を最大にしていたため、俺の声は思ったよりもよく響いた。『極光の騎士(ノーザンライト)』の宣言により、観客たちは戸惑った声を上げる。


「え? ……つまり、猛獣狩りってこと?」


「けど、猛獣狩りに(ドラゴン)なんて連れてくるか?」


「相手が『極光の騎士(ノーザンライト)』なら、それくらいじゃないと釣り合わないだろうけど……」


 だが、(ドラゴン)の来襲が突発的なものではなく、計画的なものだと宣言されたことにより、彼らは目に見えて落ち着いていた。


「なんだよ、びっくりした……」


「ここの支配人は人が悪いな。本当に焦ったぜ」


 支配人に対する非難は出るだろうが、総合的に考えれば悪い話ではない。


「……今のは本当か?」


 拡声魔法の展開を終了した俺に、『大破壊ザ・デストロイ』が問いかけてくる。


「予想はしていた。だから――」


 言葉の途中で、俺は救護室のほうを向いた。そして、俺と『大破壊ザ・デストロイ』を交互に指で指し示す。ずっと『極光の騎士(ノーザンライト)』を見続けているはずの彼女なら、これで気付いてくれるはずだ。


『クリフ、結界の形状を球体から平面状に変更してくれ』


『よろしいのですか? 思わぬ方向からの攻撃や、熱などの余波を防げませんが』


『用事さえ済めばまた元に戻す。……このままだと、彼女の魔法が届かないからな』


 クリフに指示を出してから数秒後。闘技場全体を包み込んでいた結界は、古竜エンシェントドラゴンと闘技場を隔てる円状の壁と化した。俺は古竜エンシェントドラゴンの動向を見つつ、救護室にちらりと視線を向けた。


 彼女にしては時間がかかっているが、どうかしたのだろうか。それとも、あの程度では伝わっていなかったか。そんな懸念を抱いた頃、ふと声が聞こえた気がした。


「――神々の慈愛(アフェクション)


 その直後、俺たちの身体を白い光が包む。その輝きからは神聖な気配が感じられた。


「なんだこれは……」


大破壊ザ・デストロイ』は怪訝そうに自身の身体を見つめる。重傷を負っていた身体が、みるみるうちに回復していくのだ。驚くのも無理はない。


 そして、驚いているのは俺も同じことだった。全身を苛む激痛が消えたのは期待通りだが、疲労や精神的な消耗までもが回復していたのだ。傷の修復に比べて、疲労や精神的な部分を癒すことは難しい。

 にもかかわらず、俺のコンディションは試合開始前と遜色ない状態に戻っていた。


 そして、さらに驚きは続く。


主人マスター。……魔導鎧マジックメイルの魔力が充填されました』


『なんだって!?』


 クリフからもたらされた突然の報告に、俺は思わず声を上げるところだった。


『先程の高密度な魔力を吸収することに成功しました。フル充填ではありませんが……六割程度でしょうか。また、その魔力を使用して損傷が激しい一部の鎧を緊急修復しました。』


『それはよかったが……そんなことができたのか』


『……不思議な魔力でした。まるで吸収しろと言わんばかりで、半ば勝手にこちらに入り込もうとしていました』


 その報告に、俺は思わず救護室のほうを向いた。『天神の巫女』の姿は見えないが、それでも口を開く。


「……ありがとう、シンシア」


 そして、彼女に向かって剣を掲げた。


「そこに術者がいるのか。……感謝しておこう」


 俺の動作に気付いた『大破壊ザ・デストロイ』が声をかけてくる。彼もまた完全回復しているようで、その動きにはいつも通りのキレがあった。


『クリフ、結界を一瞬消してくれ。奴を試合の間(リング)へおびき寄せる』


 そしてクリフに命じる。すると、驚いた響きの念話が返ってきた。


主人マスター、正気ですか?』


『至って正気だ。俺が(ドラゴン)を挑発する。そして(ドラゴン)がこの真上に来たら、奴ごと結界を展開してくれ』


『闘技場の人々が巻き込まれますが、よろしいのですか?』


『結界を展開するのは、あくまで試合の間(リング)とその真上の空間だけだ。観客に被害は出ない』


『……了解しました。結界を消去します』


 そして数秒後、闘技場全体に張り巡らされていた結界が消滅する。それを察知すると、俺は上空の古竜エンシェントドラゴンに向けて剣矢ブレードアローを放つ。注目を引けば充分程度に考えていた光の矢は、見事に(ドラゴン)を捉えていた。


「グウォォォォッ!」


 攻撃されたことに怒ったのか、古竜エンシェントドラゴンは咆哮を上げる。距離も遠く、威力も減衰している剣矢ブレードアローに攻撃力はないだろうが、それでも標的をこちらへ変えることには成功したようだった。


「さて……」


 俺は迫りくる古竜エンシェントドラゴンの動向を注意深く見つめる。もし急降下攻撃なら願い通りだが、吐息ブレスであれば結界を緊急展開しなければならないからだ。

 そうなれば、結界を展開するまでの数秒間はこっちで時間稼ぎをする必要があるだろう。


 だが、幸いなことに、(ドラゴン)吐息ブレスの予備動作を取ることなく突っ込んでくる。


『クリフ、(ドラゴン)試合の間(リング)に接触するタイミングに合わせて結界を再展開してくれ。効果範囲は試合と同じで構わない』


『了解しました、主人マスター。……本当に無茶をする人ですね』


『苦労をかけてすまないな』


 そう返すと、今度は隣の『大破壊ザ・デストロイ』に声をかける。


「『大破壊ザ・デストロイ』。準備はいいか」


「当然だ。……俺がとどめを刺しても、苦情は聞かんぞ」


大破壊ザ・デストロイ』はニヤリと笑う。


「その時は心から祝福するとしよう。……行くぞ」


 そして、俺たちは迫る古竜エンシェントドラゴンに向かって武器を構えた。




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