二人の英雄 Ⅰ
『大っ変長らくお待たせしましたぁぁぁぁぁ! 本日の最終試合は、誰もが知る帝国の英雄たちの激突! 帝国最強の座につくのは、果たしてどちらなのか!』
試合の間へ向かう薄暗い廊下を歩いていると、実況者の賑やかな声が聞こえてくる。いつも戦いを盛り上げてくれる実況者の声には、いつになく熱がこもっていた。
やがて頑丈な扉に行き当たると、俺はその前で静かに待つ。扉の向こうから聞こえてくる重い響きは、『大破壊』側の扉が開いている音だろう。
『その鍛え上げられた肉体はもはや神の領域! 城門すらも一撃で打ち砕く破壊神! 『大破壊』ぃぃぃぃ!』
こちらからは見えないが、『大破壊』が姿を現したのだろう。歓声が一気に膨れ上がった。ユーゼフのようにファンサービスをすることはないが、その圧倒的な強さと存在感は、それを補って余りある人気を集めていた。
そして、固い作動音とともに、俺の目の前の扉がゆっくり上に引き上げられていく。扉が完全に引き上げられたことを確認すると、俺は試合の間へ向かって歩き出した。
『帝都の危機に突如として現れ、この街を救った英雄にして、この二年半の間、無敗を誇る生きた伝説! 『極光の騎士』ぉぉぉぉ!』
まるで大波のように歓声が押し寄せてくる。それは、今までの試合のどれよりも盛大なものだった。
「『極光の騎士』! 待ってたぜ!」
「最強の剣闘士の力を見せてくれ!」
いつまでも止まない歓声の中を悠然と進み、試合の間へ上がる。そこには、『大破壊』が腕組みをして立っていた。
「『極光の騎士』、久しぶりだな」
「ああ。……二年ぶりか」
俺は低い声を絞り出す。普段の俺であれば、その存在感に圧倒されているところだろう。だが、今の俺は『極光の騎士』だ。怯むわけにはいかなかった。
「再びお前と戦える日を待っていた」
『大破壊』は好戦的としか言いようのない笑みを浮かべる。見かけによらず、粗暴に振る舞うことのない彼だが、戦いにおける情熱は別物だ。その瞳は血に飢えた獣のように爛爛と輝いていた。
「……それは光栄だ」
対して、俺はそれだけを口にする。それは正体の露見を懸念したものでもあるが、『大破壊』の洞察力に対する警戒心の表れでもあった。
「迷いと覚悟。矛盾を抱えていながら、それほどの強者となったお前には尽きぬ興味があるが……今は言葉を交わす時ではない」
「同感だ。続きはこれで交わすとしよう」
そして、背中に吊っていた剣を手に取る。それを見て、『大破壊』も破砕柱を構えた。
『おおっとぉぉぉっ! すでに二人の間で火花が散っている! 両雄並び立たず、やはり英雄たちは戦わずにはいられないのかぁぁぁっ!?』
実況の声が響く。試合はまだ始まっていないが、すでに俺と『大破壊』はお互いの挙動に神経を集中していた。相手は得物をどう構えているか。重心はどこに置いているか。微細な動きを見逃さないようにしつつ、その全身を視界に入れておく。
「それではぁぁぁぁっ! 帝国最強――いや、世界最強を決める世紀の頂上決戦! 『極光の騎士』 対 『大破壊』! ……始めぇぇぇっ!」
その瞬間、天を割らんばかりの凄まじい歓声が響いた。だが、それに構わず俺は試合の間内での出来事だけに知覚を振り分ける。すると、実況者の声や歓声がスッと小さくなっていく。
その知覚が最初に捉えたのは、『大破壊』が石床を蹴る音だった。
『おおっとぉ、まず仕掛けたのは『大破壊』だぁぁぁ!』
その巨体からは信じられない速さで、『大破壊』が距離を詰める。まともにくらえば鎧ごと粉砕される破砕柱の一撃を、俺はバックステップで回避する。
だが、それだけで『大破壊』の攻撃を凌げるはずはなかった。凄まじい勢いで振られていた破砕柱の動きを無理やり変えて、下がった俺に突きを繰り出してきたのだ。
「――!」
身体を捻じり、なんとか破砕柱による突きをかわす。さらに軌道を変えて俺に迫ろうとする破砕柱を、俺は青白い光を放つ剣で弾いた。
『おおっ!? 『極光の騎士』の剣が青白く輝いているっ! 付与魔術かぁぁっ!?』
実況者が驚きの声を上げる。剣闘試合では滅多に使わない付与魔術だが、そうでもしなければ、破砕柱に剣を折られる可能性があったのだ。
剣の輝きを見て、『大破壊』は満足そうな笑みを浮かべた。
「これで、まともに打ち合えるというわけか」
「この剣は気に入っているのでな。折られると困る」
言葉を返すと、連続で剣を繰り出す。剣と『大破壊』の破砕柱が打ち合わされるたび、剣にこめられた魔力が光となって迸った。
『今度は『極光の騎士』が猛攻を仕掛けたぁぁぁっ! 『極光の騎士』の神速とも言える連撃が繰り出されているっ!』
実況の声が響く。こちらが攻勢に出ているのは事実だが、その手ごたえはなかった。『大破壊』が俺の攻撃をことごとく的確に弾き返しているからだ。
速度差によるフェイントや、時には足蹴などの奇手も交えて剣を振るっているが、『大破壊』の防御を貫くには至らない。その二つ名と外見から攻撃一辺倒のイメージを持たれがちな『大破壊』だが、彼の強さを支えているものは、決して腕力だけではない。
「ふっ!」
俺の剣を受け止める瞬間、『大破壊』は破砕柱を小さく動かした。たったそれだけの動作にもかかわらず、俺の手を強烈な衝撃が襲う。魔法で筋力を強化されていなければ、剣を取り落としていただろう。
兜の下で顔をしかめながらも剣を握り直す。幸いなことに、手が痺れて動かないということはなかった。そして、さっきのカウンターを警戒しながら、再び剣を振るう。
さらに数合打ち合ったが、お互いの得物が相手の身体を捉えることはなかった。このまま戦いが膠着すると、体力や魔力が先に尽きるのはこちらだろう。
『仮初の剣発動』
『大破壊』が破砕柱を振るった瞬間、俺は魔法剣の一種を発動させた。構えていた剣が青白い靄に包まれたことを確認すると、俺は『大破壊』の側面へ回り込む。
「ぬ――」
本来であれば、それを簡単に許す『大破壊』ではない。そもそも、彼の得物はすでに振るわれているのだ。横へ回り込もうとしても、破砕柱が俺の身体にめりこむほうが早い。だが――。
『おおっとぉぉぉ! 『極光の騎士』が動いても、剣だけがその場に留まっている! いや、違う! 『極光の騎士』の剣はその手に握られている!?』
俺の身体を捉えるはずだった破砕柱は、剣の形をした発光体に阻まれていた。剣を構えていた場所に、魔力でもう一本の剣を生成する。それが仮初の剣だ。
付与魔術の効果で俺の剣が青白く輝いていたこともあり、青白い光を放つ仮初の剣を見ると、剣が二本に増えたように思えたことだろう。
さすがと言うべきか、『大破壊』の破砕柱は空中に配置された仮初の剣を破壊していた。
だが、破砕柱の動きが止まったことは事実であり、俺が側面に回り込む時間を稼ぐには充分だった。
やや崩れた姿勢ながらも、俺は剣を『大破壊』の脇腹へ叩き込む。だが――。
『出たぁぁぁっ! 『大破壊』の闘気が『極光の騎士』の剣を阻んだぁぁっ! 『極光の騎士』の攻撃すらも、防御力を増した鋼の肉体には届かないのか!?』
「そのように力の抜けた攻撃では、俺に致命傷を与えることはできん」
『大破壊』は落ち着き払った声で宣言する。『大破壊』の脇腹からは多少血が流れているが、今後の試合に影響するとは思えなかった。
「……そのようだな」
冷静に答えながらも俺は憮然としていた。ただでさえ、非常識に頑丈な筋肉に覆われているというのに、さらに『大破壊』の闘気だ。闘気は増幅、集中させることで、破壊力や防御力を高めるという魔法さながらの効果を誇っている。
親父も似たような技を使っていたが、「なんとなくできるようになった」という曖昧な習得経緯だったためか、俺がその技を受け継ぐことはできなかったのだ。
「――っ!」
攻守交代とでも言うように、今度は『大破壊』が攻勢を仕掛けてくる。縦横無尽に振るわれる破砕柱は、槍のように穂先や石突の区別があるわけではないため、その動きを読むことが非常に困難だった。
だが、それでも『大破壊』の動きを先読みするしかない。強化魔法と魔導鎧で強化された『極光の騎士』でも、『大破壊』の攻撃をまともにくらえば無事ではすまない。
『今度は『大破壊』が攻勢に出たぁぁぁっ! 凶悪な破壊力を秘めた破砕柱が目にも止まらぬ速さで繰り出される!』
『大破壊』の連撃をなんとか捌きながら、俺は攻勢に転じる方法を模索する。だが、その攻撃は猛攻と呼ぶに相応しく、俺が付け入る隙を与えなかった。
振り下ろされた破砕柱を、俺は小さなステップで回避する。叩きつけられた石床が砕け散り、俺たちの足場が陥没した。
そして、それが狙いだったのだろう。バランスを崩した俺に向かって、横薙ぎの一撃が迫る。
「くっ!」
身体を投げ出す形で、俺はなんとか破砕柱を回避した。だが、それは次の攻撃に対して防御手段がないことを意味する。
『落下速度減衰起動』
俺は咄嗟に魔法を発動させた。本来は高所から無事に着陸するための魔法だが、対象者の重量を軽減し、重力の影響を弱める効果がある。それが目的だった。
俺は石床に片手をつくと、それを支えにして空へ跳ねる。全身鎧を着こんだ状態で、腕一本の力で宙を舞うなど、本来の俺なら考えもしないところだ。
そして、『大破壊』もその行動は予想外だったようで、次に繰り出された攻撃は空振りに終わっていた。
だが、まだ窮地を脱したわけではない。空中にいるということは、格好の的になるということだ。その隙を突かれないようこちらから攻撃を仕掛ける。
「氷雨」
至近距離で無数の氷の矢が降り注ぎ、『大破壊』を牽制する。この程度で『大破壊』に効果的なダメージを与えることはできないが、視界や行動の阻害としては有用だ。
「くっ……」
それでも、俺を目がけて振るわれた破砕柱を完全に回避することはできず、俺は受け止めた剣ごと試合の間の壁際まで吹き飛ばされていた。
『おおっとぉぉぉっ! 『極光の騎士』が攻撃をくらったぁぁぁっ! これは非常に珍しい光景だっ! さすがは『大破壊』だぁぁぁっ!』
なんとか受け身を取った俺は、即座に立ち上がった。もし氷雨で牽制していなければ、壁か結界に叩きつけられていただろう。
見れば、『大破壊』は追撃する気がなかったようで、悠然と試合の間の中央に立っていた。同じく悠然と歩いて中央へ向かうと、俺は静かに立つ『大破壊』と再び対峙した。
「……やはり面白い男だ。それだけ剣の腕を磨いていながら、魔法まで使いこなすとはな」
何を思ったのか、『大破壊』は俺を素直に賞賛する。大部分を魔導鎧の性能に頼っている身としては複雑な気分だが、それを表に出すわけにはいかない。
「俺からすれば、お前こそ驚異的な存在だ。肉体の鍛錬のみで、そこまでの強さを得るとはな」
対する俺の言葉は本音そのものだった。実際、魔法を使わなければ危ない場面もあったからな。その強さは闘技場の覇者と呼ぶに相応しいものだった。
だが、その言葉に『大破壊』は眉をしかめた。
「そこだ。そこが理解できぬ」
「……何を言っている?」
言葉の意味が分からず、素直に問いかける。すると、『大破壊』は訝しげな表情を浮かべた。
「おそらく、お前は心からそう思っている。俺こそが強者だと。……かつて俺はお前に敗北しているが、それでもお前の態度は変わっていない」
「ただの謙遜だ」
『大破壊』の言葉に動揺しつつも、俺はふてぶてしい声を作り上げる。
「ふん……まあいい。続きは俺が勝ってからだ」
「それは何十年後の話だろうな」
言葉の応酬を経て、俺たちは再び武器を構える。最終試合の幕引きは、まだ先の話になりそうだった。