初興行 Ⅰ
新しい闘技場での興行初日。第二十八闘技場の裏側は、戦場のような慌ただしさだった。
「支配人! 第一試合の剣闘士が控室にいません!」
「闘技場への到着は確認しているが……不慣れな建物内で迷っている可能性があるな。各フロア担当に伝達して協力を要請してくれ。場合によっては俺の挨拶等で試合開始を引き延ばす」
「軽食コーナーの食材が底を尽きそうです! このまま行くと、第三試合と第四試合の間の休憩時間にすべての商品が売り切れる見込みです!」
「人気商品の材料や日持ちする食材を中心に追加発注。マルガ商会に話を通してある。同じ三十七街区内にある商会だから、第二試合までには間に合うだろう」
「ジョイスト子爵が支配人にご挨拶をと……!」
「後ほどこちらから貴賓席に出向くと伝えてくれ。大丈夫だと思うが、万が一納得しないようならダグラス副支配人に回してほしい」
指示を受けて動く従業員を見送ると、俺は新しい支配人室の窓から闘技場を眺める。
完成した新闘技場の規模は大きく、帝都でも十指、いや五指に入るかもしれない。もちろん巨大なだけではなく、洗練された、それでいて武骨な部分の残る造りが、この闘技場の威容をさらに強めていた。
新しく完成した闘技場を見た剣闘士や従業員は、みんな感嘆の声を上げており、それは俺も例外ではなかった。
これで闘技場の業績が振るわなかったとしても、それは建物のせいではない。そう断言できる出来だった。
今日のチケットは完売となっており、一部では非常に高値で取引もされていたようだが、それはあくまで『極光の騎士』と『大破壊』の組み合わせによるものだ。
その組み合わせがなくても、やっていけるだけの集客力があるのか。それを見極める必要があった。
「いっそ、客席を回りたいところだが……」
支配人室の扉を見つめる。そうしたいのは山々だが、新しい闘技場で初興行を行う今日という日は、俺がこの部屋を不在にするわけにはいかなかった。
新しい場所での初興行となれば、想定外のトラブルはつきものだし、規模の拡大に伴って従業員を増やしたため、興行を初めて経験する従業員も少なくない。
当然、すんなり行くはずがないため、最高責任者としてその所在を明らかにしておく必要があった。
「……まあ、最終試合だけは勘弁してもらいたいところだな」
一人呟く。『極光の騎士』として試合に臨む以上、支配人室にいるわけにはいかない。最終試合なら大抵のトラブルは発生・対処済みだろうし、支配人絡みの案件は少ないはずだ。
そんなことを考えながら、俺は支配人室の扉を少し開く。迂闊に外に出るわけにはいかないが、やはりどんな様子か気になるものだ。
そうして隙間から廊下に目をやった俺は、見知った顔と視線が合う。
「……ヴェイナード?」
すると向こうも気がついたようで、歩きながらも小さく頭を下げる。そして、彼は支配人室の前で立ち止まった。
さすがに無視するわけにもいかず、俺はわずかに開けていた扉を大きく開いた。
「ミレウス支配人。新しい闘技場の完成と初興行、誠におめでとうございます」
「ありがとうございます。皆様のお陰で無事ここまで辿り着くことができました。本当に感謝しています」
その社交辞令には、本音も少し含まれていた。ヴェイナードが貴重な建材を提供してくれなければ、新闘技場の完成はずれ込んでいた可能性が高い。
そのお礼の意味も込めて、彼には今日の観戦チケットを融通していた。
「……と、今日の支配人は特にお忙しいことでしょうから、用件だけお伝えします」
言いながら、彼は瓶を二本取り出した。中の液体は澄んだ赤色をしている。
「『試合の間』の結界はいかがですか?」
「準備は万全ですが……それが何か?」
平然とした顔で尋ね返す。古代装置絡みの案件ではあるが、警戒心を悟られるわけにはいかない。そもそも、なぜその話題を口にしたのだろうか。
「いえ、今日の出場者は初興行に相応しい猛者ばかり。彼らの戦闘力を考えると、結界を担当する魔術師も大変だろうと思いまして」
そして、ヴェイナードは瓶をこちらへ差し出した。
「魔力回復・増強の水薬です。新闘技場の開場祝いとしてお納めください」
「お気遣いありがとうございます。ユミル商会では魔法薬も扱っているんですね」
どうやら古代装置絡みではなかったようで、俺はこっそり安堵した。だが、本当にそれだけだろうか。
「製作者の人数や魔術ギルドとの関係もありますから、大口の取引はできませんが、少量ならご用立てできますよ」
つまりは、開場祝いを兼ねた宣伝か。それが本当なら、受け取る側としても気が楽だ。
「ありがとうございます、どうしても負傷者は発生しますからね。少しずつ水薬の備蓄を増やしていくほうがいいかもしれません」
「その際には、よろしければお声がけください。……それでは」
「貴重な水薬をありがとうございました。それでは、試合をお楽しみくださいね」
別れの挨拶を交わすと、俺は支配人室へ戻る。すると、一息つく間もなく扉が開かれた。
「ミレウス、そろそろ挨拶の準備をしてもらえる?」
そう言って現れたのはヴィンフリーデだ。彼女も新しい闘技場には不慣れなはずだが、すでにいつもの調子を取り戻しているようだった。
「それと、行きがけに放送フロアに顔を出しておいて。確認したいことがあるみたい」
その言葉に頷くと、新しい闘技場の地図を頭に浮かべる。今までは無意識にやっていたが、今は効率的な経路を選択するために頭を使う必要があった。
「分かった。すまないが、俺が戻るまではこの部屋で指揮を頼む。困ったらダグラスさんに回してくれ」
そして闘技場の『試合の間』へ向かう。
新闘技場での初興行は、まだこれからだった。
◆◆◆
「――最後の試合から、二か月ほどお休みを頂いておりましたが、ついに、こうして興行ができるようになりました。これも皆様のお陰と深く感謝しております。
新しくなったこの闘技場では、今まで以上に多種多様な試合をご覧に入れることができるでしょう。皆様の期待を裏切ることは決してないとお約束いたします。
今後とも、ルエイン帝国第二十八闘技場をご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます」
準備していた口上を述べると、恭しく一礼する。新しい闘技場の収容人数は二万人を誇り、そのすべての視線が俺に向けられていた。前の闘技場の収容人数は数千人であったため、密かに緊張していたくらいだ。
『極光の騎士』としてディスタ闘技場で戦った時には、三万人近い観客に囲まれたことがあるため、その経験を思い出してなんとか平静を保っていた。
拍手が沸き起こったため、予定よりも長めに試合の間に滞在した俺は、もう一度深々と頭を下げる。そして密かに合図を送ると、俺が立っている石床が沈み始めた。
その様子に、観客席が小さく盛り上がりを見せる。前の闘技場にも存在していたギミックだが、観客のウケは良かったようだ。支配人がわざわざその仕掛けで退場するとは思っていなかったのだろう。
完全に観客から見えなくなるまで、俺は笑みを浮かべ続けた。
「支配人、お疲れさまでした!」
沈む石床に乗り続け、試合の間の真下にある地下施設に着いた俺を出迎えたのは、こういったギミックを担当している従業員だった。後ろに見慣れない顔がいるのは、新しく雇った人間だろう。
「お疲れさま、上手く起動したな」
「本当に……柄にもなく緊張しましたよ」
彼は嬉しそうに笑う。リハーサルで何度も起動させているものの、やはり初本番で上手くいくかは心配だったのだろう。彼らに労いの言葉をかけると、俺は足早に地下施設を抜けて地上部へ出て、支配人室へ向かった。
「ヴィンフリーデ、何か事件はあったか?」
支配人室に着いた俺は、出迎えてくれたヴィンフリーデに開口一番で尋ねる。だが、彼女は笑顔とともに首を横に振った。
「事件というほどのものはなかったわ。細々としたことならいくらでもあるけれど。……聞きたい?」
「今後の参考になるなら聞いておきたいな」
そう答えると、ヴィンフリーデは少しだけ悩んで口を開いた。
「今後の参考にはなるかもしれないけれど、今日の参考にはならない程度の緊急度ね」
「それじゃ、今日の興行が終わってから頼む」
「分かったわ」
彼女の返事を聞くと、俺は支配人室にいたもう一人の人物に目を向けた。
「ところで、ユーゼフはどうしてここにいるんだ? デートには早いだろう」
「試合のスケジュールを確認しにきただけさ。そうしたら、たまたま支配人秘書がいたんだ」
『金閃』ユーゼフは悪びれず答える。特に緊張感は漂っていないが、彼は今日の試合で他の闘技場に所属する『七色投網』と対戦することになっていた。
『七色投網』の帝都剣闘士ランキングは十四位だが、魔法のかかった投網をはじめとして、様々な網を使い分ける剣闘士であり、その珍しさと面白い戦い方から人気が高い。
『大破壊』との交流試合を組んでいるため、さすがに十位内の上位ランカーをもう一人呼ぶわけにはいかなかったが、彼ならそれに匹敵する集客力があるはずだった。
「まあ、別にいいけどさ」
「そうそう、さっき『大破壊』を見かけたよ。彼にしては早い到着だね」
そして、ユーゼフは思い出したように口を開いた。
「みたいだな。俺もさっき報告を受けたが……意外だな 」
最終試合ということもあって、『大破壊』の到着はまだ先だと予想していたのだが、それが外れた格好だ。
「『極光の騎士』との戦いをよっぽど楽しみにしているんだろうね」
ユーゼフは意味ありげに俺を見る。どうせなら自分が戦いたかったのだろうが、ここは我慢してもらうしかない。
「なんにせよ、支配人として挨拶しておかないとな」
そんな会話を交わしている間に、支配人室の訪問者はさらに増える。『紅の歌姫』レティシャだ。
「ミレウス、お疲れさま。面白い退場シーンだったわ」
「今日の試合、レティシャもアレで登場してみるか?」
冗談混じりで提案する。うちの闘技場でトップクラスの人気を誇る彼女は、もちろん今日も出場予定だ。そして、その対戦相手は――。
「面白そうだけど、『魔導災厄』は嫌がるかもしれないわね」
「たしかにな。かといって、片方だけ特別扱いするわけにもいかないか」
そう、彼女の対戦相手は『魔導災厄』だった。昔、この組み合わせを実行した時には、二人の魔法が飛び交った結果、第二十八闘技場は盛大に破壊され、お客にもかなりの負傷者が出ていた。
そのため、この二人の組み合わせは封印していたのだが、古代装置によって強力な結界が展開できる今なら充分対応可能だろう。
当時の被害は凄かったが、『またあの組み合わせを見たい』という声はとても多かったし、新しい闘技場のお披露目にはうってつけだった。
「今日の試合は、流れ弾や余波を気にしなくてもいいのよね? 楽しみだわ」
「結界を破るのは勘弁してくれよ?」
「大丈夫よ。一点突破で結界の破壊を狙わない限り、私たちでも無理でしょうね」
「あの御仁なら、何かやらかしそうな気もするけどね」
ユーゼフが口を挟む。たしかに『魔導災厄』は持ち札が多いからな。巨人騒動時にも、頑張ればあの結界を壊せるようなことを言っていたはずだ。
「結界の破壊は不可能ではないけれど、そのためには魔法陣の多重起動と触媒の準備、長い魔法詠唱が必要ね」
「それなら、試合で使うことはないか」
対戦相手がレティシャである以上、いくら『魔導災厄』でもそんな悠長なことはできないだろう。『極光の騎士』として結界を破ったことはあるが、あれは一点突破だったからな。
「二人の戦いで結界が破れないとなれば、試合の間のギリギリにまで座席を配置できるしな。至近距離だし、特等席になるかもしれない」
「ミレウスらしいわね」
レティシャは小さく笑う。見れば、ユーゼフとヴィンフリーデも同じような表情を浮かべていた。緊迫した闘技場らしからぬ、穏やかな空気が漂う。
「……あ」
ふと思い出して、俺は机に置いてあった水薬を手に取ると、レティシャに差し出した。
「そう言えば、出入りの業者が魔力回復の水薬をくれたんだが……一本いるか?」
「あら、くれるの? ミレウスからのプレゼントなら、なんでも嬉しいわ」
レティシャは水薬の小瓶を受け取ると、演技がかった様子で胸に抱きしめた。
「今日の興行で何が起きるか分からないからな。念のためだ」
それは、シンシアの神託を念頭に置いた言葉でもあった。もし神託が現実のもので、かつ彼女の試合後に発生した場合、魔力を使い果たしているだろうからな。ただ、神託のことは誰にも話していないため、純粋な贈り物として認識されたようだった。
彼女が水薬を懐に収めたことを確認すると、俺は改めて三人に向き直る。
「なんにせよ、今日の興行で色々と見極めなきゃな。……みんな、よろしく頼む」
俺の言葉に、三人は同時に頷いた。