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妨害 Ⅳ

「奴らの身元が分かった」


「迅速なご対応、ありがとうございます」


 とある詰所の客室で、俺はウィラン男爵と向かい合っていた。建設現場にモンスターを放った男たちのうち、捕らえた二人を引き渡したのは二日前のことだ。


「二人の名はヴィスカーク・オレオルとベルヌール・エイド。……まあ、この名前自体に大した価値はない」


「ということは、前科持ちではないと?」


「少なくとも、記録に残るようなことはしていない。それに、記録に残らずとも、何度も揉め事を引き起こす輩であれば、部下の誰かが覚えているからな」


「そうですか……」


 俺は考えを巡らせる。やはり、たまたま第二十八闘技場の建設現場を狙った可能性は低そうだな。背後を突き止める必要があるだろうが、具体的にどうしたものか。


「なお、二人とも五十三街区の住民だ。いつも群れている仲間が十人ほどいるらしいから、逃げ出した仲間である可能性は高い」


「五十三街区ですか?」


 五十三街区は帝都の外周部を形成しているエリアであり、外周部の常として貧しい人が多かったはずだ。たまに例外的な外周区域もあるが、五十三街区はあまり栄えていないし、どちらかと言えば、治安が悪いほうに分類される。


「五十三街区から三十七街区まで、わざわざやって来ていたとは驚きですね」


 帝都の地図を頭に描く。おそらく、片道で一刻以上かかるはずだ。


「理由のない嫌がらせにしては、苦労が大きすぎる。それに、最近は十八街区によく出入りしていたそうだが、それがなぜ三十七街区に鞍替えしたのかも分からん」


「十八街区……」


 たしかに、五十三街区から帝都の中心へまっすぐ向かうと、十八街区にたどり着く。そういう意味では、三十七街区へ来るよりも近いだろう。

 だが、十八街区はそこそこ帝都の中心に近い。こう言ってはなんだが、アウトロー寄りの人間が寄り付くには少し違和感があった。だが……。


「――あ」


 思わず声を上げる。俺が十八街区に住んでいたことはないが、仕事の関係で何度か訪れていることを思い出したからだ。


「どうした、何か心当りがあるのか?」


「いえ、仕事絡みなのですが……あそこにはウェルヌス闘技場がありましたね」


 ウェルヌス闘技場は、帝都において三番目に古い、非常に歴史のある闘技場だ。現在の闘技場ランキングは四位だが、かつては三位以内に入っていたこともあり、独自の名前を付けることが許された数少ない闘技場でもある。


 現皇帝と共に戦い、帝国の建国に尽力した伝説の戦士が創始者だが、彼はもはや故人となっており、今は子だか弟子だかが跡を継いでいるはずだった。


「そうだな。私もたまに観戦しているが……。まさか、それが関係していると?」


「そうと決まったわけではありませんが……」


 ウェルヌス闘技場はかなり大きな闘技場であり、今ではスター選手こそいないものの、剣闘士全体の質も高く、帝都五十傑に入る剣闘士を何人も擁している。

 現在は少し順位を落としているが、十八街区周辺の闘技場としては非常に人気のある闘技場なのだが……。


「実を言えば、第二十八闘技場はあまり好かれていないようでして」


 あの闘技場は、魔術師を剣闘試合に組み込んだ第二十八闘技場を快く思っていない。それどころか、否定派の筆頭と言っていいだろう。


 顔を合わせると必ず嫌味を言ってくるし、この前の交流試合で『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』と戦った魔術師嫌いの剣闘士もウェルヌス闘技場の所属だ。


 そういう意味では、彼らの関与を疑いたくもなる。そう説明すると、ウィラン男爵は心から驚いているようだった。


「そんな確執があったとはな……。つまり、お前が考えているのは、ウェルヌス闘技場が奴らを利用して、第二十八闘技場の建設を妨害させたということだな?」


「こう言ってはなんですが、貧困層が成り上がる手段として、剣闘士を目指すことは珍しくありません。剣闘士登録をちらつかせて、彼らを動かすことは難しいことではないでしょう」


「ふむ……だが、わざわざ建設を妨害してメリットがあるか? 多少妨害したところで、いつかは闘技場も完成するだろう」


「普通はそうですが……うちの闘技場では、闘技場を建設している今の期間についても賃金を支払っているのです。工期が延びると、経済的な莫大な損害が生じますね」


「それを狙ってやっていたと?」


「可能性はあります。もちろん、彼らが十八街区に出入りしていたというだけで、そこまで決めつけるのは早計でしょうが……」


「なるほど、その線から探ってみてもよいかもしれんな」


 男爵は興味深そうに頷く。意外と協力的なのは、やはりモンスターを使役する手段が気になるからだろうか。そう尋ねると、彼は渋い表情を浮かべた。


「それもあるが……人を探していてな。そちらに繋がるかもしれんと考えている」


「エルフ族ですか?」


「……知っていたか。どうにも怪しい連中で、ほとんど姿を見せん。この街にいるエルフ族など、混血種族ハーフで形成されている商会に数名がいる程度だが――」


「ひょっとして、ユミル商会ですか?」


 口を挟むと、ウィラン男爵は意外そうに頷いた。


「そうだ。奴らについては調べがついている。そもそも、今回探しているのは純種のエルフだからな。里を追われたハーフエルフとは相性も悪かろう」


「なるほど、そうでしたか」


 言いながら、内心でほっとする。ヴェイナードがお尋ね者だった場合、取引をしている第二十八闘技場に不利益が及ぶかもしれないからな。


「もしエルフを見かけたら、教えてもらいたい」


「ええ、分かりました」


 エルフを庇う理由もないし、もし見つけたら情報提供くらいはしよう。今回の件では、意外とウィラン男爵の世話になったしな。


 そんなことを考えながら男爵の顔を見た俺は、ふと首を傾げた。


「ウィラン男爵、お疲れなのではありませんか? 以前にお会いした時よりも、だいぶ痩せているようにお見受けしますが」


 今まで気付かなかったが、向かい合ってじっくり見ると、彼は明らかに痩せていた。痩せたと見るべきか、余分な肉が落ちたと見るべきかは悩むところだが。


「……まあ、な」


 すると、ウィラン男爵は遠い目で中空を見た。


「今まで家を取り仕切っていた従者が、例の巨人騒ぎで命を落としてな」


「あ……」


 その言葉で思い出す。ウィラン男爵家の従者メイナードは、あの巨人騒動の犯人の一人だったのだが、裏切った仲間によって殺されたのだ。

 だが、その事情を知っているのは俺とシンシアだけだ。ウィラン男爵からすれば、頼っていた従者が、不幸にも巨人騒動に巻き込まれたという認識しかないのだろう。


「おかげで、今まではこの仕事を含め、多くを従者に任せていたのだが、すべて自分でやることになってしまってな。多少は疲れもする」


「そうでしたか……辛い記憶を呼び起こしてしまって申し訳ありません」


 ここ最近、ウィラン男爵を見直すことが多いことを考えれば、メイナードが間に入っていないほうがいい仕事をするんじゃないかとも思うが……そこは黙っておくか。本気で死を悼んでいる彼に、わざわざ伝えることでもない。


「……それでは、貴重な情報をありがとうございました。追加で分かった情報がありましたら、その時は――」


「分かっている、可能な範囲で伝えよう。第二十八闘技場の運営に関わる事柄である以上、お前も死活問題だろうからな」


「恐れ入ります」


 別れの挨拶を交わすと、俺は詰所を後にした。




 ◆◆◆




【『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』レティシャ・ルノリア】




紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』の居宅は広い。彼女は一人暮らしであり、生活に広い家を必要とするわけではないが、魔法の実験や薬草の栽培に様々な施設が必要であるため、必然的に広い土地を所有していたのだ。


 そんな施設の一つで魔法実験をしていたレティシャは、その結果に小さく溜息をついた。


「詠唱を変えてみようかしら……ちょっと煮詰まってきたわね」


 彼女は一人呟く。冒険者を引退し、一人で居宅に籠もるようになってからというもの、独り言の癖がついた気がする。

 魔法研究は彼女の生き甲斐だが、孤独を愛しているわけではない。その歪みが出てきているのだろうと彼女は分析していた。


 それでも、ミレウスにスカウトされ、第二十八闘技場で戦うようになってからは、だいぶ独り言も減っていた。それがまた増えてきたのは、移転に伴って闘技場が休業しているからだろう。


 剣闘試合は新しい魔法のインスピレーションの源になるし、いい気分転換でもある。そして、闘技場に赴くたびにミレウスをからかうことは、日々の楽しみでもあった。


「ミレウスは、今頃どうしているかしらね」


 ふと思いを馳せる。地下にある古代遺跡が工事中に見つからないよう、入念に結界を張ったレティシャは、建設工事の予定についても詳細に聞いている。予定通りなら、完成まであと一か月といったところだろう。


 それまで闘技場は休業となるわけだが、少しはのんびりしているのだろうか。顔を見たくなることはあるが、今のレティシャには会いに行く口実がない。

 もちろん、理由なく会いに行くことだってできるが、なかなか思い切ることができない。普段の彼女を知っている人間は驚くだろうが、それもまたレティシャの一面だった。


 それに、闘技場が未完成である現状では、ミレウスを確実に捕まえられる場所がない。たまに建設現場に顔を出しているらしいが、万が一にでも地下に結界を張ったことを気付かれないよう、レティシャは顔を出さないようにしていた。


 前に渡した、疲労回復効果のある香料は使ってくれているだろうか。男性用に香りの種類を爽やかなものにしてみたが、苦手な香りではなかっただろうか。


 そんなとりとめのないことを考えながら、レティシャは実験場を後にする。


 そして、実験場と家の間にある薬草園の様子を確認していると、小さく魔力が揺れた。


「誰かしら……?」


 一人で広い敷地に住むレティシャにとって、扉のノッカーの音はあまりにも小さい。かと言って、大きな音を出すために鐘でもつけようものなら、明らかに近所迷惑だ。


 そのため、彼女は正門にちょっとした結界を敷いており、訪問者がいると小さな魔力が流れるような仕掛けを作っていた。


 今日はなんの予定も入っていないことを考えると、物売りの類いだろうか。もしそうなら、このまま居留守を使ってしまおう。そう考えると、レティシャは結界と意識を同調させた。


「猫……?」


 そして呟く。ミレウスではないかと密かに期待した面もあったのだが、家の前にいたのは、一匹の猫だったのだ。

 もちろん、ただの猫ではない。結界による監視に勘づいたのか、猫の視線がレティシャを捉える。そんな芸当ができるのは、彼女が知る限り魔術ギルド長の使い魔だけだ。


 そして、使い魔を通じてとは言え、ギルド長が直接訪ねてきたということは重要な要件なのだろう。


「……出かける必要がありそうね」


 猫を迎え入れるため、彼女は正門へと向かった。




 ◆◆◆




「レティシャ、突然呼び出して悪かったねぇ」


「他の人ならともかく、ギルド長のお誘いは断れませんわ」


 帝都に居を構える魔術ギルドの一室で、レティシャはギルド長であるディネアと向かい合っていた。すでに老齢の域に差し掛かっているが、彼女はかつて『結界の魔女』として名を馳せた魔術師であり、現皇帝とともに戦い、建国に助力した重要人物だ。


 限界を超えて魔力を使い続けた代償として、大半の魔力を失ったものの、その技術や知識は健在であり、帝都で彼女を尊敬しない魔術師はいない。


 数少ない例外はあの『魔導災厄スペル・ディザスター』くらいだが、彼はディネアと切磋琢磨していた身であり、彼女が魔力を失ったと知った時には、その間接的な原因となった皇帝に掴みかかったという。


「ピエールが馬鹿なことをしでかした後だから、あたしが直接訪ねたほうがいいと思ったのさ」


「お気遣いありがとうございます」


 ピエール元副ギルド長が執拗にレティシャに迫り、その挙句に一部始終を館内放送されたのは数カ月前の話だ。 

 その時の一件が元で様々な事案が明るみに出たため、彼は降格され、ついには別のギルドに異動させられることになったのだが、それはギルド長が彼女だったからこそ可能だったと言える。


 レティシャとしては溜飲も下がり、もう顔を合わせる必要もないということで、今の魔術ギルドに含むところはないのだが、組織の長としてはそうもいかないのだろう。


「……そうそう、光壁のレポートを読ませてもらったよ。個人の術者が扱える代物とは思えないけれど、一体どうやってあんな結界を展開したのかねぇ」


「ええ、本当に」


 レティシャは澄ました顔で頷いたが、内心ではギクリとしていた。『結界の魔女』の二つ名が示す通り、ギルド長の得意分野は結界術だ。さらに言えば、彼女はレティシャの結界術の師でもある。下手をすれば、古代遺跡の存在に気付きかねなかった。


「レポートにも書かれていたけれど、魔力を増幅する魔法陣や触媒が消し飛んだのは惜しかったねぇ……」


 ディネアはしみじみと呟く。その言葉に、レティシャは少し罪悪感を覚えざるを得なかった。


 光壁についてレポートを作成し、魔術ギルドに報告した時点では、あの光壁が古代遺跡によるものだとは知らなかった。

 そのため、光壁の展開には莫大な魔力が必要であり、個人で賄えない魔力については、魔法陣や触媒のアシストを受けていたのではないかと考察していたのだ。


「まあ、過ぎたことを悔んでも仕方ないね。本題に入るよ」


 ディネアの表情がさっと引き締まり、魔術師の顔からギルド長としての顔へ変わる。


「実は、あたしの結界に引っ掛かった奴がいてね」


「まさか……!?」


 思わず声を上げる。ディネアが扱える魔力は、全盛期から比べるとほんのわずかだ。だが、それでも元々の魔力容量キャパシティが多かったため、並の魔術師にやや劣る程度の魔力は有している。


 そして、その彼女が魔力の大半を費やしているものこそ、帝都を中心とした索敵用の結界だった。


「アンタも知ってる通り、あたしの結界は範囲重視だ。範囲だけで言えば、帝都と同じ面積が十や二十は入る。ただし――」


「結界に引っ掛かるのは、巨大な魔力を持つ存在だけ……ですよね?」


 レティシャが言葉を引き継ぐと、ディネアは満足そうに頷いた。彼女に師事していた時に教えてもらった事柄だが、たしか対象になり得るのはドラゴン不死鳥フェニックスといった最強クラスの魔物だけだ。


 ディネアがなぜそんな結界を張っているのかは不明だが、それがこうして役に立ったというわけだ。


「……おそらく、アレは古竜エンシェントドラゴンだね」


「……!」


 レティシャは目を見開いた。古竜エンシェントドラゴンと言えば、長い時を生きる強大な存在であり、最強の生物と言っても過言ではない。


古竜エンシェントドラゴンにしちゃ、中途半端な魔力だけど……ま、その気になればこの街を消し飛ばすくらいは訳ないだろうさ」


 あっさりと恐ろしい予言を口にする。だが、不吉な言葉はそれだけではなかった。


「さらに気になるのは、その周囲でエルフらしき存在を見つけたことだね。遠隔視の魔法を無理やり繋げただけだし、すぐ古竜エンシェントドラゴンに無効化されちまったけど」


 だから詳細は分からないよ、とディネアは苦笑を浮かべる。


「ただ、そいつらが帝国内に待機していて、周囲にいたエルフの数が減ってる。それは間違いない」


「つまり、帝都を害する目的があって、その下準備として偵察を出したと……?」


「あくまで可能性だけどねぇ」


「ですが、どうしてエルフが……」


 亜人の例に漏れず、エルフも自分たちの里に籠っている。それどころか、他の亜人と比べて里から出てこない傾向にあった。

 そんなエルフが古竜エンシェントドラゴンに同行しているというのは、どうにも引っ掛かる。


「……エルフの考え方はあたしにゃ分からないよ。だから、害意がない可能性だってある。

 ただ、もし古竜エンシェントドラゴンに襲われるとかなりの被害が出るからね。警戒するに越したことはないさ」


「このお話、帝国には……?」


「イスファンには伝えたよ。帝都に入り込んだエルフを探しだすってさ」


「それなら、私たちの出る幕ではなさそうですね」


 ディネアは事もなげに呼び捨てているが、イスファンとはこの国の皇帝の名だ。彼の耳に入れたのなら、もう兵士たちが動いているだろう。


「問題は、古竜エンシェントドラゴンの動向さね。そこらの軍勢を差し向けたところで返り討ちに遭うだけだ」


古竜エンシェントドラゴンですものね……それなら、精鋭を送りこむと?」


「そもそも、敵対すると決まったわけじゃないからね。下手につついて怒らせるわけにはいかない」


 その言い分はレティシャにも分かった。消極的ではあるが、危険が顕在化していない現状ではそれ以外に動きようがないだろう。


 もし古竜エンシェントドラゴンと戦いになれば、帝都に大きな被害が出ることは間違いない。なんと言っても、あちらは空を飛べるのだ。討伐隊が押し寄せたとしても、空を飛んでしまえば終わりだ。戦いにすらならない。

 そして、その腹いせに帝都を襲われてしまえば、それを防ぐことは難しい。


「それでは……どうして、この話を私に?」


 この一件は帝国に大きな混乱をもたらしかねない。エルフはともかく、古竜エンシェントドラゴンの存在は機密レベルの話だろう。


「人間性が信頼できて、優秀な魔術師には話をしているよ。有事の際に前情報があるのとないのとじゃ、対応が違ってくるからね」


「それなら、『魔導災厄スペル・ディザスター』……いえ、ルドロス導師には……?」


「『新魔法のよい実験台じゃ』って、勝手にちょっかいをかけに行くのが目に見えてるからね。あいつには教えないよ」


「それは……たしかに」


 レティシャもまったくの同意見だった。そして、魔術に長けた『魔導災厄スペル・ディザスター』のことだ、たとえ古竜エンシェントドラゴンに襲われたとしても、彼だけは生き残りそうな気がした。


「あいつが協力してくれりゃ、だいぶ助かるんだがねぇ……ただでさえ偏屈だったのが、齢を取って余計に扱いづらくなっちまった」


 そう言いながらも、ディネアの表情は心なしか楽しそうだった。長年の付き合いもあり、魔術ギルド内で、『魔導災厄スペル・ディザスター』を説得することができるのは彼女だけだ。


「まあ、ルドロス導師ですから……ともかく、古竜エンシェントドラゴンの襲撃に備えておけということですね?」


古竜エンシェントドラゴンと戦えなんて言うつもりはないよ。上手く逃げられればそれが一番さ」


「問題は、人々の安全ですね」


 レティシャ一人が逃げるのであれば、特に苦労することはない。だが、魔術師ギルドの構成員がこぞって逃げたとなれば非難は免れない。


「空に防衛網は敷けないからねぇ……昔のあたしでも、古竜エンシェントドラゴンを食い止めるような強力な結界を広域展開するのは無理だろうさ」


 それはつまり、誰にもできないと言うことだ。全盛期の『結界の魔女』でもできないということは、不可能と同義だ。


 冒険者時代に、レティシャは竜を倒したことがある。だが、相手は古竜エンシェントドラゴンではなかったし、心強い仲間もいた。

 それでも、仲間が二人重傷を負い、その傷が元で冒険者を続けられなくなったのだ。パーティーを解散した時のことは、今もはっきりと覚えている。


 純粋な戦闘力で言えば、当時の自分より強くなっている自信はあるが、相手が古竜エンシェントドラゴンとなれば話は別だ。


「何事も起きなければいいのですけど……」


 重苦しい空気の中、師弟は揃って溜息をついた。




 ◆◆◆




 魔術ギルドからの帰り道。ギルド長から重大な話を聞かされたレティシャは、様々な考え事をしながら歩いていた。

 もちろん、その考え事の中心となっているのは古竜エンシェントドラゴンの話だ。どうやって攻撃を防ぐか。人々を逃がしたとしても、追いつかれてしまえば一緒ではないのか。そもそも、何が目的なのか。


 そんなことで頭が一杯だったレティシャは、いつの間にか自分の家まで帰ってきていた。そして、家の前に見知った姿があることに気付く。


「……ミレウス?」


「レティシャ、久しぶりだな」


 レティシャが声を上げると、ミレウスは軽く手を挙げて答えた。最後に会ったのは、闘技場の建設予定地に展開した結界を二人で確認した時だから、一か月ほど前になるだろうか。


「長い間顔を見せてくれなかったから、捨てられたのかと思っていたわ」


「魔法研究の邪魔をしちゃ悪いと思ってさ」


「そういうことにしておいてあげるわ」


 いつものやり取りも、久しぶりに交わすと新鮮なものがある。古竜エンシェントドラゴンの話で気が重くなっていたレティシャだが、いつの間にか重苦しい気分は吹き飛んでいた。


「それで? 魔法研究を妨げてまで、うちに来た理由はなに?」


 冗談めかして言いながら、レティシャはミレウスを家へ招き入れる。彼がこの家を直接訪れたのは、レティシャから魔法を教わっていた時以来だ。

 ちゃんと掃除はしているし、ミレウスに見られても困るところはない……はずだ。


「家に入るのは申し訳ないから、ここで用件だけ伝えておくよ」


 ミレウスは遠慮したものの、レティシャは笑顔で首を横に振った。


「外出先で色々とあって、私が疲れたのよ」


 宣言すると正門を開いて中へ入る。その言葉は方便だったが、真実でもある。ミレウスは異議を唱えず、黙ってレティシャの後に続いた。


「……ところで、どうしたの? 私としては顔を見せに来てくれただけでも嬉しいけれど」


 向かい合ってリビングのソファーに腰掛けると、レティシャはそう切り出した。


 それは冗談に見せかけた本音だが、ミレウスがそういう性格でないことは彼女もよく知っている。


「……一つは剣闘士の近況把握かな。戦士は副支配人が担当してくれているが、魔術師は俺の担当だから」


「あら、お仕事お疲れさま。闘技場がお休みでも忙しいのね」


「言われた通り、ちゃんと休みは取ってるぞ」


「そうみたいね。ミレウスが痩せ細っていないか心配だったけれど、安心したわ」


 レティシャは笑顔を浮かべた。どうやら、彼女の言葉をちゃんと覚えていてくれたらしい。


「それで、近況把握だったわね」


「ああ。さっき色々あって疲れたと言っていたが……」


「ひょっとして手伝ってくれるのかしら」


 そうは言ってみるものの、本気の言葉ではなかった。意外と腕が立つことが判明したミレウスだが、さすがに古竜エンシェントドラゴンと戦えるわけではない。


「内容にもよるが、俺にできることなら協力するぞ」


「やけに優しいわね。……ひょっとして下心でもあるの?」


「下心は……あるな」


 レティシャが冗談めかして使った言葉を、ミレウスはあっさり肯定した。


「え……?」


 それは予想外の言葉だった。レティシャを驚かせたことが嬉しかったのか、ミレウスは笑顔を浮かべている。そして、彼はレティシャを訪ねてきたもう一つの理由を口にした。


「実は、一緒にウェルヌス闘技場に来てほしいんだ」


「あら、デートのお誘いだったの? それならいつでもいいのに」


 微笑むレティシャに対して、ミレウスは真剣な表情を返す。


「逆上した相手が手を出してくる可能性もある。デートと呼ぶには危険だな」


「……どういうこと?」


 レティシャの声のトーンが少し下がる。それはミレウスに対する不信ではなく、彼への心配から来るものだ。


「実は、闘技場の建設現場で一悶着あってさ。その関係でウェルヌス闘技場を訪ねるつもりなんだ」


 建設現場での妨害行為。魔物の使役。そして、ウェルヌス闘技場とのわずかな接点。それらを知ったレティシャは驚きに目を見張った。


「まさか、そんなことが起きていたなんて……それで、ウェルヌス闘技場には何をしに行くの? 残りの仲間を探すつもり?」


「いや、よっぽどの間抜けでない限り、しばらくウェルヌス闘技場には寄り付かないだろう。だから、ちょっと支配人に挨拶してこようと思って」


「闘技場へ乗り込むつもりなの?」


「表向きは、交流試合の相談とでもしておくさ。ただし、ウェルヌス闘技場の支配人は魔術師を剣闘試合に組み込むことにかなり批判的だ。そこで――」


「私を連れて行って、向こうの支配人の感情を逆撫でするつもりね? 逆上して手を出してくるって、そういう意味だったのね」


 レティシャは納得したように声を上げた。


「さすがに逆撫でするつもりはないが……あそこの支配人は直情型だし、少し盛り上がれば何か情報を落としてくれる気がして」


「悪い人ね……」


 レティシャは小さく笑う。方向性がなんであれ、やる気に満ちているミレウスを見ることは嬉しいものだ。


「ところで、この話を私に持ってきたのは危険があるから?」


「ああ。何が起こるか分からないが、俺とレティシャなら大丈夫だろう。……もちろん報酬は払うつもりだが、レティシャの気が進まなければ断っても構わない」


「ふぅん……『俺とレティシャなら』ね」


 自然とレティシャの口の端が上がる。いつもなら『レティシャなら大丈夫』と言っているところだが、どういう心境の変化だろうか。


「もちろん一緒に行くわ。デートに大切なのは、場所じゃなくて相手だもの」


 レティシャは上機嫌で頷いた。



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