妨害 Ⅲ
「ミレウスさん、お怪我はありませんか……!?」
放たれた白灰豹を全滅させた後。ひざまずいて治癒魔法を使っているシンシアに近付くと、彼女は心配そうに問いかけてきた。
「ああ、シンシアの魔法のおかげで優位に立ち回れたからな。ありがとう」
「いえ……私が役に立てるのは、これくらいですから……」
現在、シンシアは負傷者を片っ端から治療していた。白灰豹に噛みつかれて生死の境をさまよった作業員もいたが、彼女のおかげで死者は出ずにすみそうだった。
やがて全員の治療を終えると、シンシアは立ち上がってぽんぽんと膝を払う。
「ミレウスさん、本当にお怪我はありませんか? まだ魔力は残ってますから……」
「ああ、本当に大丈夫だ。無傷じゃないが、わざわざ魔法を使ってもらうほどじゃないさ」
あれだけの人数に治癒魔法を使って、まだ余裕があるのか。さすが『天神の巫女』だな。そんなことを考えていると、シンシアが何かを言いたそうにしていることに気付く。
「どうかしたか?」
水を向けると、彼女はようやく口を開いた。
「あの……ミレウスさんって、強かったんですね」
「多少はな……。だが、大半はシンシアの強化魔法のおかげだ」
「でも、あんなモンスターを一人で相手にしていましたし……それに、技術がないと、魔法で強化してもあんなに劇的に強くならないと思います」
シンシアは意外とよく分かっているようだった。『天神の巫女』の二つ名を持っているくらいだし、戦闘の経験も豊富なのだろうか。
『極光の騎士』として経験済みとは言え、やはり強化魔法の効果は絶大だった。調子に乗るようだが、さっきの俺であれば、ランキングの十位以内の剣闘士ともいい勝負ができる気がした。
以前には、これを狙ってレティシャに魔法を教わろうとしたわけだが、そういう意味では方向性は間違っていなかったのだろう。
魔法が使えないことに対する悔しさと、理想通りに身体を扱い、成果を上げられたという達成感がない交ぜになり、なんとも言えない気分だった。
「ところで……もし神殿にクレームが来るようなことがあれば、俺を呼んでくれよ。ちゃんと弁明するから」
そして話題を変える。それは、天神の神官が私闘の一方に肩入れした、と非難された場合の話だった。
シンシアもすぐにピンと来たようで、なんの話か、とは聞かなかった。
「今回の件は明らかにこっちに理がある。だが、本質に蓋をして都合のいい部分だけを抽出するのが奴らの常套手段だからな」
「はい、ありがとうございます」
シンシアは微笑む。その視線から視線を逸らすと、俺はほそりと呟いた。
「あと……その、なんだ。俺のことを信じてくれてありがとな」
「そんな、自分で正しいと思ったことをしただけですから……」
「そうか……」
なんだか気まずくて顔を合わせにくいな。そんな心情が伝わったのか、シンシアはクスリと笑った。
「――お、シンシアちゃんじゃねえか」
と、そこへ割って入ってきたのは、白灰豹を殲滅し終えたうちの剣闘士たちだった。彼らはシンシアを見ると驚きの混じった笑顔を向ける。
「なんだ、怪我の一つもしときゃよかったな」
「お前の傷なんざ、唾つけときゃ充分だ。シンシアちゃんの大切な魔力を使う必要はねえさ」
そんな声が飛び、笑い声が上がる。さすがというべきか、大きな傷を負った者は誰もいないようだった。
「それにしてもよ、支配人も強かったじゃねえか。最初っから転がってた三体は支配人がやったんだろ? その後もいい動きしてたしよ」
そう言うと、声の主はバシバシと肩を叩いてくる。
「たしかにな、俺たちと一緒に戦えるんじゃねえか?」
「お前より支配人が強かったりしてな!」
また笑い声が上がる。白灰豹を殲滅したという高揚感もあって、誰もが盛り上がっているようだった。
「いえ、シンシアの強化魔法のおかげですよ。なんと言っても『天神の巫女』の特別製でしたから」
そう答えると、隣のシンシアが何かを言いたげにこちらを見上げる。だが、今の力が借り物でしかないのは事実だし、吹聴しても仕方がない。
「なるほどな、さすがシンシアちゃんだぜ! 『天神の巫女』の特別な強化魔法がありゃ、竜でも倒せちまいそうだな!」
「それなら納得だな! 支配人があんだけ強くなるんなら、俺はどれだけ強くなれるんだ……?」
「お前は大差ないって!」
再び豪快な笑い声が木霊する。そうこうしていると、彼らのうちの一人が、思い出したように口を開いた。
「ところで支配人、新しい訓練場はどこだ? いいウォーミングアップだったし、このまま鍛錬といきたいんだが」
「ああ、新しい訓練場は向こうです。ほら、一つだけ完成している建物があるでしょう?」
答えて手で示すと、彼らは一斉にそっちの方角へ視線を向けた。
「お、本当だな! よっしゃ、行ってみるか!」
「お前、いきなり破壊するんじゃないぞ?」
そして、楽しそうに建物を眺める。そのやり取りを見ていたシンシアは、不思議そうに首を傾げた。
「もう完成した施設があるんですか……?」
シンシアも闘技場の主だった建設スケジュールは知っている。だが、今回の急な変更については知らせていなかったからな。
「ああ、先に訓練場を完成させてもらったんだ。……今みたいな事情があったからさ」
「今みたいな……?」
シンシアはなおも首を傾げる。彼女にもう少し説明しようとした時、後ろから元気な声が飛んできた。
「おお、坊主! ここにいたか!」
それは、総監督であるギル親方だった。彼は俺の前まで来ると頭を下げる。
「……悪かったな。昼飯を食いに出てたんだが、戻ってきて驚いた。またあの馬鹿どもが来てたんだな」
「それも、モンスターのおまけ付きですからね」
言って、白灰豹の死骸に目を向ける。それを見て、ギル親方はわなわなと手を震わせていたが、やがてうちの剣闘士たちに視線を向けた。
「坊主んとこの剣闘士か?」
「ええ、そうです。今日から訓練場を使わせてもらいます。よろしくお願いしますね」
「ああ、歓迎するぜ。お互い不便もあるだろうが、持ちつ持たれつだ」
そんなやり取りを交わしていると、シンシアがきょとんした表情を浮かべていることに気付く。そう言えば、詳しい説明がまだだったな。
「実は、あいつらにずっと闘技場建設を妨害されていたんだ。多少は腕が立つようだったから、作業員がつまみ出すわけにもいかない。
けど、遠い詰所にいる衛兵を呼びに行っても、さっさと逃げてしまうし、彼らが来るまでずっと妨害が続いてしまう」
「ええと……」
まだピンと来ていないようで、シンシアは何度も瞬きをする。
「けど、施設の警備員を常駐させると莫大な費用がかかる。だから、先に訓練場を作ったんだ。常に剣闘士がいれば、手を出しにくいだろうと思ってさ」
「あ、それで……」
シンシアは納得したように頷いた。なんと言っても、その効果を見たばかりだからな。
大抵の剣闘士は毎日何かしらの鍛錬を行っているが、その中には自宅や近所ではできないものもある。それが練習試合ともなれば、ちゃんとした設備がある訓練場以外では非常に難しい。
そんな事情もあって、彼らは訓練場にほぼ毎日顔を出す。一人一人はそう長い時間いるわけではないが、うちの剣闘士は数十人いる。彼らが新しい訓練場を利用するようになれば、警備員よりも戦闘力の高い人間を、無料で配置できるという考えだった。
もちろん、有事の際には手当を出す必要があるだろうが、まずは抑止力になってくれればいい。それに、警備員を常駐させることに比べれば、費用はかなり安く上がるはずだった。
「……そう言えば、シンシアはどうしてここに来たんだ?」
そんな説明をした後、俺はふと疑問を口にした。
「三十七街区は、私の担当区域ですから……それで、ここの前を通りがかったら騒ぎが聞こえてきて……」
「ああ、そういうことか」
巨人騒動以来、彼女はマーキス神殿から三十七街区を重点的に訪れるよう言われているらしいからな。
まだ心身ともに事件の爪痕は残されている。彼女の存在が支えとなっている人もいるのだろう。
「ピィ!」
「あ、ノアちゃん……!」
と、シンシアが聞き慣れた鳴き声に反応する。きょろきょろと辺りを見回すと、ノアを抱えた男性がこちらへ来るところだった。
「危険だったから、ノアちゃんを預かってもらっていたんです」
説明しながら、ぴょこぴょこ動くノアを受け取る。一度はシンシアの腕の中でくつろいだノアだったが、俺の存在に気付いたのか、今度は俺のほうを見てじたばたと脚を動かし始めた。
「ピピッ!」
「きゃっ?」
シンシアが悲鳴を上げる。ノアが彼女の腕から脱走したのだ。腕の上に立ったノアは、俺を見ると、思い切りよくその腕を蹴って飛び立つ。そして――。
「あ……」
飛び立った雛は、そのままべちっと地面に落ちる。てっきり勝算があるのかと思ったが、ほぼ垂直落下だったな。ぱたぱたと動かしていた羽はなんだったのだろう。
そう思っている間にも、ノアは脚や小さな羽を懸命に動かし、起き上がろうとしているところだった。どうやら命に別状はないようで一安心だ。
「ピィ……」
しょんぼりした様子で鳴くノアが不憫で、つい抱き上げる。
「ノアちゃん、大丈夫……!?」
すると、シンシアが焦った様子で俺の腕の中にいるノアを覗き込んだ。だが、しょんぼりしているものの、目立った外傷はない。
「治癒!」
それでも心配だったのか、シンシアは治癒魔法を使うと、心配そうにノアの頭を撫でる。そもそも古代遺跡に棲息していたことを考えると、それくらいでどうにかなる気はしないが……まあ、見た目も行動も雛だもんな。心配にもなるか。
と、そんなやり取りをしながら、俺たちは完成した新しい訓練場へとたどり着く。それは、前の闘技場よりもかなり巨大な造りであり、一緒に来ていた剣闘士たちの士気が目に見えて上がる。
「でけえ……!」
「これは……ディスタ闘技場の訓練場と比べても遜色ないな」
そんな彼らの反応を前にして、ギル親方は楽しそうに目を細めていた。そして、詳しい間取りや使い方を説明しようとするが、それを黙って待っていられる彼らではなかった。
「あ……行っちゃいました」
我先にと訓練場へ入っていく彼らを見て、シンシアが呆気に取られる。そしてギルさんはと言えば、こちらはなぜか大笑いしていた。
「ガハハハ、剣闘士は本当に話を聞かねえな!」
「なんというか……本当にすみません」
恐縮して謝るも、ギルさんは上機嫌だった。そして、何かの書類を俺に手渡す。
「ほれ、この訓練場の説明事項だ。どうせ話を聞かないのは分かってたからな」
「ありがとうございます」
礼を言って書類を受け取る。帝都にある闘技場の大半を手掛けているだけあって、ギルさんは剣闘士に理解があった。
エルフやドワーフといった、亜人の中でも妖精族に近い特性を持っている種族は、剣闘士や闘技場という存在がピンと来ないのだと言う。なぜ短い命を自分ですり減らすのかと不思議に思う者や、生々しい感情のぶつかり合いを嫌うものが大多数だと、ギルさんから聞いたことがある。
そんな中にあって、ドワーフ固有の技術や魔法で闘技場の建設を支えてくれる親方は、帝都にとってなくてはならない人材だった。
「……で、あっちのほうはどうする?」
「無罪放免にはしたくないのですが……どうなりますかね」
「そっちの嬢ちゃんのおかげで、表面上の被害はゼロだからな。まあ、白灰豹の死骸の片づけなんかは被害に算定できるだろうが」
俺たちが話しているのは、気絶していて逃げられなかった二人の男のことだ。さすがの奴らも、気絶している人間を背負って逃げ切ることはできないと判断したのだろう。二人の男は、縄で縛って適当な物陰に転がしていた。
「できれば、背後関係を調べたいところです」
「……そりゃ、あいつらを唆した奴がいるってことか?」
俺の言葉を受けて、親方の目が鋭く細められた。
「彼らは街のチンピラでしかありません。危険な森の奥に棲息する白灰豹を捕らえられる技量はありませんし、操るなんてもってのほかです。
となれば、彼らにその力を与えた何者かがいる、と考えるべきでしょう」
「ふむ……だが、妨害してなんの得がある?」
「さて、そこまでは……。もっとも、こうして剣闘士を常駐させることになった以上、今までのような妨害は困難になります。なんとか諦めてほしいものですね」
「ああ、俺もそれにゃ期待してる。……さて、それを踏まえた上で、あいつら二人をどうするかだが……」
「憲兵に突き出しますか? 背後関係を洗うのであれば、泳がすか自白させるかしたいところですが……」
そうなると、憲兵に引き渡すのは今一つだな。そう思い悩んでいると、ギル親方の所へ監督の一人がやって来る。
「どうかしたか?」
尋ねるギルさんに、監督は渋い顔で用件を告げる。
「――さっきの騒ぎを聞きつけて、憲兵が来ました」
「憲兵か……どうする?」
ギルさんは俺に問いかけた。彼らが享楽的に妨害行為をしているならともかく、支援者がいるのであれば、現場ではなく闘技場の問題だろう。
「そうですね、引き渡してしまいましょう。あの二人の身元を調べてくれるのであれば、それはそれで好都合です」
ただし、身元が知れたところで黒幕に繋がるとは限らない。そういう意味では自白が好ましいが、そもそも情報を持っていない可能性もあるしな。
「それでは、ここへ連れてきてもらってもいいですか? 後はこちらで対応します」
その言葉に頷くと、報告に来た監督は踵を返す。
「憲兵、か……」
白灰豹の死骸を見せればこちらが被害者であることは証明できるだろう。憲兵に説明する話の流れを組み立てながら、俺は彼らの到着を待った。
◆◆◆
「お前……そうか、ここは第二十八闘技場の移転予定地だったか」
「ウィラン男爵、お久しぶりです」
憲兵を引き連れて現れたのは、浅からぬ縁があるウィラン男爵だった。巨人騒動の時に『極光の騎士』として話をしているが、支配人として話をしたのはいつぶりだろうか。
「そして、またお前か……」
次にシンシアを見て、男爵は渋い表情を浮かべる。また、というのは巨人騒動を思い出したからだろうか。マーキス神殿の威光により、シンシアに対する調査はかなり制限されていたようだし、その表情も分からないではない。
「多数のモンスターが建設現場で暴れているとの通報が入ったが、いったいどうなっている? ただ建設を進めているようにしか見えんぞ」
「モンスターはすべて駆逐済です。建設作業員に大きな被害がでましたが、『天神の巫女』のおかげで死者はでていません。
現在は皆さん作業に戻っていますので、分かりにくいかもしれませんね」
言いながら、俺は男爵たちをとある場所へ連れていく。そこには、白灰豹の遺骸が並べられていた。
「この通り、モンスターが暴れていたことは事実です。そして、これらのモンスターは人に操られていたものと思われます」
「なに……?」
男爵は俺の言葉に眉を顰める。
「モンスターを支配下に置いたという例は非常に稀ですが、これらの白灰豹は人の指示通りに動いていました」
「それで、その犯人がこいつらだと?」
ウィラン男爵が視線を向けたのは、白灰豹の近くに縛って転がしている男たちだ。二人とも意識を取り戻しているが、今のところ口を開くつもりはないようだった。
「正確に言えば、犯人は十名います。他の八名には逃げられてしまいまして」
「ふむ……それが事実なら、色々と問い詰めなければならんな。この二人は、こちらで身柄を預かってよいな?」
「構いませんが、彼らの身元や調査結果については教えて頂けますよね? 私や闘技場に恨みを持つ人間が彼らを唆したと、私は考えています。そして、そうであれば根元を断つまで何度でも事件は起きるでしょう」
「む……だが――」
尋ねると、ウィラン男爵は少し考え込む。
「場合によっては、私の心当りを潰していく必要もあるでしょうし、ある程度の情報共有はお願いしたいところです」
悩む男爵の後押しをしようと、言葉を付け加える。おそらくだが、男爵が関心を持っているのは、モンスターを操る方法の存否だろう。それは軍事的にも価値がある事柄だ。
もしそんな方法があるのなら、黒幕に近付くための情報を持っている俺と手を組んででも、情報を入手したいはずだった。
「……まあ、いいだろう」
さらに考え込んだ後、ウィラン男爵は大仰に頷いた。その返事にほっとした俺の頭に、ちょっとした疑問が湧いてくる。
「……ところで、ウィラン男爵はいつも現場に出ていらっしゃるのですか? 巨人騒動の時も、自ら指揮を執っていたと聞きましたが」
「……いつもではないが、極力現場を見ることにしている。椅子に座って報告を受けているだけでは、帝都の治安を預かる者として無責任だからな」
「素晴らしいお心がけですね」
意外感を覚えながらも、素直に彼を称賛する。貴族としては珍しい考え方だが、没落した貴族ともなれば考え方も変わるのだろうか、などという意地の悪い思考が頭をかすめる。
「……皇帝陛下のお言葉を実践しているにすぎん」
男爵はそっぽを向いて答える。ひょっとして照れているのだろうか。
「それでも、なかなかできることではありませんからね。私たち市井の人間としては、心強い限りです」
「む、そうか……」
ウィラン男爵の顔は満更でもなさそうだった。能力にもよるが、現場を見ようともしない連中よりは好感が持てるし、これくらいのリップサービスはしておこう。
「……事情は分かった。そこの二人は私が預かるが、身元については必ず伝えよう。後日詰所を訪れるがいい」
「ありがとうございます」
身元以外の情報についても確約がほしいところだが、さすがにそれは欲張りすぎか。そう判断すると、俺は黙って頭を下げる。
「では、もう少し具体的は話を教えてもらおう。よいな?」
「ええ、もちろんです。犯人を捕らえるためなら協力は惜しみません。そもそも、事の発端は――」
神妙な表情で答えると、俺はここ数日の出来事を詳細に説明するのだった。