妨害 Ⅱ
闘技場の建設現場で一悶着あってから六日後。とある報せを受けた俺は、また現場を訪れていた。あんなことがあった後だ。俺はちょくちょく現場に足を向けていたのだが、結局、建設を妨害する男たちと出くわすことはなかった。
と言っても、奴らが現れなかったわけではない。運悪く俺が遭遇しなかっただけで、二、三日に一度は真面目に嫌がらせに励んでいるらしい。
今日こそ来るだろうか。そんな思いを抱きながら、俺は三十七街区を歩く。やがて建設現場に到着した俺は、辺りが騒然としていることに気付いた。
「あいつらか……?」
労働者らしい人々は、作業を止めて何かに注目している。その視線の先にあったものは、やはり奴らだった。
遠巻きにしている人たちをすり抜けて、騒ぎの中心へ向かう。すると、以前に遭遇した時とは様子が違っていることに気付く。
十名ほどいる男たちの顔ぶれは同じように思えるが、他にも侵入者がいたのだ。それは、体長二メテルほどの豹らしき生き物だった。しかも、その数は彼らと同じく十匹。その数に意味はあるのだろうか。
猛獣に分類して差し支えない危険生物の乱入に、周囲の人間はかなり怯えているようだった。ただの豹でも厄介だが、万が一魔力でモンスター化しているようであれば、一匹でもかなりの脅威となる。
「あれー? 支配人じゃん」
俺の姿を見つけたのだろう、眼前の男が声をかけてくる。
「前置きを言うつもりはない。そこの獣と共に退去しろ。以上だ」
それだけを伝える。すると、男たちは意味ありげな目つきで豹を眺める。
「いいよー、出て行っても。……ただ、この白灰豹のほうは、俺たちに言われても困るんだよねー」
「まさかとは思うが、そこで仲良く並んでいる豹は、お前たちと無関係だと言いたいんじゃないだろうな」
「そのまさかなんだよねー。いやー、俺たちもビックリでさ。なんか勝手に付いてくるから、困ってるんだ」
その言葉に仲間の男たちはが笑い声を上げる。
白灰豹と言えば、モンスターに分類される生物だ。本来、森から出てくることはない生物で、魔力自体は大したことはないが、そもそもの身体能力が高いため、一般人が太刀打ちできるレベルではない。武装した複数人で戦って、なんとか勝てる程度だ。
そんなモンスターが、奴らの傍で大人しくしている時点で異常だった。
「あれー? こいつ、アンタのこと嫌いみたいだよ?」
わざとらしい声が響く。すると、声の主のすぐ傍にいた白灰豹が、低い唸り声を上げてゆっくり向かってくる。
いったいどうすれば、こうも意のままにモンスターを動かすことができるのだろうか。
「兄ちゃん、逃げろ! 喰われるぞ!」
様子を見守っていた人々から、悲鳴にも似た警告が飛ぶ。その直後、白灰豹は一息に跳躍して俺に襲いかかってきた。
「っ……!」
とっさに飛び退いて先制攻撃をかわすと、無意識のうちに剣を抜く。だが、豹とまともにぶつかれば、剣ごと俺が吹き飛ばされてしまうことは明らかだった。
「へえ? よくよけたねー」
その言葉に答えることなく、俺はステップを踏んで白灰豹の第二撃を避ける。着地の隙を狙って剣を振るうと、モンスターの前脚に軽く傷がついた。
「ガァァァッ!」
傷つけられたことに怒り狂ったのだろう、白灰豹は大音声で吠えると、再び俺に襲い掛かかる。
今度は避けきれず、なんとか剣で白灰豹の爪を弾く。それだけで腕にかなりの負荷がかかり、俺は必死で剣の柄を握りしめた。
そうして、何度爪と剣の応酬が行われただろうか。もちろん脅威となるのは爪だけではなく、強靭な顎や、体躯そのものも立派な凶器だ。
致命傷は受けていないものの、俺の身体にはいくつかの爪傷と打撲痕が刻まれ、白灰豹も灰色の毛皮を赤く染めている。
「へえ……?」
俺の善戦が予想外だったのか、男たちは目を丸くしていた。
「アンタ、意外と頑張るねー。驚いたなぁ」
その言葉を無視して身を捻ると、至近距離で白灰豹の脇腹にカウンターを入れる。嘆きの森の獣を何度も葬ってきた技であり、必殺のつもりで放った剣撃だ。
だが、理想的な角度で振るわれた剣は、頑丈な毛皮と厚い筋肉に阻まれていた。
「固いな……」
思わず呟く。今の一撃で内臓ごと切り裂き、致命傷を負わせる予定だったのだ。これが通じないとなれば、俺の勝ち目はかなり薄くなる。
時間稼ぎの意味もあって、派手な動きをしないよう抑えていたため、俺の体力にはまだ余裕がある。だが、このままでは俺の体力が先に尽きる可能性があった。
嫌な予感に冷や汗が流れる。こうなれば、防御を捨てて突き技を主体にするべきだろうか。渾身の突きならあの固い筋肉を貫くこともできるだろう。ただ、強く踏み込む必要があるため、相手が耐えて反撃してきた場合、それを避ける術はなくなってしまう。
どうする。そう自問している時だった。聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――え? ミレウスさん……!?」
声の主、シンシアは戸惑った声を上げる。なぜ彼女がここにいるのか分からないが、危険なことに違いはない。
「シンシア、来るな!」
「で、でも……!」
警告を受けたシンシアは、人の輪の最前列で立ち止まる。だが、白灰豹の攻撃を捌いている俺には、それ以上シンシアの動きを追っている余裕はなかった。
「……あの、どうしてこんなことに――」
近くの人間に状況を確認しているのだろう。シンシアたちの声が途切れ途切れで耳に入ってくる。
「お? なんかかわいい子が来たねー。ひょっとして知り合いだったり?」
「あの、あなたは……?」
「あ、いいのいいの、気にしないで。それより君、猛獣ショーに興味ない? あいつ、本当にろくでもない奴でさ、そのせいで、勝手に白灰豹に襲われてるんだ」
「え――?」
「俺の土地に、勝手にこんな闘技場作ろうとしてるんだぜ。ほんと、性根が腐った支配人だよねー」
「……」
なおも男はペラペラと話しているようだが、シンシアの声が聞こえなくなる。判断に困っているのだろうか。
「――っと」
俺はとっさに身を投げ出した。刹那、俺がいた空間を強靭な顎が噛み砕く。……今のは危なかったな。会話を聞き取ろうとして、白灰豹に対する注意が散漫になっていた。
俺は反省すると、白灰豹と睨み合う。闇雲に襲い掛かっても無駄だと学習したのか、豹は油断のない瞳で俺の隙を窺っているようだった。
これは警戒レベルを上げたほうがよさそうだな。そう思った瞬間だった。俺の身体を違和感が覆う。
「この感覚は――」
思わず驚きの声を上げる。突如として身体が軽くなったのだ。そして、この状態には馴染みがあった。
「グァァァゥッ!」
俺の隙を捉えたと思ったのだろう。白灰豹が咆哮とともに飛び掛かってくる。だが――。
「っ!」
俺もまた、白灰豹目がけて足を踏み出した。俺が前進するとは思っていなかったようで、白灰豹の目測が狂い、跳躍中に俺と激突しそうになる。
だが、俺は魔法で強化された身体を酷使し、伏せたと思うほどに低い姿勢から、一気に剣を振り抜いた。今までとは異なる、骨ごと肉を断ち切った感触が伝わってくる。
そして、反撃を警戒して距離を取った俺は、その必要がないことを悟った。胴体を盛大に斬り裂かれた白灰豹は、すでに絶命していたのだ。しばらく様子を見ていたが、死んでいるフリをしているようにも見えない。
そう結論付けると、俺は人の輪の最前列にいるシンシアに話しかける。
「……シンシア、助かった」
「はい! ミレウスさんがご無事でよかったです……」
そんな俺たちの会話に、周りの人間が首を傾げる。シンシアが俺に強化魔法を使ったことについては、ほとんどの人間が気付いていないようだった。
さすがに魔導鎧ほどの強化効果はないようだが、あの重い鎧がないせいか、身軽さにはあまり差がないように思えた。
「白灰豹が……死んだぁ!?」
その一方で、白灰豹をけしかけた男は驚愕していた。それはそうだろう、白灰豹は武装した兵士数人がかりでようやく倒せるモンスターだ。少なくとも、この男の技量では倒せないと分かっているだろう。
そのモンスターを俺が倒したとなれば、驚かないはずはなかった。
「だっせぇ! お前、何やってんの?」
「余裕かましてそれ?」
さらに、男の仲間たちが彼を煽る。少なくとも、こいつらの間に上下関係はなさそうだな。そんな分析をしていると、悔しそうな男と目が合った。
「お前、なんでいきなり強く……」
今だに信じられないのだろう、白灰豹の遺骸と俺を交互に見比べる。ここは、いっそ俺の実力だということにして黙らせるべきだろうか。
そう考えていると、仲間の一人が彼に耳打ちをした。そして、二人の視線がシンシアに向けられる。
「……っ」
それに気付いたのだろう、シンシアの身が強張った。俺は一歩前に出ると彼女へ向けられた視線を遮る。
「なーんだ、そっちの子は有名な神官なのか。そりゃ支援魔法だってお手の物だよね。……なるほど、アンタの実力じゃなかったんだなぁ」
「……そんなことはどうでもいい。それよりも、重要なことがある」
言葉を流すと、俺は男を睨みつける。そして充分な間を取ってから口を開いた。
「お前たちの裏には誰がいる」
「あ? 何言ってんの?」
男はとぼけた口調で言い返したが、それを無視して告げる。
「白灰豹クラスのモンスターを手懐けるなど聞いたことがないし、ましてそれが十頭だ。一般人が用立てできるはずがない」
「だからぁ、勝手に付いてきたんだって」
「……その辺りは、別の場所でじっくり聞かせてもらおう」
なおも言い逃れようとする男たちに向かって一歩踏み出す。すると、ヘラヘラしていた顔が挑発的なものへと変わった。
「できると思ってんの?」
男は剣を抜く。それを契機として、他の男たちも武器を構えた。
「やってみるさ」
言うなり、男たちとの距離を詰める。そして、近くにいた男の仲間の剣を弾き飛ばすと、剣の柄で殴りつけた。
「がっ……!」
そして、背後から迫っていた男の攻撃をかわし、鳩尾に蹴りを入れる。魔法で強化された肉体による蹴りは、もはや凶器の域だろう。
「なんだ!? なんなんだよ!」
一瞬で二人が戦闘不能になり、男は焦った声を上げる。もはや、これまでの余裕ぶった様子はどこにもなかった。
もともと、魔法による強化がなくても勝てる相手だ。それが強化された今となっては、この人数を捌くことに不安はなかった。
「お、おい巫女! 俺たちにも強化魔法をよこせよ! そいつにだけズルいぞ!」
顔をひきつらせて、男はシンシアに叫ぶ。だが、シンシアは困ったように男の顔を見つめていた。
「さっきは、ミレウスさんだけがモンスターに襲われていましたから……助けるのは当たり前です」
「けど、今は俺たちに手を出してるだろ! 『天神の巫女』が人を傷つけることに加担するのかよ!」
そう声を上げたのは、シンシアのことを耳打ちした男だ。なかなか嫌なところをついてくる。
「それは……」
その言葉に動揺したのか、シンシアの身体が強張った。たしかに、神官が私闘に介入して一方に力を貸すことは好ましくない。
戦神ディスタの神官であればともかく、厳格な天神マーキスの神官ともなれば、その行動には中立性が求められるはずだった。
「俺たちにも強化魔法をかけりゃ、公平ってもんだろ」
天神の教義をそこそこ理解しているのだろう、男は「公平」を強調する。
「シンシア、奴らのうち一人を強化するくらいは構わない。こんなことでシンシアが後ろ指を差される必要はない」
シンシアの立場を慮って、そう告げる。全員が強化されるならともかく、一人が強化されたところで大した問題ではない。
それに、強化された身体を奴らが使いこなせるとは思えないからな。むしろ弱体化する可能性すらあった。
「ほら見ろ! あいつもそう言ってるんだから、早くしろよ!」
「で、でも……」
しばらく目を伏せていた彼女は、やがて思い切ったように顔を上げた。
「……ミレウスさんは、理不尽な暴力を振るったりしません」
「は?」
「ちゃんと、理由があるはずです。……だから、強化魔法は使いません」
控えめながらも、はっきりと言い切る。
「シンシア……」
思いがけない信頼に、思わず言葉がもれる。少し顔が緩みそうになるのを、俺は意識的に堪えた。
対して、男は目をつり上げて怒鳴る。
「なんでだよ! お前天神の神官だろ! ……分かったぞ、お前らデキてんだな! 依怙贔屓しやがって……おい!」
そうして声をかけたのは、彼の傍らにいた白灰豹だった。その瞳が俺を捉えたかと思うと、即座に臨戦態勢に移る。だが――。
即座に飛び掛かってきた白灰豹を、俺はすれ違いざまに斬り捨てた。さっきまで別の白灰豹と戦っていたおかげで、その動きは簡単に予想がつく。
絶命には至らなかったが、かなりの重傷を負ったようで、起き上がった白灰豹は足下が覚束ない様子だった。
それでも俺に襲い掛かろうとするモンスターの首を斬り裂くと、ついにその巨体が倒れる。そして、俺はそれを見届けることなく、指示を出した男を狙った。
「うそだろ!? そん――」
言葉を言い終える前に、男は崩れ落ちる。次はどいつを狙うか――そう考えた時だった。
「お前ら! 周りを狙え!」
白灰豹を最初に失った男が叫ぶ。
「何を――」
そう声を上げたのは、建設関係者の誰かだろうか。だが、その意味はすぐに分かった。奴らは、残った白灰豹を無差別にけしかけたのだ。
「うわぁぁぁっ!?」
「こっちに来たぁぁぁ!」
ほうぼうで悲鳴が上がる。自分が襲われるとは思っていなかった人々が逃げ惑う。その光景に、俺はギリッと歯を噛み締めた。彼らは闘技場建設に必要な労働者だ。失うわけにはいかないし、人道的にも見捨てるわけにはいかない。
「お前ら、逃げるぞ!」
そして、それを見越していたのだろう。男たちは一斉に逃げ出した。奴らを捕まえることは可能だが、それはここにいる作業員たちを見殺しにすることと同義だ。
「くそっ!」
俺は近くにいた白灰豹に狙いを定めた。一刻も早くこいつらを殲滅しなければならない。動きのクセは掴んでいるし、シンシアの強化魔法がかかっている今なら、そう苦戦はしないだろう。
ただ、問題が一つある。俺が把握した白灰豹の動きは、俺を標的と定め、向かってくるための動きだ。
俺を避けて、いくらでも他の人間を襲うことができる状況下では、自ずと行動パターンも変わってくる。
「ミレウスさん……!」
シンシアも必死で魔法障壁を展開しているが、八体の白灰豹がバラバラに動いて人を襲っているのだ。すべてに対応することは難しそうだった。
うち二体が少し変な動きをしているのは、気絶している男を主としている個体だろうか。
「た、助かった……!」
作業員に噛みつこうとしていた白灰豹が、ドサリと倒れる。後頭部に突き刺した剣を引き抜きながら、俺は次の標的を探す。
すでに人の輪は散り散りになっており、それに伴って白灰豹もバラけている。正直に言って、あまりにも手が足りない。スムーズな排除は難しそうだった。
それでも、と俺は一番近い個体目がけて駆け出す。遠くで襲われている作業員には悪いが、今の俺にできる最も効率的な方法をとるしかない。
殲滅するまでに、どれだけの被害が出るだろう。そう考えた時だった。
「――こりゃ何事だ?」
「おろ? ありゃ支配人じゃねえか」
なんとも場にそぐわない声が聞こえてくる。人数は二十人ほどだろうか。白灰豹が暴れている現状に驚きはしているが、臆している人間はいない。
それは、待ち望んでいた援軍。第二十八闘技場の剣闘士たちだった。
「話は後です! 闘技場建設を妨害する輩によって白灰豹が放たれています。残数は七!」
「――つまり、こいつらを駆除しろってことか」
「そういや、最近は剣闘試合ばっかで、猛獣狩りの興行には出てなかったな」
彼らはそれそれの得物を構えると、楽しそうに笑う。
「ファイトマネーは一人につき三万ユルです!」
「お、今日は気前がいいじゃねえか」
「興行代わりにちょうどいいな」
その言葉が後押しとなって、彼らはすぐに行動を開始する。
「お前ら危ねえぞ! どいてろ!」
「おい! 俺の獲物をとってんじゃねえよ!」
「うるせえよ、早いもん勝ちだ!」
言い合いながら、我先にと白灰豹へ殺到する。その様子を確認すると、俺は手近な白灰豹に狙いを定めた。