妨害 Ⅰ
「おぅい! そっちじゃねえ、その石はこっちだ!」
賑やかな作業音を圧するように、監督者の指示が飛ぶ。見当違いの場所へ建材を運ぼうとしていた集団が、その声で慌てて向きを変えた。
「地下はだいたい完成したか……?」
三十七街区にある闘技場の建設現場で、俺は工事の進捗を確認していた。
闘技場の第一印象を決める外壁は、まだまったくと言っていいほど存在しない。個人的には物足りないが、先に作ってしまうと邪魔なのだろう。
そして、闘技場の建設で特にややこしいのは地下設備だ。闘技場の方針にもよるが、地下設備はかなり巨大で、かつ複雑な造りになってくる。
様々な試合の間を実現するための仕掛けはほとんどが地下設備によるものだし、猛獣を試合の間に放つ昇降機なんてものもある。
第二十八闘技場もそこには凝っているため、ギル親方に言わせれば「地上部分より地下のほうがよっぽど面倒くせぇ」ということらしい。
だが、予定通りであれば、そろそろ地下の工事を終えて、地上部分に取り掛かるはずだった。
「おい、そこのお前! ぼーっとしてないで働け! 持ち場はどこだ?」
と、様子を眺めていた俺に、この辺りを監督している男性が声を飛ばしてくる。さぼっている労働者と間違えられたらしい。
「持ち場は……支配人室になるのかな」
そんな感想を抱きながら、俺は監督者に近付く。初めは怪訝そうに俺を見ていた監督だが、その視線が俺の剣を捉えると、納得したような表情を浮かべた。
「剣を持ってるってことは、工事の人間じゃねえな?」
声が届く距離まで近付くと、監督は確認するように問う。だが、彼は続けて予想外の言葉を口にした。
「ひょっとして、政府筋か?」
「え? ……いえ、闘技場の人間ですが」
「ああ、そっちか。分かってると思うが、現場は危険だからな。あまりウロウロしないでくれよ」
「そうですね、肝に銘じます。ところで、一つお伺いしたいのですが……」
尋ねると、監督は面倒くさそうにこちらを見る。早く仕事に戻りたいのだろう。俺としてもそうしてもらいたいところだが、少し気になることがあった。
「私のことを政府筋の人間と間違えたようですが、ここに政府関係者が来たことがあるんですか?」
それは気になる事柄だった。地下に帝国垂涎の古代装置を隠している身としては、あまり政府筋に立ち入ってほしくはないのだが……。
「ああ、ちょくちょく来るぜ。……あいつらが来ると、作業が止まって邪魔なんだよ」
彼は不服そうに顔を歪めた。
「いったいなんの用でしょうね?」
「人を探してるらしいぜ。見ての通り、ここには大量の人間がいるからな。中にゃ素性が怪しい奴だっているだろう、ってことさ」
「人探しですか……迷惑な話ですね」
「まったくだ。だいたい、エルフ族がこんなところで働くわけないだろうに。役人ども、もっと頭使えよな」
「エルフ族……ですか?」
突然現れた単語に首を傾げる。もともと、この街でエルフ族を見かけることは少ない。実際、俺が知っているエルフ族と言えば、この前知り合ったヴェイナードくらいだ。
まあ、ヴェイナードは堂々と商会を構えているらしいし、探し人とは違うのだろうが。
「ああ、見かけりゃすぐ報せろ、だってよ」
「なるほど、そうだったんですね。教えてくださってありがとうございました」
少なくとも、心配していた古代遺跡がらみではなさそうだ。そう判断した俺は、ほっと胸を撫で下ろす。
そして、監督に礼を言って場を離れようとした時だった。にわかに現場の一角が騒がしくなる。
「ちっ……またあいつらか」
俺と同時にそちらを向いた監督は、腹立たしい様子で呟いた。そして、騒音の源へ小走りで駆け出す。
「いきなりどうしたんだ……?」
不思議に思いながらも、監督を追いかける。監督は追いかけてくる俺に気付いたようだが、何も言わず走り続けていた。
やがて、俺たちは騒がしい場所へと到着する。そこには、ちょっとした人だかりができていた。
「てめえら! 仕事の邪魔だ! さっさと消えろ!」
開口一番、監督は大声を上げる。それは、人だかりの中心にいる十名ほどの人間に向けられたものだった。
「そう言われてもねえ……俺たちも困ってるんだよ。いつの間にか自分の土地で工事が始まっててさ」
やがて、そのうちの一人がヘラヘラとした態度で口を開く。その声に会わせて、他の仲間たちが一斉に笑い声を上げた。
「んなモン知るか! 俺たちの仕事はここに闘技場を建てることだ!」
「そしたら、俺が住むとこなくなっちゃうじゃん? 困るんだよねー」
言いながら、ぽんぽんと腰の剣を叩く。俺の見立てでは、この男を含め、彼らは意外と強い。ここにいる監督たちもかなり逞しいが、それは戦うための筋肉ではない。彼らを相手取ると大きな被害を被る恐れがあった。
そして、監督も恐らくはそれを分かっている。だからこそ、手を出すようなことはしていないのだろう。
「おい、お前らは作業に戻れ」
そして、集まっていた工事関係者に指示を出す。だが、相手の男がすかさず口を挟む。
「それは困るなぁ。俺の土地だって言ってるだろ? ちゃんと聞いてた? 馬鹿なの?」
言いながら、動き出そうとしていた人々を牽制する。それに合わせて、仲間たちも威嚇するように武器をガシャガシャと鳴らしていた。
「えーと、監督さん? ちょっと聞きたいのですが」
「あァ!? 今はそれどころじゃねえ!」
俺の声に、監督は気が立った様子で答える。それに構わず、俺は言葉を続けた。
「この様子だと、今回が初めてじゃありませんよね? いつからですか?」
「……ちょいと前からだ。ちょくちょくやって来ては、こうして作業を邪魔しやがる」
怒りながらも、ちゃんと答えてくれる。この人、けっこう律儀だな。
「じゃあ、憲兵を呼びませんか? この土地の所有者が誰であるかについては、国に対して主張してもらいましょう」
「もちろん呼んださ。……けどよ、そしたら憲兵が到着する前に逃げちまう。で、憲兵がいなくなった頃を見計らって、またいちゃもんをつけてきやがるんだ」
たしかに、ずっと憲兵を待機させておくわけにはいかないか。そして、彼らの詰所は遠い。一度無駄足を踏ませれば、なかなか二度目は動いてくれないだろう。
「おーい? そこの兄ちゃんはなんだい? 俺、そっちの偉い人に話があんだよねー。邪魔しないでくれない?」
相変わらず小馬鹿にした口調で声をかけてくる。少し話を進めてみるか。
「偉い人は私です。土地の所有権について異議があるのなら、ここで聞きましょう」
「は? お前、何言ってんの?」
「貴方が自己の所有地だと主張しているのは、どの区画ですか?」
強く問いかけると、男はきょとんとした様子だった。だが、すぐにヘラヘラと笑い出す。
「そりゃ、ここら辺だって。こん……くらい?」
言って、手をいっぱいに広げてみせる。
「んで、向こうはこいつの、あっちはあいつの土地なんだぜ」
「そうだ、俺の土地だ!」
「早く返せよ?」
指し示された人間は、その言葉に同調するようにゲラゲラと笑う。信憑性の欠片もないし、そもそも、そう見せかけるつもりすらないようだな。見事な言い掛かりだ。
「残念ですが、その土地はマルコム氏とレイニス氏から正当な対価と引き換えに取得したものです。
なお、あちらの土地はムラン氏のもので、そちらの土地はウェリントン氏と一部はゴーツォ氏が所有していたものですね。貴方はそのご親族か何かですか?」
突然、俺がペラペラと喋り出したことに驚いていたのだろう、男は目を丸くしていた。
「は……? お前何言ってんの?」
「ですから、この土地の所有権を主張しています。……さて、複数の人物が所有していた土地を自分のものだと仰ったわけですが、その根拠はなんですか?」
「だからぁ、俺の土地だってんだろ」
「つまり、根拠はないのですね」
ひょっとしたら、本当に土地の売却に反対していた地域住民かもしれない。そう懸念していたのだが関係なさそうだな。
そう結論付けていると、男の仲間が何事かを彼の耳元で囁いた。すると、男はこちらを見てニヤリと笑う。
「あー、なるほどね。アンタが支配人かぁ。たしかに口ばっかりだ」
「お褒めに預り光栄です」
答えながらも、少し警戒する。俺のことを人伝に聞いていたということだろうか。
「お前……発注者だったのか」
そして、隣の監督が驚いた様子でこちらを見るが、今は答えている場合ではない。俺はちらりと監督を見ると、再び彼らに向き直った。
「というわけで、この土地の所有者として貴方がたの退去を命じます」
「命じるの? いいよー、好きなだけ命じたら?」
男はポンポンと腰の剣を叩く。力づくでやってみろ、ということか。正直、この男一人ならなんとでもできるが、集団で来られると少し厳しいな。
監督や現場の作業員が手を貸してくれれば圧勝に終わるだろうが、怪我人の発生は避けられない。彼らには建設を頑張ってもらう必要があるから、できれば俺一人で対処したいところだが……。
そう考えた時だった。空気をビリビリと震わせて大音声が響く。
「てめえら! また来やがったか! 今度と言う今度は地中深くに埋めてやらぁ!」
「げ、ドワーフのおっさん」
怒りの形相で走ってきたのは、闘技場建設の総監督であるギル親方だった。
「じゃーな! また来るわ!」
すると、男たちは風のような速さで逃げ出していく。さっきまでのしつこさが嘘のようだ。
「二度と来るな!」
彼らの背中に怒声を浴びせた後、ギルさんはブスッとした顔で俺のところへやってきた。
「つまらんところを見せちまったな」
「いえ、ここで起きる問題は第二十八闘技場の問題でもありますから。……あいつらは何者ですか?」
「こっちが聞きてえよ。いっぺん痛い目をみせてやったんだが、懲りやしねえ」
「痛い目、ですか?」
「俺に手を出してきた馬鹿を返り討ちにしてやった。どうせなら全員ぶん殴りゃよかったんだが、あいつら逃げ足が速くてな……」
悔しそうに彼らが逃げていった先を見やる。ギルさんはドワーフだ。非常にがっしりとした体型をしているが、背は低く、手足も短い。逃げる相手を追いかけることは向いていないはずだ。
「それで、ギルさんを見てあっさり逃げ出したんですね」
とはいえ、ギルさんはこの現場の総監督だ。奴らがちょっかいをかけてくるたびに、いちいち出動するわけにはいかないだろう。
いっそ警備員を雇うべきか……けど、これ以上の出費は避けたいところだな。ならば――。
「本当に忌々しい奴らだ。……まあ、坊主が気にすることじゃねえ。今度こそは、ふん縛って後悔させてやるぜ」
息巻く親方に、俺はとある方角を指差した。
「ギル親方、あっちの施設ってもうできてますか?」
「付属施設のほうか? まあ、ぼちぼちだな」
「一つ、優先順位を上げてほしいものがあるんですが……」
そうして、ギルさんと工事計画に変更を加える。多少予定は狂うが、どうせいつかは取り掛からなければならない仕事だ。全体の工期に遅れは出ないだろう。
「――なるほどな。それならあいつらも手が出しにくいか。坊主らしい発想だ」
ギルさんは頷くと、スケジュールの変更を指示するために去っていく。
「上手くいくといいが……」
その姿を見送りながら、俺はぼそりと呟いた。