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建設 Ⅳ

 闘技場の外壁が、少しずつ取り壊されていく。再利用する資材もあるためか、あまり大掛かりな破壊は行われていないが、それでも耳をつんざくような破壊音が聞こえてくる。


「……」


 長年慣れ親しんだ闘技場が、次第に形を失っていく様子を、俺は黙って見守っていた。


「――おや、ミレウス殿。いらっしゃったのですか」


 声をかけてきたのは、この土地を買った商会の主だった。予定通りに取り壊し工事が始まったかどうかを確認にきたのだろうか。


「申し訳ありません、お邪魔でしたか?」


 もはや、この土地は俺たちのものではない。彼が立ち退きを求めるのであれば従うしかない。だが、彼は笑顔で首を横に振った。


「なんの、苦楽を共にした建物との別れですからな。それを邪魔立てするほど無粋ではありません」


 彼はそう言うと、俺の隣に立つ。


「……とは言え、少し驚きましたな。取り壊される闘技場よりも、建設中の新しい闘技場が気にかかるのではないかと思っていましたぞ」


 その言葉に苦笑を浮かべる。魔術師を試合に組み込むようになって以来、俺をギラギラと目を輝かせた革命児だと思っている人は多い。


「あまり信じてもらえないのですが、私は感傷的な性質でして」


 俺の言葉が本気か冗談か分からなかったのだろう、商会長は曖昧な表情を浮かべた。


「そうでしたか……それであれば、取り壊される様子を見るのもお辛いのでは?」


「……私なりの意地、でしょうか。この光景は私の決定が招いたものです。後悔はしていませんが、闘技場の最期を目に焼き付けておきたいのです」


 それはただの感傷かもしれない。だが、取り壊し工事の初日だけは、必ず立ち会うと決めていた。


「お強いですな。……と、あまりミレウス殿の別れを邪魔するわけにはいきませんな。私はこれで失礼するとしましょう。

 そうそう、工事の者にも、ミレウス殿の邪魔をしないよう伝えておきましょうぞ。危険にならない範囲であれば、自由に立ち入って頂いて構いません」


「よろしいのですか?」


 予想外の厚遇に驚いていると、商会長はニヤリと笑う。


あのチケット(・・・・・・)のことを考えれば、まだまだ釣り合いませんからな」


 彼が言っているのは、新しい闘技場での初興行日のチケットだ。宣伝も兼ねて、土地の売買契約時に渡したものだが、貴賓席ではないこともあり、当時の彼の反応はそれなりのものでしかなかった。


 だが、新闘技場の初興行日に『極光の騎士(ノーザンライト)』と『大破壊ザ・デストロイ』の試合が行われるという噂が広まったため、チケットの価値は跳ね上がっていた。


「それでは、これで失礼しますぞ。次の興行が楽しみですな」


 言って、彼は去っていく。あの様子だと、チケットを売らずに自分で観戦に来るかもしれないな。そんなことを思いながら背中を見送っていると、入れ替わりで見覚えのある姿が目に入った。


「ユーゼフ?」


「やあ、ミレウス。やっぱり来ていたね」


 相変わらずの笑顔を浮かべて、幼馴染は手を振ってきた。


「どうしたんだ? 忘れ物か?」


「それは僕の台詞だよ。ミレウスこそどうしたんだい?」


 言って、俺たちは同時に笑う。このタイミングでこの場所に来る理由なんて、一つしかない。


「ヴィーもそのうち来るはずだよ」


「デートか?」


 からかってみると、ユーゼフは堂々と頷いた。


「まあ、こういう日だからね。支配人秘書と所属剣闘士が居合わせてもおかしくないだろう?」


 ユーゼフは楽しそうに笑う。二人の仲は今だに秘密だが、上手くやっているらしい。


「……ひょっとして、俺はお邪魔だったか」


「そんなことはないさ。むしろ、カモフラージュとして最適だからね」


「まあ、仕事絡みにしか見えないよな」


 軽く笑い声を上げた後、ユーゼフはふっと真面目な顔になる。


「そして何より、ここは僕らの思い出の場所だからね。たとえ何も言わなくても、結局は三人揃っていたんじゃないかな」


「そうだな」


 同意すると、再び闘技場を眺める。ユーゼフも無言で隣に立つと、神妙な顔で闘技場が取り壊される様を見つめていた。



 幼い頃、ユーゼフと最上部に上って、従業員に散々叱られた外壁。


 幼馴染三人で、こっそり探検して迷子になった地下設備。


親父と何度も首を捻りながら、少しずつ形を変えていった貴賓席。


 そして、親父から受け継ぎ、最も長い時間を過ごした支配人室。



 闘技場の設備は多岐にわたるが、すべての場所に思い出が付着していた。


「……親父、怒るかな」


 それからどれほど経っただろうか。俺はぽつりと呟く。


「『闘技場とは施設のことじゃない。人そのものだ』って皆に啖呵を切ったのは君だよ?」


「まあ、それはそうなんだが……」


 なおも歯切れの悪い俺に、ユーゼフは呆れたように口を開いた。


「親父が言うなら、こうじゃないかな。『もう済んだことをウジウジ言ってんじゃねえ。自分の決断を信じて前を見ろ』……ってね」


 ユーゼフの声真似は似ていなかったが、内容はいかにも親父が言いそうなことだった。


 もう新しい闘技場の建設は進んでいる。順調にいけば、あと二か月ほどで完成するだろう。そして、やっておきたいことはいくらでもあった。


「……そうだな」


 俺は心を決めると、おどけた口調で話しかける。


「それに、あの世で親父に殴られるのは、まずユーゼフだろうからな」


「それはヴィーのことかい?」


「そこで体力を消耗してもらえば、俺はお小言ですむさ」


「あはは、それくらいで親父がへたばる訳はないさ。仲良く怒られようよ」


 そうやって二人で笑い声を上げていると、闘技場の向こうから人影が見えた。


「あれは、ヴィーと……ダグラスさんか?」


「その後ろにいるのもうちの関係者だね」


 ユーゼフに言われてよく見ると、たしかに後ろの数名もうちの剣闘士や従業員だった。別の角度から闘技場の見納めをしていたのかもしれない。


 俺たちが手を振ると、ヴィンフリーデが笑顔で手を振り返す。後ろのダグラスさんは頷くだけだったが、他にも数人が手を振り返していた。


「考えることは……みんな同じか」


 自然と口の端が上がる。古参が多いのは当然だが、中には働き始めて一、二年という者もいた。


 俺を糾弾したい人間もいるだろうが、それはそれだ。黙って去られるよりは、そのほうが説得もできるというものだ。


 不思議と落ち着いた心持ちで、俺は彼らを待ち受けた。




 ◆◆◆




「ふう……これくらいにしておくか」


 日課の鍛錬を終えると、裏口から家へ入る。建てられてからもう二十年ほど経つはずだが、この家についてはなんの不都合も生じていなかった。


 汗を拭き、剣を置いて台所に立つと、準備していた朝食を仕上げる。エレナ母さんとヴィンフリーデがいなくなって以来、ずっと料理担当だったこともあって、手際はそう悪くない自信がある。……まあ、味のほうはあの二人に遠く及ばないが。


「……いただきます」


 そして、一人で朝食を食べる。昔は五人で食べることが多かった朝食も、今では俺一人だ。やけに静かに感じられるのは、当時から家具の配置がほとんど変わっていないせいだろうか。


 この家はクロイク家のものであり、本当なら俺が出て行くべきなのだが、この街に帰ってきたヴィンフリーデは、さっさと住む家を決めてしまった。

 それが俺への気遣いなのか、彼女自身の心の整理なのかは分からないが、住み慣れていて、かつ鍛錬する場所があるこの家に引き続き住めることは、俺にとってありがたいことだった。


 食事を終え、食器や調理器具を片付けると、俺はリビングの椅子に腰かけた。普段は、そのまま闘技場へ出勤するのだが、今はその闘技場を建設中だ。定期的に打ち合わせや確認に赴いているものの、それも毎日ではないし、朝が早いわけでもない。


 そんな事情で、最近の朝は実にゆったりとしていた。どうせ、闘技場が完成間近になれば大忙しだ。体力を温存しておくのも大切な仕事だろうと、意識的に余裕を作っていた。


「さて……今日はどうするかな」


 今日の予定を思い描く。闘技場建設の進捗確認は昨日やったし、どこかの闘技場でも覗いてみようか。戦闘面であれ経営面であれ、何か参考になるかもしれない。


「――っと、危なかった。今日はシンシアが来る日だったな」


 思わず呟く。シンシアと『極光の騎士(ノーザンライト)』を会わせるという約束をしたのは、もうだいぶ前の話だ。


 本来なら、『極光の騎士(ノーザンライト)』が試合をした日の帰りに予定を入れるつもりだったのだが、運悪くマーキス神殿の重要な儀式と重なってしまったのだ。


 そのため、新闘技場の完成前に『極光の騎士(ノーザンライト)』として話をしておきたかった俺は、一時的に魔導鎧マジックメイルを保管しているこの家で、シンシアと会うことにしたのだった。


「隠し部屋はギルさんに頼んでるけど、結界はどうしたものかな。レティシャに頼りすぎるのもアレだしな……」


 思考が口をついて出る。闘技場の閉鎖に伴い、一時的に魔導鎧マジックメイルをこの家に置いているものの、やはり不安は大きかった。早いうちに、闘技場へ移してしまいたいところだ。


 そんなことを考えながら、リビングの状態をチェックする。人を迎えても失礼じゃない程度には整っていると思うが、いい機会だ。ちゃんと掃除するか。


 そう決めた俺は、掃除用具を揃えて、本気で掃除に精を出す。そして、一通り満足がいくレベルに仕上がったことを確認していると、玄関のノッカーが音を立てた。


 玄関へ向かい、扉を開けると、そこには予想通りシンシアの姿があった。非番なのか、それとも人目を避けるつもりなのか、法服ではない衣服を身に着けている。


「シンシア、よく来たな。迷わなかったか?」


「ピッ!」


 シンシアより早く、胸元に抱かれたノアが元気に返事をする。もう慣れてきたが、本当にこの雛は賢いな。俺を見て羽をパタパタさせているが、相変わらず浮力が生まれる様子はない。


「あの、本当にすみません……ミレウスさんのお家にお邪魔するなんて……」


 そんなノアとは対照的に、シンシアは申し訳なさそうな顔をしていた。どちらかと言えば、男が一人で住んでいる家に女性を招いた俺こそ責められてしかるべきだが、今日は魔導鎧マジックメイルを外に出すわけにはいかない。


 リビングへ案内すると、シンシアは驚いた様子で周りを見ていた。


「どうかしたか?」


「あ、すみません! ……その、大きなお家だな、って」


「ああ、ちょっと事情があって、本当の持ち主から借りてるんだ。一人暮らしには分不相応だが、色々便利でさ」


 言いながら、ソファーへ掛けさせる。ついでに茶菓子と飲み物、そしてノアの水を出すと、俺は準備していた説明を口にした。


「もうじき『極光の騎士(ノーザンライト)』も来ると思うから、少し待っていてもらえるか? 俺は外に出ているから」


「え? そんな、ミレウスさんのお家なのに……」


「闘技場絡みで、俺にも予定があってさ。『極光の騎士(ノーザンライト)』はこの家のことをよく知っているから、心配しなくていい」


「で、でも……」


 なおも恐縮するシンシアに笑顔を見せると、俺はリビングから退室する。そして、その足で魔導鎧マジックメイルが置いてある部屋へと向かった。


「さて……」


 俺は魔導鎧マジックメイルの兜を手に取る。すると、すぐにクリフの念話が頭に響いた。


『おや、主人マスター。まだ前回起動から六十二日ですが……最近は起動間隔が短くなっていますね。よいことです』


 驚いた様子ながらも、クリフは上機嫌であるようだった。だが、俺は首を横に振る。


「悪いが、今日は鎧の起動はなしだ。純粋に、ただの鎧として着用する」


『おや、そうですか』


 残念そうに答える。ぬか喜びさせて申し訳ない気もするが、この前の剣闘試合で一回分消費しているため、魔導鎧マジックメイルの起動残回数はあと五回しかない。


 新闘技場が完成するまでは戦う場所が存在しないため、三か月以上試合間隔が空いても剣闘士ランキングから抹消はしないという特例を勝ち取ったものの、新闘技場での試合が行われると、その時点で残り回数はあと四回になってしまう。

 つまり、新闘技場ができてから一年ほどで、『極光の騎士(ノーザンライト)』は剣闘士界から消滅する。シンシアとの面会のためだけに起動させるわけにはいかなかった。


 俺は黙々と鎧を身に着けていく。そのたびに重量が俺の身体にのしかかり、最後の兜を被った頃には、俺は軽くよろめいていた。


主人マスター、大丈夫ですか? この鎧は、強化魔法の発動を前提にしていますから、普通の鎧よりかなり重量があります。

 いくら鍛えている主人マスターとは言え、さすがに無茶だと思いますが』


「戦うわけじゃないから、大丈夫だ」


 言い返して、その場で軽く体を動かす。戦闘はともかく、通常動作ができないほどではない。ただ、歩行時や座る時に苦労しそうだな。


「そう言えば、起動してないのにクリフは話せるのか?」


 と、ふと気になったことを尋ねる。実は起動していたりしないだろうな。


『私は鎧の人工精霊ですからね。起動するしないにかかわらず、気が向けば話します』


「そうなのか……」


 よく分からないが、クリフがそう言うならそうなのだろう。俺に古代魔法文明の理屈は分からない。


『ところで、戦闘ではないということですが、今回の用向きはどのようなものですか?』


「この姿で人と会う用事があるんだ。……ほら、前々回の起動時に一緒に戦ったマーキス神官がいただろ?」


『ああ、巨人討伐時に一緒に地下に潜った女性ですね。名前はたしか……シンシアさんでしたか』


「よく覚えてたな……そうだ、そのシンシアだ。どうしてもこの姿で会う必要があった」


 そう説明すると、クリフはしばらく沈黙した。どうしたのかと思っていると、どこか意地の悪そうな念話が伝わってくる。


『なるほど、彼女は主人マスターに対して非常に好意的でしたからね。その好意を利用して……』


「人聞きの悪い言い方だな……だが、そう言えなくもないか」


極光の騎士(ノーザンライト)』への信頼を利用して、シンシアに古代遺跡のことを口外させないよう釘を刺す。たしかに利用だ。


『やはりそうでしたか……しかし主人マスター、それであれば兜をつける必要はないのでは? そのままでは口づけ一つできません』


 その言葉に、俺は危うくバランスを崩しそうになる。


「どうしてそうなる……」


『照れなくてもよいのです。この前も申し上げましたが、主人マスターの私生活までサポートしてこそ、優秀な人工精霊というもの』


「この鎧の中に入っているのが俺だってことは、誰にも知らせるつもりはない。知っているのはユーゼフだけだ。

 そして、シンシアは俺の表の顔を知っている。顔を見られるわけにはいかない」


『はぁ……まあ、そう仰るなら構いませんが。主人マスターは奥手なのですね』


 伝わってくる念話には、呆れたような雰囲気があった。


「だからそうじゃないと……」


『それなら、あの女性はどうですか? 巨人討伐時に赤い髪の魔術師がいたでしょう』


「答えはさっきと同じだ」


『そうですか……それでは、一緒にいた半竜人の女性は?』


「もっとあり得ない」


『ということは、赤髪の女性のほうが脈があるということですね』


「前向きだな。というかお前、この手の話だと本当に楽しそうだな。……ひょっとして女好きか?」


 つい聞いてしまう。そもそも、鎧の人工精霊というものに性別があるのか分からないが。


『私に男女の好みはありません。ただ、主人マスターの恋模様は数少ない楽しみだというだけのことです』


「さらっと本音を言ったな……」


『ちゃんとした女性でなければ、主人マスターのパートナーとして認めませんからね』


「お前は小姑か」


 俺のツッコミにもめげず、クリフは滔々と語る。


『歴代の主人マスターは、皆さん素晴らしいパートナーを得ていました。もちろん、この鎧を授与されている時点で相応の地位にあるわけですから、よりどりみどりではありましたが、その陰で私の内助があったことは疑いようがありません。

 唯一の心残りは先代ですが、彼も素晴らしいパートナーを得たことに変わりはありませんし……』


「……歴代の主人マスターが苦労してきたことは分かったよ」


 俺はそれだけを答える。なんだか気になる部分もあったが、昔のことについて、クリフは具体的なことは教えてくれない。問い詰めても無駄だろう。


「なんだか疲れてきたし、もうシンシアの所へ行っていいか?」


『ええ、もちろんですとも。私のことは気にせず、政治でも愛でも語ればよろしいかと』


 返事することを放棄して、俺はリビングへ向かう。最初こそぎこちなかったが、リビングに差し掛かった頃には、普通に近い歩き方ができていた……と思う。


「あ……! 『極光の騎士(ノーザンライト)』さん……!」


 落ち着かない様子で座っていたシンシアは、俺の姿を見えると弾かれたように飛び上がった。一方でノアが比較的落ち着いているのは、中身が俺だと気付いているからだろうか。


「……シンシア、久しぶりだな。あの後は大丈夫だったか?」


「は、はい! 『極光の騎士(ノーザンライト)』さんのおかげで、帝国の事情聴取も神殿長立ち会いの下で一回あっただけです!」


 シンシアは瞳を輝かせて答える。だが、緊張しているのだろう。いつもより声が上ずっていた。


「それはよかった」


 言いながら、ゆっくりとソファーに腰かける。だが、想像よりも身体への負荷は重かったらしい。半分ほど膝を曲げたところで、ドスッとソファーに座り込んでしまう。


「……しばらく戦い詰めでな。不調法があるかもしれんが、許してほしい」


 疑われる前にと、とっさに言い訳を口にする。すると、シンシアは納得した様子だった。


「だから、フラフラしていたんですね。ひょっとして、徹夜で戦って……?」


「そんなところだ」


 俺は落ち着き払って答えた。なんだか都合のいい勘違いをしてくれているので、そういうことにしておこう。シンシアは感心したように俺を見つめている。


主人マスター、よかったですね。盲目的に信頼されているようですよ』


『今は話しかけないでもらいたいんだが……』


 クリフに念話で答えていると、シンシアが心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「あの、よかったら活力付与リフレッシュを……」


「大丈夫だ、問題ない」


 シンシアの気遣いを慌てて断る。せっかくの言い訳を失うわけにはいかない。


「あ……すみません……」


 すると、シンシアが目に見えてしゅんとしていた。そこで慌ててフォローを入れる。


「気持ちだけもらっておく。……神聖魔法は神の力を借りるものだ。休めば治る状況下であれば、神の力を浪費させるわけにはいかん」


「そんなことまで考えているんですね……!」


 シンシアは再び感心した様子だった。なんだか居心地が悪いが、落ち込まれるよりはいい。そう思っていると、シンシアが控えめな態度で口を開いた。


「あの……今日は我儘を言ってすみませんでした」


「気にすることはない。俺としても、古代遺跡の話をしておきたかった」


 俺の答えを聞いて、シンシアは明らかにほっとしていた。そして、窺うように俺を見る。


「あの遺跡をどうするか、ミレウスさんから聞いていますか……?」


「……新たな闘技場のことか」


「はい……」


 その顔は不安に彩られていた。さて、『極光の騎士(ノーザンライト)』はどの程度知っていることにしようかと考え込む。


「あの、違うんです……! ミレウスさんは、あの遺跡を悪用するつもりじゃなくて、その……」


 すると、シンシアはなぜか慌て出した。俺が目を瞬かせている間にも、彼女は言葉を続ける。


「闘技場に組み込んだほうが、しっかり守れるからって……『極光の騎士(ノーザンライト)』さんを裏切るつもりなんかじゃ――」


 そこまで聞いて、ようやく理解する。シンシアは俺の沈黙を否定と捉えたのだろう。つまり、支配人ミレウスの行動に俺が怒っていると解釈したわけだ。


 まさか、ミレウスのことを庇ってくれるとは思わなかったが、それなりに信用を得ていたのだろうか。それはそれで嬉しいな。


 だが、今の俺は『極光の騎士(ノーザンライト)』だ。そんな心情が表に出ないよう、努めて平静に口を開く。


「案ずるな。闘技場での利用に異存はない」


「え……?」


 シンシアの目が驚きに見開かれた。ノアがじたばたしているところを見ると、腕にも力が入ったのだろう。それに気付いた彼女が、慌てて腕を緩める。


「俺が懸念しているのは、帝国もしくはテロリストどもがあの装置を悪用することだ。だが、闘技場の結界に古代遺跡を使用しているなどとは誰も思うまい」


 シンシアは無言で頷く。彼女が秘密を漏らすとは思っていないが、念のためにひと押ししておこう。


「シンシアには負担をかけるが、引き続き遺跡のことは秘密にしてほしい。……頼めるか?」


「も、もちろんです……!」


 シンシアは真面目な表情で頷くと、小さく拳を握りしめていた。その様子を見ていると、つい頬が緩む。

 あと数年もすれば、あの古代遺跡の存在が明らかになったとしても、巨人騒動とは別件だと言い切ることだってできるだろう。そこまでは、なんとしてでも隠し通す必要があった。


「……でも、ほっとしました」


 やがて、少し力が抜けた様子でシンシアは微笑んだ。


「どうした?」


「その……もし『極光の騎士(ノーザンライト)』さんとミレウスさんが喧嘩したらって、ずっとそれが心配で……」


 それは悪いことをしたな。彼女の性格を考えれば、気付いておくべきだったかもしれない。


「心配をかけたようだな。……悪かった」


「そ、そんなことないです……! 私が勝手に心配していただけで……」


 ぶんぶんと手と首を振るシンシアだが、それでも表情は嬉しそうだった。その顔を見ているうち、俺はふと気付く。

 そう言えば、遺跡の話しかしていないが、それでよかったのだろうか。元々はシンシアの労いのために設けた場だというのに、これではまるで業務確認だ。


 何か雑談でもするべきか。だが、何を話していいものか分からない。これが支配人ミレウスなら、いくらでも話すことができるのだが……。


「その雛は――」


 結果として、唯一思いついたのはノアのことだった。自分が話題になったと察したのか、くつろいでいたノアが首を左右にぴょこぴょこと動かす。

 すると、シンシアははっとしたように俺を見た。


「神殿の許可をもらって、私が飼うことになりました。それで、あの……」


 言って、シンシアは恥ずかしそうにうつむいた。やがてノアを持ち上げて顔の下半分を隠すと、恐る恐る、とでもいうようにこちらを見る。


「名前なんですけど……ノアちゃんにしました」


「そうか」


 他にコメントのしようがない俺は、それだけを口にする。自分で名前を付けるのは照れくさいが、そこまで恥ずかしがらなくてもいいのにな。


 そんなことを考えていると、シンシアが困ったような、ほっとしたような複雑な表情を浮かべていることに気付く。


 不思議に思っていると、シンシアは再び口を開いた。


「本当に、大丈夫ですか……?」


「……? いい名だと思うが」


 念押しの意味が分からず、俺は首を傾げる。


「いえ……それならよかったです」


 そう言ってノアを胸元に下ろすと、別の話題を振ってくる。それは好きな食べ物の話であったり、趣味の話であったり、とりとめのないものだった。

 普段どうやって生活しているだとか、そういった質問がなかったのは、シンシアなりに気を遣ってくれたからだろう。


 それから半刻は経っただろうか。楽しそうに微笑んでいたシンシアは、ふいに焦りの表情を浮かべた。


「あ、すみません……! こんなに長くお話してしまって……」


 言うと、慌てて立ち上がる。


「今日は、お話ができて本当に嬉しかったです……本当にありがとうございました」


 そう言ってぺこりと頭を下げる。そして俺は、彼女の視線が下を向いている間にと、なんとか鎧ごとソファーから立ち上がった。


「あ、このお家の鍵って……」


「心配ない。もうすぐ支配人も帰ってくるだろう。それまでは俺が家の番をしている」


 答えて、シンシアを扉まで見送る。扉から一歩出ると、彼女はくるりと振り向いた。


「あの、本当にありがとうございました……!」


「ピョッ!」


 シンシアの声に会わせて、ノアが元気に鳴き声を上げる。


「……気をつけて帰ってくれ」


「はい! ……あ」


 ノアに負けない元気な返事をした後で、シンシアは変な声を上げた。そして、少しためらいがちに口を開く。


「もし……もしですけれど、『極光の騎士(ノーザンライト)』さんが旅に出るようなことがあって、神官の従者が必要だったら……私――」


 だが、言葉はそこで止まった。シンシアは顔を真っ赤にしたかと思うと、慌てて首を横に振った。


「な、なんでもないです! し、失礼します……!」


 慌てた様子で身を翻すと、ノアの羽毛に顔を埋めて走り去る。呆気にとられた俺は、無言で立ち尽くした。



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