建設 Ⅱ
第二十八闘技場の支配人の仕事の一つに、試合の組み合わせを決める、というものがある。
当然ながら、剣闘試合は対戦相手が決まらなければ始まらないが、適当に組み合わせればいいというわけでもない。
実力差があり過ぎる組み合わせは好かれないことが多いが、同レベルの者と戦わせてばかりいるとマンネリ化してしまう。
これまでの組み合わせの記録や試合結果を見ながら、俺は試合の構成を考えていた。いつもより時間がかかっているのは、普通の試合の組み合わせではないからだ。
「うーん……」
思わず声を上げる。なんとなく大枠は決まっているが、枠の中身がピンと来ない。少し思考が煮詰まっているかもしれないな。
そう考えた時だった。扉のノック音とともに艶やかな声が聞こえてくる。
「ミレウス、いる?」
「レティシャか。空いてるぞ」
ちょうどいい、休憩でもするか。そう決めた俺は支配人の椅子から立ち上がった。
「あら、誰もいないのね。……けど、ちょうどいいかしら」
支配人室に入ってきたレティシャは、なんだか嬉しそうだった。彼女は後ろ手に扉を閉めると、笑顔を見せる。
「おめでとう、ミレウス。あの『金城鉄壁』に勝つなんて凄いじゃない」
ああ、そのことだったのか。からかい交じりの笑みはよく見るが、今の彼女にそんな意図は感じられない。心から祝福してくれているようだった。
「ありがとう。運が味方についてくれたな」
とっさに微笑む。
「……で、その姿勢はどうかしたのか?」
そして問いかける。レティシャは両手を後ろで組んで、意味ありげにこちらを見上げていたのだ。
「……どうやって飛びつこうかと思って」
「なんだそりゃ――ああ、ヴィーの真似か」
一拍遅れて気付く。おそらく立ち会ったエルミラが伝えたのだろう。
「彼女が飛びついていいのなら、私だって構わないわよね?」
いつもながら、どこまで本気か分からない彼女の言葉に、俺は肩をすくめてみせた。
「いや、あるだろ……ヴィーは家族みたいなものだからな」
「つまり、私のことは、家族ではなく一人の女として見てくれているのね。嬉しいわ」
言って、彼女は楽しそうに笑う。
「……なんなら、ミレウスのほうから飛びついてくれてもいいのよ?」
「それで悲鳴の一つも上げられたら、俺は支配人の職を失うな」
なんといっても、お客に絶大な人気を誇る『紅の歌姫』だからな。下手をすれば熱狂的なファンに襲撃されかねない。
「もう、少しくらい信じてくれてもいいのに」
彼女は口を尖らせるが、その目は笑っていた。そして、俺を不思議そうに見上げる。
「戦いの結果、みんなには言わないのね。あの『金城鉄壁』に勝ったんだぞ、って。『金城鉄壁』への配慮かしら?」
「まあ、それもあるな」
俺は頷いた。他の闘技場にも名が知れているという意味では、ダグラスさんはユーゼフに次ぐ名物剣闘士だ。それがただの支配人に負けたとあっては、ダグラスさんの人気に影響が出る。
ダグラスさん自身は気にしないだろうが、支配人としてそれは困るし、なにより――。
「それも、ってことは他にも理由があるのね」
と、レティシャが踏み込んでくる。
「……エルミラから試合のことを聞いたけれど、口外していいものか分からなくて」
彼女は弁解するように付け加えた。エルミラが立ち会った時点で彼女に伝わることは予想していたから、別に気にはしていないけどな。
「あれは、ダグラスさんの戦い方をよく知っていたからできたことで、実力じゃない。
俺を買い被られるのもごめんだし、ダグラスさんが不当に軽く見られることも嫌だからな」
そして、ぼそっと付け加える。
「……それに、俺は剣闘士じゃない」
もし俺が剣闘士だったら、ダグラスさんが言った通り、一勝をもぎ取ったことを誇っただろう。だが、俺はただの支配人だ。
「……」
レティシャは何も答えなかった。代わりに、不思議な表情を浮かべて俺を見つめている。
「レティシャ、どうかしたか?」
「え? ……ううん、なんでもないわ」
彼女は慌てた様子で首を振ると、ところで、と話題を変えた。
「さっきまで何をしていたの? なんだか疲れているように見えるわよ」
「試合の『組み合わせ』を考えていたんだが、少し煮詰まってさ」
答えると、レティシャは苦笑いを浮かべた。
「組み合わせじゃお手伝いのしようがないわね」
「剣闘士に手伝ってもらうと、組み合わせの公平性を疑われるからな」
別の闘技場では、組み合わせに口を出して、相性のいい剣闘士や新人ばかりと対戦して連勝記録を作ろうとした剣闘士もいたらしいからな。
すると、レティシャは悪戯っぽく笑う。
「いっそのこと、くじ引きにしてみるのはどう?」
「そうなれば、『紅の歌姫』と新人剣闘士の組み合わせなんてものができてしまうぞ?」
「それはそれで面白そうね」
レティシャの言葉に俺は肩をすくめた。
「相手がかわいそうだろ……まして、レティシャが相手の時は観客の大半が敵になるからな。新人には荷が重い」
「さすが支配人、色々考えるのね。その様子だと、他にも配慮していることがありそうね」
興味を引かれたのか、レティシャは身を乗り出してくる。
「そうだな……強さのバランスはもちろんだが、戦い方も影響するな。たとえば『疾風迅雷』はあまり魔術師と戦わせたくない」
「そう言えば、あの子はあまり魔術師と対戦しないわね」
「魔術師が相手だと、あいつは必ず開始直後を狙うからな……。戦い方としては正しいんだが、支配人としては辛いものがある。お客からすれば、わざわざ観に来た試合が数秒で終わるわけだからなぁ……」
魔法構築が早い『紅の歌姫』や、接近戦もできる『蒼竜妃』が相手なら話は別だが、それ以外の場合は『試合の間』を障害物が多い仕様にしているくらいだ。
それはそれで心苦しいものがあるのだが、今のところはそういった対応で凌いでいた。
「当然ながら各剣闘士の試合間隔やコンディションも重要だし、あとは……話題性かな」
「話題性?」
「『金閃』や『紅の歌姫』は単独でかなりの集客力があるから、そこで試合を組むともったいない気がしてさ。……まあ、だからと言ってまったく組まないわけにもいかないが」
「そうね、私が『金閃』を倒す機会がなくなるのは困るわ」
レティシャは頷く。現在の第二十八闘技場内のランキングは、彼女が三位でユーゼフが二位だ。二人は勝ったり負けたりを繰り返しているが、勝率はややユーゼフが高い。
だが、これは剣闘試合での話だ。なんでもありの戦いなら、遠距離攻撃の得意なレティシャは戦闘能力が上がるからな。
「最近で言うと、モンドールも話題性は申し分ないな。新たな客層を開拓できた」
「皇子様があんなに戦えるのは予想外だったわね。……そうそう、この前食事に誘われたわよ」
「え?」
つい訊き返すと、レティシャは意味ありげに俺を見る。
「この闘技場の上位ランカーと話をしてみたい、ですって」
「そっちが目的、か……?」
つい首を捻る。ユーゼフよりも女性にモテてみせる、と気炎を上げていたモンドール皇子の顔を思い出すと、どうにも下心がある気がするな。あいつ、レティシャみたいなタイプが好みっぽいし。
そう考えていると、レティシャがわざとらしく俺の腕をつついた。
「うふふ、嫉妬した?」
「いや、そうじゃなくて……」
「心配しなくても大丈夫よ。『試合で私に勝ったらご一緒しますわ』って答えておいたから」
「モンドールもかわいそうに……」
彼はかなり強いが、少なくとも現時点ではレティシャが上だ。それに、まだ彼女と対戦させる予定はない。もう少し、『帝国の獅子』のネームバリュー単独で稼がせてもらう予定だった。
「とは言え、モンドールにも今度の試合は出てもらわないとな。誰を当てたものか……」
俺は支配人席に視線を送る。そこには組み合わせ関係の書類が広げられたままだ。
「それにしても、ミレウスがそんなに悩むなんて珍しいわね」
そんな俺を見て、レティシャが不思議そうな顔を見せた。たしかに、組み合わせでこんなに悩んだことはなかったかもしれないな。
「なんせ、最後の試合と最初の試合の分だからな」
「最後と、最初……? あ――」
何度か目を瞬かせた後、レティシャは声を上げた。
「この闘技場での最後の試合と、新しい闘技場での最初の試合ということ?」
「ああ。いつもと同じわけにはいかないだろう? しばらく休業することを考えると、印象の強い試合を組んでお客に忘れられないようにする必要があるし、新しい闘技場のほうは言うまでもない」
「と言うことは、『極光の騎士』も出るのかしら」
その言葉に頷く。一試合の間とはいえ、できたばかりの闘技場で支配人の俺がいないのは辛いところだし、魔導鎧の起動間隔も普段より短くなってしまう。
だが、新しい闘技場を大々的にアピールするには、『極光の騎士』の登場は必須だ。鎧の回数制限はあるが、下手に延命を図るよりもここで使うべきだろう。そう結論付けていた。
「新しい闘技場での初日は『極光の騎士』にも頑張ってもらうつもりだ。未確定だが、『大破壊』と試合ができるよう働きかけている」
「思い切ったわね。『極光の騎士』と『大破壊』は応じてくれるかしら」
「今のところ大丈夫だと思う。『大破壊』は『極光の騎士』と再戦したがっていたし、彼が所属する闘技場には、この前の交流試合で貸しがあるからな」
「貸し? ……ああ、そう言えばディスタ闘技場で『剣嵐』と戦っていたわね」
言ってから、レティシャは意味ありげな表情で俺を見る。
「ところで、『紅の歌姫』と『極光の騎士』の対戦予定はないのかしら」
「面白い組み合わせだが、また今度だな」
俺は肩をすくめる。かなりの集客が見込めることは間違いないが、やはりランキング一位の『極光の騎士』と二位の『大破壊』のネームバリューに勝るものはない。
「そう言うと思ったわ。……『極光の騎士』と一緒に戦った時に、対戦する約束をしておけばよかったわね」
レティシャは笑う。彼女は戦闘好きではないが、『極光の騎士』の強さに興味があるのだという。
「レティシャにも、帝都ランキング十位以内の誰かと対戦してもらう案があったんだが……」
「魔術師と対戦したがる剣闘士はいない、でしょう?」
「剣闘士レベルで言えば、いなくもないんだがな。ただ、向こうの支配人がいい顔をしない」
『極光の騎士』や『金閃』、『金城鉄壁』といった剣闘士は歓迎されるのだが、やはり魔術師との対戦は気に入らない支配人も多いようだった。
「とは言え、しばらく闘技場は休業になるわけだし、『紅の歌姫』の登場を心待ちにしているお客は多いだろうからな。何かしら試合を組みたいとは思っている」
「楽しみにしているわ」
微笑むと、レティシャはすっと人差し指を俺に突きつけた。
「……それはそうとして、ちゃんと休むのよ? 忙しいのは分かるけれど、この大切な時期にあなたが倒れたらどうしようもないわ」
そして、彼女は何かの小瓶を取り出すと、俺に差し出してくる。
「疲労回復効果のある香料よ。この蓋を開けておけば、少しずつ空気に混ざるわ。……疲労回復の水薬もあるけれど、あれを多用すると後で副作用が出るから」
「ありがとう、大切に使うよ」
礼を言って受け取る。錬金術は彼女の得意分野ではないはずだが、わざわざ作ってくれたのだろうか。試しに蓋を開けてみると、落ち着いた爽やかな香りが漂い出す。
「新しい闘技場ができるまで、倒れるわけにはいかないからな。回り道も大切か」
自分にそう言い聞かせると、レティシャが調合してくれた香りを吸い込んだ。