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説得 Ⅱ

「ダグラスさんと戦う……?」


 突然、ダグラスさんに戦いを挑まれた俺は戸惑っていた。だが、ダグラスさんの目は真剣だ。闘技場移転の話と何かしらの関連があるのだろう。


「副支配人と……支配人が?」


「帝都五十傑に入るような剣闘士が、どうして支配人を……」


「副支配人は嫌がらせをするような人じゃないだろ……?」


 周囲から驚きの声が上がる。俺がユーゼフと共に修業していたことを知っている古参の人間は比較的落ち着いていたが、それでも意外なことに変わりはないようだった。


「ミレウス、お前の言い分は理解できる。……だが、頭では理解できても、心が付いていかぬ」


「だから戦いを?」


 ダグラスさんは黙って頷いた。そして、他の剣闘士や従業員に向き直る。


「……突然すまなかった。だが、諸君らの気持ちは概ね固まっていることだろう。これは私個人の問題だと理解してほしい」


 ダグラスさんの言葉を受けて、急速にざわめきが小さくなる。これも副支配人としての人徳だろうか。


「副支配人、どこで戦うおつもりですか?」


 静かになった客席で、そう問いかけたのはユーゼフだった。


「人目につく場所を使用するつもりはない」


「……なるほど」


 ユーゼフは頷く。ダグラスさんの言い振りからすると、地下にある訓練場を使うつもりなのだろう。


「それで、立会人はどうしますか?」


「可能なら君に頼みたい」


「そう言ってもらえると思っていました」


 ユーゼフは少し楽しそうだった。一応神妙な顔をしているが、声のトーンは楽しい時のそれだ。


「ええと……今から戦うの? それなら、万が一に備えて神官の手配をするけれど」


 次に口を開いたのはヴィンフリーデだった。その言葉に多くの人間が頷いたのは、一般人の俺が一方的にやられる展開を思い描いていたからだろう。


 だが、その問題はあっさり解決した。


「なんの、(それがし)がおりますぞ! 心ゆくまで試合の間(リング)で語り合うがよろしい!」


 立ち上がった巨漢は豪快に笑う。うちの剣闘士にして、戦神ディスタに仕える神官でもあるベイオルードだ。

 今でこそ剣闘士登録をしているが、元は救護神官としてうちに来ていた人物だ。治癒魔法の腕前に文句はない。


「決まりだね、よろしく頼むよ。じゃあ行こうか」


 いつの間にか場を仕切っているユーゼフが、笑顔で声をかける。……あいつ、俺とダグラスさんの戦いを楽しみにしてるな。

 ユーゼフの真意に肩をすくめていると、思わぬところから声が上がった。


「――ダグラスさん、俺にも立ち会わせてもらえませんか」


 それは、さっき異議を唱えてきた剣闘士だった。ダグラスさんは顎に手を当てて考え込む。


「あまり公にはしたくないところだが……」


 その言葉に異を唱える者は誰もいなかった。普通に考えれば、俺が無様に敗けるだけの話だ。公にしたい類のものではない。


 剣闘士もそれは分かっていたようで、今度は俺に向き直る。


「支配人。俺にも立ち会わせてもらいたい。戦いの内容については、誰にも語らないと約束する」


 彼は真剣な顔で告げる。その表情からすると、俺が叩きのめされる姿を見て溜飲を下げたいわけではないようだった。


「そこまでおっしゃるのなら、私は構いません」


「……感謝する」


 彼は真面目に一礼すると、再び客席に座り込んだ。すると、別の方向から手が挙がる。


「私……行く」


 次いで立会人に立候補したのは意外な人物だった。頭から角の生えた半竜人。『蒼竜妃アクアマリン』エルミラだ。


 レティシャがそう言い出す可能性は考えていたが、こっちは予想外だったな。

 そう思った俺は、無意識にレティシャに視線を送る。彼女は複雑な表情を浮かべていたが、こちらを見ることはなかった。


「ああ、構わない」


 意外だったが、特に排除する理由もない。『極光の騎士(ノーザンライト)』として彼女と対戦したことはあるが、魔導鎧マジックメイルを身に着けていない俺の戦いを見たところで、正体がバレることはないだろう。


「それじゃ、関係者は支配人室にでも集まろうか。……あ、他の人たちは解散していいからね」


「それは俺の台詞だ……」


 生き生きとした様子で話を進めるユーゼフに、俺は半眼で呟く。


「あはは、ごめん。ミレウスは戦いに集中しなきゃならないんだから、ここは僕が引き受けようと思ってさ」


「気持ちだけ受け取っておく」


 答えると、客席にいる全員に向かって声を上げる。


「皆さん、今日のお話はここまでとさせて頂きます。詳細はまたご案内しますが、もしどうしても辞めたいとお考えの方がいらっしゃいましたら、私に申し出てください。

 本日は、お集まり頂いてありがとうございました」


 その言葉を受けて、みんなが一斉に動き始める。大半は帰り支度だが、この後の戦いの関係者は俺のところへ集まってくる。


「ミレウス……大丈夫?」


「大丈夫だ。相手はダグラスさんなんだから、死ぬことはないさ」


 耳打ちするヴィンフリーデに笑顔で答える。緊張はするが、不思議と恐怖はなかった。


「それだけじゃなくて――」


 ダグラスさんと対立した形になって、落ち込んでいないか。彼女はそう心配してくれているのだろう。正直に言えばショックだったが、心のどこかで納得している自分がいるのも事実だ。


 だから、今考えるべきはそこじゃない。


「ダグラスさんにどうやって勝つか。今はそれしか考えてないよ」


「……本当に、みんな負けず嫌いなんだから」


 ヴィンフリーデは何度か目を瞬かせた後、小さく笑った。




 ◆◆◆




「真剣でいいのか? 刃引きした剣でも構わないが」


「お互いに、使い慣れている剣が一番でしょうから」


 闘技場地下にある訓練場で、俺は愛剣を点検していた。通常より軽めに作られた特注品であり、この部屋にあるどの剣よりも扱いやすいため、訓練用の剣を使うつもりはなかった。


 それに、一角の剣闘士が戦いを申し込んできたのだ。ちゃんとした形で応えたいという、剣闘士になれなかった俺のこだわりでもあった。


「二人とも、準備はできたかい?」


 俺たちが装備を身に着けたタイミングで、ユーゼフが声をかけてくる。その傍にいるのは、立会人に立候補した剣闘士と『蒼竜妃アクアマリン』、そしてヴィンフリーデの三人だ。


「……ああ」


 ユーゼフの言葉に頷くと、俺は訓練場の中央へ向かった。


 訓練場には円状に溝が刻まれており、その広さは試合の間(リング)とまったく同じだ。そういう意味では、正規の試合の間(リング)と変わるところはほぼない。


 ここで「ミレウス」として、ユーゼフ以外の剣闘士と戦う日が来るとは思っても見なかったな。そんな思いと共にダグラスさんと向き合う。


 ダグラスさんは、いつも通りの巨大な魔法盾マジックシールドと剣、そして使い込まれた鎧を身に着けていた。

 対して、俺は身軽さを重視して部分鎧を身に着けた程度だ。素早さを優先する剣闘士に多いスタイルだが、俺のように筋力に難のある人間には、そもそもこれが精一杯だった。


 戦いを申し出たダグラスさんの真意は分からない。だが、目の前に立つダグラスさんからは、歴戦の剣闘士の気迫が伝わってくる。決して軽い気持ちではない。それだけははっきりしていた。


 ダグラスさんが盾を押し出す半身の構えに移行し、俺も剣を構えると身体のバネを溜める。やがて、立会人のユーゼフが口を開いた。


「――『金城鉄壁フォートレス』ダグラス・フォード 対 ミレウス・ノア。……試合始め!」


 その瞬間、ダグラスさんが踏み出した。俊敏な動作で間合いを詰めると、手にした剣を振るう。それは、奇をてらわないまっすぐな一撃だった。


「――っ!」


 俺は、迫りくる剣を身をひねってかわした。軌道は素直だが、その分力が乗った剣撃だ。まともに受け止めると俺のバランスが崩れかねない。


 身をひねった勢いでダグラスさんの右側に回り込むと、構えた剣を左側から叩きつける。ほぼ右側面からの斬撃だ。左手に持つ盾で受け止めることは不可能なはずだった。


 だが、ダグラスさんは剣をさっと引き戻す。ギィンという硬質な音と共に、俺の剣は弾かれていた。

金城鉄壁フォートレス』と言えば魔法盾マジックシールドが有名だが、もちろんそれがすべてではない。剣技においても防御に秀でているからこその二つ名だ。


 だが、攻撃に使っていた剣を無理やり防御に使ったせいで、その姿勢は少し崩れている。そこを揺さぶるべく俺は攻勢をかけた。


 右、左、左、中央、右、左、右。時折突きを交えて、俺は剣を連続で繰り出す。その分威力は落ちているが、問題はない。

 俺が狙っていたのは、すべて足下だったからだ。


 剣闘士の多くは、長期戦を考慮して装備を軽量化している。もちろん重装備がウリの剣闘士もいるが、そうでもない限り、足下はすね当てと革製の履物だ。つまり、俺の攻撃でも当たればダメージが期待できる部位だった。


 ダグラスさんは絶大な防御力がウリだが、それは魔法盾マジックシールドと剣技によるものであって、足下まで甲冑で覆っているわけではない。

 そして、その魔法盾マジックシールドは下にいくほど面積が小さくなる造りのため、足下の防御には向いていない。


「ほう……」


 ダグラスさんは興味深そうに声を上げると、薄く微笑みを浮かべた。俺が対策を講じていたことが分かったのだろう。


 それに構わず、俺は足下を狙い続ける。振るい続けた剣は、ついにダグラスさんの右足を捉えた。……かのように見えた。


「甘い」


 俺の剣を横合いから弾いたもの。それはダグラスさんの左足だった。剣の腹をすね当てで蹴ったのだ。体重が右足にかかって動かせないタイミングを狙ったつもりだったが、俺の剣の威力なら問題ないと踏んだのだろう。


 だが、そこで終わりではない。俺はもう一度足下を狙うようにフェイントを入れると、上段から思い切り振り下ろした。


「ぬっ!?」


 執拗に足下を攻められていたダグラスさんは、構えが少しずつ下がっていた。そのため、上段からの攻撃は防ぐことが難しいはずだ。だが――。


「駄目か……」


 思わず呟く。俺の上段斬りは、ダグラスさんが咄嗟に掲げた魔法盾マジックシールドに阻まれていた。

 剣闘士によっては、十全ではない状態で掲げた盾を敢えて強打し、相手のバランスを崩すこともできただろう。だが、全力の斬り下ろしを阻まれた俺は、強打するどころか自分のバランスを崩さないことで精一杯だった。


 そして、その隙を見逃すダグラスさんではない。


「ふ……っ!」


 前に出たダグラスさんは縦横無尽に剣を振るった。巨大な魔法盾マジックシールドを使いこなす膂力は、そのまま剣の破壊力にも繋がる。


 動きを先読みすることで、圧倒的な威力の剣撃を避け、弾き、反撃の機会を窺う。ダグラスさんの試合を長年見続けていたおかげで、動きのクセは分かっている。だが、正面から剣を打ち合わせると力負けする以上、読み間違いは許されなかった。


「くっ……!」


 迫りくる剣撃を受け流す。さすがは帝都五十傑の常連だけあって、その攻撃は苛烈の一言だった。なんとか負傷は避けているものの、俺はじりじりと後退していく。


 そうして十数度目の斬撃をかわした時だった。魔法盾マジックシールドが俺とダグラスさんをお互いの視線から遮った。


 その瞬間、俺はベルトに見せかけていた武器を手に取った。細かい鎖の先には、飾りにも見える打撃用の錘がついている。

 それを一振りして慣性に乗せると、ダグラスさん目がけて横殴りに叩きつけた。


「ぬっ!?」


 ダグラスさんは咄嗟に盾をかざしたが、鎖は盾の縁に当たって折れ曲がり、先についた錘が側頭部を強襲する。

 ダグラスさんとの間合いを考えて長さを調節した鎖は、狙い通りの効果を発揮したようだった。


 勢いのついた錘が直撃し、ダグラスさんの頭が揺れた。とは言え、それだけで勝負がつくとは思っていない。俺は鎖を投げ捨てると、畳みかけるように剣を繰り出す。


 だが、その剣は再び魔法盾マジックシールドに阻まれた。半ば本能的なのだろうが、ダグラスさんはろくにこちらを見ることもなく、俺の攻撃を防いだのだ。

 とはいえ、頭に錐が直撃しただけあって、動きは少し鈍くなっているようだった。


 と、壁のように立ちはだかった盾が、少し後ろへ下がる。


 ――来る!


 それは、ダグラスさんが得意とする盾打撃シールドバッシュの予備動作だった。盾の巨大な面積を生かした攻撃は、完全な回避が難しい。


 そこで、俺は思い切って盾を押した(・・・・・)


「なに!?」


 ダグラスさんが声を上げる。接近していると逃げ場のない盾打撃シールドバッシュだが、技の出始めを狙えば不発に持っていくことはできる。

 盾を引いた瞬間を押さえることができれば、人体の構造上、強い力は発揮できないからだ。


 もちろん、俺の乏しい腕力では限界があるし、ダグラスさんが一歩引けば体勢は整えられる。そうなる前に動かなければならない。


 左手を滑らせて魔法盾マジックシールドの縁を掴むと、ダグラスさんの左側に回り込む。そして、俺はダグラスさんの首に剣を突きつけた。


「む……!」


 ダグラスさんの目が見開かれた。その視線は、自分の喉元に突きつけられた剣と、それを握る俺に向けられていた。


 そうして、剣を突きつけてから十秒は経っただろうか。誰も動かず、俺たちの荒い息遣いだけが聞こえる空間に、ダグラスさんの声が響いた。


「……降参だ」


 ダグラスさんはそう言うと、剣闘試合のルールに則って手を挙げる。その首から血が滴っているのは、俺が見切りを誤ったせいだ。剣の正確さには自信があったのだが、それだけ余裕がなかったのだ。


「……え?」


「なんだと……!?」


 試合の幕切れに驚いたのは、ユーゼフを除く三人の立会人だった。中でも、一番驚いているのは『蒼竜妃アクアマリン』だろうか。彼女は俺の過去をあまり知らないからな。


 そんな分析をしながらも、俺は剣を引いてダグラスさんに向き直った。


「……ありがとうございました」


 そして、胸の前で剣を掲げる。ダグラスさんも同じように返礼すると、ふっと相好を崩した。


「……ミレウス、強くなったな」


「いえ……二度は通じない手でしょうから」


 それは謙遜ではなく本音だった。俺がそう動くと分かっていれば、ダグラスさんは同じ手には引っ掛からないだろう。


「それでも、その『一度』を使って勝ちを収めたのだ。誇ってもらわねば私が困る」


 ダグラスさんは笑った。その言葉に、ダグラスさんに勝ったという実感と高揚感がこみ上げてくる。


「お前の身のこなしを見れば、鍛錬を続けていることは分かっていた」


 負けるとは思っていなかったがな、とダグラスさんは苦笑を浮かべた。そして、しばらくの沈黙の後、再び口を開く。


「……本当に、どうしたものか悩んでいてな。もっと深く話し合うべきだったのだろうが、お前は弁が立つ。もしおかしなことがあっても、言いくるめられるような気がしていた」


 今度は俺が苦笑を浮かべる番だった。たしかに、言を弄してでも説得しなければと思っていたが……。


「そう悩んでいる時に、ふと古風なやり方を思いついたのだよ」


「それが、今回の戦いですか」


「『剣闘士は剣で語れ』と、昔はよく言われていたものだ。……もちろん、私は剣から相手の心情を推し量ることはできん。

 だが、ミレウスが剣闘士の魂を持ち続けているかどうかは、技量という形で確認することができる。まさか、私に対する攻略法を考えていたとは驚きだったがな」


「剣闘士の戦いを見て、自分ならどう戦うかを考えるのは日課ですから」


 そう答えると、ダグラスさんは嬉しそうに笑った。そして、少し真剣な表情を浮かべる。


「負けた私が言うのもなんだが……実を言えば、この戦いの勝敗を移転の賛否と関連付けるつもりはなかった」


「そんな気はしていました。ダグラスさんは『勝てば移転を認める』とは言いませんでしたからね」


 そう返すと、ダグラスさんは驚いたように俺を見た。


「気付かれていたか。……そうだ。ミレウスが今も剣闘士の魂を持っているなら、勝敗に関係なく移転を認める。そうでなければ、私が闘技場を去る。そう決めていた」


 そして、肩をすくめる。


「まさか、私が負けるとは思わなかったがな。……まあ、おかげで心は定まった。今更だが、これからは闘技場の移転に尽力させてほしい」


「もちろんです。これからもよろしくお願いします」


「ああ、改めてよろしく頼む」


 俺は差し出された手を握る。そう言えば、なし崩しで支配人に就任した時は、こんなにしっかり挨拶をしていなかったな。ある意味では、今が本当の出発点なのかもしれない。


 そんな思いで握手を交わした後、俺は訓練場の試合の間(リング)から下りた。


「ミレウス、凄いじゃない!」


 すると、ヴィンフリーデが歓声と共に飛びついてくる。かなり勢いのある突進だが、ダグラスさんの攻撃に比べれば簡単に対処することができた。


「まさか、ダグラスさんに勝っちゃうなんて……!」


 興奮した様子で言葉が続く。こっそりユーゼフを窺うと、これまた楽しそうに俺を見ていた。

 仮にも恋人が他の男に抱きついているのだ、少しはムッとするかと思ったが……。まあ、俺とヴィンフリーデは姉弟みたいなものだからな。気にするわけないか。


「支配人、見事な戦いだった。どうやら俺は思い違いをしていたようだな」


 次に口を開いたのは、立ち会いを希望した剣闘士だった。彼は神妙な面持ちで言葉を続ける。


「てっきり、商売の神に魂を売り渡しているものと思っていたが、違ったのだな。……すまなかった」


 彼は頭を下げる。それを見た俺は首を横に降った。


「闘技場の運営を優先していることは事実ですから、そう思われて当然です。

 けど、もし今回の件で仲間だと思ってもらえるなら嬉しいです」


「そうか。……もし剣闘士をやりたくなったら、いつでもこっち側に来いよ」


 そう答えると、彼はニヤリと笑みを浮かべた。この様子だと、支配人業に専念するために剣闘士を諦めたと思っているかもしれない。


「……驚き」


 その直後、もう一人の立会人が声をかけてきた。『蒼竜妃アクアマリン』エルミラだ。言葉こそ少ないが、ぽかんとした表情がすべてを物語っていた。


「……剣闘士、ならない?」


「向かない体質なんだ」


「……?」


 エルミラは首を傾げたが、それ以上は追求してこなかった。接近戦もこなす彼女のことだ。実際に戦えば俺の欠点に気付くだろうが、さすがに見ただけでは分からないようだった。


「……安心した」


「ん? 何が?」


 エルミラがもらした言葉の意味が分からず聞き返す。


「支配人、敵多い」


「まあ、そうだな。多いとまでは思いたくないが……」


 正面から言われると悲しいものがあるが、たしかに俺を快く思わない人間はいる。特に魔術師の剣闘試採用を不愉快に思っている人間は多いだろう。しかし、今さら外すつもりはない。


「レティシャ、喜ぶ」


「そんなに頼りなく思われてたのか……」


 思わず苦笑が浮かぶ。そうして彼女としばらく話していると、ぬっと大きな人影が近づいてきた。戦神ディスタの神官、ベイオルードだ。

 ダグラスさんの首を治療をしていたはずだが、どうやら終わったようだな。


「支配人殿! 非常に天晴な戦いでしたぞ!」


 ディスタ神官はとても賑やかだった。いつものことだが、この地下の密閉空間だと余計に耳に響くな。


「ありがとうございます」


「正直に言えば、某はダグラス殿が圧勝するとしか思っておりませんでな! 支配人殿の治療をする気で立ち会っていたのですが……いやはや、これほど面白い戦いになるとは思ってみませんでしたな!」


 言って、ベイオルードはバシバシと俺の肩を叩く。巨漢から繰り出される掌は強烈な衝撃を生み、俺の身体をぐらつかせた。


「支配人殿、どうですかな? 某とも一戦交えませぬか?」


 そして、とんでもないことを言ってくる。


「すみません、さっきの戦いで心身共に消耗してしまって……」


 それは言い訳であると同時に本音だった。帝都五十傑でもあるダグラスさんとの戦いは、とても神経を使う。まともに剣を合わせてはならないという制約のせいで、身体的にも精神的にも消耗は激しかった。


「おお、そうでしょうな! あのダグラス殿を下したのですから、消耗して当然と言うもの! ……ですが、体力気力の限界を迎えてからの戦いも良いものですぞ?」


「今日は遠慮しておきます……」


「む、それは至極残念ですな……とは言え、休息も戦士の大切な仕事。無理強いはできませんな! ご自分の戦いを誇り、心と体をいたわるがよろしい!」


 ベイオルードはもう一度俺の肩を叩くと、上機嫌で去っていった。その背中を見送っていると、今度はユーゼフがこちらへ近付いてくる。視線が合うと、『金閃(ゴールディ・ラスター)』は嬉しそうに笑った。


「ミレウス、おめでとう。とても面白い試合だったよ。……あの鎖分銅は初めて見たけど、練習していたのかい?」


 言いながら、俺たちは拳を打ち合わせる。祝いの言葉がすぐに戦いの話になるのは、いかにもユーゼフらしい。


「それなりにな。ユーゼフは盾をあまり使わないから、見せたことがなかったな」


「盾持ちじゃなくても、使う機会はありそうだけどね」


「正直に言えば、あの動作しかできないんだ。あの間合いで、盾の縁に引っ掛けて頭を狙う練習だけをしてきたからな」


「へえ……でも、ミレウスは器用だからね。使いこなせば面白そうだ」


「『七色投網(ダイバース・ネット)』くらい使いこなせれば、たしかに楽しいだろうな」


「そうなれば、剣闘士には珍しい中距離戦だね。見てみたいものだよ」


 そんな話をしながら、俺はようやく部分鎧を外していく。『極光の騎士(ノーザンライト)』の魔導鎧マジックメイルと比べれば、あっさり着脱できるのはいいところだ。


「……それにしても、これでようやく移転の話がまとまりそうだね」


「ああ、思っていたよりもいい流れが来ていると思う。このまま行きたいな」


 俺は小声で話しかけてくるユーゼフに頷く。ダグラスさんとの戦いは予定外だったが、結果を見れば最良の形で話がついている。後は、しっかりとした闘技場を作るだけだ。


 俺は訓練場の試合の間(リング)を見つめながら、決意を新たにしていた。



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