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説得 Ⅰ

 興行が終わり、夕日が闘技場を茜色に染める。今日は夜間試合(ナイター)の予定もないため、俺は支配人室でほっと一息ついていた。


「ミレウス、移転先の土地は手に入りそうなの?」


 窓を見ながら身体を伸ばしていると、ヴィンフリーデが声をかけてくる。


「微調整は残っているが、概ね話はついたよ」


 三十七街区の土地の買付は順調に進んでいた。帝国に予定地の一部を押さえられるというアクシデントはあったものの、移転計画に影響が出るほどではない。


 セイナーグさんを通じて交渉したことがよかったのか、巨人騒動の影響が色濃かったのか、土地を売り渋る人はほとんどいなかった。


「あら、よかったわね。それじゃ、移転計画はいよいよ本決まりね」


「ひとまず一安心だな」


 窓から試合の間(リング)を見下ろす。この光景も見納めになる日が来ると思うと、どうしても感傷的になってしまう。


 頭を振ってそんな思いを振り払うと、俺は気掛かりなことを口に出した。


「……ダグラスさん、何か言ってきたか?」


「さっぱりよ。もう一度聞いてみようかしら」


 ヴィンフリーデは肩をすくめる。俺たちが話題にしているのは、副支配人であるダグラスさんが、闘技場の移転について否定的であることだ。


 面と向かって反対だとは言われていないものの、今だに賛否を明らかにしていない時点で、気持ちはそちらに傾いているのだろう。俺たちはそう予想していた。


「いや、あまりせっついても、悪い結果を生みそうだからな」


「でも、どうするの? そろそろ剣闘士や従業員にも話をするんでしょう?」


「そうなんだよなぁ……」


 土地の取得に横槍が入ることを警戒して、闘技場内部でも限られた人間にしか明かしていない移転計画だが、土地取得の目途はついている。

 となれば、重大な労働条件変更でもあるし、うちの剣闘士や従業員には早く説明しておくべきだろう。


「ダグラスさんも早く周知しろって言っていたものね」


「ああ。『私の意見はともかく、彼らには早く話をしておくべきだ』って言われたよ」


 その言葉は正しいと思うし、それは俺も分かっている。ダグラスさんが移転計画に賛同してくれているなら、とっくに周知していただろう。

 できることなら、ダグラスさんへの説得が成功してから、みんなに移転計画を説明したかったのだが……。


「俺が彼らに移転の話をするまで、動かないつもりなのかもしれないしなぁ……」


 だとしたら、待っていても意味がない。それどころか、従業員への説明を疎かにする人間だと見限られる可能性すらあった。


 俺はしばらくじっと天井を見つめると、ふっと息を吐いた。


「……よし。近いうちに皆に移転計画を打ち明けよう」


「分かったわ。日程の調整をしてみるわね」


 その言葉に頷くと、俺は目を閉じる。それなりに根回しもしているが、そうすんなり話が通るとは思っていない。

 だからこそダグラスさんに頼りたいところだが、いつまでも甘えているわけにはいかないということだろう。闘技場の移転は、あくまで俺が決めたことだ。


 自分にそう言い聞かせると、俺はゆっくり拳を握りしめた。




 ◆◆◆




 ルエイン帝国第二十八闘技場は、そこまで規模が大きいわけではない。だが、それでも従業員の数は百名を越える。


 当然ながら、彼ら全員を収容できるような会議室は存在しないため、全員と話をする場合には、闘技場の客席を利用することが常となっていた。


「――皆さんに重要な話があります」


 剣闘士、魔術師、従業員。彼らの視線が突き刺さる中、俺は言葉を切り出した。


「実は、この闘技場を移転しようと考えています」


 ざわり、と空気が動く。近くの人間と顔を見合わせる者もいれば、俺への視線を強める者もいた。

 彼らに共通しているのは、誰もが驚きの表情を浮かべているということだろう。


「皆さんのおかげで、この闘技場は高い人気を博しています。戦いの質、サービスの質、設備の質。どれも他の闘技場に、そしてお客様に胸を張ってお見せできるものです」


 言いながら、みんなの顔を見渡す。照れたように笑みを浮かべる人間もいるが、大半は様子見といった風情で俺を見つめていた。


「……ですが、一つだけ。どれだけ頑張ってもどうしようもないものがあります。それは、この闘技場の広さです」


 その言葉を否定する声は上がらなかった。皆にとっても共通認識なのだろう。本当は障壁のことも理由に挙げたいところだが、それは危険すぎる。こちらの理由だけで説明する必要があった。


「この闘技場は満席となることが多く、試合を楽しみに来られたにもかかわらず、場内に入れないお客様が多々いらっしゃいます。


 また、観戦したいけれども、チケットが手に入らないだろうと最初から諦めている方も非常に多いと聞きます。そんな方々のためにも、大人数を収容できる闘技場を建設します」


 俺が口を閉じても、客席はしんと静まりかえっていた。降り注ぐ視線と、不気味な沈黙。プレッシャーに圧されて口を開きそうになるが、今は堪える時だろう。俺はぐっと腹に力を込めた。


「移転先はどこですか?」


 やがて、従業員の中から質問の声が上がる。それはこの場にいる多くの人間が訊きたい事柄だろう。


「三十七街区です。ここ以外にはあり得ません」


 堂々と言い切る。移転先が例の巨人騒動の現場だと知った人々は、一斉にざわめきだした。


「三十七街区って、あの事件の――」


「大丈夫なのか……?」


 その反応は非常に消極的なものだった。それはそうだろう、凄惨な事件の現場で仕事をしたいと考える人間はごく少数だ。


「……三十七街区を選んだ理由を聞かせてもらいたい」


 ざわめきの中で声を上げたのは、古参の剣闘士だった。帝都五十傑にはランクインしていないものの、平均的な剣闘士よりはかなり腕が立つ。彼は厳しい表情で俺を見据えていた。


「先程申し上げた巨大な闘技場を建設するためには、非常に広大な土地が必要になります。

 ですが、この周りは帝都の中心部に近く、地価が非常に高い。必然的に中心部をやや外れた区域が候補地になります」


「……」


 俺の言葉に対する反論はなかった。だが、その目が更なる説明を求めていることは明らかだった。


「その時点で候補地はかなり絞られます。その中でも、三十七街区は交通事情や将来性、用地の取得のしやすさにおいて特に優れていました」


「待て。用地の取得のしやすさと言ったな。……あの事件で被害を受けた住民の弱みにつけこんだのではないだろうな」


「無理やり土地を売らせたわけでもなければ、買い叩いたわけでもありません。もしお疑いであれば、三十七街区の皆さんに聞いてみてください。

 適正な価格……いえ、例の事件を考慮すれば、割高な価格で売却することになったと返事があることでしょう」


「でも、治安は大丈夫ですか? あんな事件があった後ですが……」


 次いで声を上げたのは、接客担当の従業員だった。彼女の言葉に周りの従業員が頷く。


「事件そのものはともかく、その後に治安が悪化したという話はありません。三十七街区の有力者と帝国政府、それにマーキス神殿が復興に力を入れていますから、そういった心配は必要ないと思われます。


 それに、これは内密の話ですが、闘技場のすぐそばに公的な施設を作る話があります。衛兵の詰所であればベストですが、なんであれ公的施設は治安の向上に役立ちます」


「けど、あの巨人がまた現れたら……」


「政府の見解では、あの巨人は犯人によって召喚されたものとされています。

 ですが、その犯人の死亡が確認されている以上、あの区域で同様の事件が起きる可能性は極めて低いものと考えられます。それに――」


 言いながら、俺は近くにいるユーゼフを手で差し示した。


「件の巨人については、『金閃ゴールディ・ラスター』や『紅の歌姫(スカーレット・オペラ)』、『蒼竜妃アクアマリン』によって相当数が討伐されています。

 まして、ここには大勢の頼もしい剣闘士がいるのですから、恐れる必要はありません」


 実際には、平均的な剣闘士があの巨人を相手取るのは難しいが、そこまで言う必要はないだろう。そもそも、あの巨人はもう発生しないのだから、意味のない仮定だ。


 ちらりと視線をやれば、不敵な笑みを浮かべる剣闘士が幾人目に入ってくる。その様子を見ていると、最初に発言した従業員が再び口を開いた。


「新しい闘技場ができるまで、俺たちには仕事がないんですか?」


「建設が始まっても、ある程度の時期まではこの闘技場で興行ができることになっています。完全に興行がストップするのは二か月程度になる見込みです」


 すでに、闘技場の建設にかけては右に出る者のない『気紛れ工房』のギルさんに話を通してある。ドワーフの魔法を織り交ぜて建設を進めれば、信じられない速さで建設が進むはずだった。


「そして、その間の賃金についても支払う用意があります」


「なんだって……!?」


 その言葉に反応した人間は多かった。再びざわめきが客席に広がっていく。


「……と言っても六割程度になりますが、その間は仕事がありません。別口でお金を稼ぐことができれば、いつも以上の収入になることもあるでしょう」


 俺自身もかなり悩んだが、彼らは第二十八闘技場の財産だ。彼らと仕事をしたいという思いはもちろんのこと、これまでに培った知識や技術は非常に有用だし、代わりの人間を探して一から教えようとすると大きなコストがかかる。


 二か月分の賃金はかなりの金額になるため、さすがに全額補償とはいかないが、これも必要投資だろう。……そのせいで、神殿から受ける融資額が増えてしまったけどな。


「なお、その期間は他の闘技場での交流試合を積極的に組む予定です」


「なに……?」


 その言葉に剣闘士たちが反応を見せる。交流試合は帝都剣闘士ランキングに大きな影響を与えることを知っているため、前向きな剣闘士は多いはずだった。


「また、闘技場の建設現場での仕事を希望する場合には、優先的に採用されるよう手配します。力仕事だけがすべてではありませんからね」


 その言葉に、今度は従業員が反応を見せた。


「それなら……なんとかなるか……」


「大きな闘技場のほうが自慢できるかも……?」


 ちらほらと前向きな声が上がりはじめる。あらかじめ仕込んでいた従業員もいたのだが、いい仕事をしてくれたようだな。

 今だ戸惑い気味ではあるものの、移転に肯定的な雰囲気が形成されているように思えた。この流れで押し切ってしまおうと、俺は急いで口を開く。


「ご理解を頂けたようで、とても嬉しいです。詳しいことは、また後日に――」


「ちょっと待て。勝手に話を進めてるんじゃねえよ」


 だが、そう上手く事は運ばなかった。声を上げたのは、やはり古参剣闘士の一人だった。彼は険悪な視線で俺を睨みつけると、闘技場中に響き渡るような怒声を上げた。


「イグナートの兄貴が作った闘技場を捨てるだと!? 黙って聞いてりゃ無茶苦茶を言いやがって、そんな馬鹿な話があるか!」


 大気がビリビリと震える。魔道具でも使っているのかと思うような声量だった。


「捨てるのではなく、移転です」


「言葉で取り繕ってるんじゃねえ! 俺たちはイグナートの兄貴が残した闘技場だからこそ、こうやって移籍せず残ってるんだ。それを、新しい闘技場に鞍替えするだと!? 馬鹿言ってるんじゃねえぞ!」


「ですが、この闘技場では規模に限界が――」


「それはお前の都合だろうが! この闘技場を潰しちまうなんざ、申し訳なくて兄貴に顔向けできねえ。

 お前らだってそうだろう!? これまで相棒としてやってきたこの闘技場を見捨てるつもりか!?」


 彼は従業員たちが多くいるほうへ向かって大声を上げる。剣闘士は移転反対、魔術師は我関せず、従業員は消極的賛成の人間が多いようだから、従業員を標的にしたのだろうか。


「そりゃ、まあ……」


「ずっと働いてきたんだから、愛着はあるわよ」


 その言葉に影響されて、数人から声が上がる。いい流れが来たと思ったが、そう簡単にはいかないか。


 感化される人間がこれ以上増えないようにと、俺は早々に口を開いた。


「皆さんのお気持ちは分かります。……この闘技場を仲間だと思ってくれていることは、支配人としてとても嬉しいことです」


「お前が言ってんじゃねえよ」


「いえ、言わせてもらいます。私もこの闘技場とは長い付き合いです。それこそ、闘技場ができた時からの」


「……」


 古参の剣闘士だけあって、彼は俺が昔から闘技場に出入りしていたことを知っている。だが、それでも苛立ちは収まらないようだった。


「だからこそ、余計に腹が立つんだよ! どうしてお前がそんな非情なことを……兄貴の痕跡を消すようなことを考えるんだ……!」


「それは――」


 俺は横槍を入れて来た剣闘士に向き直ると、全身に力をこめて、はっきりと宣言する。


「闘技場とは、施設の名前ではありません」


「……あ?」


 声を上げた剣闘士は、怪訝な顔で俺を睨み付ける。だが、一歩も引くつもりはなかった。


「――闘技場とは、人です」


 視線がぶつかり合う。だが、目は彼を捉えているものの、その言葉はここにいる全員に向けたものだ。


「剣闘士が戦い、人々が観戦する。その場面を作り上げようとする意思こそが闘技場の本質。

 ……つまり、皆さんこそが、先代が遺したルエイン帝国第二十八闘技場なのです」


「なんだと……?」


 彼の目が見開かれる。いや、それだけではない。多くの人間が今の言葉に反応していた。


「俺たちが……?」


「そんな風に考えたことはなかったな……」


「闘技場がなくなるのは、試合の間(リング)や客席が取り壊された時ではありません。皆さんがいなくなった時にこそ、先代が遺した闘技場は本当に消滅します。

 だからこそ、休業中のお金を支払ってでも、皆さんに残ってほしいと願ったのです」


「む……」


 やがて、睨み合っていた剣闘士が視線を逸らす。その顔に浮かんでいた剣呑さは、だいぶ和らいでいるように思えた。


「……ユーゼフ、お前はどうなんだ」


 自身も迷っているのか、彼はユーゼフに声をかけた。『極光の騎士(ノーザンライト)』がほぼ不在であるため、この闘技場の実質的なランク一位はユーゼフだ。そのため、彼の影響力は大きい。


 ユーゼフは俺と剣闘士を見比べると、いつもの爽やかな笑顔で答えを口にした。


「場所より人のほうが重要だ、という言葉は理解できるよ。僕だって、伝説の魔剣を持つ凡人よりも、凡庸な装備を身につけた達人と戦うほうが楽しいからね」


「ふむ……」


「たしかに……」


 いささか不思議な例えだったが、その言葉は剣闘士たちに届いているようだった。


「そして、闘技場を移転したとしても、試合のサポートは気心の知れたこのメンバーに頼みたいな」


 さらに、ユーゼフは従業員サイドに向けて言葉を投げた。

 最高クラスの剣闘士にもかかわらず、傲らず親しみやすい彼は、当然ながら従業員の間でも人気が高い。そのユーゼフの言葉は、従業員に大きく作用したようだった。


 最も否定的だった剣闘士たちの態度が軟化したこともあり、いつしか移転に前向きな空気ができあがる。


「そこまで言うなら……やってみるか」


「あたしたちが闘技場そのものだ、なんて言われちゃうとね」


金閃ゴールディ・ラスターが帝都ランキング一位になるまでは、辞めるわけにはいかないな」


 そんな声が次々と上がってくる。今度こそ流れはこちらに向いていた。


 もう大丈夫だろう。そう思わせるだけの雰囲気を確認した俺は、ほっと一息つく。

 離脱者がゼロだとは思わないが、この調子なら大半は残ってくれるはずだ。


 ……そう思った矢先だった。


「ダグラスさん?」


 これまで、剣闘士たちの側で話を聞いていたダグラスさんが、無言で歩み出る。その雰囲気にただならないものを感じた俺は、思わず身を強張らせた。


 やがて俺の前に立ったダグラスさんは、今までに見たことのない複雑な表情のまま、腰に提げていた剣を抜く。


 そして、切っ先を俺に突きつけると、予想外の言葉を口にした。


「――ミレウス。私と戦え」



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