移転 Ⅵ
【『金城鉄壁』/副支配人 ダグラス・フォード】
「ダグラスさん、お疲れさまでした」
試合を終えたダグラスは、控室でミレウスの出迎えを受けていた。
「面白い男だった。だが、あいつは強くなるだろう。……それも近いうちにだ」
早々にミレウスが現れた理由は、対戦相手だったモンドールの評価を知りたいからだろう。そう判断したダグラスは、彼なりの観察結果を述べる。その言葉を聞いても、ミレウスに驚きの色はなかった。
「やはりそうでしたか……。早いうちに外部との交流試合も手配したほうがよさそうですね」
「帝都の剣闘士ランキングに早く登場させたいのであれば、そうだろうな」
ダグラスは頷いた。闘技場内での剣闘士ランキングはともかく、帝都全体のランキングは作るのが難しい。
戦ったことのない者同士で順位を決めるとなれば、「彼はあの剣闘士に勝っていて、あの剣闘士はその剣闘士に勝っていた。だが、闘技場ランキングではその剣闘士のほうが上だから~」というように、遠回しな比較をする必要があるからだ。
そのためか、交流試合に出ることの多い剣闘士は、ランキングに早く登場する傾向があった。
「ランキング十位以内はまだ難しいでしょうけど、帝都五十傑は充分狙えると思っています」
「そうだろうな。慣れれば、十位以内も狙えるかもしれん」
ダグラスがためらいなく十位という言葉を口にしたことで、ミレウスにかすかな驚きが生まれる。
「慣れれば、ということは、まだ動きが固いですか? 傍目にはすっかり馴染んでいるように見えますが」
「というよりも考え方の違いだな。生まれのせいもあるのだろうが、モンドールは全方位に対して警戒する癖がある。
悪いことではないが、歓声や実況にも注意力を割いているようだからな。その分、目の前の相手に集中しきれていない」
その言葉にミレウスはしみじみと頷いた。
「皇族ともなれば、暗殺の警戒なんかで常に周囲に気を配っているんでしょうね……。とは言え――」
「どうした?」
訊き返すと、ミレウスは少し照れたように笑う。
「いえ……あの『帝国の獅子』相手に、ダグラスさんが勝ったことが嬉しいな、って」
「支配人が剣闘士の片方に肩入れしてはなるまい。……だが、喜んでくれたことには礼を言う」
「だからここで言ったんですよ。……あの皇子も意外と好感が持てますが、やっぱりダグラスさんには活躍してほしいですから」
「期待に沿えるよう、これからも頑張るとするか」
ミレウスの言葉を聞いて、ダグラスの顔にも自然と笑みが浮かぶ。時には腹芸もこなすミレウスだが、本心からの言葉であることが分かったからだ。
慣れ親しんだ控室でミレウスと言葉を交わす。そうしていくつかの話題が過ぎ去った時、ミレウスが今までにない真剣な表情で向き直った。
「……どうした?」
問いかけると、ミレウスはまっすぐダグラスを見据えて口を開いた。
「――ダグラスさん、大切な話があります」
「聞こう」
即座に答える。ミレウスのこれほど真剣な顔を見たのは、魔術師を剣闘試合に組み込むと言い出した時以来だろうか。その記憶に、ダグラスは少し胸騒ぎを覚える。
そして、その予感はすぐに現実のものとなった。
「実は……闘技場を移転しようと考えています」
――移転。その言葉は、ダグラスが予想だにしていないものだった。言葉の意味が脳に浸透するまで、何度もその言葉を反芻する。
「移転……?」
「……はい、移転です。別の場所に、新しく闘技場を建設します」
ダグラスは思わず周囲を見回す。それはまるで、この闘技場を置き去りにするような言い方ではないか。この闘技場と苦楽を共にしてきたミレウスが、果たしてそんなことを言うものだろうか。だが――。
ダグラスはミレウスの顔を正面からじっと見つめる。目を逸らさず、ダグラスの視線を受け止めようとするその表情は、真剣そのものだった。そして、その態度こそがダグラスの疑問に答えを示していた。
「……なぜだ」
自分でも驚くほどに、その声は低く響いた。
「現状の設備では、これ以上の発展を見込むことはできません」
ミレウスが言いたいことは分かる。彼がどれだけ興行に趣向を凝らしても、どんなに観客から支持を得たとしても、収容人数は変わらない。副支配人として、その程度のことは分かるつもりだ。
「だが、移転する必要があるのか? 大きな利益が出ていないとは言え、長期的に見ればこの闘技場は黒字だ。このままでも闘技場の運営はできるだろう」
ダグラスはつい反論を口にした。イグナートが作り上げ、ミレウスたちと共に発展させてきたこの闘技場は、ダグラスの半生を共にした相棒でもある。
そういう意味では、見切りをつけたミレウスが信じられないくらいだった。
「ダグラスさんが言う通り、このまま運営を続けることは可能です」
「ならば――」
「ですが、それだけで終わるわけにはいきません」
ミレウスは強い口調で言い切った。それにつられるように、ダグラスの声も鋭くなっていく。
「闘技場を黒字で運営していくだけでは満足できないと?」
この闘技場の黎明期を知っているダグラスからすれば、黒字経営をしているだけでも大健闘だ。もちろん、その黒字はミレウスあってのことだが、それでも素直に頷くことはできなかった。
「闘技場の中には、欲をかいて潰れていった闘技場も多い。それはお前もよく知っているはずだ」
「かと言って、その場で足踏みすることを良しとしていては、周囲に置いていかれるだけです。常に高みを目指さなければ、現状維持すらできません。……それは剣闘士も同じでしょう?」
「む……」
ダグラスは言葉に詰まった。運営のことはともかく、剣闘士の心構えとしては、ミレウスの言葉は非常に正しい。
熟練の剣闘士と言われるようになって久しいダグラスですら、常に技術を磨き、相手を研究し続けているのだ。そうしなければ、すぐに新しい力に取って代わられるだろう。それはダグラスの確信だった。
だからこそ、ミレウスの言葉を一笑に付すことはできない。ダグラスはしばらく悩んだ後、ポツリと口を開く。
「……考えをまとめる時間をくれ」
そう告げるダグラスの声には、苦悩が入り混じっていた。
◆◆◆
【支配人 ミレウス・ノア】
支配人室はどんよりした空気に包まれていた。
「やっぱりダグラスさんは反対か……」
「そうなる気はしていたけど……困ったわね」
「ダグラスさんはうちの剣闘士に大きな影響力があるからな。辛いところだ」
俺たちは一斉に溜息をついた。一緒に支配人室で難しい顔をしているのは、ユーゼフとヴィンフリーデだ。
「影響力があるから困っているのかい?」
「……いや、ダグラスさんだから困ってる」
素直に言葉を訂正する。ダグラスさんは親父と共にこの闘技場を初期から支えてきた古株だし、俺が最もよく知っている現役剣闘士だ。
最強の剣闘士は親父だと思っているが、試合の間で戦う剣闘士の姿を思い浮かべようとすると、まずダグラスさんの姿が脳裏に浮かぶくらいだ。
さらに、副支配人として長年やってきた実績や経験、うちに所属する剣闘士をまとめている人望、そして帝都五十傑の常連という実力まで兼ね備えている重要人物なのだ。欠かすわけにはいかなかった。
そして、似たことを考えているのだろう、目の前の二人も深刻な顔をしていた。
「そうね……私たちも説得してみようかしら?」
「ああ、頼めるか?」
ヴィンフリーデにせよユーゼフにせよ、ダグラスさんとの付き合いは長い。ヴィンフリーデは幼い頃から面識があるし、ユーゼフは一緒に訓練をしたり試合の間で戦っている。ダグラスさんも聞く耳を持ってくれるはずだった。
ただ、俺たちが露骨に一致団結していると、ダグラスさんが疎外感を覚えるかもしれないし、別の闘技場への移籍や引退を考える可能性もある。あまり露骨にやるのも考えものだな。
そう悩んでいると、支配人室の扉がノックされた。その音を耳にした俺たちは顔を見合わせる。
「……ダグラスさんかな」
「可能性はあるね」
俺とユーゼフが話している間に、ヴィンフリーデは扉を開ける。そこに立っていたのはダグラスさんではなく、ほっそりとした神官だった。
「シンシア?」
俺は首を傾げた。たしかに彼女は今日の救護担当だったが、報告はもう受けている。他に用事でもあったのだろうか。
シンシアは俺と目が合うと、何かを言おうと口を開く。だが、その言葉はヴィンフリーデによって遮られた。
「――シンシアちゃん、今日はお疲れさま。……うふふ、今日もかわいいわね」
後半の言葉はシンシアに向けられたものではない。ヴィンフリーデの視線は、シンシアに抱かれている薄緑色の雛、ノアに向けられていた。
「ピュイ?」
返事をしたのか訝しんだのか分からないが、雛は短く鳴き声を上げた。短い首をしきりに動かしては、きょろきょろと周囲を見回している。
「さぁ、遠慮せずに入ってね」
そう言いながらも、ヴィンフリーデの手はノアへと伸ばされていた。もうだいぶ慣れたようで、ノアは変に暴れることもなく、大人しくヴィンフリーデへ受け渡される。
「ノアちゃんは今日もいい子ね」
ヴィンフリーデは嬉しそうに話しかける。ノアは返事をする代わりに、小さな羽をパタパタと動かしていた。
「……本当にヴィンフリーデはノアがお気に入りだな」
俺はユーゼフのそばに寄ると、小声で話しかける。ユーゼフとヴィンフリーデの仲は秘密だが、今の位置関係ならシンシアには聞こえないだろう。
「そうだね、あまりにも気に入ったせいで、自分も鳥を飼いたいと言い出したよ」
「へえ、飼えばいいんじゃないか?」
無責任に相槌を打つと、ユーゼフは肩をすくめた。
「それが、あの雛に似た鳥を探しているせいで、さっぱり決まらないんだ。そもそも、あんなに大きな雛はそうそういないからね」
まあ、そうだろうなぁ。みんなには秘密にしているが、ノアは古代遺跡から現れた謎の生命体だ。そこらに同種がいるとは思えない。
「……嘆きの森あたりならいるんじゃないか?」
だが、そう伝えるわけにもいかず、俺は適当なところを口にした。
「そんなことを言うと、また僕らで森へ入ることになるよ?」
「間違いないな。今のは聞かなかったことにしてくれ」
そう言って二人で笑う。ヴィンフリーデとシンシアは、相変わらずノアを間にはさんで楽しそうに話していた。
「……しかし、本当に不思議な雛だね。どんな成鳥になるのか、とても楽しみだよ」
「ずっと雛のままだったりしてな。ところで――」
俺は意図的に話題を変えた。あまりノアの正体を詮索されると、余計なことを言ってしまう気がしたからだ。
「ヴィーはあの雛にすっかり入れ込んでいるが、ユーゼフは嫉妬したりしないのか?」
そうからかうと、ユーゼフはきょとんとした表情を浮かべた。
「どうして? あの嬉しそうなヴィーを見てごらんよ。この光景こそ幸せそのものさ」
「そういうものか……?」
「そういうものだよ」
ユーゼフは爽やかに笑う。その顔を見るに本気で言っているのだろう。そのことに感心していると、再びシンシアと目が合った。
「そう言えば、ここに来た用件を聞いてなかったな。どうかしたか?」
そう水を向けると、シンシアはこちらへ踏み出す。
「あの、商会から伝言が……」
「商会? ……ああ、商会か」
今の時期、シンシアが話題にするような商会と言えば、移転予定地である三十七街区を束ねているマルガ商会しかない。
そして、なぜ固有名詞を使わなかったのかと考えて、はたと気付く。
「シンシア、大丈夫だ。この二人は移転計画を知っている」
そう言えば、移転計画のことは極秘にするよう頼んでたからな。そう伝えると、シンシアはほっとした様子だった。
「なんでも、お話ししたいことがあるそうです」
「分かった。貴賓席で話を聞こう。もう最終試合も終わったし、どこか空いているだろう。一緒に来てもらえるか?」
「はい!」
頷くシンシアを確認すると、俺は支配人室を後にする。歩きながら振り返り、少し後ろを歩く彼女に話しかけた。
「三十七街区の復興はどんな感じだった?」
「少しずつですけど、進んでいると思います」
シンシアはあまり悩む様子もなく答えた。巨人騒動時に活躍したという縁もあり、シンシアはマーキス神殿の神官としてたびたび三十七街区を訪れているらしい。
「ただ、やっぱり人の数は減ってるみたいです……」
「そうか……そればかりは仕方ないな」
引っ越した人も多いと聞くし、そもそも亡くなった人の数だけ人口は減っているはずだしな。
そんな会話をしながら、貴賓席の状況を確認する。予想通り、ほとんどの席はもう退室済みだった。その中で一番使用感が少ない部屋を選ぶと、俺はシンシアに声をかけた。
「失礼にならない程度に片付けておくから、セイナーグさんをここへ案内してもらえないか?」
「はい、分かりました……!」
「……悪いな、シンシアを使い走りにしてしまって」
「そんなことないです、私も無関係じゃありませんから……」
シンシアは微笑みを見せると、貴賓席から姿を消した。
さて、今のうちに片付けておかないとな。俺は室内をざっと見回すと、片付け作業に取りかかった。
◆◆◆
「ミレウス殿、突然申し訳ありませんな。お耳に入れたいことがあったのですが、まだ移転計画は極秘の段階。直接支配人室を訪ねるのはまずいかと思いまして」
「いえいえ、こちらこそお気遣い頂いて恐縮です」
慌ただしく整えた貴賓席で、俺はセイナーグさんと向かい合っていた。少し離れた椅子には、ノアを抱えたシンシアがちょこんと座っている。
「ここにいらっしゃると言うことは、入場料を頂いていますよね? お返しします」
「いえ、『帝国の獅子』と呼ばれるモンドール皇子には興味がありまして、もともと試合を観戦しようと思っていたのですよ」
「ですが……」
「これでお金を返して頂いては、私が不当に得をしてしまいます」
セイナーグさんは穏やかに微笑む。そう言われると、さすがにこれ以上は主張できないか。
「……ありがとうございます、ご厚意に甘えさせて頂きます」
俺の言葉に頷くと、セイナーグさんはシンシアのほうへ顔を向けた。
「シンシアさんにもご迷惑をおかけしましたな」
「いえ、私は……」
「ピィッ!」
謙遜する主の代わりをするかのように、ノアが元気よく返事をする。セイナーグさんは表情を緩めた後、咳ばらいをして俺へ向き直った。
「実は、あの場所を手に入れようとしていた者の正体が分かりましてな」
「本当ですか!?」
俺は思わず身を乗り出した。ペイルウッドが根城にしていた建物があった場所。下手に競合してもまずいと取得は諦めたが、誰が手に入れようとしているのかは気になっていた。
「土地の売買契約の折に判明したのですが、やはり政府筋だったようです」
「そうですか……」
俺はほっとした。ペイルウッドの背後勢力であれば警戒が必要だが、帝国が相手ならそれほどでもない。こっそり廃墟を探索したこともあるが、特に警戒するようなものはなかったしな。
「しかし、売買契約ですか? 賃貸借契約ではなく」
俺が不思議に思ったのはそこだった。事件現場を押さえたいだけなら、わざわざ買い上げる必要はないだろう。
「なんでも、少し大掛かりな工事をするそうですよ。地下を掘り返したいんだとか」
「地下を――?」
「ピッ?」
オウム返しに呟く。肝が冷えるとはこのことだった。同時にノアが鳴き声を上げたのは、シンシアが身を強張らせたからだろうか。
だが、地下遺跡の事情を知らないセイナーグさんは、前向きに捉えているようだった。
「ええ、三十七街区には公的施設がありませんでしたからな。まずは復興の拠点として利用し、これを機に詰所か何かを作るつもりのようです」
公的施設云々は、三十七街区にとっては悪い話ではないだろう。詰所があれば周辺の治安維持に繋がるし、一定の経済活動も生まれる。それは移転予定の闘技場としても悪い話ではない。
問題は、なぜ地下を掘る必要があるのか、ということだ。単に地下室を作りたいだけならいいが、このタイミングでそれだけ、ということがあるだろうか。
ペイルウッドの背後組織ならともかく、帝国は地下遺跡のことなんて知らないと思っていたが……。
工事のタイミングにもよるが、レティシャに頼んで、認識阻害の結界を早めに展開しておいたほうがいいな。万が一結界の存在がバレたとしても、闘技場の重要施設を一般人に知られたくなかった、で押し通せばいい。
それに、この帝都でレティシャを上回る可能性がある魔術師なんて、『魔導災厄』くらいなものだからな。帝国があの爺さんと仲良くやれるとは思えないから、まず大丈夫だろう。
「ありがとうございます、得体の知れない相手でないと分かって一安心です。……お手数をかけて恐縮ですが、もし工事の日程が分かれば教えてもらえませんか? 闘技場の工事との兼ね合いもあるでしょうから」
意思決定の複雑さの弊害だろう、国の仕事が迅速に進むことは少ないが、警戒するに越したことはないからな。
「おお、そうですな。分かりました、何か情報が入ればお伝えしましょう」
セイナーグさんは快諾すると椅子から立ち上がった。
「お忙しいミレウス殿をあまり引き留めるわけにもいきませんからな。今日はこれくらいで失礼します」
「セイナーグさん、今日は本当にありがとうございました」
「なに、持ちつ持たれつですからな」
その言葉に頷くと、俺たちは握手を交わした。
◆◆◆
「びっくりしました……」
「まったくだ」
退室したセイナーグさんを見送ると、俺とシンシアは顔を見合わせた。まさか、帝国が地下に着目するとは思わなかったからな。
「ミレウスさん、その……」
「大丈夫だ。『紅の歌姫』に認識阻害用の結界を頼んでいる。バレることはないさ」
不安そうなシンシアに向けて、意図的に力強い顔を作る。もともと、工事の際に発覚することを恐れて結界を依頼していたこと、地下階段を相当な深さまで埋める予定であることを説明すると、彼女は少し安心した様子だった。
「レティシャさんも、あの遺跡のことを知っているんですね」
「どうしても必要だったからな。大丈夫だ、彼女は信用できる」
返した言葉は言い訳じみていた。シンシアからすれば、共有していた秘密を勝手にばらされたのだ。性格的に怒ることはないにしても、ムッとされる可能性はある。
「…そうですね、レティシャさんなら安心です」
シンシアは微笑みを浮かべる。微妙な間があった気もするが、心配していたような負の感情は見られない。
そのことにほっとしながら、情報を付け加える。
「それから、運営の必要上、ヴィンフリーデとユーゼフも地下施設のことを知っている。ただし、あの事件と関係しているとは知らない」
本当のところを言えば、ユーゼフにはすべてを話しているが、表面上は知らないフリを貫いてもらっているからな。
「はい、分かりました……!」
シンシアは緊張した様子で答える。秘密を守る決意を新たにしているようだった。
「しかし……シンシアには業務外で負担をかけっ放しだな。何か礼をしたいが、希望はあるか?」
他の従業員なら、給金に反映させればいい話だが、彼女は神殿の命で来ている立場だ。給金はお布施という形で神殿に支払っているし、シンシア自身もお金をもらおうとはしないだろう。
だが、明らかにシンシアを働かせすぎている。彼女自身はよくても、神殿の他の人間に知られた場合、あまりいい顔はされないはずだ。
となれば、せめて対価だけでも支払いたいものだが……。
「そんな、気にしないでください」
慌てた様子で、シンシアはぶんぶんと首を横に振った。その反応は予想通りだが、困った反応でもある。
「うーん……俺にできることなら、金銭以外でも請け負うが……」
俺の立場を考えると、闘技場チケットの工面が一番よくあるパターンだが、相手はシンシアだしなぁ……。いっそ、彼女の好きな公演のチケットでも手に入れるべきだろうか。
「……あ」
悩んでいると、ふとシンシアが声を上げた。そして、何かを言いかけて口籠もる。
「何か思いついたのか? 本当になんでもいいぞ。無理なら無理だと言うから」
「でも……」
「借りを作るのが苦手な俺のためだと思って、口にするだけでも」
それでもなお遠慮するシンシアだったが、やがて俺に根負けしたのか、微妙に視線を逸らして口を開く。
「『極光の騎士』さんと、もう一度お話ししてみたいです……」
なるほど、そう来たか。『極光の騎士』の起動残り回数を考えると厳しいが、試合に出場した後で会うことは可能だろう。
そんな計算をしていると、シンシアが申し訳なさそうにこちらを見る。
「す、すみません。忘れてください……! ミレウスさんにも『極光の騎士』さんにも、ご迷惑がかかるようなことを……」
恥じ入ったようにうつむく。俺が黙っているのを否定的に捉えたのだろう。
「……いや、大丈夫だと思う。だいぶ先の話になるかもしれないが、構わないか?」
「え……?」
そう伝えると、シンシアは不思議そうな顔で固まっていた。
「……シンシア?」
「は、はい! すみません、まさか本当に会えるなんて……。びっくりしました」
彼女は嬉しそうに笑う。地下遺跡について、『極光の騎士』も闘技場利用に賛成だと断言しておく必要があるしな。ちょうどいい。
「それなら、今度『極光の騎士』と会った時に伝えておくよ」
「ありがとうございます! ……あの、『極光の騎士』さんがお嫌だったら無理しなくていいですから……」
輝く笑顔を見せた後で、気後れしたように呟く。
「分かったよ。もし『極光の騎士』が断った時には、素直に引き下がるさ」
実際にはあり得ない仮定だが、そう答えておいたほうがシンシアも安心するだろう。そんなことを考えながら、俺は彼女に頷いてみせた。