移転 Ⅳ
「こんな人気のない場所に二人っきりだなんて……ミレウスったら積極的ね」
「どうしてそうなる……」
古代遺跡の地下施設へと繋がる地下階段。俺とレティシャは、その階段への入口が隠されている倉庫を訪れていた。
「だって、今日のミレウスは悪い顔をしているもの。少しくらい期待してもいいでしょう?」
「悪い顔……」
言われて、つい顔に手を当てる。するとレティシャは楽しそうに笑い声を上げた。
「そうやって確かめるのは、後ろ暗いことがある証拠よ?」
「悪い顔だと言われれば、心当たりがなくても気になるさ」
そう返したものの、レティシャの言葉は正しい。今から彼女に依頼しようとしていることは、大きな声では言えない類のものだ。
「……その木箱の下に、かなり長い地下階段がある。その存在がバレないよう隠蔽してほしい」
小さな声で告げる。ここに俺たちしかいないことは確認済みだが、心情的にいつもの声で話すことはためらわれた。
「あら、本当にお仕事の話だったのね。残念だわ」
流し目を送るレティシャに肩をすくめてみせると、俺は木箱を動かして地下階段を露出させる。
現れた階段にはレティシャも驚いたらしく、興味津々といった様子で中を覗き込んでいた。
『紅の歌姫』は闘技場所属の魔術師だが、同時に有名な魔法研究者でもある。好奇心が疼くのだろう。
「ずいぶん長い階段ね。入ってもいいかしら……なんて、冗談よ」
俺が言葉に詰まったことを察したのだろう、レティシャは前言を撤回した。だが、気にならないはずはない。
「万が一の時に、レティシャを巻き込んでしまう可能性がある」
もし、あの事件に使用された結界装置だと公にバレた場合、俺の立場が危うくなる可能性は高い。詳しいことを説明してしまうと、彼女まで糾弾される恐れがあった。
そう懸念したのだが、レティシャの表情は曇っていた。
「『内密に認識阻害の結界を張ってほしい、報酬は弾む』なんて怪しいことを言う時点で、充分巻き込んでいると思わない?」
「う……」
それは正論だった。闘技場の建設工事中に見つからないよう、地下階段を隠蔽する。その時点で不審極まりないのに、協力させておきながら秘密は明かさない。たしかに勝手な話だ。
「ミレウスのことだもの。考え抜いた上での結論なんでしょう? それなら、私は巻き込まれても構わないわ。
……万が一の時にはミレウスに責任を取ってもらうから大丈夫よ」
おどけた笑顔を見せると、レティシャは言葉を続ける。
「それよりも、巻き込みたくないからって遠ざけられるほうが悲しいわ」
それは軽い口調だったが、その響きには本音が混ざっているように思えた。
「……悪かった」
素直に謝ると、俺は倉庫の入口へと向かい、倉庫に内側から鍵をかけた。そして、地下階段の一段目に足を乗せると、レティシャのほうを振り返る。
「言うまでもないだろうが、今から見せるものはここだけの秘密だ」
「ええ、もちろんよ。……ふふ、胸が高鳴るわね」
レティシャは上機嫌な様子で頷く。そんな彼女に、俺は一つだけ忠告することにした。
「そうそう、忘れるところだった。階段は信じられないくらい長いから、身体に強化魔法をかけておいたほうがいいぞ」
「はぁい、分かったわ」
わざとらしい声で返事をすると、レティシャは自分に強化魔法をかける。その様子を見届けると、俺は視線を階段の先に向けた。
「もういいか?」
「ええ、先導はお願いね」
その言葉に頷くと、薄暗い階段を一歩一歩踏みしめていく。
「まあ、完全な一本道だからな。迷うことはないさ」
「迷うことはなくても、疲れることはありそうね。……もちろん、その時はミレウスが運んでくれるのよね?」
「検討しておく」
「お姫様みたいな抱き方でお願いね」
「えー……」
そんな会話を交わしながら、俺たちは地下階段を降りていった。
◆◆◆
「嘘……これって……」
延々と続く地下階段を降りきったレティシャは、眼前の光景に目を奪われていた。
「古代遺跡が帝都の地下にあるなんて……」
興奮した様子で踏み出そうとした後、彼女は思い出したようにこちらを見る。
「ひょっとして、罠があるかしら?」
その注意深さは、さすが元冒険者といったところだ。瞳は期待に輝いているが、同時に警戒心が覗いていた。
「いや、ないはずだが……念のため俺が先頭に立つ」
あの事件の後に何度か訪れたが、特に罠があった記憶はない。だが、念を入れておいたほうがいいのは間違いない。
俺は剣を抜くと、楽しそうなレティシャの先導を務める。彼女はあらゆるものに興味を示し、一つ一つ時間をかけて観察していた。
「これは……魔法陣を連続起動させる仕組みかしら」
「あの輝きは光魔法じゃなくて、魔力を可視化したもの……?」
そうしてどれくらい経っただろうか。驚異的な集中力を発揮していたレティシャは、はっと我に返ったようだった。
「ごめんなさい、夢中になっていたわ」
「そんなに楽しんでくれたなら、連れてきた甲斐があったな」
「けど、最初は秘密にしておくつもりだったんでしょう?」
「その点については悪かった」
答えると、レティシャはわざとらしく頷いた。
「許してあげるわ。こんなに素敵なデートスポットは初めてだもの」
そして彼女は周囲を見回す。
「そうなると、半壊しているのが惜しいわね。幸い奥の部屋は損傷が少ないようだけれど……あら?」
レティシャは近くにあった破壊跡をしげしげと眺める。それは、黒く焦げた壁面だった。
「古代遺跡に破壊はつきものだけど……この跡ってまだ新しいような――」
「それは『極光の騎士』の激闘の跡だ」
俺はさっと言葉を挟んだ。どうせ、『極光の騎士』からこの遺跡を教えてもらったという設定に変わりはないし、いつかは行き当たる問題だ。
「え? どうして『極光の騎士』が……? それに、激闘って……」
俺の言葉に驚くレティシャだが、その顔に理解の色が混ざり始める。
彼女にとっても、巨人たちとの戦いはそう前の話ではない。この場所と巨人騒動を結びつけるまでにそう時間はかからなかった。
「まさか、この遺跡は……」
「……例の事件の時に見つけた遺跡らしい。大規模な結界を展開する施設だ」
「やっぱり、ね」
レティシャは、俺の言葉を神妙な顔で受け止める。この装置が光壁を発生させていたことを確信しているようだった。
そうなれば、『極光の騎士』はなぜ俺にここを教えたのかという疑問に辿り着くだろう。彼女が質問するより早く、俺は口を開いた。
「利害が一致していたからだろうな。この施設のことを帝国に教えることは気が進まないが、放置してまたあんな事件を起こされても困る。それで、俺のところに話が回ってきたわけだ」
「いくら『極光の騎士』の依頼だからって、危ない橋を渡る必要はないと思うわ。ただでさえ、ミレウスは闘技場の運営で忙しいの……に……?」
そこでレティシャは言葉を切った。どうやら、俺の表情から何かを読み取ったようだった。その様子を見て取った俺は、まだ数人しか知らない計画を口にする。
「この遺跡の真上に、新しい闘技場を建設する」
「それって……闘技場を移転するの?」
さすがに驚いたようで、レティシャは目を丸くしていた。
「たしかに、この遺跡の管理には便利でしょうけれど……大切な闘技場を移してまで、『極光の騎士』に義理立てすることはないと思うわ」
その言葉に思わず微笑む。支配人としての俺を気遣ってくれていることが嬉しかったのだ。俺は奥の装置に視線をやる。
「あの光壁は、闘技場の試合の間を覆う結界として利用できる。強度や構成を弄れば、理想的な魔法障壁を展開できるはずだ」
「え……?」
レティシャはぽかんとした顔で俺を見つめる。それは、彼女が滅多に見せない類の表情だ。
「あの光壁を……試合の間の防御結界に……?」
ようやく口を開いた彼女は……なぜか小さく噴き出した。
「……安心したわ。無理をしているんじゃないかって心配したけれど、やっぱりミレウスはミレウスね」
そして、レティシャは上機嫌な様子で俺の腕を取る。
「古代遺跡を闘技場の設備として使うなんて、ミレウスらしいわ」
褒められているのか貶されているのか分からないが、とても嬉しそうな顔からすると、悪い意味ではないだろう。
「それで、あんなに悪い顔をしていたのね。あんな事件の後だし、たしかに大っぴらにはできないわね」
そう言うと、彼女は地下施設をぐるりと見回した。
「それなら、認識阻害の結界にも全力を注がないとね。……ふふ、最高傑作を作り上げてみせるわ」
「なんだか楽しそうだな」
そう呟くと、レティシャは笑顔で答える。
「私の得意分野で、ミレウスに協力できるんだもの。……それに、こういう秘密の共有ってときめくでしょう?」
「秘密の共有は発覚の第一歩だぞ」
「もう、ロマンがないわねぇ」
そう言いながらも、やっぱりレティシャは楽しそうだった。
そんな会話を交わしつつ、何やら考え込んでいた様子のレティシャは、やがて階段に視線を向けた。
「あの階段、地上まで続いているのよね……建設中が問題かしら。どうしても建設場所と重なるから、認識阻害の結界を展開すると工事に悪影響が出るわね」
「つまり、階段付近だけ誰も近寄れないことになる?」
「無意識下で避けてしまうから、そこだけ手つかずのまま建設が進む可能性は高いわ」
それは困るな。そうなれば、認識阻害の結界の効力が切れた瞬間に、存在が明らかになってしまう。
俺は少し悩んでから口を開いた。
「それなら、地下階段は埋めてしまおう。少なくとも、闘技場の地下設備を作る際に重なる場所はすべて崩す。そして地下設備が完成したら、改めて階段を繋げる」
「思い切ったわね。……けど、それなら私も助かるわ。カバーする範囲が狭くなる分、効力を強めることができるもの」
「それはよかった。それなら、他に考えておくことは……」
それから一刻ほど経っただろうか。具体的な方策について算段がついた俺たちは、遺跡を後にして、長い階段を上っていく。
「ねえ、ミレウス」
そして、階段を半分ほど上ったところで、レティシャは口を開いた。俺が振り向くと、彼女は少しためらった後で問いかけてくる。
「万が一の話だけれど……もしこの古代遺跡のことが発覚したら――」
「その時は俺の独断だったということにするさ。レティシャたちに迷惑はかけない」
そう答えると、彼女の指が俺の額をツンと突く。
「そうじゃないわよ。もし支配人を辞めることになったら、あなたはどうするの?」
ああ、そっちのことか。発覚の仕方やその後の対応にもよるが、たしかに辞任する可能性はあるな。それが原因で廃業することになったら……どうするんだろう。
「さあ……物心がついた時から闘技場と一緒だったから、想像もつかないが……まあ、なるようになるさ」
そう答えたものの、レティシャの表情は晴れなかった。その顔を見ているうち、ふと思いつく。
「ひょっとして、そんなことになれば俺が死ぬかもしれない、とか思ってないか?」
「……違うの?」
レティシャは少し慌てた様子で聞き返してくる。図星だったのだろうか。
「親父やみんなに顔向けできないからな。それだけはないさ」
それは、強がりではなく本音だ。とは言え、支配人でない自分というもののイメージが湧かないことも事実だった。
「他の闘技場で働くか、いっそ商会にでも……」
子供の頃の目標だった、剣闘士になるという道は断たれている。となれば、闘技場の運営を経て身についた職業能力を生かしていくしかないだろう。
「……ごめんなさい」
そんなことを考えていると、レティシャが急に謝ってきた。
「突然どうしたんだ?」
「ミレウスにとって、一番嫌な仮定だって分かっていたのに……どうして聞いてしまったのかしら」
彼女は本当に落ち込んでいるようだった。珍しいレティシャの姿に、俺は少し戸惑う。
「最悪の事態に備えるのは大切だからな。それに、事が露見した時のシナリオはいくつも考えていたから、今さら嫌な気分になったりはしないさ」
そう告げると、レティシャは少しほっとした顔を見せた。
「まあ、剣闘士や従業員のことは考えていても、俺自身の身の振り方はまったく考えていなかったけどな」
苦笑いしながら付け加える。そう言う意味では、彼女の指摘はありがたいくらいだった。
「……もし生活に困ったら、私が魔法研究の助手として雇おうかしら」
やがて顔を上げたレティシャは、いつも通りの表情を浮かべていた。そのことにほっとしながら、俺は軽口を返す。
「助手と言いながら、人体実験に使う気じゃないだろうな」
「助手のお仕事は多岐にわたるのよ」
そんな話をしながら、俺たちは階段を上っていった。