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移転 Ⅲ

 帝都最大の闘技場であるディスタ闘技場の中には、闘技場を管轄するための公的施設が存在している。


 ディスタ闘技場が国営だった頃の名残のようだが、わざわざ皇城や役場まで行かずにすむことは非常にありがたい。

 闘技場移転に関する手続きを確認しに来ていた俺は、担当役人の話を真面目に聞いていた。


「――後は移転日だな。今の闘技場での最終興行日と、新しい闘技場での初興行日が決まったら、これらの資料を提出するように」


「分かりました」


 移転の話にはそれなりに時間がかかったが、駄目だと言われることはなかった。数回とは言え、過去に事例があったことが幸いしたのだろう。


 俺は担当官に礼を言うと、さっと出口を目指した。

 話が終わった後は、公的機関など早々に退出するに限る。こういった所は権力者の巣窟でもあるからな。面倒な人間とは最初から縁を紡がないことが最良だ。


 漠然とそんなことを考えながら、役場フロアの出口に差し掛かる。一般の闘技場エリアへ出てしまえば、多少はくつろげることだろう。


 ……そう考えたのが悪かったのだろうか。出口まであと一歩というところで、俺はよく通る声に呼び止められた。


「二十八闘技場の支配人、ちょっと待て!」


 その声からすると、先程話をしてくれた担当官とは別人だろう。となると、十中八九ろくなことではないはずだ。


「何かご用でしょうか?」


 そんな内心を心の裡に抑え込むと、俺は無表情で振り返った。さすがに笑顔を浮かべてやる義理はない。


「おう! お前に話があってな!」


 俺を呼び止めたのは、二十歳前後の青年だった。かなり恵まれた体格をしており、修練もかなり積んでいるように見える。

 顔に見覚えはないが、剣闘士五十傑に入っていてもおかしくない手練れの気配が感じられた。


 彼は精悍な笑顔を浮かべると、くいっと親指を自分の背後へ向ける。そこにあるのは、俺がさっきまで話していた役場のカウンターだ。


「悪い話じゃないからよ、ちょっとこっち来てくんねーか?」


「はぁ……」


 絶対嫌だ。それが俺の本音だった。だが、恐らく個人的な要件で、なおかつ役場の施設を使用できる人間となれば、それなりの権力者である可能性は高い。無視するわけにはいかなかった。


 俺は彼に先導されるまま、役場の内部へ入る。こじんまりとしたソファーセットを薦めると、男はボフッとソファーに座り込んだ。


「突然悪かったな」


「いえ……ご用とはどのようなことでしょうか?」


 そう思うなら呼び止めないでほしい。そんな本音を口に出すわけにはいかない俺は、せめてさっさと切り上げようと口を開いた。


「急だな……けどまあ、そっちのほうが俺も楽だ」


 男は何やら呟くと、ニヤリと笑った。


「――第二十八闘技場の剣闘士として登録したい」


 それは思わぬ言葉だった。だが、こういった場面では動揺を見せたほうが負ける。俺は努めて平静な口調で尋ねる。


「剣闘士登録を望む理由と、数ある闘技場の中でうちを選んだ理由をお聞かせ願えますか?」


「……驚かないな」


 男はつまらなそうな表情を浮かべた。ひょっとして、俺が驚く顔を見たかったのだろうか。


「闘技場の支配人をしていると、様々なアクシデントに見舞われますから」


 すました顔で答えると、彼は感心した様子で口を開く。


「なるほどな。若さに似合わずやり手だと聞いていたが、噂通りだな」


「それは買い被りだと思いますよ。噂は噂です」


「そうか? ヴァリエスタのおっさん、人物眼には自信があるって言ってたけどな」


「身に余る評価を頂いて光栄です」


 そう答えながらも、俺の背中を冷や汗が伝う。彼が言う『ヴァリエスタのおっさん』とは、このディスタ闘技場の支配人、ヴァリエスタ・グラジオ伯爵のことと見て間違いないだろう。


 この闘技場で、帝国の重鎮でもある伯爵の名前を気軽に出すことができる存在。その認識が、俺の警戒心を一気に引き上げる。


 もちろん、眼前の青年がただぞんざいな物言いをする性分なのであれば、それで構わない。問題は、俺の懸念が現実のものだった場合だ。


「それで、どうなんだ? 自分で言うのもなんだが、斧槍ハルバードの扱いには自信がある。悪い話じゃないと思うぜ」


「……そうでしょうね。帝都五十傑に入ることは可能でしょう」


 この男のスペックが非常に高いレベルにあることは間違いないからな。だが、俺の答えを聞いて、相手は渋い表情を浮かべた。


「五十傑か……五位以内には入るつもりなんだがな」


「剣闘試合には戦術や相性といったものも存在します。特に十位以上の剣闘士は一筋縄ではいきません」


 剣闘士を軽く見られた気がして、俺は少しムッとする。顔に出すつもりはないが、多少は言いたいことを言ってやろう。


「たとえば、『極光の騎士(ノーザンライト)』とかか? 噂では、あの『大破壊ザ・デストロイ』の時も本気じゃなかったと聞くが」


「その真偽は分かりませんが、その『大破壊ザ・デストロイ』も強敵ですからね。あの屈強な肉体は、鋼の筋肉などという易しい代物じゃありません。もはやアダマンタイトの筋肉です」


 その言葉は半ば事実だった。『極光の騎士(ノーザンライト)』として『大破壊ザ・デストロイ』と戦った際に判明したことだが、彼の肉体は魔法に対しても非常に高い耐性を有していた。


 また、本人は魔法をまったく使えないようだが、素手で幽霊ゴーストを退治したという逸話もあるくらいで、攻防ともに理不尽なレベルでまとまっているのだ。


「……あいつはたしかに強いな。今の俺じゃまだ勝てる気がしない」


 俺の言葉に同意を示す。どうやら、意外と冷静な面もあるようだ。そう評価しながら、俺は話を元に戻した。


「ところで、質問の答えをまだ頂いていないのですが」


 たしかにこの男は強い。上手くやれば、本当に剣闘士ランキングの十位以内に入る可能性はあるだろう。

 そして、強い剣闘士をデビューさせると、客数も増えるし闘技場ランキングでの評価も上がる。悪い話ではなかった。


 だが、だからこそ警戒する必要があった。それだけの価値を持った男が、なぜうちの闘技場を選ぶ必要があるのか。

 俺が視線を当てると、男は決まり悪そうに頭をかいた。


「それを説明するためには、まず自己紹介する必要があるな。……俺はモンドール。モンドール・ザン・ルエインだ」


 その言葉を聞いた俺は、ついこめかみを揉みほぐした。そして小さく深呼吸すると、半ば呆れた口調で呟く。


「――どこの世界に、皇子を剣闘士として戦わせる国があるんですか」


 ……そう。眼前の男はルエイン帝国の皇帝の四男だった。皇子の中では最年少に近く、側室との間の子だったはずだが、その戦闘力は武で国を興した皇帝に勝るとも劣らないと噂されていた。


 だが、だからと言って皇子を剣闘試合に出すだろうか。答えは言うまでもない。


「気にするなって! 俺も試合の間(リング)で戦いたいんだ」


「皇子であれば、戦う相手には事欠かないでしょう。皇子の護衛をしている騎士じゃ駄目なんですか?」


 なんと言っても皇子だからな。近衛騎士クラスであれば、誰もがいい腕をしているはずだ。だが、モンドール皇子は肩をすくめた。


「あいつらは本気で立ち合ってくれないからな。どうしても俺を怪我させた時のことを考えてしまうらしい」


「……まあ、彼らの気持ちは分かります」


 主君に剣を向ける近衛騎士とか、本末転倒だからな。その人たちもかわいそうに。


「そんなに戦いたいのであれば、モンスター討伐や他国との戦に出陣なさってはいかがですか?」


 そう提案すると、彼は少し複雑な表情を浮かべた。


「……そういうのは兄貴に任せている」


 なるほど、そういうことか。モンドール皇子は若いし四男ではあるが、腕が立つと評判の人物だ。迂闊に功績を重ねていくと、将来、後継者争いの火種になりかねない。そこから一歩引くことを自身に課しているのだろう。


「剣闘士として名を挙げることは問題ないのですか?」


 そう尋ねると、皇子は少し驚いた様子だった。


「察しがいいな。……そうだ、剣闘士がギリギリのラインだ。この国では剣闘士の地位が高いが、他国ではそうでもない。

 対外的な面を考えれば、モンスター征伐や他国との小競り合いで武名を轟かせるほうが、兄貴たちにとっては面倒な話だろう」


 まあ、それはそうかもしれないな。あくまで剣闘試合は国の内部に留まる話だし、対外的な影響は少ないかもしれない。


「なるほど、皇子のお気持ちは少しだけ分かりました」


「お、話しが早くて助かるぜ! それじゃ、今後はよろしくな!」


「――まだ話は終わっていません」


 早速手を差し出そうとする皇子に、首を横に振って答える。


「つまり、皇子の目的は強い相手と戦いたい、ということですか?」


「ま、そういうことだな。……ついでに言うと、俺も俗物だからな。俺は強いんだぞって皆に示したいし、それでチヤホヤされたい」


「またストレートな回答ですね」


「別にいいだろ? 剣闘士やってる奴にだって、同じことを考えてる奴はいるんじゃねえか?」


「おっしゃる通りです。……ただ、皇子であれば、チヤホヤされることに慣れているのではないかと思いまして」


「生まれでチヤホヤされても楽しくないからな。実力でチヤホヤされたいんだ」


 皇子は潔く言い切った。そして楽しそうに笑う。


「だってよ、お前らばっかり人気になってズルいだろう? 特にあの『金閃ゴールディ・ラスター』なんか、市井の娘から貴族令嬢まで大モテだしよ」


「はぁ……」


「あいつは俺のライバルだからな。俺が剣闘士として名を挙げれば、奴よりも人気になるはずだ……!」


 そう言って一人で盛り上がる。確認する気にもなれないが、ライバルと言うのは、剣闘士としてではなく、どちらが女性に人気かという、そっちの意味なんだろうな。


 今は落ち着いているが、昔はユーゼフも女遊びが激しかったからなぁ。ひょっとすると、その頃からライバル視されていたんだろうか。


「ところで、どうしてうちの闘技場なんですか?」


 俺はもう一つの疑問をぶつけた。考えられるとすれば、ユーゼフとの因縁か、『極光の騎士(ノーザンライト)』との対戦希望あたりだろうか。


「いくつかあるが、何よりも俺の出自だな。お前さんが言った通り、普通の闘技場じゃ俺を試合に出すなんてことはしないだろう」


「うちだってそうですが……」


 呟くと、モンドール皇子はニヤリと笑った。


「よく言うぜ。あの正体不明の『極光の騎士(ノーザンライト)』を剣闘試合に引っ張りだすわ、魔術師を興行に組み込むわ、二十八闘技場ほど斬新な闘技場はないだろう」


「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきます」


「実際、褒め言葉のつもりだぜ。だからこそ、二十八闘技場の支配人には、俺を試合に出場させるだけの度量があると見込んだわけだ」


「おだてても駄目ですよ。言うまでもないと思いますが、闘技場は死と隣り合わせです。皇族を試合で死なせてお縄を頂戴するなんてごめんですからね」


「死ぬようなヘマはしねえよ。それに、俺が試合で死んでも罪に問わない旨の誓約書は用意する」


 いささかムッとした様子でモンドール皇子は答える。それだけ腕に自信があるのだろう。だが、問題はそこではない。


「申し訳ありませんが、皇子がどれほど強いかは関係ありません。皇族が試合で死ぬかもしれないと、周囲の人々が思った時点で駄目なんです」


 対戦相手だって気が進まないだろうし、貴族に糾弾される恐れもある。皇帝は性格的に容認しそうだが、それだって確信があるわけじゃないからな。


「だからこそ、死亡率が圧倒的に低い二十八闘技場を選んだ、という面もある」


 その言葉を聞いて、俺は少し驚く。意外と下調べはしているらしい。


「よその闘技場と違って、二十八闘技場は『死』を売り物にしてねえだろ? なんつーか、『戦い』や『技』を売り物にしてる感じがする」


 俺の動きが一瞬止まった。皇子の言葉は、親父と俺が描いてきた闘技場の在り方だったからだ。さらに彼は言葉を続ける。


「それと、これは理由になるか分かんねえが……二十八闘技場の先代支配人って、あの『闘神インカーネーション』だろ?」


「……ええ、その通りです」


 俺が肯定すると、皇子は生き生きとした口調で言葉を続けた。


「実際に戦いを見たことはねえが、けっこう興味があってな。どんな人間で、どんな戦い方をするのだとか、人に聞き回ったもんだ」


「へえ……」


 意外な言葉に、つい素の言葉が零れる。


「ま、あの時(・・・)、初めてそんな凄え戦士がいるって知ったんだがな。どうせなら一度戦ってみたかった」


 心底残念そうに呟く。その様子を見ていると、皇子に対する警戒心がどうにも緩んでしまうな。俺は小さく溜息をついた。


「……まあ、集客力はありそうですね」


「うん?」


「モンドール皇子は国民に人気がありますからね。大きな集客効果は見込めます」


「そりゃ間違いないぜ。……ってことは、剣闘士登録を認めてくれるんだな?」


 俺の言葉を聞いて、皇子は嬉しそうに笑った。その言葉を受けて俺は頷く。


「ただし、皇子に何事かあった場合でも、うちに被害が及ばないよう手を打つことが条件です」


「継承権を放棄するとかか?」


 この皇子、いきなり重たいこと言うな。まあ、表情からすると本気じゃないだろうけどさ。


「重たすぎます……方法はお任せしますが、貴族の方々の苦情が来ない形でお願いしますね」


「そりゃまた難しい注文だな……。ま、なんとかしてみるさ。兄貴のシンパからすりゃ、俺が剣闘試合で死ぬほうが嬉しいだろうしな」


 さらりと不穏な言葉を口にしながらも、皇子は楽しそうに笑った。そして、机ごしに俺の肩をバシッと叩く。


「そんじゃま、これからはよろしく頼むぜ。……そうと決まれば、そこらへんの話をつけてくる。じゃあな!」


 モンドール皇子は立ち上がると、風のような速さで去っていく。


「これでよかったのか……?」


 その後ろ姿を見送りながら、俺は誰にともなく呟いた。


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