深層 Ⅴ
抜けるような青空。それが、最初に認識した景色だった。
惨劇に襲われた街には不釣り合いなほどの青さが現実感を希薄にするが、周囲の様子が俺の意識をこの世界に引き戻す。
なぜなら、俺たちと一緒に、巨人の遺骸も地上に転移していたからだ。それは膨大な数であり、街の様子をいっそう凄惨なものにしていた。
「……地上に出たか」
だが、それでも地上は地上だ。転移装置の暴走は予想外だったが、結果を見れば悪くない。
俺は辺りを見回した。地下施設のある建物周辺に出たのかと思ったが、そうではないらしい。だが、付近の景色には見覚えがあった。
「はい、地上です……」
ほっとした様子でシンシアは呟く。どこか嬉しそうに空を見上げているのは、階段を上らずに済んだからか、それとも久しぶりの地上だからか。
「ピィ……!」
ついでに、シンシアが抱えている雛も声を上げる。なんだか眩しそうに空を見上げているが、ずっと地下施設に閉じ込められていたせいだろうか。
空を目指したいのか、しきりに羽をパタパタさせて飛び立とうとしているが、その丸っこい身体が浮き上がることはなかった。……まあ、まだ雛だからな。
「あ、そんなに暴れちゃ駄目です!」
そして、そんな雛にシンシアは翻弄されていた。抱かれているせいでよく見えないが、雛は脚もぴょこぴょこ動かしているようで、何度か危うくシンシアの腕から落ちそうになっていた。
「ふむ……」
だが、この雛が見た目通りの存在でないことは、すでに証明されている。身体能力こそ大したことがないようだが、地下施設で見せた謎の能力。
ペイルウッドが同化妖蔓と呼んでいた植物を、瞬く間に滅ぼした事実を忘れるわけにはいかなかった。
そもそも、あの古代文明の施設にいた時点で、尋常な存在ではないはずだ。野生動物がたまたま住みつくような場所ではない。
道すがら話したところでは、シンシアは神殿へ連れて帰るつもりのようだが、果たして神殿に受け入れてもらえるのだろうか。……まあ、あの能力と遭遇した場所さえ黙っていれば、誰もこの雛を危険な生物だとは思わないだろうが……。
「ピュィ?」
そんな思いで雛を眺めていると、ふと目が合う。そして、またパタパタと羽を動かした。
「ひょっとして、『極光の騎士』さんの所へ行きたいんですか……?」
シンシアが問いかけると、雛はいっそう強くジタバタと身体を動かした。その様子に思わずシンシアを見ると、こちらを見ていた彼女と目が合う。
「えっと……行きたいみたいです」
「……鎧は冷たくて固いからな。雛も落ち着かないだろう。それに、鎧越しでは力加減が分からん。潰れてしまうかもしれん」
そう答えると、シンシアはなぜか嬉しそうに笑った。
「『極光の騎士』さん、この子のことをちゃんと考えてくれているんですね」
「小さな雛に死なれては後味が悪いだけだ」
「『極光の騎士』さんは、この子を連れて来ることに反対なんじゃないかって、そう思っていましたから……」
そう言って、シンシアは雛の頭を撫でる。ただでさえ小さな瞳が細められると、もはや大きな羽毛にしか見えないな。残る鳥のパーツは、わずかに存在感を主張しているくちばしぐらいのものだ。
「……いかん」
気が緩みそうになる光景から目を逸らすと、俺は意識的に気を引き締めた。いつまでも談笑している場合ではないと、現在地を記憶から割り出す。
この近くにあったのは、たしか――。
「『極光の騎士』さん、どちらへ……?」
歩き出した俺に、シンシアが問いかけてくる。
「一つ、奴の逃亡先に心当たりがある」
「心当り、ですか?」
「一度、地上で奴を見かけたことがあってな」
そう、俺が目指しているのは、以前に奴と出会った店らしき建物だった。俺たちがこの付近に転送されたということは、ペイルウッドも同様の可能性が高い。それなら、まずは根城に戻るのが普通だろう。
奴と出会ったのはあくまで支配人であり、『極光の騎士』ではない。
あの店のことがバレているとは、さすがのペイルウッドも気付いていないだろう。
急ぎ足で歩いていた俺は、目的の建物を見つけて立ち止まった。それは、単に建物を見つけたからではない。そこに見知った顔があったからだ。
「……ユーゼフか」
幼馴染の姿を見つけて、緊張の糸が少しだけゆるむ。彼は怪我人を救護しているようだった。しゃがみ込んで怪我人の上体を支えており、その手に持った水薬を飲ませようとしていた。
「ユーゼフ、離れろ!」
その様子を見た俺は大声を上げた。その言葉とほぼ同時に、ユーゼフが後方へ小さく跳び退く。その手にはいつの間にか剣が握られていた。
「『極光の騎士』……!? この短時間でどうやって……」
ペイルウッドは驚きを露わにする。だが、その言葉に答える義理はない。
「『極光の騎士』、彼と知り合いなのかい?」
「……さっき剣を交えた仲だ」
「それは興味深いね……僕には、巨人に襲われた一般市民だと自己紹介をしてくれたよ」
なるほど、そういうことか。ペイルウッドが巨人にやられて重傷だったのは事実だし、なんとか生き残っていた一般市民のフリをしてごまかそうとしていたわけだ。
「奴が光壁の首謀者と見て間違いない」
そう伝えるが、ユーゼフに驚いた様子はなかった。
「まあ、そんな気はしてたんだ」
「……水薬を与えようとしていなかったか?」
ユーゼフの真意を訝しんでいると、彼は楽しそうに口を開いた。
「助け起こした時点で、鍛えられた戦士の肉体だということは分かったからね。怪しんではいたんだ。
もし本当に生存者ならそれでいいし、もし敵だったなら、戦いが楽しめるかと思って」
彼は剣を担いで不敵に笑う。
「……お前らしいな」
俺は肩をすくめる。爽やかな顔をしているが、中身は本当に相変わらずだ。
「『金閃』に『極光の騎士』とは……私も運がない」
そんな俺たちを見て、ペイルウッドは吐き捨てるように呟く。だが、彼の不幸はそれだけではすまなかった。
「お? シンシアちゃんも『極光の騎士』もどこ行ってたんだ? 光壁が消えたのって、二人が何かしたのか?」
ペイルウッドの背後から、『剣嵐』ともう一人の剣闘士が姿を見せたのだ。
「みんな揃っているわね。一段落つくと思っていいのかしら?」
さらに、別の方角から『紅の歌姫』と『蒼竜妃』も歩いてくる。遠巻きとはいえ、四方を囲まれたペイルウッドの顔色は悪かった。。
「『極光の騎士』に『金閃』、そして『剣嵐』に『紅の歌姫』……まったく、化物じみた面子ですな」
ペイルウッドは一人一人に憎しみの視線を向ける。その視線は気の弱い人間なら悲鳴を上げかねないものだが、剣闘士がその程度で怯むはずはない。
その視線をものともせず、ユーゼフは彼に近付いた。
「もう君が逃げる目はない。大人しく帝国に捕まってはどうかな。どんな取り調べが待っているのか知らないけれどね」
「取り調べ、だと……?」
ペイルウッドの表情が歪む。だが、そこに浮かんでいる感情は怯えではなく、怒りだった。
「これだけのことをして、無事で済むとは思っていまい。拷問程度は覚悟するのだな」
彼の様子を訝しみながらも、冷酷に宣言する。ペイルウッドは物凄い形相で俺を睨みつけると、うわごとのように何ごとかを繰り返す。
「させるものか……これ以上の口実を与えはしない……!」
その声は次第に大きくなり、遂には重傷を負っているとは思えないほど力が籠もる。その様子に危険なものを感じると同時に、クリフの警告が頭に響いた。
『――男の周囲で魔力の崩壊現象を感知。自爆の可能性があります』
「――ユーゼフ!」
刹那、凄まじい爆発音が響き、衝撃波が周囲に撒き散らされた。兜が自動的に光量を絞ってくれたとは言え、爆発の閃光に思わず目を細める。
「みなさん、大丈夫でしたか!?」
「なんとか間に合ったわね」
だが、俺たちに被害はなかった。シンシアとレティシャが同時に魔法障壁を展開したのだ。ただし、それは俺たちがいる方向のみであり、残る三方は爆発に巻き込まれて建物が吹き飛んでいた。
「……自爆とはね。意外と忠誠心に篤かったのかな?」
爆発の影響を受けた建物は十軒程度だろうか。黒焦げになった家屋の残骸を見て、ユーゼフは肩をすくめた。
「……そこにあった建物で、以前に奴を見たことがある」
「自分とアジトの痕跡を消したわけね」
会話にレティシャが混ざってくる。彼女は廃墟となった家屋に視線を向けた。
「とっさの自爆にしては、かなりの威力だったわね。事前に準備していたのかしら」
だが、答えはもう得られない。もはやペイルウッドの身体は跡形もなく、生きている可能性はゼロだった。
黒幕らしき人物の唐突な退場を受けて、戸惑った空気が場に広がる。
「――『極光の騎士』ってさ、『金閃』と仲いいんだな」
「……なんの話だ」
そんな中で能天気に話しかけてきたのは『剣嵐』だった。彼は俺とユーゼフを見比べながら説明する。
「だってよ、さっき『金閃』のことを『ユーゼフ』って呼んでたじゃん。なんか意外だったな」
「『金閃』は同じ闘技場に所属する剣闘士だ。名前で呼んでもおかしいことはあるまい」
「まあ、そうなんだけどよ。どうにも気になるっつーか……」
『剣嵐』が呟くと、レティシャが面白そうに口を挟む。
「ひょっとして、『金閃』に嫉妬しているのかしら?」
「な、違うぞ! 俺は『極光の騎士』とまた戦いたいだけだ!」
「あらあら、情熱的なのね」
レティシャが『剣嵐』をからかっているのを横目に、俺は今後のことを考えていた。
手を下すまでもなく、ペイルウッドは消滅した。都合がいいことにそのアジトも木端微塵だ。
となれば、残るはシンシアだけだ。どう説得するか……。
「『極光の騎士』さん、どうかしましたか……?」
そんなことを考えていると、シンシアが不思議そうに尋ねてきた。いつの間にか、彼女に視線を向けていたらしい。ちょうどいいと、他の人間に聞こえないよう小声で話しかける。
「あの施設のことだが……皆には存在を伏せておきたい」
「え? どうしてですか……?」
シンシアはきょとんとした表情で小首を傾げる。それは当たり前の反応だ。彼女のこれまでの経験を考えれば、不信感を持たれないだけでも上出来の部類だろう。
「あの施設は危険すぎる。存在を秘匿しておかなければ、どこから情報が洩れるか分からん」
俺の言葉で地下施設のことを思い出したのか、彼女は胸元の雛をきゅっと抱きしめた。
「もちろん、放置するつもりはない。信頼できる特定の人間に管理を任せる」
俺はユーゼフたちのほうをちらりと見る。
「彼らを信頼していないわけではないが、秘密を知る人間の数は少ないほうがいい。それが彼らのためにもなる」
「それは……分かる気がします」
頷きながらも、シンシアはどこか引っ掛かる様子だった。だが、これは今後の計画においてもっとも重要なことだ。
彼女をもうひと押しするべく、俺は言葉を追加する。
「本来ならば、衛兵なりに報告して後を任せるべきだが……彼らにも立場がある。衛兵には、住民を守ることよりも優先される事柄があるからな」
「住民を守ることよりも、ですか……?」
シンシアはオウム返しに呟いた。それは予想外の言葉だったのだろう。
「……二年前、この街は謎の軍隊に襲われた。だが、帝国軍は皇城や周囲の警戒に力を割き、市街地には大した救援を送ってこなかった」
俺の言葉を、彼女は神妙な面持ちで聞いていた。
「俺は英雄などと呼ばれているが、それは帝国政府が住民を見捨てた結果でしかない。彼らが迅速に動いていれば、助かる命はいくらでもあった」
できるだけ感情を抑えて淡々と語る。だが、シンシアは何かを感じ取ったらしく、気遣わしげな表情を俺に向けた。
「『極光の騎士』さん……」
「俺は、帝国があの施設を悪用することを警戒している。今回のように、住民に被害を与える使い方をするかもしれん」
しばらく考え込んでいたシンシアは、やがて静かに頷いた。
「分かりました。あの地下施設のことは、『極光の騎士』さんにお任せします」
「……感謝する。皆には俺から説明しよう」
言って、彼女に背を向ける。宣言した通り、ユーゼフたちに事情を説明するためだ。
――シンシア、すまないな。俺は心の中で彼女に謝った。
彼女への説明に嘘偽りはない。だが、それだけでないことは俺自身が一番よく分かっている。街の住民のためでもなんでもなく、ただ自分の利益を優先した結果だ。
だが、自分の判断に後悔はなかった。
「『極光の騎士』、どうしたんだい?」
俺の雰囲気が少し違うことに気付いたのだろう。ユーゼフが声をかけてくる。
「……ここにいる皆には、一部始終を話しておこうと思ってな」
「ああ、ずっと気になっていたんだよ。いつの間にか光壁も消えたようだしね。ただ――」
ユーゼフは視線をとある方角へ向けた。そして、小さく肩をすくめる。
「彼らも、その話を聞きたがるんじゃないかな」
ユーゼフが示す先にいたのは、数十名の衛兵だった。