深層 Ⅲ
姿の見えた巨人の数は、ゆうに数十体を超えていた。
「まさか、あの巨人が……」
それを見る彼女の顔は明らかに青ざめていた。それも無理はない。
「だが、比較的まともな容貌だな。触手も大して生えていない」
さっきまで戦っていた巨人は、人間と動物を混ぜ合わせたような奇怪な容貌だったし、至る所から触手が生えていた。
それを考えると、巨大な水槽に閉じ込められている巨人たちは、大きさこそ同じだが、あくまで人が原型であることを思わせた。
「たしかに、そうですね……」
俺の指摘にシンシアも同意を示す。だが、だからと言って油断はできない。ペイルウッドのアドバンテージにならないようなら、わざわざ巨人たちのいる部屋を解放する必要はないだろう。
シンシアを伴って、俺は新しく解放された部屋へ踏み込む。
「――この守護魔獣はまだ調整中でしてな。ご覧の通り、原型をだいぶ留めているのですよ」
ペイルウッドが立っていたのは、巨人が入った水槽群が立ち並んでいるスペースのさらに奥だった。
「守護魔獣とは自らのテリトリーを侵す侵入者を排除するもの。そのままでは、街に放り出しても暴れることはありません」
ですが、と言葉を続ける。その瞳は剣呑に光っていた。
「幸いにして、ここは彼らのテリトリーそのものです。調整するまでもなく、あなた方を狙うことでしょうな」
「……お前は何者だ。なぜ帝都の地下にこんな施設がある」
今までの流れから考えると、ここは古代魔法文明の施設と見て間違いないだろう。だが、そんなものがあるという話を聞いたことはない。
その質問を受けて、ペイルウッドは馬鹿にしたように笑う。
「やはり、何も知らないのですな。そのことだけでも持ち帰るに値する情報ですが……私も秘密裏に事を運んでいる身です。味方でないと分かった以上、始末するのが一番でしょうな」
その言葉を受けて、俺はいっそう意識を研ぎ澄ませた。つまり、その情報を持ち帰る先があるということだ。元々、一人や二人で起こせる規模の事件ではない。なんらかの組織がバックにいる可能性は非常に高かった。
そんなことを考えている間にも、無数の水槽から巨人が解き放たれる。彼らがゆらりと動き出す様子は、まるで悪夢のようだった。
「個々の戦力はともかく、この数は脅威か……」
巨人たちを格納していただけあって、この部屋は非常に広い。だが、逃げ回って巨人を各個撃破していけるほどではない。
巨人たちの質量で抑え込まれると、いくら魔導鎧でも厳しいだろう。
「申し訳ないが、あなたとは剣を交えたくはないのでね」
そう言ってペイルウッドは部屋の奥へ逃げ出す。奴を仕留めたいのは山々だが、まずは目の前の敵をどうにかする必要があった。
その算段をしている間にも、近くにいた巨人が襲い掛かってくる。その攻撃をかわすと、俺はその片足を斬り飛ばした。そして、バランスを崩して倒れた巨人の首を刎ねる。
それは先程の巨人たちとの戦闘で身に付いた動きであり、二体目、三体目の巨人も同じように仕留めていく。
だが、それができるのは突出した巨人に対してだけだ。複数体が一斉に襲ってくると、その難易度は跳ね上がる。
俺は戦いながら、少しずつ後ろへ下がる。優先的に足を狙い、巨人たちの移動速度に差をつけることで、なんとか一対一に近い状況を作り出して屠る。
その戦いを繰り返しているうちに戦線は下がり、気が付けば前の部屋と繋がる扉付近まで後退していた。
「……ん?」
だが、俺はあることに気付く。
どの部屋も広く、天井も高いが、扉だけはそう大きなものではない。少なくとも、全長五メテルの巨人が潜り抜けられるような大きさではないはずだ。
「シンシア、扉の向こうの様子はどうだ」
「モンスターはいないです……!」
俺の意図を察したシンシアが、まず扉の向こうへ脱出する。続いて俺も扉をくぐるが、やはり巨人たちは追ってこなかった。正確には、つっかえて扉をくぐることができなかったのだ。
その様子を見ながら、俺は対応を考える。やはり、一度撤退するべきだろう。もっと広い場所なら有利に立ち回ることができるし、レティシャや『魔導災厄』といった広範囲魔法の使い手もいる。
あの長い階段を上ることは気が進まないが、背に腹は代えられない。
「――『極光の騎士』さん、階段が……!」
そう考えていると、後ろからシンシアの慌てた声が聞こえてくる。すでに撤退ルートを確認しに行っていたようだな。意外と冷静な判断だ。
「どうした」
「部屋と階段の間に障壁があって……閉じ込められたかもしれません」
「なんだと……!」
兜の下で奥歯を噛み締めた。『極光の騎士』だけなら、あるいは障壁を突破できるかもしれないが、シンシアには無理だろう。
さらに、悪いことは重なる。巨人たちが扉付近の壁に攻撃を始めたのだ。やがて壁にはヒビが入り、そして轟音とともに壁の一部が崩れた。
「今さら逃がしはしませんよ。……もともと、その階段は私が急ごしらえで作らせたものでしてね。この施設とは関係ないのですよ。
おかげで、施設独自の結界を展開すると、そこに境目ができるわけです」
ペイルウッドの声が響く。姿は見えないが、巨人たちの後ろにいるのだろう。その声には余裕が感じられた。
「逃げるなどとつれないことをせず、彼らと遊んでもらいたいものです」
その言葉に合わせるように、風を切って何かが飛来する。咄嗟に剣で斬り払ったそれは、ペイルウッドが投擲したであろう短剣だった。
「遠巻きながら、私も参加させてもらいましょう」
短剣の攻撃力は低いため、『極光の騎士』の鎧を貫くことはまずないだろう。
だが、それでもバランスやタイミングを崩すことはできるし、シンシアに至っては致命傷になり得る。
「シンシア、障壁の展開は可能か?」
「『極光の騎士』さんと私の分なら、しばらくの間は大丈夫です」
シンシアは緊張した声で言葉を返してくる。巨人に殺されかけた彼女にとっては辛い展開だろう。彼女の心境を慮って口を開く。
「自身の周囲に障壁を展開していてくれ。……大丈夫だ、俺が守る」
「は、はい……!」
そして、再び巨人たちとの戦いが再会される。すでに数十体の巨人を倒したはずだが、まだ終わりは見えなかった。
「ちっ……」
そして、厄介なのがペイルウッドの攻撃だ。剣を振る時、攻撃を避けようとした時など、実に嫌なタイミングで短剣を投擲するのだ。
しかも、投げてくるものは短剣だけではなく、魔法を封じ込めた玉や薬品らしきものなど多種にわたるため、対処にいちいち神経を使う必要があった。
巨人たちの猛攻とペイルウッドの巧みな妨害によって、戦いは思った以上に劣勢だった。
『光魔法起動。射程拡張』
俺はペイルウッドの位置をこっそり確認すると、手にした剣を掲げた。
鎧の機能の行使とともに剣身から光が迸り、十メテル以上の光剣が形成される。そして、俺はペイルウッドを見据えて剣を薙いだ。
「光剣」
長大な光の剣に斬り裂かれ、近くにいた巨人たちが上下で両断される。だが……。
「――外したか」
自分が狙われていることに気付いたらしく、ペイルウッドは大きく跳び退いて攻撃をかわしていた。その察知能力はさすがと言うべきだろう。
だが、今の攻撃を避けられたのは痛かったな。俺は内心で呟くと、クリフに念話で話しかける。
『クリフ、次の光剣はいつ発動できる』
光剣は出が速い割に高威力の魔法剣だが、その分魔力消費も多い。連発は難しいかもしれないな。
『しばらくは無理です。連戦に次ぐ連戦に加えて、決戦仕様モードを起動しましたからね。待機モード中に取り込んでいた魔力をだいぶ消費しました』
『強化魔法の発動は?』
『強化魔法には主人自身の魔力を使っていますから、まだ大丈夫かと』
さて、どうするか。『極光の騎士』はあくまで白兵戦を得意とするスタイルであり、一対多の戦いには向いていない。
そのため、これだけ多くの巨人に囲まれていると、万が一という可能性は充分あった。ひょっとすると、ペイルウッドはそこまで考えていたのだろうか。
バランスを崩した巨人の頭を割りながら、俺は周囲に視線を走らせる。特に利用できそうなものはない。天井を崩して生き埋めにすることも考えたが、間違いなく俺たちも道連れだろう。
何かないか――。そう考えた矢先だった。間の抜けた鳴き声が耳に届いた。
「ピィ?」
「あ……! 無事でよかったです……」
そう、それは二頭獣と同じ部屋から現れた鳥の雛だった。どこから現れたのだろうか。ちらりと視線を向けると、シンシアに抱き上げられたところだった。
「え――? 何か言いたいの?」
「ピゥ!」
「……どうした」
平和なやり取りに緊張感を奪われないよう、意識を集中する。だが、返ってきたのはよく分からない回答だった。
「なんだか、とても張り切っています」
「……そうか。頑張ってくれ」
そう言うのが精一杯だった。鳥の雛が張り切ったところで何が変わるとも思えないが、シンシアの心を癒してくれるなら、それだけでも存在意義はあるだろう。
そんな打算的なことを考えていた時だった。
「――ピィィィッ!」
雛の鳴き声が部屋に響き渡る。とても雛とは思えない声量だと場違いな感想を抱いていた俺は、眼前の変化に驚愕した。
「触手が……?」
巨人たちから生えている触手群が、ひとつ残らず膨張したのだ。そしてしばらくすると、力を使い果たしたかのようにしおれていく。
「な、何が起きた……!?」
そして、そのことに一番動揺したのはペイルウッドだった。姿は見えないが、狼狽した声が聞こえてくる。
「同化妖蔓が枯れただと……ぐ、がぁぁぁぁ!」
「なんだ?」
突然の展開に驚きながらも、俺は悲鳴が上がった場所へ視線を向ける。すると、見えたのは俺に背を向けた巨人たちだった。
「これは一体……?」
もちろん、すべての巨人が背を向けたわけではない。全体の三分の二ほどの巨人は、今もこっちを目がけて攻撃を仕掛けてくる。
だが、後ろのほうにいた巨人たちは、俺ではなくペイルウッドを攻撃しているようだった。
「シンシア、何が起きた」
「それが、私にも……ただ分かるのは、この子の鳴き声に魔力が乗っていたということです……」
「まさか、巨人を操っているのか?」
だが、それにしては効率が悪い。俺の周りの巨人ではなく、なぜ遠くの巨人を操る必要があるのか。
そう疑問に思っていると、思いがけない人物から答えを提示された。
『同化妖蔓という名称には心当たりがあります。魔性植物の一種で、動物に寄生し、自分たちのために操る特殊能力があったはずです』
『そうなのか……だが、それがどう繋がるんだ?』
『同化妖蔓は群生であり、群れは仲間意識を持って全体のために動きます。推測ですが、その蔓を埋め込むことで、巨人を操ろうとしたのではないでしょうか』
それは驚きの真実だった。ただの不気味な触手だと思っていたら、そんな意味があったのか。ペイルウッドが「調整」と呼んでいたのも、これのことかもしれないな。
ということは……巨人たちの洗脳が解けたことによって、本来の守護魔獣の使命を果たし始めた、ということか。
いくらペイルウッドが腕が立つとは言え、至近距離で四方八方を全長五メテルの巨人に取り囲まれているのだ。無事ですむとは思えなかった。
彼に向かって巨人たちが殺到し、折り重なっていく光景を意識から切り離して、俺は目の前の巨人たちを屠り続ける。対応を間違えれば、俺もペイルウッドのようになりかねない。
『クリフ、魔力残量はどうだ』
『大技はあと一回で打ち止めです』
クリフに尋ねると、迅速に答えが返ってくる。
『現在使える大技の中で、最も巨人の殲滅に向いた攻撃手段はどれだ?』
『雷魔法でしょうか。……条件はいささか厳しいですが』
『あれか……分かった』
その言葉に頷くと、俺は後ろのシンシアに声をかけた。
「シンシア、力を借りたい。……十秒間、俺に魔法障壁を展開できるか?」
「え? ……は、はい! 任せてください!」
驚いた様子のシンシアだったが、すぐに頼もしい返事をくれる。それから数秒後には、俺の周囲を輝く障壁が取り囲んでいた。
『雷魔法、チャージ開始』
それを確認するなり、俺は剣の切っ先を下に向け、ゆっくりと身体の側面へ持っていく。
「ギィィィァ!」
獰猛な唸り声とともに、二体の巨人が俺に手を伸ばす。だが、その手は俺を取り巻く障壁に阻まれ、それ以上近づけなかった。
その間、俺は静かに巨人たちと対峙する。迂闊に剣を使えば、せっかくチャージしている雷が拡散してしまうからだ。
ペイルウッドがいれば、明らかな予備動作を見逃さず、なんらかの妨害をしてきた可能性が高いが、奴は今それどころではないだろう。
続いて、別の巨人が組んだ両拳を障壁に叩きつける。思わず剣で防御したくなる光景だが、シンシアを信じて、俺は剣を保持し続けた。
『主人、チャージ完了しました』
その言葉を受けて、俺は巨人の群れに意識を集中した。どの位置取りが最も効果的か。それを見極めると、打ち止めとなる魔法を行使する。
「雷霆一閃」
刹那、幾重にも絡みついた青白い雷光が、剣の軌跡を辿るように空間を跳ね回る。兜が光量を絞ってくれなければ、今頃は俺も眩さに目をやられていただろう。太陽を思わせるほどの輝きが、群れていた巨人を蹂躙する。
地下室を白く灼いた雷の帯が消え去った後に残されたものは、黒焦げになった無数の屍だった。
「残りは――」
『十三体です、主人』
無意識に呟くと、クリフが律儀に返してくれる。
『意外と残ったな……』
いっそ全滅してくれればよかったのだが、そう上手くはいかないようだった。
『魔力量が万全ではありませんでしたからね。さあ、ボヤくのは後ですよ』
「マーキス様、『極光の騎士』さんをお護りください……!」
クリフの言葉とほぼ同時に、シンシアの声が聞こえてくる。二人の声に励まされた俺は、残る巨人たちへ向かって歩き出した。