深層 Ⅱ
下へ続く階段はやけに長かった。うちの闘技場にも地下設備はあるが、その程度の深さではないだろう。通気は大丈夫かと不安になるほどだ。
階段の造り自体も雑で、段差も激しい上に高さや広さもまちまちであり、通常の階段よりも体力を使う。
そのため、シンシアに合わせて軽く休憩を入れたくらいだった。
だが、その階段もついに終わりを迎えたことで、俺はほっと一息ついた。終わらない階段に、地の底まで続くような錯覚を覚えていたからだ。
「これは……」
階段を下り終えた俺は思わず呟く。眼前にあるのは、これまで下ってきた歪な階段には似つかわしくない綺麗な部屋だった。
壁や天井は直線で構成されており、経年劣化の様子もほとんど見られない。人影もなければ家具の類もなく、奥の扉だけが存在を主張していた。
「『極光の騎士』さん、ここって……」
「……待て」
口を開いたシンシアを、俺は振り返らずに押し止めた。そして、少し下がるように伝える。
それで察したのだろう、シンシアは小さく息を飲むと俺から少し離れた。
「姿を現せ。さもなければ一連の事件の首謀者と見なす」
これで何度目だろう。そんな思いとともに、俺は剣を構えた。
……そう、俺はまたしても透明化した人間の気配を捉えていた。そして、そんなことができる人間は多くない。
「……!」
動揺した気配が伝わってくるが、それももはやお馴染みだ。
「いくら姿を消したところで、気配を消せねば意味がない」
俺は相手に向かって一歩踏み出した。威嚇のために魔力を注いだ剣身が紅い輝きを迸らせる。
すると、やがて慌てたような声が聞こえてきた。
「ま、待て! 私は怪しい者ではない!」
声とともに姿を現したのは、やはりメイナードだった。透明化の技術は大したものだが、以前に俺やユーゼフに見破られているし、『極光の騎士』にも通用しないと観念したのだろう。
彼は両手を上にあげてアピールしながら、壁際に張り付くように少しずつこちらへ異動してくる。
「恐ろしい巨人が外を暴れまわっていたから、こうやって隠れていたんだ!」
彼は必死で説明する。たしかに理屈は通っているが、それはメイナードが見知らぬ一般人であればの話だ。
「ならば、なぜ透明化していた? あの巨人のサイズでは、どのみちこの地下階段に侵入することはできん」
「怖かったんだよ! あんたの足音を聞いて、巨人の足音だと思っちまって……」
「そうか……。ところで、ここはお前が所有する建物か?」
俺は唐突に話題を変える。すると、メイナードはぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違う! 名は明かせないが、とある皇族が所有する建物だ!」
メイナードは慌てたように叫ぶ。その言葉に俺は首を捻った。
「皇族……?」
「そ、そうだ! 私は貴き皇帝の血を引く御方に仕えている者だ! 危害を加えるようならただではすまさんぞ!」
さらに、俺の呟きをどう捉えたのか、メイナードは語気を強めた。
「伯爵すら歯牙にかけぬ『極光の騎士』でも、皇族に逆らえば立場を失うぞ!」
なるほど、清々しいまでに虎の威を借る男だな。俺は少し感心して口を開く。
「――それでは、ウィラン男爵の従者は仮の姿だったのか?」
その瞬間、メイナードの顔が強張った。
「なぜ……?」
……しまった。メイナードがウィラン男爵の従者だと知っているのは、支配人のほうだったな。『極光の騎士』にも声をかけてきたことがあったが、あの時は仕えている家の名前まで口にしなかったはずだ。
「この街の住民ならともかく、なぜお前が……!?」
だが、メイナードの中で支配人と『極光の騎士』は結び付かないようだった。そして、その動揺は彼の後ろめたさを示しているように見えた。
「俺に情報を売りたい人間はいくらでもいる」
あえて傲慢に言い切ると、メイナードは昏い目つきで俺を睨む。そして、同時にその手が壁際にある突起に触れた。
「――いくら『極光の騎士』でも、無敵じゃねえ。……知ってるか? 数千年前の古代文明によって作られたたった一体の魔工巨人が、街を消し飛ばしたこともあるんだぜ」
その言葉は何を意味するのか。そう考える間もなく部屋が揺れた。
「壁が……?」
階段際にいるシンシアが驚きの声を上げる。彼女が言う通り、壁の一部がスライドして開いたのだ。そして、その中からモンスターらしき人影が……。
――ちょこんと姿を現した。
「ピィ!」
「……は?」
思わず素の声が漏れるが、それも仕方のないことだろう。仰々しく開いた隠し扉から現れたのは、どう見ても鳥類の雛だった。
雛としてはかなり大きい部類に入るだろうが、それでも片手で抱えられる程度のサイズでしかない。薄緑色の羽毛は柔らかそうで、つぶらな瞳はまっすぐこちらを見つめていた。
「あ? なんだお前は!? 守護魔獣はどこだ!」
だが、その姿を見たメイナードは不機嫌な声を上げた。そして、胸元から何かを取り出すと、開いたままの隠し扉に向かって叫ぶ。
「侵入者だ! さっさと出て来い!」
「グウォォォォ……!」
その言葉に答えるように、低い唸り声が聞こえてくる。今度こそ守護魔獣というやつなのだろう。
「二頭獣か……?」
思わず呟く。扉から顔を出したのは獰猛な顔つきをした狼だった。それもただの狼ではない。一つの胴体から二つの首が生えており、片方は白い吐息を、もう片方は炎の息を吐いていた。
その巨大な体躯が動くたび、後脚を拘束している鉄鎖がじゃらりと音を鳴らす。その様子を見ていたメイナードは哄笑を上げた。
「これだ……これこそが待ち望んでいた守護魔獣だ! ……おい、犬! この侵入者を始末しろ!」
勝利を確信したのか、もはや敵対する姿勢を隠そうともせず、メイナードは高らかに命令を下す。
俺は剣を構えながら、一つだけ彼に問うことにした。
「ウィラン男爵は奥か?」
光壁や巨人の発生に関わっていたという証拠はまだ見つかってないが、こうも俺を目の仇にしている以上、メイナードが一連の事件に関わっていたことは間違いないだろう。
ただ、これだけ大掛かりな事件だ。この男が一人で上手く事を運べるとは思えなかった。
「ハッ、あのボンクラのお守りなんざごめんだ」
だが、俺の予想は外れた。メイナードは吐き捨てるように言うと、その顔を歪ませた。
「いい加減、あんな落ちぶれ貴族とは縁を切りたいんだよ」
「別の貴族に仕えるのか?」
「けっ、くだらねえ。従者なんてのは、どこまで行っても貴族の奴隷なんだよ。そんなモンはもうごめんだ」
憎々しげに語ると、メイナードは俺を指差す。
「やっちまえ」
その言葉に一瞬遅れて、鎖が引きちぎられた音がする。反射的に跳び退いた俺の真横を、炎を纏った顎が通過した。
「ピィ!?」
そして、慌てたように鳴いたのは鳥の雛だ。幸い二頭獣の攻撃範囲には入っていなかったようだが、高速移動の風圧で吹き飛ばされていた。
「シンシア、頼む」
腕を伸ばして、吹き飛ぶ雛をキャッチすると、そのまま後ろのシンシアへ向けて放り投げた。そして――。
「重量強化」
魔法で体重を増大させると、猛烈な勢いで飛び掛かってきた二頭獣の攻撃を受け流す。だが、二頭獣は左右の頭で執拗に俺を噛み砕こうとコンビネーションを仕掛けてきた。
「む……」
俺は身体を捻じり、剣を使って二頭獣の連携攻撃を凌ぐ。だが、やがて焦れてきたのか、二つの首が同時に息を吸った。吐息だ。
俺は咄嗟に右へ回り込むと、剣の柄で炎の吐息を吐こうとしていたほうの顔面を殴りつけた。
「グワゥ!?」
殴られて向きが変わった吐息は、隣にいた相棒を紅蓮の炎で包み込む。そして、自らの攻撃を浴びて混乱した隙を狙って、俺は剣を一閃させた。
ドスッという音を立てて、炎を吐いていた首が落ちる。その断面からは、まるで血のように炎が零れ落ちていた。
「グォォォォッ!」
そして、もう一閃。炎に包まれて焼け焦げた首が落ちると、今度は細かい氷の破片と白い冷気が亡骸から零れていた。
その様子を見て、俺は二頭獣に背を向けた。そして、鳥の雛を抱いたシンシアに向けて剣を振るう。
「えっ……?」
信じられない、という表情でシンシアは固まる。だが、剣は彼女ではなく、そのすぐ横の空間を貫いていた。
「がああああッ! う、腕があああ!」
右上腕部を剣が貫通し、メイナードが悲鳴を上げる。いつの間にか姿を消していたようだが、シンシアに近付いたのは、彼女を人質にするつもりだったのだろうか。右手からカランと落ちたのは、何かの液体がべっとりとついた短剣だった。
だが、今となっては意味のない仮定だ。かろうじて繋がってはいるものの、右腕は使い物にならない様子だった。
「あ、ありがとうございます……」
俺はシンシアを引き寄せると、代わりに前へ出た。まだどんな隠し玉を持っているか分からないからな。
それに、こいつにはこの事件のことを喋ってもらう必要がある。やりたくはないが、シンシアの治癒魔法を利用して拷問することだってできるだろう。
そう考えていた時だった。部屋の中で小さな爆発が起きる。どうやら、二頭獣の遺骸がなんらかの反応を起こしたようだった。
そして、それを機にメイナードがさらに奥にある扉目がけて走っていく。すぐさま捕まえようとした俺だったが、思い直すと、シンシアに向き直った。
「あの人を追いかけなくてもいいんですか……?」
胸に雛を抱いたまま、シンシアは不思議そうに首を傾げた。なぜか抱かれた雛も首を傾げているが、気にしないことにしよう。
「奥の扉を開けてくれるのなら、それに越したことはない」
部屋の奥に視線をやると、ちょうどメイナードが扉を開けたところだった。なんせ、この部屋には光壁や巨人の手掛かりがほとんどなかったからな。
できれば、向こうの部屋には分かりやすい何かがあってほしいものだが……。
「向こうの部屋に踏み込む。……油断はするな」
「はい!」
俺はシンシアの返事に頷いて……そして、彼女の胸元に視線を下ろした。
「その雛も連れて行くのか?」
「あ……駄目、ですよね……?」
「さっきのように巻き込まれかねん」
そう答えると、シンシアは寂しそうにしゃがみ込んで、雛を床に下ろした。雛が何やらピィピィ言っているが、さっきだって二頭獣に殺されなかったのは偶然みたいなものだからな。死ぬよりはマシだろう。
「……行くぞ」
雛が付いてこないことを確認すると、俺は奥の扉へ向かって歩き出した。
◆◆◆
メイナードが流した血の跡を追って、開いたままの扉を抜ける。かなりの出血量だが、なんとかする当てはあるのだろうか。
そんなことを考えていた俺は、踏み込んだ部屋の異質さに息を呑んだ。
「儀式場……か?」
地下に作られたとは思えない広大なスペースを、何かの装置がぎっしりと占めている。その装置や、付近に描かれた魔法陣は怪しく明滅を繰り返しており、それが現在も機能していることを窺わせた。
「――知識のない人間には、そう見えても仕方がないでしょうな」
その声は、巨大な装置のほうから聞こえてきた。程なくして、装置の陰から二人の男が姿を現す。
一人は青白い形相で男に取りすがるメイナードであり、もう一人もまた見覚えのある顔だった。
「あれは……」
以前にメイナードを尾行していた際、彼が入っていった建物から出て来た男だったのだ。どこか怪しい男だとは思ったが、まさかこんなことをしでかすとまでは思わなかったな。
「……ん?」
俺は目を瞬かせた。男の顔に小さな違和感を覚えたのだ。その顔には確実に見覚えがあるが、何かが引っ掛かる。
だが、その違和感の正体を分析している暇はなかった。
「ペイルウッド、何をしている! 早く私を治療しろ!」
対峙した俺たちの間に割って入ったのは、瀕死のメイナードだった。痛みに耐えかねているのか顔を歪ませながら、無事な左手でペイルウッドと呼んだ男に掴みかかる。
「断る。唯一の目的すら果たせないクズが」
「な――ふざけるな!」
虚を突かれた様子のメイナードだったが、やがて怒気を孕んだ叫び声を上げた。
「『極光の騎士』の正体を探れなかったばかりか、こうして丁寧に案内するとはな」
だが、ペイルウッドに動じた様子はなかった。彼はメイナードを鼻で笑うと、冷たい声で言い放つ。
「貴様は、主人である男爵を悪しざまにこき下ろしていたが、貴様自身はそれ以下だな。何も知らないあの男爵が哀れに思えてくる」
「黙れ! あんな死に体の男爵家など知ったことか! それよりも早く治療し――」
だが、メイナードの言葉は途中で途絶えた。ペイルウッドが短剣を彼の胸に突き立てたのだ。
「きさ……ま……」
メイナードは信じられない、という形相で口をパクパクさせた後、どさり、と床に倒れた。
「あ……」
後ろからシンシアの声が聞こえてくる。衝撃的な光景だったのだろう。だが、彼女を気遣っている余裕はない。
「貴様などに割くリソースはない。魔道具は返してもらうぞ」
ペイルウッドは自分の身体に付着した血液を嫌そうに眺めると、メイナードの亡骸に手を伸ばす。
だが、それを黙って見ている道理はなかった。おそらく、彼が回収しようとしているのは透明化の効力を持つ魔道具なのだろう。
メイナード程度の人間ならともかく、ペイルウッドは強い。彼が透明化すると、非常に厄介な敵になる可能性があった。
「……仲間割れか?」
俺は悠然と歩み出す。さすがにそれを無視できなかったようで、しゃがみ込んでいたペイルウッドは油断のない様子で立ち上がった。
「私にも同胞を選ぶ権利はありますからな」
そう言ってゆらりと立つ姿には隙がない。だが、彼には積極的に動こうとする意思が感じられなかった。
こちらの出方を窺っているのか、それとも戦闘の意思はないということか。どちらにも対応できるよう、俺は慎重に剣を構える。
だが、男の反応は予想外のものだった。
「それで、あなたはどちら側なのですかな? ……ああ、二年前のことは置いておきましょう。当時は情勢が複雑でしたからな」
――どちら側?
この男は何を言ってるんだ。それが俺の本音だった。だが、この男は二年前に通じる何かを知っている。その認識が俺に虚言を吐かせた。
「どちら側、などと言っても証だてるものはあるまい。そう言うお前はどうだ」
「おや、言いますねえ」
ペイルウッドはクックッと笑う。
「しかし……やはりそうでしたか。あなたは目立ちすぎるし、なんといっても剣闘士だ。あの方々には信じられないでしょうが……」
「その言葉は答えのつもりか?」
言葉を訝しみながらも、俺はそれだけを告げた。すると、ペイルウッドはニヤリと笑う。
「どちら側かは明かせませんが、私も独自に動いていましてね。ひょっとすると、あなたもお仲間ではないかと思ったのですが……。なんと言っても、この帝国の懐深くに食い込んでいるわけですからな」
「ほう……俺とお前の在り方が似ていると?」
「だからこそ、手を組めるかと思ったのですよ。あなたが味方となれば主も喜ぶ」
俺は兜の下で眉を顰めた。この男は何を言っているのか。『極光の騎士』は帝都の英雄という位置に立っている。普通に考えれば、あんな巨人を放つような組織に手を貸すはずがない。
にもかかわらず、この男は『極光の騎士』が仲間になる可能性をそれなりに高く見積もっているようだった。
「……とは言え、味方でなければ『極光の騎士』は非常に厄介な存在です。不確定要素を排除するために、あなたがいない時を狙ったつもりなのですがね」
「それは悪かったな」
俺は以前にペイルウッドと交わした会話を思い出した。『極光の騎士』のファンだと言ってあれこれ聞いてきたが、目的はそっちにあったのか。
「ですが、私の巨人たちを片っ端から屠ったのはいけませんな。英雄という立場を利用して何かを狙っているのでしょうが、さすがにこれは看過できません」
「だとしたら、どうする?」
不穏な気配を感じて、剣を持つ手に力が入った。
「さすがに、私もあなたの立ち位置を図りかねています。そこで――」
言って、彼は俺の後ろに視線を送る。
「あなたの後ろにいる『天神の巫女』を始末してもらえますかな」
「何だと?」
俺は咄嗟に剣を振るった。ペイルウッドが短剣を投擲したのだ。その狙いは正確にシンシアを狙っていた。
甲高い音とともに、俺が弾き落とした短剣が床に落ちる。
「やはりそうでしたか。どちら側であれ、我々に天神教ゆかりの者を庇う理由はありません。……『極光の騎士』。まさかと思いましたが、あなたは――」
再び金属音が響き、俺とペイルウッドの剣が交錯する。会話の途中でためらいなく不意打ちを入れるあたり、この男は戦い慣れているようだった。
ペイルウッドは即座に場を飛び退くと、さらに数本の短剣を投げる。その軌道は狙いすまされていて、俺とシンシアの双方を守ることは難しい。
ならば、と俺はシンシアへ向かう短剣を斬り払い、自分に向かって飛来する短剣は当たるに任せる。過信するわけではないが、全身鎧は伊達ではない。
「ふむ……さすがですな」
少し離れた位置で、ペイルウッドは感心したように声を上げた。だが、次の言葉を聞いて俺は身構える。
「『極光の騎士』と単独でやり合って勝てると思うほど、私は愚かではないのですよ」
その言葉と同時に、部屋の壁がスライドしていく。その様子は、先程メイナードが守護魔獣を呼び出した時と酷似していた。
『――警告。多数の守護魔獣を確認』
クリフの声が頭に響く。やはり、壁の奥に潜んでいるのは守護魔獣であるようだった。
ならば先に黒幕を仕留める。そう判断した俺はペイルウッド目がけて駆け出したが、奴は開きつつある壁の向こう側へ潜り込んだ。
「『極光の騎士』さん……!」
シンシアの戸惑った声が聞こえてくる。俺は彼女の傍へ戻ると、改めて開きつつある壁を見つめる。
やがて、壁の向こうの様子が分かると、シンシアは胸元できゅっと拳を握りしめた。それも無理はないだろう。
開いた壁から見えたのは、大量にある巨大な水槽と、そこに入れられている巨人たちの姿だった。