光壁 Ⅳ
「『極光の騎士』だ! 『極光の騎士』が来たぞ!」
「英雄のお出ましだ! みんな道を空けろ!」
避難所となっている建物に足を踏み入れた俺は、熱烈な歓迎をもって迎え入れられていた。
「あんたのおかげで命が助かったよ!」
「あの巨人を倒した時の姿、最っ高にシビれたぜ!」
そんな声に囲まれつつ、俺は案内されるまま歩を進める。少し顔を出して、すぐに外に出ようと思ったのだが、そんな雰囲気ではなくなっていた。
やがて、通された場所にいたのは、やはりシンシアだった。その隣にいるのは、避難民たちのまとめ役だろうか。
セイナーグと名乗った彼からは威厳が感じられたし、他の避難民も彼に対して敬意を払っているようだった。
「『極光の騎士』殿、この度は我らの苦境を救ってくださり、誠にありがとうございました。この街区の住民を代表して、心より感謝の意を申し上げます」
そのセイナーグさんが頭を下げると、周囲の人々も揃って頭を下げた。
「……気にする必要はない。居合わせただけだ」
「ならば、私たちが勝手に感謝していることに致しましょう」
セイナーグさんは微笑む。すると、今度はシンシアが一歩踏み出した。
「『極光の騎士』さん……」
俺はシンシアに向き直る。『極光の騎士』の正体に気付きかねない彼女に身構えてしまうが、シンシアに正体を探るような雰囲気はなかった。
「あの、助けてくださって、本当に――」
と、ふいにシンシアの言葉が途切れ、その身体が崩れ落ちた。俺はとっさに彼女を支えたが、なんの反応もない。意識を失っているようだった。
「『極光の騎士』殿を目にして、緊張の糸が切れたのでしょう」
俺が抱きかかえているシンシアを見て、セイナーグさんが温かい眼差しを向ける。
「巨人が現われてからずっと、シンシア殿は魔法障壁を張り私たちを守ってくれました。まだ年若い彼女にとって、千人近い人の命を背負わされることは、さぞかし重たかったことでしょう」
彼の言葉に頷く。気が利いたことは言えないが、セイナーグさんが言いたいことはよく分かる。
「それでも、彼女は泣きごと一つ言わず私たちを守ってくれました。もしその気になれば、自分の周囲にだけ魔法障壁を展開することもできたでしょう。
そうして魔力の消費を減らしておけば、シンシア殿だけは助かる可能性が高かった。……ですが、彼女はそれをしなかった」
「……そうだな」
シンシアの性格は知っている。自分一人に魔法障壁を張って、それでよしとするはずがなかった。
「『極光の騎士』殿、英雄を使いだてするようで恐縮ですが、彼女をこちらへ運んで頂けませんか?」
セイナーグさんが指し示したのは、いつの間にか準備されていた寝具だった。
「本来なら、女性の就寝には個室を用意するべきでしょうが……今は何が起きるか分からない非常時です。一人にしておくわけにもいきませんから」
その言い分は理解できた。起きたシンシアがどう思うか分からないが、たしかに一人は危険だろう。
「その代わりと言ってはなんですが、彼女の周囲は女性で固めておきます。それが私にできる精一杯ですから」
「なるほど、了解した」
シンシアを抱えたまま、寝具のほうへ歩き出す。よく考えると、全身鎧の人間に抱きかかえられるのって、ゴツゴツしてだいぶ痛いんじゃないだろうか。
そう思いながらも、とりあえず寝具の上にシンシアを下ろす。細かい調整は手伝いに来てくれた女性に任せると、俺は女性の輪から抜けた。
「『極光の騎士』殿も休んでいかれませんか? あのような凶悪な巨人と戦われたのです、お疲れのことでしょう」
「不要だ。……気遣いに感謝する」
連戦で疲労しているのは事実だが、まだ戦闘力が落ちるほどではない。巨人は倒したものの、光壁は依然として消滅していないことから、今度は光壁の術者を探す必要があった。
だが――。
「それには及ばないさ。捜索は僕たちがやるから、『極光の騎士』はこの建物の防衛がてら休んでくれ」
現れたのはユーゼフだ。建物の外で新たな敵を警戒していたはずだが、どうしたのだろうか。そんな思いが通じたのか、ユーゼフはこちらを見る。
「他の四人もこの辺に集まって、今は周囲を警戒している。……『極光の騎士』は早くから戦いづめだったはずだし、休める時に休んでくれ。
まだ、事態がいつ解決するかは分からないんだから、体力の温存は大切だよ」
ユーゼフの言葉には説得力があった。それにね、と彼は俺の耳元――と言ってもフルフェイスの兜越しにだが――で囁く。
「ざっと見てきたけど、ここにいる避難民たちはまだ怯えている。もう少しだけ、君がここにいたほうが彼らも安心するよ」
「む……」
その言葉には一理あった。鎧を脱ぐわけにはいかないが、それでも身体を休める方法はたくさんある。精神力の回復なんて、何もしないこと自体が薬だしな。
「決まりだね。それじゃ、僕は術者を探してくるよ」
言うと、ユーゼフはあっさり去っていく。その背中を見送ると、俺はどっかりとその場に座り込んだ。
◆◆◆
『クリフ。念のために確認したいんだが、この休息時間で待機モードに移行したりしないよな?』
『肯定。現状は作戦遂行中であると考えられ、また起動時間が一日を超えていないことから、待機モードへの移行はありません』
休息を始めてから二刻ほど後。壁際に腰を下ろしていた俺は、周囲の人々に聞こえないよう念話でクリフと話していた。
『極光の騎士』と話をしたがっている人の気配も感じるが、基本的に俺を休ませようと気を遣ってくれているようで、話しかけてくる人間は皆無だった。
『ちなみに、現在の起動回数だが……』
『今回の起動で一回、決戦仕様で一回消費しましたので、残り六回になります』
『……そうか』
やっぱりか、と内心で呟く。魔導鎧の決戦仕様モードは非常に強力だが、起動回数を余分に消費してしまうのだ。
あの状況下では仕方なかったとは言え、今回の事件で『極光の騎士』の剣闘士寿命が半年縮んだ計算だ。
『――ところで、先程の女性は主人の恋人ですか?』
『は? 先程の女性って……ああ、シンシアか』
俺は苦笑を浮かべた。本当に人間くさい人工精霊だな。……まあ、そのおかげで憎めないし、退屈もしないのだが。
『彼女はうちの闘技場の救護担当神官だ。変に気を回さないでくれ』
『そうでしたか。遠見の魔法で彼女の姿を確認した時に、心拍数が急激に跳ね上がったことを確認したものですから、てっきり親しい仲かと……』
『まあ、驚いたことは事実だが……恋人というわけじゃない』
もしあそこにいたのがユーゼフやヴィンフリーデ、レティシャたちであったとしても、やはり同じ反応をしたはずだ。
『なるほど、おもしろくな――参考にします』
『今、面白くないって言っただろ……』
『主人の気のせいでは? ところで……』
クリフは話を逸らす気のようだった。こっちとしてもこの話を続けるつもりはないし、ちょうどいいとばかりに俺は話に乗った。
『どうした? 気になることでもあったか?』
『シンシアさんはかなり消耗していた様子ですが、活力付与を使わないのですか?』
『……あ』
言われてみれば、その選択肢もあったな。ここに来る前にも使った回復魔法だ。
俺自身は魔法を使えないし、『極光の騎士』の姿でいる時も、他人に回復魔法を使用するような場面は滅多になかったから、さっぱり思いつかなかった。
『――クリフ、ありがとう。どこまで効くか分からないが、試してみよう』
『ええ、そうやって好感を持ってもらうのが肝要かと』
その言葉に、立ち上がろうとしていた身体の力が抜ける。
『そうじゃないって……もういいや』
『これまで、戦闘以外で主人のお役に立てたことがありませんからね。私生活もフォローできてこそ、優秀な人工精霊というものです』
『人工精霊の存在意義が気になるんだが……』
そんな馬鹿な話をしているとは知らない周囲の人たちは、立ち上がった俺を驚いた目で見ていた。引き上げるのか、と思っているのかもしれない。
「『天神の巫女』に回復魔法を使用してくる。……魔力に余裕ができたのでな」
言い訳がましく付け加えたのは、どうして今まで使わなかったのか、という疑問を封じるためだ。まさか、英雄『極光の騎士』がうっかり忘れていた、と言うわけにはいかないしな。
俺の言葉に納得した様子で、人々が道を空けてくれる。そうしてできあがった通路を抜けて、俺はシンシアが眠っているエリアに入る。
「『極光の騎士』様、どうかなさいましたか?」
シンシアを取り囲むように座っていた女性の一人が、不思議そうに問いかけてくる。
「魔力に余裕ができた。彼女に活力付与を使う」
「え? ……ああ、分かりました。どうぞこちらへ」
彼女にとっても予想外の返事だったようだ。『極光の騎士』と回復魔法のイメージが重ならなかったのだろう。
……俺自身がそうなのだから、彼女を責める謂われはないが。
女性たちの間をぬって、俺は眠っているシンシアの前に立つ。いつの間にかセイナーグさんが近くに来ているのは、万が一を警戒しているからだろうか。だとしたらちょっとショックだな。
そんなことを考えながら、俺は活力付与の魔法を起動させる。シンシアの周囲に淡い光が現われたかと思うと、少しずつ彼女の身体に吸収されていく。
「おお……『極光の騎士』殿は回復魔法にも精通しておられるのですな」
セイナーグさんは感心したように口を開く。
「……かろうじて使用できる程度だ」
その言葉に嘘はない。俺自身は魔法の構築方法なんて分からない素人だからな。単に魔導鎧の機能を発動しているだけだ。
「――その割には見事な魔法構築だったわよ、『極光の騎士』」
と、後ろから突然声がかけられた。それはよく聞き覚えのある声で、反射的に言葉を返す。
「レ……ットオペラか」
レティシャか、と危うく言いかけた俺は、なんとか言葉を修正する。『紅の歌姫』と文字が重複していてよかった。
「振り返らなくても分かるなんて、私の声を覚えていてくれたのね。嬉しいわ」
あ、しまった。そっちもあったか。
「……数刻前に聞いたばかりだからな」
「記憶力がいいのね」
俺は口を開く代わりに、肩をすくめることで代用する。付き合いの長さや深さを考えると、『極光の騎士』の正体が一番バレやすいのはヴィンフリーデ、次いでレティシャだ。
ヴィンフリーデなら口止めもできるだろうが、真実を知ったレティシャがどう出るかは分からない。そう考えると、『極光の騎士』として一番接触したくない人物だった。
「それで、どうした。……ああ、彼女は味方だ」
後半の言葉は、突然登場した『紅の歌姫』を警戒している人々に向けたものだ。
交流試合を通じて大きな闘技場でも顔が売れている『極光の騎士』や『金閃』はともかく、レティシャのことを知っているのは、うちの闘技場を贔屓にしている人間くらいだ。彼らが警戒する気持ちは分かった。
とは言え、この状況下で彼女の存在は非常にありがたい。俺は、魔導鎧のおかげで魔法は使えるものの、その仕組みや理論はさっぱりだ。
その点、レティシャの能力は折り紙付きだし、もともとこの光壁の調査をしていたのだ。頼れる部分は多いだろう。
「あなたへの状況報告と、シンシアちゃんに回復魔法をかけようと思って来たのよ。……まさか、一人でずっと頑張っていたなんてね」
そう説明すると、レティシャは優しい眼差しでシンシアを見つめた。
「……そうか」
俺はスッと自分の位置をずらす。レティシャが魔法を使えるようにだ。だが、彼女は小さく首を振った。
「あなたの活力付与だけで充分よ。重ねて使うと、後で副作用が出るという報告もあるもの」
そうなのか、全然知らなかった。さすがは本職だな。俺が勝手に感心していると、レティシャはシンシアの顔を覗き込む。
「顔色も悪くないし、大丈夫だと思うわ」
その言葉にほっとする。周りで聞き耳を立てていた人からも、安堵した雰囲気が漂っていた。
それなら、次は現状報告を聞こう。そう思って口を開こうとした瞬間だった。予想外の言葉が聞こえてくる。
その声の主は……眠っているシンシアだった。
「――私のことは気にしないでください。これも使命なのでしょう」
「今の声は……シンシアちゃん? 起きていたの?」
レティシャが驚きの声を上げるが、シンシアは目を閉じたまま話し続ける。
「――あなたの気持ちは本当に嬉しいけれど、これは私にしかできないことだから……」
いったい誰に向かって話しているのか。この場の誰もがそう思っていることだろう。そもそも、口調からして普段のシンシアとは異なっている。
こう表現すると失礼だが、いつものシンシアよりだいぶ大人びた印象だ。それとも、五年後、十年後の彼女はこんな感じになるのだろうか。
「この都は消滅するでしょう。天空の炎に焼かれるのか、大地に呑み込まれるのか、それとも大洪水にすべてを押し流されるのか。あの樹が倒れるまで、神々は攻撃の手を緩めません」
「神々は、私たちの犠牲も致し方ないと、そう考えています。もし叶うなら、あなただけでも逃げてほしいけれど――」
誰もが沈黙する中、シンシアの言葉だけが流れていく。だが、それもやがて止まり、彼女の寝息だけが聞こえてきた。
「――そう言えば、シンシアちゃんは観劇が趣味だったわね。好きなシーンだったのかしら」
沈黙を破り、そう結論付けたのはレティシャだ。たしかにその可能性はあったか。寝言で呟くなんて、よっぽど好きな演目なんだろうな。
「ああ、それで……」
「そう言えば、少し前にも観劇に行ったと仰っていましたな」
ちらほらとそんな言葉が上がり、人々は視線を外す。理由付けができれば人は落ち着くものだ。興味を失ったのだろう、再び雑多な音が場を支配し始めた。
そのため、次の言葉を耳にしたのは、俺やレティシャたちごく数人だった。
「――大丈夫、これでも『天神の巫女』と呼ばれる身です。魂が砕け散るようなことはありませんから。……ね?」
その言葉に俺は凍り付いた。そして、続く言葉を聞き逃すまいと耳に意識を集中する。
だが、それっきりシンシアの口から言葉が零れることはなかった。それを確認すると、俺はレティシャを振り返る。
「……どう思う」
「『天神の巫女』ね……偶然にしては出来すぎだけど……」
レティシャも同じ意見を持っているようだった。同じく近くにいたセイナーグさんも首を傾げていたが、やがて口を開く。
「『天神の巫女』が登場する演目は、それなりの数がありますからな。シンシア殿からすれば、その二つ名を受け継ぐ者として親近感も湧くでしょう」
なるほど、それはあり得るな。ただ、俺には演劇はよく分からない。レティシャに視線を送ったところ、彼女も首を横に振った。あまり詳しくはなさそうだ。
一番詳しそうな人物は、こうして眠っているしな……。
『クリフ、どう思う』
駄目で元々と、俺はクリフにも聞いてみることにした。この人間くさい精霊なら、何か知っているかもしれない。
『……』
だが、クリフは無言だった。
『クリフ?』
再び念話で問いかけると、今度こそ返事がくる。
『……失礼しました、主人。記憶を検索していましたが、該当する演目はありませんでした』
『そうか……まあ、そうだよな』
どうやら、真面目に考えていてくれていたらしい。とは言え、よく考えればクリフは三千年前に生まれた人工精霊だ。演劇のことを知っているはずはないか。
そんなことを考えていた俺は、その取り留めのない思考を中断した。シンシアが目を覚ましたのだ。
「ん……」
「あら、起きたのかしら」
「……え? あ、あの、これは……?」
レティシャの声がきっかけとなったのか、シンシアの目が開く。俺たちに注目されていることに驚いたようで、上に掛けられていた毛布を胸に抱いて後ずさる。
「シンシアちゃんの寝顔があまりにもかわいいから、みんなで鑑賞していたのよ」
「ふぇっ!?」
「どうしてそうなる」
俺は本能的にレティシャに突っ込みを入れた。すると、彼女は面白そうにこちらを見つめる。
「あらあら、『極光の騎士』もそんな反応をするのね。意外な収穫だったわ」
「……」
からかわれていることは明らかだった。俺はレティシャを無視してシンシアに向き直る。
「活力付与を使用したところだった」
「あ、それで……あの、ありがとうございます」
シンシアの感謝の言葉に頷きで答える。レティシャほどではないが、彼女も『極光の騎士』の正体に気付きかねないからな。多弁は禁物だろう。
「シンシアちゃん、調子はどう?」
「はい、みなさんのおかげで、元気になりました」
しばらく後ろを向いて、身だしなみを整えていたシンシアは、レティシャの声に笑顔で答えた。
「本当に大丈夫? 倒れるほど魔力を使ったのでしょう?」
「そうなんですけど、なんだか気分がよくて……『極光の騎士』さんのおかげでしょうか」
「活力付与にそこまでの効果があったかしら……」
レティシャは興味深そうにシンシアに近寄ると、じっと彼女を見る。
「身体の調子はともかく、魔力の回復にはまだかかりそうね」
「あの、『極光の騎士』さん……」
レティシャがそんな分析をしている間に、シンシアが声を上げる。俺が視線を向けると、彼女は慌てたように口を開いた。
「その、さっきは途中で倒れてしまって、お礼が言いませんでしたから……。助けてくださって、ありがとうございました」
「……気にする必要はない。長時間にわたって、一人で人々を守っていたと聞いた。讃えられるべきは、俺ではなく君だ」
「え……?」
予想外の言葉だったのか、シンシアは何度も目を瞬かせた。だが、彼女がいなければ、この建物にいた人々は全滅していたわけで、それは誇張でもなんでもなかった。
「これだけ大勢の人間の命を一人で預かっていたのだ。重責だったことは想像に難くない。……よく頑張ったな」
しまった、最後の一言は『極光の騎士』らしくなかったか。……とは言え、それは俺の紛うことなき本音だった。
「あ、ありがとうござ――」
と、シンシアの言葉が止まる。そして、言葉を返そうとしていた彼女の双眸から、つぅ、と涙が零れた。
「えっと、あの……ごめん、なさい……」
慌てて涙をぬぐうシンシアだったが、涙が収まる気配はない。心に大きな負荷がかかっていたのだろう。
後ろを向いて深呼吸を何度もした彼女は、やがてこちらに向き直った。
「もう、大丈夫です」
シンシアは微笑む。その姿は、無理をしているわけではないように見えた。その様子を確認すると、俺はシンシアを視界に入れたままレティシャのほうを向いた。やらなければならないことはもう一つある。
「『紅の歌姫』。光壁について分かったことを教えてもらおう」
俺は建物の窓から外を眺める。当面の危機は去ったものの、事件の発端となった光壁は今だ三十七街区を分断していた。