【後日譚】 相棒Ⅱ
「素敵な舞台でしたね……! あの台本を書かれた方が、本当に『極光の騎士』さんのファンだということが伝わってきました」
「そ、そうだな……」
表情を輝かせて、上機嫌で感想を述べるシンシアと、居たたまれなさで顔が引きつりそうな俺は、二人で劇場を出るところだった。
『たしかに興味深くはありましたね。私の記憶にない大冒険や、ラブロマンスが繰り広げられていました』
「ピッ」
クリフの念話が聞こえていたかのように、成鳥になったノアがタイミングよく鳴き声を上げる。その声がずいぶんと小さいのは、ここがまだ劇場の中だからだろう。
「――シンシア様。ミレウス様。本日は真にありがとうございました」
そうして劇場から外へ出ようとしたところで、この劇場の支配人が丁重に挨拶をしてくれる。それもそのはず、今日の俺たちはVIP扱いだったからだ。
なぜなら、今日が初公開となった演目は『神秘の英雄、極光の騎士』。彼とともに様々な戦いに赴いた『天神の巫女』シンシアも、彼が所属していた闘技場の支配人である俺も、その縁の深さゆえに招待されたのだ。
ちなみにレティシャも招待されていたのだが、「色々な意味で冷静に楽しめる気がしないわ」と辞退していた。意外な反応だったが、こうして観劇した今なら彼女の気持ちも分かる。
「本日はお招きくださってありがとうございました。とても素敵な舞台でしたし、『極光の騎士』さんが今でも皆さんにとって大切な存在だと感じられて、とても嬉しく思いました」
「私もまさに同感です。得難い思い出になりました。本当にありがとうございました」
聖女モードのシンシアがしっかり感想を伝えてくれたので、俺は彼女に追従することにした。というか、観劇中の俺の脳内は「そんなことあったか!?」と「もう勘弁してくれ……」で埋め尽くされていたからな。それ以上の感想は出てこない。
「過分なお言葉を頂きありがとうございます。『極光の騎士』様とご縁の深いお二人に楽しんでいただけて何よりです」
そうして一言、二言交わして劇場を出る。かなり遅めのタイミングで劇場を出たおかげで、外はそこまで混雑していなかった。
「あの支配人さんも、まさか『極光の騎士』さんご自身に見られていたとは思わなかったでしょうね」
「そうだな。ちゃんとクリフも入れてくれたし」
そう答えたのは、クリフの入場で軽く一悶着あったからだ。聖鳥として有名であり、数々の行事に参加実績のあるノアはともかく、一見するとただの黒猫にしか見えないクリフは入場を渋られたのだ。鳴き声で観劇が妨げられる可能性を考えれば、それは当然のことだろう。
だが、『極光の騎士』の半身とも言えるクリフを連れて行かないというのは、俺のほうが嫌だったのだ。なので、クリフはこっそり侵入して、屋根裏から観劇することも考えていたのだが――。
「支配人さん、驚いてましたね」
「猫と念話で会話するなんて初体験だろうからな」
最終的にはクリフが念話を飛ばして意思疎通を行い、理性的な猫であること、および自分がレティシャの使い魔であることを主張して入場許可を勝ち取ったのだった。VIPの個室だったから、というのも大きかったのだろう。
『考えてみれば、古代鎧の関係者以外に念話を飛ばしたのは初めてですね。不思議なものです』
「これからはそういう機会も増えるさ。多用するとややこしい事態を招くかもしれないが」
『そうですね。使用には気を付けます』
「ピィ!」
そんな会話をしていると、ノアがクリフの隣に舞い降りた。普通の鳥なら猫を警戒するものだろうが、ノアは賢いからな。クリフに特別なものを感じているのだろう。
『……主人、この制御ユニットが馴れ馴れしいのですが』
頭を軽く擦り付けてくるノアに戸惑ったようで、クリフから助けを求めるような念話が入ってくる。
「いいじゃないか。変わった者同士、仲良くやれば」
笑いを堪えてそう答えれば、クリフは「にャアぁあ」と不服そうに鳴いた。
「クリフさん、ノアちゃんをよろしくお願いしますね」
俺の言葉で察したのだろう。シンシアもまた、微笑ましいものを見る目で彼らを見つめていた。
『……まあ、いいでしょう。古代魔法文明時代に生を受けた誼です』
そんなクリフの言葉に苦笑して、そしてふと気付く。クリフが古代鎧という存在意義を失ったように、ノアもユグドラシルという存在意義を失った存在なのだ。そういう意味でも、彼らは似ているのかもしれない。
そんなことを考えながら歩くうちに、俺たちは大きな道に突き当たった。帝都でも有数の大通りは人が多く、賑やかな喧騒が押し寄せてくる。
「あの、ミレウスさんはこの後どうする予定ですか?」
「闘技場に戻るつもりだ。まだ陽も高いしな」
そう答えると、シンシアはにこりと微笑んだ。
「じゃあ、ご一緒してもいいですか? 私、今日は非番ですから」
「構わないが……せっかく休みなんだろう?」
今日は、第二十八闘技場で興行の予定はない。それに、闘技場は帝都の三十七街区に所在しているからな。彼女と縁が深い地区であり、住民が「巫女様」と声を掛けてくることも多いため、気が休まらないだろう。
「……せっかくお休みですから、どこへ行ってもいいんです。だからご一緒しますね」
有無を言わさぬ笑顔で俺の手を取って、シンシアは三十七街区の方角へ引っ張っていく。完璧な笑顔だが……たぶん拗ねているな、これは。
『まったく。主人には人の心というものがないのですか? オフの日だからこそ、大切な人とともに過ごしたいという気持ちが――』
そして、念話によるクリフのお小言が始まった。反論するわけにもいかず、俺はシンシアに手を引かれながら神妙な顔を作る。
「――あ! 巫女様ですよね!?」
そんな時だった。俺たちとすれ違った女性が声を掛けてくる。その嬉しそうな顔といい、私服のシンシアを見抜いたことといい、『天神の巫女』のファンなのだろう。ユグドラシル絡みの事件で怯える帝都民の心を支えていた経緯もあり、最近のシンシアは凄まじい人気を誇っていた。
「はい」
振り返ったシンシアは、興奮した様子の女性に詰め寄られる。その声を聞きつけたのか、周囲の視線も俺たちへ集まっていた。
「やっぱり! お会いできて嬉しいです。いつか巫女様にお礼を言わなきゃと思っていて――」
女性は感極まった様子で言葉を続ける。聖女モードで彼女の相手をしているシンシアは、惚れ惚れするほどに完璧な聖職者だった。当初は無理をしているのではないかと心配していたのだが、シンシア曰く「ミレウスさんが支配人として振る舞うのと一緒だと思います」ということらしい。
「そうでしたか……。大きな苦しみをよく乗り越えましたね。私があなたの一助となったのであれば、心から嬉しく思います」
「はい! 本当にありがとうございました……!」
そうこう考えているうちに、シンシアたちの話も終わりに向かっているようだった。と、そう思っていたのだが――。
「ひょっとして……そちらの方は巫女様の恋人ですか?」
そう声を上げたのは、俺たちを少し遠巻きにして見ていた別の少女だった。控えめな態度ながらも、その表情からは好奇心や憧れといった感情が見て取れる。
「え? それは――」
「さっき手を握っていましたよね? とても楽しそうなお顔でしたし」
「あ、私も見ました! すごく自然な感じでした」
少女を後押しするかのように、周囲から賛同する声が飛んでくる。それは予想外の展開だったが、今のシンシアは聖女モードだ。この程度の話題は難なく切り抜けられるはずだ。
「その……私たちはそういう関係じゃ」
「――失礼。そろそろ彼女を返してもらっても構いませんか?」
だが。気が付けば俺は口を挟んでいた。ほぼ無意識の行動だったが、今さら引っ込むつもりはない。突然俺が割って入ったことで、少女はぽかんとした表情を浮かべていた。
「ん? あいつは二十八闘技場の支配人じゃないか?」
そして、ギャラリーには俺の顔を知っている人間もいたらしい。剣闘試合に出るようになってから、だいぶ顔が売れたという実感はあった。
「今日は『極光の騎士』の新しい演目が公開される日でしたからね。私もシンシア司祭も、劇場に招かれていたんですよ」
そんなギャラリーを前にして、俺は支配人として丁寧に説明する。
「でも、あんなに楽しそうに手を繋いで……」
「淑女をエスコートするのは当然でしょう。それでは失礼します」
圧の強い笑顔で言い切ると、戸惑うシンシアの手を引いて囲みを抜ける。さっきは俺がシンシアに引っ張られていたが、今度は逆になった形だ。
『なるほど。主人との関係を否定する言葉を、シンシア殿に言わせたくなかったのですね』
そんなクリフの念話が聞こえてきたことで、俺は改めて自分の行動を振り返った。クリフが言ったとおり、否定するような言葉を言わせたくないと思ったのは事実だ。
だが、そう思ったのは俺のためではない。思い上がりかもしれないが、否定の言葉を口にしようとしていたシンシアは、辛そうに見えたからだ。
「……」
そんな思考を伝えられればよかったのだが、『極光の騎士』ならぬ俺は念話が使えない。
「あの、ありがとうございました」
そんなことを考えていると、ふとシンシアが声を掛けてきた。連れ立って脱出したときは戸惑っていた彼女だが、いつの間にか元気になっている。
「お礼を言われることじゃないさ。むしろ強引に連れ出して悪かった」
そう謝れば、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「そんな……むしろ嬉しかったです」
頬を紅潮させて答えるシンシアだったが、やがてはっとした様子で頭を下げる。
「私のほうこそすみませんでした。ミレウスさんの安全のために、すぐ否定しなきゃって思ったんですけど……」
シンシアが帝都で人気になればなるほど、彼女の恋人は嫉妬の的になる。物理的に排除しようとする輩もゼロではないだろう。彼女はそれを心配しているようだった。
「大丈夫だ。俺を闇討ちするためには、ユーゼフか『大破壊』を連れてくる必要があるからな」
むしろ、シンシアの人気に悪影響が出るほうが心配だ。そう告げたところ、シンシアは恥ずかしそうに微笑んだ。
「私は大丈夫です。その……ミレウスさんとそういう噂になっても嬉しい、ですから」
そう言ってはにかむシンシアの顔を見ていると、こっちまで照れてくる。それからしばらくの間、くすぐったいような沈黙が場を支配していた。
「……最近、増えましたね」
そんな中、先に口を開いたのはシンシアだった。増えたというのは、さっきのように連鎖的に人が集まることだろう。
「人々の心を護った結果だ。誇っていいと思うぞ」
そう伝えると、シンシアは柔らかい笑みを浮かべた。
「それを言うなら、ミレウスさんだってそうです。剣闘士になって以来、皆さんにすぐ気付かれてますよね?」
「剣闘士は顔を覚えられやすいからな。……お互いに有名になったなぁ」
しみじみと呟く。俺はそもそも無名だったし、シンシアも『天神の巫女』の称号ばかりが目立って、本人の顔まで知っている人々は少数だったはずだ。
「はい。『天神の巫女』の称号に押し潰されそうになっていた頃には、こうなるなんて思いもしませんでした」
シンシアは懐かしむように頷いた。そんな俺たちは、今では見ず知らずの人々にさえ顔を知られている。
そのことに不思議な感慨を覚えながら、俺たちは大通りを歩いていた。
◆◆◆
第二十八闘技場が所在する三十七街区は、亜人連合との戦争を経てもほぼ変わっていない。かつて光の壁で分断され、巨人たちが破壊と殺戮の限りを尽くしたあの時のほうが、よほど様変わりしたことだろう。
とは言え、俺やシンシアにとっては今の街並みこそが見慣れた景色だ。今となっては、当時の様子はおぼろげにしか思い出せない。
「……ここに来るたびに、不思議な気持ちになるんです」
だが、シンシアには別の思いがあるようだった。彼女は歩きながら、懐かしむように目を細める。
「今の街並み。巨人に襲われる前の街並み。そして……エルフ族の都だった頃の街並み」
三千年前の『天神の巫女』の生まれ変わりであり、当時の記憶を持つシンシア。人とエルフの、そして神々とユグドラシルの最終決戦の場でもあったこの地は、彼女にとって特別な場所なのだろう。
「ユグドラシルを滅ぼした日から、ずっと考えているんです。あの時代を知っている唯一の人間として、私にできることはなんだろうって」
「ユグドラシルを滅ぼした時点で、シンシアは充分すぎるほど役目を果たしているさ。それ以上気負う必要はない」
それは慰めの言葉ではなく、衷心から思っていることだった。だが、シンシアは微笑みを浮かべたまま首を横に振る。
「ありがとうございます。でも、気負っているわけじゃないんです。私が、自分の意思でやりたいと思っていて……」
「何をやるつもりなんだ?」
その口ぶりからして、すでに彼女は何かを決めたのだろう。そう思って問いかけると、シンシアは少し緊張した顔で口を開いた。
「様々な種族が、隔意なく共存できる世界を目指したいんです」
「つまり……エルフや竜人といった亜人と、人間種を融和させる?」
シンシアの答えは想像を超えるものだった。人間と亜人の間に交流はない。それどころか、人間国家が亜人の里・集落などを監視・分断している現状を考えると、それは非常に困難な目標だ。
「はい。亜人連合との地下戦争が起きた今だからこそ、皆さんも話を聞いてくれると思うんです。ちょうど、ユグドラシルを滅ぼした関係で、各地のマーキス神殿から招かれていますし」
そう告げるシンシアの顔には、緊張や決意といった感情が浮かんでいた。だが、俺が危惧していたような、無理に気負う雰囲気はない。
彼女の様子を窺っていると、シンシアは足を止めてゆっくり周囲を見回した。そして、眩しいものを見るような目で俺を見つめる。
「この場所で、私は『極光の騎士』さんと初めて出会いました。あの頃の私は、『極光の騎士』さんにずっと付いていきたいって、そんなことばかり考えていましたけど……これでいいんだと思います」
「そうか……シンシアがそう決めたなら、俺も応援する。まあ、俺が迂闊に出ると逆効果になりそうだが」
なんといっても、人間社会で暮らしていたクォーターエルフで、さらにエルフ族を騙して至宝たる古代鎧を掠め取り、挙句の果てに亜人連合と激戦を繰り広げた身だからな。
そう告げると、シンシアはなぜか誇らしげな笑みを浮かべた。
「――そして、争いの元凶だったユグドラシルを滅ぼした英雄です」
彼女はちらりと周囲を確認すると、ふわりと俺に抱き着いてきた。陽光を思わせる金髪が広がり、俺の腕をさらりと撫でる。
「シンシア……?」
俺が突然の抱擁に固まっていると、彼女は恥ずかしそうな表情で顔を上げる。そして、もう一度周囲を窺ってから、囁くような声で告げた。
「各地の神殿へ行っている間は、ミレウスさんに会えません。だから……しばらくの間、こうしていてもいいですか……?」




