【後日譚】 登録Ⅱ
闘技場ランキング第一位。【玉廷】の称号を持つバルノーチス闘技場の支配人室で、俺は支配人のクロード子爵と握手を交わしていた。
「いやいや、ミレウス支配人には驚かされたよ。まさか剣闘士登録をするとはね」
「私も驚いています。運命とは不思議なものですね」
開口一番の彼の台詞は、やはり俺の剣闘士登録に関してのものだった。数日前に剣闘士として試合の間に立った俺は、第二十八闘技場でのデビュー戦を終えていた。
と言っても闘気はほぼ使用しなかったため、鮮烈なデビュー戦をしたわけではない。支配人が戦うという物珍しさで盛り上がってはいたが、それは実力とは別の話だ。
「他の支配人の中には、『極光の騎士を失った支配人が自棄になった』などと口さがないことを言うものもいる始末だ。ミレウス支配人の苦労が忍ばれるよ」
「ええ、よく言われます」
クロード支配人の言葉を涼しい顔で受け流す。実際には彼自身がそう思っているのだろうが、さすがに本人を目の前にして言うつもりはないらしい。
「それで、今度の交流試合のことだが、いつも通り三名でよいかな?」
だが、俺が平然としているせいで張り合いがなかったのだろうか。彼は自分から本題を切り出した。
「はい。こちらは『金閃』や『破城槌』を出すつもりです」
「ほう……」
俺の返答を受けて、彼は考え込んでいるようだった。慣行として、他の闘技場との交流試合は三名で行われることが多い。そして、そうである以上引き分けはあり得ないし、どの闘技場の支配人も自所属の剣闘士が勝ち越すことを望んでいる。
「『金閃』か。勢いがあって結構なことだ」
「今度の試合は他国の賓客がご覧になるとか。出し惜しみをするわけにはいきません」
俺は真面目な顔で答える。交流試合の会場はこのバルノーチス闘技場であり、第二十八闘技場が気をもむ必要はない。しかし、貴族である彼にとっては二重三重に大切な案件のはずだった。
「ふむ。こちらも『大破壊』を出したいところだが……あの二人の戦いは、余波だけで観客席の結界を破壊しかねん。貴族として他国の賓客に流れ弾が当たることは看過できぬな」
「おっしゃるとおりです。貴族の方々の視点は勉強になります」
俺は笑顔で追従する。クロード支配人は悪人というほどではないが、小狡い面があることも事実だ。『双剣』や『魔鏡』のランキングを守るために、長らくユーゼフとの対戦を拒んでいたこともある。
「『金閃』の対戦相手には『双剣』を出す」
「なるほど。『魔鏡』は闘気を跳ね返して観客席を破壊する可能性がありますし、真空波がメインの『剣嵐』も客席の被弾率は高いでしょうからね」
「そういうことだ」
クロード支配人は余裕のある笑みを浮かべた。だが、心の中では『大破壊』が敗北して、剣闘士ランキング一位が入れ替わることを恐れているのだろう。俺はそう分析していた。
「もう一人は『破城槌』か……三十四位だったか」
そんなことを考えていると、話題は二人目の剣闘士へ移る。
「よくご存知ですね」
「【玉廷】の称号を戴く闘技場の支配人ともなれば、帝都五十傑の順位くらいは暗記しているとも」
「素晴らしいことです」
おそらく、彼は今『破城槌』に勝てる剣闘士は誰かを必死に考えているのだろう。ランク差が大きい組み合わせは敬遠されやすいが、『破城槌』は自分のランキングよりも強者との戦いを重視するタイプだ。順位差があるほど喜ぶことだろう。
「それで? 『金閃』と『破城槌』は分かったが、もう一人は誰だね?」
やがて算段が付いたのか、彼はもう一人の出場者に言及した。暗黙の了解に近いが、上位ランカーを抱える闘技場同士の交流試合となれば、上位ランカー、帝都五十傑、そして将来有望な新人剣闘士を一人ずつ出すことが多い。そして――。
「私が出るつもりです」
「ミレウス支配人が?」
さすがに驚いたようで、彼は大きく目を見開いた。
「ええ。数日前の試合は、この交流試合の出場権を賭けたものでして」
「期待の新人同士の戦いを制した者が出場する……それは道理だが」
そう呟いて、彼は何かを思い出すように目を細める。
「君に敗れたという新人剣闘士……『円転旋舞』だったか。かなり腕が立つと聞いている」
「五十傑を相手取って、何度か勝利を収めていますからね。非常に有望な若手です」
「ほほう、それは大したものだ。もはや実力は五十傑に比肩しているわけか」
支配人はそう告げると、含みのある笑顔を俺へ向けた。
「となれば、その『円転旋舞』を倒したミレウス支配人も五十傑に匹敵する技量なのだろうね」
「そうでありたいと思っています」
「いい返事だ。もはや一角の剣闘士だな」
彼は感じ入ったように頷く。先ほど『自棄になった支配人』と揶揄していたとは思えない反応だ。もちろん、そこには別の思惑があるのだろう。
「ミレウス支配人の覚悟は分かったよ。となれば、生半可な剣闘士では失礼というもの」
そう前置いて、クロード支配人は俺の肩をポンと叩く。
「バルノーチス闘技場からは五十傑を出そう」
「五十傑ですか?」
俺は驚いたように問い返す。すると、彼は鷹揚に頷いた。
「それだけの覚悟があるのなら、五十傑にしり込みすることはあるまい?」
「……もちろんです」
わずかな沈黙の後。少し焦った表情を浮かべながら、俺は提案を承諾した。そんな俺を見つめるクロード支配人からは、してやったりという笑みがこぼれていた。ユーゼフに勝つことは諦めて、『破城槌』と俺を相手に二勝を稼ぐつもりなのだろう。
「それでは対戦相手は誰にするか……ああ、もちろん五十傑でも上位の剣闘士を出すつもりはない。安心してくれたまえ」
「ご配慮に感謝します」
俺は頭を下げながら、望み通りの成り行きにほっとしていた。展開によっては美味しい交換条件をつけることも検討していたが、そこまでは必要なかったようだ。
もし、この時点で俺がユーゼフや『千変万化』と互角の戦いをしていることを知られてしまえば、彼は絶対に五十傑とは戦わせてくれなかっただろうが。
「先にミレウス支配人の対戦相手を決めてしまおうか。私が考えているのは――」
そんなことを考えながら、俺はクロード支配人の話を黙って聞いていた。
◆◆◆
『闘技場の革命児は支配人室では飽き足らず、ついに試合の間へ打って出た! 第二十八闘技場の支配人にして、剣闘士デビューまで果たした文武両道の英傑! ミレウス・ノアぁぁぁぁっ!』
『対するは剣闘士ランキング三十八位! 第二十八闘技場の敏腕支配人に剣闘士の厳しい現実を突きつけることが叶うのか!? 剣技と格闘技を織り交ぜる技巧派の剣闘士『波状猛追』ジラート・アウルぅぅぅっ!』
騒々しい実況を背に受けて、俺は試合の間の中央に立つ。続けて入場してきたジラートは、少し短めの剣と体術を組み合わせて戦う剣闘士だ。剣を握っても動きが阻害されないメリケンサックや鋼を仕込んだブーツなどを身に着けており、そのスタイルはどちらかと言えば格闘技寄りだろう。
「……ふん。お前が噂の支配人か」
そんな彼の第一声は、あまり友好的なものではなかった。試合前の口上は挑発的であることが多いが、それを考慮しても敵意のようなものが見て取れる。
「ええ。魔法試合はお嫌いですか?」
となれば、剣闘試合に魔術師を参加させることに否定的な主義なのだろう。そう予想した俺だったが、彼は首を横に振った。
「興味はないが、否定するつもりもない。だが――」
俺を指差して、ジラートは剣呑な視線を向けてくる。
「すでに自分の力量は五十傑に匹敵している。だから五十傑との組み合わせを組むべきだ。そう言ったらしいな」
「ええ……?」
思わず目を瞬かせる。どうやらクロード支配人は話を盛って説明したようだな。おそらく彼の戦意をかき立てるためなのだろう。
だが、その言葉はある意味で正しい。第二十八闘技場と仲が悪い闘技場で、しかも五十傑と戦うことができれば、八百長ではなく実力だと証明することができる。それが剣闘士の上位ランカーになるための最速の方法だと、そう判断したのは俺だ。
「譲れないものがありますから」
だから、俺はそれだけを答える。その答えをどう解釈したのか、ジラートは静かに構えを取った。
「まあいい。本当にそれだけの実力があれば、何もおかしな言動ではないからな」
「では、実力が伴わなければ?」
「……二度と試合の間に立てなくなる」
言葉と同時に、殺気すらこもった瞳が俺を捉える。脅しではなく本気だと、その視線が語っていた。
「心しておきます」
だが。そんなプレッシャーに晒されながらも、俺は内心で昂揚を覚えていた。これは今までのように一位を守る戦いではない。無名の剣闘士が上を目指す戦いだ。そう思うと不思議な活力が湧いてくるようだった。
『おおっとぉぉぉっ!? ミレウス選手は不敵に笑っているぞぉぉっ? ランキング三十八位を前にして、まさか余裕の笑みなのかっ!?』
「この状況で笑うか。態度だけはすでに五十傑かもしれんな」
「褒め言葉と受け取っておきます」
答えて、俺も剣を構える。闘気の制御は今も十全ではなく、大量の闘気を瞬時に移動させる技はまだまだ安定性に欠ける。だが、五十パーセント程度の出力であれば問題はない。
『それではぁぁっ! 『支配人』ミレウス・ノア 対 『波状猛追』ジラート・アウル! 始めぇぇぇぇっ!』
試合開始の声と同時に、ジラートが石床を蹴って距離を詰めてくる。格闘技を併用する戦い方を思えば当然の反応だろう。
間合いに入るなりジラートは剣を一閃させた。俺がその剣を弾いた時には、すでに相手の身体は俺の左側に回り込んでいた。
「っ!」
直後、独特の足捌きから蹴撃が放たれる。鉄が仕込まれたブーツはそれ自体が鈍器のようなものだ。その一撃を身を捻ってかわすと、お返しとばかりに剣を振るう。
だが、その剣撃は予想外のもので打ち払われた。メリケンサックを装着したジラートの拳だ。
至近距離で剣を弾かれたことによって、俺たちの距離はゼロに近付く。そうなれば格闘技の間合いだ。ならばと、俺はジラートに先んじて彼の喉目がけて掌打を放った。崩れた体勢で繰り出したものの、闘気の補助を受けた掌底はかなりのダメージを与えられるはずだ。
「ち――っ」
何かを感じ取ったのか、ジラートは小さなバックステップで後ろへ下がった。そうして俺の掌底から逃れた彼だったが、その距離は剣の間合いだ。機を逃さず俺は剣を横に薙ぐ。
だが、相手は深く身を沈めて剣の軌道の下をかいくぐった。そして、そのまま距離を詰めて拳や肘による猛ラッシュを浴びせてくる。
『決まったぁぁぁっ! 『波状猛追』の二つ名の由来となった怒涛の連撃がミレウス選手を追い詰めるぅぅぅっ!』
右、左、上、下、右。徒手ならではの速度で繰り出される連撃を、俺は籠手を使って凌ぎ続ける。また、相手は俺の右側に回り込む動きを見せており、位置取りにも気を配る必要があった。
側面から何を仕掛けてくるつもりなのか。その動きを訝しんでいると、ジラートがわずかに間合いを空けた。となれば剣を使うつもりだろう。そんな俺の読み通り、彼は回り込むような動きで右側から剣を振るった。だが――。
違う。これはフェイントだ。体重が乗り切っていない一撃に見切りを付けると、俺は剣ではなく籠手で剣撃を弾く。刹那、ほぼ死角となっていた左側から、凄まじい速さと重さを乗せた蹴撃が繰り出された。
「っ!」
ここへ来てようやく悟る。右へ回り込むような位置取りは、俺の意識を右側へ向けるためのものだったのだろう。
鉄を仕込んだブーツでの蹴りは凄まじい威力を秘めていたが、俺は温存していた剣で相手の力を受け流す。攻撃を防がれたと見るや、ジラートは後ろへ跳んで間合いを離した。
「……見切ったか」
やがて。その表情に驚きの色を浮かべて、彼は唸るように告げた。あの連撃に余程の自信があったのだろう。
「危うく引っ掛けられるところでした」
短く答えると、彼はニヤリと笑顔を浮かべた。
「悪くない反応速度だ。五十傑に比肩するというのも大言壮語ではないかもしれんな」
『おおっとぉぉぉっ!? なんと『波状猛追』がミレウス選手の実力を認めたぁぁぁっ!?』
俺が言葉を返すより早く、実況者が大声を張り上げた。同じく驚愕している観客のどよめきに負けじと、熱を帯びた彼の言葉は続く。
『いったい誰がこの展開を予想したでしょうか! 少年時代から支配人業に邁進してきたミレウス選手に、なぜここまでの戦闘力があるのかぁっ!?』
「――弛まぬ鍛錬を積み上げていたからだ。でなければあの動きはできんよ」
そんな実況の声に答えたのは、俺ではなくジラートだった。実況席へ向けていた視線を俺へ戻して、彼は好戦的な笑みを浮かべる。
「支配人業務をこなしながら、よくそこまで鍛え上げたものだ。驚嘆に値する」
そして、彼は再び剣を構えた。その眼は炯々と輝き、放たれる気迫は先程までの比ではない。そのことに警戒を強めながらも、俺の心は弾み、充実していた。
「行くぞっ!」
独特の足さばきで距離を詰めて、ジラートは剣を繰り出す。そこから始まったのは『波状猛追』の名に相応しい怒涛の連撃だった。
拳や蹴撃のみならず、肘打ちや膝蹴り、時には投げ技すら狙ってくる。さらに剣技も加えられるため、俺は常に相手の全身を捉えるようにして戦っていた。そして……嵐のような連撃を凌いでいた俺は反撃に出た。
「っ!?」
相手の蹴りに合わせて、全力で剣を振るう。鉄を仕込んだブーツを斬ることはできなかったが、体重が乗り切る前に剣を当てたことによって、ジラートの体勢がわずかに崩れた。そして、重心が崩れた片足立ちの状態では、回避行動はままならない。
「そこだ!」
その隙を逃さず、俺は横薙ぎに剣を繰り出した。充分な威力を乗せた剣撃が回避不能な軌跡を描き、相手へと迫る。だが……手応えはない。体勢を崩していたとは思えないジャンプ力で、ジラートは俺の真上へ跳躍したのだ。
「な――!?」
驚く間もなく、俺へ向かって強烈な踵落としが叩き込まれる。重力を味方に付けた強烈な攻撃は、喰らえば大ダメ―ジを受けるだろう。だが、剣を引き戻すのは間に合わない。となれば――。
「おォォっ!」
気合の声とともに、俺の左腕がカッと赤く輝く。赫光に包まれた左腕が凶悪な威力を誇るブーツと激突し、凄まじい衝突音を撒き散らす。
「なに!?」
直後、ジラートは驚愕の声を上げた。まさか正面から受け止められるとは思わなかったのだろう。その意識の間隙を突いて、俺は剣を斬り上げた。
「ちっ――!」
またしても謎の跳躍力で逃れようとしたジラートだったが、俺はとっさに左手で彼のブーツを掴む。さすがに足を掴まれたまま飛ぶことはできなかったようで、今度こそ俺の剣がジラートを斬り裂いた。
「ぐはっ……」
ガードしきれず直撃を受けたジラートは、そのまま試合の間の床へと落下する。地に倒れ伏した彼には、もう戦う力は残されていないようだった。
『な、なんということだぁぁぁっ! ランキング三十八位の『波状猛追』を、デビューしたばかりのミレウス選手が破ったぁぁぁっ! 我々は今、新たな伝説の幕開けを目の当たりにしたのかぁぁぁっ!?』
「うおおおお!? やるじゃねえか!」
「今度の戦いも絶対に見に行くからな!」
実況の声に触発されたのか、観客からも様々な声援が飛んでくる。大きなうねりのような音と感情の渦は、ミレウス・ノアが剣闘士になったことを実感させるものだった。
「まさか……ここまで強いとはな……」
と。そんな弱々しい声が、俺の意識を客席から試合の間へ引き戻した。声の主へ視線を向けると、救護神官の治療を受けながら、ジラートが上半身を起こしたところだった。
「楽しい戦いでした。あの動きは落下速度減衰ですね?」
「もう見抜いたか……大した分析力だ」
そう告げたのは、ジラートの異常な跳躍力の秘密に気付いたからだ。最後に彼の靴を掴んだ時、手に伝わってきた体重はあり得ないほど軽かった。落下速度減衰の効果を持つ魔道具を所持していることは間違いなかった。
「『極光の騎士』が使ってるのを見て、俺も取り入れてみたんだが……まだまだ修行不足か」
そう告げて、彼はふらつく拳を掲げる。その一方で、俺は不意に告げられた『極光の騎士』の名に軽く戸惑っていた。
「だが、必ず使いこなしてみせるさ。……俺なりの『極光の騎士』への追悼だからな」
「そう……ですか」
ようやくその言葉だけを絞り出す。『極光の騎士』は消えてしまったが、その存在はこうして人々の中に残っているのだ。そのことを実感した俺は、不思議な感傷に浸っていた。
ここにクリフがいたなら、どう思うだろうか。『主人らしからぬ感傷ですね』とでも言うのか。それとも『この鎧なら当然のことです』と言うのだろうか。
「この際、お小言でもいいからさ――」
拍手と歓声が渦巻く試合の間の中心で、俺はもう聞こえない声を求めていた。
◆◆◆
剣闘士五十傑の一人。『波状猛追』との試合を終えて帰宅した俺は、いつも通りハイテンションな妹に出迎えられていた。
「お兄ちゃん、おかえりーっ!」
「ただいま、シルヴィ」
バタバタと走ってきたシルヴィに挨拶を返して、リビングへ足を踏み入れる。すると、実の両親であるセインとアリーシャが同時に俺へ視線を向けた。
「やあ、興味深い試合だった」
「ミレウス、おかえりなさい」
二人は息の合った様子で声を掛けてくる。亜人連合との、そしてユグドラシルとの戦いのために駆けつけてくれた彼らは、そのまま俺の家に泊まっていた。
彼らが両親だという実感は今でも乏しいが、シルヴィにとっては間違いなく親であり、地下世界での戦いで大きく貢献してくれたのも事実だ。しばらくの間、二人をこの家に泊めることに異議はなかった。
「あのね、みんな驚いてたよ! すごいって褒めてた!」
「そうか、それは嬉しいな」
おそらく今日の試合のことだろう。そう見当を付けて俺は笑顔を浮かべた。予想は正しかったようで、彼女もまた表情を輝かせる。
「うん! あっという間に上位ランカーになるぞ、って言われてたよ!」
「それなら期待に応えないとな」
まるで自分のことのように喜ぶシルヴィの頭を撫でて、俺はリビングのソファーに腰を下ろした。直後、俺の隣に勢いよく座ったシルヴィは、くるくると表情の変わる顔をこちらへ向けた。
「そう言えば、闘技場でヴィンフリーデお姉ちゃんたちと会ったよ」
「ヴィンフリーデと? ユーゼフと一緒だったのか?」
「ううん。ダグラスおじさんと、エレナお母さんが一緒だった」
「ああ、それはそうか」
ユーゼフとヴィンフリーデの関係は秘密事項だからな。ダグラスさんがいるなら、ヴィンフリーデに声を掛けようとする男も予防できたことだろう。
「そうそう。私もエレナさんに挨拶をさせてもらったわ。会えて本当によかった」
と、そこでアリーシャが話題に入ってくる。彼女からすれば、実子を長年にわたって育ててくれた恩人だ。いずれ紹介しなければと思っていたが、勝手に話が片付いてくれたな。
「あなたのことで『無責任だ』って罵声を浴びせられる覚悟をしていたけど、むしろ『本当に辛かったでしょう』って慰めてくれて」
「まあ、そうだろうな」
その顛末は予想通りのもので、俺が驚きを感じることはなかった。だが、気を張っていたアリーシャは肩透かしもいいところだったのだろう。
「それどころか『ミレウスを預けてくれてありがとう。おかげで、夫は安心して闘技場を託すことができたと思います』って……」
そう告げる彼女は少し涙ぐんでいた。だが、やがて気を取り直したのか、すぐに声のトーンを明るくする。
「それに、ヴィンフリーデさんにも挨拶できたわ。しっかりしたお姉さんがいてくれて、本当によかったわね」
「……ヴィーは俺と同い年だぞ」
初めはスルーしようと思ったのだが、気が付けば言葉が口を衝いて出ていた。思っていた以上に俺は心の狭い人間らしい。
「そうなの? 『ミレウスのことは本当の弟だと思っています』って――」
「俺はヴィーのことを妹だと思ってるけどな」
ヴィンフリーデのやつ……いい機会とばかりにアリーシャに嘘を吹き込んだな。まったく、油断も隙もない幼馴染だ。
「ええ……?」
思わぬ展開だったのだろう。俺の反応にアリーシャが目を白黒させていると、シルヴィが横から助け舟を出した。
「お母さん、大丈夫だよ。お兄ちゃんとヴィンフリーデお姉ちゃんは、ずっと『どっちが年上か』で争ってるから」
娘の説明を受けて、ようやくアリーシャは納得した様子だった。そして、なぜか生温かい視線を俺に向けてくる。
「ところで、闘技場に来たんだろう? 耳はどうしたんだ?」
何か余計なことを言われる予感がして、俺は無理やり話題を変えた。アリーシャはハーフエルフであり、エルフに悪感情を抱く人々が多い帝都では何かと気を遣うはずだ。
シルヴィは目立つ耳を隠すための魔道具を持っているが、あんな高性能な魔道具がいくつもあるとは思えない。
「部分的に透明化の魔術をかけて、その上で帽子を身に着けていたわ。シルヴィにもミレウスにも迷惑をかけたくなかったから」
「お母さん……」
シルヴィが申し訳なさそうな表情を浮かべる。アリーシャがハーフエルフだとバレたところで、俺がエルフの血を引いていることに気付く人物はいないだろう。だが、シルヴィとアリーシャの距離感はどう見ても親子だ。嘘が下手なシルヴィに無理をさせるよりは、アリーシャが変装したほうがマシという判断だと思われた。
「さて……」
どこかしんみりした空気を払いたくなった俺は、それまで無言だった人物に目を向けた。セインだ。俺の意図に気付いたのか、彼は嬉しそうに頷く。
「やっと私の出番のようだね。手合わせ願おうか」
「え? さっき戦ったばかりじゃない」
「だからこそ、だよ。戦いの感覚が鮮明なうちに振り返りをしなくては」
呆れた様子のアリーシャに答えて、セインは剣を手に取った。
◆◆◆
「奥が深いなぁ……」
「それはそうだ。そう簡単に闘気を極められては、私たちの立つ瀬がないさ」
実戦を交えた闘気の修業は二刻以上に及んだ。必要な場所に必要なだけの闘気を発現させる。言葉にすると簡単そうだが、それを自分の動きに合わせて瞬時に行うとなると、どうしても意識をそちらへ持って行かれてしまうのだ。
「分かっているだろうが、相手を斬る瞬間であっても、闘気を剣だけに集中させては駄目だ。動きを支える腕はもちろん、体幹や足を同時に強化しなければならない」
「問題はその配分なんだよなぁ……」
「ミレウスの場合、筋力を補うためにも闘気を使っているからな。余計に配分が難しいのだろう」
その言葉に苦笑を浮かべる。ユーゼフや『大破壊』のように、常時全身に闘気をまとっていれば問題ないのだが、俺の闘気量ではそのうち力が尽きてしまう。
「そういう意味では、やはり筋力強化が近道だな」
「現状だと、とても実戦レベルじゃ――」
そんな会話をしていた時だった。鍛錬場へ繋がる家の裏口がガチャリと開かれる。シルヴィとアリーシャだ。様子を見に来たのだろう。
「まだやってるの? そろそろ休憩を入れたら?」
「ああ、ちょうどいい。アリーシャ。ミレウスはどれくらいで筋力強化を使えるようになりそうかな?」
そう尋ねながらセインは家の裏口へ向かう。外での鍛錬はひとまず終了ということだろう。
「え? もう使えるわよ?」
「……ふむ?」
それは予想外の回答だったようで、セインは目を瞬かせた。
「ミレウスは筋力強化の発動には成功しているもの。問題は魔術の構築に時間がかかることね。実戦レベルには達していないわ」
「それでも大したものだ。アリーシャからエルフ魔術を教わるようになって、まだ日が浅いだろうに」
「前から練習はしていたからな。レティシャはエルフ魔術にも詳しいから、色々と指導してくれたんだ」
その時点では魔術の発動はできなかったが、その下積みがあったからこそ、アリーシャに教わって数日でエルフ魔術を扱うことができたのだろう。俺はそう考えていた。
「レティシャと言うと、あの妖艶なレディのことか。エルフ魔術にも詳しいとは驚いたな」
「おかげで、早いうちから魔術の鍛錬に取り組めたよ」
残る問題は発動速度と集中力の二点だった。今の俺では、筋力強化の発動に非常に長い時間がかかってしまう。しかも魔術構築に集中力の大半を注いでしまうため、剣を使いながら魔術を発動させるなんてもはや夢物語だ。
『極光の騎士』の時は念じるだけでクリフが魔術を起動してくれていたわけで、古代鎧のありがたみを思い知らされる毎日だった。
「今後は高ランクの剣闘士と対戦することになるだろうし、闘気による優位性は弱まるからな。それまでに筋力強化を実戦レベルに持って行きたいが……」
「まともにエルフ魔術を習ってまだ一月程度しか経っていないのよ? 今の時点で筋力強化を使えるだけでも大したものよ」
アリーシャは呆れたように告げる。彼女が言いたいことはよく分かるし、丁寧に根気強く指導してくれていることには感謝している。だが、それでも試合に間に合わせたくなるのは剣闘士の性だろうか。
「十位以内の剣闘士と戦う時までには、なんとかモノにしないとな」
そう自分に言い聞かせて、俺は拳を握り締めた。




