【後日譚】 登録Ⅰ
昼過ぎの第二十八闘技場の支配人室。朝からあれこれと仕事を片付けていた俺は、椅子に座ったまま大きく伸びをした。
「うーん……こんなところか」
「ミレウス、お疲れさま。興行の組み合わせが決まったの?」
「ああ。概ね決まりはしたんだが……」
ヴィンフリーデに歯切れ悪く答える。俺が書いていたリストを覗き込んだ彼女は、すぐその理由に気付いたようだった。
「『紅の歌姫』が出るかどうかは、はっきりさせたいわね」
「ああ。興行に間が空いたから、できればレティシャには出てほしいところだ」
レティシャはユーゼフと並ぶ第二十八闘技場のトップスターだからな。ただ、あの戦いの後は一度も姿を見ていない。無事だと信じてはいるが――。
「それに、救護神官の手配も難しいわね。治癒魔法が使える神官は、みんな騎士団なんかの治療で駆り出されているもの」
ヴィンフリーデがそう告げたのは、救護神官の枠も埋まっていないことに気付いたからだろう。
「そうなんだよな……」
他にもいくつか埋まっていない箇所はあるが、興行をするにあたっては、特にそのあたりの問題を解決する必要がある。そう判断した俺は椅子から立ち上がって上着を羽織る。
「どこへ行くの?」
「まずは魔術ギルドかな。ついでにマーキス神殿にも顔を出すつもりだ」
「分かったわ。会えたらいいわね」
送り出してくれたヴィンフリーデに頷きを返すと、俺は第二十八闘技場を後にした。
◆◆◆
魔術ギルドを訪れた俺は、早々に行き詰まっていた。
「レティシャ導師は不在です。お取次ぎしかねます」
「レティシャ、ギルド依頼のはず」
「エルミラ導師がおっしゃる通り、彼女がギルドの依頼を受けて活動していることは知っています。せめて行き先を教えてもらえませんか?」
「申し訳ありません。私たちは把握しておりません」
「そうですか……」
俺は隣の『蒼竜妃』エルミラと顔を見合わせる。うちの剣闘士であり、レティシャの友人でもある彼女は、魔術ギルドの一員だ。
彼女が同行してくれれば、レティシャの情報を得やすいと思って付いてきてもらったのだが、受付の職員には取り付く島もなかった。
というか、この様子だと本当に知らないのかもしれないな。ギルドの上層部だけが知っている機密事項の可能性が高くなってきた。
「さすがに倒れてはいないだろうが……」
こうなると、次第に彼女のことが心配になってくる。別れ際のレティシャは、疲弊はしていたが命に別条はないように思えた。だが、彼女はユグドラシルを相手に極大魔術を連発していたのだ。命を削って行使した魔術でないと、どうして言えるのか。
「いっそ家で待ち伏せるか?」
「レティシャ、帰ってない。水、代わりにやってる」
「水って……ああ、薬草園の世話か」
エルミラの言葉に納得する。薬草園の世話を彼女に任せている時点で、しばらく家に帰らない可能性は高いな。
「――なんの騒ぎだい?」
と、その時だった。背後から掛けられた声に振り返ると、そこには見知った人物が立っていた。魔術ギルド長にして、この国の最高顧問でもあるディネア導師だ。彼女は俺の顔を見ると、面白そうに口の端を上げる。
「この方々が、レティシャ導師の居場所を教えてほしいと……」
「レティシャの? ははぁ、あの子が恋しくなってきたのかい?」
ディネア導師は俺のことを覚えているようだった。支配人ミレウスとして話をしたことは二、三回しかなかったはずだが、さすが最高顧問といったところか。
「そろそろ興行を再開しますので、『紅の歌姫』の予定を確認しようと思いまして」
「なんだ、そっちかい。そんな理由じゃ会わせてはやれないね」
ディネア導師はばっさりと断る。だが、その言いぶりはレティシャの居場所を知っていることと同義だった。
「支配人、レティシャ心配してた。家で待ち伏せ、予定」
と、そこでエルミラが会話に入ってくる。すると、ディネア導師はクックッ、としわがれた笑い声をもらした。
「最初からそう言やぁいいのさ。……付いてきな」
「え?」
予想外の展開に呆気に取られる。いくらギルド長とは言え、そんなにあっさり機密の一端に触れさせてもいいのだろうか。
「ギ、ギルド長!? いいんですか!?」
受付の職員はその対応に驚きの声を上げる。やはり一般的な対応ではなかったのだろう。だが、その反応を気にした様子もなく、彼女はエルミラに声を掛けた。
「悪いけど、エルミラは遠慮してもらえるかい?」
「何故?」
除け者にされたエルミラは眉を顰めた。怒っているというよりは訝しんでいる様子だったが、納得がいかないことに変わりはない。
「今は時期が悪い。下手すりゃ支配人ごと足止めされちまう」
そう告げて彼女はエルミラの角に視線を向ける。……つまり、そういうことなのだろう。
「……了承」
「すまないね。なに、あの子の様子は支配人に後で聞けばいいさ」
同じく察した様子のエルミラに謝ると、ディネア導師は俺を先導して歩き始めた。そんな彼女に置いて行かれないように、俺は慌ててその後を追う。
目的地を察することができたのは、魔術ギルドを出て大通りに差しかかった時だった。おそらく皇城へ向かっているのだろう。ひょっとすると、皇城の地下から地下世界へ行くのかもしれない。
そう言えば、第二十八闘技場の地下室も地下世界と繋がったままだったな。レティシャに会ったら依頼しようと思っていたため、今は鉄板で穴を塞いだだけの状態だ。
そんなことを考えながら、ディネア導師の後ろを歩く。そのまま皇城の門をくぐり、かなりの深部まで入り込んだところで、彼女はくるりとこちらを向いた。
「もう察しは付いてるだろうけど、機密レベルの任務を遂行するために、あの子は皇城に泊まり込んでる」
「やはりそうでしたか」
「部外者は立ち入り禁止なんだが、あの子たちにも息抜きは必要だろうし……アンタには馬鹿みたいに大きな借りがあるからね。多少の恩は返すさ」
「借り……?」
彼女の真意を測りかねて、ぽつりと呟く。だが、彼女は何も答えることなく、静かに歩き出すのだった。
◆◆◆
そこは広大な空間だった。と言っても、それは物理的な意味ではない。複雑な魔法陣や触媒、そして幾つもの魔道具が並ぶ部屋はそれなりの広さだが、俺の目は別のものに引き付けられていた。
「どこに繋がってるんだ……?」
部屋を巡っている魔力の流れ。そのうち最も大きなうねりは、部屋の外から来て、部屋の外へ出て行っているように視えた。この魔力は途轍もなく大きなスケールで循環している。そんな気がした。
「おや、アンタも視えるのかい?」
そんな俺の呟きに反応して、ディネア導師は興味深そうに俺を見つめる。
「なんとなく、でしかありませんが」
「それでも大したモンさ。隠し玉の多い支配人だ」
そんな話をしながら、彼女は部屋の中央へ歩いていく。そこに見知った姿を見つけて、俺はようやく一息つくことができた。と――。
「ん? どうしてシンシアがいるんだ?」
後ろ姿しか見えていないが、間違いない。艶やかな赤髪の魔術師の隣には、陽の光を思わせる金髪の神官の姿があった。
「レティシャ。それに『天神の巫女』。陣中見舞いだよ」
作業が一段落ついたタイミングで、ディネア導師は二人に声を掛ける。魔法陣の前で座り込んでいた彼女たちは、まったく同じタイミングで後ろを振り向いた。
「え――? ミレウスさん!」
「ミレウス……?」
だが、そこからの二人の反応はまるで異なっていた。シンシアがぱぁっと笑顔を見せる一方で、レティシャは不思議そうに何度も目を瞬かせていた。彼女は俺の顔を不思議そうに見つめたまま、ディネア導師に話しかける。
「ギルド長……私、限界なのかもしれません。あの人の幻が見えるように――」
「安心してくれ。ちゃんと実体もあるぞ」
言って、彼女の前にしゃがみ込む。半ば無意識なのだろうが、差し伸べられたレティシャの手が俺の頬に触れた。
「……あら」
実体を確認したことで、ようやく本物だと認めてもらえたらしい。手の先にある俺の顔をまじまじと見つめてから、彼女はいつもの妖艶な笑みを浮かべた。
「私に会えなくて、我慢できなくなっちゃったのね」
「そうとも言えるな。さすがに心配したから」
「心配じゃないとしても、こまめに会いに来てくれるのがいい男よ?」
楽しそうに笑うレティシャだったが、その笑顔がわずかに曇った。どうしたのかと思う間もなく、彼女がスッと一歩下がる。
「レティシャ、どうし――」
「ごめんなさい。ちょっと待って」
そう断った彼女は、自分の身体を観察しているようだった。危険な魔術の残滓でもあるのだろうか。そう訝しんでいると、答えは横から提示された。シンシアだ。
「レティシャさん、大丈夫です。毎日きちんと身体は清めていますから」
その言葉でようやく理解する。彼女たちは皇城に泊まり込んでいるはずで、何かと不自由があるのだろう。
「――そうね」
レティシャは決まり悪そうに視線を逸らす。彼女のことだ。そういった事情は伏せておきたかったのかもしれない。
「大丈夫だ。いつも通り、いい香りしかしないぞ」
俺はそうフォローしたつもりだったが、レティシャは困ったように笑う。
「矜持の問題よ。どうせなら最高の状態で会いたいじゃない」
「そういうものなのか?」
「ええ。そういうものよ」
そんな話をしていると、ふと横手から声をかけられた。その声の主は――。
「ひょっとして、ミレウス支配人かの?」
「ガロウド神殿長……!?」
思わぬ人物の登場に目を見開く。彼はシンシアと同じく天神マーキスの神官であり、神殿長を務めているこの街の重鎮だ。
「これは失礼しました。マーキス神殿にはいつもお世話に――」
「なに、このような場で畏まる必要はないとも。ここにいる儂は、シンシア司祭の補助役に過ぎぬからのぅ」
好々爺といった風情で、ガロウド神殿長はにこやかに笑う。とは言え、彼はれっきとした神殿長であり、シンシアを見出す神託を受けた人物でもある。神官としての実力はたしかなものなのだろう。
そんなことを考えていた俺は、つい数刻前のことを思い出す。
「本当に不在だったのか……」
「ふむ? 何かあったかね」
「実は、ここに来る前にマーキス神殿へ伺ったんです。シンシアと……いえ、シンシア司祭と連絡を取りたくて」
だが、シンシアとはしばらく連絡が取れないと説明され、ならばガロウド神殿長に会わせてほしいと頼めば、これまた不在だと伝えられたのだ。体よく追い払われたと思っていたのだが、本当だったようだな。
「私を探しに来てくれたんですね。……嬉しいです」
そんな話をしたところ、シンシアがはにかんだ笑みを見せる。そんな彼女に視線を向けた俺は、ふと違和感に気付いた。
「そう言えば、ノアはどこにいるんだ?」
いつもシンシアに抱きかかえられていた、薄緑色の雛。ユグドラシルの制御ユニットとして覚醒した後は、優美な成鳥へ変身を遂げたはずだが……。
「ノアちゃんは、その……出入り禁止になっちゃいました」
「出入り禁止? 何があったんだ?」
思わぬ答えに混乱していると、シンシアは後ろの魔法陣を手で指し示した。
「ミレウスさんもこの魔力の流れが視えますよね? ノアちゃんは、この流れの真ん中でくつろぎ始めちゃったんです」
「なるほど。それは問題……なのか?」
シンシアの説明に首を傾げる。むしろ、作業に追われる彼女たちを癒してくれる気がする。
「それが、ここの魔力を少しずつ吸収していることが分かって……」
「ああ……それはマズいな」
ようやく納得する。三千年以上にわたって魔力を蓄えていたノアだが、その力は先日のユグドラシル戦ですべて使い切っている。その補充をしたかったのかもしれない。
「まあ、これだけの魔力があればなぁ……ちょっと拝借したくなる気持ちも分かる」
巨大な魔力の流れを視ながら呟く。いったい何が目的で、これだけの魔力を集めているのか――そう考えた瞬間、俺はこの魔法陣の正体に気付いた。
「そうか。これはユ――」
「ユグドラシルを封印していた結界です」
俺の言葉に重ねるように、シンシアが答えを口にした。……そうだった。今の俺は『極光の騎士』ではなく、支配人ミレウス・ノアだ。ユグドラシルを封印していたマーキス神の結界を知っているはずがない。
「そうだったのか……」
シンシアのフォローに感謝して、俺は意図的に驚いた表情を浮かべる。だが、疑問はまだ解消されていない。
「ユグドラシルは滅んだのに、まだ結界を維持する必要があるのか?」
「そうね。ミレウスが言う通り、ユグドラシルの封印結界はもう必要ないわ」
疑問に答えてくれたのはレティシャのほうだった。彼女は床を指差して言葉を続ける。
「この下には何があるかしら」
「地下室……いや、地下世界か」
俺の予想は正解だったようで、レティシャは軽く頷く。
「これまで、地下世界はユグドラシルに支えられていたわ。でも、今後はそうはいかない」
「つまり……この神性結界を転用して、地下世界が崩落しないように支える?」
あの広大な地下世界が崩落すれば、その直上にある帝都も致命的なダメージを受けるだろう。そして、その用途であれば、あれだけ膨大な量の魔力を必要とするのも理解できる。
「だが、そんなことができるのか? マーキス神が作り上げた結界なんだろ?」
「ユグドラシルとの戦いの時点で、この結界は一度作り変えたもの。あの時の作業に比べれば大したことじゃないわ」
レティシャはさらりと答える。おそらく歴史に残るレベルの偉業だと思うのだが、彼女にとってはすでに過去の話らしい。
「時間がかかっているのは、シンシアちゃん以外でもこの魔法陣を扱えるようにカスタマイズしているためよ。今のままだと『巫女』しか操作できないもの」
「――まったく。神性結界を乗っ取るなぞ狂気の沙汰じゃぞ。実に興味深い」
……と。そこで口を開いたのは、この部屋でまだ一言も発していなかった唯一の人物だった。魔術の構築においては帝国一との呼び声も高い『魔導災厄』。彼こそが、神性結界の転用に携わる最後の一人だった。
「ルドロス、真似するんじゃないよ? これは『天神の巫女』の協力があったからできたことだからね」
「ふん。そんなことは分かっておる。じゃが、神聖魔法の使い手の協力があれば、神々の手による結界ですら改変可能という事実は大きい。上手くいけば古代遺跡の結界を消し去って、中枢エリアに踏み込むことができるはずじゃ」
「やらかして、また遺跡を爆破されるのはゴメンだよ。そもそも、アンタが高位神官の協力を取りつけられる気がしないね」
「何を言う。古代文明の研究が大きく前進するのじゃぞ? 協力せんわけがなかろう」
「その態度が問題だって、どうして分からないかねえ……」
『魔導災厄』とディネア導師の間を言葉が行き交う。傍から見れば喧嘩腰にすら見えるが、あれでも昔は切磋琢磨した仲らしいからな。他の面子もそう考えているようで、誰一人心配する様子はなかった。
「しかし……支配人は驚かないね」
と、話が終わったのか、ディネア導師は俺に話しかけてきた。
「何のことですか?」
「この結界のことさ。ユグドラシルを封印していたことも、それをレティシャと『天神の巫女』が作り変えたことも、国家レベルの機密事項だからね。……それとも知っていたのかい?」
探るような目が俺を射抜く。だが、俺は涼しい顔で肩をすくめてみせた。
「理解の範疇を超えていたせいで、驚くこともできませんでしたから。ただ、理解できないと口に出すのは格好悪いので、素知らぬ顔をしていただけです」
「……まあ、いいさね」
俺の回答をどう判断したのか、ディネア導師は視線をレティシャたちへ向けた。
「支配人を連れてきたのは、アンタたちの気分転換にもなると思ったからさ。ずっと泊まり込みで作業をしてるんだ。ちょっとは変化がほしいだろう」
アタシたちは茶でも飲んでくるよ。そう告げて、彼女は『魔導災厄』とガロウド神殿長を引き連れて部屋を出て行った。だが……。
「――ああ、そうそう。支配人に言っとくことがある」
一度は閉まった扉が開いて、ディネア導師が扉の隙間から顔を覗かせた。彼女の手招きに従って、俺は扉を挟んでディネア導師と相対する。
「これは年寄りの世迷言だけどねぇ」
そう前置いて、彼女は俺にしか聞こえないボリュームでこそりと告げた。
「もし英雄が凱旋する気になったら、いつでも言いな。便宜は図ってやるよ」
◆◆◆
「ギルド長は忙しないわねぇ」
「でも、気遣ってくださったんですよね。優しい方ですね」
年配の三人がいて気を張っていたのだろう。レティシャとシンシアの表情は、さっきより柔らかくなっていた。
「ところで、さっきはギルド長に何を言われていたの?」
聞いても良ければ、だけど。そう付け加えてレティシャは俺の顔を覗き込んだ。
「ディネア導師は、『極光の騎士』の正体に気付いているかもしれない」
さっき彼女に言われた言葉を伝えると、二人は神妙な面持ちでお互いを見つめる。
「それって、私たちの……」
「何かあったのか?」
あまりイメージできないが、『極光の騎士』の正体について問い詰められたのだろうか。
「むしろ、何もなさすぎたのよ」
返ってきたのは謎掛けのような答えだった。
「大好きな『極光の騎士』が戦死した割に、私たちが平然としていたからでしょうね」
「そうだと思います。私もディネア導師に『極光の騎士が死んだってのに、意外とけろりとしてるね』と驚かれました」
「なるほどな……」
その言葉に納得する。たしかに『極光の騎士』は消滅したが、中身の俺はこうして無事だ。彼女たちの反応が薄いのは当然と言えた。
「でもまあ、最後の言葉もどうとでも取れる言い回しだったからな。『極光の騎士』が帰還する可能性を考えているだけかもしれない」
「そうね。その言いぶりなら、どのみち黙っているつもりでしょうし。ギルド長は借りを返さないと気が済まない人だから、それだけは言っておきたかったんでしょうね」
俺の言葉にレティシャが同調する。問題ないという結論に達したところで、俺は気になっていた話題を振った。
「それで、二人とも体調は大丈夫なのか? いつからここで作業をしてるんだ?」
「もう復調しているわ。さすがに翌日は何もする気になれなくて、まる一日休養していたけれど」
「私もです。本当は、ひと眠りしたら負傷者の救護に当たる予定だったんですけど……起きたら翌々日の朝でした」
皆さんと話が合わなくて戸惑いました、とシンシアは笑う。まる一日眠っていたようだが、どちらかと言えば昏睡していたのかもしれないな。
「そう言うミレウスは大丈夫だったの? 少しは休めた?」
「次の日はさすがに寝坊しかけたな。おかげで慌ただしい闘技場入りだった」
そう答えると、彼女たちは唖然とした表情で俺を見つめた。
「きちんと闘技場に行ったんですね……」
「安否確認を初めとして、やることが多かったからな」
「ミレウスらしいけれど、少しは休んでほしいわね」
レティシャは涼やかに笑ってから、俺の顔を覗き込んでくる。
「ここへ来たのも、私たちが興行に出られるかの確認でしょう? 悪いけどあと五日はかかると思うわ」
「確認を兼ねていたのは事実だが、心配していたのも本当だ」
からかうようなレティシャの言葉を、俺は自信を持って否定した。闘技場のことを抜きにしても彼女たちは大切な存在だ。それは間違いなかった。
「そう? それなら嬉しいわ」
彼女はそう微笑むと、正面から俺の顔をまじまじと見つめた。そして、不思議そうな顔で呟く。
「……なんだか、今日のミレウスは言葉に力があるわね」
「あ、分かります。芯があるというか――いえ、いつものミレウスさんに芯がないという意味じゃないんですけど……」
どうやらシンシアも同じことを感じていたらしい。心当たりがある俺は、二人の洞察力に感心するしかなかった。
「隠していたつもりだったのに、よく分かったな……」
「だって、ミレウスさんのことですから」
「そうね。ここ数年のミレウスのことなら、ヴィンフリーデにだって負けない自信があるわ。……それで、何を隠しているの?」
息の合った様子で告げて、二人は興味深そうに身を乗り出した。俺はくすぐったい気持ちを抑えて、できるだけ冷静に告げようとする。
「実は、剣闘士登録をしようと思ってさ」
「え? もう筋力強化を覚えたの?」
先に反応したのはレティシャだった。彼女は驚きながらも、彼女らしい視点で問いかけてくる。
「いや、まだだ」
「ねえ、ミレウス。『極光の騎士』が抜けて焦る気持ちは分かるけれど……」
そう告げる彼女の表情は困惑と憂いに満ちていた。筋力強化を使えない俺では、帝都の剣闘士五十傑に勝つことは難しい。そのことを知っているからだ。
「ミレウスさんのことですから、きっと何か策があるんだと思います。それに――」
次いでシンシアが口を開く。その顔に穏やかな微笑みを湛えたまま、彼女は言葉を続けた。
「もしそうじゃないとしても、ミレウスさんが本気で剣闘士として戦いたいなら止めません」
そう告げるシンシアは、まるで戦神の神官のようだった。初めは剣闘試合に否定的だった彼女が、そこまで理解してくれている。それが嬉しかった。
「でも……ミレウスさんが試合をする時は、救護室にいさせてくださいね」
そう言葉を結んだシンシアは、約束をするように俺の手を取った。
「さすが『天神の巫女』ね。いえ、さすが救護神官と言うべきかしら」
すると、今度はレティシャが口を開く。その表情は妙に嬉しそうだった。
「でも、それで納得したわ。ミレウスに剣闘士という芯が入ったのね」
「芯、か……」
彼女の表現はしっくりくるものだった。それは幼い頃から追いかけ続けて……そして、いつしか諦めていたもの。
「ああ。そうかもしれないな」
欠けていたピースが埋まるような感覚が。そして、どこまでも行けるかのような昂揚感が、俺を包み込んでいた。




