【後日譚】 戦後
お久しぶりです!
ありがたいことに、本作の後日譚を読みたいとおっしゃる声をちょくちょく頂きますので、今さらながら書いてみました。
全7話の予定ですので、楽しんでもらえれば嬉しいです。
「そうか……もう興行を再開した闘技場もあるのか」
「そうね。地下で戦争があったわりに、地上部分――この帝都自体は大した被害が出ていないもの」
「となれば、剣闘試合の需要は高まっているだろうな。第二十八闘技場も再開に向けて動いているが……」
第二十八闘技場の支配人室で、ヴィンフリーデの報告に思考を巡らせる。地下世界で激闘を繰り広げ、ユグドラシルを滅ぼしたのは五日前のことだ。
戦禍を避けるためにこの街を去った人口はかなりの数に上るが、帝都の経済活動が止まるほどではない。それに、避難した人々はこの数日で続々と戻ってきていた。
「まだ半数近い剣闘士と連絡が取れていないものね」
「そうなんだよなぁ。単に連絡が取れないだけならいいんだが」
地下世界での戦争は広域に及んでおり、地下への行き来を禁じられた今となっては、遺体を確認できる状況ではない。そのため死亡確認すらできないのだ。悲しい話だが、一定期間連絡が取れなければ死亡したと判断するしかなかった。
「レティシャやシンシアちゃんとも連絡が取れてないんでしょう?」
「そうだが、心配はいらないさ。一緒に地上に戻って来たからな。安否確認は済んでる」
彼女たちは帝都でも一、二を争う魔法の使い手だ。地上部は比較的無事だったが、地下世界の戦闘で発生した夥しい死傷者のことを思えば、二人が暇なはずがない。
「とりあえず、生存が確認されている剣闘士で試合を組むか」
俺は手元のリストに視線を落とした。第二十八闘技場に所属している剣闘士の名簿だ。地下世界の戦いに同行してくれた彼らのうち、生還できたのは三分の一ほどだろう。
「ミレウス。また眉間に皺が寄っているわよ。……気持ちは分かるけど」
幼馴染の指摘を受けて、俺は名簿から目を離した。そもそも、内容なんて見るまでもなく頭に入っている。それでも、事あるごとに名簿を眺めてしまうのだ。
「……気分転換に闘技場をうろついてくる」
「ええ。いってらっしゃい」
俺は支配人室を後にすると、施設の状況をあれこれ見て回る。かつての襲撃事件の折には、凄惨な遺体が散らばり、闘技場自体も半壊していた。あの時に比べれば平和そのものと言えるのだろう。
そういう意味では、俺たちは少しずつ進歩しているのかもしれない。
「ん? あれはユーゼフと……モンドールか」
ロビーに足を踏み入れた俺は、第二十八闘技場が擁する上位ランカーたちの姿を見つける。ただ、ユーゼフはともかく、皇子であるモンドールは戦争の後処理に追われているはずだ。わざわざここにいるということは、もしかすると――。
「お! 支配人じゃねえか」
「やあ、ミレウス。見回りかい?」
二人は朗らかに声をかけてくる。軽く手を挙げて挨拶に代えると、俺は二人の様子を観察する。彼らが無理をしていないか確認するためだ。
「二人とも、もう身体のほうは大丈夫か?」
五日前。ユーゼフは竜人の英雄【剛竜】デロギアと一騎打ちを行い、モンドールは崩れかけた戦線を立て直すために奮戦し、どちらも生死の境を彷徨っていた。治癒魔法でも失われた体力や生命力を回復するのは難しいため、常人ならまだ寝込んでいてもおかしくない。
「もちろんさ。フェルナンド神殿長には感謝しているよ」
ユーゼフは元気に答える。無理をしている様子もないから、本当に回復しているのだろう。凄まじい自己治癒能力だな。
「フェルナンドさんには大きな借りを作っちゃったな。第二十八闘技場として寄進しておくか?」
「それを受け取る人じゃないことは、ミレウスが一番知っているだろう?」
ユーゼフは穏やかに笑う。親父の戦友にして、大陸最高クラスの神聖魔法の使い手であるフェルナンドさんは、激闘を制したユーゼフや『大破壊』たちを片っ端から治癒していったのだ。
彼がいなければ、ユーゼフはもちろんのこと、古竜と戦った上位ランカーたちも生きては帰れなかっただろう。
実を言えば、フェルナンドさんたちの魔力枯渇を懸念して、回復用の魔晶石を持ち込んだ実父セインの手柄でもあるのだが……そっちはひとまず置いておこう。
「大地神殿長か。騎士団にもそれくらいの使い手がいりゃあ、もう少し被害は抑えられたんだがな」
ふとモンドールがぼやく。詳しくは聞いていないが、帝国騎士団が地下戦争で大きな被害を出したことは明らかだ。陽気な彼が渋い顔を見せるのも仕方のないことだろう。
「個の武勇に頼らず、組織として強さを発揮するのが騎士団の強みなんだが……難しいもんだぜ」
「今回の戦いは古代魔法文明を相手にしていたようなものです。一国で対抗できるレベルではないでしょう」
「ハハ、そう言ってもらえると助かる」
自嘲気味に呟くモンドールをフォローする。すると、なぜか彼はニヤリと笑顔を見せた。その意味を考えていると、ユーゼフが俺の疑念を解消してくれた。
「ミレウス、気を付けたほうがいいよ。皇子は騎士団を立て直すために、腕の立つ剣闘士を引き抜くつもりだからね」
「へえ?」
ユーゼフの告発に、思わず温度の低い声がもれる。すると、モンドールが焦ったように手をぶんぶんと振った。
「そ、そんなに怒るなって。俺としても第二十八闘技場はホームだと思ってるからよ。仁義を欠くことはしたくねえ。……とはいえ、俺にも立場ってモンがあるからな」
もちろん強制はしない。そう告げるモンドールが嘘をついているようには思えなかった。
「ちなみに、誰に声を掛ける予定ですか?」
そう尋ねると、彼はわざとらしく指を折って数え始める。
「そうだな……戦士なら『金城鉄壁』や『七色投網』。魔術師なら『紅の歌姫』や『無限召喚』あたりだな」
「おや、僕は入っていないのかい? それは不本意だな」
「へっ、お前は『大破壊』と一緒で、騎士団にいても真価を発揮できないタイプだろうよ」
「違いないね」
二人は笑い声を上げる。そして、モンドールはなぜか俺の肩をバン、と強く叩いた。
「そうだ。支配人こそ騎士団に来いよ。レオン団長がお前の名前を出してたぜ。優秀な戦士もほしいが、優秀な将はもっとほしいってよ」
「へえ? それは見込まれたものだね。レオン団長といえば、ディスタ闘技場の地下に一緒に潜入した御仁だったね」
そんなモンドールの言葉を受けて、ユーゼフは興味津々といった様子だった。レオン団長が俺のことを覚えてくれているのは嬉しいが、答えはあの時と変わらない。
「私には第二十八闘技場がありますからね。騎士団にまで手が回りません」
「ま、そう答えると思ったぜ。……あーあ、人材の補充に何年かかるんだろうな」
俺の答えは予期していたのだろう。モンドールは落胆した様子もなく肩をすくめた。
「せめて、『極光の騎士』が生きてりゃなあ……国家予算を傾けてでも説得したのによ」
「国家予算を傾けた程度で、彼が頷くとは思えないけどね」
「まあな。『興味がない』ってあっさり断る様子が目に浮かぶぜ」
そう告げてから、モンドールはふと遠い目で虚空を見つめる。
「……なあ、支配人。『極光の騎士』は本当に戦死したのか?」
「ええ。ユグドラシルと相討ちになったようですね」
彼の問いに頷く。それは、この五日間で幾度となく繰り返したやり取りだった。
古代鎧自体は残っているが、もはや魔法を使うことはできないし――何より、あの鎧に宿っていた相棒はもういない。
そのため、俺はシンシアとレティシャに協力してもらって、『極光の騎士はユグドラシルと相討ちになった』ということにしていた。
「今も信じられねえぜ。いくらユグドラシルが相手とはいえ……あの男がくたばるなんてよ」
「ええ。私もそう思います」
俺はしんみりとした声で答える。俺自身はこうして無事だが、お小言の多い相棒を失ったことは事実だ。その喪失感のおかげで、俺は『極光の騎士を失った支配人』を簡単に演じることができていた。
「ユグドラシルは、神々でさえ倒しきれなかった存在だというからな。むしろ相討ち自体が偉業と言うか、奇跡みたいなモンだと分かっちゃいるんだが――」
「つまり、『極光の騎士』は神話レベルの戦いを繰り広げていたわけだ。そう考えると……ちょっと羨ましいね」
「ユーゼフらしいな」
俺はつい笑い声を上げた。どんな時でもブレない幼馴染に感心していると、今度はモンドールが口を開いた。
「支配人、気を落とすなよ。『極光の騎士』の代わりに俺がランキング一位になってやるからよ。そうすりゃ闘技場ランキングだってぶっちぎりの一位だ」
そう宣言して、俺の背中を強く叩いてくる。どうやら彼なりに俺のことを心配してくれているようだった。その気遣いに思わず口角が上がる。
「へえ? ということは、僕を倒す算段が付いたのかい?」
「これからだ。騎士団の再編成が終わったら、騎士団長を集めて『金閃』の対策会議を開くつもりだからな」
「あはは、それは面白そうだね。ぜひ僕も混ざりたいな」
「お前、騎士団長たちと戦いたいだけだろ?」
二人は陽気に会話を交わす。そんな彼らの言葉を聞きながら……俺はある決意を固めていた。
◆◆◆
ユーゼフやモンドールと話をした翌日。俺は支配人室で集めた情報を整理していた。
「バルノーチス闘技場とマイヤード闘技場は再開が遅れそうだな……支配人が貴族だと、こういう時に影響が出るか」
「どちらの支配人も、貴族として戦後処理に追われているようね。でも、そう悪いことじゃないでしょう?」
そう答えるヴィンフリーデは、むしろホッとしているようだった。第二十八闘技場と闘技場ランキングの一位の座を争っている闘技場たち。その興行が滞っていることは、第二十八闘技場にとってプラスに働く。彼女はそう考えたのだろうし、それは正しい。だが――。
「どっちかでいいから、早めに再開してほしいな」
「どうして?」
その言葉が意外だったようで、彼女は驚いた表情で俺を見つめる。そんなヴィンフリーデに向かって、俺はここ数日の間、ずっと考えていたことを口にした。
「――俺の剣闘士登録をしようと思ってさ」
「……え?」
ヴィンフリーデが呆気に取られた表情を浮かべる。思考停止したというよりは、何から尋ねるべきか悩んでいるのだろう。
「剣闘士の五十傑に入るためには、五十傑と戦うのが一番早いからな。だが、第二十八闘技場の剣闘士と戦っても八百長だと言いがかりをつけられることは目に見えてる」
「その理屈は分かるけれど……あの魔導鎧は壊れたのよね? どうやって――」
そして、彼女が言葉を続けようとした時だった。ノックの音とほぼ同時に、支配人室の扉が開かれる。
「あら、ユーゼフにダグラスさん。ちょうどよかったわ」
部屋に入ってきたのは、第二十八闘技場の看板剣闘士であるユーゼフと、副支配人であるダグラスさんだった。そんな二人の姿を見て、ヴィンフリーデはホッとした様子を見せる。
「ちょうどよかったとは、どういう意味だ?」
ダグラスさんは少し渋い顔で尋ねる。こういう切り出し方をされた案件は、大抵ロクなことがないからだろう。
「それが……ミレウスが『剣闘士登録をする』って言い出したのよ」
ヴィンフリーデは困惑した顔で答える。その言葉に対する二人の反応は似たようなものだった。
「……そうか」
「それは楽しみだね」
それは短く、あっさりとした言葉だった。だが、二人には困惑した様子もなければ心配する雰囲気もない。ただ、当たり前のように受け入れてくれた。
「ちょっと、二人とも!? いいの?」
逆に困惑の度合いを深めたのはヴィンフリーデだ。まるで裏切られたかのように、彼女はまじまじと二人を見つめる。
「ミレウスが剣闘士を目指していたのは、今に始まったことではないからな」
「どっちかと言えば、『ようやくその気になったか』というのが本音さ」
恋人の疑問にそう答えると、ユーゼフは俺のほうへ視線を向けた。
「それでデビュー戦はいつだい? 僕でよかったら喜んで相手になるよ」
「デビュー戦で、剣闘士ランキング第二位と戦うルーキーがどこにいるんだよ。帝都五十傑以上との初戦は、バルノーチスかマイヤードの剣闘士で考えてる」
「ふむ? 第二十八闘技場ではないのか?」
「よその闘技場の五十傑と戦って、急いでランクを上げようと思っています。『極光の騎士』が抜けた穴は大きいですから」
今期の帝都剣闘士ランキングの集計期間は残りわずかであり、それまでに順位を上げる必要がある。ダグラスさんにそう答えると、今度はユーゼフが口を開く。その表情はどこか不満そうに見えた。
「ミレウス。君が試合の間で戦うことには賛成だけど、焦る必要はないさ。どうせ僕が一位になるからね」
宣言して、ユーゼフは腰に提げている愛剣をポンと叩く。
「あの『極光の騎士』と引き分けた、本気の【剛竜】デロギアすら倒したわけだしね。一位はもらったようなものだよ」
「私もユーゼフに賛成だ。焦ってもいい結果は生まれん」
ダグラスさんもユーゼフの肩を持つ。だが――。
「ミレウス。ひょっとして、筋力強化を使えるようになったのかい?」
俺の様子から何かを感じ取ったのだろう。ユーゼフは核心に近いところまで切り込んできた。幼馴染の勘の良さに感心しながらも、俺は首を横に振った。
「いや、まだ練習中だ」
「そうか。その日が待ち遠しいね」
そんな会話をしながら、俺は頬が弛むのを必死で堪えていた。彼らを驚かせようと思って、まだあのことを秘密にしているからだ。それは、俺らしからぬ子供じみた悪戯だった。
「うーん……あのミレウスの顔、何か隠している気がするのよね。戸棚に隠されていたパイを見つけた時と同じ顔をしているもの」
だが。そんな俺の子供じみた悪戯を熟知している幼馴染が、この場にはもう一人いた。下手にボロが出る前にと、俺はさっとソファから立ち上がる。
「詳しいことは鍛錬場で説明するよ」
一方的にそう告げて、俺は鍛錬場へと向かった。
◆◆◆
「お! ユーゼフにダグラスじゃねえか。お前らも鍛錬か?」
「ちょうどいいな。模擬試合をやろうぜ! 神官はいないけどな!」
俺たちが鍛錬場に足を踏み入れると、トレーニング中の剣闘士たちが声を掛けてくる。次いで、俺とヴィンフリーデの存在に気付いた彼らは、興味深そうに口を開く。
「支配人とヴィーちゃんがいるってことは、試合の組み合わせでも決めるのか?」
「そうじゃない。でも、もっと面白いものが見られるさ。――さあ、ミレウス」
剣闘士たちに声を返すと、ユーゼフは練習用の剣を俺に手渡した。そのやり取りを見て、彼らが目を丸くする。
「ん? 支配人が戦うのか?」
「また奇天烈な興行でも思いついたのか?」
模擬試合用の試合の間で、俺はユーゼフと向かい合う。これまでは、この鍛錬場をユーゼフ以外と一緒に使うことはなかった。だが――。
俺は身体に力をこめた。それは筋力でも魔力でもない、新たに得た第三の力だ。その瞬間、俺の全身からカッ、と赤い輝きが迸る。
「――っ!?」
そして。その赤い輝きをよく知るユーゼフは、目を見開いて俺を見つめていた。その瞳に宿るものは驚きと――そして歓喜。
「ミレウス。やっぱり君は最高だよ……!」
その直後。ユーゼフは光のような速さで剣を一閃させた。不意打ちとしか言えない剣撃を、俺は正面から受け止める。
「正面から受け止めたか……いいね」
「及第点はもらえたようだな」
ユーゼフが次撃に移るために剣を引く。その瞬間を狙って、今度は俺から剣を繰り出した。力よりも速さを意識した一撃は、ユーゼフの重心をわずかに乱す。その好機を逃さないために、俺は矢継ぎ早に剣を繰り出していった。
「おい、どういうことだ!? 支配人がユーゼフとまともに打ち合ってるぞ!?」
「あれ、本当に支配人か……!? というか、あの赫光はまさか――」
観戦していた剣闘士が驚きの声を上げる。そんな声を把握しながらも、俺の注意力はすべてユーゼフに向けられていた。
剣を打ち合わせ、身をひねってかわし、剣の軌道のわずか下をかいくぐる。そうして反撃の糸口を掴んでは、相手に猛攻を仕掛ける。俺たちは目まぐるしく位置を入れ替えながら、何度も攻守を交代していた。
「――申し分ないね。今のミレウスとまともにやり合えるのは、上位ランカーだけじゃないかな」
お互いに距離を取ったタイミングで、ユーゼフは満面の笑みを浮かべた。
「まさか、ミレウスが闘気を使うとはね。いつ習得したんだい?」
「樵の真似事をしていた時だ」
「それはまた劇的なタイミングだ。だとしたら、アレにも少しは感謝しないとね」
そう告げてユーゼフは猛々しい笑みを見せる。同時に、彼の身体からも赫光が立ち昇った。
「おい、ユーゼフも本気だぞ!?」
「『大破壊』と互角にやり合った全力モードじゃねえか」
その場にいた誰もが息を呑む。まるで『大破壊』を前にしているかのような圧迫感が、この鍛錬場を支配していた。
「さて……鍛錬場を壊さないように気を付けないとね」
「同感だ。修繕費は馬鹿にならないからな」
そして――再び戦いが始まる。闘気を纏った俺たちの戦いは、さらに激しさを増していた。
赤く輝いた剣を振り下ろし、闘気で威力を増した蹴撃を叩き込む。お互いに相手の防御を崩そうと、身体のすべてを駆使して戦いを繰り広げていた。
「――っ!」
ユーゼフと剣を打ち合わせた瞬間、角度を調整して相手の力を受け流す。そうして生まれたわずかな隙を――駄目だ。ユーゼフの体勢は崩れていない。咄嗟の判断で身を引くと、直前まで俺がいた空間を赤い剣閃が薙いだ。
「なるほどな……」
俺は渋い顔でぼやく。傍目には互角に見える戦いだが、明らかに俺のほうが劣勢だった。それは剣技の差ではなく、純粋な闘気量の差だ。それでもまともに戦えているのは、俺が筋力差のある戦いに慣れているという、それだけの理由だ。
どうすればいい。ユーゼフを油断なく見つめながら、俺は思考の片隅で方策を考える。闘気を習得してから六日しか経っていないとはいえ、闘気が成長するとは限らない。今の俺が最高に力を発揮する方法は――。
「そうか……あれだ」
そして、ふと気付く。少し複雑な気分ではあるが、戦士としての彼は尊敬に値する人物だ。ならば、真似をしない理由はない。
「――っ!?」
覚悟を決めた俺は、剣を構えて距離を詰める。ユーゼフが驚愕しているのは、速度が目に見えて上がったからだろう。その感情につけ込むように、俺は闘気を集中させた腕で剣を横に薙いだ。
「ミレウス、やるじゃないか! 面白い闘気の使い方だ!」
高揚した顔でユーゼフは剣撃を受け止める。回り込んで追撃をかけようと、俺は両足に闘気を集めて――。
「うわっ!?」
次の瞬間、俺は鍛錬場の壁に激突していた。何が起きたのか分からず、俺はヒビの入った壁に手を付いて立ち上がる。
「今のは……自爆か」
そして、遅ればせながら気付く。どうやら闘気を瞬時に集中・移動させることに失敗したらしい。戦っていたユーゼフも、ぽかんとした様子で俺を見ていた。
「びっくりしたよ。突然、ミレウスが真横に吹っ飛んでいったからね。……あれかい? 闘気の制御に失敗したのかな?」
そう問いかけるユーゼフは、すでに闘気を纏っていなかった。対戦はひとまず終了ということだろう。実際、場外負けと言われても文句は言えない。
「そうみたいだ。そう簡単には真似できないか……」
実父セインの得意げな顔がちらついてなんだか悔しいが、彼は超一流の戦士だ。その技を見ただけで扱えると思うのは思い上がりというものだろう。
だが、少なくとも当面の目標にはできる。もともと、技術でスペック不足を乗り越えていたのだ。今回はその対象が闘気になっただけのことだ。
「ともかく、楽しい戦いだったよ。闘気も魔術も発展途上だから、まだまだ成長するだろうしね」
「そう願いたいな」
俺たちは拳を打ち合わせて、模擬戦を終了する。すると、それまで遠巻きにしていた剣闘士たちがわっと寄ってきた。
「支配人、凄えじゃねえか! あのユーゼフと互角に戦うなんてよ!」
「ありゃ闘気だろ!? どうやって覚えたんだ!?」
テンション高く話しかけてきた彼らにもみくちゃにされる。肩や背中をバンバンと叩いてくる剣闘士も多く、俺は闘気で防御しようかと考えたくらいだ。
「後半は押されていたし、ユーゼフには煌めく軌跡だってありますからね。まだまだ修行が足りませんね」
「支配人は謙虚だな! 俺にそれくらいの実力がありゃ、今頃ふんぞり返ってるぜ」
「へっ、お前は今でもふんぞり返ってるだろ。もう少し腹を引っ込めたらどうだ?」
そんなやり取りに笑い声が上がる。支配人だった時には詰められなかった距離が、一気に縮まった気がした。
「……またミレウスに騙されたわ」
その一方で、一人だけふくれっ面をしている人物がいた。ヴィンフリーデだ。『極光の騎士』であることの秘匿に続いて、今度は闘気の存在を秘密にしていたからだろう。
「騙してはいないさ。習得したのは六日前だし、今日まで誰にも話さなかったからな」
なんせレティシャやシンシアにすら打ち明けていないからな。そう告げると、ヴィンフリーデはようやく納得したようだった。まあ、隠していたわけではなくて、打ち明けるきっかけがなかっただけなのだが。
「あ、そうだ」
そう考えたところで、俺は少し大きめの声を出した。
「皆さん。私が闘気を使えることや、さっきの戦いはここだけの秘密でお願いします」
「え? なんでだ? 自慢してやりゃいいじゃねえか」
「その強さなら、たとえ研究されても負けないだろう」
俺の依頼を不思議に思ったようで、場にいる剣闘士たちが首を傾げた。だが、あえて拒否するほどでもないようで、ばらばらと了解した旨の返事が返ってくる。
「あはは。ミレウスが最速で上位ランカーになるためには、剣闘士以外とも戦う必要があるってことさ」
そして、ユーゼフが言葉を捕捉する。察しのいい彼は本当の理由に気付いているようだった。
「おいおい、さっそく上位ランカーを視野に入れてるのか。昔のユーゼフみたいだな」
「まったくだな。ダグラスさん。ここは一つ、五十傑の重鎮として支配人にランキングの厳しさを――って、あれ?」
剣闘士の一人がきょろきょろと周りを見回す。ダグラスさんを探しているのだろう。見れば、ダグラスさんは一人離れて壁際に立っていた。
「ダグラスさ――」
どうしたのかと様子を見に行った剣闘士は、途中で言葉を止めた。そして、戸惑った表情で再び問いかける。
「ダグラスさん、ひょっとして泣いてました?」
「馬っ鹿。どうしてダグラスさんが泣くんだよ」
「いや、なんか目が少し赤いような……気のせいかな」
そんな会話が飛び交った時だった。こちらを向いたダグラスさんは、いつも通りの穏やかな表情を浮かべていた。だが……その鋭い眼光が傍にいる剣闘士を射抜く。
「ふむ、エトワスは寝ぼけているようだな。目を覚ますために模擬戦を行うとしよう」
「え? ちょっと待っ――」
そして、半ば強引に模擬戦が始まった。その様子を、俺はユーゼフや仲間たちと笑い合いながら眺める。それは、かつて焦がれて……そして閉ざされた景色だ。
だが。この場にいるのは、支配人ミレウスでもなければ『極光の騎士』でもない。
一人の剣闘士として、俺はここに立っていた。




