苦闘Ⅰ
「これは……」
数十体はあろうかという人間の亡骸を前にして、俺は顔を顰めた。
『味方のものでしょうか?』
「そうだろうな。別動隊だったんだろう」
ここからユグドラシルまでは、わずかな距離だ。こんな奥深くまで潜入できていたということは、かなり優秀な部隊だったのだろう。前衛と後衛のバランスもよく、装備の質からも精鋭だったことが窺われる。
そんな彼らの遺体を調べて回った俺は、深く溜息をついた。
『主人、どうしました?』
「彼らの半数近くは、剣や魔法以外のもので致命傷を与えられている」
まるで太い木の根に貫かれたように、身体に大穴が空いているものや、鋭い枝が遺体に突き立っているもの。それらは、通常の戦いでは考えにくい傷口だった。
『ユグドラシルですか?』
「ああ、間違いない」
盟主であるヴェイナードを倒したとはいえ、亜人たちの目的であるユグドラシルに防衛部隊を置かないとは考えにくい。亜人とユグドラシルを同時に相手取ることになりそうだった。
「敵の守備隊の戦力にもよるが、厄介だな」
足跡などの戦場の状態や、剣や魔法による致命傷の数、種類から考えると、それなりの人数がいることは間違いない。十人や二十人ということはないだろう。
「ヴェイナードやデロギアに匹敵する戦力がいないことを祈るか……」
『そもそも、ユグドラシルだけでも手に余る難敵ですからねぇ』
そんな話をしながら、俺は別の視点で周囲を見て回った。不自然に密集した樹木はないか。武具防具だけが地面に転がってはいないか。それは、ある意味では最大の懸念だったのだが……。
「植物化はしていないようだな」
シンシアの神聖魔法は、しっかり役目を果たしてくれているようだった。となれば、後は戦うだけだ。
敵部隊はどれくらいの人数で、どの程度の質か。ユグドラシルを交えてどのような攻撃をしてくるか。かつて戦ったユグドラシルの記憶を元に、敵が取ってくるであろう行動をシミュレートする。
と、その時だった。近付いてくる気配に気付いた俺は、音を殺して相手の正体を探る。それなりの人数がいるようだが、もし敵部隊であれば、ここで一戦して数を減らしておくのもいい。
そう判断した俺は、透明化の魔法をかけて近くの茂みに潜む。だが――。
「解呪!」
敵部隊の姿が見えた瞬間、こちらの透明化が無効化される。気配に気付かれたのか、それとも魔力の流れで察知されたのか。
だが、焦ることはなかった。声の主を察した俺は、立ち上がると堂々と茂みから出て行く。
「『極光の騎士』!」
「『極光の騎士』さん……!」
やがて、集団の中から既知の二人が飛び出してくる。レティシャとシンシアだ。となれば、後ろの集団は遊撃隊だろう。どうやら、単騎で最終決戦に臨むという事態は避けられたようだった。
「ご無事だったんですね、よかったです……!」
「ピィ!」
シンシアの声に合わせて、胸元のノアが元気に鳴き声を上げる。相変わらず小さな翼をぱたぱたと羽ばたかせており、その様子は緊張で張り詰めた心を軽くほぐしてくれた。
「本当によかったわ。約束を守ってくれたのね」
レティシャはほっとしたように微笑む。先ほどの張り詰めた表情との落差が、本気で心配していたことを示していた。
「そっちこそ、よく合流してくれたな。助かった」
そうして再会を喜んだ後で、俺はふと遊撃隊のメンバーに疑問を覚える。
「『大破壊』たちは別行動か?」
『大破壊』や『千変万化』といった、上位ランカークラスの剣闘士の姿がないことに気付いた俺は、きょろきょろと周囲を見回した。
「それが――」
彼女たちの説明により、剣闘士の精鋭が古竜と戦うために残ったことを知った俺は、思わず古竜がいる方角に視線を向けた。
「すみません……みなさんのお力になれなくて」
「そんなことはないさ。人材が限られている以上、適材適所は重要だ」
最高クラスの魔術師である二人を、魔法抵抗力が極めて高い古竜と戦わせるよりは、ユグドラシル戦に臨ませたほうが効率的だ。俺は『大破壊』の判断に心から感謝した。
「彼らも、古竜を倒した後はこちらへ合流するつもりでしょうけど……」
その言葉に考え込む。ユーゼフや『大破壊』といった、ユグドラシル戦で特に頼りにしていた戦士を欠いたままでの戦闘は避けたいところだ。
だが、彼らが相手取っているのは、それぞれが伝説クラスの強敵だ。すぐに合流できるとは思えないし、そもそも余力があるかどうかも怪しい。
「ユグドラシルの封印はどんどん弱まっているはずだ。あまりのんびりはしていられない」
それに、帝国騎士団の動向によっては、亜人連合の大軍がこちらへ向かってくる可能性もあるのだ。そうなってしまえば、ユグドラシルと敵軍の挟み撃ちを受けてしまう。
「少し向こうで、全滅した騎士団を見つけた。検分したところでは、亜人とユグドラシルによる攻撃が半々、といったところだ」
「もう使役できているのね。できれば、動き出す前に滅ぼしたかったけれど」
「やっぱり、ほとんど封印は解けているんですね……」
二人は肩を落とす。理想はユグドラシルの復活前に操作鍵を奪い、こちらでユグドラシルを操って自壊させることだったのだが、もはや期待はできないだろう。
「あの、植物化は……」
「大丈夫だ。その形跡はなかった」
そう答えると、シンシアはほっとしたように胸を撫でおろした。彼女としては、そこが最大の心配事だったのだろう。
そして、俺は彼女たちの後ろで座り込んでいる剣闘士たちに視線を向けた。
「ここまで歩き詰めだったんだろう? 小休止を取るか」
「ええ、そのほうがいいと思うわ。みんな疲労が蓄積していると思うから」
「あの、みなさんにも声をかけてあげてくださいね。『極光の騎士』さんの言葉を待っていると思いますから……」
「ああ、もちろんだ」
二人の言葉に頷くと、俺は剣闘士たちの下へ向かった。
◆◆◆
霊樹ユグドラシル。地下世界の天井部を貫き、地上にまで枝葉を伸ばしている植物兵器は、まるで地下世界を支える巨大な柱のように見える。
幹の直径は数十メテルといったところだろうか。そこから幾本もの巨大な枝が生えており、地下世界には不自然なほど青々とした葉を茂らせていた。
「防衛部隊の数が思ったより多いな」
「向こうにしてみれば、計画の要ですから……」
俺たちは森に潜みながら、あれこれと感想を呟く。森の中ではあるが、ユグドラシルの周囲にはぽっかりと開けた空間ができていた。ユグドラシルが付近に根を張っているせいで、他の木は生えにくいのかもしれない。
だが、そのおかげで亜人の防衛部隊の陣容はよく分かった。その数は千人を超えるだろうか。戦場から程遠い場所にもかかわらず、彼らが油断している様子はない。むしろピリピリしているようにすら思えた。
「密集している間に、範囲魔法で数を減らしたいわね」
「剣闘士のみなさんは、少し遅れて突入してもらったほうがいいでしょうか」
と、そんな打ち合わせをしていた時だった。
「――そこに潜んでいるのは分かっている! 出てこい!」
「っ!」
張りのある威圧的な声が響く。声の主は人狼のようで、正確に俺たちのほうを向いていた。居所はバレていると考えていいだろう。
「こっちも百人近い人数だからな……気付かれもするか」
「人狼は鼻もいいから、そっちでバレたのかもしれないわ」
そんな話をしながら、俺は剣を握りしめる。
「――まず、俺が行く。後は適当に頼む」
「ええ、分かったわ」
「は、はい……!」
短くやり取りを交わすと、俺はスッと森から抜け出た。あっさり姿を見せたせいか、防衛隊が軽くどよめく。
「まさか、本当に出てくるとはな。普通なら、奇襲の一つも企むものだろう」
そんな中、声を上げた人狼が笑い声を上げた。態度は軽いが、その物腰には隙がない。強敵と見ていいだろう。そして――。
「雷霆一閃」
「!?」
準備していた魔法剣で、俺は早々に不意打ちを仕掛けた。荒れ狂う紫電の奔流が長剣から放たれ、敵部隊の四分の一ほどを飲み込む。
「敬意のない前口上に興味はない」
「て、てめえ……」
不意打ちを受けた人狼がよろよろと起き上がる。先頭で雷霆一閃を浴びて生き残るとは、やはりかなりの強者だったのだろう。ひょっとすると枝持ちだったのかもしれない。
怒りの形相で飛び掛かってきた人狼の攻撃をかわし、すれ違いざまに剣撃を浴びせる。雷撃を受けて動きに精彩を欠いていた人狼は、血しぶきを上げて倒れ伏した。
「――『焦炎の歌姫』」
その直後。眼前がカっと赤く輝き、敵陣のほぼすべてが業火に飲み込まれた。レティシャの大規模魔術だ。荒れ狂う炎が敵を包み込むだけではなく、四方八方から聞こえるレティシャの呪歌に合わせるように炎が膨れ上がり、至る所で大爆発が起きていた。
「クリフ、行けるか?」
『もちろんです』
凄まじい熱気を感じながらも、俺は次の攻撃準備に移っていた。そして、炎が止む頃合いでもう一撃。
「乾坤一擲」
衝撃波に形を変えた、強力無比な破壊力が続けて敵陣を襲う。吹き飛ばされた兵士たちは次々と背後のユグドラシルの幹に激突し、そのまま崩れ落ちていった。
「意外と効いたか?」
『この鎧が扱える最高クラスの魔法剣ですからね。普通の樹木であれば、すでに木端微塵になっているはずですが……』
そして、乾坤一擲の直撃を受けたのは防衛部隊だけではない。その後ろにいたユグドラシルもまた、その幹の形を大きく歪めていた。
「まあ、前のユグドラシルも、驚異的だったのは再生能力のほうだったからな」
『ですから、乾坤一擲を受けて原型を保っている時点で驚異的だと……』
そんな会話を交わしながら、俺は剣を片手に駆け出す。二度にわたる魔法剣と、レティシャの大魔術。これらを受けながらも、敵兵はそれなりに生き残っていた。
「効果範囲から逃れていただけの敵はともかく、防いだ敵には要注意だな」
『とはいえ、消耗はしているはずです。一気に攻めるが吉かと』
「うおおおおおおおっ!」
と、後方から雄叫びが聞こえてきた。頃合いと見て、突入した剣闘士たちだ。
「いいタイミングだ」
剣闘士たちにちらりと視線を向けてから、再び視線を前方に戻す。妖精族が放った火炎弾を弾き、その懐に潜り込んで一閃。
『主人、右です』
右手から迫る矢を斬り払い、射手の人馬を聖光柱で仕留める。同時に襲い掛かってきた人虎を強化した足で蹴り飛ばし、その隙に上空の翼人を真空波で斬り裂く。
「……!」
起き上がろうとした人虎を雷撃で撃ち抜き、全身鎧のドワーフが振るった斧槍を受け流しながら、俺は周囲をぐるりと見回す。
見たところ、遊撃隊の剣闘士はやや優勢のようだった。先制攻撃の連打で弱っているところへ、強化魔法を重ね掛けした彼らが押し寄せたのだ。その勢いはなかなか止められるものではない。
計算外だったのは、生き残った敵部隊の士気が高いことだろうか。鬼気迫る表情で得物を振るう亜人たちは、あの範囲魔法を目にしても退く様子はなかった。
「小僧が、よそ見とは余裕じゃのッ!」
言いながら突撃してきたドワーフに、俺は火炎球を直撃させた。そして、その隙に――。
「っと」
俺は咄嗟にその場を跳び退いた。火炎球をものともせず、ドワーフが突っ込んできたのだ。さらに二撃、三撃と追撃をかけようとするドワーフの足下に氷蔦を忍ばせ、転倒させると、腐食の枝で鎧ごと相手を叩き斬る。
さらに、次の敵を探した時だった。足下の鳴動に気付いた俺は、慌ててその場を飛び退く。
「地中から根が来る! 警戒しろ!」
同時に大声で叫ぶ。俺の予想は正しかったようで、先ほどまで俺がいた場所を、直径一メテルほどの木の根が貫いた。
「上だ! 葉や枝も凶器になる!」
言うなり、俺は上方に向けて真空波を連射した。こちらへ飛来していた鋭い枝の数々が激突し、粉々に吹き飛ぶ。
「ち――」
だが、その間にも敵の攻撃が止むことはない。俺は降り注ぐ矢を流光盾で受け止めると、あえて前進した。敵に近付いてしまえば、ユグドラシルも味方を巻き込むことになって攻撃しづらいはずだが――。
「……だと思った」
再度地中から伸びた根が、敵味方を問わず暴れまわる。巨大な鞭を振り回しているようなもので、数が多い敵陣にこそ多くの被害が出ていた。
「そういう意味では、ユグドラシルが味方だと言えないこともないか」
俺は敵陣の真ん中に飛び込んでは、ユグドラシルの攻撃を誘発し、敵兵の数を減らしていく。フォルヘイムでユグドラシルと戦った経験のおかげか、その動きを利用することは思いのほか簡単だった。だが――。
『主人、遊撃隊が苦戦しています』
「ユグドラシルの攻撃に気を取られてしまうか……」
もともと、剣闘士は多対多の戦いに慣れていない。まして、地中から襲い来る木の根を警戒しながら地上の敵と戦うのだ。かなりの消耗を強いられているはずだった。
それだけではない。いつしか、戦場には敵の増援が現れていた。身長三メテルほどの、樹皮に覆われた人型。樹人だ。
「うおっ!?」
見た目からは想像もつかない機敏な動きを見せて、樹人が剣闘士に襲い掛かる。その膂力もかなりのもので、正面から攻撃を受け止めた剣闘士は大きく後退していた。
「まずいな……」
そう呟いたのは、樹人の強さに対してではない。現在進行形で、何体もの樹人が地中から生えてきていたからだ。
『こうもニョキニョキ生やされては、さすがに気持ち悪いですね』
「というか、戦力的に厳しいな」
ユグドラシルの加勢に、樹人の参戦。当初は優勢に進めていた戦いは、もはや劣勢と言っていい域に達していた。だが……。
「樹人はユグドラシルに生み出されたものだ。それなら……」
俺はぼそりと呟く。すると、予想通り聞き慣れた鳴き声が響いた。
「ピィィィィィィ!」
魔力を多分に含んだ鳴き声。その波動を浴びた樹人たちは立ち尽くし、ユグドラシルの根は困惑したように動きを止める。ノアだ。
「今だ! ユグドラシルの動きは封じた!」
この機を逃すまいと、俺は声を張り上げた。戦いは生き物だ。流れを生み出さなければ、勢いに呑まれてしまう。
「次元斬!」
俺は長大な射程の魔法剣を起動すると、一気に辺りを薙ぎ払った。敵陣の中ほどまで攻め寄せていたこともあり、その斬撃は隊長格がいるだろう敵陣の奥深くをも斬り裂く。
「うおおお!?」
「『極光の騎士』が一気に行ったぞ!」
狙い通り、剣闘士をある程度鼓舞することはできたらしい。勢いを盛り返した彼らは、再び敵兵を押し始めた。ユグドラシルの攻撃が止んだことも、大きな追い風になっているのだろう。
「意外と倒せたな」
そして、次元斬自体が上げた戦果も満足のいくものだった。まだ戦えそうな者はわずかばかりで、俺と隊長格の間に立ち塞がる人物は十人もいないだろう。
『雷霆一閃と乾坤一擲、それにレティシャ殿の大規模魔術まで受けたのです。これで次元斬まで凌げる者はほぼいないでしょう』
「じゃあ、この隙に敵のリーダーを仕留めるか」
そして、俺は一気に速度を上げた。立ち塞がる敵はすでにダメージを受けていることもあり、魔法剣技で早々に片が付く。そして――。
「お前がリーダー格か?」
俺は、唯一無傷だった妖精族に問いかける。見かけはほっそりとした妙齢の女性だが、蝶のような美しい羽はうっすらと透けており、強大な魔力が感じられた。数度にわたる範囲攻撃を凌いでいることも、それを裏付けている。
「その姿……なるほど、お前が『極光の騎士』とやらか」
彼女は俺を一瞥すると、氷のように冷たい笑みを浮かべた。
「ということは、ヴェイナードは破れたのじゃな。……使えん男よ」
明らかな劣勢に立たされながらも、妖精族は尊大に言い切る。
「……?」
だが、その様子にちぐはぐなものを感じた俺は、内心で首を傾げた。そんな俺に構うことなく、彼女は言葉を続ける。
「まあよい。群れたところで弱者は弱者。妾に釣り合わぬだけよ」
そして、妖精はこちらを値踏みするような視線でねめつける。と――。
「っ!」
俺は高速で剣を振るうと、周囲に展開された魔力構成を片っ端から破壊していく。次々に魔術を生成する速度は見事の一言だが、レティシャの詠唱速度に慣れている俺にとっては、そこまで速いわけでもない。
「ほう……?」
魔術をことごとく破壊された妖精族は、驚いたように俺を見つめた。
「なるほどのぅ。ヴェイナードやデロギアが警戒するだけはある」
「それは光栄だ」
短く答えると、彼女は呆れたように肩をすくめた。
「我らが盟主殿を屠っておいて、よく言う。……じゃが、悪くない」
「……?」
兜の下で眉を顰める。だが、妖精は艶やかに笑った。
「大した戦闘力じゃ。お前と組めば、この場を切り抜けることができるじゃろう」
「何……を……?」
その瞬間、何かが変わった。魔術が発動した形跡はなかったが、心の中を違和感が蝕んでいく。
「さあ、『極光の騎士』。妾とともにこの場を切り抜けようぞ」
「……?」
思考の一部が混濁する。誰が敵で、誰が味方だったか。そこだけが次第に曖昧になっていく。目の前にいる妖精族は味方だったか。わずかに残った理性が目の前の人物こそ敵だと叫び、思考と感情がせめぎ合う。
「――っ!」
と、俺はとっさにその場を跳び退いた。直前まで存在していた空間を、ユグドラシルの木の根が貫いたのだ。
「……惚けていても身の危険には反応するか」
妖精族が感心したように呟く。それと同時に意識がはっきりするが、彼女の瞳を見た瞬間、再びすべてがあやふやになり――。
『主人! 何を呆けているのですか! 今は試合中ですよ!』
「っ!?」
その言葉で、俺は無意識に剣を構えた。クリフの言葉が理性を後押しし、対峙している妖精族に一撃を繰り出す。さらに、避けたところへ巨大な氷柱を生み出し、奇襲を避けきれずバランスを崩したところへ剣を振るう――。
「……ん?」
そこで、俺はようやく我に返った。目の前にいるのは、胸部を血で濡らし膝をついた妖精族だ。だが……。
『主人、どうしたのですか?』
「いや、閃光石のペンダントが見当たらなくて――あれ?」
そこで、ようやく理解する。ここは試合の間ではないし、俺は妖精族のなんらかの精神攻撃を受けていたはずだ。
『おそらく、彼女の生得的な特殊能力でしょう。魅了魔術とは異なるため、察知や防御が困難でした』
クリフは悔しそうに告げる。
「それでも、クリフのおかげで術を破れたんだ。助かった」
俺の意識が曖昧なことを利用して、ここが試合の間だと錯覚させてくれたおかげで、俺はとっさに反応することができたのだ。
『主人が骨の髄まで剣闘士だったおかげです。おそらく、あの妖精族のことを親友や恋人だと思っていたはずですが……』
「試合の間でユーゼフと戦うことなんて、珍しくもなんともないからな」
そんな会話をかわしていると、妖精族が咳き込んだ。
「――げほっ……これだから戦闘狂は……」
「ひどい言われようだな。それより、ユグドラシルの鍵はどこだ?」
俺は彼女に剣を突き付けた。今までのユグドラシルの動きを見る限り、亜人連合の命令を忠実に遂行している。上手く行けば、ユグドラシルを穏便に処理できるかもしれない。
「……ふ。鍵を求めてどうするつもりじゃ」
「ユグドラシルを自壊させる」
「ほう、大きく出たものじゃ。ユグドラシルは古代文明の技術の結晶じゃ。お前が破壊できるとでも思うておるのか?」
「そのために、俺はここに来た」
迷いなく言い切る。すると、妖精族の瞳に思案するような色が浮かんだ。それが何を意味するのか分からず、俺は首を傾げる。と――。
頭上十メテルほどの場所にある枝から、鋭利で巨大な葉が大量に降り注いだ。
「――っ!」
数は多いが、破壊力はそれほどではない。そう判断すると、剣と流光盾でなんとか攻撃を凌いでいく。葉を隠れ蓑に槍のような小枝が撃ち出されることあり、対処には意外と精神力を削られた。
剣を振り続けてどれほど経っただろうか。ようやく見通しのよくなった視界で、俺は再び妖精族を睨みつけて――。
「な……!?」
そして、目を疑った。彼女の腹部を突き破って、一本の鋭い根が生えていたからだ。
「こふっ……!」
妖精族の口元から、大量の血が吐き出される。目の前で繰り広げられた不可解な状況に、俺は混乱していた。なぜ彼女が貫かれたのか。制御を誤ったのか、それとも――。
だが、悩んでいる暇はなかった。女妖精が俺を見つめて叫んだからだ。
「『極光の騎士』、妾を斬れ! この身体が植物になる前に!」
「!?」
それは、あまりに予想外の言葉だった。彼女の言葉の意味は分からないが、切迫した声であることは間違いない。俺の直感が、彼女は本気だと伝えていた。
「早く妾を両断せよ! この根を身体から分離せねば――!」
その必死な形相に押されるように、俺は剣を振り抜いた。その軌跡は弧を描き、希望通りに彼女を上下に両断する。
すると不思議なことが起こった。妖精族は上半身だけで、ふよふよと浮いていたのだ。
「……すまんの、助かった」
かなりのダメージを受けているようだが、彼女はまだ生きていた。人間なら即死だが、妖精族の特性でもあるのだろうか。その切断面には魔力が集まっており、なんらかの応急処置をしている様子だった。
「説明してもらおうか」
「構わぬが……おちおち話も出来ぬな」
言いながら、俺たちは同時に跳び退く。直後まで俺たちがいた空間を、鋭い木の根が抉って消えていった。
「……妾たちは、脅されていたのじゃ」
攻撃をかわしながら、彼女は悔しそうに唇を噛み締める。
「脅されていた……? ヴェイナードか?」
「ユグドラシルじゃ」
「……?」
予想外の返答に沈黙していると、妖精族は言葉を続けた。
「最初の異変は数刻前じゃった。結界を壊したと連絡が入ったタイミングで、ユグドラシルの雰囲気が変わった」
結界を壊した。初めて聞くその事実に、俺は兜の下で顔を顰める。おそらく、天神マーキスが封印のために施した結界のことだろう。帝国にとっても頼みの綱だったはずだ。
「もちろん、その時点では幸先のよいことと、前向きに捉えておった。じゃが……」
そして、彼女は胸元から小枝を取り出す。以前に一度見たことしかないが、ユグドラシルの鍵と見て間違いないだろう。
「お前を仕留めに行くと、ヴェイナードからコレを預かってしばらくした頃。ユグドラシルの思念がこちらへ伝わってきた」
「ユグドラシルの思念?」
「うむ。すべての人型生物を植物に還す。お前たちも草木に変じるがよい、とな」
「ユグドラシルは言語を操るのか?」
思わず声が大きくなる。一般の動植物レベルの知能だと思っていたが、それなら知的レベルはかなりのものだ。討伐はより厄介になったと言えるだろう。
「言語ではなく思念じゃが……アレにはたしかに知性がある。そして、その思念を証明するかのように、数人の仲間が目の前で植物に変えられた」
彼女は淡々と語るが、その顔は青ざめていた。ユグドラシルを復活させておいて、勝手なことを言う。そんな思いが頭をよぎるが、その恐怖は理解できる。
俺もフォルヘイムで経験したが、人々が目の前で植物に変じていく様は、とても直視できるものではない。
「では、あの木は……」
ユグドラシルの近くで、不自然に生えていた木々に視線を送る。すると、妖精族は青ざめたまま頷いた。
「兵士のなれの果てじゃ」
その回答に奥歯を噛み締める。敵とはいえ、植物化の犠牲者が出たことは悔まれた。シンシアの対抗魔法が効かなかったことも気になるが……。
「それなら、なぜお前たちは生かされている?」
「かつてユグドラシルを封印した、人種族をまず滅ぼすべきじゃ。それまでは我らを生かしておいたほうが役に立つ、と命乞いしたのよ。……妖精族の女王としてのプライドを投げうってな」
彼女は自嘲しながら説明する。
「じゃが、結局はこのザマじゃ。お前たちと手を組もうとしたことに気付かれたのかもしれぬ」
「俺たちと手を組む?」
「植物にされるなど、願い下げじゃからな。アレなら死んだほうがマシというもの」
そう告げる顔には、明らかな恐怖と嫌悪の色が浮かんでいた。と――。
「っ!?」
足下の振動に気付いた俺は、根が地表を突き破る直前に跳び退いた。さらに、囲むように迫っていた枝を斬り払い続ける。それは、これまでとは比較にならない攻撃の密度だった。
だが、そうして対処できたのは俺だけだった。同時に狙われた妖精族は、複数の根や枝に身体を貫かれていたのだ。
「っ……!」
彼女はまだ生きているようだったが、その顔面は蒼白だった。やがて、根に貫かれた腕や胸から植物化が進行していく。下半身を失ってもなんとか生きていた彼女だが、さすがに今度は生き延びることはできない様子だった。
「――!」
植物へと変貌していく自らの身体を目の当たりにして、彼女は声にならない悲鳴を上げた。その刹那、俺と彼女の目が合う。
『主人?』
クリフに問いかけられた時には、俺はすでに剣を振るっていた。まだ植物化していない細い首を、一息に斬り落とす。
「感謝……する……ぞ」
首だけになりながらも、妖精族はかすれた声でそう告げる。それが彼女の最期だった。ドサリ、と地表に落ちた彼女の首が動き出すことはなく、切断面から大量の血液が流れ出る。
「あれは……?」
その様子を見ていた俺は、周辺の根や枝の様子がおかしいことに気付いた。誰かを狙うわけでもなければ、動きも遅い。それは、まるで何かを探っているような――。
「そうか!」
俺はこと切れた妖精族の、胴体部分だったものに目を向ける。頭部を失った肉体は、それでも細身の樹木へと転じており、そのすぐ近くには……ユグドラシルの鍵が落ちていた。
「っ!」
鍵を入手しようと、俺は全力で駆け出した。あの鍵があれば、ユグドラシルを操れないまでも、動きを妨害することはできるだろう。そんな思いがあったからだ。
「ちっ――」
だが、最初からそれを目的にしていたユグドラシルのほうが早かった。細い木の根を鍵に巻き付けると、そのまま地中へ引きずり込む。そして――。
「っ!?」
その直後、凄まじい振動が俺たちを襲った。物理的な振動に加えて、魔力的にも大きな異常が生じていることが分かる。
『主人、念のために距離を取ってください。何が起きるか分かりません』
「……そうだな」
クリフの言葉に頷くと、俺はユグドラシルの様子を窺いながら後退した。リーダー格の妖精族が戦死したからか、それともユグドラシルの鳴動に圧されていたのか、いつしか周囲の戦闘も止んでいる。
「ミレウス、何があったの?」
後退した俺を、レティシャやシンシアが迎えてくれる。さすがに一部始終は見えていなかったようで、彼女たちは緊迫した表情で尋ねてきた。
「ユグドラシルの鍵を、奴自身が手に入れた」
「そう……未知数だけれど、いい予感はしないわねぇ」
「はい……でも、なんとかしないと」
険しい表情を浮かべたまま、俺たちは鳴動するユグドラシルを見つめていた。