激闘Ⅶ
「ちっ――!」
俺は剣を振るうと、ヴェイナードが放った数本のダガーを弾き飛ばした。直後、間合いに入り込んできた彼に応戦し、何度も剣を打ち合わせる。
やはり、ヴェイナードの戦闘技術は非常にハイレベルだった。最大の有利である魔工銃を失っても、目立った戦力低下は見られない。むしろ、重くかさばる魔工銃を手放したことで、手数が増え、動きも素早くなっていた。
相手の小剣を弾き、カウンターで剣を横に薙ぐ。片手を地面につくアクロバティックな姿勢で攻撃を避けたヴェイナードは、そのまま蹴撃を繰り出した。
「――っ!」
籠手で蹴りを防ごうとした俺は、無理やり身体を捻じった。その直後、俺がいた空間を鋭い剣先が通り過ぎる。爪先に短剣が仕込んであったのだ。そして、少し体勢が崩れた俺を、ヴェイナードの剣が狙う。
「――氷尖塔」
だが、身体を捻って避けた時点で、その追撃は予想済みだ。ヴェイナードの進路上に巨大な氷柱が現れ、俺の隙を打ち消す。そして剣を強振すると、真空波で眼前の氷柱ごと相手を斬り裂こうとする。
舞い散る氷片の向こうに、身を沈めて真空波を回避したヴェイナードの姿が見える。俺はさらに追撃をかけようとして――。
「ぐっ――!?」
ドン、という衝撃が立て続けに脇腹を貫く。この軌道と威力は、まさか――。
「そういう……ことか……!」
俺は氷柱の向こうにいるヴェイナードを睨みつけた。二挺の魔工銃を構えたヴェイナードは、二十メテルほど離れた場所に立っていた。
「迂闊だった。一つ目の魔工銃を破壊して、油断していたな……」
『破壊した魔工銃に比べれば小ぶりですが、古代鎧の兵装である以上、破壊力は折り紙付きでしょうね』
一つ目の魔工銃を破壊された後のヴェイナードは、ずっと剣や体術しか使っていなかったからな。見事に騙されたわけだ。
治癒での応急処置をクリフに任せて、俺は追撃の銃弾を弾き、避けることに集中する。魔工銃が倍になったことにより、魔弾を避けることは至難の業になっていた。
「さて、どうするか……」
ヴェイナードとの距離は約二十メテル。おそらく、隠し持っていた魔工銃の射程はあまり長くないのだろう。だが、剣で戦いを挑むにはあまりに遠い。
『簡単には距離を詰められないだろうな』
『あの大きな魔工銃と違って、軽そうですからね』
『それに、近付けば近付くほど俺の被弾率は上が――おっと』
クリフとの念話会議中にも、間断なく魔弾が撃ち込まれる。
襲いくる弾丸を弾き、避ける。大した遮蔽物がないせいで、俺は始終気を抜くことができなかった。だが、避けるだけでは何も好転しない。
「く――」
俺は間合いを詰めようと前進するが、その分だけヴェイナードも後退する。先ほどとは違い、銃弾に対処することでこちらの速度が鈍り、いつまでも距離は縮まらなかった。
「流光盾起動」
そして、攻撃は銃弾だけではなかった。炎の奔流が俺を襲い、光槍の雨が降り注ぐ。魔力斬りと流光盾で防御するものの、多彩な攻撃手段が俺の負担をさらに増していた。
「大地の壁」
遮蔽物がないなら作ればいい。そう考えた俺は、幅数メテルの土壁をヴェイナードとの間に複数配置した。だが、魔弾はあっさりと土壁を貫通して俺を襲う。さすがに射撃の精度は落ちたようだが、俺のほうも土壁を貫通するまで軌道が見えないため、むしろ不利だった。
『魔術的強化のない土壁なら、貫通は容易でしょうからねぇ』
『だな。それに、ヴェイナードに近付くという目的からどんどん遠ざかっている』
それが最大の問題だった。遮蔽物に紛れて移動、などという悠長なことをしていては、ヴェイナードに下がる隙を与えているようなものだ。
『やっぱり正面突破しかないか』
だが、無策に突っ込んだところで、さっきの繰り返しになるだけだ。何か方法はないか――そう悩んでいた俺は、ふとあることを思いついた。これなら通用するかもしれない。そこに光明を見出した俺は、実現できる可能性を検討する。
『主人。貴方という人は……いえ、今更ですが』
突然、クリフが念話を伝えてくる。思念が強まっていたせいか、クリフにも思考が伝わっていたようだった。
『可能か?』
『技術的には可能です。ただ、騎士としてどうかとは思いますが――』
『大丈夫だ。俺は騎士じゃなくて剣闘士だからな』
そう答えると、クリフは諦めたように了承した。
『それでは、対象を設定します』
『ああ、頼む』
そうして下準備を終えた俺は、再びヴェイナードへ向かって駆け出した。流光盾を前方に掲げ、盾を貫通しそうなヴェイナードの魔弾は剣で凌ぐ。
「投槍驟雨」
そして、相手の攻撃を捌きながら、並行して攻撃魔法を発動する。距離こそ離れているが、魔法剣技を使うことと大差ないため、難なく扱うことができた。
光の槍が降り注ぎ、炎の竜巻が立ち昇る。それらに対処する必要ができたヴェイナードは、明らかにこちらへの攻撃の手数が減っていた。
このまま押し切ることができるか。そう思いながら、俺は少しずつ相手との距離を詰めていった。だが――。
『器用な奴だな……』
『主人の戦いぶりで学習したのでしょうか』
言いながら、襲い来る炎の槍を氷槍で迎撃する。もちろん、その間も魔弾による攻撃は止まない。ヴェイナードもまた、武器と魔術の同時行使に目覚めつつあるようだった。
「――!」
高圧の大渦を避け、銃撃を剣で防ぐ。縮まりつつあった彼我の距離は十メテル。それ以上の距離が詰められず、再び事態は膠着する。いや、距離が近付いて着弾時間が早まったことを考えると、俺のほうが不利かもしれない。
そんな中、俺は必死で剣を操る。先ほどに倍加する負担に耐えて、それでも前へ進もうと隙を探る。立て続けに銃弾が放たれ、様々な魔術が俺を襲う。そして――。
「断罪」
ヴェイナードが放った、目が眩むような純白の波動が俺の視界を埋め尽くす。範囲魔法であり、完全な回避は難しいだろう。強烈な魔力からすると、威力もかなりのものだと思われた。
――だが。
『クリフ! 今だ!』
俺は念話で指示を出した。重要なことは、魔術の威力ではない。相手を見失いかねない眩さこそが必要だった。
『了解しました』
周囲の景色が突如として塗り替わる。そして――。
俺の目の前には、ヴェイナードが立っていた。
「――っ!?」
直後、俺は渾身の力をこめた一撃を繰り出した。魔法剣を併用した、これまでの人生で最も疾く、鋭い一撃。ヴェイナードは咄嗟に反応したものの、俺の剣撃は防御しようとした魔工銃を断ち割り、右腕を斬り飛ばし――そして、ヴェイナードの胸部を深く斬り裂いた。
「がはっ――!」
大量の血がしぶき、二人の古代鎧を赤く染め上げる。ヴェイナードの左手に残った魔工銃が、コトリ、と地面に落ちた。
「まさか……そんな使い方があったとは……」
ヴェイナードはそう呟くと、糸が切れたように崩れ落ちる。もはや戦闘能力がないことは明らかだった。俺は彼の下へ近寄ると、念のためにと剣を突き付ける。
「今のは……護衛用の緊急転移……ですね?」
仰向けに倒れまま、ヴェイナードは視線だけをこちらへ合わせる。
「ああ。さすが先代主人だな」
もはや隠す必要もないため、俺は素直に認める。近衛騎士団長の古代鎧にのみ存在する、護衛対象への緊急転移機能。かつてフォルヘイムで、シンシアたちを守るために使った魔法だ。
その魔法の護衛対象をヴェイナードに設定することで、俺は転移魔法からの不意打ちを目論んだのだった。
「してやられましたよ……私も騎士気分が抜けていなかった、ということですか……」
かつての近衛騎士団長は、血塗れの顔で自嘲した。
『先代のお気持ちも分かります。まさか、護衛対象に使うべき崇高な魔法を、敵への不意打ちで使うとは……』
さらに、クリフからもお小言めいた念話が伝わってくる。そのいつも通りのやり取りに、張り詰めていた心が少し解れる。
「俺は騎士ではなく、剣闘士だからな。使えるものはなんでも使う」
それは二人に対する答えだった。そして、俺はヴェイナードに問いかける。
「先程ははぐらかされたが、もう一度訊く。……ヴェイナード、なぜルナフレア姫を追放した? 騎士気分が抜けていないお前が、なぜ彼女を遠ざけた」
「嫌な言い方をしますね……。ですが、敗者として……大人しく答えましょう」
ヴェイナードは苦笑しながらも、質問に答えてくれるようだった。
「ユグドラシルの確実な制御には、製作者たる古代王国最後の王の血脈……つまり、エルフの直系王族が必要です。そのため……ユグドラシルが存在する限り、唯一の直系王族である彼女は争いに巻き込まれ、翻弄され続けます」
「お前が守る、という選択肢はなかったのか?」
「そのやり方では、せいぜい四百年しか守れません。……私はハーフエルフですからね」
その言葉で気付く。ルナフレア姫のような純種のエルフは、千年ほど生きるという。ハーフエルフの寿命は平均で五百歳だから、残りの五百年は守りようがない。
「実際に、ユグドラシルを我が物にするため、ルナフレアを拉致しようとした輩はいくらでもいました。種族を問わず、王宮に忍び込んだ賊を、数えきれないほど返り討ちにしましたからね。……賊の中には、エルフ族も多くいましたよ」
彼は自嘲気味に呟く。フォルヘイムの実権を握っていたという情報だったが、その実態は内憂外患で追い詰められていたのかもしれない。
「かと言って、ユグドラシルを滅ぼすことができるとは思えない。アレは神々ですら滅ぼせなかったイレギュラーですからね。……となれば、利用するしかありません」
「だが……この戦いが帝国の勝利に終われば、残ったエルフ族は迫害されるだろう。あまりに危険な賭けだと思うが」
そう告げると、ヴェイナードはなぜか微笑んだ。
「亜人連合の侵攻ですが……どこから情報が漏れたと思いますか?」
「……?」
唐突な質問に、俺は内心で首を傾げる。なんの関係があるというのか。
「フォルヘイムは真っ二つに別れました。ユグドラシルには関わるべきではないという穏健派と、活用して亜人の復権を図るべきだという過激派に」
「まあ、そうだろうな」
そして、穏健派の筆頭がルナフレア姫というわけだ。彼女としては、エルフ族すべてが敵意を持っているわけではないと、そう弁明したいところだろう。
「……ん?」
そう考えた瞬間、はっと気付く。穏健派も、すでに行動を開始していたのだ。
「……マイルたちの本当の目的は、帝国と手を組むことだったのか」
「人間の世界でもよくあるでしょう? 貴族家を存続させるために、国を二分する大きな争いの際には親兄弟で袂を分かち、同じ家がそれぞれの勢力に与する。それと同じです」
「過激派の極秘情報を手土産に、敵意がないことを証明したわけか」
どちらに転んでも王女は安全というわけだな。人間側が勝った場合は、ユグドラシル復活を目論む過激派はヴェイナードとともに一掃される。もし亜人連合が勝利した場合でも、盟主の座にあるヴェイナードなら、どうとでも対応できる。彼らしい計画だった。
「人間種にも益のある話ですよ? この戦いに勝てば、ユグドラシルに執着する過激派を一掃できますからね」
そう微笑むヴェイナードは、嘘をついているようには思えなかった。だからこそ、俺ははっと気付く。
「まさか……過激派を全滅させるために、亜人連合を立ち上げたのか?」
「そこまでの破滅願望はありませんよ。立場の重さは自覚していますから、この戦争で手を抜いたりはしていません。まあ、結局はこうして負けたわけですが……」
ヴェイナードは俺から視線を外すと、ぽつりと呟く。
「三千年前のあの時、心に誓ったのです。もし次があるなら……今度こそ守り切る、と」
そう語る表情は限りなく透明で、静かだった。
「……そうか」
その場面を知っている俺には、それ以上何も言えなかった。あるいは、傍にいるだけでは救えないと、そう考えた末の行動だったのかもしれない。
「――がはっ……!」
平静を保っていたヴェイナードが、口から大量の血を吐いた。話し終えて緊張の糸が切れたのか、それとも状態を維持していた何らかの魔法が切れたのか。なんにせよ、彼の顔には死相が浮き出ていた。
「……会話も厳しく……なってきました、ね」
彼は残った左腕をこちらへ伸ばすと、血塗れの顔でわずかに微笑んだ。
「さ……あ……とどめを……貴方であれ……ば……」
「……」
その言葉に俺は立ち尽くした。ヴェイナードは亜人連合の盟主であり、間接的とはいえ、帝国軍を中心に大きな被害を出した張本人だ。
だが。彼はかつて共に戦った仲間であり、あのクリスハルト団長でもあるのだ。憎しみや立場で剣を振り下ろすには、あまりにも縁が紡がれすぎていた。
『主人……』
微動だにしない俺に、クリフが心配そうに声をかけてくる。だが、彼にとってもヴェイナードは先代の主人なのだ。複雑な気持ちだろう。
どうする。ここで責任者の命を絶つべきか。それとも縁を優先するべきか。そもそも責任とは何か。一瞬とも永劫ともつかない時間の中で、俺は悩み続けて――。
「……っ」
やがて、俺は剣を下ろした。
「……第二十八闘技場の信条は、『死を売り物にしない』だ。決着のついた相手を殺す慣習はない」
そして、兜を外しながら言葉を続ける。
「もう戦闘力がないのは明らかだし、動機を考えればまた敵に回ることもない。このまま死ぬ可能性だって高い」
『……主人?』
「それに、第二十八闘技場で古竜戦のアシストをした借りも返してないな」
『……』
そんな俺の呟きに、クリフから言葉にならない思念が伝わってくる。それに耐えられず、俺は開き直ったように口を開いた。
「そうだ。これは言い訳だ。縁のある相手を自分で殺したくないだけの、俺のエゴだ」
そして、俺はヴェイナードに治癒をかける。全快にはほど遠い、生命をギリギリ維持する程度の治癒魔法。それが俺の精一杯の譲歩だった。
「じゃあな、ヴェイナード。俺はユグドラシルへ向かう。後は好きにしてくれ」
そしてヴェイナードに語りかける。すると、彼は観念したように弱々しく笑った。
「貴方という人は、本当に……」
しばらく沈黙していたヴェイナードは、やがて弱々しく左手を差し伸べた。訝しむ俺に構うことなく、彼は詩でも吟じるように呟く。
「――いつの日か、君が羽ばたかんことを」
「……?」
突然、何を言い出すのか。俺が真意を測りかねていると、彼は遠い目のまま笑った。
「ちょっとした口約束です。過去を厭い、目を背けていた私には果たせませんでしたが……」
そして、ヴェイナードは奥地にそびえ立つユグドラシルに目を向けた。こちらに目を向けることなく、かすれた声で告げる。
「私が言うのもなんですが……ご武運を」
「……ああ」
それが、俺たちが交わした最後の言葉だった。彼の言葉に頷くと、俺は巨樹へ向かって踏み出した。