激闘Ⅵ
【『極光の騎士』 ミレウス・ノア】
「あの狙撃を防ぎきるとは……つくづく貴方には驚かされます」
「高速飛行中の俺に、正確に銃弾を撃ち込んでくるお前もな」
地下世界に燦然と聳え立つ霊樹ユグドラシル。その数キロメテル手前の地点で、俺は一人のハーフエルフと対峙していた。亜人連合の盟主となったヴェイナードだ。
古竜との戦いを妨害するように行われた遠距離狙撃。その狙撃手がヴェイナードだと確信した俺は、流星翔で狙撃地点へ向かい、迎撃の魔弾をなんとか凌いで、ここへ辿り着いたのだった。
「……一人だけか?」
「ええ。手勢を伏せていたとしても、どうせ気付かれるでしょうから」
俺の問いかけに、ヴェイナードは苦笑を浮かべた。まだ兜を被っていないのは、俺が不意打ちを仕掛けても対応できるという自信の表れだろうか。
「気付こうが気付くまいが、俺はここへ来るしかなかった。兵を伏せないほうがおかしいと思うが」
そう告げると、ヴェイナードは曖昧に微笑んだ。
「こちらにも、色々と事情があるのですよ。それに、ミレウス支配人とはもう一度話をしたかったものですから」
「……それはよかった。俺も訊きたいことが山積みでな」
「おや、それは僥倖です」
そして、俺たちの間に沈黙が流れる。俺もヴェイナードも、訊きたいことや話したいことがあるのは事実だろう。だが、かつてのように言葉を交わすことは、もうできない。
「――なぜ、こんなことをした? ユグドラシルを復活させて、お前になんの益がある」
やがて、沈黙を破ったのは俺のほうだった。
「ユグドラシルにどれほどの軍事的価値があるかは、説明するまでもないでしょう?」
「ユグドラシルを使わずとも、お前はフォルヘイムを掌握していたはずだ。こんな賭けに出る必要があったのか?」
「それはフォルヘイムの内側だけを見た場合の話です。外側を見れば、隔離された森や、閉ざされた未来を認識せざるを得ない」
そして、とヴェイナードは言葉を続ける。
「三千年前に奴隷階級であった屈辱への憤りや、ユグドラシルを復活させるかもしれないという恐怖から、人間種は亜人を緩やかに絶滅させようとしています」
「そんなことは……」
言いかけて口を閉ざす。世界情勢のことを大して知らない俺では、肯定も否定もできなかった。
「フォルヘイムに限らず、亜人の人口は減少傾向にあります。種族によっては、集落全体が不審死していたケースもあり、人間種の仕業だと考えられています。」
「だから、立ち上がったと?」
尋ねると、ヴェイナードはかすかに首を揺らした。
「何も、この話は私が立ち上げたものではありません。そもそもの発端は、ドワーフや翼人といった数種族でした。ただ、私が知った頃には、すでに大きな流れになっていましたが」
「それを、お前が乗っ取ったのか」
皮肉交じりで尋ねると、彼は涼しい顔で頷く。
「フォルヘイムは帝国の襲撃で大きな被害を受け、名の知れた幹部も大半が命を落としました。それを好機ととらえたのか、ユグドラシルを差し出せと、脅迫めいた使者が何度も来ましてね」
彼は酷薄に微笑む。その使者の末路は推して知るべし、だな。あまり同情する気にはなれないが。
「それくらいなら、自分で制御したほうがマシというものです」
そして、ヴェイナードはわざとらしく肩をすくめる。一連の流れには驚くしかなかったが、嘘は言っていないだろうという確信もあった。だが……。
「亜人連合の契機と、主義主張は分かった。……それで、お前の真意はどこにある?」
俺は鋭い声色で問いかける。彼が告げた理由は深刻なものだが、ヴェイナードがわざわざ亜人を束ね、戦争を起こす理由としては弱い気がしたからだ。
そして、長い沈黙が訪れる。無言で視線を合わせていると、やがて、ヴェイナードは根負けしたようにぼそりと口を開いた。
「――終わりにしたいのですよ」
「……終わり?」
「この三千年ほど、エルフ族はユグドラシルの幻想にすがり、過去に停滞していました。過去の栄光が忘れられず、いつかは自分たちが大陸の覇者に返り咲くのだと夢想する」
彼からその言葉を聞くのは二度目だった。あの時は、混血種という新しい可能性を迫害する土壌として語っていた気がするが……。
「そして、それは他の亜人たちも同様です。声をかけたところ、二つ返事で乗ってきましたよ。……まあ、最後には私の寝首を掻くつもりでしょうが」
「だとすれば、余計に分からんな。ユグドラシルを是としないお前が、なぜユグドラシルを復活させる」
「ユグドラシルが曖昧な存在だからこそ、彼らは好き勝手な夢を描くのです」
「だからユグドラシルを復活させると?」
俺の言葉にヴェイナードは頷く。
「それに……亜人たちの長となる過程で、私は様々な思いを引き継ぎました。過去に拘泥するだけの存在は論外ですが、再興の時を見据え、着実に歩みを進めてきた者。現状から脱しうる最善手として、あらゆる可能性を模索していた者など……そういった英傑たちが、脈々と意思を受け継ぎ、数千年の歴史の中に埋伏していたのです」
そう語る彼の目は、俺ではなくどこか遠くを見ているようだった。
「その中には、どうしても相容れず、この手で滅ぼした者も存在します。ですが、彼らには彼らの信念がありました。それを蔑ろにするつもりはない」
きっぱりと告げると、ヴェイナードは決意に満ちた瞳を俺に向ける。
「繁栄か滅亡か。いずれにせよ、これが最後です。あやふやな栄光の残滓を追いかけることは、もうありません」
その言葉を受けて、俺は大きく息を吐いた。元より、今さらヴェイナードが翻意するとは思っていない。ただ、理由を聞きたかっただけだ。
「……植物化願望が芽生えた、という答えよりはマシか」
――すべては植物へ還る。人種族をすべて植物へ還してしまおうという、エルフの退廃じみた思想。それに比べれば、まだ理解できる範疇の話だ。
そんな俺の言葉を受けて、ヴェイナードは軽く笑い声を上げた。
「まさか。……ですが、エルフ宮廷にもそういう輩はいましたよ。ユグドラシルの傀儡など不要ですから、軒並み追放してやりましたが」
「ユグドラシルの傀儡?」
聞き逃せない単語に眉を顰める。
「ええ。ユグドラシルは、波長の合うエルフを操っていたようです。と言っても軽い思考の誘導が精一杯のようですが、そのせいで、長年ユグドラシルを復活させたい派閥が幅を利かせていたのですよ」
そんなことがあったのか。だが、その説明は別の疑問へと繋がる。
「ルナフレア姫を追放したのも、それが理由か?」
「…なんのことでしょう」
ヴェイナードの反応が一瞬遅れる。やはりマイルやセインの情報は正しかったのだろう。
「フォルヘイムを掌握したお前が、手を組んでいたルナフレア姫を追放したことは知っている。だからこそ解せん」
正直に言えば、ユグドラシル復活よりも、亜人連合の結成よりも、その追放劇が俺には理解できなかった。なぜなら――。
「あのクリスハルト団長が、ルミエール王女を蔑ろにするとは思えんのでな」
「――!」
今度こそ、ヴェイナードの表情がぴくりと動いた。彼は隠していたつもりかもしれないが、ここまで材料が揃えば、答えに辿り着かないはずがない。
「そもそも、あの時に気付くべきだった。お前がクリフの名前を言い当てた時にな」
起動しなくなった古代鎧を復活させるべく、ヴェイナードがフォルヘイム行きを提案した時。彼は「クリフは元気にやっていますか?」と言った。
だが、三千年前から起動していなかった古代鎧の人工精霊の名前を、たかだか百年しか生きていないヴェイナードが知っているはずがないのだ。シルヴィにも確認したが、古代鎧の人工精霊の名前など、現代には伝わっていないらしい。
「それに、あのイヤリングだ。あれは三千年前、エルフ軍の捕縛隊との戦いで落としたクリスハルトからの贈り物だろう。それが分かるのは本人たちしか――」
「クリフが喋ったのですか?」
ついにとぼけることを諦めたのだろう。俺の言葉を遮って、ヴェイナードが尋ねてくる。その言葉に俺は首を横に振った。
「少しばかり、ユグドラシルに取り込まれてな」
俺は肩をすくめた。何度も繰り返し見せられた、三千前の光景を思い出す。
「そういうことですか……まあ、私が過去をはっきり思い出したのも、ここ最近の話ですからね」
ヴェイナードは複雑な表情を浮かべていた。どうやらユグドラシルの共通認識が作り上げた世界については、なんらかの情報を持っているらしい。ひょっとすると、シンシアと同じように記憶があるのかもしれないな。
「と、ルナフレアのことでしたね。今のフォルヘイムに、彼女の居場所はない。それだけです」
「だが――」
なおも言い募ろうとする俺だったが、それを圧してヴェイナードが口を開く。
「今度は私の番です。……ミレウス支配人、こちら側へ付きませんか?」
「あり得んな。今さら、その誘いに乗ると思っているのか?」
即答するが、ヴェイナードの表情は変わらなかった。
「なにも、貴方のためだけの話ではありません。このまま亜人連合が世界を掌中に収めた場合、人間種はかつてのような奴隷階級に落とされるでしょう」
「……それがどうした」
「貴方が味方になるのであれば、幹部級の待遇を約束しましょう。そうなれば、貴方の庇護の下で人間種を保護することは可能です」
なるほど、俺の利益ではなく、人間種全体を人質に取る形か。さすが嫌なところを突いてくる。だが、答えは決まりきっていた。
「断る。俺がここにいるのは、ユグドラシルを滅ぼすためだ」
きっぱりと言い切る。ヴェイナードの表情が、わずかに動いた気がした。
「……ならば、その古代鎧は返してもらいましょうか。それはエルフ族の技術の結晶ですからね。エルフと敵対する以上、こちらへ戻すのが筋でしょう」
「それも断る。古代鎧は使うし、帝都も守らせてもらう」
「それは強欲というものでしょう」
「支配人は強欲でなければ務まらん」
言いながら、俺たちの間で緊張感が高まっていく。お互いの距離は三メテルほど。一歩踏み込めば剣の間合いだ。だが、魔銃使いのヴェイナードが、すんなり距離を詰めさせるとは思えなかった。
「……不思議なものですね。種族の命運を賭けた戦いを、混血種が担うとは」
「その程度のものだ、ということかもしれんな」
俺の言葉にヴェイナードは小さく笑うと、手にしていた古代鎧の兜を被った。
「まるで試合のようですね。剣闘試合はエルフの精神性からかけ離れた行いですが……個人的には興味があったのですよ」
ヴェイナードが、魔工銃を構える。
「試合に賭けるのは誇りや名誉であって、種族の命運ではないがな」
俺もまた、剣を構える。会話はこれで終わりだと、どちらもが分かっていた。
そして――戦いの幕が上がった。
◆◆◆
最初の一手。それが最も重要だった。剣と銃の戦いとなれば、まず念頭に置くべきは射程の違いであり、当然ながら離れるほどに銃使いが有利になる。
そして、それはヴェイナードにも分かっていたはずだ。だからこそ、俺は距離を取らせないことにすべての集中力を注いでいた。
「っ――!」
まっすぐ最短距離で接近すると、俺は斜め下から斬り上げた。ヴェイナードは後ろへ跳んで避けようとするが、それは予想通りだ。どれだけ素早くバックステップを踏もうと、俺が前進を続ける限り、追いつくことはできる。
俺はヴェイナードを追うように跳び、慣性を乗せた剣を振り下ろした。
「!」
ガキン、という硬質な音とともに剣が弾かれる。魔工銃の長い砲身で受け止められたのだ。直後、ヴェイナードの左手が閃き、小ぶりの剣が俺の胴を狙う。
その攻撃を籠手で弾くと同時に、剣を操ってもう一撃。ヴェイナードは魔工銃を使った接近戦に慣れているようで、器用に俺の攻撃を捌き続けていた。
「ち――」
隙を見つけて距離を取ろうとするヴェイナードと、決して離れまいとする俺の戦いは、位置取りの戦いでもあった。時には逆を突き、相手を揺さぶりながらも、互いに目的を果たそうとする。
だが、剣だけが俺の攻撃手段ではない。ヴェイナードの戦いの呼吸に慣れてきた俺は、剣技に魔術を組み込んでいく。斬りつけると同時に雷撃を放ち、相手が跳び退いた先に聖光柱を立ち昇らせる。
『さすが、魔法防御力が高いな』
『私と同格の古代鎧ですからね。そうでなくては困ります』
『どっちの味方なんだよ……』
攻防の切れ目で呟く。同じ古代鎧だけあって、ヴェイナードに低威力の攻撃魔法は意味がないようだった。高威力の魔法か、もしくは行動を阻害するようなものが有効なのだろう。
「くっ――!?」
何度かの剣撃の応酬の後、俺は次撃を放つ直前に閃光を放った。向こうの兜にも遮光機能はあるだろうが、完全には防げなかったらしい。ヴェイナードの動きに焦りが見えた。
「もらった――!」
反射的に後ろへ下がろうとしたヴェイナードに合わせて、俺は大地の壁を起動した。背中からぶつかりはしなかったが、ヴェイナードに明らかな隙ができる。
「――っ!」
一閃。ヴェイナードの胴を狙った一撃は、その魔工銃に阻まれ――。
「な……!?」
そして、魔工銃を断ち割った。
『機構が複雑とはいえ、あの魔工銃は鎧とほぼ同じ素材なのですが……よく斬れましたね』
『鎧が斬れるんだから、魔工銃が斬れない道理はないさ』
『それは理屈……なのでしょうか』
念話を交わしながら、俺は魔工銃の様子を探る。長い砲身ではなく、基部を破壊したのは意図的なものだ。砲身部分だと、交換される可能性があったからだ。
「……呆れた技量ですね。この銃には硬度強化や表面結界が仕込んであったはずです」
「複雑な機構を持つものほど、耐久力は下がる」
ヴェイナードの呟きを拾うと、俺は言葉を返す。最大の脅威である魔工銃を破壊したことで、少し余裕が生まれていた。
「それを補うための防御措置だったのですが……まさか、防御魔法を破壊してのけるとは」
「……」
俺は沈黙した。魔力斬りは、ヴェイナードも知らない俺の隠し玉だったのだが……あの一瞬で気付くとは大した観察眼だな。
「最初は解呪の魔法剣かと思いましたが、剣には魔力がこもっていませんでしたからね」
だからこそ、私も銃で受けるという選択ミスをしたのですが、とヴェイナードはぼやく。
「投降するか? 魔工銃を失った以上、勝率は下がったはずだ」
「……試してみますか?」
「ああ。それしかないようだからな」
ヴェイナードの不敵な笑みに、俺は気を引き締めた。