激闘Ⅳ
【『大破壊』バルク・ネイモール】
「む……」
また一人、古竜の攻撃を受けて剣闘士が倒れる。すでに半数近くを失った遊撃隊を見渡して、『大破壊』は眉根を寄せた。
古竜と戦闘を開始してから、どれほど経っただろうか。数十名の犠牲を出しておきながら、こちらが得たものは、わずかな情報だけだ。
「無理はしないで! 二の舞になるわ!」
倒れた剣闘士に近付こうとした神官に、『紅の歌姫』が注意を飛ばす。拡声の魔法を使用しているおかげだろう、彼女の声はこの戦場でもよく響いた。
「空間崩壊」
そして、古竜の一部とその周囲の空間がぐにゃりと歪む。紅の歌姫の魔法だ。魔法に疎い『大破壊』でも、凶悪な破壊力を秘めたものだと直感的に分かる。そんな規格外の魔法だった。だが……。
「やっぱり駄目ねぇ……」
大した傷を負っていない古竜の姿を確認したのだろう。紅の歌姫は呆れたように呟く。
「……お前こそ、無理をするな。あの古竜に魔法が効きにくいと言ったのはお前だ」
少し離れた場所にいる彼女に、大きめの声で話しかける。
「あら、お気遣いありがとう。……そうね。時空魔法すら効かないようじゃ、できることも限られてくるわね」
そう。目の前の古竜は、魔法に対する耐性が異常なほど高かった。物理攻撃への防御力も理不尽なほど高いが、魔法についてはそれ以上と言っていいだろう。
そのため、魔術師たちの仕事は補助魔法と治癒魔法に限られていた。
「……指揮を取るだけで充分だ。俺にはできんことだからな」
「悔しいけれど、それしかないわね」
轟音とともに迫る尻尾を回避しながら、紅の歌姫は周囲に指示を飛ばす。剣闘士が大半を占める遊撃隊にあって、元冒険者である彼女の指揮は的確だった。だが――。
「……」
彼女の視線が、ちらりと古竜の奥へ向けられる。狙撃手を倒すため、『極光の騎士』が向かった方向だ。
極光の騎士への対応で手いっぱいになったのか、遊撃隊への狙撃はすっかり止んでいた。だが、聞いた話では、狙撃手はあの男に匹敵する戦士だという。すぐに片付くとは思えなかった。
「――お前、出てきて大丈夫なのか!? 瀕死だっただろ!?」
「大丈夫だ! シンシアちゃんに治してもらった! 今度こそいい所見せてやるぜ!」
そんな声に目を向ければ、少し前に古竜にやられた剣闘士が復帰していた。天神の巫女の治癒魔法はかなりのもので、即死さえしていなければ、大抵の戦士を癒してしまうようだった。
「……」
そんな彼らを見て、大破壊はつい考え込んだ。策を弄することも、指揮を取ることも、彼の性分には合わない。ただ、目の前の敵を倒す。それだけに特化した存在だと、彼は自らを評していた。だが――。
「む……!?」
と、その時だった。大きく地面が揺らぎ、幾つもの地割れが発生する。古竜でも、味方の攻撃によるものでもない。地下世界全体が、大きく揺れていた。
「これは……」
大破壊は遠く離れた巨樹に目をやった。これは自然現象ではなく、あの巨樹によるものだ。そんな確信があった。
「封印とやらが、解かれているのか……?」
人を植物に変えるという、凶悪な古代遺産。それが完全に復活してしまえば、帝都は一瞬で無人の樹海に変わるのだという。信じられない話だが、極光の騎士が言うからには、そうなのだろう。
「ぐぁ……!」
また一人、剣闘士が脱落する。その様を目にしながら、大破壊はとある決断を下した。その内容を伝えようと、彼は紅の歌姫の姿を探す。
「私がそっちへ行くわ!」
その動きに気付いたのだろう。すぐに紅の歌姫の声が聞こえてきた。戦線を支えている大破壊に後退されては困ると思ったのか、彼女は筋力強化をかけた身体で駆けてくる。
「大破壊、どうしたの?」
息を切らせながらも、紅の歌姫は強い意思を宿した瞳で彼を見つめる。そんな彼女に、大破壊はぼそりと告げた。
「――お前は巫女と先に行け」
「……え?」
驚きに目を見開いた紅の歌姫だったが、思い当たることがあったらしい。彼女ははっとした様子でこちらを見た。
「ねえ、大破壊。たしかに、あの人のことは気になるけれど……だからと言って、この戦いから逃げるつもりはないわ」
考えを見透かされたせいか、彼女はばつの悪そうな表情を浮かべていた。だが、大破壊にとってそこは重要ではない。
「勘違いするな。お前の色恋に配慮したわけではない」
大破壊はばっさりと言ってのける。そして、遠くに見えるユグドラシルを破砕柱で指し示した。
「いくらあの男でも、ユグドラシルを単身では倒せまい」
直感で分かる。あの樹は、強さだけでなんとかなる存在ではない。おそらく魔術の助けが必要だ。
「古竜を倒すには時間がかかる。下手をすれば、その前にユグドラシルとの戦いが始まるかもしれん」
今、あの男に死なれるわけにはいかなかった。少なくとも、自分が試合の間の上で『極光の騎士』に勝利するまでは。
「でも……」
「どうせ古竜に魔法は効かん。お前たちを遊ばせる余裕はない」
「彼らの指揮はどうするの?」
「……」
大破壊は沈黙したまま、古竜と戦っている剣闘士たちに視線を向けた。半数近くが倒れたものの、それでもまだ五十人ほど残っている。
指揮を取るだけで一苦労であり、判断を誤れば総崩れになることもあり得るだろう。だが、紅の歌姫以外の人間がその役目をこなせるとは思えなかった。
「……彼らを見殺しにして、あの人の下へ行くわけにはいかないわ。それこそ合わせる顔がないもの」
沈黙した大破壊の様子で察したのか、紅の歌姫は先行を拒否する。その顔は苦悩に満ちていたが、彼がそれを指摘することはなかった。
「……ならば、言葉を変えよう」
そして、その代わりに言葉を紡ぐ。
「足手まといを引き取れ。邪魔だ」
傲慢と取られても仕方ない言葉を、大破壊は顔色一つ変えずに言い切った。そして、愛用の破砕柱を地面に突き立てる。
「俺一人いれば、足止めには困らん。……屠るには少し時間がかかるが」
「それって……」
大破壊の提案には、さすがの紅の歌姫も唖然としたようだった。
「……早く行け。お前たちがいると、同士討ちを警戒して、存分に闘気を使えん」
その言葉はあながち嘘でもない。大破壊が本気を出せば、迂闊な剣闘士は確実に巻き込まれるからだ。また、古竜の動きが読みやすくなるという意味でも、人数が減ることはメリットだった。
「……皆に提案はしてみるわ」
そんな彼の本気が伝わったのか、紅の歌姫はそう言い残すと姿を消した。他の剣闘士たちに伝えに行ったのだろう。やがて、古竜を囲む人数が、一人、また一人と減っていく。
「お待たせ。……あなたの言葉通り、剣闘士たちを連れて先に行っているわ」
やがて姿を見せた紅の歌姫は、剣闘士たちの結論を告げる。だが、大破壊はその言葉に眉を顰めた。
「……まだ残っているが」
かなりの人数が退いたものの、古竜と対峙している剣闘士がゼロになったわけではない。大破壊がこうして余裕を持って会話できているのも、彼らが古竜の注意を引いてくれているからだ。
「あの方たちは、ご自分で決めたのです。ここに残って、あなたと共に戦うと」
そう答えたのは紅の歌姫ではない。いつの間にか隣に来ていた『天神の巫女』の瞳が、まっすぐ大破壊を捉える。
「ここに残ることを希望した方の中から、剣闘士ランキング上位の方だけを選びました。うっかり大破壊さんの攻撃に巻き込まれることはないでしょうし、もしそうなっても仕方がない。そう仰っている方ばかりです」
そう言われて、残っているメンバーに視線を向ける。『剣嵐』や『蒼竜妃』など、たしかにハイレベルな人材だけで構成されているようだった。
「人数も僅かですから、指揮も必要ありません」
「フン。なるほどな」
大破壊は頷くと、手にした破砕柱を一振りした。舞台に文句はない。むしろ、今までより戦いやすくなったくらいだ。
「強化魔法はご入用ですか?」
「闘気と強化魔法は合わん」
穏やかな微笑みを浮かべた天神の巫女に、大破壊は首を横に振って答える。その物言いに気を悪くした様子もなく、彼女は静かに聖印を切った。
「貴方に神々の祝福があらんことを。そして……悔いなき戦いを」
「……ああ」
天神の巫女の祝福に、大破壊は小さく頷きを返した。天神の神官らしからぬ文言だが、悪い気はしない。
「さて……やるか」
破砕柱を握り直した大破壊は、古竜へと踏み出した。
◆◆◆
振るわれた尻尾をかいくぐり、前脚から繰り出された岩石のつぶてを衝撃波で逸らす。
「グォォォゥッ!」
そのまま懐へ潜り込もうとした大破壊に、凶悪な牙を並べた顎が食らいつこうとする。その動きは巨体からは思いもつかないほど素早く、彼はすんでのところで攻撃を避けた。
「威竜撃!」
そして、古竜の意識が大破壊へ向いたと見るなり、剣嵐の凝縮された真空波が古竜の胴体を襲う。
「ォォォッ!」
古竜は怒りの咆哮を上げると、剣嵐に視線を向けた。
「――粘水球」
すると、今度は古竜の巨大な頭部を水球が包み込む。古竜は苛立ったように頭部を振るが、プルプルと震えながらも、水球は頭部に貼り付いたままだった。
「……面白い術を使う」
おそらく蒼竜妃の水魔法だろう。闘技場で使うと盛り下がる可能性があるが、古竜相手に気を遣う必要はない。
ついには前脚を使って水球を引き剥がそうとするが、そもそもが液体であるため、その作業は難航しているようだった。
「へぇ、このまま窒息してくれりゃいいのにな」
そんな声をかけてきたのは剣嵐だった。元ディスタ闘技場の剣闘士同士ということもあり、大破壊にも気軽に声をかけてくる数少ない男だ。
「あ。でもさぁ、このまま古竜が死んだら、『古竜殺し』の称号は蒼竜妃が独り占めすることになるのか……?」
「俺としては、このままくたばっても一向に構わん」
それよりも、極光の騎士があれほど警戒するユグドラシルと一戦交えてみたい。それが大破壊の望みだった。
「ちぇっ、大破壊は武勲だらけだもんなぁ」
剣嵐は口を尖らせる。まだ若い彼にしてみれば、古竜殺しの称号が輝いて見えるのだろう。
「む……少し離れるか」
次第に呼吸が苦しくなってきたのか、もがくように暴れ始めた古竜を見て、大破壊は後ろへ下がる。指示をするまでもなく、他のメンバーも古竜から距離を取っているようだった。と――。
「……吐息か」
古竜が口を開いたかと思うと、灼熱の輝きが空へ向けて放たれた。同時に、頭部を覆っていた水球も蒸発し、古竜は自由を取り戻す。その瞳には怒りの色が映っていた。
「うおおおっ! 破城槌!」
だが、その怒りを意に介さず、古竜の後脚に槍を突き立てた男がいた。第二十八闘技場の槍使いだ。その破壊力はあっぱれなもので、鋼鉄よりも硬い竜鱗を見事に突き通す。
「ァァァッ!」
だが、深々と突き刺さった槍を引き抜こうとする人間を、古竜が黙って見ているはずもなかった。目にも止まらぬ速度で強靭な尾が振るわれ、破城槌を襲う。
「ぐ――!」
直撃は免れたものの、強烈な破壊エネルギーに触れた破城槌は、吹き飛び、数十メテルほど地面を転がる。
「某に任せるのである!」
『戦闘司祭』ベイオルードがすかさず飛び出し、負傷した破城槌の救援に走る。
そんな二人を古竜が狙わないよう、大破壊はまっすぐ駆け出した。
「オオオオオッ!」
他に気を取られている古竜の懐に潜り込むと、闘気を乗せた一撃を放つ。破砕柱を取り落としそうになるほどの反動が両手を襲うが、それだけの甲斐はあったらしい。打撃を与えた竜鱗が二つに割れ、その内側からうっすら血が滲んでいた。
と、頭上の古竜がギロリとこちらを睨みつける。爪か、牙か。この間合いで尻尾による攻撃はないだろうが……そう考えた矢先だった。
「なに!?」
突如として足下が爆発し、大破壊は宙に舞い上げられた。どうやら古竜の周囲が一斉に破裂したようで、広範囲にわたって砂埃が舞っていた。
「ちっ――!」
そんな分析も束の間、大破壊は身体を闘気で覆った。宙に浮いて身動きの取れない大破壊を、古竜の爪が襲ったのだ。
「が――ッ!」
空中では踏ん張ることもできず、大破壊は凄まじい勢いで吹き飛ばされていた。ようやく地面に接触したかと思えば、今度は跳ねるように地面を転がり続ける。
「……」
大破壊は口内の血を吐き出すと、古竜をギロリと睨みつけた。ざっと百メテルは吹き飛ばされただろうか。古竜の一撃は闘気でも防ぎきることができず、彼の身体に深刻なダメージを与えていた。
「今のは……なんだ」
ふらつく頭で考える。初めて見る攻撃だったが、あんな技を他にも隠し持っているのであれば、戦い方を考え直す必要があった。彼は古竜を見据えながら立ち上がり、そして――。
「あらやだ、一体どうなってるの?」
後方からかけられた声に驚く。痛む首を捻って振り返れば、そこには『千変万化』が立っていた。その後ろには、遊撃隊の残りであろう数十人の剣闘士が続いている。敵軍を足止めしていた部隊だろう。
「見ての通り、猛獣狩りだ」
「猛獣、ねえ……」
千変万化は呟くと、百メテルほど離れた古竜を観察する。すると、今度はすぐ後ろにいた『無限召喚』が口を開いた。
「あの……アレって、ひょっとして古竜ですか?」
「そうだ」
「へえ、そうなの……って、ええっ!? 古竜ですって!?」
千変万化が素っ頓狂な声を上げる。敵軍の足止めを終えて、ようやく味方を見つけたと思えば古竜との交戦中だったのだ。驚く気持ちは分かった。
「それにしては、人数が少ないようだけど……まさか」
悪い想像をしたのだろう。千変万化の表情が翳る。
「全滅したわけではない。腕の立つ剣闘士を残して、他は奥へ向かわせた」
「奥へ向かわせたって、どういうこと?」
問いかける千変万化に、これまでの経緯を簡潔に説明する。すると、彼は安心したように息を吐いた。
「よかった、『極光の騎士』も無事なのね。姿が見えないから焦ったわ」
「となると、僕たちはどうしましょうか。古竜退治に参加するか、先へ行った皆さんと合流するか……」
「あの古竜は、数で攻めても犠牲を増やすだけだ。大きく迂回して巨樹を目指せ」
大破壊がストレートに意見を伝えると、千変万化が一歩前へ出た。
「そうね。下手に味方が多いと、却って戦いにくいこともあるもの。……ミロードちゃん、後は頼める?」
「え? それって……」
「ええ、アタシはここに残るわ。伝説の古竜と戦う機会なんて、もう二度とないかもしれないもの」
驚く無限召喚に頷きを返すと、千変万化は大破壊に向き直った。
「というわけで、アタシも仲間に入れてもらうわよ」
「お前なら構わんが……窮地に陥っても助ける余裕はないぞ」
「ええ、分かっているわ。もしもの時は見捨ててもらって結構よ。……じゃ、ちょっと待っててちょうだい」
そう告げると、彼は後ろの剣闘士たちの輪に入っていく。今後の方針を説明しているのだろう。その様子を眺めていると、数人を引き連れて、千変万化が戻ってくる。
「お待たせ。遊撃隊には、奥へ進んでもらうことにしたわ。……ここにいるアタシたちを除いて、ね」
「なに?」
それでは話が違うと、大破壊は千変万化が連れてきた人物を値踏みする。
「『双剣』と『魔鏡』、それに『七色投網』か……」
「不満かしら?」
「……いや」
大破壊は首を横に振った。上位ランカークラスであれば、数が増えることに否はない。
「それに、僕も参加します」
次いで、無限召喚が名乗りを上げる。予想外の申し出に大破壊は目を瞬かせた。
「お前が……?」
「ミロードちゃんの召喚術は大したものよ。魔法そのものをぶつけるわけじゃないから、魔法抵抗力の高い古竜にだって通じると思うわ」
「はい、頑張ります!」
千変万化の後押しを受けて、無限召喚が背筋を伸ばす。
かつては同じ闘技場に所属していたため、千変万化の観察眼の確かさは知っている。その彼が推薦するのであれば、反対する理由はなかった。
「……好きにしろ。フォローはできんぞ」
話はまとまったとばかりに、大破壊は背後を振り返った。そして、古竜を睨みつける。
「それじゃ、先に行くからな」
「皆さんはゆっくりで構いませんよ?」
と、そんな大破壊の脇をすり抜けて、双剣と魔鏡が駆け出した。特に筋力強化を使った双剣の足は速く、双剣を閃かせて古竜に斬りかかる。
「アタシたちも行きましょ?」
「当然だ」
その言葉に頷くと、大破壊は破砕柱を手に駆け出した。