激闘Ⅲ
【『金閃』ユーゼフ・ロマイヤー】
闘気と炎の激突。焦土に穿たれた穴は大陥穽となり、斬り裂かれた大地は谷となる。ユーゼフとデロギアの戦いの余波で、周囲の地形は大きく形を変えていた。
そんな強烈な攻撃の応酬を無数に繰り返し、お互いにかなりの傷を負いながらも、二人の戦闘速度は一切衰えることはなかった。
「――っ!」
強靭な鱗に覆われたデロギアの蹴撃を、闘気を込めた腕で受け流す。ユーゼフはカウンターで軸足目がけて剣を振るうが、デロギアは跳び上がってその攻撃をかわした。
それでも、空中に浮かび上がったデロギアは機敏には動けない。そこを追撃しようと間合いを詰めたユーゼフだが、鞭よりもはるかに強力なデロギアの尻尾が振るわれ、後退を余儀なくされる。
「爆砕破」
ならば、とデロギアが着地する場所に見当をつけて、ユーゼフは地を這う強烈な衝撃波を放った。さすがに回避することはできず、デロギアが姿勢を崩す。そして、その隙を逃すユーゼフではない。
「っ!」
姿勢を崩しながらも、デロギアは的確に攻撃を弾き、反撃してきた。だが、やはり姿勢が崩れた分だけ、その攻撃には力が乗っていない。ユーゼフは剣を強振して無理やりデロギアのガードをこじあけ、そして胸部に斬撃を浴びせる。
「グ……!」
闘気を纏った剣が胸部を斬り裂く。だが、まだ浅い。デロギアは咄嗟に後ろに下がり、ダメージを減らしたのだろう。流れ出る血液を気にする様子もなく、今度はデロギアが猛攻をかけてくる。
「――!」
デロギアの格闘術は、これまでに対戦したどんな剣闘士よりも難敵だった。一撃一撃が重く、それでいて速い。ユーゼフも剣と格闘術を併用するため、圧倒的に手数が不利ということはないが、尻尾の分だけ手数に劣る面は否めなかった。
相手の蹴撃を腕でブロックし、少し下がりながら剣を振るう。ナックルダスターで剣を弾くと、デロギアはすかさず尻尾を振り回した。何度もユーゼフが打ち据えられた連撃だ。だが――。
「ム……?」
デロギアの尾による攻撃は、金色の斬撃に阻まれていた。斬撃を空間に滞留させるユーゼフの奥義煌めく軌跡だ。手数で劣っていようと、それで圧倒されるユーゼフではない。
煌めく軌跡は相手の攻撃を弾く盾であり、迂闊に触れれば斬り裂かれる罠でもある。攻撃に織り交ぜて斬撃を滞留させることにより、ユーゼフは手数の不利を埋めていた。
そうして、どれほど剣や拳を交えただろうか。ふと、デロギアの攻勢が弱まった。
「……?」
訝しむが、その正体が分からない。ユーゼフは相手の蹴撃を剣で弾き、拳に拳を打ち合わせようとする。その瞬間だった。
「く――!?」
ユーゼフの身体に灼熱の痛みが走る。デロギアの五指から、太く鋭い爪が生えてきたのだ。一瞬で生成された竜爪に対応できず、ユーゼフは浅くない傷を負っていた。
「……へぇ。器用なものだね」
幸いなことに、傷は内臓には達していない。とっさに身を引いたことで致命傷は回避できたようだった。腕や胸元から血をこぼしながらも、ユーゼフは口を開く。
「あの間合いから致命傷を避けるとハ……」
意外なことに、デロギアが言葉を返してくる。その目には賞賛の色があった。どうやら必殺のつもりで放った一撃だったらしい。
「職業柄、トリッキーな不意打ちには慣れているからね」
ユーゼフが軽口を返すと、デロギアは重々しく口を開いた。
「侮っていタ。盟友から、警戒すべき戦士は『極光の騎士』と『大破壊』だと聞いていタが……」
「それは不本意だな。その盟友とやらには苦情を申し入れたいね」
「この点につイては同感ダ」
半ば本気で憤慨するユーゼフに、デロギアは理解を示した。意外と素直な竜人の英雄に、ユーゼフは小さく笑う。
「……まあ、侮っていたのは僕も同じさ」
デロギアの思わぬ言葉に、ユーゼフは微笑みを浮かべた。
「ミレウスと引き分けたと聞いて、君に興味を持っていたんだ。こうして、敵陣に残って戦いを挑むくらいにね」
もちろん、遊撃隊を逃がすという目的もあった。だが、それはあくまで二番目の理由でしかない。
「でもその一方で、ミレウスが苦戦したのは、あくまで試合後の連戦による疲労や魔力切れが原因だ。心のどこかでそう思っていたことも事実だ。だが……」
次の瞬間、ユーゼフの全身から膨大な量の闘気が立ち昇った。闘気が気流を生み出し、彼の金髪を揺らす。
「――認めよう。君はミレウスや『大破壊』と並ぶ最高の戦士だ」
そして、剣の切っ先をデロギアに向ける。ユーゼフの顔に浮かんでいるのは、純粋な闘志。それだけだった。
「……汝の心意気は受け取っタ」
そして、デロギアは姿勢を正す。これまでは目に見えなかった何かが、うっすら彼を覆い尽くしていく。これが密度を増した竜気なのだろう。ユーゼフはそう見当を付けた。
「――っ!」
そして、二人は同時に動いた。今まで以上の破壊力を乗せた斬撃が、打撃が互いを襲う。余波が再び大地を穿ち、地形を変えていく。高速戦闘の域に達した二人は、目まぐるしく位置を入れ替えながら攻め、守り、凄まじい激突音を何度も響かせた。
「ちっ――!」
剣と拳を打ち合わせた瞬間に、デロギアが口を開いた。近距離で吐息を吐くつもりだ。察したユーゼフは、とっさに片手を剣から離して、デロギアの顎に下から掌打を叩き込んだ。
「!?」
闘気を乗せた掌打が炸裂し、吐息の軌道が大きく逸れる。吐息が口内で爆発することを期待したのだが、そう上手くはいかないらしい。
だが、体勢を崩したことに変わりはない。ユーゼフは闘気を込めた一撃をデロギアに叩きつけた。
「グ――!」
城門を一撃で粉々にするほどの破壊力を受けて、さしもののデロギアもダメージを受けたようだった。隙を逃すまいと、ユーゼフはさらに追い打ちをかける。と――。
「焦炎獄界」
凄まじい熱気を感じて、剣を振るおうとしていたユーゼフはその場を跳び退いた。みるみるうちにデロギアの周囲が炎に包まれ、陽炎が景色を歪ませる。
「遠距離戦闘がお望みかい?」
だが、ユーゼフは攻撃の手を止めない。赤金色に輝く煌めく軌跡を生み出すと、それらはユーゼフの意に沿って動き出す。
「っ!」
デロギアの背後へ回り込んだ数十個の煌めく軌跡は、やがてデロギアへ襲いかかった。それに合わせてユーゼフも真空波を繰り出し、標的を前後から挟み撃ちにする。
直後、デロギアの周囲で立て続けに大爆発が起こり、もうもうと土煙を舞い上げた。それでもユーゼフは攻撃の手を緩めることなく、さらに十発ほど真空波を撃ち込む。
「どうかな……?」
土煙を眺めながら呟く。最低でも三、四発の攻撃は直撃したはずだが、それだけで倒せる相手だとは思えなかった。まだ薄れぬ土煙の中を見透かそうと、ユーゼフは目を細めた。そして――。
ゾクリ、とした感覚が彼を襲う。
「ぐ――!?」
即座に跳び退いたユーゼフだったが、完全には回避できず、何かに激突されて吹き飛んだ。ゴロゴロと地面を転がったユーゼフは、ようやく慣性をねじ伏せて立ち上がろうとする。
「……やって、くれる」
脇腹に激痛が走り、立ち上がろうとするユーゼフを阻害する。見れば、脇腹は大きく裂けており、さらに高熱によって焼け爛れていた。それは、まるで高熱の馬上槍に突き刺されたような傷口だった。
だが、ナックルダスターしか持たないはずのデロギアが、いったい何の武器を使ったのか。そう訝しんだユーゼフは、相手の姿を見て納得した。デロギアの角が、片方だけ血に塗れていたのだ。
「あれは……」
それだけではない。デロギアの姿は、ほとんど竜そのものだった。突進に向く形態だったからか、それとも全力を出すと竜になるのか。どちらにせよ、全身全霊を込めた突進攻撃だったのだろう。
焦炎獄界を前にして、勝手に遠距離戦闘を決め込んだ自分が迂闊だったのだ。ユーゼフは自分をそう戒めた。
「これは……向こうが一歩リードかな……」
不幸中の幸いか、熱せられた角に突き刺されたせいで、出血はそれなりに収まっている。だが、傷は思いのほか深く、下手をすれば内臓がはみ出す恐れすらあった。
「……マダ立チ上ガルトハ、驚キダ」
竜形態のせいか、さらに発音が聞き取りにくくなった声で、デロギアは口を開いた。
「当然さ。ここで試合を投げ出すようじゃ、ファンに申し訳ないからね」
腹に力を籠めると、ユーゼフはいつもの口調で言い返した。同時に、闘気の一部を脇腹の傷に集める。親父は闘気で呪いの進行を食い止めていた。ならば、血や内臓が出てこないように栓をすることだってできるはずだ。
「……一つ、君に謝ることがある。僕は君を強敵と認めながらも、力を出し切っていなかった」
「ホウ……?」
突然の謝罪に、デロギアは興味深そうな声を上げた。
「ここで力を使い果たしてしまっては、ユグドラシルを斬り刻めないだろう?」
「……意外ダ。汝ハ我と同じく、戦いそのものヲ好んでいるト思ったが」
いつの間にか竜人の姿に戻ったデロギアは、身構える様子もなくユーゼフに答える。その言葉に、ユーゼフは吹っ切れたように頷いた。
「ああ、その通りだよ。……まったく、実に僕らしくない。目の前の戦いに全力を投入しないなんてね」
あるいは、それはミレウスの影響を受けた結果なのかもしれない。それもまた、戦い方の一つだ。だが……今の自分には必要ない。
そして、ユーゼフは脇腹の傷口に意識を向けた。闘気による応急処置は上手くいったようだった。となれば、やることは一つだ。
「さあ、決着をつけようか。『剛竜』デロギア」
「望むところダ。汝という強者がいたこトは、決して忘れヌ」
「そういう台詞は、戦いに勝ってから言うものさ」
そして――二人は同時に地を蹴った。得物同士がぶつかり合い、拳や蹴撃が乱れ飛ぶ。相手の動きを読み合い、隙を突こうと鎬を削る。
「焦炎獄界」
「――っ!」
再びデロギアの身体が高熱を発し、周囲が燃え上がり始める。だが、今度のユーゼフは退かなかった。闘気の防御を厚くすると、熱気に構わず猛攻をかける。
「ッ!?」
その反撃は予想外だったのか、いくつかの斬撃がデロギアの鱗を斬り裂き、血がしぶいた。だが、傷は浅い。ユーゼフは慢心することなく、全力でデロギアと高速戦闘を繰り広げていた。そして――。
「ぬッ!?」
やがて、声を上げたのはデロギアのほうだった。いつしか、彼らの周囲を煌めく軌跡が取り囲んでいたのだ。
「――斬撃結界。どうかな、綺麗だろう?」
斬撃の檻を作り上げたユーゼフは、誇らしげに笑った。本来の斬撃結界は黄金一色だが、これは違う。檻を作り上げているのは赤金色の斬撃だった。
そして――周囲の煌めく軌跡が、一斉にデロギアを目がけて襲い掛かった。デロギアに触れるたび、凶悪な破壊力が解放されて爆発を起こす。
「むゥ……!」
不利を悟ったのだろう、デロギアは斬撃結界から逃れようと囲みの薄い場所を目指す。
「させると思うかい?」
だが、その行動を予測しないユーゼフではない。彼は進路を塞ぐように立ちはだかると、ここぞとばかりに高速で剣を繰り出した。
「ぐッ――!」
ユーゼフの猛攻が次第にデロギアを追い詰めていく。彼の連撃に意識を向ければ煌めく軌跡の直撃を受け、降り注ぐ煌めく軌跡に対応すればユーゼフに斬り裂かれる。そんな状況下で、いつしかデロギアは満身創痍になっていた。
「まだまだっ!」
だが、それでもユーゼフは油断しない。剣を振るうたびに煌めく軌跡を生み出し、斬撃結界が消滅しないよう調整する。
そして、斬撃結界の中でどれほど戦い続けただろうか。有利に戦いを運んでいたユーゼフだったが、やがて異変が生じた。
「がっ――!?」
背後からの攻撃を受けて、ユーゼフは目を見開いた。デロギアは目の前にいる。いくら尻尾にリーチがあるとは言え、背後から襲うことができるとは思えない。それなら、何があったというのか。
謎の攻撃の正体を探りながら、好機とばかりに反撃してくるデロギアの格闘術を捌く。拳撃から肘打ちへと変化した打撃をかわすと、近くにあった煌めく軌跡をぶつける。
だが、煌めく軌跡はデロギアに当たることなく、近くの地面に激突して爆発を起こした。デロギアが避けたのではない。それは、つまり――。
「……あはは」
真相に気付いたユーゼフは、小さく笑い声を上げた。それは余裕から来るものではない。自嘲の笑いだった。同時にズキリ、と頭の奥が痛む。
「なるほどね……真の敵は自分、というやつか」
なんのことはない。高速戦闘と斬撃結界による集中砲火の同時並行は、非常に高度で緻密な作業だ。そんなことを長時間続けていれば、脳が負荷に耐えられなくなるのは当然だった。
だが、デロギアはまだ倒しきれていない。満身創痍ではあるが、竜人はそもそもが頑丈だ。脇腹に大きな傷を負っているユーゼフと、負傷具合で言えば似たようなものだろう。ここで斬撃結界を解除してしまえば、基礎体力に優れるデロギアに分がある。
どうする。ズキズキと痛む頭で、ユーゼフは必至に突破口を探す。この様子では、斬撃結界を維持できるのもあと僅かだろう。となれば、一気に勝負に出るしかない。
「……よし、基本に帰ろう」
やがて、ユーゼフは心を決めた。そして……すべての煌めく軌跡に指示を出す。
「これで最後だ。――結界崩落」
その瞬間、彼らを囲む百以上もの煌めく軌跡が一気に殺到した。もはや精緻な照準どころか、敵味方の区別もない。それは、ただの災害だった。
「――っ!」
その破壊の嵐の中で、ユーゼフはデロギアに斬りかかった。降りしきる煌めく軌跡を弾き飛ばし、相手に向かって突進する。それは、ほとんど自殺行為だった。
「おおおおぉっ!」
だが、並列思考を必要としなくなったユーゼフの動きは鋭かった。襲い来る攻撃を弾き、敵を斬り伏せる。それだけに集中したユーゼフのスピードは、これまでの戦闘速度を凌駕していた。
「ぬッ――!?」
煌めく軌跡への対応に意識を向けていたこと。これまでの戦闘で、ユーゼフの戦闘速度を把握していたと思っていたこと。それらの理由から、デロギアの反応がわずかに遅れる。
そして、両者は交錯して……その頭上に、無数の煌めく軌跡が降り注いだ。殺到する斬撃は轟音とともに大地を抉り、地下世界を震わせる。この世の終わりを思わせる大破壊は、やがて一つの巨大なクレーターを作り上げた。
「く……」
突如として出来上がったクレーター。その中心部には、二人の男が立っていた。一人は、腹部を竜爪で抉られたユーゼフ。そしてもう一人は、その胸に剣を突き立てられたデロギアだった。
「見事……ダ」
デロギアはゴフッと血を吐き出す。剣で貫かれた胸部はもちろんのこと、降り注ぐ煌めく軌跡が何十発も直撃したことで、彼はもはや原型を失いかけていた。
「君こそ……ね……」
そして、対するユーゼフも重傷だった。腹部から脇腹にかけて刻まれた爪傷は非常に深く、内臓まで達していることは明らかだった。ただ、デロギアと異なり、煌めく軌跡の直撃はほんの数発だ。その差もまた、彼らの明暗を分ける要素となっていた。
「耐えて……くれたか……」
かすかに呟くと、ユーゼフは頭上を見上げる。そこには、彼を守るように黄金色の煌めく軌跡が配置されていた。触れて爆発することもなければ、操作する必要もない、本来の煌めく軌跡。耐久力に優れた黄金の軌跡が、降り注ぐ破壊の雨から主を守り抜いたのだった。
「まさカ……人間に斃されルとは……」
そう言いながらも、彼の表情に憤りはない。不思議なことに、晴れ晴れとした表情だった。
「猛々シく生き、猛々シく散る……それコそ我ガ誇り」
彼がどういう人生を送り、どんなことを考えていたのか。それはもう分からない。だが、その言葉が本心であることは、不思議と確信することができた。
「『金閃』。我ガ……好敵手に……祝福……ヲ」
それが、最期の言葉だった。彼の瞳は虚ろになり、突き刺したままの剣が重みを増す。もはや、彼の命は失われていた。
「……さようなら、竜人の英雄デロギア。君との戦いを、僕は生涯忘れないだろう」
ユーゼフはぽつりと呟く。そして、胸に刺さったままの剣を引き抜こうとして――ドサリと倒れた。身体が動かない。視界は暗く、意識にも靄がかかっているようだった。彼もまた、致命傷といっていい傷を負っていた。
「おかしいな……血を流しすぎたか……?」
まだ戦いは終わっていない。ユグドラシルを滅ぼさなければ、わざわざ地下世界へ乗り込んだ意味がない。そう自分を叱咤するが、身体は思うように動かなかった。
「困った……な……」
ユグドラシルとの戦いは、神々の力を直接受け取った聖騎士や巫女でさえ、劣勢だったという。ミレウス一人に押し付けるわけにはいかなかった。ふと、幼馴染の困ったような笑顔が脳裏に浮かぶ。
「ミレ……ウ……待っ……」
何かを掴もうとするように、ユーゼフの手がぴくりと動く。そして――ユーゼフの意識は闇へと溶けていった。