激闘Ⅱ
【『金城鉄壁』ダグラス・フォード】
敵兵の攻撃を剣で捌き、顔面に盾打撃を叩き込む。さらにもう一人を斬り捨てると、ダグラスはさっと後ろへ下がった。
「鉄杭樹海」
その直後、ソリューズの魔法によって、地面から無数の鉄杭が生み出される。広範囲にわたって隆起した一、二メテルほどの鋭い鉄杭が、押し寄せていた敵を殺傷し、足止めする。
「うわぁ……ソリューズの魔法はえげつないわね」
阿鼻叫喚のるつぼと化した敵陣を見て、弓を構えていたローゼが呆れたように呟いた。
「何も好き好んで使ったわけではない。殺傷力でこれに勝る範囲魔法はいくらでもあるが、足止めには最適だ」
ソリューズの言う通りだった。生み出された無数の鉄杭は障害物と化して敵の侵攻を妨げていた。そして何より――。
「死体ならともかく、まだ生きている味方をぞんざいに扱うことはできんだろう」
ソリューズの魔法攻撃は広範で強力だったが、即死した敵兵は意外と少ない。だが、それは意図的なものだったらしい。
「救助活動に人員を割かざるを得ないから、か。なるほどな……」
バタバタと走り回りながらも、こちらへ押し寄せてくる様子のない敵陣を見て、ダグラスは納得したように呟いた。一対一で戦う剣闘士には思いもつかない発想だ。そんな呟きが聞こえたのか、ソリューズが口を開く。
「奴らには悪いが、こちらも聖人君子ではないのでな」
「ちょっと、フェルナンドは聖人の類よ?」
「世間がそう言っているだけで、私はただの神官ですよ」
三人の息の合ったやり取りに頬が緩む。イグナートの冒険者仲間だと聞いた時には驚いたが、彼らとテンポよく会話をする友の姿が目に浮かぶようだった。
「ダグラスさんは大丈夫ですか? ずっとお一人で前衛を務めてくださっていますが」
そして、そんな会話がダグラスへ向けられる。
「問題ない。竜牙兵がカバーしてくれているからな」
周囲に七、八体ほど残っている竜牙兵を見ながら、ダグラスは軽く頷いた。複雑な命令はこなせない竜牙兵だが、能力自体は高い。一般的な兵士であれば、なかなか守りを抜くことはできないだろう。
「でも、囮とかの戦術的な動きはダグラスがやってくれたでしょ? 竜牙兵じゃこうはいかないもの」
「お前は竜牙兵に多くを求めすぎだ」
「別にソリューズの竜牙兵を馬鹿にしてるわけじゃないわよ。ダグラスを褒めてるの!」
「……ともあれ、ダグラスさんにはとても感謝しています。深刻な前衛不足でしたからね」
コントを始めた二人に代わって、フェルナンドが会話を引き継ぐ。昔からこんな役回りをしているのだろう。そう思わせる絶妙なタイミングだった。
「ただ守っていただけだがな。ほぼ攻勢に出た記憶がない」
「いえいえ、充分ですよ。攻撃ならローゼもソリューズもいますから。あなたが盾役を務めてくださったおかげで、二人は伸び伸びと戦えています」
「そうなのよ! イグナートたちと組むことに慣れちゃって、デキる戦士じゃないと噛み合わないのよねぇ」
一時的ではあるが、敵が途切れたこともあって、和気藹々とした空気が流れる。そんな中、彼らに近寄る人影があった。同じく足止めのために残った剣闘士『千変万化』だ。
「ダグラスちゃん。そろそろ、アタシたちも撤退しない?」
「ふむ……?」
思いがけない言葉にダグラスは目を瞬かせた。
「『極光の騎士』たちはだいぶ先へ進んだはずよ。それに、敵の増援が少なくなったことからすると、私たちを無理に追いかけてはこないんじゃないかしら」
「なるほどな」
ダグラスはその言葉に頷く。『千変万化』が言った通り、敵の増援はだいぶ勢いが落ちていた。そもそも、敵主力は現在も帝国騎士団と交戦しているのだ。たかだか百数十名の遊撃隊に全力を出すことはできない。
「決まりね。残ってくれた剣闘士たちを撤退させるわ。それで、この部隊と私たちの部隊で、殿を務めようと思うのだけれど……」
『千変万化』の言葉は正論だった。ハイレベルな元冒険者たちで構成されているダグラスたちの部隊と、『千変万化』や『無限召喚』を含む彼らの部隊は、他に比べて戦闘力が突出している。妥当な人選だろう。
「それは構わんだろうが……」
そして、ダグラスはフェルナンドたちへ視線を向けた。覚悟を決めた彼らの表情に、ダグラスもまた黙って頷く。
「……私たちはもう少し粘る。気になることがあってな」
「え?」
思いがけない返答だったのだろう。『千変万化』は目を丸くした。だが、洞察力に優れている彼は、すぐに理由に思い至ったようだった。
「……ユーゼフちゃんね?」
「ユーゼフが負けるとは思っていないが、相手もまた強敵だ。勝ったとしても、満身創痍でこの囲みを抜けることは難しいだろう」
ダグラスは、ユーゼフがいる方向へちらりと視線を向けた。時折輝く赤い光と、不自然にぽっかり空いた敵の布陣が、彼の奮闘を伝えてくる。
「乗りかかった船です。イグナートのお弟子さんを、こんなところで見殺しにはできませんからね」
「ミレ――『極光の騎士』のほうには、『大破壊』や『紅の歌姫』、『天神の巫女』だっているものね」
「先に行け。俺たち数名であれば、隠蔽結界で敵をやり過ごすことができるからな」
さらに、三人がそれぞれに言葉を紡ぐ。その思いは伝わったようで、『千変万化』は一人一人と視線を合わせると、感心したように頷いた。
「さすがは、あの『闘神』のパーティーメンバーね。肝が据わってるわ」
そして、彼は自分の部隊を見やる。
「じゃあ、なけなしの追撃部隊はこっちで引き受けようかしら。『無限召喚』に『黒の弱兵』を大量召喚してもらって、大人数が移動したように見せかけるわ」
「そうだな。それなら、『黒の弱兵』を囮にして追撃部隊を撒くこともできるだろう」
ダグラスが頷くと、『千変万化』はにっこりと笑った。そして、去り際にこちらへ投げキッスを浴びせる。
「――それじゃ、また会いましょう? 素敵な先輩がた」
そう言い残して、『千変万化』は去っていく。彼のことだ。本当に囮作戦を実行するのだろう。その後ろ姿をダグラスは黙って見送った。
◆◆◆
「ちっ――!」
吐きかけられた溶解液を魔法盾で防ぎ、鱗のない目を狙って斬撃を繰り出す。ダグラスの斬撃は避けられたものの、ローゼの射撃がその目を射抜き、岩石竜を仕留める。
「よし……!」
眼前の岩石竜が動かなくなったことを確認し、ダグラスは次の敵を探す。すでに十体ほど屠ったはずだが、こちらへ襲い掛かろうとする岩石竜の群れは、まだまだその数を残していた。
「ダグラス、大丈夫?」
「大事はない。かすり傷だ」
「かすり傷にしては血を流し過ぎですよ。――治癒」
フェルナンドの魔法が右腕の深い創傷を癒していく。大治癒を使わないのは魔力の節約だろう。フェルナンドは神官だが、大地を操る魔法を幾度も行使しており、かなり魔力を消費しているはずだった。
「まさか、こんな所で苦戦するとはな」
ソリューズがぶすっとした顔で呟く。岩石竜の群れと戦端を開いたのは、半刻ほど前のことだった。
ダグラスたちを残して撤退しつつあった遊撃隊を、岩石竜の群れが襲おうとしていたのだ。元々この地下世界に棲息していたようだが、遊撃隊を襲うよう誘導されたのだろう。
敵軍に加えて岩石竜までは手に負えないだろうと、ダグラスたちが先んじて岩石竜に近付いたのだが……これが思いのほか手強く、かなりの連戦を強いられていた。
「こんなに仲間の竜が集まるなんてね……」
「現在進行形で呼んでいるな。また数が増えそうだ」
ぼやきながら、顔を見合わせる。これからどうするか。もう少し持ちこたえれば、撤退しても他の遊撃隊には被害が出ないだろう。
だが、撤退すると戦闘中のユーゼフから遠く離れてしまう。いつ戦いに決着がつくか分からない以上、それは避けたかった。
「む――」
そんなことを考えながら、ダグラスは魔法盾を前に掲げた。岩石竜が尻尾で打ち出した石礫が、盾に当たって硬質な音を立てる。
「お返しよ!」
遠くて剣が届かないダグラスの代わりに、ローゼが弓の弦を引き絞った。放たれた矢は岩石竜の目を貫くかに思えたが、竜がわずかに身をよじったことで不発に終わる。
「かわしたのか……?」
ダグラスは顔をしかめた。ただの偶然ならいいが、意図的に避けたのであれば、岩石竜がダグラスたちの攻撃を学習し始めた可能性がある。もしそうなら、非常に厄介な話だった。
そう懸念している間に、戦線を維持していた竜牙兵の一体が崩れ落ちる。亜人相手ではタフな盾役として活躍していた竜牙兵だが、さすがに竜族の波状攻撃に耐えられるほどの能力はない。
「土葬」
竜牙兵を倒し、防衛戦に穴をこじ開けた岩石竜が、スッと地に呑み込まれる。フェルナンドの魔法で地中深くに落とされたのだ。穴には数十メテルほどの深さであり、幅が狭いこともあって、戦線に復帰できるのは当分先の話だろう。
「ソリューズ、今のうちに竜牙兵の補充を!」
「今やっている。だが、これで最後だぞ。触媒がなくなった」
フェルナンドの言葉に応じたソリューズは、わざとらしく空っぽの布袋を振ってみせた。竜の牙が入っていた袋だろうか。
「えー!? もうないの?」
「無茶を言うな。これでも数十個は持ってきたのだからな」
「じゃあ、そこらへんの岩石竜の死骸から集めてこようか?」
「牙だけあっても、触媒にするための処置ができん」
口調こそ普段のものだったが、その内容は深刻なものだった。これ以上竜牙兵が減ると、どうしても後衛へ抜ける岩石竜が出てくるだろう。
「――! 今度は左か……!」
そんなダグラスの思考を裏付けるように、再び竜牙兵が消滅する。間が悪いことに、その後ろにはちょうどソリューズが位置取っていた。
「行けるか――!?」
今すぐ動けば、ぎりぎりのところでソリューズを守ることができるだろう。だが、それはダグラスの持ち場に穴が開くことと同義だ。ダグラスは難しい選択を前に眉根を寄せる。と――。
「む……!?」
ダグラスは目を見張った。赤い斬撃が、まさに戦線を抜けようとしていた岩石竜を斬り裂いたのだ。
「――やあ、懐かしい顔ぶれだ」
そして、斬撃の主は気障に笑いかけた。年齢はダグラスと同じくらいだろうか。瀟洒な口髭は戦場に似つかわしくないが、その身のこなしは超一流の戦士のものだ。
「セイン!?」
そんな戦士の登場に、ダグラスを除く三人の言葉が唱和した。
「ちょっと、今までどこに行ってたのよ」
「少しばかり、お姫様の護衛をね。そのせいで遅れてしまった」
答えながら、セインと呼ばれた剣士は長剣を一閃させた。竜牙兵の隙間から侵入しようとした岩石竜は、赤い斬撃に頭を断ち割られて横倒しに倒れる。
「ふっ――!」
次いで、セインは竜牙兵に気を取られている岩石竜を側面から襲った。目にも止まらぬ速さで繰り出された突きは、正確に岩石竜の右目を貫き、脳を破壊して絶命させる。
「……いい腕をしている」
その動きを見て、ダグラスはぼそりと呟いた。闘気でゴリ押しすることもなく、必要な時にだけ闘気を使う。その動きは技巧的と言っていいだろう。
「セイン! そっち側は任せたわよ!」
「ああ、任されたとも。遅れた分は取り返してみせよう」
そして、彼は闘気を乗せた剣を縦横無尽に操る。彼の戦闘力はもちろんのこと、息の合った前衛が一人増えたことで、後衛の動きにも余裕が生まれていた。
「終焉の雨!」
「魔力塔接続――超振動」
やがて、ローゼとソリューズの大技が炸裂し、岩石竜の群れを大きく穿つ。地形を大きく変えた二つの攻撃には、さしものの岩石竜も慄いたようだった。
「あ、逃げていくわ」
「逃げるとなれば潔いものですねぇ」
「ふん。ようやく格の違いを思い知ったようだな」
一目散に逃げていく岩石竜を見て、ダグラスたちはほっと息を吐いた。もし最後の一頭に至るまで攻撃をやめなければ、さすがに窮地に陥っていただろう。
だが、もはやこちらへ向かって来る個体は存在しない。長い戦いに区切りがついたことで、彼らの間に弛緩した空気が流れた。そして――。
「セイン! あなた、今まで何してたの!?」
「先程も言ったように、お姫様の護衛をだな……」
「そうじゃなくて、もっと前よ! ミレウス君をイグナートに預けたまんま、連絡一つ寄越さないなんて――」
「まあ、ともかく無事な顔を見られてほっとしましたよ」
「それにしても、絶妙なタイミングでの登場だな。……まさかとは思うが、出番を窺っていたのではないだろうな」
消息不明だったパーティー仲間との再会を受けて、フェルナンドたちが一斉に喋り出す。半ば怒られているような内容もあったが、セインは微笑みを浮かべて彼らの話を聞いていた。
「はは、相変わらずソリューズは疑り深いな。だが、急いで駆けつけたのは本当だよ」
セインは演技がかった様子で肩をすくめる。だが、よく見れば彼の全身は細かい傷だらけだった。あの技量で簡単に傷を負うとは思えないから、敵陣を無理やり突破してきたのだろうか。
「そもそも、どうやって地下世界に侵入したの? 皇城の地下は今もドンパチやってるでしょ?」
「ああ、そこはシルヴィ――娘に聞いてね。第二十八闘技場の地下から飛び降りた」
そんなセインの回答に、フェルナンドが目を白黒させる。
「飛び降りた? ……いくら闘気の補助があるとは言え、よく無事ですみましたねぇ」
「はは、さすがに自由落下するほど無謀ではないさ。妻に落下速度減衰をかけてもらった。翼人に迎撃されないかとヒヤヒヤしたがね」
「え? 奥さん?」
単語に反応したローゼが、きょろきょろと周りを見回す。セインの妻を探しているのだろう。それはつまり、ミレウスの母親でもあるわけで、ダグラスとしても興味はあった。
「妻は地上で留守番だ。また娘を一人にするわけにはいかないからね」
そして、どれほど積もる話を交わしただろうか。会話が途切れたタイミングで、はっとしたようにフェルナンドがダグラスを見た。
「ダグラスさん。もうお察しのことと思いますが、改めてご紹介しておきます。私たちやイグナートと共に冒険者パーティーを組んでいたセインです」
彼の素性は予想通りのものだった。あのハイレベルな剣の腕前も、イグナートと肩を並べて戦っていたのであれば納得できる。だが――。
改めて紹介されたことで、ダグラスの胸にとある思いがふつふつとこみ上げてくる。
「セイン。こちらはダグラスさんです。イグナートの剣闘士仲間で、第二十八闘技場の副支配人も務めていらっしゃるそうです」
「ほう? なるほど。いい盾役がいると思えば、そう繋がるのか……」
セインは感慨深げに呟くと、笑顔で手を差し出した。握手のつもりなのだろう。だが、ダグラスはそれを手で制する。
「ダグラスさん?」
不思議そうに目を瞬かせるフェルナンドを横目に、ダグラスはセインを正面から見据えた。
「……まず、ミレウスの代わりに殴っておくべきか」
幼くして預けられ、クロイク家で必死に役立とうとしていたミレウス。
筋力が弱いエルフ族であることを知らず、壮絶な鍛錬を積んでいたミレウス。
一度は剣闘士になる夢を諦め、それでも闘技場を支え続けたミレウス。
ダグラスもまた、そんなミレウスをずっと見守り続けていたのだ。その思いゆえか、自分でも気付かないうちに、ダグラスは拳を固く握りしめていた。
そして、その思いはセインにも伝わったはずだ。だが、彼は嬉しそうに目を細めるばかりだった。それどころか、まるで殴れと言わんばかりに両手を広げる。
「……ミレウスはいい仲間に恵まれたものだ」
曇りのない笑顔で、彼はそう言い切った。本心からの言葉だと悟らざるを得なかったダグラスは、やがて大きく溜息をつく。
「……辛い思いをしたのはミレウスであって、私ではないからな」
握りしめた拳をそっと解くと、ダグラスはぼそりと呟いた。