激闘Ⅰ
【『極光の騎士』 ミレウス・ノア】
「『極光の騎士』。お前に一つ訊きたいことがある」
「なんだ」
『大破壊』が声をかけてきたのは、ユグドラシルまでの道程の三分の二を踏破した頃だった。
「あの樹のことだ。……アレはいったい何だ」
「植物兵器だ。俺も詳しくは知らんが……」
そう前置きながら、どこまで説明するかを考える。『大破壊』はこの部隊でも最高クラスの戦力だ。下手に情報を隠したせいで、致命的な結果を招くことは避けたかった。
「来歴はいらん。性能を知っているなら教えろ」
それは『大破壊』の気遣いなのか、それとも素の言葉なのか。彼らしい物言いに、つい口角が上がる。
「アレの小型種と戦ったことがある。枝葉や根を使った物理的な攻撃が基本だが、周囲の植物を操ることもできる。それから、驚異的な再生能力を持っている」
「再生能力? トロールのようなものか」
その能力は予想外だったのか、『大破壊』が訊き返してくる。
「トロール以上だ。溶岩の池に放り込んでも、凍らせて粉々に粉砕しても復活したからな」
「ほう……」
さすがに驚いたようで、『大破壊』は眉をぴくりと動かした。だが、彼なら真実を知っても恐慌に陥ることはないだろう。そう判断した俺は、最大の秘密を明かすことにした。
「だが、あの樹の真価は別にある。……人を植物に変える力だ」
「植物だと?」
突拍子のない答えだと感じたのだろう。『大破壊』は眉根を寄せた。
「俺の目の前で、樹木に変貌した人間を大量に見た。ああなってしまえば、もう助からん」
「俄かには信じられん話だが……お前が嘘をつくとも思えんな」
さすがに驚いた様子で、『大破壊』は前方に見えるユグドラシルを見つめた。その事実を知った後では、巨樹の威容も違って見えるのだろう。
「植物化への備えはあるのか?」
やがて視線をこちらへ戻すと、『大破壊』は眉根を寄せたまま尋ねる。
「すでに対策済みだ。……周囲をよく見れば、うっすらと金色の粒子が漂っているだろう」
「そうだが……これは地下世界の特徴ではないのか?」
「植物化への対抗魔法だ」
言って、俺は後方のシンシアに視線を向ける。地下世界全体に効果を及ぼす大魔法を使った彼女だが、帝国から提供された特級レベルの魔晶石のおかげで、魔力はかなり回復しているはずだった。
「それならいい。植物になっては戦えんからな」
『大破壊』は満足そうに頷いた。そして、確信した様子で言葉を続ける。
「お前の目的は、首魁ではなくあの巨樹だな」
「……そうだ」
俺は素直に認めた。盟主のヴェイナードも要注意人物だが、あくまで個の武勇でしかない。極論を言えば、ユグドラシルさえ滅ぼすことができれば、ヴェイナードの生死はどうでもよかった。
「帝国騎士団の最終目的もあの巨樹のはずだが……今の状況では援軍は見込めまい」
それどころか、また撤退する可能性だってあるからな。少なくとも、俺たちがユグドラシルを滅ぼすまでは、敵軍を引き付けておいてほしいものだ。そんなことを考えながら、皇城へ視線を向ける。
その時だった。ゾワリ、とした感覚が俺を襲う。その感覚を伝えてきたのは、視覚でも聴覚でもない。魔力感覚だ。
「『極光の騎士』!」
と、後方にいたはずのレティシャが、緊迫した表情でこちらへ駆けてくる。青い顔でノアを抱きしめているシンシアも、こちらへ走ってくる様子が見えた。
「『紅の歌姫』。何があった?」
おそらく、先ほどの妙な感覚と関係があるのだろう。だが、彼女がここまで焦るのは珍しい。
「大規模な魔力の揺らぎがあったわ。おそらく時空魔法よ」
「時空魔法? 門か?」
「ええ、その通りよ。枝が起動したようね」
俺の推測は正しかったらしい。だが、だからこそ俺は首を傾げた。
「今さら援軍か……?」
援軍を出すタイミングとしては、あまりに中途半端だった。帝国騎士団と激突した直後なら分かるが、なぜ今なのか。
「これは嫌な想像だけど……」
すると、俺の疑問に答えるようにレティシャが口を開いた。
「『今さら』じゃなくて、『今まで』準備をしていたとしたら? たとえば、巨大な門でなければ通れないような、巨大な……」
「まさか――!」
嫌な予想が脳裏に浮かぶ。そして、その直後。
地面が、大気が、そして魔力が震えた。
「――ォォォォォッ!」
強大な何者かの咆哮。気を抜けば吹き飛ばされそうなプレッシャーの主が、俺たちの前方に現れていた。
「あれは……古竜……!?」
シンシアは青ざめた表情でノアを抱きしめる。その声が聞こえたようで、周囲の剣闘士がどよめく。
「古竜だとぉっ!?」
「ンなもん、伝説の存在じゃ……」
「名前なんぞどうでもいい! 問題は、アレが敵かもしれないってことだ!」
剣闘士たちは半信半疑だったが、圧倒的な存在感を放つ巨体を軽く見る者は一人もいなかった。生態系の頂点に君臨する最強の生物を前にして、誰もが唖然としていた。
操られているのか、それとも仕向けられているのか。なんにせよ、古竜はこちらへ迫ってくる。
「む……」
俺は部隊の先頭で古竜を検分する。全長は二十メテルほどだろうか。かつて戦った古竜と異なり、翼は生えていない。そう言えば、最後の一体は地竜だと誰かが言っていたか。
「また、お前と竜退治か」
俺の隣に『大破壊』が並ぶ。
「よくよく縁があるな」
答えて、剣をすらりと引き抜く。あの時は『大破壊』と二人だけだったが、今は違う。百名を超える腕利きの剣闘士や、レティシャやシンシアと言った優秀な魔術師もいるのだ。
「危険度をSと認定する! 各自、手筈通りに動け!」
俺が声を張り上げると、遊撃隊が打ち合わせ通りに動き始めた。本来はユグドラシル戦を念頭に置いた戦闘プランだったが、目の前にいるのは古竜だ。警戒してし過ぎることはないだろう。
「グゥォォォォォォ!」
やがて、天災と評される古竜がこちらへ迫る。その巨体と向かい合うだけで、プレッシャーに押し潰されそうだった。
「溶岩煉沼」
そんな中で、先手を取ったのはレティシャだった。直径三十メテルほどの地面が熱で溶融し、溶岩の沼を作り上げる。
「うおおおっ!? なんだありゃ」
「さすが『紅の歌姫』だな……」
剣闘士たちがどよめく中、溶岩が古竜の四肢や腹部を攻め立てていく。翼を持たず、飛んで避けることができない古竜には効果的のように思えた。だが……。
「駄目ねぇ。機動力を捨てた分、頑丈さに特化したのかしら」
溶岩に焼かれながらも、古竜の歩みは止まらなかった。怒りの咆哮を上げているところからすると、多少は痛痒を覚えたのだろうが、致命的なダメージを負ったようには見えない。
『硬そうだな……腐食の枝が有効か?』
『そうですね。ただ、あの時に戦った古竜よりも頑丈に見えます。時間はかかるでしょうね』
そんな会議を経て、俺は魔法剣を片手に駆け出す。溶岩溜まりを抜けてきたため、古竜の身体からは煙が立ち上っていた。
振るわれた太い前脚を回避し、すれ違いざまに斬りつける。クリフの分析通り、非常に硬い手応えであり、まるで金属の塊に斬りかかったようだった。
「ちっ――!」
続いて迫る顎を、大きく跳んでかわす。だが、それだけではなかった。古竜はそのまま勢いを落とさず、顔を地面に打ち付けたのだ。
その衝撃で地面が揺れ、こちらの体勢が崩れる。そして――。
「避けろ!」
そう叫ぶのが精一杯だった。同時に振るわれた強大な尻尾が、最前線に立っていた数人を吹き飛ばす。彼らは防御魔法を重ね掛けしていたはずだが、それでも生きているとは思えなかった。
こうなっては、古竜を倒すしかない。俺は致命的な攻撃をかわし、古竜に小さな傷を刻んでいく。それは気の遠くなる作業だった。
そして、戦況はさらに悪くなる。古竜とは離れた場所にいた剣闘士が、突然崩れ落ちたのだ
「今のは――」
『狙撃、でしょうね』
クリフの言葉に応えるように、次々と魔力のこもった弾丸が飛来する。古竜に気を取られていることもあり、次々と仲間が減っていった。
「く……」
古竜は、狙撃を警戒しながら戦えるような相手ではない。狙撃に注意を向ければ、古竜の容赦ない攻撃で命を奪われるだろう。
そんなことを考えていると、魔法障壁が割れる音が聞こえた。そちらへ視線をやれば、神官が膝をついている。狙撃が障壁を貫通したのだ。それでも生きているのは、障壁が威力を吸収してくれたからだろう。
「このままでは……!」
俺は焦りに囚われそうになる心を落ち着かせる。狙撃手はおそらくヴェイナードだろう。古代鎧を用いた彼の狙撃は、闘技場の結界を貫通して、古竜にダメージを与えた実績もある。強固な魔法障壁を展開しても防げるとは限らなかった。
「遮光壁」
同じ結論に至ったのだろう。レティシャが展開した魔法は、魔法障壁ではなく狙撃手の視界を遮るものだった。
「なるほどな……」
レティシャの機転に感心するが、それで狙撃が止むことはなかった。狙いは甘くなったものの、相変わらず狙撃は繰り返されている。
『敵味方関係なしか』
『味方である古竜には、当たっても痛痒がないレベルに留めているのでしょうね。……まあ、人に当たれば致命傷ですが』
「ちっ――」
剣闘士の一人が、脇腹に傷を負って後退する。レティシャの遮光壁の攻略方法を見つけたのか、次第に狙いが正確なものになってきていた。――このままではまずい。それは明らかだった。
「『大破壊』!」
俺は古竜と対峙していた『大破壊』に駆け寄った。彼は古竜を睨みつけながらも、ちらりとこちらを見る。
「……なんだ」
「狙撃手を倒してくる。……古竜を頼む」
普通に考えれば、あまりに無茶な依頼だった。すでに部隊の数は半減している。古竜とまともにやり合うことができるのは俺と『大破壊』だけであり、俺が抜ければ、実質的に『大破壊』が一人で前衛を務めることになる。
だが、ヴェイナードの狙撃をかいくぐって迅速に近付き、そして倒すことができるのは、俺しかいないだろう。
「いいだろう」
答えて、『大破壊』は破砕柱を古竜の前脚に叩きつけた。人の域を超えた破壊力が、わずかに伝説の存在を押し戻す。
「……そして、戻ってくる必要もない」
言いながら、『大破壊』は怒り狂う古竜を追撃する。そして、ギラリとした獰猛な笑みを浮かべた。
「どのみち、お前の出番はない。俺が行くまで休んでおくのだな」
目の前の古竜にも劣らない、覇者の風格。それを見せつけられた以上、もはや言葉は不要だった。
俺は黙って頷くと、剣を片手に空へ舞い上がった。