壮行Ⅲ
「うおおおっ!? 『極光の騎士』のお出ましだぞ!」
「ぬお!? 本物じゃねえか……!」
「他の闘技場の奴ら、羨ましがるだろうな!」
『極光の騎士』として宴会場に足を踏み入れた俺は、テンションの上がった剣闘士たちに迎え入れられた。
「やあ、『極光の騎士』。まさか君が顔を出すとはね」
剣闘士たちを代表するようにユーゼフが口を開く。その表情は、俺にしか分からない程度にニヤニヤとしていた。
「『極光の騎士』、受け取るのである!」
と、早々に俺の前にジョッキが差し出される。『戦闘司祭』ベイオルードだ。器の中で、なみなみと注がれた酒が揺れる。
「受け取るのは構わんが……兜を脱ぐ予定はないぞ」
「飲まずとも構わぬのである! 酒席で英雄に盃すら渡さぬのは不敬であるからして!」
「……そうか」
よく分からないが、持つだけでいいなら貰っておこう。戦神ディスタの神官は、戦いの前後の酒宴を仕切ることも多いしな。
「まあまあ、とりあえず飲もうぜ!」
「馬鹿だな、『極光の騎士』は飲めないって言ってるだろ」
「いやいや、ひょっとしたら飲みたくなって兜を脱ぐかもしれん」
「なるほどな!」
そう言って大笑しているのは『破城槌』たちだ。どうやら、『極光の騎士』は存在自体が酒の肴になるらしい。
「せっかく試合の間なんだし、どうせならひと試合付き合ってもらいたいもんだ」
「お、いいなそれ! ちょっと剣を取ってくるか」
「何言ってんだ、お前らじゃ瞬殺だぞ」
「違えねえな!」
ふと周りを見れば、みんながぞろぞろとこちらへ集まったことにより、『極光の騎士』を中心とした一つの集団と化していた。
「『極光の騎士』は、長剣以外にも扱える武器ってあるのか?」
「俺も魔法戦士になりたいんだけどよ、何から始めりゃいいんだ?」
「そういや、子供たちの間じゃ『極光の騎士ごっこ』ってのが流行ってるらしいぜ」
彼らの話題は尽きない。わざわざ話題を準備していたのではないかと思えるくらいだ。試合での戦い方から世界情勢まで、幅広い話題が展開されていた。
「知り合いの騎士から聞いたんだけどよ、『極光の騎士』はすでに一戦やらかしたんだって? どんな感じだったんだ?」
そして、最後はやはり地下戦の話に収束する。興味を持たない者はいないようで、皆一様に真剣な様子でこちらを見つめていた。
「どこから説明したものか……そうだな。まず、地下には古代文明時代の地下遺跡が広がっている。古びているが、荒れ果てた荒野ではない。不思議と光源もある」
そんな前置きから始まって、介入した時にはすでに撤退が始まっていたこと、『枝』を持つ敵の強さなどを説明していく。
「それから……バルノーチス闘技場の『剛竜』デロギアが敵にいる」
「なんだって!?」
同じ剣闘士であり、次の剣闘士ランキングでは十位以内に入るかもしれない異色の戦士。そんな人物が敵のスパイであったことに、衝撃を覚える剣闘士は多かった。
「……けどよ、モンドールはデロギアに勝ったことがあるよな?」
誰かが思い出したように声を上げる。だが、モンドールは首を横に振った。
「ありゃ奴の全力じゃなかった。本気ではあったけどよ」
その謎掛けのような答えに、場の全員が首を傾げた。
「竜化?」
「おう、それだ。さすが『蒼竜妃』だな」
エルミラの言葉にモンドールは頷く。竜化は能力を飛躍的に引き上げる竜人の奥義だ。半竜人の彼女が知っていてもおかしくはない。
「それで、どうだった? 戦ったんだろ?」
「……決着はつかなかった」
「へぇ……」
モンドールはピュウと口笛を吹いた。周囲の剣闘士たちからも戸惑った声が上がる。
「『極光の騎士』と互角……?」
「そんな奴がいるのか……」
「まあ、撤退戦は不利だからな。『極光の騎士』だって実力を発揮できなかったんだろう……たぶん」
そんな怯んだ空気が流れるが、いつも通りの剣闘士もいた。上位ランカーたちだ。
「つまり、彼を倒せば『極光の騎士』を倒したということになるのかな?」
「あらやだ。ユーゼフちゃんってば、冴えてるわね」
そのやり取りは軽妙なもので、張り詰めた空気を緩ませる。だが、彼らの目は本気だった。
「『極光の騎士』、参考までに聞いておこうかな。デロギアは相変わらず格闘術を使っていたのかい?」
ユーゼフや『千変万化』を初めとする猛者たちが、興味津々といった様子で詰め寄ってくる。
「基本は格闘術だ。ただし、身体能力の飛躍的な向上と炎攻撃が増えている」
「闘気みたいなものかしら?」
「そうだな。闘気のように目に見えない分、分かりにくいが」
「デロギアの奴、聞いた話だと竜人族の英雄らしいぜ。邪竜だか邪神だかを屠ったらしい」
モンドールから追加情報がもたらされる。まあ、あの強さならやりかねない気もするな。
「なるほどね……ちなみに、他に注意しておくべき相手はいるのかい?」
重ねてユーゼフが尋ねてくる。
「亜人連合を率いているヴェイナードだろうな。魔工銃を使った狙撃は威力・精度ともに驚異的だ」
「へえ……接近戦のほうは?」
「直接戦ったことはないが、上位ランカーと同等だと考えていい。行使できる魔術も俺と同等か、それ以上だろう」
その答えに再び周囲がどよめく。士気の低下は心配だが、彼らに生き残ってもらわなければならない俺にとって、情報の共有は大切だ。ひどい言い方だが、格上に戦いを挑んで、命を落としてほしくはない。本来の彼らの戦場は、あくまで闘技場なのだから。
「『極光の騎士』と同等の魔術……?」
「それでいて、上位ランカー並みの白兵戦能力と狙撃か……」
「まるで『極光の騎士』だな。デロギアと言い、どの種族にも英雄級の存在ってのはいるもんだ」
そんな『破城槌』の言葉に、居並ぶ面々が頷く。
「俺が知らないだけで、他にも各種族の英雄級の存在が参戦しているかもしれん。充分気を引き締めることだ」
俺は言葉を結ぶと、集まった顔触れをゆっくり見回した。このうち何人が無事に帰って来られるのだろう。そんな思いが胸をかすめる。
そして、それは地下へ挑む者だけの話ではない。今後の展開によっては、地上もまた惨劇に見舞われる可能性があった。
「今度こそ、俺は……」
ジョッキの水面に映った兜姿を見つめながら、俺はぼそりと呟いた。
◆◆◆
【『紅の歌姫』レティシャ・ルノリア】
【『天神の巫女』シンシア・リオール】
試合の間の中央に座した『極光の騎士』と、彼を囲む大勢の剣闘士たち。時折大きな笑い声が起こっては、客席まで喧騒を運んでくる。
そんな試合の間を見下ろしながら、レティシャはグラスを傾けた。
「『極光の騎士』は大人気ねぇ」
「はい、『極光の騎士』さんですから……」
同じく試合の間を――いや、『極光の騎士』を見つめていたシンシアが頷く。
彼女たちが場所を移したことに、大きな理由はなかった。『極光の騎士』は剣闘士たちと盛り上がっていて、話しかけるタイミングがない。そんな折に、ふと二人の目が合ったのだ。
それだけのことだったが、二人は示し合わせたように試合の間から抜け出していた。
「そう言えば……シンシアちゃん、遊撃隊への配属希望が通ったのね」
「はい、レティシャさんのおかげです」
「私の?」
思わぬ答えに、レティシャは目を瞬かせた。
「はい。小型とはいえ、ユグドラシルを討伐した実績を持つパーティーを再現するべきだって、そうおっしゃったんですよね?」
それは事実だった。本来であれば、帝国軍の本陣に組み込まれるはずだったレティシャは、言を弄して『極光の騎士』とともに戦う算段をつけたのだ。
帝国軍の参謀にして魔術ギルド長であるディネアは、かつては冒険者として活動し、古竜をうち倒している。そのおかげで、優秀な少人数パーティーの有用さに理解を示してくれたのだ。
「そうだけど、それはギルド長を説得した時の言葉よ?」
「はい。その話が、神殿長にも伝わったみたいで……」
どうやら、レティシャの言葉が間接的にシンシアの遊撃隊入りを支援したようだった。だが、その事実は嫌な予感を裏付けるものでもあった。
「戦局は悪そうね」
「はい……」
彼女たちのような重要な戦力を、遊撃隊という不確定要素に投入する。それはよっぽど戦力に余裕があるか――もしくは、奇策に賭けるしかない時だ。
「……私はただ、ミレウスの傍にいたかっただけよ」
「私もです」
そして、二人の視線が交錯した。お互いに無言のまま、どれだけの時が過ぎただろうか。試合の間から届く剣闘士たちの笑い声が、何度も彼女たちの間を通り過ぎていく。
「……正直に言えば、シンシアちゃんを甘く見ていたわ」
やがて、ぽつりと言葉を口にしたのはレティシャのほうだった。
「あなたがミレウスに惹かれていたとしても、男女の関係になろうと行動を起こすことはない。少女時代の甘酸っぱい思い出で終わるだろうって、そう思っていたのに……」
そして、彼女はグラスに口を付ける。
「意外なところで積極性を見せるし、ついには聖女みたいな側面まで獲得しちゃうんだもの。羨ましいわ」
「羨ましい、ですか……?」
シンシアはきょとんとした様子でレティシャを見つめた。魅力の塊のような彼女が、自分を羨ましいと言ってもピンと来ない。それは本音だった。
「ええ。あの聖女然とした雰囲気に惹かれる男の人は多いわ。事実、そんな声をたくさん聞くもの」
そして、レティシャは拗ねたように呟く。ひょっとして少し酔っているのだろうか。シンシアにそう思わせるほど、彼女は珍しい表情を浮かべていた。
「素のシンシアちゃんだって健気でかわいいのに、そんな二面性を持つなんて反則よ」
「そんな……レティシャさんのほうが魅力的で、大人で……」
「それに加えて、三千年前の『天神の巫女』の転生でもあるんでしょう? まるで物語のヒロインだわ。英雄の伴侶にふさわしい、ね」
そう語るレティシャの表情は本気に見えた。そのことに戸惑いながらも、シンシアは素直な思いを口にする。
「私が知るかぎり、レティシャさんは世界で一番素敵な女性です。その物腰も、生き方も……こんな女性になれたらって、何度も思いました」
そんなシンシアの告白にレティシャは目を瞬かせた。少し照れたのか、彼女の視線が宙を泳ぐ。
「ありがとう。……でも、そんな大した人間じゃないわ。いつもギリギリのところで踏ん切りがつかない、中途半端な女よ」
「そんなことないです……! いつも凛としていて、それでいて皆さんへの気遣いを欠かさなくて……」
「それは、シンシアちゃんも同じことよ。柔らかく見えても芯は強くて、いつも周りのことを考えているでしょう?」
「それでも、私なんかより、レティシャさんはずっと――」
「じゃあ、ミレウスのことは諦めてくれる?」
「……!」
鋭く斬り込んできた言葉に、シンシアははっと息を呑んだ。沈黙していると、レティシャは柔らかく笑う。
「……なんてね。シンシアちゃんが応じるだなんて、思ってないわ」
彼女は小さく溜息をこぼすと、星が瞬く夜空を見上げた。
「こんなことなら、思い切って既成事実でも作っておけばよかったかしら。あの人のことだから、責任は取ろうとするでしょうし」
「え!? あ、あの、それは……」
あけすけな言葉に、シンシアは顔を赤く染めた。二人分の人生経験があるとは言え、転生前も転生後も恋愛らしい恋愛をした記憶がない。そういった面で言えば相手のほうが経験豊富だろう。
「闘技場運営のノイズになりたくなかったから、ずっと気持ちを抑えてたのよねぇ」
「そうだったんですか……?」
思わず語尾が上がったのは、彼女のミレウスへの振る舞いを思い出したからだ。シンシアなら顔が熱くなりそうな言葉や仕草は、彼女にとってはカウント外なのだろうか。
そんな思考を察したのだろう。レティシャは苦笑を浮かべた。
「本気で迫ってしまわないように、こまめに想いを発散していたのよ。……まあ、そのせいで、ミレウスに本気だと思ってもらえなかったけれど」
「私も、一方的にすがりついてるだけで……ミレウスさんはどう思ってるんだろう、って」
シンシアがそう呟くと、レティシャは深く頷いた。
「本当に、そういう部分には奥手と言うか、後回しと言うか……まあ、ミレウスらしいけれど」
「はい。ミレウスさんは、お忙しいですから……」
「そうよねぇ。闘技場の敏腕支配人と、帝都の英雄。片方だけでも大変なのに、その両方を一人でやってしまうんだもの」
「本当に凄いです……今日だって、結局両方の役を演じていましたし」
「器用よねぇ。……そうそう、知ってる? ミレウスって、試合の日もギリギリまで支配人室で仕事をしてるのよ。呆れた胆力だと思わない?」
「ミレウスさんらしいです……」
シンシアはつい微笑む。目の前にいるのは紛れもない恋敵。それは分かっている。だが同時に、ミレウスのことをなんでも話せる数少ない仲間でもあった。
第二十八闘技場の支配人と『極光の騎士』が同一人物だと知る人間は数少ない。同性であれば、それこそヴィンフリーデとシルヴィくらいだ。だが、その二人はミレウスの家族のようなものであり、シンシアやレティシャとは視点が違う。
「シルヴィちゃんに聞いたんですけど、ミレウスさんってお家では意外とのんびりしてるらしいです――」
「それで、相手が顔面から床に激突するように、綺麗に調整したのよ。悪い人なんだから――」
だからだろうか。いつしか、二人は想い人の話題で盛り上がっていた。
相手だけが知っている彼の側面に嫉妬し、自分だけが知っている事実に喜びを覚える。そんな後ろ暗い心情がなかったとは言わない。だが、それでも話は止まらなかった。
そうして、どれくらい話し込んだだろうか。二人がライバル関係にあることは事実だが、刺々しい話は、この事態が片付いてから。彼女たちの思いはそこで一致していた。
そして、ふと二人の間に沈黙が下りた。
「――好きな人の話って、楽しいわね」
「はい。他の人には、話せませんから……」
やがてぽつりと告げられた言葉に、シンシアは心から同意した。彼女たちの視線は、自然と試合の間の中央にいる鎧姿へ向けられる。
「ミレウスは……大丈夫かしら」
「今度の戦いのこと、ですか?」
そう尋ねると、レティシャは曖昧に頷いた。
「それもあるけれど……あの人、生き急いでいるというか、突然消えてなくなるんじゃないかって、時々不安でたまらなくなるのよ」
「それは……」
その不安は、シンシアにも心当たりがあった。支配人と英雄という、困難な二役を演じるミレウス。そんな彼を動かしているのは、使命感とでも言うべきものだ。それがなくなった時、彼は――。
「ミレウスさんは、ご自分の消耗に無頓着ですから……」
「そこなの。今度の戦いはおそらく劣勢よ。それでも、ミレウスは全力を尽くすでしょうし、目的を達成すると信じてる。……それこそ、自分の命を引き換えにしても」
「それって……」
最後の一言で、シンシアはレティシャの懸念を理解した。本人は否定するだろうが、ミレウスには英雄としての気質がある。それは強さではなく、自分の身を削ってでも他者を助けようとする意思だ。
だからこそ、五年もの長きにわたって、人々は彼を英雄と讃え続けるのだ。
「……レティシャさんがいてくれて、よかったです」
暫しの沈黙の後、シンシアは口を開いた。
「え?」
首を傾げるレティシャに、彼女は微笑みかける。
「遊撃隊には、レティシャさんも私もいますから……」
そう告げると、レティシャにも伝わったらしい。彼女の表情が少しずつ緩んでいき……そして、柔らかい微笑みに変わる。
「そうね。私たちが付いているもの。縁起でもないことをしようとしたら、無理やり引き戻してやるわ」
「はい……!」
そして、二人は同時に立ち上がった。何を言ったわけでもないが、彼女たちは連れ立って試合の間へ向かう。もはや慣れ親しんだ闘技場だ。灯りが少なくても、道に困るようなことはなかった。
「あらあら。みんな、風邪を引かないといいけれど」
「後で毛布を掛けたほうがいいでしょうか……」
彼女たちが試合の間に戻った頃には、すでに酒宴は終わりかけていた。試合の間のそこかしこで酔いつぶれている剣闘士たちを見て、二人は顔を見合わせる。
「……どうした?」
そんな彼女たちの接近に気付いて、『極光の騎士』が声をかけてくる。だが、二人は答えない。思わせぶりな笑顔を浮かべたまま、その距離を詰めていく。
やがて、触れられるほどに近付いた彼女たちは、左右に分かれて両隣に座り――そして、彼に寄りかかる。
「!?」
さすがに驚いたようで、『極光の騎士』が身じろぎした。まだ起きていた剣闘士の誰かが、ピュゥ、と口笛を吹く。
だが、それでも解放するつもりはなかった。二人は目を閉じ、彼に体重を預けたまま願う。
――すべてを成し遂げた時……また、この人が帰ってきますように。