壮行Ⅱ
「――地下世界へと赴く、勇敢な剣闘士たちの奮戦を祈念して……乾杯!」
「乾杯!」
俺の音頭に続いて、数多くの声が唱和する。宴会場となる試合の間に集った人数は百人近く、第二十八闘技場の剣闘士やスタッフの大半が参加していた。
「よくこれだけ集まったな……」
俺は周囲を見回した。三日後に迫った地下世界への侵攻作戦だが、そこに参加する第二十八闘技場の剣闘士は三十名ほどだ。
だが、せっかくの壮行会だからと、参加しない剣闘士や、闘技場のスタッフなど関係者全員に声をかけたところ、かなりの人数が集まったのだ。
「参戦する者を激励したい気持ちもあれば、街の暗い空気を一時でも忘れたいという思いもあるのだろうな」
俺の呟きに答えを返したのは、副支配人のダグラスさんだった。そして、その視線は試合の間の一角に向かう。そこにいるのはヴィンフリーデや、その指示を受けて料理を提供しているスタッフたちだった。
「それに、ヴィンフリーデが料理を振る舞うとあってはな。エレナの時もそうだったが……剣闘士は、昔から食い意地が張っているからな」
ダグラスさんは懐かしそうにヴィンフリーデを見つめる。おそらくエレナ母さんの面影を重ねているのだろう。
「支配人、飲んでるかぁっ!?」
と、早くも酔いが回ったのか、剣闘士の一人『破城槌』が陽気に声をかけてきた。彼はバンバンと俺の肩を叩く。
「あんたはいつも真面目な顔してるからな! たまにはパーッと行こうぜ!」
「ありがとうございます」
言われるままに、手に持った酒杯を傾ける。酔い潰れるつもりはないが、多少はいいだろう。
「お! 支配人も飲む気じゃねえか。いいねぇ!」
と、そこへやってきたのはモンドールだ。酒が入らなくても賑やかな彼は、酒が入るとさらに陽気になるらしい。
「ちぇっ、どうせなら俺もこっちで戦いたかったぜ」
串焼きを齧り、ジョッキを煽る。酒場の見本のような飲みっぷりを披露しながら、モンドールは周囲を見回した。
「皇子は公人として参戦する必要がありますからね。健闘をお祈りしています」
第二十八闘技場の剣闘士であるモンドールだが、彼は同時にルエイン帝国の皇子でもある。激戦が予想される今度の戦いで、際立って戦闘力の高い皇族を騎士団が放っておくわけがなかった。
「あんまり活躍すると後が面倒だし、どうにも正規軍はやりにくいんだよな……こっちだったら、他の奴らに手柄を押し付けりゃすむのによ」
そうぼやくと、モンドールは再びジョッキを傾けた。皇位継承争いに関わるつもりのない彼は、それゆえの悩みを抱えているようだった。
「自分が手柄を上げることは疑っていないようだな。ふむ、意気軒昂で結構なことだ」
そんなモンドールを茶化すように、ダグラスさんが口を挟んでくる。珍しい気がするが、酒気の影響だろうか。
「剣闘士たちの遊撃隊に負けてちゃ、立つ瀬がねえからな」
そんな彼らを横目で見ながら、俺はちらりと視線を動かす。シルヴィの姿が目に入ったのだ。最初は闘技場の技術スタッフたちとわいわい騒いでいた彼女だが、いつの間にか別の輪に移動している。
「――ん?」
剣闘士の一人が、麦酒をシルヴィに薦めているように見えて、俺は速足で彼らに近付く。まだシルヴィにアルコールは早いだろう。
「お? 支配人が来たぞ」
「そんなに急いでどうしたんだ?」
向かった人の輪から、そんな声がかけられる。
「いえ、シルヴィがお酒を飲んでないか心配になっただけです」
俺は真面目に答えたつもりなのだが、皆が一斉に笑い出した。きょとんとしていると、彼らはバンバンと俺の肩を叩いてくる。
「支配人、本当に『お兄ちゃん』してるな!」
「いやいや、お兄ちゃんっつうより『お父さん』じゃねえか?」
「違えねぇ! 泣く子も黙る敏腕支配人がこんなに子煩悩だなんて、他の闘技場の奴らは想像もつかねえだろうな!」
酔って笑いの沸点が低くなっているようで、彼らの笑いは止まらない。馬鹿にされている気はしないが、なんだか彼らの視線が生温かいのは気のせいだろうか。まあ、酒の肴になるのは構わないが。
「――ところでよ、支配人はどう思う? ってか、ひょっとして知ってるか?」
「なんの話ですか?」
「そりゃアレだよ、『極光の騎士』の装備に、どんな魔法が付与されてるのかってことさ」
「ええと……」
思わぬ話題で盛り上がっていたようだな。よく見れば、ここの人の輪の中心になっているのは、『千変万化』と『七色投網』のようだし、魔道具に関心のある面子なのかもしれない。
「あんな厳めしい鎧なんだから、さぞかし凄え効果があると思ってよ」
「さあ……聞いたことはありませんね」
「ちぇっ、残念だな。……『千変万化』、アンタはどう思う?」
俺が知らないと見るや、彼は『千変万化』に質問を振る。
「そうねぇ……アタシはやっぱり飛行魔法だと思うわ。あんな速度で飛び回る魔法、見たことがないもの」
「たしかに、飛行時はいつも鎧が変色光に覆われているからな。その可能性は高いか」
『千変万化』の言葉に同意を示したのは、ディスタ闘技場から移籍してきた『七色投網』だ。魔道具に含蓄のある二人の推理に、剣闘士たちが興味深そうに聞き入る。
「ちなみに、『極光の騎士』の長剣についてはどう思う? 私は次元斬だと睨んでいるのだが」
「他にも強力な魔法剣はあるけど、たしかにアレは異色よねぇ。時空属性の魔法剣なんて、見たことも聞いたこともないわ」
さすがに、すべての魔法が魔導鎧だという答えには辿り着けないようだった。むしろ、魔道具のことをよく知る二人だからこそ、そんな規格外の存在には思い至らないのだろう。
「――けどよ、シルヴィちゃんは知ってるんじゃねえの? 『極光の騎士』の鎧も整備してるって言ってなかったか?」
「え? うーん……」
シルヴィは困ったように俺を見上げた。さすがに、この場で古代鎧の秘密を暴露するわけにはいかないと察したのだろう。
「えっとね、きぎょーひみつです!」
あまり使い慣れていない言葉なのか、妙な抑揚で言い切る。その微笑ましい様子に剣闘士たちの相好が緩むが、中にはそれでも食い下がる者もいた。
「シルヴィちゃん、そこをなんとか! ヒントだけでも!」
「――おやめなさいな。魔道具の機能を暴くのは、試合の間の上ですることよ?」
「そうだな。その代わりと言ってはなんだが、私の魔法網の機能であれば、いくらでも披露しよう」
だが、有力なランカーの意見が一致したことによって、シルヴィへの追及は立ち消える。そのことにほっとしていると、くいっと袖が引っ張られた。シンシアだ。
「あの……ミレウスさん、一緒にお話しませんか? よかったらシルヴィちゃんも一緒に」
そう言って彼女が示したのは、救護スタッフを中心とした集団だった。ひょっとして、さっきのやり取りを聞いて気を遣ってくれたのだろうか。
「それじゃ、お邪魔させてもらおう」
申し出を了承すると、俺はシルヴィと一緒に移動する。救護スタッフたちは、笑顔で俺たちを迎えてくれた。
「シルヴィちゃん、この前はありがとう。おかげで試合が見やすくなったわ」
さっそくお礼を言われているのは、シルヴィが救護室の覗き窓を改造したことだろうか。
「えへへ、どういたしまして!」
そして彼らの会話に混ざる。やはり地下遺跡での戦いが話題のメインであり、救護スタッフの中では唯一の参戦予定者であるシンシアが話題の中心だった。
「シンシアちゃん、気を付けてね。騎士団の後ろのほうに陣取って、みんなに守ってもらうのよ」
「そうそう、ちゃんと守ってもらいな」
救護スタッフたちの総意であるかのように、皆がうんうんと頷く。彼らにとっては、同僚の無事が一番なのだろう。
「その、私は騎士団のほうには配属されませんから……」
そんな彼らに、シンシアは困ったように答えた。すると、みんなが驚いたように目を丸くする。
「え? そうなの? じゃあどこに配属されるの?」
「ひょっとして、シンシアちゃんも剣闘士の遊撃隊なのかい?」
「はい、そうなんです」
シンシアは少し誇らしげに答えた。彼らが言う通り、本来なら本陣の中央にいてもおかしくない彼女だが、色々と説得を重ねて、剣闘士の部隊に配置されることになったらしい。
その条件として、開戦と同時に植物化の対抗魔法を使っておくことを求められたらしいが、もとよりそのつもりだったため、大した問題はない。
「剣闘士部隊には魔術師がほとんどいないもんね。そういう意味では、シンシアちゃんくらい優秀な神官がいないとバランスが悪いかも」
「そうだな……第二十八闘技場はともかくとして、よその闘技場は戦士ばっかりだろうし」
「シンシアちゃん、気を付けるのよ……!」
後輩、ないし妹へ向けるような目で、彼らはシンシアを見つめる。シンシアは一応実力者なのだが、彼らにとってはそういうものなのだろう。
「いくら『天神の巫女』だって言っても、シンシアちゃんはシンシアちゃんだからな」
「そうよ、頼られるだけじゃなくて、周りを頼ってもいいんだからね」
「外で見かける大人びたシンシアちゃんも素敵だけど、無理しちゃ駄目よ?」
そんな言葉で気付く。そう言えば、第二十八闘技場でのシンシアは、聖女じゃないシンシアでいられるんだな。それが彼女にとって、いい息抜きになればいいのだが。
「大丈夫です。『極光の騎士』さんもいらっしゃいますから……」
彼女がそう答えると、周りの雰囲気が少しだけ変わった。何か微笑ましいものを見るような目で、皆がシンシアを見つめる。
「ああ、そういうことね」
「それなら剣闘士の部隊に混ざりたいよね」
彼らは一様にうんうんと頷く。楽しんでいるな、これは。
「それで、最近は『極光の騎士』とどうなの? 脈はありそう?」
「ふぇっ!?」
不意を突かれたのだろう、シンシアは変な声を上げた。そして、朱に染まった顔でこちらをちらりと見る。すると、目敏くその視線に気付いたスタッフが口を開いた。
「大丈夫よ。支配人が怒るようなことはないでしょ。闘技場内での恋愛が御法度なわけじゃないんだし」
「むしろ、シンシアちゃんとくっついちゃえば、支配人も『極光の騎士』と連絡が取りやすくなって嬉しいんじゃない?」
「ええと……」
と、ややこしい事態に拍車がかかった。
「いっそのこと、支配人に取り次いでもらったら? 唯一連絡先を知ってる人なんだし」
「そうよ。私たちが聞かされた、『極光の騎士』の惚気をほんの一部でも語ってあげれば、支配人だって協力する気になるわよ」
「あ、あの、それは……!」
思わぬ方向に話が流れたことで、シンシアもあたふたしている。すると、突然隣のシルヴィが声を上げた。
「あ、お兄ちゃん! ヴィンフリーデお姉ちゃんが呼んでるよ!」
「え?」
ヴィンフリーデにそんな素振りははないが……そう言いかけて気付く。ひょっとして、シルヴィが気を利かせてくれたのだろうか。
「ありがとう。ちょっと行ってくる」
「うん! いってらっしゃい!」
元気に送り出すシルヴィと、ほっとした様子のシンシアを視界に入れると、俺はヴィンフリーデのほうへ向かって歩き出した。おそらく用事はないだろうが、行くフリだけでもしておこう。
「あら? ミレウス、どうかした?」
「いや、何か手伝いでもしようかと思って」
俺の存在に気付いたヴィンフリーデが声をかけてくる。俺は適当に答えを返すが、嘘というわけでもない。ヴィンフリーデは数名のスタッフとともに料理を担当しており、休む間もないはずだ。
「そうなの? でも、こっちは大丈夫よ」
言いながら、ヴィンフリーデはボウルに入った何かを混ぜ合わせる。甘い香りがするが、デザートの類だろうか。その様子を見ていると、彼女はふと俺の後ろに視線を向ける。
「それより、お迎えが来たわよ」
「お迎え?」
言われて振り向くと、そこには酒杯を手にしたレティシャが立っていた。
「あら。こっそり近付いて驚かせようと思ったのに。……さ、行きましょう?」
「行くって、どこにだ?」
俺の質問に答えることなく、彼女は上機嫌な様子で俺の手を取る。手を引かれるままについて行くと、第二十八闘技場の魔術師を中心とした六、七人ほどのグループに迎えられた。
「……あ。連れて来られた」
「お疲れさまです!」
『蒼竜妃』エルミラや『無限召喚』ミロードが声をかけてくる。勧められるままに座ると、レティシャが中身の入ったグラスを手渡してきた。
「……美味いな」
中身に口を付けると、爽やかな香りが鼻を抜ける。その感想に、隣に座ったレティシャが微笑んだ。
「よかったわ。ミレウスが好きな味だと思ったのよ」
「あれ? 支配人はレティシャさんとよく飲んでいるんですか?」
そんな質問をしたのは『無限召喚』ミロードだ。まだ年若い彼は、興味深そうにこちらを見る。
「いや、そういうわけでは――」
「あら、気付いた? 恥ずかしいから、魔術ギルドのみんなには秘密よ」
俺が否定しようとすると、レティシャは思わせぶりな言葉で遮った。さらに、彼女がわざとらしく俺に身を寄せたことで、『無限召喚』は色々と想像したらしい。彼は慌てたように視線を逸らす。
「レティシャ、よく誘う。支配人、よく断る」
「え? そうなんですか?」
だが、エルミラが早々に事実を明かしたことで、『無限召喚』の視線が戻ってきた。
「『紅の歌姫』のファンに刺されるからな」
「ああ……だいぶ熱狂的な人もいますからね」
俺が苦笑とともに答えると、彼は納得した様子だった。ここぞとばかりに俺は話題を変える。
「そう言えば、ミロードは騎士団にスカウトされたんだって?」
「そうなんです。今回の戦いも、騎士団として戦わないかって誘われたんですけど……どうにもピンと来なくて」
「無理する必要はないわ。直感レベルの相性って大切だもの」
ミロードの言葉をレティシャが肯定する。騎士団に所属すると、どうしても騎士たちのバックアップが主になるからな。召喚魔法が軸になるミロードとは、いまいち噛み合わないのかもしれない。
「ミロードの召喚術は、人数が少ない剣闘士部隊のほうが効果的だと思うぞ」
「ん。期待、してる」
「あ、ありがとうございます」
エルミラの激励にミロードは照れたように頭を下げた。そして、俺の意識は『蒼竜妃』のほうへ向かう。
「エルミラ、マイルとは会えたのか?」
フォルヘイムで知り合った彼女の弟は、機密情報提供者として皇城で保護されていた。だが、こうして開戦した以上、保護する意味合いは薄いはずだ。
「……ん」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。あまり感情を表に出さない彼女にしては珍しい。
「とても大きくなった」
たしかに、マイルは筋骨隆々の大男だからな。別れたのが何歳の時か知らないが、その言葉には納得できた。そう告げると、エルミラは首を横に振る。
「……違う。心のほう」
「ああ、そっちか」
それもまた、納得できるものだった。魔工技師として胸を張れるようになるまでは、姉と会わない。そう言っていたマイルを思い出す。そして……。
「そう言えば、デロギアのことは知ってたのか?」
気になっていたことを尋ねる。亜人連合の中でも最高クラスの戦闘力を持つだろう竜人デロギア。半竜人であり、昔は竜人の里で暮らしていた彼女なら、何か知らないだろうか。
「バルノーチス? ラグズ洞?」
「ああ、そのデロギアだ」
「デロギア、知らない」
エルミラは首を横に振った後で、少しだけ付け加えてくれる。
「ラグズ洞、有名。火竜に最も近い一族」
「一族レベルで有名なのか……」
まあ、ユーゼフのロマイヤー家だって一族レベルで有名だし、そういうこともあるか。デロギアは王族かもしれないと、そう言っていたのは誰だったか。
「バルノーチス、危機?」
「え?」
エルミラの予想外の質問に、俺は思わず聞き返した。
「帝都潜入の隠れ蓑に使われていたバルノーチス闘技場は、今頃青くなっていることでしょうね」
「ああ、そういうことか」
レティシャのフォローでようやく気付く。『極光の騎士』として戦うことしか考えていなかったが、支配人のミレウスであれば、そう考えるのが普通か。
「処罰を受ける可能性はあるな。あそこの支配人は貴族だし、国防の危機を招いたと非難されることは避けられない」
そういう意味では、第二十八闘技場が躍進するチャンスなのだが、自滅した相手の上に立って、頂点を気取るのは違う気もする。と――。
「ミレウス、ここにいたんだね」
「ユーゼフ、どうした?」
幼馴染の声を聞いて振り返る。すると、ユーゼフは視線で試合の間の一角を示した。そこにはモンドール皇子や『破城槌』マルス、『戦闘司祭』ベイオルードといった屈強な面子が揃っている。
「『極光の騎士』が顔を出すことを、彼らが心待ちにしていてね」
「……」
予想外の展開に俺は沈黙した。『極光の騎士』が地下戦に参加することは周知の事実だし、この場へ現れると思ってもおかしくないか。
「……あの兜じゃ酒は飲めないだろう」
ようやく出てきたのはそんな言葉だった。隣のレティシャが急に咳き込んだが、笑いを堪えているのだろうか。
「飲めないにしても、顔は出すんじゃないかって期待しているよ? 当日の打ち合わせをしたい者もいるようだけど」
「む……」
そう言われては断りにくいな。それに、士気にも関わりかねないか。
「……とりあえず、連絡はしておいた。来るかどうかは『極光の騎士』次第だな」
エルミラやミロード、他の魔術師といった、『極光の騎士』の正体を知らない面子を意識して、言葉を選びながら答える。すると、再びレティシャが咳き込んだ。
「……レティシャ、大丈夫か?」
「そうね、ちょっと飲み過ぎたかしら」
その声色は真剣なものに聞こえるが、彼女の目は笑っていた。そして、俺の腕を抱え込んで立ち上がらせようとする。
「酔い覚ましに、ちょっと夜風に当たってくるわ。付き合ってくれるわよね?」
「ああ、分かった」
俺はレティシャの言葉に甘えることにした。『極光の騎士』として登場するつもりだと察したのだろう。どうやって筋力強化をかけてもらうか悩んでいたが、なんとかなったな。
レティシャの気遣いに感謝すると、俺は古代鎧を隠している地下室へと向かった。