壮行Ⅰ
地下遺跡へと続く、第二十八闘技場の地下階段。俺とレティシャは、その長い階段の中ほどに立っていた。
「ミレウス、本当にいいのね?」
「ああ。ひと思いにやってくれ」
俺の返事を確認すると、レティシャは魔法を練り始めた。強大で複雑な魔力構成が編み上げられていく様子を、俺は感心して眺める。魔力が視える今となっては、彼女の技量は感嘆の一言だった。
「……そんなに見つめてどうしたの?」
「見事な魔力構成だと思ってさ」
「あら、惚れ直した?」
そんな軽口を叩きながらも、彼女の魔法は着実に完成に向かっていく。やがて、彼女の魔法が完成して――。
「空間崩壊」
強大な魔法の発動によって、第二十八闘技場と地下遺跡を繋ぐ階段が粉々に砕け散る。眼下の階段が消滅したことで、薄暗い階段に地下世界の明かりが差し込んだ。
「……こんなものかしら?」
「ああ。ありがとう、手間をかけたな」
遥か下方に、行き来出来なくなった地下遺跡が小さく見える。それは不思議な気分だった。
「なんだか寂しいわねぇ」
そんな俺の気持ちを代弁するように、レティシャがぽつりと呟く。
「まあ、仕方ないさ。敵兵が第二十八闘技場の地下から湧いて出るようなことは避けたいからな」
帝都の一大事でもあるし、もしそんなことになれば、第二十八闘技場が営業停止になるかもしれない。それらを懸念した俺は、地下遺跡との階段を破壊することにしたのだ。階段がなくなっても結界装置の遠隔操作は可能であるため、試合用の結界に問題はないはずだ。
「それじゃ、仕上げをするわね」
レティシャが魔術を使うと、周囲がまた薄暗くなる。地下世界に向けて開いていた穴を塞いだのだ。敵に翼人がいる以上、階段がなくなっただけでは油断はできない。周囲の岩盤と見分けがつかないように細工をする必要があった。
「それじゃ、戻るか」
それらを見届けてレティシャに改めて礼を言うと、俺は身を翻した。大半が消失したとはいえ、それでもかなりの長さを誇る階段を上りながら、レティシャと言葉を交わす。
「第二十八闘技場の剣闘士は、どれくらいの人数が参戦しそう?」
「三、四十人といったところかな」
第二十八闘技場の剣闘士たちに対して、皇帝から参戦要請があったと説明したのは数日前のことだ。希望者の数が予想より多いが、五年前の怒りが風化していないということなのだろう。
「上位ランカーは多いの?」
「ほとんどが参加だな。不参加なのは『魔導災厄』くらいか」
ここしばらくの『魔導災厄』は忙しいようで、そもそも顔を合わせることすらできていない。
「ルドロス導師は、別件に駆り出されているものね」
「そうなのか?」
「ええ。私も最近知ったけれど、ユグドラシル亜種の枝を使った転移先を地下に誘導しているのは、ルドロス導師の魔術よ」
「知らなかったな……というか、あの人らしくないな」
地下遺跡で大規模戦闘が勃発となれば、『魔導災厄』は嬉々として大魔法の実験をしそうなものだ。
「ギルド長に説得されたみたいね。ルドロス導師はギルド長に弱いから。……話を戻すけど、剣闘士は帝国軍としてどういう位置づけになるの? 正式に軍に組み込んでも、真価は発揮できないと思うけれど」
「遊撃隊として扱うよう条件を出した」
剣闘士たちは戦闘に長けているが、集団戦闘の経験はほとんどない。無理に組織に組み込んだところで、力の無駄遣いになる可能性が高い。
「よかった。それなら、私も気兼ねなく参加できるわね」
「ん? レティシャは魔術師ギルドから参戦要請があったんだろ?」
思わぬ言葉に驚く。だが、彼女は意味ありげな笑顔を見せた。
「騎士団の人材は豊富だもの。宮廷魔術師だって凄腕が大勢いるわ。それよりは、魔術師の少ない遊撃隊にいるほうが効果的だと思わない? それに……」
レティシャは階段を上る足を止めた。身を寄せると、腕を搦めてこちらを見上げる。
「世界の命運がかかった戦いだもの。大切な人の隣にいたいじゃない」
「レティシャ……」
言葉に詰まっていると、搦められた彼女の腕にぎゅっと力がこもる。
「だから、約束して頂戴。今度は一人で地下世界に飛び込まないって」
「もちろん、そんなつもりはないさ。俺一人でできることなんて、たかが知れてるからな」
俺は軽く請け合うが、レティシャは半信半疑のようだった。
「あら。つい数日前に、地下世界へ単騎で突撃したのは誰だったかしら?」
「あれは様子見のつもりだったんだ。あんな激戦になると分かっていたら、単身では飛び込まなかったって」
「じゃあ、今度は大丈夫ね。……信じるわよ?」
そんな会話を交わしながら、俺たちは再び階段を上り始める。
最後の一段を上り終えるまで、彼女が絡めた腕を離すことはなかった。
◆◆◆
普段の賑やかさは鳴りを潜め、代わりに陰鬱な空気が街中を支配する。人々の表情は一様に暗く、時折聞こえる話し声は不安に満ちたものばかりだ。
不穏な噂が立つようになってからというもの、ずっと暗い話題が続いていた帝都だが、その噂が最悪の形で具現化したのだ。それも無理はなかった。
「まあ、仕方ないよなぁ……」
岩盤を隔てているとはいえ、自分たちの直下で戦争が起きており、相手は五年前に住民を虐殺したエルフを中心とした勢力なのだ。さらに、公表こそされていないものの、帝国軍が劣勢であることを感じ取っている人々も多いだろう。
「おじさん、こんにちは」
「……ああ、シルヴィちゃんとミレウス君か。いらっしゃい」
食糧の買い出しに訪れた顔馴染の店で、店主のおじさんと挨拶を交わす。だが、その声にはいつもの威勢の良さが感じられなかった。
「どんな感じですか?」
ざっくりと問いかける。すると、おじさんは肩をすくめた。
「こんなご時世だからな……売れ行きをどうこう言う前に、身の安全が心配だ」
「そうですよねぇ……」
「うちの仕入れ先は、帝都近隣の農家だ。余所へ売りに出すことはないだろうが……今後、生産量を絞る可能性はある。最悪、逃げ出しちまうかもしれんしな」
言いながら、おじさんは陳列棚を見る。今のところは思ったほど高騰していたり、品薄になっているようには思えない。だが、それも時間の問題なのだろう。
「保存の利く食糧や、携行食になるものは飛ぶように売れてるよ。もう別の街へ避難したお得意さんもちらほらいるしな」
「そうですか……」
「まあ、五年前と違って、今回は逃げ出す時間があるだけマシだ」
「おじさんは避難しないんですか?」
尋ねると、おじさんは諦念のこもった溜息をついた。
「行くあてもないし、俺の財産はこの店一つだからな……それより」
そして、今度はシルヴィに視線を向ける。
「シルヴィちゃんもかわいそうになぁ……せっかく引っ越してきたのに、こんな災難に巻き込まれるなんて」
「そうですね……」
シルヴィはフォルヘイムで帝国の遠征に巻き込まれて、多くの知人を失っている。俺について帝都へ来た理由の一つは、また戦禍に遭わないためだった。
それにもかかわらず、今度はこの街が戦争の舞台になるということで、快活な彼女もさすがに落ち込む日々が続いていた。
「おばさん、これもっとある?」
「ああ、あるよ。ちょっと待っとくれ」
そんな会話を交わすシルヴィを眺めるが、やはりその笑顔は曇りがちだった。
「たくさん買い込むんだねぇ。あんまり日持ちしないやつだけど、大丈夫かい?」
「うん、お祭りなの」
「……お祭り?」
シルヴィの答えにおかみさんが首を傾げる。さすがにその答えじゃ分からないよな。
「明日、第二十八闘技場で宴会をするんです。それで、不足する食材を買い足しているんですよ」
「宴会だって? また、変な時期にやるもんだね」
俺の説明に、おじさんは目を丸くした。まあ、普通に考えればおかしな話だよな。
「次の戦いには、第二十八闘技場の剣闘士たちも参加するんです。それで、その壮行会を兼ねようということになって」
そう説明すると、ようやくおじさんは納得したようだった。
「そういえば昔も、エレナが剣闘士たちに料理を振る舞うとか言って、さんざん食材を買っていくことがあったな」
「ああ、明日の宴会はヴィンフリーデが料理を作りますよ」
「そういや、ヴィーちゃんも料理が上手いんだっけ? 懐かしいな」
まだクロイク家が揃っていた頃を思い出したのだろう、おじさんは懐かしそうに目を細める。
「しかし、そうか。今回は剣闘士も戦いに参加するのか。それは心強いな」
「そうなのね。じゃあ、『極光の騎士』も参加するの?」
「ええ、その予定です」
俺の答えを聞くと、おかみさんはシルヴィの頭にポンと手を置いた。
「それなら安心ってもんだ。シルヴィちゃん、心配いらないよ。『極光の騎士』がいるんだからね。負けるはずがないさ」
「……うん」
なおも考え込む様子のシルヴィを見て、おじさんとおかみさんは同時に俺に目配せする。フォローしてやってくれ、ということだろう。やがて、おじさんは頼んだ食材を手早くまとめる。
「ほいよ、これで全部だな」
「はい、ありがとうございます」
そして料金を支払うと、俺はシルヴィと店を出た。一度闘技場へ戻ろうと足を向けたところで、シルヴィが口を開く。
「お兄ちゃん、ちょっと寄り道していい?」
「ああ、構わないが……どこに寄るんだ?」
「あのね、ユグドラシルの穴を見に行きたいの」
「ユグドラシルを? ……ああ、分かった」
驚きながらも了承する。禍々しい巨枝と、それを中心とした不吉な大穴。気味悪がって近付く人も少ないと聞くが、シルヴィの真剣な表情を見てしまっては、却下する訳にはいかなかった。
そして、俺はシルヴィと共にユグドラシルへ向かう。突如として地表に突き出た巨枝だが、その後はあまり成長していないらしい。そのため、他の建物に遮られており、遠くからその姿を見ることはできなかった。
「あ――」
そうしてどれくらい歩いただろうか。ユグドラシルまで辿りついた俺たちは、目の前の光景に言葉を失った。
「まさか、ここまでとはな……」
ユグドラシルの根元には、想像を超える大穴が生じていた。その直径は二十メテルを超えており、穴の淵にある地面は、今もじわじわと闇色の何かに侵食されている。この穴は冥界と繋がっているのではないか。何も知らない人であれば、そう思っても無理はないだろう。
淵のギリギリまで近付けば、地下の様子が分かるのかもしれないが、今は帝国軍によって厳重な警戒態勢が敷かれており、そこまで近寄ることはできなさそうだった。
「どうやら、これ以上は進めないようだな」
そう声をかけるが、隣のシルヴィから返事はない。彼女は真剣な顔でユグドラシルを眺めていた。
「……お兄ちゃんって、とっても頼りにされてるんだね」
やがて、妹はぽつりと呟く。
「闘技場の人だけじゃなくて、そうじゃない人も、みんな『極光の騎士』なら何とかしてくれるって、そう言ってるもん」
「……」
「ほんとはね、すっごく怖いの。またフォルヘイムみたいに、みんなが死んじゃったらどうしようって」
「……そうだな」
実を言えば、俺は数日前に、シルヴィを帝都から避難させようと話をしていたのだ。彼女には魔工銃という得物があるが、それでも限界はある。そう説得したのだが、「お兄ちゃんも一緒じゃないなら嫌だ」と断られてしまったのだ。
「でも、お兄ちゃんはあんなに頼りにされてるんだもん。逃げられるわけないよね」
「……ああ。それに、ユグドラシルにせよヴェイナードにせよ、何かと因縁があるしな」
それは衷心からの言葉だった。フォルヘイムのユグドラシルを滅ぼしたこと。三千年前の真実を知ったこと。そして、一時は味方として共に戦ったヴェイナードのこと。見て見ぬふりをするには、あまりに縁が深すぎた。
「うん……だから、私も頑張るの」
「え?」
訊き返すと、シルヴィはぐっと視線に力を入れてこちらを見つめる。
「お兄ちゃんの古代鎧とか、ダグラスおじさんの魔法盾とか、他のみんなの分も、ギリギリまで整備するから」
そして、シルヴィは泣き出しそうな顔のままで笑った。
「あのね、なんだか変な気持ちなの。やらなきゃって思って、でも怖くて、なのに背筋がピンと伸びて……」
何を言っているのか自分でも分からないままに、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出す。そんな妹に手を伸ばすと、俺はその頭を撫でた。
「それは……誇りじゃないかな」
魔工技師として、そして人として。強要されるものではなく、自分の裡から見つけるしかないもの。彼女がそれを見出したのであれば、無理やり避難させることはできない。
「シルヴィが手伝ってくれるなら、俺たちはとても助かる。装備一つが生死を分ける戦いになるだろうからな」
ユグドラシルだけでも、神々が滅ぼしきれなかった難敵だというのに、そこにはヴェイナードやデロギア、そして亜種の枝を持った亜人の精鋭までもが揃っているのだ。正直に言って、生還率は低いだろう。
だからこそ、シルヴィの申し出はありがたいものだった。
「もちろん、当日の避難先は入念に検討しているが……それまでは、シルヴィの力を貸してくれると助かる」
「うん、任せて!」
シルヴィは勢いよく頷く。不安を完全に吹っ切ったわけではないだろうが、その表情は随分と明るいものだ。そんな妹につられて、俺もまた笑顔を浮かべるのだった。