開戦Ⅳ
追手を恐れて、できる限りの移動速度で進んだ俺たちは、第二十八闘技場の地下施設の前に立っていた。
「――だが、本当に大丈夫なのか?」
「もう、疑い深いわね。いったい何を心配してるの?」
「可能性ならいくらでもある。魔力量の多い俺たちを生贄にするだとか、フェルナンドを人質にするということもあり得る。他にも、第三勢力の存在や――」
「でも、なんだかんだ言って一緒に来てるじゃない」
「……他に当てがないからな」
彼らのやり取りに兜の下で苦笑する。ソリューズさんが気にしているのは、俺がさらなる罠を用意していて、彼らを陥れようとしているのではないかということだった。
「ごめんね、『極光の騎士』。こいつ、びっくりするくらい疑い深いのよ」
「お前たちが気楽すぎるからこうなったんだ」
「気にしてはいない」
そう答えると、俺は地下施設を確認する。特に何事かがあった形跡はない。もともと戦闘区域から外れていたため、影響がなかったのだろう。
とは言え、じっくり地下遺跡を検分して回れば、地上まで土柱が伸びているこの施設が、第二十八闘技場の地下だということに気付くはずだ。あのヴェイナードが、そんな初歩的なことを見落とすとは思えなかった。
「埋める必要があるな……」
苦々しく呟きながら、俺は地下施設の扉の前に立つ。
「――認証。施錠解除。扉を開放します」
そんな音声が聞こえたかと思うと、扉が重々しい音を立てて開いていった。
「古代遺跡に主人として認証されているのか……?」
「ほら、考えるのは後! あの竜人が来たらどうするのよ」
何やら考え込んでいるソリューズさんの背を押して、ローゼさんが中へ入る。次いでフェルナンドさんが足を踏み入れたことを確認すると、俺は振り返って周囲の様子を確認した。今のところ人影はない。一安心といったところだ。
「扉を閉鎖します」
俺が中へ入ると、再び門が閉じていく。その様子を見届けると、俺は中にいる三人に向き直った。
「……ここは第二十八闘技場の地下だ。後は上るだけで地上へ戻れる」
そう告げた時の、三人の反応は様々だった。
「これは驚きましたね……地下の古代遺跡と、地上の闘技場が繋がっているとは」
「この遺跡は防衛施設……のようだな」
「え? どうして第二十八闘技場……に……」
そんな三人を先導するように、俺は地下施設の中を先導して、階段のある部屋まで連れて行く。目の前にそびえ立つ長大な螺旋階段に、三人が言葉を失った。
「これは……先が長そうですね」
「まあ、地下世界の天井部の岩盤の高さを考えれば、妥当だな」
フェルナンドさんとソリューズさんが苦笑を浮かべる。満身創痍の身体にこの階段はきついだろう。そして――。
「ねえ、ミレウス君。ここから地上まで、すべて階段なの?」
「!?」
ローゼさんの問いかけに、俺は言葉を失った。兜で顔が隠れているため、露骨な反応はしていないはずだが……。そして、驚いたのは他の二人も同じようだった。
「ローゼ。一難去ったとはいえ、気を抜きすぎだぞ」
「まあ、ここは第二十八闘技場と繋がっていると聞かされた後ですからね。ミレウス君と呼び間違える気持ちも、分からないでは――」
だが、フェルナンドさんは途中で言葉を止めた。ローゼさんの笑みが深まる一方だったからだ。そして、逆に俺のほうを見つめる。
「まさか――」
「実は、最初から気になってたのよね。ほら、私って耳がいいでしょ?」
「ああ。どんな遠くにいても、自分の悪口は聞き逃さないからな」
「そっちじゃないわよ!」
「今は茶化さず聞きましょう。ローゼ、貴女が音の聞き分けを得意にしていることは知っていますよ。何度も助けられましたからね」
フェルナンドさんがフォローすると、ローゼさんは話を本題に戻した。
「それでね。ミレウス君と『極光の騎士』って、口調も違うし、声の高さも全然違うけど、基本になる声質がそっくりなのよ」
「……」
俺は沈黙した。そう言えば、親父の冒険者時代の昔話で、『化物じみた聴力』を持つ仲間が活躍したシーンがいくつかあったことを思い出す。あれはローゼさんのことだったのか。
「それで気になってたら、あの竜人は『闘技場を経営している』と言うし、連れてこられたここは第二十八闘技場だし……結び付けて考えちゃうじゃない?」
「だが、エルフだとも言っていなかったか? ミレウスの外見は普通の人間だった」
「混血種だとも言っていたわよ。つまり――」
「なるほど、セインなら種族を問わず口説きそうだな」
「ソリューズ。もしローゼの言葉通りなら、その話はいささかデリカシーに欠けますよ」
そんなやり取りを聞いていた俺は、静かに息を吐いた。そして、両手で兜を外す。
親父の仲間である彼らに認められたかったのか、それとも闘技場と関係ない世界の人たちだったから、明かす気になったのか。
なんにせよ、敬意を持っている彼らに正面きって尋ねられた以上、騙す気にはなれなかった。
「ほら、やっぱりミレウス君じゃない!」
ローゼさんが嬉しそうに手を打ち合わせる。だが、他の二人は半信半疑だったのだろう。『極光の騎士』の素顔を見た彼らは、驚きを隠せていなかった。
「でも、やるわね。さっきも自然な流れで話しかけたつもりだったけど、引っ掛からなかったし」
「もう五年以上、『極光の騎士』を演じていますから」
「まさか、ミレウス君があの『極光の騎士』だったとは……」
フェルナンドさんは感慨深そうに呟く。
「だが、なぜ隠していた? 闘技場の支配人が剣闘士ではまずいのか?」
「そういうわけではありませんが……『極光の騎士』の強さの大半は、この古代鎧によるものです。私自身は魔術を使えませんし、筋力強化がなければ剣士としても非力ですから」
「あ、そっか。エルフの血が入ってるんだったら……」
「なるほど、それで筋肉がつきにくかったんですねぇ」
「それは予想外だったな。……セインの奴、それくらいは伝えておけばいいものを」
不思議なことに、三人は俺の体質のことを知っているような口ぶりだった。
「でも、闘技場って魔法の武具が禁止されてるわけじゃないんでしょ?」
「そうですが……この鎧は強力すぎます。少なくとも、ミレウス・ノアの実力ではありません」
そう答えると、三人は同時に顔を見合わせた。
「意外。ミレウス君って武人肌だったのね」
「イグナートに育てられた以上、不思議はないがな」
そんなやり取りの後で、フェルナンドさんが口を開く。
「ミレウス君は複雑な気持ちかもしれませんが、私たちとしては、戦友たちの子がこれだけの戦闘力を得て、英雄と呼ばれていることは誇らしいことです」
「そうよ、卑下する必要なんてないわ。もっと誇ればいいのに。大々的に、パーッと」
「……ローゼ、『極光の騎士』の正体を情報屋に売るなよ」
「するわけないじゃない! 私をなんだと思ってるのよ」
ローゼさんは頬を膨らませる。だが、ソリューズさんはそれに構わず、目の前の階段を見上げた。
「ともかく、続きはこの階段を上ってからだな」
「そうですね。ミレウス君のおかげでなんとか切り抜けましたが、情勢は切迫しています。ユグドラシルの復活だけは、なんとしても阻止しなければ」
「ええ」
俺はフェルナンドさんの言葉に頷くと、地上へと続く階段を上り始めた。
◆◆◆
疲弊した身体で長大な階段を上りきった俺たちは、支配人室でぐったりと身を投げ出していた。外はすっかり暗くなっていることもあって、気を抜くと眠ってしまいそうになる。
「この歳であの階段は堪えますね……」
「お前たちは鍛えているからいいだろう。俺など……」
「魔術塔から出ろとは言わないからさ、ソリューズも少しは塔の中で運動したら?」
「馬鹿を言うな。魔法研究に集中するために塔を作ったと言うのに――」
そんな言い合いにも力がない。そして、彼らより若いとはいえ、俺も疲労していることに変わりはなかった。
「鎧、脱いじゃえば? いくら筋力強化がかかっていても重いでしょ?」
そんな俺にローゼさんが話しかけてくる。疲れている彼らを待たせて、俺だけ古代鎧の隠し場所へ向かうわけにもいかず、俺は今も『極光の騎士』のままだった。
「そうですね……それでは失礼して、古代鎧を片付けてきます。皆さんはこのまま休憩していてください」
「言われなくても、しばらくここから動けんぞ」
ソリューズさんの言葉に頷くと、俺は疲労を押してソファーから立ち上がった。そして支配人室の扉を開けて……扉の前にいた人影にぶつかりそうになる。
「あ! お兄ちゃ――」
そこにいたのはシルヴィだった。途中で口ごもったのは、俺の後ろに来客の姿を見つけたからだろう。
「シルヴィ、大丈夫だ。みんな『極光の騎士』の正体を知っている」
再び支配人室へ戻り、扉を閉めてから説明する。この三人にはシルヴィを引き合わせたことがあるため、すでに顔見知りだ。
「それで、どうしたんだ?」
「あのね、ヴィンフリーデお姉ちゃんたちと帰ろうとしてたの。でも、灯りがもれてたから、お兄ちゃんが帰ってきたのかなって」
「ああ、なるほどな」
第二十八闘技場から地下世界へ潜る前に、ヴィンフリーデには簡単な顛末を説明していたのだが、シルヴィには会えずじまいだったからな。そんなことを考えていると、妹の表情がふっと曇った。
「お兄ちゃん、これ……『大破壊』さんとの試合でついたの?」
シルヴィは古代鎧の損傷に気付いたようだった。その中には、『大破壊』との戦いではつくはずのない、炎で溶融した装甲も含まれている。魔工技師として確かな腕を持っている彼女を、口先でごまかすことはできないだろう。
「いや。地下でちょっと戦いになってさ」
そう説明すると、シルヴィははっとした様子でソファーの三人に視線を向けた。ハイレベルな父親のパーティーメンバーたちが、満身創痍としか言えない状態でぐったりしている。そう考えれば、激戦のほどは察しがついたのだろう
「それって――」
シルヴィが口を開いた瞬間だった。ガチャリと扉が開かれる。ヴィンフリーデとユーゼフだ。そう言えば、シルヴィは二人と一緒に帰ろうとしていたのだったか。
「ええと……これはどういう状況かしら」
ヴィンフリーデが俺に目で問いかける。俺をミレウスとして扱っていいかどうかの確認だろう。
「とりあえず、扉を閉めてくれるか? ……鍵も頼む」
ユーゼフが鍵をかけたことを確認すると、俺は兜を外した。ミレウスとして扱っていいという返事に、ヴィンフリーデが目で頷く。
「――簡潔に言うぞ。地下遺跡で戦争があった。相手は亜人連合だ」
「やっぱり……」
「ということは、そちらのお三方とミレウスは戦争に参加していたのかな?」
「ああ。俺は出遅れたけどな。敗走する部隊を救出するのが精一杯だった」
「……あまりいい話じゃなさそうだね」
俺は頷くと、彼らに地下世界での顛末を語る。すべてを聞き終えたユーゼフは、渋い表情を浮かべていた。それも当然だろう。数十メテルの岩盤が隔てているとはいえ、仇敵の軍勢が自分の足下にいるのだから。
「実は、皇城を中心に動きがおかしくてね。帝都の住民も不穏な空気には気付いていて、だいぶ浮足立っているんだ」
「まあ、そうだろうな……」
あの戦いで発生した死傷者はおびただしい数だったはずだ。それらを皇城の中だけでどうこうできるはずはない。もはや、どこかで事態を公表するしかないはずだが……。
そんなことを考えていると、軽く右手を引かれた。シルヴィだ。いつも快活な表情しか見せない妹は、今にも泣き出しそうだった。
「お兄ちゃん……また、たくさん人が死ぬの?」
「……」
炎に包まれたフォルヘイムの街を思い出す。異邦人だった俺はともかく、あの街で生まれ育ち、多くの知人を失った彼女にとってはトラウマと言っても過言ではない事件だ。
「また、か……」
そして、それはフォルヘイムだけの話ではない。五年前に襲撃され、多くの知人たちが虐殺された記憶は、俺の脳裏にも刻みつけられていた。
「心配するな」
シルヴィを帝都から逃がす。それだけなら、そう難しいことではない。だが、彼女が無事であったとしても、この街で縁を紡いだ人々が失われてしまえば同じことだ。今度こそ、立ち直れないトラウマになる可能性もあった。
「しかし……どうする気だ? ミレウスはたしかに強いが、個の戦力だけで戦局は変わらん。それが防衛戦であればなおのことだ」
「どちらかと言えば、次の戦いは向こうにとって防衛戦だと思いませんか? 向こうの弱点はユグドラシルです。アレがなければ、帝都を陥落させることはできても、他の国々に対抗することはできません」
ユグドラシルの防衛こそが、最大の目的となるはずだ。対して、こちらは地上と地下を繋ぐ経路が少ないため、防衛にそこまで苦戦することはないだろう。
「まあ、そうだが……そのユグドラシルが一番の難敵だろう」
「はい。フォルヘイムに生えていた小型のユグドラシルでさえ、ギリギリの戦いでしたからね」
結局、あの時はシンシアの神聖魔法でなんとか倒せたが……本人も、あのサイズだからこそなんとかなったと、そう言っていたからな。今度は同じようにはいかないだろう。
「――え? ちょっと待って。ミレウス君、ユグドラシルと戦ったことあるの?」
と、慌てた様子でローゼさんが口を挟んでくる。
「はい。フォルヘイムで、帝国軍が攻め込んだどさくさに紛れて……」
「えぇっ!? どうやったの? だって植物化――」
言いかけて、ローゼさんははっと口を紡ぐ。シルヴィがいることに思い当たったのだろう。その気遣いに感謝して、俺は単語を伏せて話を続ける。
「神聖魔法を使える仲間がいましたから」
「――ああ、あの『天神の巫女』ですね。ハイレベルな神官だとは思っていましたが、予想以上に強い力を持っているようですね」
「ええ、頼りになりますよ」
俺は即答した。いくらフェルナンドさんでも、その『天神の巫女』が三千年前にユグドラシルを封印した『天神の巫女』の転生体だとは予想できないだろうな。
「それで、どうやって倒したんだ? まさかミレウスと巫女の二人だけではないだろう」
「そうですね、魔術師がもう一人いました」
素直に頷く。レティシャとシンシア。どちらが欠けても、あのユグドラシルを滅ぼすことはできなかっただろう。
「……一人?」
「ええと……つまり、三人だけでユグドラシルを倒したのですか?」
「敵地の奥深くで援軍も呼べませんでしたし、そもそも帝国軍とは無関係にフォルヘイムを訪れていたものですから」
目を点にして驚くフェルナンドさんたちに、当時の実情を説明する。
「問題はそこではないが……だが、それで納得した。敵が慌てて引き上げたわけだ」
ソリューズさんが言っているのは、ローゼさんの人間砲弾で、俺がユグドラシルへ向けて撃ち出されたと思わせた時のことだろう。
「ユグドラシルを滅ぼした実績があるんだものね。ユグドラシル本体とはいえ、まだ封印されているわけだし、万が一を恐れて当然だわ。……いやー、私いい仕事したわー」
ローゼさんがおどけたように呟くと、場の空気が少しだけ和らいだ。と――。
「ん?」
トントントン、と支配人室の扉がノックされる。いつもと異なる性急なノック音に、俺はヴィンフリーデと顔を見合わせた。
「……頼む」
俺が兜を被ると、心得たようにヴィンフリーデが扉を開いた。そこに立っていたのは第二十八闘技場の従業員だが、明らかに慌てた様子だった。
「あの、支配人にお客様がお見えなのですが、その……」
支配人室を覗き込んだ従業員は、支配人がいないことに気付いたのだろう。困惑顔を浮かべた。
「どうしたの? 支配人は席を外しているけど、闘技場内にいるわ。相手は誰なの?」
ヴィンフリーデがそう答えると、彼はほっとした様子で答えた。
「それが……皇帝陛下が、直々にお見えなのです」
予想外の来客名に、俺たちは同時に顔を見合わせた。