開戦Ⅲ
俺たちを取り囲み、その包囲網を狭めつつある亜人たち。だが、彼らが近付くまで、大人しく待つつもりはなかった。
「次元斬!」
俺は不意打ちで遠距離攻撃を仕掛けた。威力増幅で数十メテルに伸長させた魔法剣が彼らを襲う。
「ふむ……」
相手もかなりの手練れであるようで、俺の不意打ちに対応してくる。初撃で倒せたのは一人だけだ。だが、こちらも一撃で終わらせるつもりはない。長大な射程を誇る次元斬を振り回して相手の隙を突き、その場にいた三人を斬り伏せた。
「剣闘士だと聞いたが……試合開始を待たずに先制か」
と、その様子を見ていたソリューズさんが呟く。
「こういう戦い方は嫌いか?」
「いや……悪くない」
ソリューズさんはニヤリと笑う。彼にしては珍しい笑顔だった。
「あいつもそうだったもんね」
「闘技場の覇者というものは、考え方も似ているのでしょうかねぇ」
ローゼさんとフェルナンドさんが懐かしそうに笑う。そんな中、ソリューズさんが俺に向き直った。
「前衛として竜牙兵を十体ほど召喚するが、あくまで壁だと思え。耐久力はあるが、戦闘力は熟練の戦士に及ばん」
つまり、まともな前衛は俺一人ということか。
「流光盾展開」
前衛として、竜牙兵とともに敵を食い止める。その意思表明のために魔法の盾を展開する。敵はまだまだ残っているが、やるしかない。
『先ほどの不意打ちで、雷霆一閃を使えればよかったのですがねぇ……』
『魔力切れになって動けないのは致命的だからな』
敵の動きを注視しながら、クリフのぼやきに答える。魔力量が心もとない状態で相手取るには、かなりの強敵だ。俺は気を引き締めて接敵を待った。
「酩酊霧」
口火を切ったのはソリューズさんだった。数十メテルにわたって奇妙な色合いの霧が発生し、敵を包み込む。攻撃魔法というよりは、相手の戦闘力を削ぐ目的なのだろう。
「魔力塔接続――雷霆渦」
そして、すかさず第二撃を放つ。雷霆一閃をも上回る凶悪な轟雷が渦巻き、敵を呑み込んだ。
『かなり高位の魔術師のようですね』
その様子を目の当たりにして、クリフが感心したように呟く。雷の渦が消滅した後には、六人ほどが倒れ伏していた。
『まあ、親父の仲間だからなぁ――っと』
俺はソリューズさんのほうへ駆け寄ると、何もない空間を薙ぎ払う。直後、その空間で小爆発が、そして離れていた敵の一人が大爆発を起こした。
「転移魔法を阻害……いや、破壊して暴走させたか。面白い奴だ」
ソリューズさんが感心するように呟く。
「ちょっと! 面白がってないで応戦してよ!」
そこへ声を飛ばしたのはローゼさんだ。矢を連射しているが、その勢いには緩急がある。敵が一度に押し寄せないように調整しているのだろう。
「砂の抱擁」
そして、フェルナンドさんも敵の足止めをしていた。巨大な流砂が発生して、近付こうとしていた敵を阻む。同時に地形をも操作したようで、隆起した幾本もの土柱が、包囲や狙撃を難しくしていた。
「『極光の騎士』。強化魔法は必要ですか?」
そう問いかけるフェルナンドさんに、俺は首を横に振ってみせた。下手をすると過剰強化になりかねないからな。この局面で、自分の身体を制御できないようなことになれば致命的だ。
「いや、間に合っている」
そして、前へ出る。敵は近くまで迫っていた。
「っ!」
身体を捻って、先陣を切って突撃してきた人狼の爪を避ける。そのまま後衛を狙おうとしたのだろう、俺の横をすり抜けようとしたその足を斬り裂き、転倒したところを氷尖塔で下から貫く。
そして、わずかな時間差で迫った人虎の爪を剣で弾くと、至近距離で顔面目掛けて火炎球を放つ。直撃こそしなかったものの、不意を突かれて姿勢を崩した人虎を袈裟懸けに斬り捨てた。
『主人、上です!』
流光盾を上方へ掲げると、上空の翼人が投げた槍が激突する。お返しとばかりに魔法を放とうとしたが、その必要はなかった。ローゼさんの矢が翼人を貫いたのだ。
ならばと視線を地に戻せば、ドワーフらしき全身鎧を先頭にして、三人ほどが突進してくる。そこへ威力増幅した真空波を叩き込むと、隊列が乱れた。そして、俺は先頭のドワーフの斧槍と剣を交え――。
「爆発」
直後、ソリューズさんの魔術が後ろの二人を吹き飛ばした。さらに、背後で起きた爆発のせいで隙を見せたドワーフの、鎧の隙間に剣を突き立てる。
さすがは親父の戦友だけあって、彼らの戦い方は巧みだった。多勢に無勢にもかかわらず、的確に数を減らしていく。このままいけば、切り抜けられるかもしれない――そう思った時だった。
「あれは……強いな」
ふと、場の空気が変わった。新たに竜人が現れたのだ。他の竜人よりも一際巨大であり、強烈な存在感を放つ男。これまでの敵とは明らかに一線を画すだろう。そして……。
「『剛竜』デロギア?」
俺はその竜人を知っていた。第二十八闘技場のモンドールと上位ランカーの座を賭けて戦ったバルノーチス闘技場の剣闘士だ。
「知っているのですか?」
「最近帝都に現れた剣闘士だ」
「ということは、侵攻に先駆けて潜り込んでいたわけですか……」
『枝』から放たれた火炎流を魔法障壁で防ぎながら、フェルナンドさんは苦い声で呟く。
「だが、あの時とはプレッシャーが違う。どういうことだ……?」
近付く敵を真空波と氷雨で足止めして、思考時間を稼ぐ。
『剛竜』デロギアは上位ランカーに匹敵する強さではあったが、ここまで強大だっただろうか。交流試合ではモンドールが勝利を勝ち取ったが、少なくとも今のデロギアには勝てないはずだ。
「竜人の中には、自分の能力を引き上げる『竜化』という技を使える個体がいる。もしそうなら、技術や機敏さはそのままで、ドラゴン級の身体能力を得るという化物じみた相手だぞ」
俺の疑問は、ソリューズさんによって解消された。竜人にはそんな力があったのか。
「えー! それって、だいぶ苦戦したやつじゃない」
矢を放ちながら、ローゼさんが嫌そうな声を上げる。どうやら、彼らは過去に戦ったことがあるようだった。その話の続きが気になるところだが……。
「――!」
襲い来る弾丸を剣で弾く。新たに参戦するのはデロギアだけではないようだった。
「ヴェイナードが動いたか……」
そもそも、これまで戦いを静観していたことがおかしいのだ。彼の狙撃は威力、精度ともに脅威だ。乱戦で狙いをつけにくいという面はあるかもしれないが、やってできないことはないだろう。
「来るぞ!」
さらに、そこへデロギアが突貫してくる。相変わらず格闘術が主のようだが、その速度には目を見張るものがあった。
「――!」
デロギアが右手を閃かせる。速く、そして重い。俺が全力で剣を打ち合わせたにもかかわらず、彼の爪が欠けた様子はなかった。次の瞬間には左拳による打撃が迫り、それを避けた俺を尻尾が襲う。
尻尾の奇襲を剣で弾くと、左脚から繰り出される低い蹴撃を跳び上がってかわす。すかさず追撃しようとするデロギアの足下に巨大な氷柱を出現させ、避けたところへこちらの剣撃を叩き込む。
すでに戦いは高速戦闘の域に突入していた。お互いに相手の攻撃を読み、かわし、隙を作り出して反撃する。予想通りデロギアは強敵であり、もしここが闘技場であれば、俺は新たな好敵手の登場に心を躍らせたかもしれない。
だが――。
『また竜牙兵が倒されました。残り三体です』
クリフが伝えてくれる情報が、俺の理性を呼び戻す。ここは闘技場ではないし、一人で戦っているわけでもない。唯一の前衛である俺が、デロギアにかかりっきりになっていてはパーティー崩壊だ。
『後衛はどうなってる?』
デロギアと戦いながら、クリフに念話で問いかける。自分で確認する余裕はないため、彼の存在はありがたいものだった。
『苦戦しています。竜牙兵では接近する敵を阻みきれず、フェルナンド殿が戦棍で応戦していますが……その分、魔法障壁の展開が追い付かなくなり、ヴェイナード殿の狙撃への対応が難しくなっています』
だが、返ってきた答えは芳しいものではなかった。俺のほうを狙撃しないのは、すでにデロギアと高速戦闘に入っており、誤射の可能性が高いためだろう。
『竜牙兵が一体消滅。また、ソリューズ殿が脇腹を負傷しています。狙撃されたようです』
『くっ――』
どうすればいい。デロギアの猛攻は続き、ヴェイナードの狙撃が後衛三人にダメージを与えていく。もはや、手詰まりと言える状況だった。と――。
「っ!?」
爪と剣が激突した直後、デロギアがカッと顎を開いた。刹那、喉の奥から灼熱の炎が撒き散らされる。竜の吐息だ。だが、考え事をしていた俺は、わずかに反応が遅れた。
「ぐ……」
左半身の焼け付く痛みに顔を顰める。とっさに飛び退こうとしたものの、それを見越していたデロギアの尻尾が邪魔をしたこともあって、完全には回避できなかったのだ。
続く蹴撃をなんとか剣で凌ぐが、焼かれた半身が悲鳴を上げる。クリフが治癒をかけてくれようとしているが、一度や二度で治るレベルではないだろう。
「――!」
そして、その間にもデロギアの連撃が襲い来る。左半身が上手く動かないことに気付かれたのだろう。左側からの攻撃が増えており、俺は防戦一方になっていた。
『クリフ、フェルナンドさんたちは?』
『竜牙兵が全滅し、追い詰められています。後衛だけで戦闘を継続しているのは驚異的ですが、負傷も多く、死者が出るのも時間の問題でしょう』
それは絶望的な報告だった。最悪の場合でも、俺は流星翔で逃げることができる。――だが、彼らは。最悪の結末を予測して、俺は奥歯をギリッと噛み締めた。
その時だった。
「女神の選別」
背後から、不思議な圧力を伴った白光が広がった。光に触れても、俺にはまったく影響がなかったのだが――。
「ッ!?」
俺と戦っていたデロギアが目を見開いた。謎の光が、彼をじりじりと押し出していたのだ。デロギアは腰を落として光の圧力に耐えようとしていたが、じりじりと後退させられていく。
「『極光の騎士』!」
呆気にとられてその様子を眺めていた俺は、駆け寄ってきたローゼさんの声で我に返った。
「今の光は――」
「フェルナンドの神聖魔法よ! それより、これを!」
満身創痍のローゼさんは、大きな布らしきものを取り出した。意図がまったく分からず沈黙していると、彼女は早口で説明をしてくれる。
「一芝居打つわ! これを被ってじっとしていて!」
「芝居? それに、この布は……」
だが、それはあまりに断片的な説明であり、さっぱり全貌が分からない。俺が戸惑っていると、ローゼさんは俺の両腕を掴んだ。
「時間がないわ! お願い、私たちを信じて!」
「……分かった」
そこまで言われて、断る理由はない。俺は大きな布を受け取ると、頭から被って座り込んだ。
『これは……』
身体を違和感が包んだ。視界が遮られて当然のはずだが、布を被る前と同じように周囲が見える。
『どうやら魔道具のようですね。透明化の魔法と似た機能でしょう』
『ということは……気配も殺したほうがいいのかな』
そう思い付いて、俺は自分の気配を殺す。ローゼさんの目的は分からないが、そのほうがいい気がしたのだ。
直後、ローゼさんの弓へ向かって膨大な光量が集まっていく。そして――。
「人間砲弾!」
彼女の身体がカッと輝き、直径十メテルほどの光の奔流が遠くを目がけて飛んでいく。それはあり得ないエネルギー量だった。
『ん? どこを狙ったんだ?』
だが、俺は首を傾げた。遠くから狙撃してくるヴェイナードを狙っただとか、そういう次元ではない。下手をすれば地下世界の端に到達したのではないだろうか。そう思えるほどの飛距離に見える。
『そうですね。誤射にしては盛大すぎま――』
言いかけたクリフが固まる。何か心当りがあったらしい。
『あの光が落ちた先には、ひょっとして……』
だが、クリフが最後まで予想を述べることはできなかった。当の本人であるローゼさんが、大声で叫んだのだ。
「『極光の騎士』、ユグドラシルは任せたわよ!」
『っ!?』
彼女の思わぬ言葉に声を上げそうになる。自分が気付いていないだけで、俺はあの光線とともにユグドラシルへ撃ち出されたのだろうか。そんな支離滅裂な思考が頭をよぎる。
『そんなはずないでしょう。ただ、たしかに人の足らしきものが、光の中に見えましたが……』
俺の思念が漏れていたのだろう。クリフが呆れたように念話をよこしてくる。だが、それでも一抹の不安は拭えない。
『じゃあ、射出のエネルギーに耐えられず絶命した俺の残留思念が、今こうして残っている……?』
『主人、少し面白がっていませんか?』
そんなやり取りをしていると、敵部隊の動きに変化があった。半数が引き上げたのだ。遠くてよく見えないが、古代鎧を身に着けたヴェイナードらしき人物が指揮をとって、慌てた様子でユグドラシルのある方角へ向かう。
『……なるほど、そういうことか』
その様子を見て、俺はようやくローゼさんの作戦に気付いた。俺が単身でユグドラシルへ向かったと思わせて、敵戦力を分散させるのが目的だったのだろう。
デロギアらしき人影が残ったことは残念だが、それでもヴェイナードという厄介な敵と、それに精鋭部隊の半数は引き上げた。大成果と言っていいだろう。
「『極光の騎士』、信じてくれてありがとう」
そんなことを考えていると、透明化の布はそのままに、ローゼさんが話しかけてくる。まだ布を外さないのは、俺の姿を見られて、ヴェイナードたちが戻ってくることを懸念しているのだろう。
「親玉のヴェイナード……だったっけ? 彼はあなたをとても警戒してるみたいだったから、ちょっと利用させてもらったのよ」
「見事な機転だった。ところで、あの人間砲弾とやらで、光の中に人影が見えたように思うのだが……」
「へえ、よく見えたわね。アレは近くに転がっていた敵の亡骸よ。実際には光でほぼ見えなかったと思うけど……リアリティを追及しようと思って」
「なるほど」
それで俺の姿を隠したわけか。神聖魔法の輝きを煙幕代わりにして下準備をして、見事に騙してのけたわけだ。と――。
「まずいわね、あの竜人が来たわ」
慌ただしくヴェイナードたちが引き上げて、残りの部隊をまとめ上げていたデロギアだったが、ついに動き出したらしい。
「俺が出る」
いくら手練れの三人とは言え、デロギアとの接近戦は無理だろう。
「……お願いするしかないわね」
「問題は、俺が残っていることをヴェイナードが知って、引き返してくることだが……」
「うーん……どうかしら。なんとなくだけど、彼らは手柄争いをしているように見えるわ。この戦いが終わった後のことを見据えてるのかも」
そういえば、さっきも連携を取らずに突っ込んできた亜人たちが大勢いたな。
「だから、ヴェイナードには報告しないだろうと?」
「ええ。そして何より、彼らは全速力でユグドラシルへ向かったでしょう? 今から使いを出しても追いつかないんじゃないかしら」
「なるほどな」
彼らに追いつけるほど足の速い亜人がいたなら、それこそ優先でユグドラシルへ向かわせているだろうからな。
その間にも、竜人デロギアはゆっくり歩を進めていた。その後ろには、十メテルほど離れて十数名の亜人たちが付いてきている。彼らもデロギアには一目置いているのか、一人だけが突出している格好だ。
「……頃合いか」
その彼を迎え討つべく、俺は透明化の布を取り払った。突然現れた俺の姿に、後ろの亜人たちが驚きの声を上げる。
「ほウ……だが、丁度よかっタ」
意外なことに、今回のデロギアはすぐに攻めかかるつもりはないようだった。彼は十メテルほどの距離まで近付くと、独特の発音で話しかけてくる。
「『極光の騎士』、残っテいたカ」
「ああ。期待を裏切って悪いな、『剛竜』デロギア」
言葉を返すと、彼は驚いたように目を見開いた。まさか自分のことを知られているとは思っていなかったのだろう。
「腕の立つ剣闘士はすべて覚えている。……まあ、試合の間では本気を出していなかったようだが」
俺はモンドールの試合を思い出す。すると、彼は両手に嵌めたナックルダスターをガン、と打ち合わせた。
「試合の間、技を競うもノ。『竜化』不要」
どうやら、デロギアなりの考え方があるようだった。それならば、俺がとやかく言うことではない。そう考えていると、デロギアが口を開く。
「疑問。なゼ、そちら側ニいる」
「……なんのことだ」
「……我ガ盟友、ヴェイナードから聞いタ。汝はエルフであリ、そノ古代鎧をエルフ王族より授与さレたと」
その情報は、一部の者にしか知らされていなかったのだろう。デロギアの後方に控える亜人たちに動揺の色が見える。そして、驚いたのは亜人だけではなかった。
「え? 『極光の騎士』が……エルフ?」
「エルフ王族と繋がりが……?」
「古代鎧だと?」
ローゼさんたちが驚きを露わにする。本来であれば、彼らに向き直って説明するべきだろうが……今はデロギアから注意を逸らすわけにはいかなかった。
「かつて、汝は盟友と肩を並べテ戦ったと聞く。だからこそ解せヌ。同じ混血種である汝こそ、盟友の理解者であルはず」
「……同じ種族だから理解し合える、とは思わん」
「混血種ハどの種族でも疎まレる。その環境こそ理解の土壌」
「幸いにも、俺は恵まれた環境で育ったのでな」
答えながら考える。どうやら、デロギアは本当の意味でヴェイナードの盟友のようだった。彼の思想に賛同しているのか、それともその過程がデロギアの目的に適うのか。なんにせよ、口先だけでごまかすことは難しいだろう。
「盟友は、汝を待っていル。味方となレば最高の理解者であり、最強の戦士だと言っていタ」
「それは買いかぶられたものだ」
俺は肩をすくめた。仲間としてフォルヘイムに残らないか。ヴェイナードにそう勧誘されたことを思い出す。
「……汝ハ、強い。『竜化』した我と、ここまで戦える個体がいるなど予想外ダ。盟友の気持ちも分かル」
そして、デロギアは招くように手を差し出す。
「『極光の騎士』、我らノ仲間となれ。地上世界への出口は、すデに我々が占拠している。ここで逃げたとしても、行く場所はなイ」
「そのつもりはない。俺にはこの帝都でやることがある」
「汝ガ闘技場を経営している事は知っていル。だガ、亜人の統治体制下でもそれは可能ダ。それどころカ、亜人の幹部が経営する闘技場ともなれバ、運営も集客も思いのまマだ」
思いのほか深いレベルで、彼がヴェイナードと情報を共有していることに驚く。もしデロギアが支配人としての俺を全力で狙ってきたなら、さすがに生き延びる自信はない。
それをしなかったのは、勧誘を念頭に置いていたからか、それともデロギアの信念か。
「ユグドラシルの恐怖の上に成り立った支配体制下で、人々が剣闘試合を楽しめるとは思えんな」
なんにせよ、俺の答えは決まっていた。そして、デロギアに剣の切っ先を向ける。
「……残念ダ」
「俺も残念だ。どうせなら、試合の間で戦いたかった」
そして、俺たちは戦闘態勢へ移行して……。
「――虚構迷宮」
だが、戦闘が再開されることはなかった。ソリューズさんの魔術によって、目の前の景色が一気に変化したのだ。年月を感じさせる、古びた石造りの壁。それが百メテル四方にわたって展開されており、残った亜人の精鋭たちを呑み込んでいた。
『凄い規模だな……』
唖然と呟く。ソリューズさんの魔術だ。ただの壁と言うことはないだろう。言葉通りに内部は迷宮になっている可能性が高かった。
『大したものです。おそらく、地形操作と幻覚魔法の合わせ技だと思われます』
クリフが冷静に分析してくれるが、迷宮に囚われている亜人たちは大混乱していることだろう。ソリューズさんのことだから、床と見せかけて落とし穴だとか、その底に殺傷性抜群の杭を仕掛けるだとか、それくらいはしていそうだしな。
「ねえ、これって大丈夫なの? 目の前の壁を壊していけば、すぐに脱出できるんじゃない?」
「方向感覚を狂わせている。自分がどこを向いていたかも分かっていないはずだ。……それより、あの迷宮には足を踏み入れるなよ。地形の罠に加えて、召喚獣や魔工巨人がうろついているからな」
「もはやダンジョンだな……」
俺が感心して迷宮を眺めていると、ソリューズさんが咳払いをした。
「おい、さっさと撤退するぞ。いつ脱出されるか分からん」
彼が言う通りだった。俺を含め、全員が満身創痍であり、魔力もろくに残っていないだろう。この状態で敵部隊を殲滅することは不可能だし、返り討ちに遭う可能性のほうが高い。
「でも……どこに逃げる? 皇城の地下は、今頃亜人連合が取り囲んでるわよねぇ」
「そうでしたね……いっそのこと、しばらくこの地下遺跡に潜伏しますか。幸い建物はありますし、たまにですがモンスターも見かけました」
「毒性のないモンスターならいいけど……」
どうやらサバイバル生活を過ごして、帝国軍の再侵攻まで粘るつもりらしい。タフな人たちだな。だが、第二十八闘技場の地下施設からであれば、地上への撤退もできるはずだ。
「脱出経路に心当たりがある」
「え? 本当に?」
俺の言葉にローゼさんが顔を輝かせた。
「そう言えば、あなたがどういう経路で地下世界へ来たのか、聞いてなかったわね」
「ローゼ、問い詰めなくてもじきに分かりますよ。それより、今は急いで撤退するべきでしょう」
「その通りだ。あの竜人が短気を起こして、手近な壁をすべて壊し始めてしまえば、そう長くはもたん」
興味津々と言ったローゼさんに、他の二人から言葉が飛ぶ。
「それもそうね。話は移動しながらにしましょう」
彼女が同意すると、俺たちは急いでその場を後にするのだった。