予兆Ⅳ
帝都に現れた連続殺人犯を捕らえた翌日。俺は『極光の騎士』の姿で詰所を訪れていた。ウィラン男爵に呼び出されたためだ。
襲撃者を衛兵に引き渡す条件として、得られた情報を報告するよう求めていた俺は、その呼び出しに素直に応じていた。
「いいニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい」
「その出だしで、ろくな話を聞いた記憶がないな」
そう答えると、男爵は大仰に肩をすくめた。
「まあ、その通りだ。まずはいいニュース……というか、奴から得た情報だ。奴が帝都へ来た目的は三つ。一つ目はお前の殺害。そして、二つ目は裏切り者の始末」
「裏切り者?」
俺は聞き返した。裏切り者であるフェリウスの殺害であれば納得がいくが、今の話しぶりでは別の人物を指しているように聞こえる。
「すでにミレウス支配人から聞いていると思うが、フォルヘイムに関する情報提供者が帝都にいてな。彼らの口封じをするつもりだったらしい」
「ふむ、それも目的だったか」
たしかに、フォルヘイムとしては始末しておきたいところだろう。マイルたちを皇城に匿っている帝国の対応は正しかったと言える。
「それで、三つ目はなんだ」
「何かしらの魔術儀式を行うつもりだったようだ」
「魔術儀式?」
「ああ。詳しくは分からなかったが、奴が所持していた触媒を魔術ギルドが調査している。ということで、以上の三つが目的だったようだが……」
「どうした?」
その物言いに引っ掛かるものを感じた俺は、男爵に問いかける。
「私見だが、お前の殺害については、私的なものである可能性が高い。お前の話をする時だけ、奴が非常に感情的になるのでな」
「ほう?」
俺は首を傾げた。たしかにフォルヘイムで色々やらかした身ではあるが、顔も知らないエルフに恨まれることがあっただろうか。
「どうやら、フォルヘイムの支配者はお前のことを高く評価しているようでな。それに反発しているようだった」
その言葉に、フォルヘイムでヴェイナードと交わした言葉が甦る。だが、その話を男爵にしても意味がない。
「……五年前の襲撃を妨害したせいか」
「そうだろうな。あの戦いで『極光の騎士』が活躍したことは、帝都民なら誰でも知っている。フォルヘイムとてその程度の情報は仕入れていることだろう」
男爵は俺の言葉に深く頷いた。しかし……危険だから暗殺するのではなく、主が高い評価をしているから暗殺か。
「人材不足で気の毒なことだ」
古代鎧を与えたくらいだから、側近という立ち位置だったのだろうが、あまりにお粗末だ。それとも、派閥間の調整で登用したのか。その可能性もありそうだな。
「そして、悪いニュースだが……」
俺がフォルヘイムの内情を想像していると、男爵が悔しそうな顔で話を切り出す。
「犯人が殺害された」
「……脱獄ではなく、殺害か」
「その通りだ。念のためにと、詰所ではなく皇城の牢獄に入れていたのだが……城下町で死体が発見された」
「城下町で?」
「うむ。死体はひどい有様だった」
その言葉に首を捻る。尋ねたいことはいくつもあるが……。
「鎧は身に着けていたのか?」
「む? ……ああ、そうだったはずだ。脱獄の際に取り戻したのだろう。まあ、原型が分からないほど歪んだり融けたりしていたが」
俺の問いに首を傾げながらも、男爵は情報をくれる。
「ふむ……」
ということは、深手を負っていたとはいえ、古代鎧を身に着けたエルフを殺害したわけか。かなりの手練れだろうが……わざわざ脱獄を手引きしておいて、殺害する意味がよく分からない。口封じが目的であれば、牢獄で始末すればいいはずだ。
俺の沈黙をどう捉えたのか、再び男爵が謝罪する。
「すまん。せっかく『極光の騎士』が捕らえた重要人物を、むざむざ殺されるとは」
「皇城の牢獄であれば、男爵の落ち度ではあるまい」
「そう言ってもらえると助かる」
ウィラン男爵はほっとした表情を見せた。皇城の警備体制には思うところもあるが、彼を責めても仕方がない。男爵といくつか雑談を交わすと、俺は詰所を後にした。
◆◆◆
「ねえねえ! 今日の晩ごはん、わたしが作ってもいい!?」
「ああ、もちろん」
「やったー! あのね、面白い野菜を見つけたの! ゆでると軽く爆発するんだって!」
「……食材なんだよな?」
朝日が射しこむ大通りを、妹と二人で歩く。シルヴィと闘技場へ向かうようになってからと言うもの、道程が退屈になることはなかった。
「それで、魔術師のおじいちゃんが――あ! ミレさんとマディさんだ!」
話の途中で、シルヴィが顔馴染のご近所さんを見つける。彼女たちも同じく仕事に向かうところなのだろうが、足を止めて立ち話をしているようだった。シルヴィが勢いよく挨拶すると、二人は笑顔で挨拶を返してくれる。
「シルヴィちゃんは今日も元気ねぇ」
「本当に、うちの子にも見習ってもらいたいわ」
二人は笑顔でシルヴィを迎え入れた。そして、俺を置いてけぼりにして会話に花を咲かせる。
「……ん?」
と思ったのだが、今日は違う流れだった。一人がシルヴィと話をしている間に、もう一人が俺のほうへやってきたのだ。
「ミレウス君、ちょっと……」
「マディさん、どうかしたんですか?」
彼女は黙って頷く。マディさんは俺を連れて、シルヴィとの距離をさりげなく開ける。不思議な行動だが、何か訳があるのだろう。そう思わせるほど、彼女は深刻な表情を浮かべていた。
「聞いた? またこの街が襲われるかもしれないって」
「……え?」
俺は思わず訊き返した。ヴェイナードが他の亜人と手を組んで、再び帝都を狙っている。それはフェルナンドさんから聞いた話だ。だが、それはティエリア神殿長だから把握できた話であって、市井の噂に上るようなものではない。
「それって、相手はどこの国か分かっているんですか?」
「分からないけど……エルフが復讐に来るんじゃないかって、みんなそう言っているわ」
「そうですか……」
俺はそう答えるのが精一杯だった。五年前の襲撃事件の報復として、帝国がフォルヘイムへ攻め込んだと発表したのはそう昔の話ではない。それを考えれば、その帰結も当然ではあるのだが……。
「だから、ミレウス君も気を付けるのよ。シルヴィちゃんはまだ小さいんだから……」
「そうですね、一人で行動しないように言い聞かせておきます」
俺は素直に頷いた。実際には、護身用の魔工銃を持ち歩いているシルヴィの戦闘力はかなり高いのだが、それはそれだ。
「本当に嫌よねぇ……帝国の騎士は、今度こそ私たちを守ってくれるのかしら」
彼女の口調は懐疑的なものだった。五年前の帝国の対応を考えれば無理もない。実際には古竜に備えていたようだが、それを知っている帝都民はいない。
「ようやく喧騒病が落ち着いたと思ったら、また襲われるかもしれないなんて……。私たちが何をしたって言うのよ……」
そう嘆く彼女の陰鬱な声が、いつまでも俺の耳に残り続けた。
◆◆◆
「ええ、私も聞いたわ。噂の出所は分からないけれど、最近はその話で持ちきりよ」
支配人室に顔を出したヴィンフリーデは、俺の問いかけに答えると、小さく溜息をついた。
「フェルナンドさんから話を聞いていただけに、反応に困っちゃったわ」
「俺もだ。どこから漏れたのか……」
「当時この街にいなかった私はともかく、あの時恐ろしい目に遭った人たちには辛いでしょうね……」
ヴィンフリーデは気遣わしげに息を吐いた。だが、彼女も親父や多くの知人を失っているわけで、その辛さに大差はない。そう伝えると、彼女は首を横に振った。
「それでも、虐殺の渦中にいたわけじゃないもの。昔からこの街にいた人の中には、あの時の記憶が蘇ってうなされる人も多いみたい」
「そうか……」
忘れもしないあの襲撃事件。今回の噂が、帝都民のトラウマを呼び起こすことは想像に難くなかった。俺自身も、赤黒い血に染まった闘技場を鮮明に思い出すことができる。
「第二十八闘技場のスタッフの様子を見て回ったけど、思い詰めたような顔をしている人が何人もいたわ」
「昔からのスタッフは、あの虐殺現場から必死で逃げ出して、なんとか命を繋いだ人ばかりだからな……」
あの時、第二十八闘技場にいた全員が生命の危機に晒されていたのだ。かく言う俺自身も、ダグラスさんが間に合わなければ、無事に脱出できていたか怪しい。
「まあ、第二十八闘技場はあの事件の後に移転しているから、建物を見て事件を思い出すことはないだろうが……」
「そうね、それは救いかもしれないわ」
「ただ、無関係とは行かないからなぁ……帝国は何も発表してないよな?」
「ええ。噂の流布は把握しているでしょうけど、特に対応した動きはないわ」
「とは言え、このまま手をこまねいていると、大きな社会不安を招くぞ」
もちろん、その部分については俺が考えることではないが、集客数にも大きな影響が出ることは間違いない。
「唯一の救いは、第二十八闘技場だけじゃなくて、すべての闘技場で等しく集客数が落ち込むことね」
ヴィンフリーデも同じことを考えていたようで、苦笑を浮かべて口を開いた。
「ああ。闘技場ランキングは相対的な評価だからな。……ただ、人々の気持ちが落ち込んで、活気がない時にランキング一位になってもなぁ」
思わずぼやく。一位に変わりはないのだが、親父に誓った帝都一番の闘技場とは、そういうものではないはずだ。
観客の熱気なくして、俺たちが目指している闘技場は成り立たない。
「――そうだよな、親父」
支配人室の窓から身を乗り出すと、俺は試合の間を見下ろした。
◆◆◆
今日の興行を終えた支配人室は、二名の来客を迎えていた。一人は今日の試合に出場していた『紅の歌姫』レティシャで、もう一人は今日の試合で救護神官を務めていたシンシアだ。
「――神殿は人でいっぱいです。みなさん、とても不安がっていて……」
「不思議なことに、魔術師ギルドにも相談が来るのよねぇ。襲撃の時に、近隣住民を匿ってシェルターの役目を果たしたせいかしら」
「どこも似た雰囲気なんだな……さすがに第二十八闘技場に相談にくる人はいないが、客足は確実に落ちているからな」
俺はわざとらしく肩をすくめる。再侵攻の噂は爆発的に広まっており、帝都に大きな翳を落としていた。恐慌こそまだ起きていないものの、人々の不安や緊張が陰鬱な空気を作り出しており、一月前とは別の街に変貌してしまったかのようだった。
「フォルヘイムが再侵攻を企んでいるだけでも大事件なのに、まさか頭目がヴェイナードさんだなんてねぇ」
「私も、今だに信じられません……」
話がしたいと、二人に声をかけたのは俺だ。彼女たちは共にフォルヘイムを訪れており、ヴェイナードのことも知っているからだ。
「クーデターを起こしてまで、権力を手中に収めたいタイプには見えなかったのに……見事に騙されたわ」
「私もです……フォルヘイムで、皆さんに慕われていたヴェイナードさんらしくないです」
やはり、彼女たちも同じ思いのようだった。腹に一物あるとは思っていたが、この方向性は意外だったとしか言いようがない。
「混血種の扱いに我慢できなくなったとかか……? ただ、ルナフレアを追放したことは驚きだが」
「ミレウスの話だと、フォルヘイムではそのお姫様を助けようとしていたのよね?」
「ああ。権力の象徴としてではなく、ルナフレア個人に思い入れがあるように見えたが……」
「二人の距離が近付いたことで、相手の嫌な面が見えてきたとか。だとしたら、盛大な痴話喧嘩ねぇ」
「まあ、フォルヘイム国内でやる分には、喧嘩でもクーデターでも好きにしてもらえばよかったんだが……問題は再侵攻のほうだな」
俺が呟くと、二人の表情が真剣なものへ変わる。
「亜人をまとめ上げたのもびっくりです……亜人はそれぞれ離れた場所で暮らしていますし、癖も強いと聞きますから」
「そこは私も不思議ね。古代文明時代のことを考えると、一応支配階級だったとは言え、亜人だってエルフに支配されていたことに変わりはないわ。エルフに恨みを持っていそうなものだけど」
「もしくはそれを超えるメリットを提示したか、だな」
彼らの狙いがユグドラシルであれば、それも理解できる話だ。ユグドラシルを復活させることができれば、簡単に世界の勢力図を塗り替えることができる。破格のメリットだ。
「それに、どうやって攻め込むつもりなのかしら。五年前は、魔術に特化した古代鎧が核になって門を開いたんでしょう?」
「ああ。だが、あの古代鎧はもう存在しないし、術者も死んでいる。同じ方法は使えないはずだ」
フォルヘイムで聞いた話だと、あの術者は他のエルフとは隔絶した魔術の天才だったそうだからな。同じことができる魔術師はいないだろう。
「そうよねぇ……もし門を使うつもりだとしたら、帝国の動きにも多少は納得できるのだけれど」
「戦争において門は厄介だからな。侵攻場所も時間も不明だが帝都は戦場になる、なんて公表しても恐慌に陥るだけだろう。……そういう意味では、噂の出所はフォルヘイムかもしれないな」
「奇襲計画はバレたから、恐慌を起こして国力を削ぐということ? 性格が悪いわねぇ……」
「まあ、あくまで予想だけどな。真実を知っているのは帝国だけだ」
俺は皇城の方角に視線を向けた。上層部は対応に追われていることだろう。そんなことを考えていると、シンシアが口を開いた。
「あの、帝国から『極光の騎士』さんに協力要請は来てないんですか?」
「いや、ないな。そもそも、俺には戦術眼も魔術の知識もないしな。むしろ、シンシアやレティシャのほうが頼りにされそうなものだ」
「私のほうは、特に要請はないです……神託も降りていませんし」
「そうなのか?」
それは意外だな。巨人騒動や古竜の襲撃では、彼女の神託にお世話になったし、今回も何かしらあるのだと思っていたが……。
「たぶん、マイルさんたちが持ってきた情報や、フェルナンドさんが掴んでいる情報で充分なんだと思います」
「その情報をどう料理するかは、帝国次第ということか……」
どうにも不安だな。そんな思いを抱きながら、今度はレティシャのほうを向く。すると、彼女は首を横に振った。
「私のほうにも話は来ていないわ。もし奇襲方法が門だとしたら、アレを阻む結界を常時展開するなんて不可能だもの。だから打診がないのかもしれないわ」
「そうなのか?」
「門が開く場所が分かっていれば別だけど……帝都やその周辺を広大な結界で覆うなんて、尋常な魔力消費じゃないわ。魔術ギルド総出でも、すぐに力尽きるでしょうね」
そして、レティシャは悪戯っぽく笑う。
「それくらいなら、『極光の騎士』にヴェイナードさんの暗殺依頼を出したほうが、まだ成功率は高いんじゃないかしら」
「それは勘弁してほしいな。古代鎧を着たヴェイナードだけでも難敵なのに、亜人連合という大軍がいるんだろ? 手に余る」
それに、と俺は付け加える。
「そもそも、闘技場の運営で手一杯だからな。また数カ月単位で穴を開けるわけにはいかない。『極光の騎士』もようやくランキング上位に戻ったんだし」
「今度の『大破壊』さんとの試合に勝てば、ランキング一位ですね」
俺の言葉を受けて、シンシアが口を開いた。彼女はどこか嬉しそうに見える。
「ああ。帝都の闘技場の祖とも言えるディスタ闘技場の最終試合だからな。親父の古巣でもあるし、無様な戦いはできない」
人類最強の男『大破壊』との試合は、いつ勝敗が逆転してもおかしくないからな。万全の態勢で臨みたいところだ。
「実は、今度の試合のチケットが当たったんです……! 応援に行きますね!」
どうやら、シンシアは超高倍率のチケット争奪戦に勝利したらしい。今回はディスタ闘技場が開催地だから、第二十八闘技場のように救護神官として潜り込む手段は使えないしな。
「ありがとう。流れ弾で怪我人が出たら頼む」
というか、『天神の巫女』として顔が売れているシンシアは、客席でまともに試合を観ることができるんだろうか。
「はい! 任せてください!」
そんな俺の疑問をよそに、シンシアは元気に請け負う。すると、今度はレティシャが口を開いた。
「シンシアちゃんの仕事を増やさないように、私も頑張らなきゃね」
「ん? どういうことだ?」
その言葉に首を傾げていると、彼女はにんまりと笑った。
「英雄級の戦闘力を持つ二人が激突するのよ? 古代遺跡の結界を利用している第二十八闘技場はともかく、ディスタ闘技場の結界術師だけじゃ耐えられないわ」
「じゃあ、レティシャも結界術師として参加するのか?」
「ええ。ギルドを通じてディスタ闘技場から依頼があったの。チケットは手に入らなかったから、運が良かったわ」
「そうか、それは心強いな。安心して魔法剣が使える」
「乾坤一擲クラスの魔法剣が直撃したら、さすがに耐えられないわよ……?」
そして、話題はフォルヘイムの侵攻から剣闘試合へと移っていく。『大破壊』との試合は、もう目前に迫っていた。