始まり
【『破城槌』 マルス・ガリオン】
ルエイン帝国第二十八闘技場の特徴の一つとして、試合の間の種類が多岐にわたるということが挙げられる。
特定の武器種のみを有利としないための措置であり、ともすれば単調になりそうな剣闘試合に変化をもたらすという意味合いもある。
そしてそれは、試合に魔術師が組み込まれるようになってから、特に効果を発揮するようになっていた。
「廃墟仕立てか……面倒だな」
ルエイン帝国第二十八闘技場に所属する剣闘士、マルスは小さく呟いた。彼の目の前に広がるのは、廃墟と見紛うような建物の名残や瓦礫たちだ。
通常であれば、むしろ得意と言っても過言ではない仕様だが、今回は素直に喜ぶことができなかった。
『対するは新進気鋭の若手! 『無限召喚』ミロード・セイエスぅぅぅぅっ!』
重々しい音を立てて、正面の巨大な鉄扉が上へ開いていく。奥の通路から現れた男の姿に、観客は歓声を上げる。
試合の間に上がってきた男は年若い青年だった。少年をようやく卒業した、といったところだろうか。動きやすい格好をしているが、魔術師であることは身のこなしを見れば明らかだった。
「あの、よろしくお願いします」
「お前とは一度戦ってみたいと思っていた。……このステージであれば、お前の力を十全に発揮できるだろう」
ペコリと頭を下げる相手に向かって、マルスは真剣な表情を崩さず言葉を返す。
「ステージが悪かったから負けた、とは言ってくれるなよ?」
「はい!」
威勢のいい返事に、マルスは思わず苦笑を漏らす。試合前にお互いを煽るのは剣闘試合の前哨戦のようなものだが、『無限召喚』はあまりに素直な性格であるようだった。
もういいだろう、という意味を込めて、マルスは実況者に視線を送った。実況者も心得たもので、両者が離れたと見るやあっさり試合開始の口上を述べる。
『それでは! 注目の一戦『破城槌』対『無限召喚』、試合開始ぃぃぃぃッ!』
その声と同時に、マルスは槍を持つ手に力を籠める。相手の位置が不明な状態で始まるこのステージは、魔術師に有利に働くことが多い。特に、今日の対戦相手は相性がいいはずだった。
「そこかっ!」
近くの崩れた壁から、黒い影が飛び掛かってくる。マルスは小さく跳び退くと、手にした槍を横に振るった。
「ギッ!」
槍の穂先に斬り裂かれて、黒い何かが悲鳴を上げる。膝ほどの背の高さしかないそれは、やがてトプン、という湿った音とともに消滅した。
「やはり『黒の弱兵』か」
噂通りの手応えのなさに、マルスは周囲を警戒する。『無限召喚』の真骨頂は、その名の通り圧倒的な物量作戦だ。
そして、最弱クラスの召喚生物である『黒の弱兵』を用いた場合は、試合の間を埋め尽くすことすら可能となる。それが、『無限召喚』の恐ろしさだった。
最初の一匹を皮切りに、二体目、三体目と次々に『黒の弱兵』が襲いかかってくる。
「ふっ!」
それらを素早く槍で突き落とすと、マルスは背後から飛び掛かってきた一体を裏拳で迎撃した。一体一体は非力であるため、武器を使わずとも『黒の弱兵』を消滅させることは充分可能だ。
「やるじゃないか……」
だが、マルスは焦りを覚えていた。『黒の弱兵』が後ろから攻撃してきたということは、すでに取り囲まれていると思っていいだろう。
個々の戦力は微々たるものだが、それでも数は力だ。無数の『黒の弱兵』に取り付かれてしまえば、さすがのマルスも動けなくなる。
飛び掛かってくる『黒の弱兵』を蹴散らしながら、マルスは四方に目をやった。
『黒の弱兵』はどこから湧いてくるのか。それさえ分かれば対処のしようはある。
「そこか……!」
やがて、マルスは『黒の弱兵』が最も多く襲ってくる方角に見当をつけた。『無限召喚』は試合経験が少なく、『黒の弱兵』は時間差攻撃のような複雑な命令をこなせない。
となれば、その方角に術者がいる可能性は高かった。
進路を阻む敵を槍で突き、時には短剣で斬り払う。どうやら、マルスの殲滅速度は相手の召喚速度を上回っているようだった。『黒の弱兵』の足止めをものともせず、マルスは着実に前へ進んでいく。
『黒の弱兵』の密度が濃くなったことで、マルスは人知れず笑みを浮かべた。『無限召喚』はこの先と見て間違いないだろう。
――もしこれが見当違いなら、俺はとんだ道化ってことになるな。
同時に、そんな思考が脳裏に浮かぶ。マルスが試合の間を見渡すことはできないが、観客は高い位置からマルスたちを見下ろす形になるため、二人の位置取りや動きがはっきり分かるからだ。
もし見当違いの方向へ突進していた場合、観客たちの目にマルスはどう映るだろうか。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
マルスはそんな思考を鼻で笑い飛ばした。そして、厚い壁の向こうに濃い人の気配を捉える。
これは当たりだな。マルスがそう確信した時だった。壁の向こうの時空が大きく歪む。
「うぉっ!?」
マルスに魔法のことは分からない。だが、崩れている天井から見えたものは、身の丈四メテルを超えるであろう怪物の一部だった。
「ちっ、俺の殲滅速度が速いんじゃなくて、コイツを召喚するのにリソースを割いていたのか」
実体化しつつある巨大な輪郭を見て、マルスは顔を顰める。今すぐ崩れた天井から侵入して召喚を阻止したいところだが、その隙間にはびっしりと『黒の弱兵』が群れている。
迂闊に飛び込めば、『黒の弱兵』にやられる可能性もあった。
「……やるか」
状況を把握するなり、マルスは槍に精神を集中した。この状況を一気に片付けるには、これしかない。
一時の精神集中を経て、彼は裂帛の気合とともに槍を繰り出す。
「破城槌!」
それは、マルスの二つ名でもある得意技だ。特殊な回転を加えて繰り出される槍は、石壁を木端微塵に打ち砕く。
轟音が辺りに響き渡った後には、もう石壁という遮蔽物は存在していなかった。それどころか、余波を受けて群れていた『黒の弱兵』までもが吹き飛んでいる。
「あの怪物はどうなった……!?」
もうもうと上がる粉塵の中、マルスは目を凝らした。すると、その眼前に巨大な腕がぬっと伸びてくる。
「うぉっ!?」
本能的に跳び退くと、マルスは伸びてきた腕目がけて槍を突き出した。召喚途中であるためか、輪郭はぼやけ、腕の向こうが透けて見えている。その様はまるで幽霊のようだった。
「グゥゥゥゥ……!」
だが、彼の愛槍に与えられた魔力は、実体がおぼろげな存在に対しても、確実にダメージを与えたようだった。もともと透けていた腕がさらに透明になり、やがて視認できないほどに存在が希薄になる。
「……消えたか?」
粉塵が収まり、見晴らしがよくなった試合の間を油断なく見回す。すると、すぐ近くで気絶した青年が倒れていることに気付いた。
大量の瓦礫に埋もれていることからすると、破城槌で粉砕した石片が降り注いだのだろう。そうなるように技を調整したのだが、どうやら上手くいったようだった。
マルスは小さく頷くと、手にしていた槍を眺める。最後に現れた、実体も定かでない怪物に攻撃が効いたのは、この槍のおかげ……ではなく、槍に付与された魔法によるものだ。
闘技場に所属する魔術師や神官による武具への魔力付与。それは、魔法の武具を持たない剣闘士のために用意されたシステムだ。
一定の技量を持つ戦士であれば、魔力の籠もった武具で相手の魔法を迎撃したり防いだりすることは可能だが、魔法の武具を所持している剣闘士ばかりではないからだ。
「本当に、あの支配人は色々と考えるものだ……」
マルスは支配人室の方角へ目を向けた。
――試合で魔術師と戦ってほしい。そう言われた時は、何を言い出すのかと驚いた。ふざけるなと彼に掴みかかった剣闘士もいたし、所属を移った剣闘士もいる。
だが、不思議なことに、マルスはそんな気にならなかった。支配人の提案は突飛なものも多く、また商売っ気の強い面もしばしばみられる。
にもかかわらず、あまり不快に感じないのは、支配人が剣闘士の魂というものに配慮しているからだろう。
新しいことを試みる一方で、剣闘士の誇りへの配慮を忘れない。剣闘士出身だった先代はともかく、今の支配人がそれを理解していることは驚きだが、そんな支配人のことをマルスはそれなりに気に入っていた。
あの最強の剣闘士『極光の騎士』が、彼とだけ接点を持っているのも、何かしら感じるものがあったのだろうか。
『勝者ぁぁぁっ! 『破城槌』マルス・ガリオォォォンッッ!』
実況者の大音声が、考え事をしていたマルスの意識を引き戻す。彼は勝利の雄叫びを上げると、愛槍を天高く掲げるのだった。
◆◆◆
【支配人 ミレウス・ノア】
「団体戦? 複数人同士で戦うの?」
「ああ。前から考えていたんだが、問題は席の空き状況だな」
もはや自室とも言える第二十八闘技場の支配人室。その仕事机には、ここ数カ月の興行成績が並べられていた。
「そうね……ここ数カ月は満席も珍しくないから、あまり目立った増益にはならないでしょうね。いっそのこと、闘技場を改修して観客席を増やす?」
「そうしたいところだが、この辺りは地価が高いからなぁ……そもそも、この辺りの土地を手放すような人間はいないだろうし」
「一等地とは言わないけど、帝都の中心部に近い好立地だものね」
「……となると、費用対効果も今一つだな。ファイトマネーなんかは倍以上になるわけだし」
小さく溜息をつくと自案を却下する。ちょっとした思いもあり、団体戦を興行に組み込むという考えは前々からあったのだが、闘技場としてのメリットが薄いなら無理強いはできない。
「それに、団体戦に魔術師が編成された場合は、今までの比じゃないくらい客席に被害が出るんじゃないかしら」
「いくら開始位置を近付けても、最終的に魔法の撃ち合いになるだろうしなぁ。かと言って、うちのお客さんにはそれを期待する人も多いだろうから、参加させないわけにもいかないな」
ヴィンフリーデと意見を交わしていると、後ろの窓から歓声が聞こえてくる。今日の興行が始まったのだ。
すぐに試合を始めるわけではなく、司会者が今日の組み合わせや今後の予定などを説明していく。ここから盛り上げていくのが司会者の腕の見せどころだ。
「始まったな……」
支配人という立場上、試合そのものに立ち会うことはあまりない。賓客クラスへの挨拶やトラブル時には顔も出すが、それ以外は実況者や各スタッフの仕事だ。
たまに、観客に紛れ込んで運営をチェックすることはあるが、あまり頻繁にやると従業員から嫌がられるしな。
俺は窓に近寄ると、小さく見える試合の間を見下ろす。すると、ドタドタという荒い足音が支配人室へ近付いてきた。
ノックもそこそこに扉を押し開いた従業員は、焦った口調で報告する。
「支配人、救護担当のシンシア司祭が来ていません!」
「シンシアが?」
それは予想外の報告だった。シンシアは真面目な性格だし、今まで遅刻やすっぽかしをしたことはない。
マーキス神殿で暮らしているのだから、体調不良なら誰か別の神官に言付けてくれるはずだ。そういう面では、俺はシンシアを信頼していた。
「そうなんです。いつも早めにいらっしゃるのですが、未だに姿がなくて……」
「ディスタ神殿に応援を要請してくれ」
シンシアも気になるが、まずは体制の確保だ。シンシア以外にも担当の神官はいるが、彼女が非常に優秀なため、その当番の日は神官の数が少ない。経費節減のためだが、それが今回は祟った格好だ。
「マーキス神殿ではなく、ディスタ神殿ですか?」
従業員は不思議そうに聞き返した。シンシアはマーキス神殿の所属なのだから、そっちから連れてくるのが筋だと考えたのだろう。
「マーキス神殿は、闘技場にいいイメージを持っていない神官が多いからな。すぐに代わりを手配してくれるとは思えない」
その点、ディスタ神殿は戦神を奉じるだけあって協力的だし、こういった時のためにお布施も弾んでいる。迅速に行動してくれるだろう。
「シンシア以外の神官は来ているなら、第一試合は定刻通り始める。司会者と実況者には、不自然にならない程度に時間を稼いでくれ、と言っておいてくれ」
「分かりました」
俺の指示を受けて、バタバタと従業員が走り去っていく。こういう部分でバタバタしているところは、あまりお客に見せたくないが……今回は仕方ないか。
「シンシアちゃん、どうしたのかしらね」
心配そうにヴィンフリーデが呟く。意外なことに、彼女とシンシアは仲がいい。
二人には甘いもの好きという共通点があったらしく、たまにヴィンフリーデが焼いたパイ等を支配人室で一緒に食べているくらいだ。そのせいで余計に気になるのだろう。
「まあ、『天神の巫女』だからな。神殿のほうで何かあったんじゃないか?」
そう答えると、俺は支配人室の窓から試合の間を見下ろした。